自由とは「偶然性」の洞察である(?)
自由とは「必然性」の洞察である…昨日見逃したPRIME NEWSを、例の通り公式サイトのハイライトムービーで観ていましたら、この言葉が出てきました。
ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さんが「日本の科学と教育」について語っていたんです。益川さん、いわゆる天才タイプですから、昨日の話ではないけれども、やっぱり「益川言語」があって面白かった。ある種の「ぶっとび」ですね。益川さん自身も言っていました。最近は「はちゃめちゃ」な学生が減ったと。それはすなわち「天才」が減ったことだと。それはなんとなく分かりますね。高校生でもそうですから。
平成になって、極端に「バカ田大学」のセンセーやガクセーが減りましたよね。みんなある意味優等生になってしまった。こういう時代には変革はありえません。そして、世の中全体が停滞します。パワーを失って皆がウチにこもり、愚痴っぽくなります。「これでいいのだ!」と言って、善も悪も肯定してしまうことができなくなります。今、そんな感じですよね。
そんな実情を作ったのは、益川さんのおっしゃるように、「教育」でしょう。「教育汚染」が進んでいると。そのとおりです。私も高校生には「分からない問題があったら飛ばせ!」と教えていましたから。
そんな反省も含めて、中学では「分からない問題にも食いつけ!」と教えています。たしかに人生は、初見で未知の問題との格闘していくことにほかなりません。その連続です。ワタクシ流に言うなら、「コト」よりも「モノ」の連続だということです。随意なんてほとんどなくて、不随意ばかり。
益川さんは…というより、ヘーゲルは…というか、この言葉を書き残したのはエンゲルスなんですよね。エンゲルスがヘーゲルの言ったことを自著で引用して、それをまた益川さんが引用したということです。で、ヘーゲルは、その「モノ」を「コト」にしていくのが、「自由」であると説いた。もちろん、そんな「モノ・コト論」で言ったわけではありませんが、とにかく、学問によって対象を支配してコントロールすれば、我々は自由を獲得できると言ったわけです(たぶん)。
益川さんは、それをこんなふうに説明していましたね。二つのレバーがある。片方のレバーを引くと百万円が出てくる。もう片方を引くと青酸ガスが出てくる。さあ、ご自由にお引きください。この時、「科学的知識」があれば、当然引くべきレバーは決まってきます。そうした、知識に則った選択のことを「自由」というのだと。知識がなければ単なる「偶然性」であると。そして、その「自由」の獲得に資するのが「科学」のあるべき姿だと。こんなようなことをおっしゃっていました。
なるほど面白い喩えですね。ま、禅を勉強している私からしますと、そんな「自由」論も、いかにも近代西洋的な「不自由」に取り憑かれた方便にしか聞こえませんが、ただ、たしかに学校での教育、学問、勉強というものは、多分にヘーゲル的な目的意識を持っているのも事実ですよね。私なんか、本当は「勉強を極めて、そしてその空しさを諦観し、真の自由を獲得せよ!」とか言いたいところですが、そんなことを言っても、生徒は解りませんし、まじでそんなことを標榜していたら、そのうち学校もつぶれちゃうでしょう(笑)。
だからいいんです。ヘーゲルやエンゲルスや益川さんのような考え方で。それを極めた先に何があるか、何を見つけるべきかは、そこまで行った人でないと分かりませんからね。全然そんなところまで行っていない私がとやかく言う問題ではありません。
とりあえず行ってみる価値はあるのでしょう。いや、ペレリマンみたいになっちゃうのも困るか(笑)。
いや実は、必然性を洞察していくと、結局偶然性の宇宙に放り出されてしまうのではないでしょうか。そこで、私達は自分たちが「コト」化(随意化)の煩悩にとらわれていたことに気づき、そこから初めて解放されて、お釈迦様の唱えた「自由」を得ることができるのかもしれませんね。
だから、私はあえてこう言いましょう。
「自由とは偶然性の洞察である!…これでいいのだ!」
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コメント
こんばんは、自由って好き勝手やる事とは違いますよね
でも空間を限定してしまっているようで、それは不自由ってことか?
と悩んでしまいます
レバーは両方引いていいでしょうか
自分だったらガスマスクして
両方のレバーを引きます
正解はなんなんでしょうか・・・
投稿: 7740 | 2010.04.25 23:17
7740さん、コメントありがとうございます。
そう、よく考えるとここでの自由というのは難しいですね。
もし、どちらが青酸ガスか分からなければ、レバーを引かないという自由もありえますしね。
ま、ワタクシ的な正解は、「百万円」と「命」、どちらにも執着しないのが、一番の自由だと思います。
そうすると、まさに科学なんて無駄で邪魔なものになってしまうのですが(苦笑)。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.04.27 14:58