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2010.02.03

心の鬼…モノノケハカランダ

P204mane03 日は節分。いつだかのこの日にも書きました通り、我ら出口王仁三郎ファンにとっては「鬼は内、福は内」の日です。
 皆さん、鬼を無反省にいじめていませんか?そろそろ艮(鬼門)に幽閉された国祖「国常立尊」の復権を待望してもいいのではないでしょうか。私たちの考える善悪のほとんどは、自分で判断したものではありません。
 という、ちょっと難しい宗教学的、いや民俗学的、あるいは哲学的な話は置いておいて、今日は文学のお話をしましょう。
 また最後はフジファブリックの志村くんの話になってしまいますが、ご了承ください。それほど、私にとって大切な人だったということです。今まで彼や彼の音楽に興味がなかった方も、これを機にぜひその世界に触れてみてください。
 さて、今日いつもの「モノ・コト論」研究のため、枕草子の注釈書を繰っていましたら、本当にたまたま「心の鬼」が出てきました。「故殿の御ために」という段です。ここには、イケメン藤原斉信が清少納言にかまかけるシーンがあるんです。それを軽くいなす清少納言。つまりはモテ話に振り話、いつもの通りの自慢話ですね(笑)。
 斉信は「夫婦になりませんか」とかまかけるのですが、清少納言は「夫婦になるとあなたをほめることができなくなる」と言って断ります。うん、たしかに人前ではなかなか配偶者をほめられませんよね。「あいつはダメで…」という物言いになります。
 で、そんな微妙な夫婦間の心情について、「心の鬼出で来て…」と表現しているんです。つまり、結婚すると、本当は好きでほめたいのだけれど、「心の鬼」が現れてそれができなくなる、ということです。
 では、この「心の鬼」とは何を指しているのでしょう。
 実は、枕草子の時代、「鬼」は、あの角のはえた赤や青の鬼(虎のパンツの鬼)とは全然違うイメージでした。あれが定着して、「鬼」が悪者になっていくのは平安末期だと思われます。それまでは、中国の「鬼」、すなわち死者の魂というイメージが強かったものと思われます。
 和語ではそれを「もの」と言いました。「鬼」の文字を「もの」と読ませる例が、万葉集なんかにもわんさか出てきます。
 私の「モノ・コト論」の出発点と終着点はまさにそこです。非常に単純です。簡単に言えば、今我々が「物体」「物質」「商品」のような意味で使う「モノ」という言葉も、実は「異界」「自分にとって外界」「思いどおりにならない外部」というような意味だととらえるのです。「もののあはれ」の解釈もそれにもとづき、「不随意(世の無常など)に対する嘆息」とします。これは他の人が全く言っていない盲点です。
 ですから、ここでも「心の鬼」というのは、自分の心の中の「意思に反する」あるいは「制御できない」何か、ということですね。たしかに、恋人どうしが夫婦になった瞬間から生じる、あの妙な違和感というか、変容というものは、なんとも説明がし難いですよね。それを「心の鬼」と言っている。別に恐いものではないのです。不安にはなるかもしれませんが。
 一般的に、たとえば私が読んだ注釈書なんかは、「心の鬼」を「良心の呵責」とか「気がとがめること」などと解釈しています。たしかにそう読めないこともないのですが、ここではそこまで善悪が関わっていないと思います。
 これが、中世以降、先ほどの角のはえた鬼のイメージ、すなわち「悪」のイメージが定着してきますと、「心の鬼」は「邪念」とか「妄想」とか「性的な欲求」などを表すようになるんですね。「豆とりて我も心の鬼うたん」なんていう節分の俳句も生まれたりします。邪念を消そうとしているわけです。
 あるいは恐い者の象徴として、自分の心を抑制する存在としてとらえられることもあります。「心の鬼が身を責める」という慣用句も生まれます。これなんか、やっぱり地獄の閻魔様のようなイメージから、悪事や良心の呵責と結びついているんでしょうね。
 というわけで、いきなり現代に話が飛んできます。
 先ほど書いたように、「鬼」=「もの」とは、自分のコントロールできない「何か」を広く表す言葉でした。そして、その「鬼」=「もの」を幽閉し、あるいは自らの制御下に置こうとしたのが「近代」であると言えます。ですから、我々現代人は、基本的にそうした「鬼」=「もの」を忌み嫌ってきたわけです。見ないようにする、あるいは、皆でいじめる。豆まきはその象徴です。
1 さて、そんな中、「鬼」=「もの」を、決して拒否せず、またそれから逃げずに、しっかり向かい合った青年がいました。それが志村正彦くんだったというわけです。
 彼を評するのによく使われる言葉は「叙情」「変態」などですが、それらはある意味「心の鬼」と言えます。「敏感」で「繊細」な「叙情」は、「説明できない孤独や切なさ」であり、「変態」は「妄想」や「性的な欲求」かもしれません。それらは、古文の時代においては「もののけ(物の怪・鬼の気)」と呼ばれました。
 そう考えると、彼らの代表曲の一つ(音楽的にも世界に不二な存在です)「モノノケハカランダ」は、まさに古典的な日本語、あるいは古典的な日本人の感性や世界観をそのまま継承していると言えますね。
 YouTubeで聴いてみましょう。

