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2010.07.14

係り結び

14 間がありません。今日こそ短く!
 今日は恩師(直接ご指導いただいたのはただ一度ですが)、いや怨師?大野晋さんの三回忌です。いろいろな意味で偉大なる方でした。お亡くなりになって、私もいろいろと発言がしやすくなりました。将軍様でしたので。
 さて、いろいろと先生のご意見に異論を唱えてきたワタクシでありますが、一つだけ全面的に賛成していたものがあります。それが「係り結び」の解釈です。
 私は大野センセイ以上に本居宣長センセイが好きになれない人間でして、そういう意味で相対的にこの問題に関しましては、大野センセイを支持いたします。というか、学校文法への生理的嫌悪感でしょうかね。いやいや、生理的感覚が大野説を支持しているんですよ。
 私は現象を法則化する前に、現象の本質を見極めたいと思うタチなのです。たとえば「ぞ・なむ・や・か〜連体形」「こそ〜已然形」というのを暗記するのがいやなのです。自分の中で(自分流であっても)納得いく説明ができないと、どうも生徒に教える気にならないのです。
 で、短く短くと。えっと、簡単に言います。「ぞ・なむ・や・か〜連体形」は倒置。「こそ〜已然形」は省略。もともとはそうであったと。以上です。
 倒置というのは、たとえば「吉野なる夏実の川の川淀に鴨ぞ鳴くなる山影にして(万葉集)」は、もともと「吉野なる夏実の川の川淀に山影にして鳴くなる鴨ぞ」であったと。倒置だから「強調」「強意」です。単純ですね。
 「神風の伊勢の浜荻折り伏せて旅寝やすらむ荒き浜辺に(万葉集)」は、「神風の伊勢の浜荻折り伏せて荒き浜辺にすらむ旅寝や」ということになります。疑問の倒置で、「強調された疑問」になります。
 「こそ〜已然形」は「こそ〜已然形+ど(ども)」の省略です。すなわち、逆接だったわけですね、本来。有名な例としてこういうのがよく挙げられます。
 「昔こそ難波田舎と言はれけめ今は都と都びにけり(万葉集)」これは、「昔は〜だったようだが、今は…」という流れですよね。本来、このように、「こそ」は逆接を強めるために用いられたと考えられます。このような逆接の強調は今でも名残がありますよね、「その場でこそ言わなかったけど、さすがにあとで呼んで注意しといたよ」みたいに。
 これらが、平安時代以降はその出自や本質が忘れられて、いわゆる「係り結びの法則」的な意識でとらえられるようになったと。まあ、そういうことです。
 今日は以上。係り結びについては、ほかにも書きたいことがあるので、またいつか。

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