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2010.02.28

『モデル失格〜幸せになるためのアティチュード』 押切もえ (小学館101新書 )

09825024 「師失格」…うぅむ、正直この「モデル失格」レベルの内容なら、私にも書けるかなあ。
 今日は日直という仕事で一日学校におりました。昨日の卒業式を終え、今日をはさんで明日からは中学の仕事に邁進します。というわけで、今日は正直まったり過ごしました。午前中に本を3冊読みました。そのうちの一冊がこれです。たまたま机の上にあったので。
 押切もえちゃん…いや、もうもえさんですかね…もえさんについては、えぇとですねえ、別にファンでもなんでもありませんし、だいいち、私の世界とはあまりにもかけ離れたところにいらっしゃる方じゃないですか。だから、この本を私が読んだということに関して、違和感を抱かれても仕方ありません。
 しかし、実は彼女に関するアイテム、情報の中でも、かなりマニアックな方に属すると思われるDVD「『愛ゆえの孤独 〜太宰治の世界〜』を買い、記事にしている私としては、やっぱりこのタイトルには期待しちゃいますよねえ。
 彼女はずいぶんとたくさんの太宰作品を読んでいらっしゃるようで、たぶんその数は私よりも多いことでしょう(私は案外読んでいないのです)。ですから、彼女が「人間失格」のタイトルを模してこの本を書いたとしたら、それはやはり太宰の「人間失格」の内容を模した内容になっているはずだと、まあ当然のように考えたのです。
 で、結論から言いますと、彼女自身、いや、おそらくそうではなくて、押切もえという商品の周辺の人たちにそれを許す勇気がなかったのでしょう。ある意味中途半端な作品になってしまいました。
 その中途半端とは、大きく二つの点においてです。それも「人間失格」に重ねて説明しましょう。
 まずは、その「さらけ出し度」が低すぎるという点です。私としては、かねてからウワサになっていた家庭環境のことや高校時代のこと、恋人の死や、最近の野球選手とのスキャンダル(?)などが、赤裸々に綴られていることを期待していたのです。なにしろ、「人間失格」を知りつくした人の「モデル失格」ですから。
B000njm35s09lzzzzzzz しかし、残念ながら、そこまでの「失格」要因は書かれていませんでした。まあ、ある意味「普通」の「欠点」ばかり。人見知りするとか、字が汚いとか。そんなのオレも一緒だよ(笑)。
 それでまあ肩透かしを喰らったような感じでしたよね。残念でした。彼女ももう30になり、モデルとしても全く違う領域に入っていかねばならないわけで、そのためにも、今までの「カリスマ」のイメージを払拭、いや捨て去るべく、人間「押切もえ」の「汚い」部分をあえて出してくれるのかなという、浅はかな期待を抱いたのが間違いだったのでしょうか。
 いや、私はですね、やはり「美」をあくことなく希求する「モデル」という仕事だからこそ、年齢を重ねてから生き残るためには、そのくらいの勇気が必要だと思ったのです。それが戦略的にも間違いでないと、ま、シロウトはそう思ったわけです。今までのファン層、場合によっては純粋な女性層までかなぐり捨てて、人間「押切もえ」の魅力、それも「負」の部分をも含めて共感を得るような魅力で行くのかなと。でも、それはプロの方々からすると、やっぱり間違いなのだということでしょうか。
 そして、もう一つの点。それは、私がいつも「人間失格」について言っていること、すなわち「人に助けてもらえる究極の魅力を持って生まれた(つまりはカッコイイあるいはカワイイ)」ことを基底とする「他律的な社会性自慢」という側面です。私は前述の「不幸自慢」と、その裏返したる「幸福自慢」に期待したのですよ。だって、「人間失格」ってそういう話ですから。
 そういう面でもちょっとパンチに欠けましたね。ま、この二点は裏表の関係ですから、当然と言えば当然ですけど。
 というわけで、基本、若い女の人たち、モデルに憧れている人たちとか、美しくありたいと思っている普通の女性たちの夢を壊さず、一方で希望を与える「ポジティヴ・シンキング」の一冊となっています。それはそれで芸能人本として十分に機能していると思いますが、やっぱりオヤジ的な興味からすると、ちょっと物足りなかったかな。
 ぜひ、あと8年くらいして、太宰の失格年齢になった頃に、「モデル失格」ではなくて「人間失格」を書いていただきたいですね。
 まずはご結婚されるとよろしい。この前、映画「人間失格」のトークショーかなんかで、「計算高い男には気をつけます」とおっしゃっていましたが、本当の「人間失格」を目指すなら、あえて「計算高い男」にだまされてみるか、あるいは自分が「計算高い女」になる必要がありますね。
 そう考えると、やっぱり山崎富栄はすごかったなあ…両方兼ね備えている感じがします。ぜひ、もえさんにも「恋の蛍」を読んでいただきたい。ある意味、同じく美を追求した女性だったわけで…。

