土方巽「病める舞姫」を秋田弁で朗読する…米山九日生少年に捧ぐ
「ずるい!」…これを言ってしまうと、ある意味全てが終わりになってしまいます。特に土方巽の「研究」をされている方々にとっては。
しかし、やはり今回も、ウチのカミさんは開口一番「ずるい、おめ、シティボーイでねえが」と言いました。私はその意味が、最近になって、半分くらい解るようになってきました。だからこそ、あえて「研究者」の側に立ちたいとも思いますし、逆にカミさんのような「研究以前」「学問以前」の土方像にも興味を持っています…なんていう、私が一番「ずるい」のかもしれません(笑)。その話はのちほど。
さあ、昨日、私が残念ながら参加を断念したこのイベント。大雪の中、強行軍で参戦したカミさんは、土方を「ずるい」と言ったバチでも当たったのか、帰りに大雪の富士山でプチ遭難し、結局帰宅できませんでした。
そんなわけで、今日じっくり報告を受けましたので、私なりにそれらを解釈して書いてみたいと思います。
さあ、まずはこのイベントの説明をしなくてはなりませんね。この朗読会は、以前私も 「土方巽 絶後の身体」出版記念パーティーでお会いしたことのある、慶応大学アートセンター・土方巽アーカイヴの森下隆先生が企画した、ある意味「無謀な」試みであります。「病める舞姫」を秋田弁で語る…「無謀な」というのはもちろん批判的な意味ではありません。非常に勇気のいる、しかしだからこそ意味のある、また一方で危険性もあるという意味です。
秋田出身の土方巽が、彼の原体験を標準語で口述したものを、基本秋田弁ネイティヴでない人が秋田弁で語るという、まあ、あまりに多重で錯綜したフィクションの世界なのです。ここに勇気のいらないわけがありませんよね。
そして、それを秋田弁ネイティヴ、それも自称「四世代秋田弁ネイティヴ」、土方の本家および鎌鼬撮影地のすぐ近くで生まれ育った、ウチのカミさんが聴くわけですから、ますます危険であります(笑)。
ちなみに、朗読側には一人だけ秋田弁ネイティヴが方がおられました。それもプロ中のプロ、あの山谷初男さんです。寺山修司とも親交のあった山谷さん。お会いしたかったなあ…カミさんは、秋田弁でずいぶんとしゃべったようですが(ちとうらやましい)。
というわけで、結果はどうであったか…ある意味予想通りであったようです。非ネイティヴの語るエセ(あえてそう言いましょう)秋田弁土方も、ネイティヴの語る秋田弁土方も、それぞれの面白さがあったけれども、やはり、山谷さんの語りが一番しっくり来たと。まあ、当たり前すぎる感想ではありました。
ただ、カミさんの言で面白かったのは、今まで活字としての「病める舞姫」では共感できなかった「モノ」が、山谷さんの朗読…というか口述で、しっかり立ち上がってきたというところでしょうか。「わがるわがる」となったというのです。それもいかにもありそうな感想ではありますが、しかしそこにこそ「言葉」の本質が隠されているとも言えなくもありません。
「母語」と「非母語」の関係というのは、まさに「母」と「他人」の関係に近いものがあります。いや、もっと言ってしまえば、土方やウチのカミさんにとっての共通語(標準語)というのは、「ニセ母」的な怪しささえ持っているのです。
考えてみると、太宰治も寺山修司も土方巽も、かなり特殊の「母性」に対する表現を持っていました。ある意味そこに根ざしていたとも言えます。そこにちらつくのは、「ニセ母」の匂いです。それをもって「都会」に挑戦していった、カネを得ていたとも言えます。
本当の「母」から、夢想的に生まれる新たな「母」。そして、そういう「モノのけ」の一般化、あるいは商売化のメディアが、共通語=標準語=日本語という「コトのは」であったように感じられます。
もうそれだけで、かなり事情は複雜ですが、さらに面倒なことがあります。それはある意味研究者の気づきにくい部分でしょう。
カミさんに言わせれば、秋田市で裕福な家庭に育った土方さえも、完全なる秋田ネイティヴではなくなってしまう部分があるのです。彼の動きや言葉が「土に根ざした農耕民族の記憶」などと言われるのは、ある意味心外だそうです。だって、彼、そういう生活していなかったのですから。だから、私たち夫婦の感想としては、彼はたとえば、米山家本家の努さんの生活動作を盗んだにすぎないのです。もう、その時点でフィクションなんですね。
