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2010.04.16

BUMP OF CHICKEN  『HAPPY』

 ンプの新曲を聴きました。シンプルだけれど疾走感と爽快感ある演奏はいつもどおり彼ららしい。ただ、彼らも31歳の年回りですから、それなりに大人になったかなという印象も持ちました。Happy Birthday というのは、藤原くん自身への祝福なのでしょうか。彼、4月が誕生日ですよね。
 音楽的には、今回の曲は特に新しさというものはないとも言えます。いつもながらの藤原節ではあります。サブドミナント指向の強い、つまりゴスペルチックなコード進行、そして浮遊感のあるメロディー。アーメン終止。
 ただし、Cメロ(サビ)への短三度転調(バロック・チューニングなので、実質的にA→C)は、90年代くらいから使い古された感があります(ジャニーズなどでもよく聞かれます)。私なんかだと、いじわるというか、性格悪く「ああ、またか」と思ってしまいます。これは別に非難というわけではないのですが、その転調にどういう意味があるのか、理解できないこともよくあるのです。
 まあ、この曲の場合、藤原くんらしい哲学的な、あるいは逆説的な、歌詞の重要部分に対する注意喚起という効果を考えてのことでしょうから、私が素直に聴けばいいだけですけれど(笑)。
 そう、その逆説的な歌詞ですが、言ってしまえば「何がHAPPYなのか!?」という、藤原くんらしい禅問答のような言葉が並んでいますね。彼の歌詞はいつも饒舌です。詩というよりも物語とでも言いましょうか。
 禅問答と書きましたが、実際のところ、彼の「愛」の表現はとってもキリスト教的なんですよ。はじめに言葉ありき。
 そうですね、分かりやすく、私がよく聴いている同年代のバンド、なぜかそれぞれ微妙にご縁をいただいている三つのバンドを比較してみましょうか。それぞれの「愛」の表現方法が違います。
 「愛」というのは結局、ジョン・レノンが言っているように「愛されたいと望むこと」であって、たぶん「自己愛」「愛されたい欲望」「孤独感」と同義だと思います。それを前提に考えてください。
 フジファブリックの志村正彦くんは、それをそのまま「欲望」としてストレートに表現するタイプです。解決策を作り上げるのではなく、その孤独感や欲望を直視し、それらと真正面から対峙します。そこが彼の魅力であり、強さだと思います。
 レミオロメンの藤巻亮太くんは、恋人や家族、友人といったリアルな人間関係の中に、そうした「愛」の充足を求め、いや、事実「愛」を感じて歌を紡ぐタイプです。その実感に根ざした幸福感が、個人に内在する孤独感に勝っているのです。それが、ある種の安心感を与える要因となっています。これもまた言葉と音楽の魅力の一つですね。
 そして、バンプの藤原基央くんはどうかといいますと、彼は不特定多数の誰か、あるいはみんなと一緒に、その孤独や恐怖や欲望と闘っていこうと標榜します。それはある意味「共同幻想」によって個人を克服していく、近代ヨーロッパ的な感じもします。非常にキリスト教的です。彼らのライヴに参戦…いや、参拝(?)してみて、それを強く感じました。そこが、ある人々には、一種の「偽善」に感じられるかもしれません。生徒の中にも、「気持ち悪い」と言って拒否する者がけっこういたりしますね(笑)。
 私は、志村くんの仏教の修行僧のような「愛」も、藤巻くんの神道的な母性を感じる「愛」も、また藤原くんのようなキリスト教的な父性の「愛」も全部理解できますし、好きですし、必要だと思いますから、別にどれが一番ということはありません。私にもいろいろな側面があり、局面があります。それぞれでそれぞれに感動し、励まされているのです。
 面白いのは、そうした「言葉」による「愛」の表現と、音楽自身とが実に密接に関係し合っているということですね。彼らは全て、その言葉に最もふさわしい曲を書きます。そうした事実こそが、私には「コトの葉」と「モノの音(ね)」のコラボレーションそのものに感じられ、「歌」の原点を思い出させてくれる機会となるのでした。
 言葉と音楽の波動が共鳴したとき、こういう力のある、聴く人の人生を動かすような「歌」が生まれるのですね。そういう意味で、バンプもいい仕事をしていると思いますよ。西洋近代音楽が忘れてしまった「歌」の精神を、彼らはしっかり継いでいます。
 あっそうだ。肝心なことを書くのを忘れていました。
 何がHAPPYなのか!?…
 これは、「これほど容易く日は昇る」ということでしょう。私たちがいろいろ悩んだりギクシャクしたりしても、自然はいつもスムーズにその役割を果たしていて、そして幸福なのです。それに気づけば、私たちの日常もまたHAPPYになることでしょう。

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コメント

こんにちは。来ましたね、藤原節!そしてベース好きには嬉しい一曲です。

3つのバンドを用いた「愛」の比較論、とても興味深かったです。私は不真面目なクリスチャンなので、「共同幻想」、よくわかります。(笑)プロテスタントのような熱さもあり、カソリックのような突き放した冷静さもあるような…。確かに父性ですね。

ただ「どうせいつかは終わる旅」はストレートに受け取ると、永遠の命がなんたらと謳うキリスト教からは外れるので、そこは都合のいいように解釈しちゃってますが。(笑)

雑誌で読みましたが、この曲は一昨年の秋前後にできたそうで、藤原さんの誕生日にニアミスしてるのはたまたまだそうです。

余談ですが…、私、先月身延山に行ったんです。強行軍だったので他に観光できなかったのですが、湯本温泉には行きました!生憎のお天気で、富士山の全貌は見れなかったのが残念です。あ、山梨名産ほうとう、美味しかったですよ。(笑)今度はゆっくり、レミオ目的で行きたいです!


