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2010.05.31

eneloop スティックブースター (三洋電機)

31pbqpfmel_sl500_aa300_ の画像、本当はスティックが横に寝た構図になっていたんですけど、あえて直立させてみました。
 なぜなら、そう、これってどう見てもウルトラマンの「ベーターカプセル」だからです。あれには、M78星雲の光の国の人工太陽エネルギーが充填されていて、それが「フラッシュビーム」となって放出されるという設定だったと思います。いわば二次電池。
 しかし、その効果はたった3分しか持続しません。これは「ベーターカプセル」という二次電池の容量の問題ですよね。エネルギーを利用するウルトラマン自身の性能にもよりますが、単純にカプセルの容量が2倍になれば、6分は持つことになるでしょう。
 私なんか、3歳くらいの時から、カプセルを2本持っていればいいのではないかと、そんな現実的なことを考えていましたよ。ま、おそらく携帯上の問題なんでしょうね。いや、実は2本持っていたのかもしれない。地上で戦って疲れ果てたあと、ああやって地球の重力に逆らって、大気圏外に帰って行く(?)わけですから。あれはあれでとんでもないエネルギーを使っているはずです。そのためにもう1本、懐に隠し持っていたとか(笑)。
 ま、そんなことはどうでもいいとして、つまり、光の国の未来技術をもってしても、地球上では「バッテリー問題」を解決できなかったということですね。基本、今でもウルトラマンシリーズはそういう設定ですよね。
 で、人類もいろいろ頑張ってきまして、特に日本人は頑張ってきまして、特に特に三洋さんは頑張ってきまして、21世紀になって画期的な二次電池が開発されました。それがエネループ(eneloop)です。基本的に従来からあったニッケル・水素蓄電池でありながら、その短所であった「自然放電」と「メモリー効果」を抑え込んだ製品です。
 私も今までデジカメの電池として重宝してきました。たしかに「自然放電」と「メモリー効果」は気になりませんでした。
 そこで、思いきって我が家では、全ての乾電池をエネループに切り替えることといたしました。別に環境のためとか、あるいはコストを考えてのことではありません。様々なストレスを天秤にかけた結果、エネループの方が優れていると考えたからです。
 とりあえず単3型を8本ほど準備して、いろいろと使い回し始めています。使用済み乾電池という「ゴミ」が出ないだけでもストレスレスですね。
 さてさて、ついでと言ってはなんですが、今回この「ベーターカプセル」…いやいや「スティックブースター」を買ってみました。これを常に携帯して、いざという時にフラッシュビームを発して、正義の味方に変身するため…いやいや、iPhoneを始めとするUSB充電式のいくつかの機器のバックアップ・バッテリーとしてです。
 iPhoneもちょっとハードに使ったり、あるいはウチみたいにギリギリ圏外みたいな所に放置したりすると、1日でカラータイマーが点滅してしまうんですよね。そういう時って、まさに幼少の頃テレビを観ながらハラハラドキドキヒヤヒヤしたように、なんとも言えない不安感に襲われちゃいます。なんか、そういうモノに振り回される自分もいやですけど、ま、それも古来の「もののあはれ」であるとも言えるので、自分ではあえて強がらないようにしています。あっそうか、ウルトラマンって「もののあはれ」の物語だな…。
 この「ベーターカプセル」による給電では、iPhoneは70%くらい復活するようです。ウルトラマンなら2分くらい延長戦を戦えるということでしょうか(笑)。実はほとんど使う機会はないんですが、まあ安心のための保険みたいなものでしょうかね。カバンに忍ばせておきましょう。
 ちなみに昨日話題にしたiPadは、このカプセルというかスティックでは充電できません。iPadをエネループで充電するには、ニッケル水素タイプではなく、リチウムイオンタイプでないとダメなようです。いずれにしても、なんとも面倒な世の中ではありますね。どうでもいいモノに振り回される私たち。便利、快適、愉悦のために買ったモノに、結局憂いを感じているという、なんだか男女の仲にも通ずるような妙な状況になっていますな。これこそ「もののあはれ」なのでありましょう。
 ウルトラマンも偉いですね。そんなお馬鹿な地球人のためにボランティアでボロボロになってしまったんですから。やっぱり彼は仏に近いのですね。

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2010.05.30

iPadの可能性

20100531_65711 日いよいよ発売なったiPad。日本でもかなり売れているようですね。とりあえず私は買う予定はありませんが、動向は気になります。
 あのようなデバイスの出現は、当然予想されていました。iPhoneが発売された時、クラウド・コンピューティングが普通になった暁には、もう少し大型で、基本ディスプレイだけの地上端末が出現するだろうと思いました。それが現実になったという感じですね。
 今年の1月に、iPad 登場という記事を書いています。基本、今でも同じような感想と考えを持っています。使い道はよくわからないけれど、「大人のオモチャ」として触ってみたい。まあ大人のお小遣い程度で買えますから、なんとなく買って持ってみたい。そういうモノですね。
 日本では、iPadの登場によって、電子書籍の世界がどう発展するか、そしてそれによって従来の紙の書籍がどう変るのかということが注目されています。
 その点に関しても1月の記事に書いたとおり、日本はやや特殊な状況でしょうから、紙の書籍にはそれほど影響はないように思えます。どちらかというと、相乗効果で売り上げが上がるかもしれませんね。
 実は私、5年前に電子書籍端末について、なかなか鋭いこと書いてるんですよ。自分で言うのもなんですけど(笑)。この記事です。iPadって、ここでいう「タブレット」ですよね。私が考案しているのは「ブック」です。結局あの「ペラペラ」のシミュレートができないんですよね。そこがiPhoneやiPadの、書籍としての致命的な欠陥です。
 この前、久々に出張で電車に乗りました。乗車中ずっとiPhoneで出口王仁三郎の霊界物語を読んでいました(ってどういう読書なんだよ!ww)。iPhoneですと小さいですからね、隣の人に見られても別に気になりませんが、これがiPadだったらどうでしょうか。ぜったいにジロジロ見られますよ。で、「なんだコイツ?」って思われますよ(笑)。
 iPadのウリであるウェブ・ブラウズでもそうです。iPhoneでは自分でも見にくいくらい小さいから、隣の人もいったい何のページを見ているのか、あるいは何を検索しているのか、分からないでしょう。iPadはおそらく膝の上で使うものですから、隣の人にも、また前に立っている人にも絶対に見られちゃいますよね。なんかいやじゃないですか?
 そんなこともあって日本では文庫本文化が発達しているのだと思います。だから、日本ではもっと小さな、つまりiPhoneとiPadの中間くらい、A6やB6サイズのデバイスの方が売れると思うんですよね。ポケットにはiPhone、バッグにはシステム手帳サイズのiDiary(?)。
 そうそう、実は今日、突然地元のオーケストラの演奏会に参加することになりまして、ぶっつけ本番でモーツァルトを3曲弾いてきました。全くの初見の曲、それも手書きの楽譜で、時々間違いはあるし、急きょ音を足してくださいと言われるし、まさにモーツァルト時代の楽師のような感じで、それはそれで面白かったのですが、そんなガチ勝負の中、ふとこのiPadのことが思い出されました。というのは、実は私も寸前に送られてきた楽譜の一部を家に忘れてきてしまった(ひどい!)し、あるパートなんか、本番中に楽譜が1枚見当たらなくなるという、トンデモなアクシデントがあって、しばしチューニング・タイムということになったんですね。その時、あっそうか、iPadを楽譜代わりにすればいいじゃんね!と思ったわけです。
 ほら、楽譜ってめくるの面倒じゃないですか。なぜか昔からその解決策は講じられてきませんでした。オーケストラなんか、めくりのために音が薄くなったり、実際アクシデントが起きたりします。そんなもん、現代の技術をもってすればちょちょいのちょいで解決するはずなのに、なぜかそういうところは保守的な世界です。
 もうそろそろいいんじゃないでしょうかね。楽譜のデジタル化のフォーマットを決めてですね、ディスプレイ上に映すということでいいじゃないですか。めくりも自動化、あるいはBluetooth接続のフットスイッチかなんかで対応する。切り貼りや書き込みだって、技術的には全然難しくないですよ。
 でも、iPadだと、今度は小さすぎるような気もしますね。やっぱりA3横置きで使うのがいいかな。まあ、これだったら家に忘れることもないでしょうし、いざとなったらダウンロードとかすればいいし、すごく便利だと思いますよ。楽譜はネットで販売すればいいし、著作権(違法コピー)の問題ももしかしたら解決するかもしれない。
 ただ、やっぱり電子機器はバッテリーの心配とか、あるいはフリーズの心配がありますけどね。それでも、紙よりはストレスが少ないかもしれない。楽譜は本と違って「ペラペラ」することはありませんし、基本前から1ページずつめくっていくものですから、こういうタブレット型端末と相性がいいでしょう。どうでしょうかね。業界の方々、ちょっと考えてみませんか?

iPad

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2010.05.29

不自由が生む自由

Img_0742 事「接心」が終了しました。本校の「接心」という行事は、禅宗の修行をほんの少しだけまねるものです。
 中学生は本当によく頑張りました。もちろん、初めての経験ですし、あまりに非日常的な時間と空間です。そして、今回は事前の指導もあえて最低限にしていましたから、生徒たちは本当に「不安」だったでしょうし、実際どの瞬間も「不自由」で、正直「不快」であったと思います。
 しゃべっていはいけない、というだけで、彼ら彼女らはとんでもなく不自由な思いをしたでしょう。そして、正座や座禅、和室での礼法など、今までほとんど経験したことのない身体動作の連続ですからね。食事も質素を極め、最後はたくあんとお茶で食器を洗わなければなりません。
 たぶん、皆「もう二度とやりたくない」と思ったことでしょう。それでいいのです。そう思ってもらうことが目的であるとも言えます。
 中学生ともなりますと、言語の面においても、あるいは運動の面においても、かなり「随意」を獲得しているものです。つまり、ほとんど私たち「大人」と同じような感覚を、「ようやく」手に入れる時期です。
 そうした獲得した「随意」、すなわち一般に言われる「自由」を、一時的にでも否定される体験をするのは、とても重要なことだと思うのです。つまり、「自分」だと思っていた「コト」が、実は全く思い通りにならない外部の「モノ」であったということに気づかせる体験です。
 人間は、そういった「不随意」「不自由」に出会うと「不快」を感じるようにプログラミングされています。そのプログラミング自体は、おそらく間違いではありません。問題はその後の対処の仕方です。
 現代の私たちは、そういった「不随意」「不自由」な「モノ」をどう克服するかと言うと、「言語」や「技術」や「法」や「学問」や「論理」といった「コト」をもって、それらを制御しようとします。つまり、モノノケ退治をするというわけです。特に近代西洋文明は…。
 昨日、今日の接心には、アメリカの大学で日本文学を教えているアメリカ人が飛び入り参加しました。彼と接心終了後じっくり話をさせてもらいました。彼は日本文化について私よりも深い見識がありますから、私の言うことも理解してくれました。
 もちろん「モノ・コト論」的な話をしたわけではありませんが、とりあえず、「禅」が言語や技術や法や学問や論理を否定するところから始まるということについては、互いに納得しあいました。
 私の考える本当の「自由」とは、「自分」だと思っているコト、あるいは「世界」だと認識しているコトを超えることです。実は、「これは自分である」、「これが世界である」と思っていること自体が、私たち自身を「牢獄」に押し込めている。実はそれはものすごく「不自由」だと思うのです。
 自己の外部(モノ)が自分の思い通りにコントロールできているという状態を、近代西洋文明では「自由」と言います。少し前にこちらで「自由とは必然性の洞察である」という(ヘーゲルの言葉をエンゲルスが記録したものを益川敏英さんが引用した)言葉を紹介しましたね。これです。「必然性」こそ「牢獄」であると私は感じ、わざとヘーゲルに対抗して(怖いモノ知らずですね…笑)「自由とは偶然性の洞察である」と書いたわけです。
 だから私は(というか、たぶんお釈迦様や老荘は)、そうした「牢獄」から出て、自己や世界を無限に拡張して、結果としてその両者が不二一如であると観ずることができる状態を「自由」と呼びたいのです。
 こんな、まさに屁理屈はどうでもいい。生徒たちにそんなことは説明しません。しかし、これだけは言いました。「辛いとか、痛いとか、もう二度とやりたくないとか、そう感じた瞬間だけが、自分の成長のチャンスだ」。彼らの身近なところで言えば、成長痛や筋肉痛です。
 そうそう、誰かも言っていましたが、そういう肉体的なことだけでなく、最近の子どもたちは「心の成長痛や筋肉痛」にも耐えられないと。それありますね。大人の責任ですよ。すぐに逃避の方向で子どもに加勢しちゃいますからね。
 いずれにせよ、昨日、今日、私も含めて日本人もアメリカ人も、大人も子どもも、みんな「自分がこんなに不自由なものだったとは」と感じたことでしょう。世の中や生活の中に、こんな「不自由」があったとは、と。
 本来の日本の文化は、そういう意味で、真の「自由」を獲得するためのシステムを発展させてきたんですよね。ですから、今、中学生が必修で体験している「禅」「能」「剣道」「茶道」「書道」「俳句・短歌」「漢字」などは、まさにそれなんです。彼ら彼女らには、それを理屈でなく、身をもって体験してもらいたいのです。そういう「不自由」や「不快」や「不安」が、自らの可能性を拡げるサインであることを知ってもらいたいのです。
 もちろん、それを今理解しろとは言いません。何十年後でもいいので、ふと思い出してもらいたいし、それを、この世界の行き詰まった現状を打破するための「智恵」にしていただきたいのです。
 今回は私も教頭になって初めての接心でしたから、それこそ初体験の役目がたくさんありまして、始まる前は逃げたいくらいの「不自由」や「不快」や「不安」を味わいましたが、終わってみれば、昨日の自分とは明らかに違う自分になっていることに気づかされました。そういう意味で、悟りとか真の自由とか言う高い次元ではないけれども、単純に「できることが増える」という「自由」を得たとも言えますね。とにかく、そういう「不自由」や「不快」や「不安」を用意してくれた先人の「智恵」に感謝であります。
 来年は本物の修行道場で接心ができそうです。ものすごく楽しみです。皆さん、お疲れ様でした。

不自由が生む自由(その二)

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2010.05.28

今日の富士

 みません、今日は小学校回りやら接心(宿泊座禅会)やら、とんでもなく仕事が盛りだくさんなので、手抜き記事です。
 でも、案外手抜きの方が喜ばれるのがこのブログの特徴ですね。今日、忙しい私を助けてくれたのは、かの富士山様です。
 今日は朝からいい天気でしてね、富士山がとんでもなくきれいだったのですよ。それで、さっそく、職場から何枚か写真を撮りました。それを紹介します。
 フジファブリックファンの皆さん、これが今日の富士吉田から見た富士山ですよ!きれいでしょ。志村くんも見てますよ。そうそう、今日は彼の母校(小学校)も訪問しました。
 では、どうぞ。デジカメはこの前紹介したGEのA1050です。けっこうキレイに撮れるでしょ。300万画素ノーマルクオリティーにスペックダウンして撮影しています。