それを、東京を中心とする都会で商売にしたわけですから、さらにフィクション(騙り)が重奏されていきます。そして、今回のような試み。それは、土方言語の再生、復元という意味を完全に離れて、さらなる複雑怪奇な「物の怪」を現出させてしまいました。ま、私がいつも言う「コト」を極めて「モノ」に至るというやつですよ。
知り合いのニューヨーカーが言っていました。どう見てもとっくに単なるアメリカ人になってるヤツが、「オレはイタリア系だから…」とか「ウチはユダヤ系なんで…」とか言い出してウザイと。ニューヨークだからそういうことになるんですね。普段意識していない(エセ)アイデンティティーを振り回し始める。それと同じような匂い…いや臭いが、太宰や寺山や土方や、あるいは葛西善蔵なんかにあるわけです。それを商売にしてしまっている、ある意味いやらしさが。
つまり、それが「ずるい!」という部分であり、以前ウチのカミさんと、土方の後輩にして土方以上の天才(?)棚谷文雄さんがつい言ってしまった「土方の舞踏は、ありゃあ、農作業の動作だ、マタギの作法だ、ケンカのやり方だ、舞台の演出も、ありゃあ秋田の日常風景だ、芸術でもなんでもないし、いったい何がすごいんだ…」という、もうどうしようもない本質にぶち当たるわけですよ。
まあ、それを分かっていながら、しかし完全には共感できない、非ネイティヴの私なんかは、「いや、それを超えて、つまり本人の意思を超えて、様々な解釈によって無限に生まれかわるのこそが『芸術』である!」とでも言うしかないわけです(多分、多くの研究者の皆さんもそうでしょう)。プロレスを八百長だと言いきってしまって、結果乾いてしまう我々がそこにいるのです。
考えてみれば、私がさかんにやっていますところの、現代日本人が前近代のヨーロッパ音楽を当時の習慣に従って演奏する「古楽」なんていう分野も、まさにそういう矛盾との闘い、そしてそれを経た上での発見と創造なわけです。だからこそ楽しいし、意味があることだと思うんですよね。
長くなりますが、思いついたことをもう少し。
東北の、すなわち縄文系の「言葉」のリズムというのは、実は韻文的ではありません。五七五とか、そこに伴う「言霊」なんていうのは、西南の文化です。東北は明らかに散文。それも、イタコのような「騙り」のリズムです。
私、これを一度だけ体感したことがあるんです。そうそう長老の「シゴト」「モノガタリ」という記事にしましたっけ。完全ネイティヴたちによる「騙り」の「場」です。ここで展開した秋田語(決して日本語ではない)は、実に美しいリズム(拍子ではなく、流れです)を持っていました。そこに、私も乗っからせてもらって、その「場」に参加したのです。これはものすごい体験でした。
それなんですよね。私が太宰や寺山や土方の言葉から感じるモノは。それがたとえ「日本語」で記録されていても、その「場」の空気のようなモノはしっかり残っていると思うんですよ。その空気を、知っているか、知らないかは、彼らを理解する上で、あまりに明確な分岐点になっているような気がするんです。私は本当に幸運にも、そういう場に参加させてもらい、本当に表層的ではありますが、その空気を感じることができたのです。本当にありがたいことです。
私のベースは完全に「東京=現代日本」です。だからこそ分かる、というか意識化される何かがあるでしょうし、カミさんのように、全く逆のプロセスを経て、「現代日本」を表層的に感得している人間もいます。だからこそ、私たち夫婦にしかできない、土方巽(や太宰や寺山)へのアプローチというのもあると思うんですよね。僭越ながら(笑)。
ああ、なんかいろいろなモノが湧いてくるんですが、それこそ「コト」化できなくて実に苦しい。気持ち悪くなってきました(笑)。
私の究極の「モノガタリ」論は、こうしていつまでたっても完成しないのでありました(つづく)。
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