いただく or くださる(その2)
↓こうしてくれるわ!
さて、昨日の続きです。うまくまとまる公算小です。
昨日は、「会を開いていただき」も「会を開いてくださり」も間違いでないと書きました。しかし、なぜか微妙にニュアンスが違うのもたしかです。
これには、やはり「〜てもらう」と「〜てくれる」の違いが反映しています。この両者は、もちろん視線の対象、つまり主語が違うわけですが、その結果、次のようなニュアンスの差も生じます。
「(自分が)〜てもらう」=こちらの意思に基づく
「(誰かが)〜てくれる」=相手の意思に基づく
つまり、「〜てもらう」や、その敬体「〜ていただく」には、こちらからお願いする、こちらが望む、こちらが依頼するというような意味が含まれることが多く、一方の「〜てくれる」は、ある意味想定外の恩恵の場合が多いんですよね。
ですから、実は「会を開いていただき」はおかしいとも言えるのです。選手たちがお願いして壮行会を開いてもらったことになってしまうからですね。そう考えると、やっぱり「開いてくださり」の方がいいような気がしてきます。
電車の方はどうでしょうか。「ご利用いただき」か「ご利用くださり」か。鉄道会社も営利団体ですから、当然「どうぞご利用下さい」という姿勢でいるわけですよね。そうだとすれば、「ご利用いただき」でいいような気がします。思いがけず乗っていただいて…という感じではないようです。
そうすると、壮行会の場合は「〜てくださり」、鉄道の場合は「〜ていただき」がいいような気がしてきますが、それでも壮行会で「〜ていただき」が使われる、使いたくなる理由を考えてみましょう。これはあまり指摘されていない点だと思います。
「くださる」は、まさに上から下に物品が下賜される状況を言う言葉ですね。そして、「いただく」はそれを頭の上に掲げて頂戴するというのが原義です。まあ、それはそれで問題ありません。
しかし、敬意が介入する以前に元々使われていた「くれる」と「もらう」のうち「くれる」の方には、ちょっと厄介な事情があるのです。それが、「くださる」にも影響していると私は考えました。
さあ、皆さん、「くれる」ってどういう意味ですか?日常的にどのように使っていますか?
私は残念ながら母語を持たない完全なる標準語(共通語・人工語)話者なので、いわゆる国語辞典的な意味でしか使ってきませんでした。すなわち、
(1)他者が話し手または話し手側の人に物を与えることを受け手の側から言う。
「君が—・れた万年筆」
「また連絡を—・れ」
(2)話し手または話題の人物が他者に物を与える。受け手をややいやしめた言い方。くれてやる。
「五銭の白銅を出して、剰銭(つり)は—・れて来た/多情多恨(紅葉)」
「北の部屋にこめて物な—・れそ/落窪 1」
(3)(補助動詞)
動詞の連用形に助詞「て(で)」が付いた形に付いて、その動作者が話し手または話題の人物のために何らかの動作をすることを表す。
(ア)他者が話し手または話題の人物に、その利益となることをする意を表す。
「おおい、助けて—・れ」
「部長が僕らを食事に呼んで—・れた」
「これを見て—・れ、大したもんだろう」
「ちょっと来て—・れないか」
「傘を貸して—・れませんか」
(イ)他者が話し手または話題の人物の不利益となることをする意を表す。
「とんでもないことをして—・れたもんだ」
「恨んで—・れるなよ」
(ウ)話し手が他人に対して、その者の不利益となることをする意を表す。…てやる。
「にっくき親のかたき、どうして—・れようか」
というように、まあこの通りの使い方、すなわちほとんど(1)と(3)の(ア)の意味でしか使ってきませんでした。特別な事情のある時のみ、かなり気分を変えて(場合によってはふざけて)その他の用法で使うくらいです。
ところが、方言となると、これがずいぶんと事情が変わってくるのです。たとえば我が山梨県でも、普通に、標準語の「やる・あげる」の代わりに「くれる」を用います。「やってあげようか」という時に、「やってくれようか」と言うわけですね。
実はこのように「(いやしめの意味をこめたりせず純粋に)話し手が他者に物を与える」という意味で「くれる」を用いる地方がたくさんあります。調査したわけではありませんが、もしかすると標準語的な用法よりも、その勢力は強く広いかもしれません。皆さんの地方ではどうですか?