投稿: mio | 2010.04.17 19:35

mioさん、コメントありがとうございました。
なんでバンプってこんなにキリスト教的なんでしょうね。
「どうせいつか終わる旅」というのも、永遠の命からすれば、現世の営みなんて「どうせ」レベルですからね。
旅だけが人生じゃないってことでしょう。
身延山にいらしたんですか。
今度はぜひ、レミオの旅、フジファの旅をどうぞ。
山梨は狭いので、一日で全部回れちゃいますよ。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.04.19 18:09

はじめましてこんにちは。
わたしはクリスチャンで、BUMPの曲をクリスチャンとして聴いています。ちなみに、聴き始めたころ、好きになった頃は信仰は持っていませんでした。なので、以前はすごい言っている事に共感していましたが、今聴くと、こんな風に人生を捉えているのか、それってきっと寂しいな、きっと心細いな、と思います。
だってわたしたちにとっては、神様こそが終わりのない喜びですから。「誰に祈って救われる」とか「どうせいつか終わる旅」とか、それらは彼がいろいろ感じながら一生懸命人生を歩んできて辿り着いた思いの境地なのでしょうけど、すごく寂しく響きます。
でも、そんな風に同じような消えない悲しみ、痛みを心に抱えた多くの人にとって、彼はその歌詞、曲によって救いの手を差し伸べているな、という印象はあります。だから、キリスト教的というよりか、なんていうかひとつの宗教のようなものに感じます。
新曲「宇宙飛行士の手紙」にも、「そしていつか星になってまた一人になるから」という歌詞がありますが、それもとても寂しいなと思います。自分が死んでしまったら一人、もしくは、大切な人を亡くしたらまた一人に戻る、なのですから。
でも、以前の、飴玉の唄、カルマ、Merry Christmasなどからも、「神様」の存在、「キリスト教」の存在はちらほらと感じられますね。飴玉の唄に関しては、「見えなければ死ななければ」で神様を指しているようにも捉えられますが、その直後の「だけどそんなの君じゃないよ」で、大事なのは神様じゃなくて「君」だって解釈もできると思います。だから、わたしは藤君の作る歌詞、歌っていることはやっぱりキリスト教的ではないのかな、と思います。先ほどの死生観のことや、彼自身が同じ孤独を味わう人に「救いの手」を差し伸べているように感じられることなどからも。
でも実際、わたしは彼の作る曲、大好きです。自分の信じているものとは合致しない部分もありますが、そういう部分は「こういう考え方もあるんだな」と、客観的に見ています。本当に藤原基央という一人の人間の哲学というような感じがして、すごいな、と思います。実際、そんな彼の歌詞・曲に、多くの人が共鳴を覚えているのは事実でしょうし、それだけ人の共感を得られるというのも、とてもすばらしいことだと思います。
好き勝手にいろいろと述べさせていただきましたが、どのように感じられましたでしょうか?私自身クリスチャンであるという観点から一方的に指摘させていただきましたので、ブログ主様の意に反する発言もあるかもしれませんが、20そこそこの若者の意見と思って聞き流していただければ幸いです。長々と失礼いたしました。

投稿: Laurita | 2010.09.27 01:32

Lauritaさん、貴重なコメントありがとうございました。
非常に興味深く拝読いたしました。
たしかに藤くんの歌詞には孤独感や諦観がありますよね。
いちおうキリスト教のこともある程度理解していると自負しているつもりですが、そうしたある種現実的(現世的)なマイナス感情の共有をスタート点にしているところにこそ、私はキリスト教的なものを見ます。
そういう意味ではLauritaさんのご指摘は実に正鵠を射ていると思いますよ。
信仰の原点には必ずそうした人間の弱さや孤独感があると思います。
それを無視して、ただ結果のみを求めるのは信仰とは言えませんよね。
いわゆる「契約」もそうした負と正の交換を基礎していると思います。
その原点をしっかり見据えて、さらに「共同」と「物語」でそれを乗り超えようとするところに、私はキリスト教の価値やBUMPの音楽の価値を見ます。
「神の言葉」は人間界では「翻訳」せねば分かりようがありませんから、たとえば「聖書」の言葉にしても、「永遠の命」にしても、バッハの音楽にしても、藤くんの歌詞にしても、それをもってウソだとか、そういうふうには言えませんよね。
基準をどこに置くか、どんな「目」や「耳」でそれらをとらえるかという選択的な問題なだけです(たぶん)。
なんて、アヤシイ話になりそうなので、このへんでおしまいにします(笑)。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.09.27 18:16

こんにちは。
初めて拝見させていただきました。
とっても興味深くて…

授業でお話しされたとは、先生なのでしょうか?
BUMPにどっぷりはまってしまってから1年ほどですが
こんなに分析されてるかたがいらっしゃるとは。
驚愕でした。
志村さんのことも、亡くなってから知って、
いろんな音楽を聴きましたが、とても好きです。

私も、BUMPのみなさんと同級生ですが
文章が拙いので大したこと書けませんが…
とにかく、BUMPの曲には元気づけられています。

突然失礼しました。

投稿: たえっこ | 2011.03.01 15:24

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