« 心の鬼…モノノケハカランダ | トップページ | 『恋の蛍 山崎富栄と太宰治』 松本侑子 (光文社) »

2010.02.04

茜色の富士

↓クリック!
04_18_28_06 日は久しぶりに、4月開校の中学の真新しい校舎に入りました。もうほとんど完成です。
 本当に素晴らしい環境です。建物や設備の素晴らしさは、これはもう私でも驚くほどです。実にぜいたく。そして、それ以上に全ての教室から眺められる富士山と富士吉田の街の風景には、長年住んだ者でも感動させられますね。
 この写真は3階の多目的教室から撮ったものです。ちょうど夕日が差して、富士山が茜色に染まろうとしていました。
 本来ならば、この教室にフジファブリックの志村正彦くんを連れてきて、そして、このイメージで歌を作ってもらう予定でした。彼が亡くなってしまったのは、その話をしようと思っていた二日前のことでした。
 まさにこの角度から見る富士山は、志村くんにとって、本当に懐かしい心の風景です。右に月江寺の森、手前に彼もよく遊んだという月江寺の池。この池は「鳴琴泉」という音楽的で風雅な名前も持っています。少年時代の志村くんは、いったいこの泉が奏でるどんな音楽を聴いていたのでしょうか…。
 そんな土地への思い、そして、音楽との出会いのあった中学時代への思い、それを歌にしてほしかった…。
 今は本校の駐車場になっていますが、池の手前には古い旅館がありました。太宰治が何度か逗留した宿です。あの「富嶽百景」の名シーンの舞台です。今日も月夜富士がきれいでした。
 私がなにげなく、本当に偶然に太宰の墓参りをしたのが、志村くんが亡くなる前日の12月23日。その日の記事を読むと、私はなにかを予感していたことがわかります。「太宰、いろいろ訴えかけてきましたよ。鳥肌立ちまくり」…たしかに体験したことのない感覚が私を襲っていました。しかし、その時はこんなことになるとも夢にも思いませんでした。地霊で志村くんと結ばれた太宰が、何かを知らせたのかもしれません。
 このようなことになってしまったのは、本当に残念でなりませんが、その場所で教育に携わることになる者として、いったい若者たちに何を伝えていけばいいのか、私も改めて考えさせていただく機会をいただきました。
 志村くんが心から愛した富士吉田。富士吉田ももっと彼を愛さねばならない、と思いました。私もこの街を、そしてこの街の子どもたちを、もっと愛さなくてはなりません。
 ちょっと頑張り過ぎてしまった彼は、今、大好きな富士吉田の街に帰ってきて、心優しい家族と、いつもの機材に囲まれながら、ゆっくり自分のペースで曲作りをしています。とっても穏やかな心持ちで…。安心しました。

Amazon アラモード

不二草紙に戻る

|

« 心の鬼…モノノケハカランダ | トップページ | 『恋の蛍 山崎富栄と太宰治』 松本侑子 (光文社) »

音楽」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

教育」カテゴリの記事

コメント

山口先生

こんにちは。ご無沙汰しております。
折にふれ、志村さんのお話を書いて下さってありがとうございます。

あれから、志村會に参列させて頂きました。
さよならではなく、ありがとうを伝えたくて…。
何か区切りがつけられるのか、自分の心をみていたのですがだめですね。
会場に流れていた曲も思い出せません。
ただ、会場の穏やかで温かい空気と一体感を強く覚えています。
ご親族を直視できませんでしたが、前を通らせて頂く際、志村さんと志村さんの音楽に出会わせて頂いた感謝とお悔やみの気持をこめて、頭を下げさせて頂くことができました。有り難かったです。
志村さんには、お花と初めてのファンレターを渡すことができました。

JAPANの追悼・志村さんを読みました。
追悼なんだ…と思うとまた悲しくなりました。
そして、志村さんが一時期、身も心もボロボロになり、音楽をやめようとしていたことを知りました。
「今度認められなかったら…」とありましたが、志村さんはあの頃、まだ認められたとは考えていなかったことに驚きました。きっと、大きな夢があったのですね。
アルバム・クロニクルでは志村さんの全てを剥き出しにして、次のステップを見据えていたように感じます。志村さんは日本の宝。本当に残念です。