ズーム広角端(35mm相当)
Gedc0091

ズーム中間付近
Gedc0093

ズーム望遠端(光学5倍、175mm相当)
Gedc0092

パノラマ
Gedc0094

職員室の窓に映る富士山&蘭
Gedc0096

私の机から見た富士山
Gedc0102

 農鳥に粉雪がかかって、珍しい風景になっていますね。では、中学生と接心してきます。

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2010.05.27

「百人一首の日」にちなんで

Teika 日は百人一首の日だそうです。
 定家の日記である「明月記」の文暦2年(1235)5月27日の項に、定家が宇都宮入道蓮生(頼綱)の懇切な求めに応じて、嵯峨中院山荘の障子色紙形に天智天皇から家隆・雅経に至る古来人歌各一首を書いて送る、とあります。
 私は字を書いたことがなく、大変見苦しくなったと謙遜していますが、その字はご覧の通り、とんでもない達筆であります(笑)。
 私の百人一首観については、こちらに書いたとおりです。あんまり好きではないのです。駄作とまでは言いませんが、凡作ぞろいで、また学校で教えられる一般的な解釈にかなり違和感を覚えますので、今までなんとなく避けてきたのも事実です。
 ただこの頃、ちょいと短歌など始めましたし、歌謡曲やJ-Rockの歌詞などに興味が湧いてきていますから、いわゆる大衆歌のルーツとして、しっかりとらえなおしてみたいなとは思っています。
 いわゆるカードゲーム(かるた)としての遊技性があったにせよ、これだけ日本人に受容されてきた「歌」はそうそうありませんからね。
 そんなわけで、今後時々、一首ずつ取り上げてですね、ワタクシなりの解釈(おそらくツッコミばかりになると思いますが)を紹介していこうかと思っています。ご期待下さい。
 それから、最近のTCG(トレーディング・カード・ゲーム)の発想を応用して、百人一首を対戦型カードゲームに仕立てるというのもやってみたい。デッキを組んで闘うんですよ。そういう中から、子どもたちが、古典文法や歴史的かなづかい、「もののあはれ」みたいなものを学んでいく…っていうのはどうでしょうか。
 古来の「百人一首かるた」は単調ですし、一方で極めようとすると「競技かるた」になってしまって、ああいう恐ろしい(笑)ことになってしまいます。スポーツというか格闘技ですよね。
 ですから、全く新しい発想で語り継いで行くことを考えたいんです。ま、ヒマがないんで実現しそうにありませんが。
 いずれにせよ、800年近く続いてきている文化ですから、好きとか嫌いとかは抜きにして、後世に語り継いで行くのが、私たちの責務でありましょう。
 というわけで、国語のセンセーでありながら、今まで全く百人一首を覚えようともしなかったワタクシが、ようやく勉強しようとしています。今後の動向に注目してください(笑)。

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2010.05.26

世界は「誤り」でできている

20100527_55212_2 れは、昨年の今頃話題になった鳩山現首相のホームページにおける「誤字」の一部です。「日本の自由」を「日木の白由」と書く人に、「ご埋解いただきたい」としょっちゅう言われてもねえ(笑)。
 ま、これはおそらくOCRの読み取りミスだと思いますが、一国の首相にならんとしていた人が(あるいはそういう人の周辺の人が)こんなザマでは、この国の将来も憂慮されて当然ですよね。
 こういうデジタル時代になって、この機械読み取りミスや誤変換という新たな「誤植」「誤字」が生まれました。もちろん、似たような「誤り」は人間にも起きてきましたが。
 そうそう、最近中学生を教え始めて、そういうデジタル的なミスが目立つのが木になりました…じゃなくて気になりました。形の似た字を混用したり、まさに「誤変換」というような漢字間違いをしたり。つまり、文字をデザイン(図形)としかとらえていないのでしょうね。しかたがないので、いかに意味や文脈から漢字をとらえるかということを、ここ1ヶ月ずっとやってきました。それでもなかなか治りません…いや、直りません…いや、病気がだから「治りません」でいいのか。
 中国製の製品のパッケージや説明書のVOW的誤字は、これはいいんですよ。彼らにとって平仮名やカタカナというのは「デザイン」に過ぎませんから。私にとってもアラビア文字は図形にすら感じられませんし。
 今の子どもたちがそういうふうになっているのは、まあ結局大人の我々が楽をしようとして便利な(余計な)ものを作ってしまったからですね。前も書いたとおり、「今どきの若者」は「昔の若者(今どきのオヤジ)の産物」なのです。
 子どもと言えば、今日カミさんが面白い話を聞かせてくれました。カミさん、子どもの英語教室みたいなものをやっているんですが、今日は村の保育所で英語の伝言ゲームをやったんだそうです。で、あるチームには「BAG」という言葉を回したと。そしたら、もう二人目の子から変異しちゃって、なぜか「ビッグロー」という謎の語になり、そしてアンカーまでちゃんと「ビッグロー」が伝わったらしい。保育所の先生と大笑いしながら見てたというのです。
 ふむふむ、私はこれを聞いて、なるほど、これって「歴史」のあり方そのものだな、と思いました。
 ちょうどこの前、チェーンメールの記事のところにも載せました、あの「不幸の手紙」が「棒の手紙」になっちゃったってやつも、同じようなことです。
 基本、私たちはまじめなんです。ちゃんと情報をコピペしなきゃ、って思ってる。たぶんそういう性質こそが「生命」の条件なんでしょうね。DNAにプログラミングされてるんでしょ。だから、そういう突然変異もちゃんと受け継がれてしまう。
 歴史においては、そういう「誤り」「間違い」をあえて作り出すこともされてきました。それはいわば「嘘」が「真実」になるということですね。しかし、それ以前に、本当に単純なミスや不注意、うっかり、思い込みなどによって「誤り」が生じて、それが伝承されるということはあるものです。
 今日も実はいろいろあっていろいろ考えたんですけど、たとえば禅の作法とか、能の舞や謡の微妙な部分とか、けっこう一番大切なところが「口承」「口伝」なんですよね。それが数百年の間に見事に変容してしまって、大本がわからなくなってしまっている。それは当然です。みんな必死に、命がけで「一子相伝」してきたわけでしょ。でも、その「子」がみんな完璧だったわけはなくて、結局微妙な誤謬の塵が積もって結構大きな山になってしまっているわけですよ。だから流派や門派によって同じコトが全然違うコトになってしまっている。
 では、ちゃんと「テキスト」という「コトの葉」で記録しておればいいかというと、それがまた厄介でして、そうした「誤り」もしっかり記録されてしまい、さらに「文字」の権威によって、そちらの方が正しいとされてしまったりするのです。
 そんなことを考えていたら、チェーンメールの記事にタイムリーなコメントをいただきました。その、へうたむさんの言葉をお借りすれば、「水源」の誤りがけっこう世の中に流布していくということですね。私たち下流市民が「正しい」と思っていることは、実はほとんどが「上流」から流れてきたものをそのまま受けとっているだけなのです。
 やっぱりこの世の中は、子どもの伝言ゲームのように、たった一人の「誤り」…それも案外源流の方に存する…によって形成されているのかもしれません。私たちは基本「まじめ」ですから、みんなで一生懸命その「誤り」を記録し、記憶し、コピペし、下流に送り続けているのかもしれません。その現場が「学校」だな(苦笑)。
 ま、それが生命の本質なんでしょうね。この前追悼した荒川修作さんのような「天才バカボン」が時々ああいう勘違いを堂々としてしまったりするから、私たちは進化するのでしょう。つまり、「誤り」という「突然変異」と、それをまた必死に継ぐ「凡人」たちによって、歴史は校正されず構成され続けるのでしょう。
 最後に、冒頭の鳩山さんの誤字(ある意味麻生さんの誤読よりひどいな…笑)にまつわる2ちゃんの名レスをコピペしておきましょう。こういう意図的な「誤り」は面白いですね。てか、このシャレ(心、オチ)、当然分かりますよね?


休み時間ヒマだったので、上司のパソコンに  
   
  「うんゆ」→「運輪」  
  「こくどこうつうしょう」→「国土文通省」  
  「せんじつは」→「先曰は」  
  「けっさん」→「抉算」  
  「ねんどまつ」→「年度未」  
  「しゃちょう」→「杜長」  
  「おくえん」→「憶円」  
   
  などを辞書登録しておいた。  
  辛いまだバレていないようだ

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2010.05.25

格安デジカメ A1050(GE)

26_8_01_57 にかく安くてしっかり使えるデジカメがほしい!という方に、絶対おススメなのがこれです。Amazonで、6891円です。
 私はデジカメには変なこだわりがある人間です。つまりデジカメはデジカメに過ぎないと思っています。やっぱり写真は銀塩じゃなきゃ!というアナログ人間…というわけではないのですが、デジカメを使っている自分の感覚が、あの「写ルンです」を使っている時よりも、もっと低次元なのが分かるので、勝手に「デジカメはデジカメ」と言っているにすぎません。
 つまり、いかに安く買えて、いかに手軽に気軽に使えて、いかにストレスが少ないかだけが、デジカメ購入の際の基準です。
 そういう意味では、最近のデジカメはとってもストレスフルになってきました。画素数が異様に多くなり、データは巨大。充電池の残量を常に気にしていなければならない。小さすぎて(薄すぎて)持ちにくい…などなど。
 だから、ここのところは、ずっと名機ユニデンのUDC-5Mを使ってきました。今でもメインはこれです。これはホント最高のデジカメですね。言うことありません。ストレスを感じたことなんて一度もありません。完璧です。
 本当はこいつをもう一台、色違いでほしかったんですが、残念ながらもう手に入らなくなってしまいました。
 で、子どもたちもこのユニデンをよく使うようになってきたし、職場にも一台置いておきたいと思い、この名機に並ぶデジカメはないか探していたら、ありました。それがこのGEブランドのデジカメたちです。
 GEはアメリカ第2位の家電メーカーですが、日本ではほとんど知られていませんね。あのトーマス・エジソンが創始者です。最近日本のデジカメ業界に「安さ」を武器に乗り込んできました。いいことです。
 そのGEのデジカメを販売しているのがGeneral Imaging社ということになります。
 いろいろなタイプがある中で、この「A」シリーズは実に魅力的ですね。私好みのスペックです。まず乾電池(ニッケル水素充電池)仕様。これは私にとっては必須条件です。充電池は絶対にイヤです。嫌いです(笑)。もう充電池というだけでストレスの原因です。この機種ならeneloopを使えば500枚は撮れます。つまり1年くらい充電しなくていい。電池のことは忘れていていいんです。これくらいでようやく「写ルンです」レベルですね。
 それから、光学ズームが5倍というのがいいですね。このお値段で5倍。F値も3.0〜と及第点。3倍と5倍とでは、ずいぶん違いますよ。そして、コンパクトデジカメで手持ちですと5倍が限界。そういう意味でもこのシリーズはちょうどいい感じ。
 あとの機能も、いわゆる「日本人好み」のものは全部ありますけど、そこは私は興味がありませんので、どうでもいい。カタログを見てください。
 いろいろな画素数がある中で、A1050を選んだのは、単に一番安いからです。
 私はUnidenでもそうでしたが、300万画素(&ノーマル・クオリティー)にスペックダウンして使いますので、最大画素数なんて関係ありません。もう何度も書きましたけど、そろそろお馬鹿な画素数競争はやめてもらいたい。画素数増やして受光面積をどんどん小さくしてどうするんでしょうか。一時期の自動車の馬力争いよりも無意味です。
 私はとにかくファイルサイズを1MB以下にしたいのです。このブログ(ココログ)にアップする時のサイズ制限も1MBですし、だいいち300万画素もあれば全く問題ありません。ただ画面上で観たり、せいぜいサービス版で焼くくらいですから。無意味にSDカードやハードディスクを占拠しなくていいですし。
 また、起動の時間も短く、いろいろな処理も早いので、今のところこれといったストレスはありません。デザインも気に入っています。作りも案外しっかりしていてチープ感はありません。乾電池仕様ですから、適度な厚みがあって持ちやすい。それから、このレッド、けっこういい色です。
 ホント、なかなかいい「デジカメ」だと思いますよ。これはおススメです。以下、ちょっとだけ実写サンプルをお見せします。ちょっと前に職場から撮った富士山です。夕方です。

ズーム広角端(35mm相当)
Gedc0082

ズーム中間付近
Gedc0081

ズーム望遠端(光学5倍、175mm相当)
Gedc0080

なかなか便利で楽しいオート・パノラマ(3枚合成129°)
Gedc0079

こちらの富士山の写真もどうぞ

Amazon GE デジタルカメラ A1050 レッド A1050R

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2010.05.24

追悼 ラッシャー木村さん

 た、昭和の偉人を追悼しなければなりません。昭和の偉人であるとともに私が最も尊敬申し上げていた老師の遷化でした。
 木村さんへの私の思いを、もうここでは繰り返しません。たとえば引退の日の記事『ラッシャー木村が南国の居酒屋で呑んだ「涙酒」』の記事に書いたとおりですから。
 本当に仏様のような方でした。プロレス界のお地蔵様だったのかもしれませんね。東京プロレス、日本プロス、国際プロレス、新日本プロレス、UWF、全日本プロレス、ノア…所属した団体だけ見てもわかりますね。ストロングスタイル、デスマッチ、ヒール、ベビーフェイス、マイクパフォーマンス、格闘技路線…プロレスの多様性を象徴するようなレスラーでした。その全てに「愛」と「忍耐」と「闘魂」を注いだ木村さんは、六道全ての衆生を「慈悲」の心で救う地蔵菩薩様のような存在でした。
 上の試合は、木村さんが脂の乗りきった34歳の時、24歳のジャンボ鶴田さんと初対決した時のものです。ちょうどこの頃から、木村さんはエースとして国際プロレスを崩壊まで支えました。当時全日本プロレス若手のホープとして売り出し中だった天才鶴田さんとのこの試合、結果は両者リングアウトでしたが、短い中にお互いの「強さ」を見事に表現していると思います。この数ヶ月後行われた両者の再戦は、その年のベストバウトに選ばれています。
 やはり個人的に忘れられないのは、全日本の富士急ハイランド大会で、終了後お話しをしたことですね。ジェットコーター「ふじやま」を「こわい、こわい」と言って見上げていた、あの澄んだ瞳が脳裏に焼き付いています。
 ぜひこれからも、仏界から私たちに「慈悲」を垂れてください。ありがとうございました。お疲れさまでした。