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2010.02.27

卒業式…そして、鹿刺し

28_8_26_36 日は卒業式でした。卒業生の皆さん、おめでとうございます!
 今年度は3年生の二つの進学クラスの副担任でしたが、中学校開校の仕事に追われ、あまり協力できず申し訳なかった…。しかし、若手の担任の先生方が頑張ってくれまして、無事こうして卒業式を迎えることになりました。お疲れさまでした。
 高校の方も、また新たな一歩前進があったと思います。3年前に立ち上げた文武両道を目指すクラスの1期生が今日卒業を迎えたのです。私にとっても、非常に思い入れの深かったこのクラス。ある意味、自分の理想のクラスとしてカリキュラム編成などに携わりました。
 そんな私の夢を彼ら彼女らは実現してくれたのです。本当に近くで見ていても、ひたすら感心させられる生徒たちでした。勉強も一生懸命、そしてクラブ活動はみんな全国レベル。クラスとしても活気があり、外部からの学校の評価だけでなく、本当に学校の中の雰囲気を変えてくれました。正直、私の予想以上の結果です。
 そんな彼らの頑張りのおかげもあって、この経済状況の中、この春の本校への希望者は大幅に増えました。近隣の公立高校では定員割れが起きています。本当に地道に「人間形成・人づくり」をしてきたことが、ここへ来てようやく地域の皆さんに認められたのだと思うと、なんとも感慨深いものがありますね。正直昔は底辺校でしたので…。
 大学進学者なんて数えるほどしかいなかった学校が、ここ10年で医学部の合格者を出すまでになりました(そう、今年はとうとう防衛医大の合格者も出ました)。それもいわゆるスパルタ式、詰め込み式ではなく、楽しく勉強して、です。
 本当に教師という仕事は楽しいですね。こうして、自分が高校時代出来なかったこと、受験勉強やスポーツや文化活動を、間接的に(しかし、感覚としては非常に直接的に)実現できてしまうのですから。
 さあ、そうしていよいよ4月からは中学校です。来年度からは、私はおそらくそちらでの仕事が中心となるでしょう。ということは、実質上、私も高校卒業だったのですよね、今日。あまり深く考えていなかったのですが…。
 いろいろな人たちの力を借りて、時代を作り、歴史を変えていくことができるのは、本当に楽しいですし、幸せなことだと思います。特に私たちを信じて頑張ってくれた生徒諸君には、本当に言葉で表せないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとう!
 みんなが新しい世界へ向けて出発していったように、私も久々に全く違う世界に足を踏み入れるので、心地よい緊張感と期待感に溢れています。お互い頑張ろうではないか。
