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2010.02.16

『銀河鉄道の夜』 宮澤賢治原作・杉井ギサブロー監督作品

20100217_62121_2 こまでもいっしょだと約束したはずなのに、カムパネルラは突然消えてしまった…カムパネルラと志村くんが重なって、胸がしめつけられました。
 昨夜に続き、家族で鑑賞。最も多くの涙を流していたのはカミさんでした。
 カミさん、ずいぶん前から「志村くんってカムパネルラみたいだね」と言っていました。その時は、う〜んそうかなあ…そういう気もしないでもないけど…程度の感覚だったのです。しかし、今日このアニメ映画を観終わったら、たしかにその通りだと思うようになっていました。そして、私たちはみんなジョバンニ…。みんな孤独で誰かに頼らなければ生きて行けない。
 昨年のクリスマスイヴに急逝したフジファブリックの志村正彦くんは、きっとあの日から銀河鉄道に乗り、そしてどこかの駅で降りて天上の世界へ向かっているのでしょう。いや、UFOの軌道に乗って夜空の果てまで向かっているのかもしれません。

フジファブリック「銀河」

 彼を突然失った私たちは悲嘆に暮れました。カムパネルラを失ったジョバンニの哀しみと孤独が、そのままジョバンニのカムパネルラに対する「依存」の重さであったように、何万人もの哀しみと孤独の総計を、私たちは彼に背負わせていたのでした。
 ジョバンニがカムパネルラの命と引き換えに気づいたように、私たちもそのことに気づかねばなりませんね。
 この映画、昨日も書きましたように、原作、そしてますむらひろしのマンガを経て作られた作品ですから、文学として見た場合には当然欠落した部分があります。
 しかし、純粋にアニメ作品として考えた場合には、その奇跡的な全体性に驚かねばなりません。脚本はなんと別役実。この別役さんが本当にいい仕事をしていると思います。よくぞ、ここまで言葉をそぎ落とした。この作業ができるのは、言葉の神性と悪魔性の両方を知り尽くしている、それも視覚情報との関係を知り尽くしている人だけです。本当に必要にして十分なホンになっていますね。まるで散文詩に翻案されたようです。
 もちろん、そこに杉井監督の素晴らしい視覚的沈黙も加わります。言語的沈黙と映像的沈黙という、「アニメ(動き・命)」へのアンチテーゼが美しく心に焼きつきます。小津映画のようですね。
 前年に公開された「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」とで、アニメの両極点に到達しているんじゃないでしょうか(ちなみに「風の谷のナウシカ」も前年公開)。おそるべし、日本アニメ。
 沈黙とは言っても、全編にはずっと音楽が鳴り響いています。しかし、音楽的沈黙とは「無音」と同義ではありません。そこが音楽の面白いところであるのですが、このこれまた奇跡的な音楽を担当しているのは、なんと細野晴臣さんです。彼らしい、洋の東西南北を股にかけた不思議な音楽が、この物語世界をより豊かにしているのは動かし難い事実です。
 この映画に挿入されたタイタニック号の悲劇のシーン。ここでの音楽はまさに奇跡でしょう。そう、細野晴臣さんのおじいさんである細野正文さんは、当時日本人として唯一同船に乗っており、そして、無事生還した方です。彼を巡るその後の心ない誹謗は彼の人生を狂わせました。その誹謗の内容と正反対の言葉を「青年(家庭教師)」が語るそのシーンの音楽を、お孫さんが担当するとは…。まったく運命というのは不思議なものですね。
20100219_211859 ところで、この作品の一番の特徴は、主人公たちが猫であるということです。まるでアルビレオのような青い猫と赤い猫。
 私たち家族のような猫狂いにとっては、ますむら作品における「リアルな」猫表現(猫好きにしか分からないいろいろな萌えポイント)は喜びにほかならないわけですが、一般の方にはどうなんでしょうか。もともと賢治作品は擬人化された動物が多く登場しますし、それよって生まれる「純粋な魂」にこそ魅力があるので、これはこれでありではないかと、個人的には思うわけです。
 そういえば、志村正彦くんも亡くなる直前まで、クボくんのウチの子猫を可愛がっていたようですね。何を話すでもなく、何の用事があるでもなく、本当にただ猫を愛でるためだけにクボくんの部屋を訪れていたとか。彼の純粋な魂はいったい猫ちゃんとどういう交流をしていたのでしょう。
 冒頭では志村くんはカムパネルラだと書きましたが、映像的にはジョバンニの目は志村くんの目に似ているように思えますし、帽子を被って登場する例の青年がまんま彼に見えたりもします。
 ああ、こんなふうにこの作品を観ることになろうとは…。本当に「カンパネルラー(シムラー)!!」と叫びたい気持ちです。

Amazon 銀河鉄道の夜

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コメント

こんばんは!時々お邪魔してますikukoです。
今日の記事の「銀河鉄道に乗り、そしてどこかの駅で降りて天上の世界へ」のあたりで、ぐっと込み上げるものがありました。
ここのところ、音楽雑誌で、追悼特集をしているのもあって、
どうも、悲しくなってしまうので、最近はフジを聴けなくなってしまってます。
メレンゲのクボくんの猫ちゃんを抱っこした写真、
twitterで見ました。寂しいです。
あの写真を見てしまってから、メレンゲすらも聴きにくくなってしまい・・(^_^;)
私もまだまだ気持ちの整理が出来るまでに時間が掛かりそうです。