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2010.05.23

石川さゆり 『だいこんの花』〜『夕焼けだんだん』

 前中、NHKBS2で「昭和歌謡黄金時代 作詞家・吉岡治」が再放送されていました。
 昨年の本放送を見逃していたので、最後「そろそろラストラン。これからの作品は遺書。恥ずかしくないものを作る」とおっしゃる吉岡先生の、ある種気迫のこもった表情に、思わず涙してしまいました。予感されていたのでしょうか。
 吉岡先生の実質的な遺作が、この「だいこんの花」です。石川さゆりさんも、さぞショックだったことでしょう。現在の「歌手石川さゆり」を作ったのが吉岡先生であるというのは、疑いようもない事実です。
 その「だいこんの花」をYouTubeで探して、聴いて、観てみまして、驚きました。
 私、吉岡先生の亡くなる前日、何も意識せずに、「ゆかりの地」を巡っていたのです。
 まず、このカラオケの撮影場所です。なんと杉並の大宮八幡じゃないですか。15日にはそこで薪能を鑑賞し、16日にも何気なく立ち寄っていました。
 そして、その両日を結ぶ時間帯には、谷中にいました。今日初めて知ったのですが、「だいこんの花」のカップリングは「続 夕焼けだんだん」、谷中の有名な階段と商店街を舞台とした物語です。歌詞の最後に「夕焼けだんだん 猫たちも 富士の尻っぽを見ています」とありますね。
 あの日、私は記事に書きましたように、谷中の猫にお別れを告げて、新宿を経由し大宮八幡へ、そして思い立って富士山をぐるっと回って帰ってきました。今考えるとなんとも不思議な旅でした。何も計画していなかったので、本当に思いつきに従っただけだったのですが。
 それから、さらに驚いたことがあります。今日、番組の中でも吉岡先生の親友として「フォークの神様」岡林信康さんがコメントしていましたね。実は、「続」の前に、アルバム収録曲として「夕焼けだんだん」という曲があったのです。そのレコーディング風景も紹介されていました。
 なんと、私、あの日、車の中で移動中に岡林信康さんを聴いていたんですよ。彼、今年の春に「美空ひばり」のカバーを出したじゃないですか。それがけっこう良くて、何気なくiPhoneに入れてあったのです。
 「夕焼けだんだん」の作曲は、まさにその岡林信康さんでした。その時はそんなこと全然知りもしなかったのですがね。というか「夕焼けだんだん」という谷中を舞台にした曲があることも、実は今日の番組で知りました。
 なんで岡林さんをあの日聴いたのか、よくわかりません。私は、いわゆるフォークにもエンヤトットにも全然興味がなくて、「神様」の曲もほとんど聴いたことがありませんでした。
 ところが、少し前に、彼が出口王仁三郎と深い関係があり、今も王仁三郎ゆかりの地、亀岡に住んでいることを知って、改めて興味を持ったのです。そうそう、先日も、出口汪さんが「岡林信康はよくオヤジのところに来ていた」と言っていました。
 たまたまこういうタイミングでそのことを知り、普段聴かない音楽をなぜかチョイスして聴いていた…考えてみると、あの日の私は、自分の意志で行動していたというより、何かに動かされていたようにも感じます。いろいろな判断が、自分のものとは思えないもので。
 不思議ですね。最後にその「夕焼けだんだん」の歌詞を紹介します。曲も実に軽快で洒落ています。ぜひどこかでお聴き下さい。もう一度、吉岡治先生のご冥福をお祈りいたします。

Amazon だいこんの花

Amazon レクイエム〜我が心の美空ひばり〜

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2010.05.22

「チェーンメール」という文学(笑)

↓転載禁止!
20100523_82846 日は「保護者の勉強会」の日でした。毎月1回、生徒と一緒に登校、親として大人としての「勉強」をしていただきます。
 今日のテーマは「ケータイ」でした。私は、いちおうそういう世界に精通している者として、いろいろなトラブルの可能性とその対処法を説明しました。
 その基本にあるのは、次のような考え方です。

・全ての子どもが高校生になった時には100%ケータイを持つ。
・ケータイを持つと100%トラブルに見舞われる。
・メールや掲示板に書いたテキストは100%永遠に残る。
・ケータイやネットの世界は決して匿名ではなく逆に100%足がつく。
・最初の3ヶ月はケータイ依存になるが100%飽きる。
・子どもたちをこういうリスクにさらしているのは100%私たち大人の責任である。

 ちょっと極端ですが、まずこういう発想が親にも子どもにも必要です。単なる「対症療法」ではダメだという話をしました。
 さてさて、そんな中、保護者の方から最近当地方で流行っている「チェーンメール」の話があがりました。ウチの娘の友人で、ケータイを持っている子のところにも回ってきていて、その親御さんがウチに相談に来たりもしてました。
 もう5年以上前から回ってる「オムライス」「山口組」のチェーンメール(上の画像)でしたので、もちろん笑って「止めればいいですよ」という結論に至りました。
 それでも気になるんだったら、ウチに送って下さい、お祓いしますから、と言いました。ウチはそういうアヤシイ系のトラブルをシューティングする現代の神社みたいな存在ですから、このブログをご覧の方で、そういうネット系、マルチ系、新宗教系のトラブル、悩みをお持ちの方はご相談ください。もちろん「お賽銭」「お布施」は自由です…って、お前が一番アヤシイだろって!ww
 ところで、こういう「不幸の手紙」のようなものって、昔からあるじゃないですか。私も小学生の時、一生懸命ハガキ書きましたよ。友だちに送るのは悪いので、電話帳を開いて適当な人の名前と住所で出しました。ごめんなさい(笑)。
 さっきウィキで見たんですけど、なんだかそういう複数への転送を義務化する書簡って、5世紀の中国ですでに存在したとか…で、思ったんですが、これだって本当かどうか分からないじゃないですか。Wikipediaの記事をコピペしてどんどん拡がっていくっていうのも、ある種の「不幸の手紙」システムですよね。ウソの情報、フィクションがホンモノとしてどんどん流布していく。ま、そんなこと言ったら「貨幣」なんかも全部そういうことになっちゃいますが。
 そういう「言語」の現象について、私はとっても興味を持っているので、迷惑メール(たとえば私のファンクラブ結成33億円の遺産相続)、さっきのチェーンメールなんかを集めています。「教材」にも使えるじゃないですか。上の「オムライス」なんかも、「主人がどうかなせれましたか?」ってどんな日本語だよとツッコミを入れられる。「なされましたか」と自分のダンナに尊敬語を使う時点で、ある意味古風な良妻であるわけですが(笑)、「なせれましたか」と訛っちゃってるのは、これはどういうわけなのでしょう。かなり動揺しているものと思われます。
 こういうツッコミどころ満載な「文学作品」を、私以上に真剣に集めている方もいます。こちらチェンメ屋は、もう立派な図書館になっていますね。素晴らしい。
 それから、私よりもちゃんと「神社」の仕事を徹底している団体もあります。こちらには、転送用のメールアドレスがありますので、送らないと気持ち悪いという方は使ってみるとよいでしょう。
 これらとともにWikiの外部リンクに紹介されているこれが「棒の手紙」だ!なんか、最高の「芸術」ですね。人間というのはすごいと思います。デジタル化によって、こういう人間の奇跡の機会はずいぶんと減ってしまいましたね。コピペって、なんか味気ないよなあ。
 というわけで、皆さんもこうした「文化」「文学」をぜひ楽しんでみてください。それにしても、いったいこれら「作品」の「作者」は、いったいどういう意図をもってこんなことするんだろう。でも、ある意味どんなベストセラー作家よりも、たくさんの人に自らの作品を読んでもらっているわけですよね。案外面白いかも。私もやってみようかな…もっと面白いもの作れそうな気がする…いやいや、ダメダメ!こういう発言も全部永遠に残りますからね(苦笑)。

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2010.05.21

大フーガ(BWV542より)

 間がないので、今日は音楽の紹介です。
 私にとってはとてもとても懐かしい曲です。高校のクラブ(弦楽合奏部)で演奏しました。演奏以前に編曲もしました。
 それにしてもこの演奏というかオルガン、ピッチが高いですね。A=465くらいでしょうかね。どこのオルガンだ?当時のコーアトーンはこのくらいが普通なのかな。
 皆さん、バッハのフーガと言えば、あの「鼻から牛乳」とか、音楽室で聞かされた「小フーガト短調」を思い起こすでしょう。
 よくあることですが、そうした有名曲というのは、案外本人にとっては「駄作」であったりするものです。この2曲もまあ駄作とは言いませんが、「らしからぬ曲」であるのはたしかです。
 で、そのあまりに有名な「小フーガ」に対して「大フーガ」というのがあるんですよ。誰が名づけたか知りませんが、たまたま調性が同じト短調だったからでしょうかね。「little」に対して「great」ということになっています。
 ん?、ちょっと待てよ。「小フーガ」って全然「小」じゃないですよ。あんな長いテーマ(主題)のフーガ、バッハにないんじゃないですかね。ある意味「大フーガ(大テーマ)」。
 こっちの正真正銘「大」もちょっと変り種と言えば変り種です。偉大なる「らしからぬ曲」でもあります。実はこの「大フーガ」の前に「前奏曲」があるのですが、それもちょっと変ちくりんな曲です。情熱的と表されることが多いのですが、私にとってはかなり「過激」な感じがします。それは下の動画(コープマン)の演奏でお聴きください。ほとんど現代音楽ですな。当時の人にはどんなふうに聞こえたのでしょう。
 そのなんとも不思議な、「どこへ行ってしまうのだろう」という、ある意味非常にモダンな前奏曲に続いて演奏されるのが、この「大フーガ」です。これは前奏曲とは対照的に「キャッチー」です。つまり分かりやすい。たしかに壮大なスケールではありますが、全体としては初心者にも分かりやすい曲調と構造ではないでしょうか。
 このコントラストがいいとも言えますし、バッハの絶妙な演出であるとも言えるでしょう。
 そう、この曲は実はオーディション用に作曲されたものなのです。異説もあるようですけれど、とりあえず巷説を信じれば、ある教会のオルガニストの試験で、あの巨匠ラインケン先生の前で演奏したと。そして、先生感激しまくったとか。
 このなんともキャッチーなテーマ(主題)は、当時オランダではやっていた民謡を変形したものだと言います。バッハ、うまいことやりましたね。ラインケンじいさんはオランダ人ですから。
 結果合格はしたけれども、入学金ならぬ寄付金を払えなくて就職はしませんでした。もったいない。
 そういえば、バッハはブクステフーデ先生のオーディションにも合格しましたが、跡継ぎにはなりませんでしたね。その時は、先生の美しからず若からぬ娘との結婚が条件だったそうで、ま、あの素晴らしいブクステフーデの音楽をもってしてもカバーしきれないほどのその娘さんとは、いったいどれほどすごかったのか(笑)、逆に興味がわきます。
 で、そのオランダ民謡をもとにしたテーマですが、もともとメロディックなわけですから、和声的に工夫をこらすのは難しい。結果として、テーマが出現する部分は全体に単調になっています。そのかわりいわゆる「ブリッジ」の部分がかっこいいですね。定番の展開とかっこいい転調で聴かせます。
 高校時代、これを編曲して弦楽でやろうと思ったきっかけは、有名なストコフスキーの編曲ではなくて、コンサートで生で聴いたブルガリアの名アンサンブル「ソフィア・ゾリステン」の編曲と演奏でした。これがメチャクチャかっこよかったんですよねえ。
 パイプオルガンを模して倍音を超絶高音で再現したプレリュードもすごかったけれども、あの推進力溢れるフーガにすっかり高校生庵主はやられちゃいましてね、それで自分で編曲して後輩たちを巻き込んで弾いたわけです。そういう青春の思い出も詰まった曲ですね。たまに聴くと、なんか若かりし頃を思い出して、ちょっと気恥ずかしくなります。
 下はコープマンによる全曲演奏です。ちょっと早すぎるかな。でも、いかにもコープマンらしく生き生きとした演奏です。

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2010.05.20

追悼 荒川修作さん

20100521_125248 よなら、ようこそ先輩じゃない人
 またまた「天才バカボン」の登場人物、つまりバカ田大学OBが一人亡くなってしまいました。残念です。
 もう、彼については上のリンク先の記事をご覧になっていただくのが一番だと思います。ほかに説明してもしかたありません。いや、リンク先のリンクがもうとっくに切れていますね。そこのところだけ紹介しておきましょう。
 2005年に、彼がNHKの「ようこそ先輩」に出たんですよね。この番組、なにしろこういうタイトルですから、つまり自分の出身校に行って、後輩たちに向けて授業をするわけです。で、荒川さんも「母校」に久しぶりに行って、それはそれは面白い授業をしたわけです。私もそれを再放送で観て、けっこう感激したんですよ。小学校の授業はこうじゃなきゃって。ぶっとんでていいぞ!と。
 ところが、実はそれが本当にぶっとんでいたわけです。記憶もぶっとんでた。
 実は荒川さんの出身小学校「名古屋市立御劔小学校」だったんですけど、記憶違いなのでしょうか、自分はお隣の「名古屋市立瑞穂小学校」の出身だと思い込んで、そこで収録が行われてしまったわけです。そして、しっかり放映されてしまった。あとで、同級生かなんかから、いや荒川は御劔小学校出身のはずだとかなんとか、たぶんNHKにクレームが入ったんでしょうね。調べたらたしかに御劔小学校出身だった。
 で、NHKが謝罪したわけです。誤りでしたと謝った。それに対して、荒川さんは「確かに私の勘違いだったが、このような勘違いを批判する日本社会の性質はおかしい。NHKには本当に感謝している」と語ったのです。
 面白い人でしょ?そういう偉人がまた消えてしまったのです。本当に残念です。
 彼を建築家だとか、芸術家だとか、美術家だとかいうのに抵抗がある人もいるでしょう。まあ、そのとおりだと思います。そういう「言語」という「社会性」からはとっくにはみだしている、そう前の記事にも書いたとおり、より自然状態に近い人間であり、彼の仕事ぶりであったのだと思います。だから、理解されるとかされないとか、意味があるとかないとか、あるいは「タイトル」や「コンセプト」なんていう「言語」に沿っているとかいないとか、「母校」が正しいか否かとか、そんなことは彼にとってはどうでも良かったのです。
 生みの親(母)が違っても、「人生の先輩」であることには違いがないわけだし、たしかに言われてみれば、誰に迷惑をかけているわけでもなく、逆に面白がる人が世界中にけっこういたわけですから、まあ彼は自然界の無意味に超ド派手かつ異形な昆虫みたいなものですね。そこにいるからしかたない。そういうふうに進化して淘汰されないで来たんだから、理屈なんてどうでもいいと。
 三鷹(武蔵境)の天命反転住宅は、結局いまだ体験していません。外から見ただけです。お金があれば一度、まあ一ヶ月くらい住んでみたいものです。楽しそうだなぁ。
20100521_142621 たまたま、大阪の国立国際美術館で、彼の初期作品展「死なないための葬送」が行われています。
 彼にとっては、まあ「死ぬ」ことも「死なない」ことも、どっちでもどうでもいいのでしょう。あの世へ行って、空間やら時間やらの軸にとらわれない真の自由を得て、ますます楽しく「生きている」ことでしょう。いや、4次元の縛りがなかったら、彼の天才ぶりは発揮できなかったかな。反転することが彼の存在意義でしたからね。
 考えてみれば、何回かチャンスがあったにも関わらず、養老天命反転地にも行ってないや。修学旅行の帰りにでも生徒と一緒に寄ってこようかな。とかいって、ほとんど自分の趣味でコースとか決めちゃってますな(笑)。