 生徒たちにもよく言いますが、なにごとにおいても、辛いこと、そして迷うこと、困惑することがないと、自分の成長は望めません。そういう気持ちになるということは、つまり想定外のことが起きているということです。想定外の「モノ」がないと、私たちはいつまでも昨日の自分と変わりありません。
 うわっ、どうしよう、という時こそチャンスなのです。昨日の自分とは違う自分に生まれかわるチャンスだと思えば、そういう体験は全然不快ではありません。逆に、安穏なルーティンワークの中には、なんの成長の喜びもありませんよね。ただ、楽なだけです。
 そういう意味では、人には環境の変化が必要です。私学人ですと、転勤もほとんどありませんし、なかなかそのような変化の機会がないものですが、私は幸運なことに、いろいろな節々でいろいろなチャンスをいただいてきました。それをありがたいことだと思って、どんどん前向きに(異常にポジティヴに)生きて、いや活かさせていただいてきました。
 そして、もう一つ、今回卒業生へのメッセージとして、「人間、ひと様の世話になれるようになってなんぼです」という言葉を送りましたが、いろいろな自分のピンチ(=チャンス)に、どんどん人に助けてもらうことです。また、いざという時に助けてもらえる人間になっておくことです。
 そして、その恩に報いるべく頑張るのです。しかし、これもいつも言っていることですが、「報恩」というのは、その恩人自身に恩返しをすることではありません。「カネは天下の回りもの」ならぬ「恩は天下の回りもの」でして、誰かの世話になったら、その時の気持ちを思い出して、また違う誰かを世話してあげればいいのです。一番身近な親子関係でもそうじゃないですか。親になってみて親の気持ちがわかり、自分がしてもらったように、自分の子どもを愛するのですから。世話と恩、いわば「義理」と「人情」というものは、どんどん連鎖して拡大する生命体であるべきなのです。
 と、まあ偉そうなこと言ってますが、今のところ、私は人の世話になってばかりでして、なかなかそれに報いることができません。いやあ、だいぶ貯蓄が増えましたので、そろそろそれを使わなければ。お金と同様,恩もあの世に持っていってもしかたありませんからね(笑)。
28_8_26_47 そうそう、今日も想定外のありがたい体験をいただきました。卒業式が終わって、家で軽く呑みながら、テレ東の旅番組などぼんやり観ておりましたら、村の仲間から電話がかかってきました。おいしい日本酒があるから来いとのこと。それは是非ということで馳せ参じましたら、その日本酒はもちろんおいしかったのですが、初めて食べる「鹿刺し」、これがうまいのなんのって!
 この富士山麓の村では、山の生活がまだ残っていまして、けっこう鹿や猪を獲ってその肉を食べるんですよ。この鹿肉も昨年秋に獲ったものを冷凍してあったとのこと。ニンニク醤油をつけて、その凍った肉が微妙に溶け始めた時に食べると一番おいしいのだとか。たしかに!これは最高のぜいたくです。
 実にありがたい想定外の初体験でありました。この御恩もまた、私の通帳にストックされました(笑)。ごちそうさまでした。

