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2010.06.27

第6回富士山の森ジャズフェスタ2010

Gedc0398 日もまた楽しい時間を過させていただきました。
 我が富士学苑中学高等学校のジャズバンド部が主催する、学生バンドの祭典「富士山の森ジャズフェスタ」。6回目の今年は、私も縁の深い都留市のうぐいすホールで行われました。
 昨年の第5回は、なんだかとんでもなくせわしない気持ちで聴いていましたが、今年は音響抜群の屋内ということもあって、ゆったりと聴くことができました。
 参加校・バンドは次のとおり。
 山中湖中学校・笹下中学校・法政大学・横浜市立大学・早稲田大学・慶応義塾大学・静岡ジュニアジャズオーケストラ・日本大学・東京大学・富士学苑中学高等学校
 講師は作編曲家の内堀勝さんと、トランペット奏者の岡崎好朗さん。
 まあ、ジャズは聴く場所と体勢によってずいぶんと違って聞こえるものだなとも思いましたね。演奏する側の気分も違うでしょう。ジャズにとってどちらが本来の形かというのは別としまして、環境というかシチュエーションというのが、音楽にとって非常に重要であるということも再認識。
 特に大学生たちは目前に迫るコンテストを意識した音楽作りをしている最中ですから、造形された音楽を提供するには、こういうコンサート形式というのが一番いいのではないでしょうか。
 そんなわけで、私もいつものノリノリではなく軽く体を揺する程度、ちょっと審査員的な身構えで各学校の演奏を拝聴いたしました。というか、どうして日本の観客は体を動かさないで聴いていられるのかな。音楽、特にジャズは、ビートや流れ、スウィングを共有するものだと思うのですが。
 そうそう、そういう意味では、バンドの中でさえそれらを共有しているのか疑問なバンドもありました。個々はとっても上手なんでしょうが、なんというか全体の一体感に欠ける音楽がいくつかあったような。そういう意味で、私は慶應と日大と東大はいい感じだなと思いました。
 アンサンブルにおける「共有」とは、簡単に言うと「全体像」と「部分」の共有です。そのどちらかだけでもダメ。特にトゥッティを担当する人たちはそういう意識を持たないといけません。ソリはそこに乗るだけですから。
 私も古楽のアンサンブルを長くやってきたので、そのことは常に気をつけるようにしています(というか、最近ようやくそれが分かった)。
 ま、それに気づいたのも、ソリとしての美空ひばりの偉大さが分かるようになってからなんですがね。彼女はまさに全体と部分の統一の天才でしたから。で、彼女の場合はソリのくせにトゥッティを引っ張っちゃう。原信夫さんの言う通りですよ。
Gedc0400 で、そういう「共有」ということをもう一歩進めますと、「共有」のための「意志」というのが浮かび上がってきます。つまり、今日のいくつかの(ほとんどの?)演奏でそうだったのですが、トゥッティのそれぞれのパートに、音楽を動かしていくという意志が感じらなかったのが残念でした。
 つまり、私のフィールドで言いますと、ヴィオラが内側から音楽を作っていく、あるいは推進していくというようなことです。ビッグバンドで言うと、トロンボーンパートなんか、そういう役割が強いのではないでしょうか。そういう意味で、先ほど挙げた学校、そして手前MISO(笑)ではありますが、富士学苑のトロンボーンは音楽を豊かにしていたと感じました。
 ある意味地味ですが、大切なんですよねえ。ただ音を埋めてるわけじゃありませんよ。中音域というのは人間で言えば「心」にあたります。表面的には聞こえにくくとも、最後はそこで評価が決まる。そう思います。
 とにかく、正確に自分に与えられた音を出せばいいのではありません。それだったら、コンピューターの方が得意です。そうでなく、ある意味客観的に今自分が出している音の位置、価値、全体での意味というのを、理屈ではなく「音楽的」に感じる心が必要だと思います。その時必要な音程とは、音色とは。それこそがアンサンブル、合奏、トゥッティの基本ではないでしょうか。それはもう、最終的には理屈でもテクニックでもありませんね。その先にあるものです。
 あと気になったのは、ウッドベースの音程です。やはり基礎の部分がしっかりしていないと、その上に構築される音程の意味が不安定になります。全体の中の意味すら不明になってしまいますよね。それはベースの責任です。ジャズではベースはリズム隊として意識されていますが、本来的に低音弦楽器ととらえれば、やはり音程もリズム以上に重要です。低音域での音程感覚というのは難しいわけですが、やはりまずは「意識」「意志」の問題ではないでしょうか。ま、プロのベーシストでも、とんでもな音程の人たくさんいますけどね(苦笑)。
 最後に、また手前MISOになってしまいますけど、いろいろ総合してみますと、ウチの学校が一番良かったかなあ、やっぱり。共有という面でも、リズムや音程の面でも。やっぱり大学生はこじんまりして、硬かったなあ。曲もまるで現代音楽のようだし。まあ、コンテストの前哨戦、つまり戦いだから仕方ありませんが。もっと楽しみたかった。そういう意味では、最後の全体合奏、ジャムセッションが一番彼らの本来のパーソナリティーが聞こえてきて良かった。
 それにしても、我が中学生たち、高校生のみならず大学生とも交流できて、本当にいいですねえ。なかなかできない経験ですよ。一流大学のお兄さま、お姉さまに可愛がられて。
 それから、ウチの学校のバンドと共演した岡崎さんのソロ、かっこよかったなあ。高校生に刺激を受けているのが、よ〜く分かりました。これこそコラボレーションの妙でしょう。

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