ところで、私も12月23日24日は不思議な日でした。
何をしたわけでもないのに、どうしたのかしら?と思うくらいとにかく疲れて疲れて…
両日とも、夜も電気をつけたまま寝てしまい、真夜中に目が覚めて入浴し長い時間湯船でボーーとしてしまいました。志村さんを好きなあまり、志村さんの体調を感じたのかなと勝手に納得しています。

5年ほど夢中でしたので、立ち直るまでにはまだまだ時間がかかりそうです。
志村さんのライブでの幸せそうな姿を思い出してはやりきれない気持ちになります。
けれど、自分のために泣くのはやめました。志村さんのために流す涙は美しくても、自分のための涙はそうではないので…。

山口先生、このような場を提供してくださって本当にありあがとうございます。
これからも、ブログを楽しみにしております。よろしくお願いいたします。

ご親族の皆さまも、どうかご自愛くださり、お元気ですごされていますように…。

投稿: まこ | 2010.02.05 12:06

あの池の名前が「鳴琴泉」なんていう
名前だなんて知りませんでした。。
あたし達はよく、池に入ったり、
おままごことをしたりして過ごしましたが
きっと志村さんもそうだったのではと思います。
確か、今はもう湧き水ではないんですよね?
あの頃見た木々や苔の蒼さや、
水の冷たさが思い出されます。
大きな樹木に気軽に触ることが出来る貴重な場所でした。
同じ場所に育ったなんて、未だに不思議な感覚です。
命のつながりってすごいですね。

新しい中学校、今度散歩ついでに見に行きます!

投稿: ユキ | 2010.02.05 12:53

素晴らしい景色ですね!
そんな景色を見ながら勉強できるなんて、幸せですねぇ

志村くんは、こんなに素晴らしい景色を見ながら育ったんですね
これだもの、あんなにいい曲が出来るはずだ!

志村くんにも見ていただきたかったですね
いや、きっと見ていますよ!
そして、また先生に新しい曲聴かせてくれますよ


投稿: パッチ | 2010.02.05 13:13

昨日の茜色の富士山、とてもキレイでしたね。私も見てました。
私の家は甲府盆地の西の端っこなので、甲府市内辺りよりはちょっと富士山がキレイに見えるんですよ。
昨日は用事があって仕事をお休みしたのですが、周りに遮るもののない桃畑の中、車を走らせながら前方に見える富士山を眺めていました。

でも、富士吉田からの裾野まで見える大きな富士山はやっぱりステキですね。
志村くんの心の中に小さい頃からずっとある風景ですよね。

志村くんは大好きな富士吉田に帰って来たんだなぁ・・・
おかえりなさい、志村くん。

それぞれの場所から同じ富士山を眺めながら、みんな志村くんを想っているんですね。
そういう人がたくさんたくさん居るんですよね・・・

投稿: yuki | 2010.02.05 14:33

綺麗な富士山ですね。
私の住んでいる、宮崎県都城市からは、霧島山という神様が初めて降り立った山が見えます。とても神秘的な光景で、いつも生きる活力を頂いております。
富士山は天に一番近い山、霊峰と言われてますね。
凄いパワーを感じました。
ああ…きっと、志村さんの愛。なんだろうなぁ。
先生、いつもありがとうございます☆

綺麗な魂を触れることで、浄化されます。

投稿: 里沙 | 2010.02.05 19:14

皆さん、コメントありがとうございます。
志村くんの御両親も、皆さんの言葉を読んでくださっていると思います。
御両親は志村會で、そのメッセージや花束にはもちろん、ファンの方々の礼儀正しさにも非常に感激なさったようです。
本当に全てがありがたい(めったにない)ご縁ですね。
あらためて正彦くんに感謝したいと思います。
ありがとう。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.02.06 08:34

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 茜色の富士:

« 心の鬼…モノノケハカランダ | トップページ | 『恋の蛍 山崎富栄と太宰治』 松本侑子 (光文社) »