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2010.02.26

『世界遺産アンコールワット展-アジアの大地に咲いた神々の宇宙-』 (山梨県立博物館)

Mayaten_2 日は笛吹市(旧御坂町)に出張。思ったより早く到着してしまったので、お隣の山梨県立博物館で「アンコールワット展」を拝観してまいりました。
 「アンコールワット展」が開催されているのも忘れていたくらいですから、神々との偶然の出会いでした。しかし、偶然は必然。言葉にはしにくいけれども、いろいろなモノを感じることができました。
 写真は、三島由紀夫の戯曲「癩王のテラス」のモチーフとして有名な「閻魔大王(マヤ天)」です。こんな、カンボジア国宝級の神像を、こんなに近くで見られるとは…。そう、今回とにかくびっくりしたのはですね、展示方法なんです。
 世界のマスターピースたちが、我々人間に混ざって、普通にそこに「いる」のです。ほとんどの展示物(と言うにはもったいない)が、なんの囲いもなく、我々と隔絶されることなく「いる」のには、正直びっくりしました。全く想定していなかった図です。
 いやあ、大都市ではこれは無理でしょうね。だって、どれにも簡単に触れられるんですから。もちろん、横や後に回ることもできます。
 ある意味、これは本国での展示や、それ以前の信仰の対象としての存在の仕方を大きく超えていますよね。私はちょっと、いらぬ心配までしてしまいましたよ。いろいろな意味で。
 そして、どうしても触れてみたい欲求が…笑。もちろん、自重しましたが。
 なにしろ、それぞれの神像や仏像が色っぽいものですから。三島の気持ちがちょっと分かる。
 特に背中ですね。今回は背中に魅せられましたよ。砂岩が作る滑らかな曲線と滑らかな皮膚。あと、背中の立つ角度ですね。これは神と仏(ブッダ)でそれぞれ違うので面白かった。なるほど、ヒンドゥー教と仏教の構えの違いか。
 それから、なんか今さらという感じですが、日本にもずいぶんとヒンドゥーが入ってきていることを知りました。というか、山梨にもです。そのあたりを「山梨県立博物館」らしく注目してくれるとさらに良かったのになあ。
 ざっと見ただけでも、山梨にも多く見られる民間信仰とのつながりがいくつもありましたよ。双体道祖神や馬頭観音、牛頭天王、もちろん閻魔様も。考えてみれば、山梨は石像物の宝庫ですからね。日本でも有数の「石」文化圏です。私が学芸員だったら、そういう視点も扱ったと思いますよ。もったいない。網野善彦さんも、きっと最初にそういう発想をするでしょう(たぶん)。
 ところで、今日のこの偶然の出会いですが、やっぱり昨日からの流れからすると必然ですよね。私のそういう「眼」がしっかり開かれていたからです。昨日の「霊界物語」講演会の中にも、こうしたヒンドゥーと仏教の神仏が登場していたと言えば登場していました。
 とりあえず、そういう「霊脈」にアクセス中だったわけですから、今日図らずもこの生黄泉の国で出会ったアンコールワットの神仏たちが、これまた一つのデバイス、インターフェイスのように働き、私をあちらの世界に誘ってくれました。
 そうそう、山梨と言えば、「宮下文書(富士古文献)」とクメール文化との関係も考えなくてはなりませんね。それ以前に、両者におけるラーマーヤナの影響も見落としてはいけません。ま、さすがにそういう視点で展示はできませんか(笑)。さすがの網野さんも、それはちょっと…とおっしゃるでしょう。中沢新一さんなら喜ぶかもしれませんが。
 いずれにせよ、この生黄泉の甲斐の国に、こうした異国の神仏が集合して習合している様子は、実に壮観でありました。意外に彼ら、居心地が良さそうでした。とりあえず東京なんかよりは、いいでしょ?
 この想定外の出会いのおかげで、そのあとに控えていた現世的な本業(つまり出張先の仕事)が、なんとも暴力的に瞑想を誘うものとなりました。アンコールワットの神仏たち、案外「閉眼」が多かった。その影響もあってか、私もまた「閉眼」してしまったのでした(笑)。あの難解さ、不可解さ、そしてある種の脱力感は、まあ、「霊界物語」とも言えないことはありませんが…。

