「ものまね」とは…
ひとつ、とっても重要なことに気づきましたので、書いておきます。
皆さんにとってはどうでもいいことかもしれませんが、日本の歴史や日本語にとっては案外たいへんな発見かもしれません(なんちゃって)。
以前、世阿弥の「物学(ものまね)」について書きました。こちらです。この時は「ものまね」の「もの」の部分について詳しく書きましたが、今回は「まね」の方について私見を披露したいと思います。
ま、あの時も「学ぶ=真似ぶ」というアプローチで語ったわけですが、今日突然、そのまた向こう側が見えたような気がしたんです。それが、調べてみたら、意外に先賢の方々が指摘していないことだったわけです。
そのきっかけは、清水ミチコさんでした。なんとなく家族で「どれみふぁワンダーランド」の再放送を観ていたんです。この番組最近はまってまして。音楽の楽しみが伝わってくるいい番組ですよね。明日の本放送も面白そうですよ。
そう、それで今回、「ライブハウスOKEI」に登場した清水ミチコさんや、RAG FAIRの「お好み焼き 谷村」を観て聴いていまして、「ああ、『まね』って『招く』ことなんだな!」ということに気づいたのです。
つまり、「ものまね」とは「招霊」であると。
私のモノ・コト論では、いつも掻いているように「モノ」は「他者・外部・不随意」などを表す言葉としています。そこから、「鬼」を「もの」と訓むように、「霊」という意味も生じたと考えられます。
別に「霊」という言葉を使わなくてもいいのです。とにかく、「他者を自分の中に招き入れる」という意味ととらえるわけですね。その結果、その人の「たたずまい」が表現されると。
だから、清水さんの「モノマネ芸」を見ても分かる通り、とにかく外見が似ていればいいというわけでもなく、声が似ていればいいというわけでもないのですね。
実はウチのカミさんも「ものまね」の天才です。一度聞いたり見たりしたものは、ほとんど完璧に再現できるという妙な技を持っています。そのカミさんに今聞いてみました。
「モノマネする時ってさあ、似せようとしてるの?それともなりきってるの?」
「それはもう、絶対『なりきってる』だよ。意識して似せようとすると全然ダメ」
なるほど、やっぱりそうですか。つまり、自分が「うつ(空)」な「うつわ(器)」になって、そこに相手(の霊)を招き入れるわけですね。だから「ものまね」であると。
ちょっと調べた限りでは、このような解釈をしたものはありませんでした。しかし、このように考えますと、世阿弥の「物学」も理解しやすくなるんです。14世紀にはすでにこのような語源意識は薄らいでいたかもしれませんが、現在のいわゆる「モノマネ」よりは、太古の記憶を残していたものと思われます。
実はこのような憑依による表現活動というのは、「モノマネ」に限ったことではありません。楽器の演奏も舞踏も、あるいは絵画や文学の創作活動もそういうものなのです。
実は、この「なりきる心」というのは、禅の最終目標でもあります。たとえば、作務というお勤めでは、床の雑巾掛けをする時には、雑巾になりきらなければなりません。それが禅的には「自己を滅却する」ということにもなるわけですが、ある意味では「ものまね」を目標としているとも言えます。
そして、もちろん、「招く」ことによって「真似ぶ」すなわち「学ぶ」ことができるとも言えます。雑巾に学ぶのです。それが修行です。
いずれにしても、「招く」ために、自分を「うつ」にして、自分が「器」になることこそが難しいのです。おそらく世阿弥はそれを「花伝書」で説いているのでしょう。
というわけで、この説を証明するために、いろいろと古い文献の用例に当たってみたいと思います。
でも、考えてみますと、こんなことに気づいた瞬間というのも、別に論理的に考えていたわけではなくて、突然そういうアイデアが降ってきたというか、訪れたという感じなんですよね。疲れがたまって私自身が「空」になっていたんでしょう。たまには、そういう瞬間があるのもいいものですね(笑)。
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コメント
この話を聞いて、事実、自分の「今」とリンクしました。
物真似=憑依???かな???と。
私は、憑依体質です。色んな方達の御魂を受け入れて、自分の身体に招いてその方達の愛をお伝えする役目を、実際しております。それは私の家族にしか出せない力でありますが。(誰にかれにでもは、私はお伝えできません。誠の心を持つものの前でしか、憑依されないようになっております。この現実は、そのような心を受け入れてくれる者はあなりいらっしゃいません。私は、その事をいつも感じて、生きています・・・。)
それはそれは・・・テレビに出るような霊媒師とかとは違います。(えっと、それを商売や仕事としては受け入れていない。ただ、自分の周りの家族や愛するものの本当に苦しんでいる心を助ける為、救う為だけの使命です。)
前に、山口先生が、「金」は「神」だとおっしゃられました。私は、その事を、今、心の中で納得しております。
「金」という物質にまやかされ生きている世の背。しかし、「金」とか「神」
本当の心に気付き、その心を持って生きる事が、「金(神)」を生み出すのだという事を悟りました。
だから、私達は「金」に感謝し、敬い、大事に使わないといけない気がします。それはそれは・・・人の為に。
なので、私の憑依体質は、必ずしも、そのことに対して茶化したり、嘲ったりする者には救いの手を差し伸べません。
本質に気付きながらも、その現実と向き合いながらも苦しんでいる者や、自分の「悪」の心と本当に向き合い、改めていく心を持っているものにしか、救いの手を・・・「物真似」をお伝えする事が出来ないのが、「今」の私の姿ございます。
その心を宿してくださったのは、私の叔父と叔母と、今はこの世には居ない祖父の心。そして、霊脈により、お勉強させていただいている流れが「こちら」なのでございましょう。その流れに感謝です。
投稿: 里沙 | 2010.02.21 10:32
こんばんわ。最近、人生の流れを決めるのは、「色即是空」だなぁと思うんです。というか、ようやく意味が分かってきたというか…なんとなく今日の、話はそのこととシンクロしました。
意味履き違えだとしても、一歩一歩なんだろうし、何かを感じることが大切なのかもしれないですね。
投稿: 里沙 | 2010.02.23 00:19
里沙さんおはようございます。
ものまねって実は深いものだと思うんですよ。
花伝書の謎もなんとなく解けそうな予感がします。
私もまだまだ勉強ですが、とにかく「直感」を大切にしたいと思います。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.02.24 08:54