モノノケハカランダ

20100204_62102 すごい音楽ですね。イントロからして、私の常識ではありえない音楽です。天才。
 歌詞を読んでみましょう。「思いのほか」、「止まるなって言ってる」、「獣の俺」、「もうモノノケ」、「止まれなくなってる」…これこそまさに「心の鬼=モノ」世界です。
 昔ならこの感情を和歌で表現していたのです。あるいは、皆さん御存知の徒然草冒頭にある「ものぐるほし」という言葉もそうですね。あれなんかも、学校の先生や学者さんたちは、その真意をとらえていません。
 一方の「説明できない孤独や切なさ」についても、もう例を挙げるまでもなく、フジファブリックの曲に満載です。志村くん最後のアルバムとなってしまった「CHRONICLE」は、まさにその双方の「心の鬼=モノ」の競演、せめぎ合いであったと言えます。
 そういう我々がつい幽閉してしまう「モノ」に、正面から対峙したのが志村正彦くんだったわけですね。それを「天才」と言ってしまうのは、もしかすると安易なのかもしれません。彼のその「まじめすぎる」「不器用な」生き方は、すなわち「命を削る」生き方そのものだったわけですから…。

 PS 今日「鬼は内」と言ってマメを食べたら、皆さんが追い出した鬼がみんなウチに来てしまいました。カミさんがまさに鬼の形相になって、ものすごいことになりました(笑)。2時間ほどで正気に戻りましたが、全然覚えてないとのこと…おいおい(笑)。しかし、そういう手荒いカタルシスも必要なんです。あとには晴れ晴れしく澄んだ空気と心が残りました。ふぅ。

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コメント

こんばんわ。今日は、二回、三回blogを読みました。多分…、まだまだ今の私には、幾度なく読まなきゃ理解出来なかったモノ・コト論。以前、稲盛和夫さんの記事でコメントに分かったかのように書いていた私は、実は…あたかも精神で分かっていたかの様に振舞ってたと感じます(汗)今日は、庵主さんの伝えたかったこと、感じたこと、幾度読み、ようやく理解してます(笑)しかし…まだまだ、4割に満たないくらいの理解力だと思います。

自分のこころを周りに否定されるのを怖がっていた志村さん。

しかし…今の現実、否定する人の割合いが9割…。

理解している方はほんの1割だと感じてます。

私は、年末から掘り下げてフジの歌を聴き、ファンになった人間なので、本当はあまり言える質ではないと思いますが、しかし…、私は、日が経つにつれ(自分の魂が研ぎ澄まされにつれ)、否定を怖がった志村さんの気持ちが理解出来るようになりました。
ただ…志村さんと「在る」場所や、生きざまは全く違うし、私は、志村さんに「違うなにか」を感じて、惹かれていった人間なので、やはり、志村さんには感銘を受ける。それにつきます。

志村さんの、「心の鬼」に素直に生きた生きざまが、本来、人間がこの世で歩む生きざまだと思います。
あぁ…何故に虚偽にまみれた、虚像、嘘を信じてる未浄な心がうようよしているのだろうか…。
「真実」に気づき、真実に真面目に生きてきた志村さんのメッセージは「クロニクル」が全てですね

投稿: 里沙 | 2010.02.05 00:25

里沙さん、そうなんです。
豆を投げて「鬼」を封じ込めて安心しているのが、私たち現代人、特に大人なんです。
志村くんは、それは「嘘をつくこと」だと考えていた、いや感じていたのでしょう。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.02.05 14:37

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