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2010.05.19

改定常用漢字案

20100520_60818 日も言葉のお話を。
 改定常用漢字案が文化審議会の国語分科会で審議され了承されたとのこと。今年中に1981年、当用漢字が常用漢字に改められて以来の大改革が実施されることになりました。
 今回の加除は左の表のとおりです。クリックして見てみてください。まあ驚きの内容ですよねえ。えっ?この字って常用漢字じゃなかったの?というものばかり。
 だいたいですね、常用漢字というのはなんなのか、私も含めて皆さんあんまり正確に把握していませんよね。
「法令・公用文書・新聞・雑誌・放送等、一般の社会生活で用いる場合の、効率的で共通性の高い漢字を収め、分かりやすく通じやすい文章を書き表すための漢字使用の目安」
 これが現行常用漢字の答申の前文です。つまり「目安」であって、なんら「強制力」を持つものではありません。「強制力」がないのはもちろん、「権力」すらありませんから、別に私たちは無視してもいいんですよね。特に現代の打鍵自動変換時代においては。
 しかし、どうも常用漢字が気になるのは、これはどちらかというとその不便性のためでしょう。
 私たちにとって、なんとなく「権力」の象徴のように感じられ、ちょっと偉そうなイメージのある、新聞やテレビのニュースなどが、基本、常用漢字の「権力」の下でペコペコしていますよね。
 そう、ニュースの字幕などで「拉致」が「ら致」、「覚醒剤」が「覚せい剤」、「恣意的」が「し意的」、「訃報」が「ふ報」などと表記されているのを見て、違和感を抱いたことが、皆さんおありでしょう。
 もちろん、マスコミにはマスコミの基準がありますよ。現行常用漢字表の通りやっていたら、山梨県は「山なし県」、静岡県は「静おか県」と表記せねばならなくなってしまいます。ついでに、ここ富士山麓は「富士山ろく」です。
 こういうアホくさい事態(不便性)については、ずいぶんと前から多くの指摘がされてきました。ですから、このたび上記のものも含めて、常用漢字表に加えられる見込みになったのは朗報と言えましょう。
 今回の審議の中で面白かったのは、淫・呪・艶・賭は「学校現場に不適切」とされて、ちょっともめたことですね(笑)。何が不適切なのか、私には全くわかりませんが。というか、去年まで私が作っていた大学合格者の張り紙、「祝合格」と書くところを、わざと一つだけ「呪合格」とかして遊んでました(笑)。あっ、それはさすがに「不適切」か。でも、それは「呪」が不適切なのではなく、「私」が不適切なのでしょう。すんません。
 ま、とりあえず、それら「不適切」な漢字も今回は採り入れられるようになったからめでたしめでたしと。同様に審議が紛糾した「障がい者」の「碍」ですが、これはもともと「礙」という字であり、「さまたげる」「さえぎる」という意味です。「害」はたしかにイメージが悪いので、思いきって「碍」にしてしまうというのも手だと思いますがね。なんとなく「がい」だと、逆差別的な感じがします。いかにも日本的な隠蔽・隔離・偽善体質を象徴しているような…。
 そうそう、ちなみに常用の前の当用漢字の「当用」ですが、これって「さしあたって用いる」という意味だったんですよね。「とりあえず」がずっと「権力」を持っていたのですから、まあ面白いと言えば面白い。
 「常用」という言葉もちょっとセンスがないような気がします。「日常の使用に必要」という意味らしいのですが、「常用」というと「常に使う」という感じがしてしまいます。もうちょっと違うネーミングを審議した方がいいような気がするんですが。
 ま、いずれにせよ、今回の改正案は基本的に悪くない内容だと思いますよ。でも、やっぱり私はですね、マスコミに関しては「ルビ」をもっと多用してほしいと思います。今回の答申にもある「書けないけれど読める漢字」の存在は、非常に重要です。現代における漢字の役割を考えると、実際半分以上の漢字(もちろん常用漢字以外も含めての漢字)はそれでもいいとさえ思います。それを支えるのは「ルビ文化」だと思うんですよね。昔の新聞って全ルビだったじゃないですか。あれって勉強になったと思いますよ。
 今でも、マンガのルビで漢字の読み、さらに書きさえも覚えたという生徒たちがた〜くさんいます。実際、あんな悪徳漢字能力検定協会に乗せられて無機質な漢字学習させられるより、そっちの方がずっと、生きた、豊かな、文化的な漢字学習になりますよ。そうそう、漢検の悪徳ぶり、そろそろまじで暴露しますからね。最近また協会と喧嘩してるんですよ(笑)。「消えた14億円」とか、まあ衝撃的な事実がありますからね。漢検の悪徳ぶりというより、学校の先生の悪徳ぶりかな?ま、お楽しみに。
 なんだか、我々日本人って、ホント、いいにつけ悪いにつけ、「漢字」に振り回されてますな。

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2010.05.18

追悼 加藤克巳さん…厳選一首

P1010173jpg 日は作詞家吉岡治さんの追悼記事を書きました。今日は同様に昭和の「言葉」の世界を駆け抜けた歌人を追悼しなければなりません。加藤克巳さんが16日に94歳で亡くなったということです。
 加藤さんは、「前衛歌人」としてあまりに有名な方でしたが、実は歌の伝統、日本語の伝統を人一倍大切にする方でした。
 たしかにシュールレアリズムやキュービズムを感じさせる歌風で、「歌壇のピカソ」と言われたのもうなずけます。しかし、それはいわゆる「前衛短歌」「現代短歌」とは一線を画するものだったと言わざるを得ません。
 まさに最近、その言葉の力に興味を持ったところだったのです。実はそれまで、私にとっての「前衛短歌」「現代短歌」は、寺山修司しかいませんでした。単なる勉強不足です。和歌はそれなりに読んで詠んできたけれども、短歌についてはあまりに知らなすぎました。
 にもかかわらず、突如その「短歌」の世界に革命を起こそうするある歌会にお誘いを受けてしまったので、さあ大変。得意の付け焼き刃勉強が始まりました(笑)。
 その時、目にとまったのが、加藤克巳さんだったのです。その出会いからたった1ヶ月。加藤さんはその闘いの生涯の幕を閉じてしまいました。たった1ヶ月です。その長年に亘る膨大な数の歌、全てに目を通したわけではありませんが、「日本語」を通じて、自己の内面に深く突き進んでいくその迫力は充分に感じとることができました。
 たとえば私が「前衛」「現代」もどきを作ることは簡単です。いかにでもそれらしい「難解」な作品を量産することができるでしょう。そうです。音楽でも美術でも、あるいは建築などでも、ある意味いくらでも「モダン」もどきを作ることはできます。いや、作るのではなく、適当にメチャクチャにやるだけでも、それらしいものはできてしまいます。実際、そういう職業芸術家もいたりしますからね(笑)。
 しかし、もちろんピカソがそうであったように、基礎が出来ていてそれを崩すのと、最初から崩れているのとでは、あまりに違いすぎます。当たり前ですね。
 いわば「秩序」「規範」「社会性」「伝統」に対する反抗だけではだめなんです。しごく当たり前なお説教になってしまいますけど、結局は積み上げた山を再び崩すのでなければ意味がないのです。「秩序」も「規範」も「社会性」も「伝統」も知りつくして、そこを抜けていかねばならない。単にそういうことなのです。
 少し違う角度から申しますと、自分の発する「情報」…それがすなわち「作品」になるわけですが…にどこまで責任を持てるかということです。もっと言えば、「命」をかけられるか。自分の存在意義をかけて発信できるかということになるでしょうか。
 案外、「創造」は無責任なものです。私が「もどき」を作るのも、ある種の創造行為ですから。ただ、それを他人に向けて、社会に向けて「発信」するには責任が伴うんです。もちろん、その一つの表れが「お金」ということにもなりますね。
 その点、加藤さんの長年にわたる「自己との戦い」、「言葉との格闘」、「伝統との対峙」、そして「作品の変化」には、壮絶なるまでの「覚悟」が感じられました。まさに命がけでした。94年という歳月の全てを、そうした「創造→発信」に凝縮しつづけた大歌人と言えるでしょう。
 そんな偉人の無数の歌から、私の好きな作品をいくつか紹介しようと思いましたが、正直選び出すとキリがなくなってしまうので、あえてたった一つに絞りたいと思います。それなりの「覚悟」で選んで「発信」します。これです。ある意味、芸術の極点でしょう。

 在るというか まさしくここにあるという いびつなまさに石一つある
  (第七歌集「万象ゆれて」より)

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2010.05.17

追悼 吉岡治先生

Msc1005172021005n1 た昭和歌謡の巨星が…。昨年の5月、三木たかし先生の追悼記事を書いてから、ちょうど1年。まるで、三木先生を追うように作詞家の吉岡治先生がこの世を去りました。
 今日も吉岡先生の残した偉大な遺産の一部をあらためて聴きながら、ご冥福をお祈りしたいと思います。
 先ほど三木先生を追うようにと書きましたけれど、意外や意外、三木先生と吉岡先生が組んだ曲というのは、ほとんどありません。比較的知られているのはこの八代亜紀さんの「竜二」くらいでしょうか。「好きだもん」「棄てないで」の連呼が、吉岡先生らしいところです。

 ちょっと意外な言葉の使い方をされる方でしたね。イメージ的にも少ししつこく畳みかけてくることが多かった。吉岡先生の代表作中の代表作、石川さゆりさんの「天城越え」でも、たとえば「あなたと越えたい 天城越え」というように、普通の作詞家なら避けるような「越え」の連続などを、あえて使ってくるところがありました。

 そういうところは、この「天城越え」を含めて多くの作品でタッグを組んだ弦哲也さんら、作曲家の皆さんが苦労させられた点ではないかと思います。「天城越え」と並ぶ名作、大川栄策さんの「さざんかの宿」は市川昭介先生の作曲です。「あ」や「さ」の連続が、やはり吉岡先生らしいと思います。しっかし、大川栄策うまいなあ…。

 「天城越え」で石川さゆりさんに「殺す」という言葉を歌わせた吉岡さんは、さらにもう一度「飢餓海峡」で同じ言葉を繰り返します。「殺す」という言葉に女の情念を乗せたのは、今となってはお見事としか言いようがありませんが、歌謡曲の歴史、あるいは純情少女だった石川さゆりさんの歴史においては、とんでもないことだったと思います。私はこの「飢餓海峡」の歌詞が一番すごいと思います。

 吉岡先生も、若い頃は、このような「情念系」とは対照的にさわやかなポップスの詞を書いています。千賀ちほるさんの「真夜中のギター」も吉岡さんの代表作の一つです。と、あらためて詞を読んでみますと、けっこう「演歌」してますね。

 最後に意外な曲を一つ。山下達郎さんの隠れた名曲「Let's dance baby」です。かっこいいですね。近いうちにウチのバンドでも吉岡治先生追悼ライヴをやろうと思っていますが、この曲はぜひやりたいですね。

 ご冥福をお祈り申し上げます。

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2010.05.16

谷中→新宿→永福→富士スピードウェイ…道の向こうに見えるのは…

Img_0627 日は、と言いますか、今日に日付が変わってから、若手能楽師二人に、もう一人教え子兼同僚も加えて計5人で夜中の「谷中サミット」。結局朝まで飲んでしゃべってました。ふむ、伝統芸能を志す「今どきの若者」は面白い!またサミットしましょう。
 朝7時半には目が覚めてしまったので、私は谷中を散歩。ううむ、渋すぎる、楽しすぎる。いや、それ以上に私が変。だって、あのお寺ひしめく辻を、スキンヘッドに上下スウェット、iPhone片手に、いかにも二日酔いの顔して歩いているわけですからね(笑)。途中何人かのお坊さんとご挨拶を交わしましたが、「ん?誰だアイツ?どこの脱走僧だ?」という視線を感じました。すんません。
Img_0632 お寺と言えば超驚いたのが、サミット会場である教え子の能楽師の家のすぐ近くに「全生庵」があったからです。山岡鉄舟建立、三遊亭円朝の墓のあるこの名刹は、私の奉職する学校の母体である月江寺とも深い深い関係があります。そんなことを思い出したので、いざ住所を調べて探そうと思ったら目の前にあったのでそりゃあビックリしますよ。何かのお導きでしょう。縁というのは不思議です。
Img_0630 それにしても谷中の辻の魅力はいったいなんなんでしょうね。戦災を免れて残った江戸の風情。数々の細い路地の向こうに、私たちの記憶が堆積しているような予感がします。この道を行くと懐かしい誰かが、何かが待っているような…。
 あっそうだ!ユトリロ展に行こう!
 谷中を散歩しながらパリの街角を連想するのが、ある意味ワタクシらしいと言えばワタクシらしいですかね(笑)。
Img_0641 というわけで、谷中霊園を抜けて日暮里駅に出て新宿へ直行。ここもまた東京。東京は水平に歴史の地層が重なっています。山手線はそんな時を抜けて輪廻し続けます。
 新宿西口、損保ジャパン本社ビル42階の損保ジャパン東郷青児美術館へ。1976年に完成したこの高層ビル。小学校の屋上から次第に出来上がるのを眺めていたっけ。考えてみると今回初めて登ったかも。
20100517_100101 ユトリロ…今までけっこう好きな画家で、昔模写したこともありましたが、今日初めてこれだけ大量の作品を生で見て、正直「恐怖」を感じました。この道の向こうに、ユトリロが見ていたものはいったいなんだったのだろう。
 ユトリロの数奇の運命はある意味有名です。10代前半からのアル中、母親と、自分より年下の父(!)による監禁生活。それは晩年、年上の妻によって踏襲されます。つまり、彼は一生涯、自由というものを得ることが出来なかったわけですね。そんな彼の描く「道」「辻」「路地」。
 今までユトリロと言えば「建物」だと思っていたんですよね。しかし、違うということが今日わかりました。彼は「道」を描いたんだ。「道」の向こうにある風景を描いたんだ。それが実に怖かったのです。
 私は例によって、絵画は全て「片目」で見ます。彼の遠近法はほとんど完璧です(本当にたまに破綻していますが)。だからこそ、あの無限に収束していく道の先に何があるのか、とても気になったのです。彼は最初のスケッチは実際に街に出て行なっていたのでしょうが、色を塗り作品として完成させていくのは牢獄の中だったのではないでしょうか。鉄格子にさえぎられ永遠にたどりつけないその道の奥に、いったい彼は何を見ていたのでしょう。
20100517_100110 今まで私は彼を印象派の代表だと思っていました。しかし、なんというか、ある意味無機質なアールヌーヴォー的な感じがしたのが不思議でした。温かいと思っていた色彩も、案外冷たく感じられました。やはり、彼の孤独な精神がそこに描写されているかもしれませんね。
 特に、あの人物は何なんでしょう。巧みな建物の描写に対して、あまりに稚拙な「フィギュア」たち。本当にただ人形をコトンと配しただけです。それも皆正面に背中を向けています。たまにこちらを向いている「人形」もありますが、その顔はまるで「へのへのもへじ」。横向きや斜めからの描写もほとんどありません。片目で見ても、全く厚みのない紙っぺらです。
 そして、謎の「2・2・1」。昨日初めて気づいたのですが、その人形の置き方がほとんど、左奥から二体、真ん中に二体、そして一番右手前に一体なんですね。これは何を象徴しているのだろう…。
 きっと彼は「人間」とは心を通わすことができなかったのでしょうね。それがある種のグラフィックアート的な「現代性」を感じさせてもいるのですが…。そういう意味では、近代の自己疎外の「地獄絵」のようにさえ感じられたのでした。
Img_0643 それに比べるとこの高層ビル街の方がずっとヴィヴィッドだな、などと考えながら私は新宿をあとにしました。向かうは車が置いてある杉並大宮八幡です。永福町駅からこれまた細い路地を楽しみながら神社へたどりつきました。この神社が「東京のへそ」と呼ばれるのもなんとなくわかります。この参道はいわば「へその緒」か。
 さてさて、もともとはお昼から後楽園ホールで全日本プロレスでも観戦して帰ろうかと思っていたのですが、「道」つながりでまたまた変なことを思いついてしまい、そのまま東名高速を西へ。自然の中に作られた永遠に回り続ける、つまり目的地のない、際限のない「道」、富士スピードウェイを目指しました。
Img_0647 そう、今日ここではロックのイベントが行なわれているのです。「JAPAN JAM 2010」。今日の大トリは「吉井和哉 with フジファブリック」です。時間の関係でそこまでいられないので、会場すぐ脇にある中日向の浅間神社にお参りしました。
 浅間神社は富士山の神様コノハナサクヤヒメを祀っています。フジファブリックの志村正彦くんとコノハナサクヤヒメの関係については、以前こちらに書きました。だから、今日のライヴの成功を祈って、彼と一緒に師匠奥田民生さんの歌声をゆっくり聴いてきました。
20100517_101738 吉井さんと志村くん、富士山をめぐって二人ともに不思議なご縁を持たせていただいた私ですが、まさかこういう形での共演が実現するとは夢にも思いませんでした。なんとも運命というのは数奇なものです。
 「Four Seasons」と「JAM」、伝説的な演奏になったようですね。感無量です。吉井さんの言葉、「本当はヴォーカルがいるんですが、今日はワケあって来てません。すぐに帰ってくると思います」には泣かされましたね。
 もしかすると、人の命や人生という「道」は、あのサーキットのようにグルッと回っているのかもしれません。なら、やっぱり帰ってくるのでしょう。
 いや、サーキットのようではなくとも、どの道も必ずほかの道とつながっています。それが「縁」だとしたら、やはり人の「道」も互いにつながってグルッと回っているはずですね。ユトリロもそのつながった先を探して、「道」を描き続けたのかもしれません。

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2010.05.15

どっちがすごい?