アンコールワット展公式

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2010.02.25

「論理エンジン」&「王仁魂」講演会

↓やっぱり似ていらっしゃる!
26_10_17_36 あ、今日もすごすぎる一日でありました。勉強になったのはもちろん、なんというか、魂のレベルが上がったというか、いや、そんなたいそうなことではなく、単純に皆さんから力をいただいて、そして、生命力がアップしたという感じでしょうか。本当に私は幸せ者です。
 私がこれから何をすべきなのか、最近よく分かってきました。まさに「天命」に目覚めて生きる喜びですね。
 まずは、今日このような貴重な時間と出会いをいただくことができた、その奇跡的な流れをご説明いたします。
 今回の二つの講演会のうち、先にお誘いをいただいたのは、「王仁魂」の方でした。昨年それこそ奇跡的なご縁をいただき仲間に入れていただいた王仁魂復活プロジェクト。その第1回の講演会が行なわれるというのです。しかし、平日の昼間の開催とあっては、さすがにこの年度末の忙しい時期には、参加は無理だなあ…とあきらめていたのです。
 ところが!なんということでしょう。その後、数日して全く別のルートで「論理エンジン」の講演会のお誘いが来たのです。ああ、これは来年度の中学のこともあるし、絶対に行かねばと思って日にちを見たら、なんと「25日」、すなわち「王仁魂」の日と同じじゃないですか!え〜とこれはどういうことだ…?そう、王仁魂の会長さんは出口汪さん、そして、もちろん論理エンジンは出口汪さんの発案、制作です。
 よく見ると、時間も思いっきりかぶっています。これは直接お聞きするしかない、ということで、汪さんにメールしてみたのです。そうしたら、残念だが論理エンジンの講演などがあるので、今回は王仁魂には出られませんとのお返事。
 ああ、そういうことか…では、私ももちろん仕事を優先して、論理エンジンの方に出張で行ってこよう、そしてそれが終わり次第少しだけ王仁魂の方にも顔を出そう…そんなふうに考えました。
 そこで早速出張の手続きをし,論理エンジンの講演会の主催者の方にも参加希望の連絡をしました。王仁魂の方は基本参加できないので、連絡をしないでおりました。
 そうしたら、さあ困った困った。意外な展開になってしまったのです。なんと、論理エンジンの講演が大人気で、もう定員オーバーしてしまったと。つまり、私は参加できないということです。
 がっかりすると同時に、ここで正直に告白してしまいますが(世界に発信しちゃってますけど…笑)、実はちょっとずるい考えが浮かんだんです。もう出張の手続きもしてしまったし、とりあえず東京へは行こう。しかし、カラ出張というか、出張と称してプライベートなことに時間とお金を使うのはさすがにいかんだろう。では、会場には入れずとも、汪さんに御挨拶だけはし、そして、資料はちゃんともらってきて、そして、その足で王仁魂の方に参加してしまえ…。
 これ、かなりいけない考えですよね(笑)。でも、もうそうしちゃえ!って正直思っていたんです。ただ、やっぱり私にもさすがに良心の呵責というものはあります。なんとなく気持ちが晴れず、珍しくいろいろと逡巡していたんですよ。で、困り果てて、ウチのご神体である王仁三郎さん作のお茶碗に、「どうにかならないですかねえ〜」とお願いしてみたりしたのです(まるで、子どもみたいですね…笑)。
