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2010.06.08

人一倍の負けず嫌い?

20100602dd0phj000001000p_size5 学校の英語で「冠詞」を教えています。そこでちょっと自分自身疑問に思ったことがありました。今まで気にしてなかったのに、いざ自分が教えるとなると、変なことに気づくものです。昨日の「筆順(書き順)」もそうですね。
 気になったのは、「a year」と「an hour」です。教え方として、母音の前は「an」になると言うと、いろいろ面倒なこともでてきますよね。まだ中一ですから、母音と言ってもよくわかりません。そうするとまあとりあえず「aiueo」だよと教えます。それでまた面倒が増えます。その母音というのが発音なのか表記なのか、も含めて。
 ウチの学校では、世の中の流れに逆らって最初にきちんと発音記号を教えこんでありますから、まだいい方かもしれません。それでも、「year」と「ear」の発音の違いはなかなか日本人にはわかりません。どちらもカタカナで書けば「イヤー」じゃん。「イ」は母音じゃん。じゃあなんで、1年は「a」なのに、片方の耳は「an」なんだということになっちゃいますよね。
 実際は「年」の方には「y」という子音が含まれており、ネイティヴにとっては「耳」とは全く違う発音になるようです。同様のことは、例えば「wood」などの「ウ」にも言えます。
 そのあたりを、私はちゃんと学校で教わった記憶がなかったものですから、実際教えてみて、一瞬「あれっ?」と思ったわけです。生徒にはちゃんと教えておかないと混乱するなと。イヤ…いやいや、いや、そんな細かいことを教えちゃうと、余計に混乱するか。
 てか、こういう時の「いや」ってなに?「いやだ」の「いや」とどう違うのかとか、外国人に聞かれたらうまく答えられませんよね。そんなものです。
 ちなみに「yi」の発音、日本にもあった可能性があります。すなわち「ヤ行のイ」です。たとえば上一段活用の「射る」はヤ行ですから、この「いる」の「い」は昔「yi」と発音されていた可能性が高い。これはもちろん、「矢」や「弓」がヤ行の音でできているのと関係があります。語源が一緒だからです。たとえばそんなことを知っている現代日本人はそんなにいませんよね。
 あるいは、これは生徒にも話しましたが、日本語の「ん」は実は一つの発音ではありませんよね。たとえば「銀座(ぎんざ)」という時の「ん」と、「御殿場(ごてんば)」という時の「ん」と、「仙川(せんがわ)」という時の「ん」では、全て違う発音です。それを同じ「ん」で表してしまっているのは、外国人からすると不思議なことかもしれませんね。
 そういう意味で、我々が使っている日本語の矛盾というのにも思わず気がついたりします。前に紹介したものですと、「おかえりなさい」なんかその代表格です。いまだによく分かりません(笑)。
 今日気づいたのは、もうすぐ始まるワールド・カップに関する記事の中の日本語です。上に玉田選手の写真があるので、「なんだろう?」と思った方もいらっしゃったかも。別に玉田選手が悪いわけじゃありませんよ。日本語、そしてそれを普通に使っている日本人が「面白い」のです。
 この記事の中に、玉田選手のことを「人一倍の負けず嫌い」と表現した部分がありますね。この「人一倍の負けず嫌い」という日本語、一見矛盾を抱えています。お分かりになりますか?
 そう、この表現を文面どおり受けとると、「人並みに、勝つことが嫌い」ということになり、玉田選手は日本代表にはとてもとても似つかわしくない人物だということになってしまいます。
 だって、「人」より「一倍」ですから、人×1ということで「人並み」、「負けず=負けない=勝つ(もしくは引き分け?)」ことが「嫌い」なんですから。それだったら、私なんかも堂々と「人一倍の負けず嫌い」だと言いきれますよ(笑)。
 これこそが「慣用句」の面白いところです。元の意味とか理屈とかを抜きにして「慣用」されているわけです。誤用とか誤解以前の問題ですよね。慣用句に対してはみんな「寛容」です。「おかえりなさい」みたいな挨拶語もそうです。英米人でも、helloとか、その語源なんか誰も考えてないと思いますよ。
 ちなみに、「人一倍」については、「倍」自体が「2倍」を表すので矛盾していないとおっしゃる方も多くいます。でも、それだったら、「一」はいらないし、じゃあ「二倍」は「×4」になっちゃうじゃんという屁理屈も成り立つので、まあ無理して説明しなくてもいいと思います。
 「負けず嫌い」の成り立ちは、結論としてある「負けない」という否定的なニュアンスを出すために「ず」が付いてしまったと解説されたり、「食わず嫌い」(これは正しい)の影響を受けたとか言われますが、まあこれだってどうでもいいのかもしれませんね。
 でも、こういう日常を非日常にして楽しむ(あるいは悩む)というのも、一つの生きるための智恵であると信じています。当たり前の風景を突然劇的なものに変えるということを、これからもどんどん生徒たちに教えていきたいと思います。こういうことできるようになると、日常が全然退屈じゃなくなるんで。

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