 日のレミオロメンもなかなか奇跡的な展開でありましたが、今日はある意味もっとすごいですぞ。昨日は夫婦で仲良く同じ体験をいたしましたが、今日はお互いライバル心むき出し(?)。さあ、皆さんはどちらに軍配を上げますか?
 というわけで、今日は夫婦別行動の1日。それぞれ期待と興奮と緊張の中、家を出ました。ちなみに娘たちは母親に帯同。
 先に結論から言ってしまいますと、カミさんはプロレスラーの桜庭和志選手にフェイスロックをかけられ、私は能楽師の野村四郎先生にサシでありがたいお話をしていただいたのであります。どちらも日本が世界に誇るカリスマですぞ。勝負は引き分けでしょうか。
 私の方は、ある意味長年かけて成るべくして成った結果とも言えます。いろいろな縁から教え子が能楽師になり、そのお師匠様が四郎先生であるわけですから。まあ仕事の上での出来事ですしね。
 しかし、カミさんの方は冷静に考えれば考えるほど不思議というか、なんというか…。だいたい、カミさんがサクファンになったのは、あの「ヌル山戦」の時ですからね。2006年の大晦日ですから、まだ3年ちょいしか経っていないんですよ。それでももう、本人曰く「冥土の土産ができた」と。つまり、夢が叶ってしまったわけです。
 ここに至るまでも、たしかに異常なほどの奇跡が重なってきました。その結果、私も含めてご本人と何度もお会いすることになり、また、サクのご実家からなぜか電話がかかってくるようなことまであったり、まあ普通じゃない感じにはなっていたんですよね。で、カミさんは、あとは技をかけてもらえれば死んでもいいと思っていたわけです。
 そしたら、なんと向こうから「ここ」に来てくれたのですよ。わざわざ技をかけに。「ここ」というのはウチではありませんよ。カミさんの仕事場がある富士急ハイランドに、です。もうそれだけでもあり得ないですよ。いったい誰が企画してくれたのでしょう。
 格闘技祭り@富士急ハイランド…ちょっとできすぎでしょう。それこそ夢で見たとか言ったら笑われちゃいますよ。あり得ねえ〜って。
 それが実際そういうイベントが行われ、思惑、というか妄想どおり、カミさんはまんまと桜庭選手の技をリング上で受けちゃったわけですよ。
 当然、誰もが技を受けられるわけではありません。手を挙げて選ばれなければならないわけです。選ばれるのはたった二人。それでもちゃんと選ばれちゃうんですから、どんだけ目立ってたのやら(笑)。
1487982693_19 残念ながらフェイスロックをかけられている時のベストショットはまだない(そのうち手に入るようです)ので、娘が撮ったギブアップ前の(?)写真を載せておきましょう。
 なんで、サクと柴田選手とカミさんが一緒にリング上にいるんだ?変なの!ww ちょっとうらやましいっす!
 まったくウチはどうしてこう不思議なことばかり起きるんでしょうね。妄想力と突撃力、そして絶対にあきらめない気持ちと、あとは「なんとかなりそう。まじで実現するような気がする」というずうずうしいほどのポジティヴ・シンキングでしょうかね(笑)。
Poster 私の方はですね、昨年同様、杉並の大宮八幡宮での薪能を観戦…いや鑑賞に行ったわけです。昨年は私の教え子は謡だけの参戦…いや参加でしたが、今年はいよいよ師匠とともに舞台で舞うことになったのです。
 今日の番組は、舞囃子「自然居士」、狂言「千鳥」、能「土蜘蛛」でした。教え子は「土蜘蛛」の胡蝶役です。私も緊張しつつも非常に期待しておりました…が…。
 なんと、高速道路が大渋滞。今日は午後から山中湖で同僚の結婚式があったので、それが終わってからの上京でした。観光シーズンの土曜日の夕方はどうにもなりませんねえ。少し読みが甘かった。
Img_0624 結局、大宮八幡に到着したのは、ちょうど胡蝶とトモの出番が終わって、橋懸りを進んで引っ込むその瞬間でありました…orz。残念すぎ。
 まあ最低限、野村四郎先生の頼光と昌司先生の土蜘蛛を観られたからいいとしますか。美しく弧を描く土蜘蛛の糸は、実にダイナミックでファンタジックでありました。うむ、リング上で毒霧を吹くグレートムタみたいだったなあ。
 私たちの中では、プロレス(格闘技)と能は非常に似たものなのですが、皆さんからすると全く別次元のものに感じられるかもしれません。そのへんのことについては、昨年の「プロレス&能」の記事にも少し書かれていますので、参考にしてみてください。むむ、去年もすごいな…笑。
 終演後、昨年に続き、楽屋にお招きいただきました。さすがの私も超緊張してご挨拶。中学の総合の時間に全員能楽を必修にしましたので、そのご報告と今後のお願い、そして今までの御礼を申し上げました。そして、四郎先生から実にありがたいお言葉をたくさんいただきました。
 「芸にゴールはない。もちろん芸は技術だけの問題でもない。その人の人となりである。人間性を高める『修養』こそが大切だ」
 実に重いお言葉でした。何事にも通ずる真理ですね。私も「修養」に努めます。
 ふむふむ、たしかにサクの魅力は、最後はあの「人柄」ですしね。一流の人というのは、やはり人間としての魅力に溢れているのです。そして、年齢とともに更に進化していく点。これもまた、凡人にはない「強さ」ですね。
 いずれにせよ、リングや舞台の上での肉体パフォーマンスで観衆の心をとりこにする二人のカリスマと接させていただいた私たちは、とんでもなく幸せ者ですよね。感謝です。

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2010.05.14

レミオロメン 『10th Anniversary TOUR 2010 “花鳥風月”』@山梨県民文化ホール

2010051400000056barkmusiview000 きょレミオロメンの凱旋ライヴに参戦できることになり、行ってきました!
 今回はチケットが1枚しか手に入らず、カミさんにその座を譲って12月の参戦にかけていたワタクシでありましたが、なんと前日に2枚のチケットがある所から届きました。最近念ずれば通ず、いや念じなくとも通ずることが多くて、なんか申し訳ないほどであります。皆さま、ありがとうございます。
 まず一言。非常に楽しい充実した、幸せ感いっぱいのライヴでした。このツアーは今まで以上に充実したものになりますよ。これからツアー参戦される方、大いに期待していいと思います。
 なお、最後に演奏された曲目(いつも書いているように「セットリスト」という言い方はどうかと…)が記されていますので、見たくない方はそこは無視をきめこんでください。
 いただいたチケットは2枚でしたので、先月一緒に「Sakura」を演奏した(ヴァイオリン&チェロ)職場の後輩を誘いました。彼女も突然の朗報に涙して喜んでました。
 会場に着くと、まずは昔からのレミオ仲間や教え子やメンバーのご親族や御坂の知り合いと久々の再会の挨拶。山梨でのライヴ独特の雰囲気がすでに感じられます。今までもいろいろな所で彼らのライヴを体験しましたけれど、やはり地元でのライヴはいいですねえ。
 全体に完成度の高い内容でした。藤巻くんの歌も今までになく(失礼)調子よく、艶やかなで伸びやかな声に、きれいにコントロールされたヴィブラートが心にしみました。ロックな曲、ポップな曲、じみじみ聴かせる曲、それぞれに魅力的なヴォーカルでしたねえ。ツアー二日目ということで、適度に緊張もとれ、また喉のウォームアップもある程度できつつ、まだ疲れていないといういいタイミングだったのでしょうね。
 前田くんのベース、また上手になってましたね。きっとものすごく練習しているんでしょうね。正確なリズム、音色や発音の使い分け、そしていつも指摘しているとおりのベースライン作りのセンスの良さ。今や日本のロック界を代表するベーシストですよ。立派です。新曲(?)「立つんだジョー」のチョッパー・ソロもお見事でした。
 神宮司くんもいつものとおり…というか、彼のあのキャラもさらにパワーアップしていたような(笑)。たしかにドラムの技術もずいぶんと上がりました。しかし失われないちょっとフェミニンな音。やっぱり前田くんの男らしいベースとのコントラストが、このバンドのリズム隊の特長なんですね。バシバシのドラムだったらレミオロメンらしさが出たかどうか…。
 サポートというか、全体のディレクションを担い、結局一番ノリノリだった皆川さんに関しては、もう言わずもがなであります。今後もレミオにとって彼の存在はどんどん重要になってくるでしょう。また、皆川さん自身にとっても、レミオでの仕事がある意味音楽活動の軸になっていくかもしれませんね。それほど、彼らはマッチしているのです。私にはそう感じられます。
 さて、今回のライヴでの私のテーマは「河口修二」でした。ほとんど全体にわたって彼を凝視してました(笑)。彼もまた山梨には縁のある方ですし、まあ、知り合いの知り合いでもあるし、また私と同世代の職人ギタリストでもあります。そんなギター侍の仕事人ぶりをしっかり堪能させていただきました。
 彼のたたずまいは皆川さんとは対照的、仁王立ちでほとんど動かず淡々と演奏してました。というか、今回よく観察していて分かったんですが、やっぱり藤巻くんの作るギターのパッセージって独特で難しいんですね。ある意味仁王立ちで真剣にやらないといけない。早弾きとかそういう難しさではありません。たとえばアルペジオのタイミングや和音の構成が、ちょっとイレギュラーなんですよ。
 これもまた、レミオロメンのあの音楽の特徴なんだなと再確認。いつかも書きましたし、コメント欄でも指摘していただいたことがありますが、藤巻くんの曲作りの特徴は「非和声音」の取扱いなんです。ま、簡単に言えば「不協和音」の使い方。
 コードネームだけ見れば、なんということはない進行をしていても、そこに含まれる音の成分が新しいので、私たちは「あっ、レミオだ!」と感じるわけですね。そこの部分をステージでは、河口さんが担当しているわけです。
 レコーディングでは藤巻くん自身が演奏しているのでしょうが、それを忠実に再現するのは、職人でも大変でしょう。というかある意味職人さんでも面食らう音作りと言えるわけですね、たぶん。とにかくステージから河口さんのある種の緊張感が伝わってきました。
 多くの有名バンドのサポートをしている彼でもそんな具合ですから、そりゃあ3ピースで藤巻くんがギター弾きながら歌うのは大変なはずです。てか、現実に無理ですな。
Remi007_s_www_barks_jp それにしてもですね、今回ニューアルバム「花鳥風月」の曲を初めて生演奏で聴いたわけですけれど、iPodで聴くのとは大違いでびっくりしました。ああ、これは純粋に「ロック」だなと感じる瞬間が多かった。全然「甘くない」。特に驚いたのは、たとえば「恋の予感から」のような曲でも、ものすごくロックを感じたということです。それは多分に前田くんのタイトなベースが影響してのものですけれど、ものすごいパルスがぐいぐい来まして呑み込まれましたよ。ちょっと泣いてしまいました(笑)。
 演出的には、途中の立体感ある透過スクリーンによるヴィジュアル・エフェクトがかっこよかったですね。あれはいいアイデアです。そして、山梨の風景のスライド。あれは凱旋ライヴ限定なのかな?ステージに大写しされた「栗合」の街並みに地元のおばさまたちが喜んでおられました(笑)。
 と、まあ理屈やらなんやらはいいとして、とにかく大充実の時間を過させていただきました。彼らのメッセージ、「愛」や「縁」というものをしっかり受け取った、あるいは共有した気持ちになりました。
 そうそう、「縁」と言えば、今回チケットを入手できたのも不思議なご縁でしたし、それで座った私の隣には、なんとウチの男子生徒がいるし(!)、カミさんの席の後には近所のゴスペル仲間がいて、「なんで、こんなところにいるの?えっ?レミオファンだったの?」という感じで大騒ぎしてましたし、なんというか、ホント音楽の結ぶ縁っていろいろ不思議ですね。
 彼ら3人も30歳になり、それぞれ家庭を持ち、親になり、まさに「愛する人がどんどん増えてく」幸せを味わっているところです。そして、そうして人々に支えられているという幸せを、私たちファンと共有しようとしているのでしょう。「ありがとう」という感謝の言葉の裏には、「みんなもそういう小さな幸せに気づいて、感謝し合って助け合っていきましょう」というメッセージが込められているのだと感じました。
 なんとなく、今日は安心したな。彼らも10年頑張ってきて、いろいろ悩んだり苦しんだりしたこともあったけれど、こうして自らの足場を固め、そして音楽界でのポジションもしっかり確保したなと。
 相変わらずグダグダでちょっと下品なMCの中で、前田くんが「40歳には糖尿病でステージに立てないかも!?」みたいなことを言ってましたが、おそらく10年後も自然体でこうして全国ツアーをこなしていることでしょう。何ごとも10年やってなんぼですなあ。そんなことをも再確認させていただきました。
 それでは、曲目リストを載せます。見たくない方はここまで。

1.Starting Over
2.ロックンロール
3.1-2 Love Forever
4.アカシア
5.虹をこえて
6.君は太陽
7.Sakura
8.夢で逢えたら
9.大晦日の歌
10.恋の予感から
11.Tomorrow
12.東京
13.花になる
14.雨上がり
15.スタンドバイミー
16.南風
17.明日に架かる橋
18.花鳥風月
19.小さな幸せ

E1.立つんだジョー
E2.3月9日
E3.ありがとう


PS、やっぱり最後に一言だけ本心を書かせて下さい。レミオにはなんの罪もありませんが、今日ライヴの途中で何回かストーンと落ちる瞬間がありました。
 フジファブリックの志村正彦くんのことを思い出してしまったからです。同郷、同世代、凱旋ステージ、ファンの熱狂、ヴォーカル大丈夫かなあという心配…。
 でも、いつまでも落ち込んでいてはいけないとも思いました。ある意味音楽によって負ってしまった心の傷ではありますが、こうして音楽が少しずつでも癒してくれるという、まさにそういう縁が生む幸せもしっかり心に感じていなければと思いました。
 ありがとう、レミオロメン。

レミオロメン 『10th Anniversary TOUR 2010“花鳥風月”結成10周年記念日ライブ in 山梨』

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2010.05.13

あらためてジャンボ鶴田最強!

