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2010.07.12

追悼 つかこうへいさん

Pn2010071201000186ci0003 4月の井上ひさしさんに続き、戦後演劇界の宝がまたこの世を去ってしまいました。
 多少演劇にも関わっていた私ですが、考えてみると「つか作品」とは不思議とあまり縁がありませんでしたね。別に嫌いではなかったのですが。
 体調を崩されているというウワサは聞いていましたが、まさか62歳でお亡くなりになるとは…。やはり早すぎます。
 私の親戚でもある筧利夫さんが、8月からつか作品「広島に原爆を落とす日」で主演をすると聞いていたので、久々に観に行こうかなと思っていたところでした。筧さんもショックでしょうね。彼もつかさんに育てられた名優の一人ですから。
 劇作家として、また演出家としての仕事はもちろん、井上さん同様に「美しい日本語」を現代に継承した功績は計り知れないものがありますね。
 彼は御存知のように純粋な日本人ではありません。今年元旦に書いたという遺書には「娘に日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています」とあったと言います。
 そうした立場だからこそ、日本語のある意味客観的に見ることができたのだとも言えるでしょう。
 そう、井上ひさしさんもそうですが、いわゆる「日本語=標準語」圏で育っていない人、つまり母語が「日本語=標準語」ではない人にこそ、美しい日本語、正しい日本語継承者が多いというのは、実に面白い事実です。
 ある意味では極度に抽象化された世界なんですよね。人工語としての日本語、標準語、共通語。そうした抽象性の高い素材だからこそ、普遍的な芸術を生むことができるのです。音楽も絵画も同様ですね。
 近々、方言についての研究発表をする予定なんですが、方言を知れば知るほどに、逆に共通語としての日本語、フィクションとしての日本語の面白さ、美しさを痛感するようになるのです。
 つかさんの、いわゆる「口立て」方式による稽古は、そうした、構築された人工としての「脚本」に、ある種の「リアル」を吹き込む方法であったのかもしれません。ジャズや古楽の即興演奏でもそうであるように、その「場」や「人」との気脈によって、ライヴな「生命」が、そこに生まれたに違いありません。
 フィクションとリアルの絶妙な交錯と融合こそが、つかさんの日本語の美しさの源泉であったと、私は思います。
 そう言えば、娘さんの「みなこ」こと愛原実花さん、1月に今行われている公演を最後に退団することを発表しましたが、やはりお父さんのことがあったのでしょうかね。せっかく雪組トップにまでなったのに、どういう事情があるのかと思っていました。
 おそらく退団後は、もう少し直接的にお父さんの仕事を継ぐことになるのではないでしょうか。つか世界と宝塚世界とは、けっこう本質が違いますからね。どちらかというと、ヅカではなくツカ向きだと思うのは私だけではないのでは。
 いずれにせよ、これでまた「昭和の偉人」「昭和の豪傑」が一人天に召されてしまいました。もちろん喪失感はありますけれど、嘆いてばかりもいられません。次世代である私たちこそ頑張らねばなりませんね。
 ご冥福をお祈りいたします。

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コメント

愛原さんはたった3作のみの主演で、現在サヨナラ公演を兵庫でやっている最中でしたので、死に目にあえたのか気になります。つかさんのために辞める、という噂でしたが、それが本当ならすごく悲しいですね。
つかさんは「銀ちゃんの恋」という作品で宝塚にも関わっていたので、つかさん演出の舞台が観たいと思っていたところですので、とても残念です。哀悼。

投稿: LUNA | 2010.07.13 14:21

LUNA、どうも。
なんでも愛原さんは休演しないとのこと。
まあ、つかさんの娘なら当然だろうね。
つかさんに怒られちゃうよ。
宝塚をやめてさらにはばたいてくれることを祈ります。
ところで、後釜は誰になるのかな?
水さんの方も。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.07.13 16:25

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