« 『日本人の知らない日本語2』 蛇蔵&海野凪子 (メディアファクトリー) | トップページ | 満員御礼!「古典派の変容」 »

2010.03.06

石川台中学校同窓会

08_7_57_03_2 んと30年ぶりの再会。このタイミングでこの会が開催されたことに運命を感じます。
 いやあ、中学校って大切ですね。この4月から中学を開校するにあたり、本当に素晴らしい勉強の機会をいただきました。感謝です。
 東京都大田区立石川台中学校昭和55年卒業…私は、1年生の末に父の転勤に伴い静岡に転校となってしまったので、この中学には1年間しかいませんでした。しかし、この1年間というもの、明らかに今までの45年間に及ぶ人生の中でのピークでした。
 中学1年がピークというのもおかしな話ですが、これはおそらく私の両親なども認めるところでありましょう。
 本当に楽しい、いい思い出しかありません。勉強にスポーツに音楽に恋愛にと、非常に充実した時間を送らせていただきました。
 そんな時間を共有した仲間たちにこうして再会できるなんて、本当に思いもよらないことでした。そう、私は転出生なので、そういったクラス会などのお誘いはないと思っていたからです。
 それがこうして幸運にも呼んでいただき、そして、皆さんと再び交わることができるなんて、本当にありがたいことでした。
 今回の一つの結論。「男は中学時代のまま大人になる」。本当にみんなあの当時の面影のままでした。そして、今の仕事の内容や仕事ぶりを聞くと、「なるほど!やっぱり!」というのがほとんど。ある意味予想通り、イメージ通りの人生を歩んでいる。
 そう、それほど中学時代に培った(それも私が知っているのは彼らの1年生の時だけですからね)私たちの「キャラクター」「アイデンティティー」というのは重要なのでしょう。もちろん、小学校時代も含めた様々な要素があるでしょうし、その後の高校、大学での経験というのも大切でしょうが、やはり、中学時代に築いた基盤というのが重要なんだなと実感しました。
 もう1ヶ月後にはその中学1年生を教える立場になるわけです。本当に今日は最も大切なことを学ばせていただく機会となりましたよ。本当に良かった。運命的ですね。
 さて、私自身のことも確認しました。ある意味忘れていたことでもあります。当時の(つまり人生ピークの)私を、みんなはどういう目で見ていたのか。そして、今のこの「教師」という仕事については、どう感じるのか…。
 これがまた、実に面白かったんですよね。ま、人生ピークだなんて自分で言うくらいですから、勉強はけっこうできた方だと思います。あの中学は地域柄非常に学力が高い学校だったのですが、その中でもかなり目立っていた存在だったと思います(過去の栄光)。ですから、私がその後転落の人生(?)を歩み、地方の弱小公立大学に行ったのは、正直意外だったようです。
 そして、「先生」という仕事については、「転職だね」「やっぱり」と言う人が多かった。なんとなくそういうイメージがあったんでしょうか。
 今日は当時の担任の先生方もいらっしゃってました。皆さん、もうすでにアラエイティーでいらっしゃるわけですが、本当にお元気で矍鑠とされており、そして皆さん口を揃えて「先生はいいよ。今こうして若々しくいられるのも先生だったからかな」とおっしゃっておりました。同業者としてうれしいお言葉ですよね。
 ちなみに今日集まった人たちは、ほとんど全ての人があの大村はま先生の授業を受けています。しかし、意外に印象に残っていないんだよなあ…。ま、私も、恐れ多くも同業者になってみて、それで初めて大村先生の偉大さ、神っぷりを体感しているわけで、たしかに授業の細部というか、いわゆる単元の内容はほとんど覚えていません。いろいろな会話や風景は焼き付いているんですが。まあ、たぶん、大村先生のような授業は、知識を身につけるだけのものではありませんから、みんなの、それこそ「基盤」の部分にインストールされているのでしょうね。まさに「仏様の指」です。
 それから「私」についての思い出と言いますと、みんなが「星」のことを挙げました。なるほど、たしかに天文マニアだったので、よく友だちに天体望遠鏡で星を見せていました。最近は星を見上げることもすっかり減ってしまいましたが、たしかに、星が見える所を求めて転居を繰り返し、そしてしまいには富士山に住むようになってしまったのですから、やはりあの頃に縛られているのかもしれないなあ…。
 そして音楽。これはELO(エレクトリック・ライト・オーケストラ)です。これもかなり人に押しつけていたようです(笑)。で、今日会った数人に、いまだにそこから抜け出せないというようなことを言われました。むむむ、30年に及ぶ「呪縛」か(笑)。いやあ、結構変なところで影響力があったんですね。
 いや、これもまた考えてみるとですね、私もかなり縛られていますよ。ちょうど明日東京でコンサートをやるわけですが、私がヴァイオリンを始めたのはもちろんELOの影響です。実際のところ、私は中学2年の時、すなわち静岡に転校してからヴァイオリンを始めましたので、ちょうどそれについては、彼らの記憶にはないわけです。しかし、説明すれば納得するわけですよね。ある意味「ああ、やっぱり」「なるほどね」ということになるわけです。
 それから、けっこう自分では意外だったのが、「一見まじめだけど、スケベだった」というご意見です(笑)。なんか、いろんな人に言われたぞ。妙にそっちの知識に詳しかったとか…。おいおい、そんな記憶はないけど(笑)。でも、どうもあれだけの人に言われるということは、実際「博士」だったらしい。これもある意味今でも続いている…いやいや、今では普通だと思いますが(汗)。
 と、こんな具合で、他者に対しても自己に対しても、いろいろなことを勉強させていただきました。それ以前にとにかく楽しくて飲みすぎました。
 あっ、ちなみに女性たちですが、これは正直いろいろでして、う〜む、あまり分析(?)している余裕もありませんでした。ただ、まあ30年前の「切ない思い出」がいろいろとよみがえった…かな(笑)。それもまた中学時代の大切な何かでしょう。
 いずれにせよ、今回の再会から、また新しい縁も生まれることでしょうね。お互い社会である程度重要なポジションになってきていますから、コラボすると面白いものが生まれるかもしれません。
 それにしても、オレってどこで「転落」し始めたのかなあ…そっちにも興味が湧いてきました。転落の地が「静岡」であることはたしかなのですが、いったいどういう要因で、どういう過程を経て、たった5年やそこらで(特に勉強において)転落していったのか、それを自分を対象に研究してみたくなりました。マジで。これこそ私の今の仕事にとって重要なことのような気がします。
 ま、とにかく本当に素晴らしい機会をありがとうございました。幹事の皆様ありがとうございました。またすぐにでも再会したいものです。