 ょうど10年前の今日、プロレスラージャンボ鶴田さんがお亡くなりになりました。あれから10年。三沢光晴さんをはじめ、多くの名レスラーの方々が鶴田さんのいらっしゃるところへ行かれました。
 今日はいろいろな感慨をこめて、以下の映像を紹介します。
 今までも何回か彼の強さについては語ってきましたし(たとえばこちら)、牧丘にある彼のお墓参りをするのは、我が家の恒例行事でもあります(昨年夏の記事はこちら)が、今日はあらためて、山梨県が生んだ偉大な人間(物の怪?)の功績を称え、そしてご冥福をお祈りいたしたいと思います。

↓この体でこのドロップキック!それも試合後半で繰り出すからすごい!
 もちろん、各種スープレックスも絶品。ジャンピングニーのあとの着地の安定感も。

↓以下は、ある意味「ジャンボ鶴田最強」が証明された試合です。プロレスは勝ち負けではないという好例。この攻めの数々は怖い。そして受ける天龍もすごすぎ。お客さんの盛り上がり、会場全体の一体感もまた最高です。倉持さんの実況、馬場さんの解説も味わい深い。和田京平レフェリーもいい仕事しています。

 ジャンボ鶴田 vs 天龍源一郎(89.6.5)その1

 ジャンボ鶴田 vs 天龍源一郎(89.6.5)その2

 ジャンボ鶴田 vs 天龍源一郎(89.6.5)その3

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2010.05.12

『ヤフー・トピックスの作り方』 奥村倫弘 (光文社新書)

33403558_2 近、歌人の笹公人さんに誘われて短歌を始めました。今夜も歌会があり、私の作品も俎上に上がっているはずです。
 全く人生とは何が起きるか分かりません。憧れの方からこうして直接誘われることが最近多いんですよねえ(…てか、そういうこと多すぎでしょ!)。
 短歌を始めて、つくづく日本の短詩文化というのはすごいなあとあらためて感じるのであります。短いからこそ、制限があるからこそ、人間の智恵が発揮されるということですね。何ごともそうですけど、制限なしの自由というのは、実に不自由なものです。全然自分に由来しない。
 このブログの記事なんかも実に冗長であり、よく「長すぎる!」というお叱りを受けます。たしかに自分が逆の立場に立てば、こんなダラダラしていて、かつあんまり中身のない文章は読みたくありません。
 それでも毎日けっこうアクセスがあるのは、これはGoogle様のおかげです。彼は人間ではありませんから、こうしたダチョウ文(駄長文)を読むのを面倒くさがりません。それどころか、テキスト量にだまされて、「ここには価値ある情報がある」と勘違いしてくれます。結果として、検索の上の方にこのダチョウ文を載せてくれます。ありがとう。そしてごめんなさい。
 ですから、このアクセス数というのは、単にクリック数ということであって、もちろん「完読数」ではありません。完読数はおそらく50分の1にも満たないでしょう。
 ま、私自身、このダチョウ文を多くの人に読んでもらおうと意気込んでいるわけでもないし、ましてや世直しのためにアジっているわけでもないし、またほとんどお金にもならないわけですから、そういう欲気があるわけでもありません。
 どちらかというと、それこそ笹さんと私がつながったような「縁」を作る非常に有用なメディアとして考えているのです。だから、これからもダチョウの大量飼育をしていきます。頑張れダチョウ、世界にはばたけ!…ダチョウは飛ばないか(笑)。
 同じネットの「言葉」でも、そんな私のダチョウと正反対の価値と機能と外見を持つのが、「ヤフトピ」ことヤフー・トピックスです。13文字の魔術とも言われる、驚異的な集客力を持つ「短文」です。
 現場の作者が、その13文字を作る「智恵」について語っているのがこの本です。なかなか興味深い内容でした。日本語の特徴がよく解ります。もちろん、短歌や俳句の創作にも役立ちます。
 あっそうだ。これは教材として使えそうですぞ。つまり生徒にその「13文字」を作らせるのです。面白そうだな。さっそくやってみよう。
 ところで、私も1日に何回ヤフトピを見ますでしょうか。そしてクリックするでしょうか。すごい数だと思いますよ。ある意味ヤフトピのおかげで新聞購読をやめたとも言えます。いわゆる「ニュース」はほとんどここで済ませているわけです。
 本書の中でも解説されていますが、そのいわゆる「ニュース」には、国際、国内の政治経済はもちろん、スポーツも芸能も、そして巷の小ネタも含まれているわけでして、そこがこの「言霊」の価値の一つとなっています。「硬軟聖俗」がブレンドされた、ある意味日本古来の神道的な魅力です。
 そして、そこに付加されている「公平性」「品格」といった「善意」の力も大きいですよね。俗に走りすぎないとでも言うのでしょうか。「!」を使わないなんていうのは、ちょっとしたことですが、一つの品格の保ち方だと思いますよ。
 そうだ、生徒に13文字を作らせるにあたり、こういうヤフトピ風なものだけでなく、週刊誌的あるいはテレビ欄的なものなど、いろいろ作らせると面白いかもしれませんね。さっそくやってみよう。
 こんなふうに、仕事柄けっこうためになる本だったわけですが、私にとっての最大の謎というか、興味に関する記述がなかったのは、ちょっと残念でした。
 それはですね、皆さんもお気づきかと思うのですが…ヤフトピのリンクって、ある特定の新聞社のものが排除されていますよね。それについての「公平性」はどうなっているのかということです。これは「善意」の結果なのか、それとも何らかの「悪意」が働いているのか。
 ま、排除されている新聞が、私の大嫌いな(しかし、プライベートでは大変お世話になっている)新聞なので、どちらかというと私にとっては好都合なのですが。
 大人の世界は難しいのですね。さすがにそのあたりの事情については中学1年生には語らない方がいいですよね。やめときます。

Amazon ヤフー・トピックスの作り方

楽天ブックス ヤフー・トピックスの作り方

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2010.05.11

いただく or くださる(その2)

↓こうしてくれるわ!
1ae0da34 て、昨日の続きです。うまくまとまる公算小です。
 昨日は、「会を開いていただき」も「会を開いてくださり」も間違いでないと書きました。しかし、なぜか微妙にニュアンスが違うのもたしかです。
 これには、やはり「〜てもらう」と「〜てくれる」の違いが反映しています。この両者は、もちろん視線の対象、つまり主語が違うわけですが、その結果、次のようなニュアンスの差も生じます。
 「(自分が)〜てもらう」=こちらの意思に基づく
 「(誰かが)〜てくれる」=相手の意思に基づく
 つまり、「〜てもらう」や、その敬体「〜ていただく」には、こちらからお願いする、こちらが望む、こちらが依頼するというような意味が含まれることが多く、一方の「〜てくれる」は、ある意味想定外の恩恵の場合が多いんですよね。
 ですから、実は「会を開いていただき」はおかしいとも言えるのです。選手たちがお願いして壮行会を開いてもらったことになってしまうからですね。そう考えると、やっぱり「開いてくださり」の方がいいような気がしてきます。
 電車の方はどうでしょうか。「ご利用いただき」か「ご利用くださり」か。鉄道会社も営利団体ですから、当然「どうぞご利用下さい」という姿勢でいるわけですよね。そうだとすれば、「ご利用いただき」でいいような気がします。思いがけず乗っていただいて…という感じではないようです。
 そうすると、壮行会の場合は「〜てくださり」、鉄道の場合は「〜ていただき」がいいような気がしてきますが、それでも壮行会で「〜ていただき」が使われる、使いたくなる理由を考えてみましょう。これはあまり指摘されていない点だと思います。
 「くださる」は、まさに上から下に物品が下賜される状況を言う言葉ですね。そして、「いただく」はそれを頭の上に掲げて頂戴するというのが原義です。まあ、それはそれで問題ありません。
 しかし、敬意が介入する以前に元々使われていた「くれる」と「もらう」のうち「くれる」の方には、ちょっと厄介な事情があるのです。それが、「くださる」にも影響していると私は考えました。
 さあ、皆さん、「くれる」ってどういう意味ですか?日常的にどのように使っていますか?
 私は残念ながら母語を持たない完全なる標準語(共通語・人工語)話者なので、いわゆる国語辞典的な意味でしか使ってきませんでした。すなわち、

(1)他者が話し手または話し手側の人に物を与えることを受け手の側から言う。
「君が—・れた万年筆」
「また連絡を—・れ」
(2)話し手または話題の人物が他者に物を与える。受け手をややいやしめた言い方。くれてやる。
「五銭の白銅を出して、剰銭(つり)は—・れて来た/多情多恨(紅葉)」
「北の部屋にこめて物な—・れそ/落窪 1」
(3)(補助動詞)
動詞の連用形に助詞「て(で)」が付いた形に付いて、その動作者が話し手または話題の人物のために何らかの動作をすることを表す。
(ア)他者が話し手または話題の人物に、その利益となることをする意を表す。
「おおい、助けて—・れ」
「部長が僕らを食事に呼んで—・れた」
「これを見て—・れ、大したもんだろう」
「ちょっと来て—・れないか」
「傘を貸して—・れませんか」
(イ)他者が話し手または話題の人物の不利益となることをする意を表す。
「とんでもないことをして—・れたもんだ」
「恨んで—・れるなよ」
(ウ)話し手が他人に対して、その者の不利益となることをする意を表す。…てやる。
「にっくき親のかたき、どうして—・れようか」

というように、まあこの通りの使い方、すなわちほとんど(1)と(3)の(ア)の意味でしか使ってきませんでした。特別な事情のある時のみ、かなり気分を変えて(場合によってはふざけて)その他の用法で使うくらいです。
 ところが、方言となると、これがずいぶんと事情が変わってくるのです。たとえば我が山梨県でも、普通に、標準語の「やる・あげる」の代わりに「くれる」を用います。「やってあげようか」という時に、「やってくれようか」と言うわけですね。
 実はこのように「(いやしめの意味をこめたりせず純粋に)話し手が他者に物を与える」という意味で「くれる」を用いる地方がたくさんあります。調査したわけではありませんが、もしかすると標準語的な用法よりも、その勢力は強く広いかもしれません。皆さんの地方ではどうですか?
 古い例を見てみますと、「他者が話し手に物を与える」という場合と「話し手が他者に物を与える」という場合が、ずいぶんと拮抗しているように感じられます。つまり、この「くれる(くる)」という動詞は、以前は単純に「give」の意味で使われていたとも思われてくるのです。誰から誰へということ抜きにして、ということですね。そして、「get」「take」が「もらう(もらふ)」であったと。そう考えた方が自然かもしれません。
 それでですね、話を戻しますが、今見たように「くれる」が多義的、それもある意味反対の概念すら表すこと、また、場合によっては「不快」を表す言葉であるという事実が、「〜てくださり」をあまり使いたくない潜在的な理由なのではないかと、そんなふうに私は思うのです。
 さらに「ありがとう(ございます・ございました)」が、慣用句化していて、主語を伴った文を構成しないという事実も、なんとなくこの表現を不自然なものにしているような気もします。
 いろいろ考え始めたら、本当にいろいろ疑問点も出てきて、今回はかなり難渋しました。もしかすると、とっくの昔に誰かが論文かなんか書いているかもしれませんが、こうして自分で考えて、場合によっては間違えてみることもまた楽しく、大切なことなのかもしれません。

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2010.05.10

いただく or くださる(その1)

↓疑問の現場「壮行会」
96810522 くなりそうなので、2回に分けます。
 最近、気になり始めたことの一つ。言葉の問題です。敬語に関わることですね。気になり始めたら、なんだかよく分からなくなってしまった。
 もともと、言葉というのは論理的ではない部分がありまして、それが慣用化してしまうと誰も疑問を抱かなくなってしまうものなのですが、変にその矛盾に気づいてしまうと、なんとなく自分の発言や表現に違和感が生じたり、自信がなくなったりして、案外に厄介なことになってしまいます。今、そういう状態です。
 以下、私独自の見解もありますので、通例や一般的な文法(特に学校文法)と矛盾する点もありますことをご了承下さい。
 この前も、高校総体の壮行会での選手代表の発言を聞いていて、なんだかムズムズしたんです。この発言です。よくある、今までも何千回も聞いてきた言葉です。

「今日は、このような会を開いていただき、ありがとうございました」

 どうですか?別に変だと思いませんよね?ちょっと前までの私も、なんとも思わなかったのですが…。
 ためしにこの言葉の中間部分から敬語を取り払ってみましょう。「いただく」は「もらう」の謙譲語です。

「今日は、このような会を開いてもらい、ありがとうございました」

 どうですか?今度はちょっと変だと思いませんか?どちらかというと、

「今日は、このような会を開いてくれて、ありがとうございました」

 の方が自然だと思いませんか?これを敬語で言いますと、次のようになります。「くれる」の尊敬語は「くださる」です。

「今日は、このような会を開いてくださり、ありがとうございました」

 敬語以前の理屈(感覚)から言えば、こちらの方がより正しく、自然だということになるはずです。
 しかし、一般には、この場合「いただき」と言われることの方が多い上に、「くださり」と表現すると、かえって不自然な感じがする場合もあるのはなぜでしょうか。
 こんな例もあります。
 電車に乗っていて「本日は、○○線をご利用いただき、まことにありがとうございます」というアナウンスを聞くことがありますね。これを同じ理屈で「本日は、○○線をご利用くださり、まことにありがとうございます」と言うと、かえって、なんとなく違和感があるような気がします。間違いではないけれども、なんとなく…。
 これはまず尊敬語と謙譲語について語らねばならなくなりますね。
 尊敬語とか謙譲語とか、こんがらがる、学生時代を思い出していやだ、という方は、次のように単純化するとスッキリするはずです。

