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2010.02.18

J.S.バッハ 『小ミサ(ルーテル・ミサ)曲集』 パーセル・カルテット

BACH: Lutheran Masses Purcell Quartet
51q24p3550l_sl500_aa240_ の中では、王仁三郎とはある意味対照的な巨人。バッハは「コト」を極めた人です。しかし、これまたワタクシ独自の世界観であって、皆さんには御理解いただけないかもしれませんけれど、やっぱり全ての究極に至るには「コトを極めてモノに至る」必要があると思うんですよね。
 禅の修行なんかもそうですし、イチローの棒球道もそう。まあ、あらゆる偉人は皆、言葉や形式や理論を極めて、そうして、結局その無力さというか、自分の「コト(随意=脳内処理)」の無力さを知り、「悟り」を得ると。
 普通は死ぬ前に諦めてしまうんです。諦めは「明きらめ」ですから、それでパッと世界が開けるものなんですが、この人(大バッハ)は死ぬまで挑戦し続けた、とんでもない人ですね。
 ま、王仁三郎も「コト」(例えば言葉)を極めたとも言えますが、残した物はほとんど「モノ」性に満ちていますから、やっぱりちょっと違うのかもしれない。
 バッハの残した物は、ほとんど人間の(脳の)限界点に達しています。もちろん、それを私たち凡人は受容できても模倣はできませんので、結局自己にとっては「不随意」な「モノ」であるわけです。
 ううむ、自分でも何を言っているのかわからなくなってしまった。これほどに「モノ」と「コト」とは単純(なにしろ、この世には「モノ」と「コト」しかないのですから)かつ複雜に重奏しているのです。
 そう、重奏と言えば、この小ミサ曲たち、それこそシンプルかつコンプリケイティッドの究極のような作品集たちです。
51czs89r0sl_sl500_aa240_ バッハの曲はほとんど聴きつくしていると思っていたんですよね。そしたら、これらBWV233、234、235、236はちゃんと聴いてなかったんです。
 なんか得した気分ですね。もう最後の1コまで食べきっていたと思っていたミルキーがポケットの奥から見つかったような(笑)。
 大ミサというかBWV232「ロ短調ミサ」は、私の最も好きなバッハ作品です。一度こちらで書きましたね(ちなみにこの初音ミクバージョンすごいっす…爆)。
 私の個人的音楽ライフのみならず、世界史的にも、その「大」の威光に隠れてしまっているという意味において、「小」たちは可哀そうな存在です。
 実際、こうして聴いてみますと、なんと素晴らしい作品群ではありませんか。これはほとんど「大」に匹敵しています。
 考えてみると、「大」もそうなんですが、最晩年、もう視力もかなり衰えてしまった頃に、プロテスタントやドイツ語から離れた作品群を、ほとんど実用からもかけ離れて作ったということは、ある意味、「仕事」という「コト」から解放された「モノノケ」バッハがそこにいるということにもなりますかね。 もちろん、あの、「コト(形式・理論・抽象)」の権化でありながら、とことん「モノ」狂おしい(気味の悪い)作品となってしまった「フーガの技法」においても同様のことが言えましょう(そう言えば、この演奏&映像すごいですね!ゲーベルいつの間に復活したんだ?)。
 ただ、面白いのは、「大」も「小」も、セルフ・パロディーであるということです。自分の過去の作品からの改作の寄せ集めなんですね。
 それは、ある意味では過去の総決算という意味もありましょうから、考えてみると優れた作品になるのは当たり前なんですよね。セルフ・セレクションのベスト盤みたいなものですから。
 いや、ホントに素晴らしい曲ばかりですよ。たしかにバッハらしさが際立っています。ある意味、これこそがバッハの入門曲なんじゃないですか?実際聴きやすいし。
 そしてですねえ、このパーセル・カルテットの演奏が素晴らしすぎる!ビートルズ・マニアの(!?)リフキンの研究成果により、器楽も声楽も各パート基本一人で演奏されています。たしかにビートルズは1パート一人だよな(笑)。
 冗談はさておき、この清澄にして妙なる響きを聴くと、極まった「コト」というのも素晴らしいと思いますよ。つまり、キリスト教的な「神」や「キリスト」や「聖書」もそうです。人間の作り出すフィクションもここまで来れば、宇宙に誇るべきレベルになるということです(もちろん褒め言葉ですよ)。
 近いうちにもしかするとこの小ミサを演奏することになるかもしれません。楽しみです。
 最小編成ではありませんが、いちおうYouTubeも貼っておきます。その魅力の一端に触れてみてください。

Amazon Bach: Lutheran Masses Vol.1
 Bach: Lutheran Masses, Vol. 2

NMLで聴くJ.S. バッハ:ルター派ミサ曲集 1 (パーセル・クァルテット)
 J.S. バッハ:ルター派ミサ曲集 2 (パーセル・クァルテット)

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コメント

小ミサは昔から好きなシリーズで、最近も毎日のように聴いています。ヘレヴェッヘの演奏です。原曲のカンタータもなかなかいいですが、ミサにするときに結構洗練しているなと思います。スコアはもちろん、自筆譜ファクシミリをもっているくらいなので、いつか演奏してみたいとは思いますが、たぶん機会はないだろうな。

投稿: AH | 2010.02.19 22:41

AHさん、お久しぶりです!
なんかとってもうれしかったです。
同じ曲を聴いて感動しているというのはいいものですね。
それもかなりマニアックな曲で(笑)。
自筆譜ファクシミリとは、さすがですねえ。
演奏しようかという話もありますので、その時はお誘いしますよ。
やっぱり愛情と理解をもって演奏したいですからね!

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.02.20 09:37

機会があれば是非!

カンタータからどのように編曲されたのか、など研究していても楽しいですね。元の曲の密度も高いし。

投稿: AH | 2010.02.21 20:25

AHさん、こちらで企画してみますよ。
実現しそうな時には必ず声かけます。
元のカンタータもしっかり聴いてみたいと思います!

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.02.24 08:52

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