 そうしたら、まあ、なんということでしょう!当の汪さんもビックリ!なななんと、論理エンジンの会場が変わるというじゃないですか。市ケ谷だったのが、渋谷に移った。あまりに参加希望者が多かったからです。それが、なななんと、王仁魂の講演会の会場から徒歩5分のところ。あとで聞いたら、本当に全くの偶然だったそうです。
 これでですね、汪さんと私、そして水王舎のスタッフの方は、論理エンジンと王仁魂、両方の講演会に参加できることになったのです!会場を行ったり来たり…笑。それが可能な距離になっちゃうなんて…おそるべし王仁三郎の力…。
 というわけで、私はその素晴らしい講演会の両方でしっかり勉強させていただきました。
 まずは、論理エンジンの講演会。まさに汪さんの、「論理エンジン」を通じての世直しの強い意志を感じる内容でした。もちろん、教育者として、教材として魅力的ですよ。それは当たり前です。しかし、それにとどまらない高邁な夢と挑戦がそこにはあるんです。まさに、汪さんの天命を見たような気がしました。
 論理が世界の共通語であること、それこそが「知のOS」であること、そして、論理は感性の基礎にもなりうること…。
 これは子どもや生徒たちだけではなく、大人も先生も取り組んでほしい。本当に国語の先生だけではなく、全ての教科の先生に勉強してもらいたい。世界を変える、世界に平和をもたらす鍵がここにはあります。大げさではなく、身内びいきでもなく(身内だなんてずうずうしいですね)、本当に、今の世の中に欠けているものがここにはあります。大人、特に私の世代の人々には取り組んでもらいたいですね。
 さて、そうしたエッセンスをたっぷり詰め込んだ1時間の講演が終わり、私たちは会場をあとにしまして、歩いて次のトポスへ。「よくすぐに切り替えられますね」と皆で感心していると、汪さん、「何も考えてないからできるんだよ。スイッチをさっと切り替えるだけ。onとoffもそう」。なるほど、やっぱりカリスマは違う。
 さっそく、次の会場入りをすると、こちらの「会長」としての御挨拶。たしかに切り替わっているけれど、しかし、その基本は実は一緒なのではないかと私は思いましたよ。
26_10_17_06_2 さあ、こちら王仁魂の講演会の講師は、こちらも王仁界のカリスマ飯塚弘明さんです。なんと言っても、おそろしく充実した(ほとんど神業的)な「出口王仁三郎と霊界物語の総合サイト〜オニド」を制作、運営しておられることで有名な方です。私も日常的にお世話になっていたので、いったいどういう方なのだろうと興味を持っていたのですが、まあ、とにかくすごい人でした。
 今回の講演「霊界物語に見る王仁魂〜世界の霊的源泉〜」の細かい内容はナイショとしまして(笑)、とにかくですね、あのような世界で最も複雑で大量で混沌とした「物語」を、あのように分かりやすく説明するだけでも、もう私からすると神業です。教師としても勉強になりましたね。生徒にとっては、勉強の内容なんかまさに「霊界物語」でしょうから。いかにポイントを抜粋して、そして整理して伝えるか。飯塚さん、それがお見事でした。勉強になりましたし、勉強のしかたが解りましたよ。素晴らしい先生でした。まさに宣伝使。
 この講演終了後は懇親会。たまたま同席した方とのありがたいご縁もありました。経営界のカリスマ船井幸雄さん、勝仁さん父子、水の伝道師江本勝さん…私にとってはこれまた夢のような方々とこれからつながっていけそうです。私はそうした超一流の方々から学べるものは全て学び、そして仕事に、つまり子どもたちのために還元できればと思います。
 本当に人とのご縁は素晴らしい。縁が縁を生みます。私は私なりに、誰かのために何かを提供できれば…。人生、これからも本当に楽しみです。ありがとうございました、皆さん!