 尊敬語=文の主語に敬意を表す
 謙譲語=文の目的語に敬意を表す

 実際はもうちょっと複雑な事情があるのですが、こうしてしまえば、ほとんどのケースはあっさり理解できます。古文なんかでもそうです。謙譲語の説明で「自分がへりくだって(自分を下げて)相手に敬意を表す(相手を上げる)」なんて教えるから、ワケわからなくなるんですよね。だいたい「謙譲」というネーミングが悪い。生徒は可哀想です。ま、気持ちの根幹にあるのはたしかに「謙譲」なんですけどね。言葉の機能としては、ちょっと違うようです。
 で、そうして単純化してさっきの文の前半部分を見てみますとこうなります。
 「会」を「開いてくれる」主語は生徒会(すなわち選手以外の生徒全員)で、その主語たる生徒会に敬意を表して「開いてくださる」と言うのはなんの問題もありません。自然です。
 ちなみに「開いてくれる」をバラバラにした時の「くれる」の目的語は「会」ではなくて、「開く」です。ここが実は肝心です。あとで重要になります。つまり、生徒会が「(会の)開催」を選手たちに「くれた(提供した)」わけです。物品の授受のように考えるのがコツです。
 一方、「開いてもらう」の主語は「私たち選手」ですよね。「私たちが会を開いてもらった」という文にしてみるとよく分かります。
 では目的語は何かというと、「開いてもらう」のは何かを考えればいいわけですから、「会」ということになります…というのは、実は正確ではありません。先ほど「開いてくれる」を「開く」と「くれる」に分けたように、ここでも「開く」と「もらう」に分けなければいけないのです。
 つまり、選手たちが「もらった」のは「開く」だということです。「(会の)開催」を「もらった(享受した)」のです。
 そうすると、「開いていただく」と謙譲語を使ったとすると、あくまで言葉の機能としては、「(会の)開催」に対する敬意を払っていることになります。もちろん、その裏には「気持ち」として、その「会」を企画・開催してくれた人、すなわち「開く」の主語たる「生徒会(生徒全員)」に対する敬意も含まれています。というか、それこそが根幹にあるのですね。しかし、今はあくまで、言葉の機能の方を重視して考えます。
 ここで、なんで単純に「開いていただき」全体で考えて、目的語は「会」自体としないのかという疑問にお答えしましょうか。
 それは、先ほどの「○○線をご利用いただき、まことにありがとうございます」で考えると分かりやすいですよ。もし、「ご利用いただき」全体で目的語を考えると、それはそのまま「○○線」ということになり、自分たちの路線を尊敬していることになってしまうからです。実際はそうではなくて、「○○線の利用」に対して敬意を表しているのですよね。だから、バラバラにして考えるべきなのです。
 さてさて、まとめますと、「開いてくださり」の「くださり」は「生徒会(生徒全員)」に対する敬意を表し、「開いていただき」の「いただき」は、「(会の)開催」に対する敬意を表すことになりました(ちなみに敬意を表しているのは誰かというと、常にその文の「表現者」、すなわちここでは選手の代表ということになります)。
 だから、その部分(中間部分)の意味においては、どちらの文も間違いではありません。
 では、何が「違和感」を催させるのか。ここが問題です。
 (明日につづく…はたしてうまくまとまるのであろうか)

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2010.05.09

『自動車革命 次世代カー 電池をめぐる闘い』 (NHKスペシャル)

20100510_102648 ょうど電池について書こうかと思っていたんです。新しいデジカメを買った(またマニアックで安価なものです。当然、乾電池仕様です。近いうちに紹介します)ので、eneloopを買おうかと思ったのですが、たまたま隣にあったenelongという台湾製のアヤシイ方を購入してしまいました。なにしろ安かったもので。
 で、ちょうど今日到着したので、さっそく使ってみたら、まあ全然ダメダメ。まず、eneloopならちゃんと満充電状態で出荷されていて、すぐに使えるのに、こいつは空っぽ。まずは半日充電しました。eneloopの充電器で満充電にして、使い始めたら、50枚も撮らないうちに電池切れのサインが。
 ウワサによると、このenelongは使っているうちに航続距離(?)が伸びるようです。ま、こんなところがいかにも非メイドインジャパンという感じですよね。
 バッテリーに関する不安や不満については、このブログでも散々書いてきたような気がします。特にリチウムイオン電池仕様のデジタル機器や家電製品については、その価格や性能、充電や交換の手間に関して、どうしても納得できない点があり、私はなるべくそうした製品は購入せずに来ました。
 そういう根本的な不安や不満がある電池が、最も不安や不満を持ちたくない、あるいは命に関わる、自動車という製品に使われることに、私はそれこそ大きな不安や不満を持っています。これはおそらく生理的なものです。つまり、日常において、リチウムイオンをはじめとする充電池というものを信用していないということでしょう。
 たとえば、デジカメのような製品なら、それこそeneloopでいいのです。あれなら1回の充電で500枚くらい撮れてしまいますから、ほとんど「電池切れ」「充電」という不安は忘れていていいのです。そして、もしもの時はコンビニで乾電池を買えばいいという「安心」すらある。
 今のガソリン車って、こういう状態だと思うんです。1回の給油で400キロくらいは走れます。普通の人なら、2週間に1回とか、1ヶ月に1回とか、そういう頻度で燃料切れという「不安」や、給油という「面倒」を意識すればよい。また、いざという時は、コンビニ以上に街道沿いに乱立するガソリンスタンドに駆け込めばいいので、ある意味「安心」すら確保されている。
 その状態から、いきなりEVに全面的に切り替わっていくのはさすがに不安なんですよね。もっとゆっくりしたシフトでいいと思うのです。地球全体の環境に関わる問題ですし、一人一人の命にも関わる問題です。そして、「車」という大きな買い物に関わることじゃないですか。だからこそ、もっと慎重にことを進めてもらいたいのです。
100509_a その点、日本のメーカーは「良心」や「善意」を基本にしていますから、たっぷり時間をかけて開発している、いや、かけたいように見えました。中国なんて、とりあえず走ればもう発売っていう感じですよね。市場の覇権争いに勝つこと、すなわち目先の自己の利益しか考えていないような印象を持ちました。
 ビジネスの世界でも、最終的には「良心」や「善意」が勝利してもらいたいですね。以前見た、同じシリーズの『メイド・イン・ジャパンの命運』と同じ印象を持ちました。
 さてさて、ここからは私のアイデアです。私がもしエンジニアだったらどういう発想をするか。
 前に地熱発電とEDLCという記事で、EDLC(コンデンサ、キャパシタ)を利用した電気自動車について書きました。
 今でもバッテリーよりもキャパシタという基本的な考えは変わっていません。しかし、今日番組を観ていて、さらに一歩進んだ考えが浮かびました。
 それは、バッテリーとキャパシタのハイブリッドということです。私は全くのシロウトですから、とんちんかんなことを言っているかもしれませんが。
 キャパシタの利点は充電が瞬間にできるということです。ですから、街の電気スタンド(?)では、キャパシタへの充電をするのです。そして、そこで蓄えた電気をバッテリーに移して、バッテリーでじわじわ放電していくと。
 キャパシタはそのじわじわ放電が苦手ですので。そこのところを補い合うように工夫をすることはできないでしょうか。あるいは、瞬間的に大きな電力を必要とする発進時などは、キャパシタから直接給電するとか。とにかく、お互いの長所短所をうまいこと補い合えれば、けっこういい線行くと思うんですけどね。
 おそらく研究開発の現場では、バッテリーに代わるものとしてのコンデンサという発想が強いと思いますが、ガソリンエンジンと電気モーターのハイブリッドが、とりあえず先鞭をつけたように、まずは対立するものの共存という考えもありなのでは。
 いずれにせよ、日本のメーカーさん、ぜひとも「良心」と「善意」、そして「親切」と「思いやり(目に見えないユーザーへの慮り)」が最終的には勝つと信じて、頑張ってください!

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2010.05.08

「継続した」芸は身を助く

92477495_2 日は6月の横浜でのコンサートへ向けて初練習。こんな名曲たちをこのようなメンバーで演奏できるようになるなどと、ヴァイオリンを始めた頃(30年前)の私は想像したでしょうか。絶対していませんでしたね。本当に「継続は力なり」、そして「縁は異なもの味なもの」、「芸は身を助く」です。
 本年度スタートした我が中学校では、私の夢でもあった「弦楽合奏部」を創立させていただきました。今、30年前の私がしたように、楽器の持ち方やボウイングの基礎を練習しています。彼ら彼女らの30年後はいったいどんなふうになっているのでしょうね。
 私のようにぜひとも細々とでも(いや、けっこう派手にかな?)音楽を続け、そしてそこから縁を広げていただきたいものです。音楽は人と人をつなぐ最高のメディアです。
 さて、今日は練習が終わってから、もう一つの「芸」のスタートを見守ることとなりました。
 今年の春、副担任として送り出したクラスのある女の子が、タレント(女優)を目指すということで、ある事務所で勉強をしています。彼女は高校在学当時から学業とタレントの修行を両立させていたのですが、卒業にあたって、普通に大学に行くか、そっちの道に行くか迷った末、自分の可能性にかけてみるということで、合格した大学を蹴ってそちらに進むことにしました。
 今日はそんな彼女の初舞台を観に行ったのです。高校時代もテレビドラマ(私の親戚にもあたる筧利夫さん主演の作品)にちょい役で出演してたので、彼女の演技は初めてではなかったのですが、やはり舞台は全然別物、実力が如実に現れてしまいますからね、私もなんとなく緊張気味に会場に向かいました。
 考えてみると、こうして「小屋」で芝居を観るのは何年ぶりでしょう。自分自身もいちおう大学時代に劇団の公演に出たりしていましたし、姉もそっちの世界の人間だったので、以前はけっこう舞台を観に行く機会が多かったのですが、最近は音楽やプロレスの方が忙しく、テレビ観劇が圧倒的に多くなっていましたからね。
 劇団Jeep第4回公演『また逢おうと竜馬は言った』。いやあ、やっぱりライヴはいいですねえ。役者の息遣いや観客のノリも含めた「空気」こそが芝居の醍醐味ですからね。教え子も初舞台としては大健闘していたと思います。
 「また逢おう…」は説明するまでもなく、あの劇団キャラメルボックスの名舞台の一つですよね。成井豊さんの名作舞台です。上川隆也さん主演の1995年公演は最近DVDとして発売され大人気です。
 まあ、そんな名作にあえて挑戦するところが、まずすごいと思いましたよ。なかなか勇気のいることではないでしょうか。私はキャラメルボックスの公演も観ていないので、あまり偉そうなことは言えないのですが、小さな小屋でありながら、その機能性を活かしたなかなか上手な演出だったと思います。また、役者の皆さんの若々しさ、あるいはそれゆえのたどたどしさをも、エネルギーに変えたリズムの良い演出であったと思います。動で静をカバーしたという感もありますが。
 脚本は、オリジナルがオリジナルですから、それは面白いに決まっています。ストーリーやセリフを楽しむだけでなく、「男の人生とはなんぞや」ということを考えさせてもらいました(笑)。上質の戯曲の条件ですね、それって。
09_10_11_14_3 帰りに熱演した彼女と話をしました。ついでに記念撮影も(笑)。彼女はまだまだ「芸」の入り口に立ったばかりです。勉強、勉強、そして経験。そういう意味では、こうしてある程度無理矢理にでも現場に立たせてしまう事務所の姿勢は、それはそれなりに評価できると思います。事務所の標榜する「100回のレッスンより1回の本番」という考えも一つの方法です。私もどちらかというとそういう生き方をしてきましたから。
 芝居の道、芸能の道は険しく厳しいものです。結局「継続」した者が勝つ世界です。というか、「継続」できることこそが「成功」です。そのためには、最終的には「人間性」ですからね。可愛がられてなんぼの世界です。そういう意味でも彼女にはどんどん勉強していってもらいたいものです。応援をしていきたいと思います。

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2010.05.07

『近頃の若者はなぜダメなのか 携帯世代と「新村社会」』 原田曜平 (光文社新書)

33403544 日の番組でも、結局一番冷静においしい立ち位置を確保していた原田さん。彼は30代前半。20代以下の草食系と40代以上の肉食系にはさまれた微妙な30代。「食」という本能的な部分での存在感を示すことが難しいからでしょうか、彼らは「理性」や「知性」を売りにすることが多いですね。
 ま、そのおかげで、原田さん、昨日のプロレスの試合の中では、実に面白くないレスラーにもなってしまっていたわけですが…。全然燃えないどころか、全体をクールダウンしてしまっていました(笑)。
 彼は仕事柄もあるとは思いますが、常にデータという武器を駆使します。つまり、草食も肉食も「自分」を語っていたのに対し、彼らは「他人」を語っていたわけです。だからこそ、リング上では面白くないわけです。
 それどころか、なんとなく20代より50代より自分は大人ですよ的オーラが出ていて、ちょっと「ずるいな」とも思いましたよ。ある意味上から目線。
 いや、この前のPRIME NEWSとかだったらいいんですよ。客観的であるべきニュース番組ですから。
 もちろんこの本は、彼のワンマンショーですから全然OKです。しかし、やっぱり最後は「理性」をもって冷静に「若者」を分析し、そして「ダメ」と言われる彼らをしっかり擁護して、「いい人」になりきっています。うまいと言えばうまい。
 ま、彼も広告マンですから、そういうテクに長けていて当然なわけですがね。それで食ってるわけですから、やめろとは言えません。
 原田さんが唱える「新村社会」や「既視感」というのは、これはある程度事実でしょう。ネーミングもうまいと思います。生徒たちを見ていると、たしかにそういう生き方をしているように見えます。
 でも、それって彼ら自身の性質ではなくて、その上の世代が作り上げたメディアや商品、そしてまさに原田さんたちが作り出した「言葉」によって変化した社会に、最適化しただけですよね。
 「つながっていたい」というのも、別に今に始まったことではありません。ただ、つながるための道具がケータイやパソコンになり、場がSNSやTwitterになっただけです。オヤジたちも、あるいは平安時代の人たちでさえ、もしそういう環境にいれば「近頃の若者」になっていたことでしょう。
 つまり、こういう「今どきの若者」論というのは、たいがい前世代が(好むと好まざるにかかわらず)作り上げた社会環境の総括になるんですよね。そういう意味では、どの時代も、自分たちが用意したものではなく、前世代のオヤジたちが作り上げた「結果」ということになるわけです。
 で、昨日も書いたとおり、その、自分たちが作り出してしまった「結果」に対して、「近頃の若者はダメだ」とか言っちゃうわけですから、結果としてオヤジ自身の自己否定、自らの人生の全否定になってしまっているわけですよ。
 ああ、そう言えば、だいぶ前に私も「最近の若者は…」なんて記事書いていました。そこにも書いたとおりですよ。
 そこを「上から目線」で、冷静に語る中間世代なんですよね、原田さんは。ある意味「神の視点」。多少の憂いはあれど、基本的に慈愛をもって許す、認めるという姿勢ですね。だから、ずるいとも言えますが。
 おそらく、こうしてですね、どの時代も隔世的に「自己否定(しかし、表面的には若者否定)」をすることによって懺悔を繰り返してきたんでしょうね。そして、そのたびに、中間世代の神が慈愛の微笑みをもって、「まあまあ皆さん仲良く。皆さんはそれぞれ立派ですよ」と諭し慰めてきたんではないでしょうか。
 私はある意味、原田さんよりだと思います。微妙に中間世代です。だから、案外「自分」を語らないじゃないですか。今日だって、原田さんら中間世代さえも、冷静(そう)に(エセ)知性をもって諭しているわけでして、ありゃりゃ、これじゃ私が究極の「上から目線」、究極神ということになってしまう…笑。
 ま、結論、原田さんも私も、なんだか本能的に争うことのできない、そういう意味ではあんまり人とつながれない寂しい世代なのかもしれませんね。ふむ、実際私なんか、上から「今どきの…」とか言われたことないし、下に対しても「今どきの…」なんて言ったこともないような気がします。肉食にも草食にもなりきれない中途半端世代なのかもしれませんね。ちょっとしたジェラシーを抱えた孤独な神だったりして。

