富士吉田…古き良き時代
今から46年ほど前、私は生まれました。昭和39年、東京オリンピックの年です。
その年の7月、私が生まれる1ヶ月ほど前の大相撲七月場所は、平幕の富士錦が14勝1敗で優勝しました。
当時横綱だった、大鵬、柏戸、栃ノ海の三人がそろって休場ということもありましたが、大関二人を破っての堂々たる優勝でした。
富士錦は甲府の出身。山梨県は大盛り上がりだったそうです。富士吉田にも優勝パレードにやってきました。本町通りを通過した時のものでしょうか、美女を帯同してオープンカーから颯爽と手を振る富士錦関の写真を、地元の魚屋さんからお借りして見たことがあります。
そして、8月の中旬、富士山の向こう側で私は生まれました。ちなみに私の生まれは静岡県の焼津です。東京が水不足だったため、急きょ里帰り出産となったとのこと。
その月の26日、私の学校の母体となっている、富士吉田の月江寺の本堂前広場で日本プロレスの興行が行われました。その時の写真も魚屋さんにお借りしまして、当時日本プロレスに在籍していたマティ鈴木さんに見てもらったことがあります(こちらで紹介した夢のようなあの日です)。マティさん懐かしそうに、これは誰それ、これはあいつだなどと指さしていました。
その時の対戦の記録が残っています。
豊登、ジャイアント馬場、芳の里 vs ザ・スポイラー、ジョニー・バレンド、ニック・ボックウィンクル
なかなか豪華な顔ぶれですよねえ。富士吉田市民の興奮の様子が想像されます。
まあ古き良き時代ですね。夢がありました。
この優勝パレードやプロレス興行を仕切ったのは、おそらく富士吉田の侠客田辺多美司だと思います。吉田川一家の初代総長です。
田辺多美司親分は元力士、その名も吉田川。前頭まで行きましたが、その後博徒となって、のちに一家を成すに至りました。
この前も書きましたよね、野球賭博や花札や暴力団がどうのこうのと、まあ歴史を知らない人の正義感に溢れた(?)発言には、ホントうんざりします。
そうそう、富士錦は引退後は高砂親方となり、小錦や水戸泉を育てましたね。そして、富士錦のご長男一宮章一さんはプロレスラーになりました。彼は、ちょうどこの前の記事で「大相撲よDDTを見習え」と書いた、そのDDTの初代の社長さんでもあります。なにか不思議な因縁を感じますね。弟の一宮章広さんは朝青龍の元マネージャーですし。
昭和30年代までの富士吉田は、いわゆる「ガチャマン景気」で大いに活気がありました。機を「ガチャ」と動かせば1万円儲かったというわけです。いろいろな意味で古き良き時代でしたね。
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コメント
こんばんわ。
昭和39年ですか、、私なんかは影も形も無いですが、
当時20歳前後だった、富士吉田に生まれ育った母にこの写真をみせたら、当時は月江寺の本堂前の広場で様々な催し物をしていたとのこと。
この写真は、ちょうど火祭りの日なのですね。
古き良き時代なんでしょうね。
私の母の実家(=K先生の父の実家)の家業だった撚糸業が忙しかったのも、この時期だったとも聞いています。
投稿: tapy | 2010.08.03 23:15
tapyさん、どうもです。
はあ、なるほどねえ…やっぱり古き良き時代だったのでしょうか。
私もその頃の西裏で遊びたかった!なんてね。
吉田の街全体に活気が満ちあふれていたのでしょう。
今はまるでゴーストタウンのようです。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.08.04 15:05