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2010.05.20

追悼 荒川修作さん

20100521_125248 よなら、ようこそ先輩じゃない人
 またまた「天才バカボン」の登場人物、つまりバカ田大学OBが一人亡くなってしまいました。残念です。
 もう、彼については上のリンク先の記事をご覧になっていただくのが一番だと思います。ほかに説明してもしかたありません。いや、リンク先のリンクがもうとっくに切れていますね。そこのところだけ紹介しておきましょう。
 2005年に、彼がNHKの「ようこそ先輩」に出たんですよね。この番組、なにしろこういうタイトルですから、つまり自分の出身校に行って、後輩たちに向けて授業をするわけです。で、荒川さんも「母校」に久しぶりに行って、それはそれは面白い授業をしたわけです。私もそれを再放送で観て、けっこう感激したんですよ。小学校の授業はこうじゃなきゃって。ぶっとんでていいぞ!と。
 ところが、実はそれが本当にぶっとんでいたわけです。記憶もぶっとんでた。
 実は荒川さんの出身小学校「名古屋市立御劔小学校」だったんですけど、記憶違いなのでしょうか、自分はお隣の「名古屋市立瑞穂小学校」の出身だと思い込んで、そこで収録が行われてしまったわけです。そして、しっかり放映されてしまった。あとで、同級生かなんかから、いや荒川は御劔小学校出身のはずだとかなんとか、たぶんNHKにクレームが入ったんでしょうね。調べたらたしかに御劔小学校出身だった。
 で、NHKが謝罪したわけです。誤りでしたと謝った。それに対して、荒川さんは「確かに私の勘違いだったが、このような勘違いを批判する日本社会の性質はおかしい。NHKには本当に感謝している」と語ったのです。
 面白い人でしょ?そういう偉人がまた消えてしまったのです。本当に残念です。
 彼を建築家だとか、芸術家だとか、美術家だとかいうのに抵抗がある人もいるでしょう。まあ、そのとおりだと思います。そういう「言語」という「社会性」からはとっくにはみだしている、そう前の記事にも書いたとおり、より自然状態に近い人間であり、彼の仕事ぶりであったのだと思います。だから、理解されるとかされないとか、意味があるとかないとか、あるいは「タイトル」や「コンセプト」なんていう「言語」に沿っているとかいないとか、「母校」が正しいか否かとか、そんなことは彼にとってはどうでも良かったのです。
 生みの親(母)が違っても、「人生の先輩」であることには違いがないわけだし、たしかに言われてみれば、誰に迷惑をかけているわけでもなく、逆に面白がる人が世界中にけっこういたわけですから、まあ彼は自然界の無意味に超ド派手かつ異形な昆虫みたいなものですね。そこにいるからしかたない。そういうふうに進化して淘汰されないで来たんだから、理屈なんてどうでもいいと。
 三鷹(武蔵境)の天命反転住宅は、結局いまだ体験していません。外から見ただけです。お金があれば一度、まあ一ヶ月くらい住んでみたいものです。楽しそうだなぁ。
20100521_142621 たまたま、大阪の国立国際美術館で、彼の初期作品展「死なないための葬送」が行われています。
 彼にとっては、まあ「死ぬ」ことも「死なない」ことも、どっちでもどうでもいいのでしょう。あの世へ行って、空間やら時間やらの軸にとらわれない真の自由を得て、ますます楽しく「生きている」ことでしょう。いや、4次元の縛りがなかったら、彼の天才ぶりは発揮できなかったかな。反転することが彼の存在意義でしたからね。
 考えてみれば、何回かチャンスがあったにも関わらず、養老天命反転地にも行ってないや。修学旅行の帰りにでも生徒と一緒に寄ってこようかな。とかいって、ほとんど自分の趣味でコースとか決めちゃってますな(笑)。

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