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2010.05.06

日本の、これから「草食系で何が悪い 若者と語るニッポンの未来」 (NHK)

ダイジョーブだよね?若者とニッポン
20100507_65800 むふむ、さすが三宅レフェリー、いやいや三宅アナ。ぜったいにかみ合わないはずの試合を見事にまとめあげていましたね。和田京平さんなみの腕前です。
 って何の話かと言いますと、今日のNHKの討論番組の話です。「草食系」vs「肉食系」。同じ数ずつ集めて逃げられないようにしたら、そりゃあ普通に考えて「肉食系」が勝つに決まっているじゃないですか。それを「草食系」の引き分け以上に持っていって、「モノガタリ」にするのがレフェリーの仕事です。
 といいますか、NHKの内部にもどんどん「草食系」が増えてきているのでしょう。ここ10年くらいのNHKのオタク擁護指向を見てもわかりますね。制作側における「草」と「肉」の力関係の逆転が感じられます。
 自然界を見て分かる通り、いくら「肉食系」がいばっても、「草食系」は減りません。減らないどころか、常に数の上では勝利しています。人間界もようやくそういうフツーの状況になってきたということでしょう。
 ただ、世の中が全部「草食系」になればそれでいいかというと、もちろんそんなことはありません。たぶん平和だけれどもつまらない世の中になるでしょうね。今日もたまたまある人とそういう話になったのですが、昭和のぶっとんだ偉人や豪傑のような肉食獣がどのジャンルにもいないじゃないですか。みんな平均化してしまって、実につまらない世の中になっている。それだけは間違いありません。
 さて、私の「草食・肉食論」はこちら、「世代論」はこちらこちらに書きましたので繰り返しません。
 ただ、次のことだけは確認しておきたいと思います。
 まず、「草食系」の特徴とされた、「車いらない」「酒のまない」「飲み会きらい」「終業後直帰」「出世に興味ない」「終身雇用がいい」「ウチにいるのが一番」「海外旅行にいかない」「家族大好き」「地元大好き」「恋愛に興味ない」「小さな幸せを望む」「頑張るのはかっこわるい」「嫌銭」といった属性は、決して悪いことばかりではないということです。
 全てを逆にしてみれば、そんなことは分かりきったことです。「車買って走り回るのが一番」とか「毎晩酒飲んで家には帰らない」とか「家族や地元から離れたい」とか「頑張ってカネを稼ぐのが人生」とかね。
 で、そういうある意味「正常」な世の中にしたいから、「異常」に頑張ったのが昭和でしょう。自分の息子たちが平安無事に、自分の時間や、自分の家族や地元を大事に生活できるようにと願いながら、お父さんたちは頑張ったわけですよね。それが、いざ自分の息子たちが「草食系」になると、いきなり「そんなんで生き抜いて行けるのか!?」みたいに熱くなるのは、そりゃあちょっと変じゃないですかと。
 いくら世がグローバル化しても、アジアの諸国がニッポンより頑張っていたとしても、本当は悠然と構えていればいいのです。お前ら今頃「肉食系」やってんのかよ、もうそんなの流行らないよ…と。
 この前「成長→成熟」という記事を書きましたね。つまり、そういうことなんですよ。もう私たちは、というか私より上の世代の、昭和の企業戦士たちが、十分に世の中を成長させてくれまして、そして、ある意味彼らの目標とした理想の社会が完成してしまったのです。
 だから、今どきの若者が「草食系」であるというのは、これはもう当たり前、単に「肉食系」オヤジの皆さんが用意してくれた環境に適応して最適化した人種であるというだけのことで、別に心配する必要がないということです。
 実際、いくら景気が悪いとか、勝ち組負け組とか言っても、ニートでもフリーターでも引きこもりでも死ぬわけじゃない。「肉食系」のストックがまだまだたくさん家にあるからです。それをチビチビいただいて生きていける限りは、当然そういう「草食系」がはびこりますよ。別に自然なことですよね。
 昭和の「肉食系」オヤジたちは、「飢え」を体験していたのです。「飢え」の記憶というのは、つまり「生命の危機」の記憶です。これは絶対に消えませんし、「死」の予感が「生」の方向性を決定するというのもまた当然の理です。だから、彼らも間違っていませんでした。
 もし将来、再び「飢え」を感じる時が来たら、今の「草食系」もちゃんと「肉食系」に進化することでしょう。心配いりません。
 最初からかみ合うはずのない試合だったわけです。どっちも正しいし、どっちもベビーフェイスで、どっちもヒールですから。もともと対立構造ですらない。そして、最初に書いたとおり、単なる力関係で言えば、勝敗は見えていたわけですから。
 しかし、十分に観客(視聴者)が楽しめたのは、これはやはりレフェリーが見事だったからでしょう。また、それ以前に「ストーリー」を書いた制作者が優秀だったからでしょう。そういう意味で、実にプロレス的な番組でありました。私もカミさんも、妙に燃えていました。「うぅぅ、こいつムカツク!」みたいな感じで(笑)。最後は時間切れ引き分けという感じでしたが、どちらにも「怒り」を覚えたという意味で、実に素晴らしい試合でしたね。
 あっ、最も印象に残ったレスラー(?)は、やっぱり「肉食系」女子レスラー室井佑月と、「草食系」男子レスラー石原まこちんでしたね。キャラが立ってるわ、二人とも。さすが。

日本の、これから公式

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2010.05.05

消えゆく秋田弁

Uni_4281 士山に無事帰ってきました。帰りは那須付近まで東北道で。そこからは国道4号線で埼玉まで南下。そこからは圏央道、中央道を使って山梨へ。うまく渋滞を回避してちょうど9時間。まあまあでしょう。新潟回りだとなかなか10時間を切れませんので。
 いつもの春先や夏ですと、どうも単調でつまらない東北道ですが、この季節は本当に沿道の山々が美しくて感動的でしたね。日本人に生まれて良かったと何度も思いましたよ。こういう萌黄色の絨毯は、世界中行ってもそうそう見られないでしょう。
 おそらくそういう自然は100年後もそうそう変らないでしょう。自然破壊が危惧されると言っても、日本の「森の文化」はそうそう簡単に消えません。植林によって往時の面影がなくなった所も多いとは言え、そういうところは逆に保護されていない状態ですから、そのうち本来の姿に戻るでしょう。
 そうしたたくましい自然と比べ、かなりの勢いで失われつつあるのが、その自然とともに生きた人間の生活です。皮肉にも(?)人間が自然から離れることによって、自然が復元されていくというのに対し、人間の生活はどんどん本来の人間らしさを喪失していきます。
 自然から離れるということは、その土地に縛られなくなるということです。グローバル化というのは、文化的総都市化にほかなりません。言葉はその象徴と言えるでしょう。その土地の生活に根ざした言葉はどんどん使われなくなり、都市のために製造された近代的な人工語がそれに取って代わります。
 そこには全く「生活感」はありません。手作業で田植えをしていた時の道具が古い納屋に放置されているかのように、古い秋田弁も農村部の古老の間にひっそりと残されているだけです。
 私が初めて家内の実家を訪れた12年ほど前と比べても、町の中で聞く秋田弁が減ったと感じます。若者もずいぶんときれいな標準語をしゃべるようになりました。郊外の大型店舗に行けば、その店舗のたたずまいと同様に、どの店員さんも東京となんら変らない言葉で出迎えてくれます。
 単に私が秋田弁に慣れてきたというのもあるかもしれませんが、あの頃のアウェー感はずいぶんと低減してしまいました。
 この秋田弁の危機については、自称4世代ネイティヴ(ひいおばあちゃんの代の秋田弁までマスターしている)のウチのカミさんも強く感じているようでして、今回は彼女の提案もあって、様々な「じいちゃん」「ばあちゃん」の会話をiPhoneの録音機能でサンプリングしてきました。結果として親戚のお年寄り10名ほどの会話を数時間に亘って録音することができました。
 その言葉たちは、それはそれは深い味わいのあるものでした。正直、私は話の内容は半分くらいしか解らなかったのですが、それでもその美しい響きには十分に魅せられました。そして、カミさんも、またカミさんの両親も初めて聞くというような昔話の数々…それはまさに自然とともに生きていた、自然に生かされていた頃の話なのですが…は、まさに私にとっては「モノガタリ」そのもの。大変興味深く、また感動的でありました。
 機械化される以前の田植えの流儀。馬や牛との生活。部落内に何人もいる「神おろし」。出稼ぎの話。戦争の話。疎開の話。
 そうそう、驚いたのは、カミさんの母方の「ばあちゃん」は勤労疎開でなんと富士吉田に来ていたということ!その話は今まで誰も聞いたことがなかったようで、突然登場した「ふじよしだ」という言葉と、私の職場近くの光景の描写に、思わず鳥肌が立ってしまいました。不思議な縁です。そう言えば、本家の「とうさん」も、出稼ぎで中央道の富士五湖線の建設に携わっており、富士吉田で生活していたとのこと。いくらなんでもピンポイントすぎですよね。お二人とも、自分の孫や親戚の娘がそこに住むようになるとは夢にも思わなかったことでしょうね。
 あと面白かったのは、その母方の「ばあちゃん」、すなわち土方巽の「鎌鼬の里」に住む「天神堂のばあちゃん」のそのまたひいおばあちゃんは、黒川の出身で瞽女のような仕事をしていて流れ着いたという話。黒川の瞽女と言えば、こちらで紹介した小林ハルさんのことが記憶にありましたから、それはまあ驚きの事実でありました。ばあちゃんが踊りが得意で、かあさんやその娘(カミさん)が異様に歌好きで、人前で歌うことに関して全く抵抗がないというのも、実はこういうルーツがあるからなのだと、妙に納得されてしまったのでした。
 まあ、このように貴重な話が聞けるだけでも十分に幸せなことなのですが、やはりなんと言っても美しい近代化されていない古来の日本語の響きを聴くことができるというのは素晴らしいことです。やはりこうして録音して残しておくというのも大切なことかもしれませんね。
 ああ、そうだ。これは「秋田弁」でも「言葉」でもないのかもしれませんが、私が初めて「本家」を尋ねた時の、あの「かあさん」の「呼び声」は忘れられません。あれも録音しておきたいなあ。その時、「とうさん」は山へ仕事に行っていました。山と言っても裏山とかそういうことではなく、けっこう離れたところで山仕事していたんですね。そこに突然の来客。今なら携帯電話で「お客さんだから帰ってきて」と言うところでしょうが、DoCoMoも圏外の山奥ではそんなこともできません。というより、そんな必要はありません。「かあさん」はさりげなく玄関先に出て、そして虚空に向かって「ホ〜〜!」と一声あげました。その声というか、超音波というか、あれはもう絶対に忘れられません。それから20分ほどして「とうさん」は帰ってきました。
 ああ、これが「与作」の「女房が呼んでいる ホーホー」というやつなんだ!
 これはある意味圏外も電池切れもない、究極の通信手段ですよ。縄文時代、いや旧石器時代、いや動物時代からの智恵であります。いやあ、あの声、いやいやあの音忘れられません。
 これから秋田に行く度にいろいろとサンプリングしてきたいと思います。そして、明日さっそく授業で使おうっと。

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2010.05.04

羽後町〜横手市探訪

 日はカミさんの生まれ育った羽後町軽井沢付近を散策して、東由利を通って横手市へ。家族は買い物、私は敬愛する建築家白井晟一の幻の名作「横手興生病院」の「面影」を見に行ってきました。
 とりあえず数枚の写真を載せておきます。また後日記事にします。

↓羽後町と言えば「萌え」(笑)。ここがウワサのJAうご。土方巽の「生家」もすぐ近くです。
Uni_4276

↓桜色と萌葱色の対比が美しい。
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↓有名な棚田と里山。田植えはこれから。
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↓白井流「はちのす」だけが残っていました。
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 夜は秋田流農作業講座。ものすごく勉強になりました。プロレスにも能にも舞踏にも通ずる様々な奥義。体が、動きが自然に合わせて変化していく!芸術の原点は農業にあり!?

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2010.05.03

真人公園でお花見

Img_0575 「んごの唄」ゆかりの地、増田町の真人(まと)公園でお花見をしました。桜の名所100選にも選ばれているというこの公園の桜は、今まさに満開。陽気もよく最高でした。
 この花見は祝いの宴でした。義父が「新しい横手市民歌」の歌詞の公募に応募し、見事最優秀に選ばれ実際に採用されることになったのです(公式発表はこちら)。
 いろいろと面白い文化的考察もしてまいりましたし、ネイティヴの秋田弁をサンプリングしたりしましたので、またこれものちほどしっかり書きます。

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2010.05.02

不二草紙6周年記念「東北マジカル・ミステリー・ツアー」

Uni_4128 は今日で「不二草紙本日のおススメ」は6歳になりました。
 三日坊主で有名だったエセ坊主が、6年坊主にまで成長できましたのは、読者の皆さまのおかげです。ありがとうございます。
 ま、そんなわけで自分自身の努力の賜物ではないのですが、いちおう筆者の日頃の修行(?)の労をねぎらいまして、今日は自分で自分にネタのプレゼントをいたしました。
 「みちのく一人旅・東北あやしいスポット再訪」
 家族も誘ったんですが、にべもなく「行かない」とのこと。ま、たしかに子どもにはマニアックすぎるかな。
 というわけで、私はひとり車で、秋田、岩手、青森の不思議スポットを回りました。
 天台寺長慶天皇墓、キリスト&イスキリの墓、十和田湖、大湯ストーンサークル…それぞれ15年ぶりくらいになります。
 いろいろ語り出すとキリがなくなるネタ満載の旅。ああ楽しかった。また後日ゆっくり記事にします。やっばり東北は面白い!いろいろ(アヤシイものも含めて)パワーをいただきましたよ。二日で1400キロも運転したんですが、全然疲れてません!
 たくさん写真撮ってきましたが、とりあえず一つだけ。やっぱりキリストじゃなくてイスキリの墓!これに関しては、カミさんがとんでもない情報を持っているんです。本人は知らずに「イスキリ」を信仰していた…!?それについてもまた後日書きます。では。

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2010.05.01

秋田に到着

02_9_29_06_2 事を終えて夕方富士山を出発。8時間かからず、今日のうちに横手市にある家内の実家に到着しました。今までで一番短時間で着いたかも。
 写真は、富士山から連れてきた下半身不随猫ミーちゃんと、実家の猫チャペちゃんが久々に再会し、挨拶代わりのネコパンチの応酬をしているところです。
 記事はあとでゆっくり書きます。

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