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2010.02.24

ブログでダイエット!?

25_6_56_22 日一食生活、ぼちぼち丸6年になります。おかげさまで、いよいよ始まる花粉症のシーズンも、一日三食時代から考えられないほど快適に過させていただいております(詳しくは右サイドバーにある「一日一食」をクリック)。
 ところが、最近一つ問題が…。いやあ、実は最近ちょっと太り気味なんですよ〜。ベスト体重を3キロほどオーバーしております。
 これはもう一食減らすしかないですかね。そうしますと、一日零食ということですね。二食カットしただけで、5年間で100万円ほど節約でき、さらに温暖化防止にも貢献できましたから、三食カットするとなると…究極のエコ(エコノミー&エコロジー)ですね…。
 おいおい、1日0食ってことは何も食べないってことじゃないですか!一生断食ってことですか?さすがに死んじゃうでしょう。いや、一食にしたことで体がドラスティックに変化しましたから、もしかすると、不食でも生きていける究極の生命体に進化しているかもしれない(笑)。ちょっとやってみましょうかね。
 ま、それは冗談としまして、二日に一食くらいでもいいかもしれません。でも、やっぱり食べることは生きる喜びの一つですから、残された人生、とりあえず他人様よりその楽しみを3分の1しか味わえないのに、さらにそれが減ってしまっては、生きている意味がありません。
 ということで、これ以上楽しみを減らさないで、かつダイエットをするためには、そうですねえ、やっぱり運動するしかないでしょう。実際、最近の私全然運動していません。家の猫たちと同じような生活を送っていますからね。
 かといって、何かスポーツをするような時間の余裕もありませんので、これはある種の器具に頼るしかないか…と、部屋の片隅を見れば、そこにあるじゃないですか、ダイエット器具が。
 そう、2年前に買って紹介したエックスバイクですよ。これ、まあ時々思い出したように使ってましたけど、最近カミさんが本当に部屋の隅っこの方に追いやってしまったので、実質上使えない状態になっていまして、放置されていました。
 毎年そうなんですけど、寒い季節になるとこういうのをやるのが億劫になるんですよね。体が温まっていいような気がするんすけど、どうも私は原始的なのか、冬になるとプチ冬眠状態になるようで、なんとなく動きたくなくなるんです。冬になると太るのも太古の記憶でしょう。脂肪をまとって寒さをしのぐ。
 でも、さすがにちょっと最近ちょっと体が重い感じがしますので、このエックスバイクを再びリビングの中央付近まで引っ張ってきました。しかし、いざペダルをこぎだすと、また太古の記憶が蘇ってきて(笑)、面倒くさくなってしまうんですよね。5分もやって、「あ〜疲れた」とか言ってしまう。そんな自分がまた情けなくて落ち込む…わけはありませんが、全然効果なしです。
 それで、私考えました。皆さんもなんとなく分かると思うんですけど、こういう単純なゲーム性のない運動というのは、それ自体を目的としても、なかなか続かないんですよ。こんなことは無意識的にやるべきです。
 じゃあ、どうすればいいかと言いますと、たとえばテレビを観ながらこぐんですね。これはなかなかいい。プロレスとか観ながらだと、気合いも入ります。それから読書しながらですね。これも悪くない。
 しかし、これらの問題はですね、毎日定期的にはやらないということです。ですから、ダイエット(体力作り)も続かない。不定期になってしまう。
 そこで、考えました。毎日ある程度の時間を費やしていること。それも長く続けていることは何だろうと。
25_6_56_40 そしたら、ありましたよ!これですよ、これ。そう、この「ブログの記事を書く」という行為です。なんだかんだ、こちらも丸6年間一日も休まずやってるじゃないですか!それも早朝の小一時間をかけてますからね。これを使わない手はない!
 というわけで、工夫しました。工夫というほどでもないんですけど、実に単純なことです。写真のように、バイクのハンドル部分に木の板を渡して、そこにすべり止めのシートを敷いて、そこにMacBookを乗せたんです。そしてたら、まあ、高さも角度もちょうどいいじゃないですか!
 で、実際やってみたら、これが実にいい。ほとんど無意識的に小一時間ペダルをこいでいる。消費カロリーもすぐに200kcalくらいは行ってしまいます。
 さらに予想外のメリットがありました。運動すると頭の回転もよくなるんですよね。すらすらと文章が出てくる…ような気がする。いや、そういうのってあると思いますよ。だいたい朝5時過ぎから書き始めるんですけど、寝起きじゃないですか、体も眠いし頭も眠いんですよ。それをこうして運動することによって、強制的に起動するというか、覚醒させることができる。これは一石二鳥です。
 というわけで、今日のこのお気楽記事は30分ですみました。消費カロリーは100kcal程度でした。はたして、この習慣、いつまで続くことやら。いやいや、これは普通に続けられそうですぞ。