不二草紙に戻る

|

« 『日本人の知らない日本語2』 蛇蔵&海野凪子 (メディアファクトリー) | トップページ | 満員御礼!「古典派の変容」 »

旅行・地域」カテゴリの記事

教育」カテゴリの記事

コメント

アタシにとっても先生は大村先生みたいだよー。
授業内容全く覚えてないけど、風景とか雑学はかなりはっきり覚えてるからー。

そうそう、先生のアパート行った時、枕元にあったもの見て、竹が言ってた。
先生、筆使ってそーって。

エロイと思ってたよ。

投稿: カオル | 2010.03.08 23:47

カヲル〜!
勝手に人のアパートに侵入するなよ!ww
そんなこともあったね。
ノリなんかトイレ使ったんじゃなかったっけ?
それにしても、「筆」とは…ワケ分からんww
そんな独身時代のこと掘り返すなって!

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.03.09 10:17

はじめまして。教育界の端っこにおります、くん太と申します。mixiでは何度か足跡を付けては逃げておりました。

このブログにたどり着いたのは確か昨年末で、志村君の足跡を探してネットを彷徨っていた末の漂着でした。フジの話はもちろんのこと、それ以外のお話も興味深く拝見させていただいています。

もう22年も前になりますが、教育大の合格を報告に行った春休みの職員室で、当時、小論文の添削をしてくださっていた若い先生から、「あなたにこれをあげましょう」と頂いたのが、大村はま先生の「教えるということ」という本でした。不純な動機で目指した教育学部でしたから(あ、犯罪に結びつくようなことではないですよ。)、いざ進学するとなってもどこか心は揺れていました。でもこの本を繰り返して読むうちに、「この道を行くのだ」と腹が据わってきたように思います。

中でもやはり「仏様の指」の印象が強いですね。現場に出てからも、何かにつけ思い出される話です。そしてその度に、戻るべきところへ私を戻してくれる話です。

大村先生の授業を受けられていたとは、うらやましいです。でも、映像や活字でしか知ることはありませんでしたが、私に進む道を示し、その道を照らしてくれた、大村先生は私にとっても「師」でありました。

投稿: くん太 | 2010.03.11 17:15

くん太さん、こんばんは。
コメントありがとうございます!

そうですか、くん太さんも大村先生の指に背中を押されましたか。
「教えるということ」、まさにバイブルですね。
今度できる中学の教員に配ろうと思っています。

それしても、志村くんがこのようなご縁を作ってくれたわけですね。
本当に彼にはいろいろな面で感謝です。
自分には、大村はま先生のことも志村くんのことも後世に伝えていく義務があると思っています。
今後ともよろしくお願いしますね!

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.03.11 20:53

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 石川台中学校同窓会:

« 『日本人の知らない日本語2』 蛇蔵&海野凪子 (メディアファクトリー) | トップページ | 満員御礼!「古典派の変容」 »