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2010.04.20

『佐山原理 新生武士道真陰』 初代タイガーマスク佐山サトル (東邦出版)

君に不動心を植えつけよう
80940850 変卑近な例で申し訳ないし、ちょっと自慢が入っているところが鼻持ちなりませんが(苦笑)、昨日の記事からの流れもあるので、まずは今日の出来事から。
 中学の現在の役職になって3週間が経ちました。毎日が自他の発見であり、自他との格闘です。しかし、そんな中、ちょっと懐かしく、ある意味落ち着く授業があります。それは高校3年生に対する受験国語の指導の時間です。ううむ、人間というのは、5年でこれほども変ってしまうのか(笑)。
 中学1年生の純粋さと、高校3年生のある種の達観。透明で壊れそうな魂と接するのもいいものですが、たまには自分と同じくらいタフになり、ある意味色のついた(濁った?)魂との交流に安堵するのも事実です。ま、簡単に言えば、言いたいことバンバン言えるわけです。彼らはある意味「自己を捨て」ている部分があるからでしょうね。もちろん、禅や仁侠レベルではありませんけど。単なる「自虐」とも言えるか(笑)。
 その流れで、放課後高校生とボウリングをすることになりました。特進コース恒例の新入生歓迎ボウリング大会に招待されたのです。
 私自身、1年ぶりのボウリングでしたので、最初は今一つ体も心も言うことを聞かず苦労しました。しかし、いちおうボウリングでは高校生には負けたくないという気持ちからか、ある意味大人げなく、だんだん真剣モードに入っていきました。
 2ゲーム目(つまり最後のゲーム)は最初の2フレームこそオープンでしたが、そこから気持ちを立て直し、なんとか6フレまでノーミスで来ました。隣の高校生は4連続ストライクなど出し、私よりかなりいい点を取っています。
 ここで私は、この初代タイガーマスク佐山聡さんの本を思い出したんです。「不動心」。
 ボウリングって、ほとんど自分の心との闘いじゃないですか。動揺したり、緊張したりしたら、まずダメです。で、昨日の「親分」の話なんかも思い出し、自分自身に対して肚を据えて勝負してみようと思ったんです。
 今までの私だったら、途中まで調子が良ければ良いほど、後半崩れる傾向があったんですけど、今日はなんというか、自分もこの歳になったし、いろいろな意味で立場も変ったので、実質的に自己改革していきたいなという、まあある種の欲気でもあるんですけど、そういうものがふつふつと沸いてきたような気がしたんですね。
 で、決めました。7フレームから命がけでやろうと。全部ストライク取ってやる!という目標や夢さえも捨てて、ただただ、「ボウリングになりきる」。
 つまり、佐山さんの言う「無波フィルター」を自分にかけてみたんです。「無波フィルター」とは「観念フィルターを武士道的無意識によって強化したもの」で、一種の自己催眠誘導です。あやしいと思わないでください(笑)。ただただ呼吸を整え、自分の心の波を抑えるイメージをして投げただけですよ。
20100421_64001 そうしたら、結果はこれです!最終フレームなんか、もう私以外のみんなはゲームが終了していたので、総勢30人くらいに固唾を飲んで観られていたわけです。今までの私だったら、絶対コケてましたよ。間違いなく。
 いやあ、だから、最後パンチアウトできた瞬間は、「佐山さん、ありがとう!!」と心の中で叫んでしまいました(笑)。
 と、たかがボウリングではありますが、こうして自分の動揺や緊張の波を初めて抑えられたことに、自分自身ちょっと感動してしまいました。おお、オレもようやくこういう境地になってきたかと。
 たしかに、最近コンサートに出る時も、昔ほど緊張しなくなりましたし、人前でしゃべったりする時も、かなり落ち着いていられるようになりました。ま、単に経験を積んだ(積みすぎた?)というのもあるでしょう。しかし、たしかにテクニックとしての、自己暗示というか、自己催眠というか、「無の境地」へ自分を連れていくみたいなこと(おそらく真似事でしょうけど)が多少できるようになった気がします。
 そういう自分を体験すると、いかなる難事や想定外のことに遭遇しても、どこか「安心立命」でいられるような気がしますね。これがもしかして「武士道」の精神状態の入り口なのかもしれません。ま、まだまだ「命」への執着は捨てられませんが…。
 と、このような実践的、実戦的な効果を発揮してくれた佐山さんのこの本。なかなかすごい出来になっています。天才の言葉は常に「ぶっとんでいます」。長嶋言語やイチロー言語がそうであるように、この佐山言語は、もしかすると常人には理解できない部分があるかもしれません。なにしろ、世の中の意味論や文法論を無視しているところさえありますから(笑)。
 「はじめに」の冒頭の文を引用します。

 刃先まで僅か七十数センチの日本刀。この命をかける真剣の間(ま)が、私たちに日本人の繊細な心に関与してきました。
 恐怖と不動心と礼儀、千年にわたる刀の文化は、今私達に何を語りかけようとしているのでしょうか?

 佐山さんは、その「間」を制御することによって、真実を見よう試みます。それこそが「佐山原理」です。そして、「侍のような強い軸のある不動心をこの国に復活させたい」と言います。
 その後、武士道論、大東亜戦争論、脳科学、生理学、プロレス論、自己催眠術、そして実戦的な格闘技術にいたるまで、まあ、かなり「ぶっとんだ」ことになっていきます。付属しているDVDもまた、実に不思議な味わいがあります。
 しかし、たしかに「佐山原理」は私を変えました。ボウリング次元のことではありますが、たしかに効果がありました。天才の力は、「言葉」や「常識」を超えるということでしょうか。
 今年は佐山さんにも直接お会いしていろいろお話を聞きたいと考えています。甘党だけれど左党ではない(笑)佐山さんへの手土産は、山梨の「黒玉」と、そして…。今から非常に楽しみです。

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