神秘的なバリケード
私は何かに「ふと」気づくことが多い人間でして、まあ、つまりはそういう思いつきで行動していく、あるいはそういうモノに頼って生きているというようなところがあるんですね。
今日も全く妙なタイミングで突然変なことを思いつきました。それが、この曲についてなんです。
この「神秘的なバリケード」、フランス・バロックを代表する、すなわち当時においてはまさに時代の寵児であったフランソワ・クープランの名曲です。彼の膨大な作品の中でも、比較的よく知られているのではないでしょうか。
それにしても、このタイトルが不思議ですよね。日本語訳にも、「神秘のバリケード」とか「神秘なバリケード」とか「神秘的な防壁」とかいろいろありまして、もうそれだけでも「神秘的」なことになっています。私だったら「ミステリアスなバリケード」と訳しますな(笑)。
このあまりにミステリアスでチャーミング、すなわち小悪魔的な魅力を持った曲、なんでこんな妙なタイトルがついているんでしょうね。いや、まんまミステリアスでチャーミングだから命名の妙なのかな。クープランのネーミングのセンス(おそらくフランス人のセンス)は、なかなか日本人には理解しがたい部分があります。いや、たぶんドイツ人やイギリス人の方が理解できなさそうだな(笑)。
なんといっても「バリケード」ですよ、問題は。なんで「バリケード」なんだろう。この音楽の印象からして、いわゆる戦闘用のバリケードではありませんよね。もっと抽象的なものでしょう。
そうしますと、皆さんもお考えになるであろう人間関係にある障壁、もっとリアルに言うと、男女の間に存する越えられそうで越えられない一線という感じもします。
で、そんなことを昔からぼんやりとは考えていたんですが、今日突然私の頭の中でこの曲が流れ始めまして、それも、ある特定の音だけが強く響き渡って、それで自分なりにこの曲名の謎が解けてしまったんですよ。
もしかすると、今から私が書くことは、とっくに誰かが言ってるのかもしれませんが、私はそれを聞いたり読んだりした覚えはありません(たぶん)。
まずは聴いていただきましょう。初めて聴く方もいらっしゃると思います。たぶん一気に魅せられてしまいますよ。
いかがでしたか?この演奏は20年ほど前にエイズで亡くなったフランスの天才クラヴサン奏者スコット・ロスの演奏です。私はこの演奏がずっと好きでした。
私、スコット・ロスとは直接面識はありませんでしたが、彼の愛弟子であった曽根麻矢子さんから話を聞いたり、あるいは彼愛用のクラヴサンを作っていた制作家のデイヴィッド・レイさんが、なぜか単身我が家に遊びに来て、二人でロスの遺した録音を聴いたりしてましたので、まあ一般人にしては何かとご縁があった方とも言えます。
続きまして、ピアノによる現代的な感覚の演奏です。このスピード感は新しいですね。まさに時代を超えて進化した感じです。クープラン自身の指示「Vivement」からするとこれもありかもしれません。ショパンやリストに通ずるものさえ感じます。
さて、いよいよ私の「バリケード」解釈(思いつき)です。それには次の動画を見ていただく必要があります。この演奏には当時の楽譜が添えられていますので。
右手がアルト記号ですから、普通の現代人は面食らってしまいます。私はヴィオラ弾きですし、固定化(近代化)されていない当時の楽譜をいろいろ見ているので、それほど違和感を抱きませんが。ええと、真ん中の線上の音が、それこそど真ん中の「ド(1点ハ)」です。
で、注目してほしいのは、その一つ下の「シ♭」の音ですね。この曲は「変ロ長調」ですから、主音ということになりますね。
この曲、繰り返しを含めますと全部で81小節あります。その中で主音の「変ロ」の音が鳴っていない小節は、実は9小節しかないのです。そのうち低音部に出てくるものを除いて、純粋に「(無印)変ロ」が鳴っていないものを数えてもたった11小節しかありません。
つまり、81小節のうち、70小節で真ん中のドの一音下の「変ロ」が鳴っているのです。これはまさに「一線」ですね。
しかし、これが全部ではなくて、一部欠けているところがあって、そう、最近トキがイタチかなんかに襲撃されましたけど、あのようにちょっと穴が空いている感じなんです(ちょっと違うか)。それがまた、なんとも「神秘的」な魅力を催すわけですよ。入っていけそうで入っていけない。攻められそうで攻められない。
音楽史を見渡せば、いわゆるドローン・バス(固執低音)が、さまざまな「音楽」の起源であることは明確です。近代になってからも、それをあえて使用する作曲家が多くいました。また、現代でも「ワン・ノート・サンバ」のように、ずっと「一線」が続く曲が作られています。
実は、クープランもこの曲の中に「バリケード」を仕組んでいるのではないか。それも、多少「守りの甘い」バリケード。
そこがまあ、男性からしますと、女性の行動や意識に重なるような気がするんですよねえ(笑)。その証拠と言ってはなんですが、最後の変奏のこれまた最後の8小節は、今まで内声に仕組まれていたバリケードが、最上声に浮かび上がり、ほぼ完全なる防御態勢に入ります(1ヶ所ちょっとだけ緩んでますけど)。ううむ、なんかこういう記憶あるぞ…笑。
と、こんなことを突然思いつく(それも聴きながらじゃなくて)私って、実は天才なんじゃないかと思ってしまいましたよ(笑)。だって、こうして楽譜で確かめてみたら、ホントにそうだったので。
もしかすると、誰かがもうとっくにこういうことを言っているのかもしれません。晩年のスコット・ロスがこの曲をレッスンしているビデオがあると聞きました。とりあえずそれを見てみたいものです。彼の解釈はどんなふうなんでしょう。私と同じだったりして!?
現代楽譜を特別公開します。こちらです。ぜひ弾いてみてください。4声のテクスチュアは、実際弾いてみると非常に難しいことがわかります。
Amazon 中野振一郎さんのCD
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