投稿: ikuko | 2010.02.18 00:26

『銀河鉄道の夜』アニメは観た事がありませんでした。
なんか悔しい・・・
しかも主人公が猫!!これは観たい!観なきゃ!
私の中でもカムパネルラと志村くんが重なるといいな・・・
原作を読んでからかなりの年月が経っているので、まずは読み返してみようかな。
また違った想いが湧き上がるかもしれませんよね。

当たり前ですが、考えてみると志村くんの歌声はよく知っているつもりだけど、志村くんの事は何も知らないんですよね、私。
ここにお邪魔して、志村くんの事を少しずつ知っていく・・・という感じなんです。
志村くんも猫が好きだという事がとても嬉しかったです。
猫って実はいろんな事をわかってくれるような気がしませんか?それで自分の心の中にある思いを人知れず聞いてもらったりしてます。
それは猫が何も言わずじっと聞いていてくれるような気がするだけかもしれませんが。
志村くんはどうだったんでしょう?猫に何か伝えてたのかなぁ?ただ可愛がっていただけかなぁ・・・

青空ですね。甲府の職場のビルからも久しぶりに富士山が見えますよ。

投稿: yuki | 2010.02.18 13:51

こんにちは、お邪魔します。

『銀河鉄道の夜』ですか!
私コレ映画館に観に行ったんですよ。
父と一緒に、四歳、五歳になっていたか・・・。
恐くて途中で帰っちゃったんです。(笑)
紺色と赤紫と黒に、確かにあんまり台詞がなかった!
それで恐くなっちゃたんですね。
そもそも子供に『銀河鉄道の夜』は難しかったのかも。

岩手出身の父は、あまりこの映画は好きではないらしくて・・・猫にしてしまう意味が分からないと辛口評価なんです。
私もそれ以来きちんと観ないまま来ましたが、これは俄然観たくなりました。


投稿: mio | 2010.02.19 18:33

皆さん、コメントありがとうございます。
このアニメ必見ですよ。
特に大人になって見直すと「涙」が止まりませんね。
ぜひご覧下さい。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.02.20 09:32

(コメント書き込むのが遅くなりましたm(__)m)
こんにちは。
中原中也、山田かまち、そして宮沢賢治。
好きな方たちばかりです。

『銀河鉄道の夜』は小さいとき、絵本か何かで
読んだ覚えがあったのですが、
21歳のときに、文庫本を買って改めて読みました。
その頃父が入院していたのに、
今思うと、「そのチョイスってどうよ」と、
自分自身にツッコミを入れたくなるのですが、
なぜだかその本を選んでしまったんですねぇ。
その何ヶ月か後に父は亡くなりましたが、
「アー、あの『銀河鉄道』に乗っていってしまったのかなあ」と思いました。
新潮文庫の、濃紺の空に銀色の列車。
よく覚えています。

アニメの方も映画館で観ました。
思えば言われる通り、本当に台詞の少ない映画でした。
だけれど、ぴーんとした冷たい夜の星空や
大きな目のネコちゃんたちの表情。
原作を壊すことのない映像で、
全編を流れる静かさや「空気」がとても好きでした。
久しぶりにDVD観てみようと思います。

そっか~…志村くんはカンパネルラだったのかな~

年末のカウントダウンのwowowの映像や
BSフジの再放送番組を観ていたら
「どうして…どうしてなんだろう」と悲しさが
突然湧いてきてしまいます・・・

今日はなぜだかずっと♪星降る夜になったら♪を
聴いていた私です。

投稿: kirari | 2010.02.20 20:45

kirariさん、コメントありがとうございました。
本当にふと心の中の「石炭袋」が目の前に広がるような気持ちになりますね。
その空いた穴が埋められてしまうのも寂しいような気もしますが。
いや、志村くんの世界は、賢治や中也やかまちのように語り継がれますよね。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.02.24 08:50

庵主さま、こちらでは初めまして、です!

遅くなりましたが教頭先生になられたとのこと、
そして中学校開校、おめでとうございます!

もしかしたらこの学校の校歌を志村君が作ってくれたのかも知れなかったんですね。志村君の作る校歌、聴いてみたかったですね。

ところで私はつい最近この映画を観ました。古さを感じさせない美しい映画でしたね。そしてやっぱり私もカンパネルラに志村君の姿を重ねてしまい涙が出ました。カンパネルラの言葉がまるで彼の思いを語っていたようで。

そしてジョバンニのものごとをまっすぐに見つめるまなざしは、ほんと志村君のそれを思い出させますね。

もうすぐ富士吉田にお邪魔します。
その頃そちらは桜の季節なのでしょうか。
とても楽しみにしています。

投稿: 毛糸 | 2010.04.14 00:30

毛糸さん、おはようございます。
ありがとうございます!
このアニメ、本当にいいですよね。
志村くんのことがなかった頃も、なんだか無性に哀しくなりました。
音楽もいいですしね。
富士吉田は今日、雪景色です。
満開の桜に積もる白雪。
春と冬を行ったり来たり…そんなところも富士吉田らしいのかもしれません。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.04.16 09:06

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