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2010.05.10

いただく or くださる(その1)

↓疑問の現場「壮行会」
96810522 くなりそうなので、2回に分けます。
 最近、気になり始めたことの一つ。言葉の問題です。敬語に関わることですね。気になり始めたら、なんだかよく分からなくなってしまった。
 もともと、言葉というのは論理的ではない部分がありまして、それが慣用化してしまうと誰も疑問を抱かなくなってしまうものなのですが、変にその矛盾に気づいてしまうと、なんとなく自分の発言や表現に違和感が生じたり、自信がなくなったりして、案外に厄介なことになってしまいます。今、そういう状態です。
 以下、私独自の見解もありますので、通例や一般的な文法(特に学校文法)と矛盾する点もありますことをご了承下さい。
 この前も、高校総体の壮行会での選手代表の発言を聞いていて、なんだかムズムズしたんです。この発言です。よくある、今までも何千回も聞いてきた言葉です。

「今日は、このような会を開いていただき、ありがとうございました」

 どうですか?別に変だと思いませんよね?ちょっと前までの私も、なんとも思わなかったのですが…。
 ためしにこの言葉の中間部分から敬語を取り払ってみましょう。「いただく」は「もらう」の謙譲語です。

「今日は、このような会を開いてもらい、ありがとうございました」

 どうですか?今度はちょっと変だと思いませんか?どちらかというと、

「今日は、このような会を開いてくれて、ありがとうございました」

 の方が自然だと思いませんか?これを敬語で言いますと、次のようになります。「くれる」の尊敬語は「くださる」です。

「今日は、このような会を開いてくださり、ありがとうございました」

 敬語以前の理屈(感覚)から言えば、こちらの方がより正しく、自然だということになるはずです。
 しかし、一般には、この場合「いただき」と言われることの方が多い上に、「くださり」と表現すると、かえって不自然な感じがする場合もあるのはなぜでしょうか。
 こんな例もあります。
 電車に乗っていて「本日は、○○線をご利用いただき、まことにありがとうございます」というアナウンスを聞くことがありますね。これを同じ理屈で「本日は、○○線をご利用くださり、まことにありがとうございます」と言うと、かえって、なんとなく違和感があるような気がします。間違いではないけれども、なんとなく…。
 これはまず尊敬語と謙譲語について語らねばならなくなりますね。
 尊敬語とか謙譲語とか、こんがらがる、学生時代を思い出していやだ、という方は、次のように単純化するとスッキリするはずです。

 尊敬語=文の主語に敬意を表す
 謙譲語=文の目的語に敬意を表す

 実際はもうちょっと複雑な事情があるのですが、こうしてしまえば、ほとんどのケースはあっさり理解できます。古文なんかでもそうです。謙譲語の説明で「自分がへりくだって(自分を下げて)相手に敬意を表す(相手を上げる)」なんて教えるから、ワケわからなくなるんですよね。だいたい「謙譲」というネーミングが悪い。生徒は可哀想です。ま、気持ちの根幹にあるのはたしかに「謙譲」なんですけどね。言葉の機能としては、ちょっと違うようです。
 で、そうして単純化してさっきの文の前半部分を見てみますとこうなります。
 「会」を「開いてくれる」主語は生徒会(すなわち選手以外の生徒全員)で、その主語たる生徒会に敬意を表して「開いてくださる」と言うのはなんの問題もありません。自然です。
 ちなみに「開いてくれる」をバラバラにした時の「くれる」の目的語は「会」ではなくて、「開く」です。ここが実は肝心です。あとで重要になります。つまり、生徒会が「(会の)開催」を選手たちに「くれた(提供した)」わけです。物品の授受のように考えるのがコツです。
 一方、「開いてもらう」の主語は「私たち選手」ですよね。「私たちが会を開いてもらった」という文にしてみるとよく分かります。
 では目的語は何かというと、「開いてもらう」のは何かを考えればいいわけですから、「会」ということになります…というのは、実は正確ではありません。先ほど「開いてくれる」を「開く」と「くれる」に分けたように、ここでも「開く」と「もらう」に分けなければいけないのです。
 つまり、選手たちが「もらった」のは「開く」だということです。「(会の)開催」を「もらった(享受した)」のです。
 そうすると、「開いていただく」と謙譲語を使ったとすると、あくまで言葉の機能としては、「(会の)開催」に対する敬意を払っていることになります。もちろん、その裏には「気持ち」として、その「会」を企画・開催してくれた人、すなわち「開く」の主語たる「生徒会(生徒全員)」に対する敬意も含まれています。というか、それこそが根幹にあるのですね。しかし、今はあくまで、言葉の機能の方を重視して考えます。
 ここで、なんで単純に「開いていただき」全体で考えて、目的語は「会」自体としないのかという疑問にお答えしましょうか。
 それは、先ほどの「○○線をご利用いただき、まことにありがとうございます」で考えると分かりやすいですよ。もし、「ご利用いただき」全体で目的語を考えると、それはそのまま「○○線」ということになり、自分たちの路線を尊敬していることになってしまうからです。実際はそうではなくて、「○○線の利用」に対して敬意を表しているのですよね。だから、バラバラにして考えるべきなのです。
 さてさて、まとめますと、「開いてくださり」の「くださり」は「生徒会(生徒全員)」に対する敬意を表し、「開いていただき」の「いただき」は、「(会の)開催」に対する敬意を表すことになりました(ちなみに敬意を表しているのは誰かというと、常にその文の「表現者」、すなわちここでは選手の代表ということになります)。
 だから、その部分(中間部分)の意味においては、どちらの文も間違いではありません。
 では、何が「違和感」を催させるのか。ここが問題です。
 (明日につづく…はたしてうまくまとまるのであろうか)

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