古い例を見てみますと、「他者が話し手に物を与える」という場合と「話し手が他者に物を与える」という場合が、ずいぶんと拮抗しているように感じられます。つまり、この「くれる(くる)」という動詞は、以前は単純に「give」の意味で使われていたとも思われてくるのです。誰から誰へということ抜きにして、ということですね。そして、「get」「take」が「もらう(もらふ)」であったと。そう考えた方が自然かもしれません。
それでですね、話を戻しますが、今見たように「くれる」が多義的、それもある意味反対の概念すら表すこと、また、場合によっては「不快」を表す言葉であるという事実が、「〜てくださり」をあまり使いたくない潜在的な理由なのではないかと、そんなふうに私は思うのです。
さらに「ありがとう(ございます・ございました)」が、慣用句化していて、主語を伴った文を構成しないという事実も、なんとなくこの表現を不自然なものにしているような気もします。
いろいろ考え始めたら、本当にいろいろ疑問点も出てきて、今回はかなり難渋しました。もしかすると、とっくの昔に誰かが論文かなんか書いているかもしれませんが、こうして自分で考えて、場合によっては間違えてみることもまた楽しく、大切なことなのかもしれません。
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コメント
昨日帰ってからぼんやり考えたのですが
「くれる」は、要は受け身的な感覚、不随意っぽい感じってことじゃないでしょうか。
先生がよく言ってる、古文の受け身みたいな‥‥
うまく言えないんですけど、
「もらう」は「ほしい(~してほしい)」という自分の意思がまずあって、
何かを受け取るのはその結果というか。
こっちは随意っぽい感じ。
だから「もらう」にはいつも感謝の気持ちが込められてるような感じがします。
そういう意味でも壮行会は
(話し手の応援への感謝の気持ちを表すために)
「開いてくださり」じゃなくて「開いていただき」なのかな、
って思いました。
調子に乗ってコメントなんかしちゃってすいませんっ
的外れなこと言ってたら恥ずかしいな...
あと、私にも喜怒哀楽はあります!
投稿: 大佐 | 2010.05.12 19:16
前略 薀恥庵御亭主 様
「軽語× 「敬語」の・・・
「コメント」はできませんが・・・
愚僧の尊敬する 「麿 赤兒」様を
「拝見」させていただけましたので
思わず ついつい書きこまさせて
いただいた次第で御座います。
何卒・・・何卒 御許し下さいませ。
「麿 赤兒」様は・・・
故「佐藤慶」様 御同様
言葉(セリフ)を超えた・・・
「場の存在」での演技が
出来られる 数少ない「名優」で
在らせられます。
まさに画面から「場力」(バジカラ)
が弾け跳んでおります。
愚僧が・・・もし
「麿 赤兒」様と対面した暁には・・・
もう緊張してしまって・・・
「御目にかかれて光栄にぞんじます」
と言いたくとも・・・
「お会いいただいただけで途方にくれます」
などと"のたもう"ことでありましょう。
「自分に尊敬する馬鹿者」おじさん 拝
投稿: 合唱おじさん | 2010.05.12 19:16
記事を落ち着いて読み返したら
私がコメントしたことと先生が書いたことの内容がかなり被ってて
なんか‥‥ほぼ言い換えただけですね、わたし\(^o^)/
はずかしいです\(^o^)/
すいません!
投稿: 大佐 | 2010.05.12 20:01
ロボット大佐よ、もともと大佐の話を聞いてこの記事を書いたようなものだから、感謝してるよ。
そして、喜怒哀楽のスイッチを入れてみたいね(笑)。
合唱おじさん様、さすがです!
そこにツッコミというか反応してくれる方がいらっしゃるかなあと思っていたら、お見事。
けっこう記事を書くより画像を選ぶのに時間をかけましたから(笑)。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.05.13 18:48
こんばんは!言葉ってややこしいですが面白いですね!興味深く読ませていただきました!
>>「くれる」が多義的、それもある意味反対の概念すら表すこと、また、場合によっては「不快」を表す言葉であるという事実が、「〜てくださり」をあまり使いたくない潜在的な理由なのではないか
ここ、なるほどって思いました!そういうのを無意識に嫌う感覚も言葉に出るのでしょうかね。
なんとなく、いただくって言う方が相手に対する敬意をよく表しているような気がします。”こちらの期待に答えてもらいありがとうございます!”と相手の自分に対する行為をとても好意的に受け入れてる感じがします。くださり、だとなんとなく相手の一方的な行為に”とりあえず、やってくれてありがとう”、という感じで、感謝の意がそこまで感じられないような・・・
うーん、なんだか分かってるんだかどうなんだかといった具合ですが(苦笑)、久々に国語の授業を受けているみたいで楽しいです。
また読み返して考えてみますー!
投稿: 毛糸 | 2010.05.14 01:05
あ、あと私も麿さん好きです(笑)
画像、笑いました(笑)
投稿: 毛糸 | 2010.05.14 01:06
「くれる」が「場合によっては不快を表す言葉。
そのとおりです。
よく、小学校で先生に「コツ、くれるぞ~!」っていわれたなぁ(;ω;)
(吉田の先生方は、使わないか)
移民して、日本の文化・日本語を純粋培養している方々は、「時を越えた」日本語を話しますよね。
「いただく」と「くださる」も、今と微妙に違うような?
言葉は人間が使っているからこそ、その土地土地で成長するのでしょうね。
投稿: バンコクのジャックラッセル | 2010.05.14 11:19
毛糸さん、こんにちは。
コメントどうもです。
そうですね、「〜てもらう」にはより多くの感謝の気持ちが入っているようです。
こういう微妙な違いって誰も教えてくれませんし、意識なんかしませんが、みんなが共通して持っているというのが、不思議ですよねえ。
言葉は面白いです。
バンコクのジャックラッセルさん、どうもです。
そうそう、日本でも地方の方言に古語が残っているのと同様、外国に古い日本語が残っているというのもよくあることです。
あと、クレオールですね。
とっても興味があります。
ちなみに「コツ、くれるぞ」は吉田の人も言いますよ(笑)。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.05.15 10:46