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2010.02.23

『謝』

20100224_62817 日のアントニオ猪木さん67歳の誕生日パーティーの引き出物の一つが、「本格米焼酎 燃える闘魂」でした。そのラベルが左の写真。
 昨日のリング上でも「謝」という言葉について語っていた猪木さん。「感謝」という意味で、この文字を使っているとのこと。
 たしかに、現代中国でも「シェーシェー(謝謝)」という言葉がありますね。私たちは、それは「ありがとう」「thank you」の意味であると思っています。それが微妙に違うらしいという話は、最後にとっておきます。
 というわけで、今日はこの「謝」という中国の文字について考えてみようと思います。
 実は、この「謝」という文字、漢文のテストにもよく出るんです。いろいろな意味で使われるので。そろそろ国立の二次試験ですから、受験生の皆さんはこの記事を読んでおくと得をするかもしれませんよ。
 この「謝」という漢字、言偏に「射」と書きます。形声文字ではありますが、旁の「射」は単なる音符ではないでしょう。なんらかのイメージをもってこの字を使ったと思われます。では、「言葉を射る」とか「言葉において矢を射るようなこと」とはいったい何なのでしょう。
 これはですね、本国の方でもあまりよく分かっていないようなんです。でも、今日はあえて私の考えを書かせていただきますね。たぶん当たらずとも遠からずだと思います。
 古代中国では、大切なお客様を迎えた際、友好の気持ちを伝えるために、弓で矢を射る儀式を行なっていたようなのです。たしかに今でも、外交儀礼の中で礼砲が撃たれることがありますよね。一見なんだか物騒なような感じですが、相手とは違う方向に砲弾を放つことによって、交戦意志のないことを表すのだと思います。武士が刀を腰からはずすようなものでしょう。
 礼砲には、祝砲とともに弔砲というのもあります。主に戦争で亡くなった兵士を弔うために撃つものですね。これも洋の東西を問わず行われています。
 いずれにせよ、こうした礼砲には「相手に意を尽くす」という意味合いがあるのですね。その原形のようなものが中国にもあったわけです。弓矢を空に向けて射たと。
 その礼射とも言うべき実際の行為の代わりに、「言葉」でそうした気持ちを伝えるのが「謝」なのではないかと考えたわけです。
 実は「謝」という漢字には、「感謝(礼を言う)」とか「謝罪(わびる)」とかいう意味のほかにも、大切な意味があります。それは「代謝」の「謝」です。実は古くはこの用法の方が多かった。「代謝」の「謝」とは、「去る」とか「移り変わる」とか「死ぬ」とか「衰える」というような意味です。
 これも先ほどの「弔砲」ならぬ「弔射」から来た意味ではないかと考えられます。人が最も「意を尽くす」のは、別れの時ですよね。だいたい、その時には、私たちは「ありがとう」か「ごめん」を言うものですし。
 複雑な他民族環境にある大陸の国のご多分にもれず、中国の歴史はほとんどが戦争の歴史です。日本のような平和な島国の方がずっと特殊です。ですから、日本人の「ありがとう」と「謝」の意味は当然違ってきますね。
 あえて言えば、「謝」の方が、ずっと「他者性」が強い言葉なんです。どちらかというと非日常的な言葉(文字)です。ですから、中国語の「謝謝(シェーシェー)」は、日本語の「ありがとう」とは完全イコールにはなりません。
 中国から来た生徒に聞くと、「謝謝」の方がずっと堅苦しく感じられるらしい。他人行儀な感じ。たとえば、友だちどうしとか家族の中とかでは使われないと言います。まあ、「ありがとう」も肉親や親友どうしではちょっと使うのが気恥ずかしい言葉ですが。
 中国の方はそんなに意識していないと思われますが、やっぱり儀礼的、「礼射」的な語源意識(無意識)が残っているんじゃないでしょうかね。そう考えた方が面白いですし。
 というわけで、アントニオ猪木さんが「謝」と言いますと、やっぱりなんか重い感じがします。そして、なんとなく「弓を引くストレート(パンチ)」を想起させます(笑)。いや、冗談じゃなくて、猪木さんの「闘魂注入ビンタ」なんかも、多分に儀礼的、祝祭的な雰囲気を持っていますからね。

燃える闘魂・道2本セット(闘魂タオル付き)
 
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2010.02.22

『IGFプロレスリング GENOME11』&『アントニオ猪木誕生日パーティー』

↓お土産の品々
23_7_56_20 事が終わってから東京へすっ飛び、行ってきました。5時に富士吉田を出て、6時半には水道橋に着いて、ちゃんと第1試合から観ているという奇跡の荒技(笑)。
 なかなか面白い興行でした。課題もいろいろ見えましたが…。
 そして、なぜか猪木さんのお誕生日会に出席…。
 というわけで、少し時間ができましたので、軽く感想など。試合の詳細などは
スポナビでどうぞ。
 まず、全体として。
 今回でGENOME生観戦は2度目。一緒に観戦したカミさんは3度目ですね。今回はカミさんはアリーナ席で、私は3階バルコニーでの観戦でした。カミさんが言うにはアリーナはそこそこ盛り上がっていたようですが、距離のあるバルコニー席は一部の(巧みな)野次を飛ばす人以外は、みんな静かすぎ。私も闘いの世界に入り込めず、なんとなく一体感が足りない感じがしました。
 いや、これはIGFに限らず、どこの団体でもそんな感じです。あの昭和の興奮を知っている者としては残念ですね。そういう意味では、前半戦の中に会場を温める試合が盛り込まれてもいいと思います。初っ切り風なものでもいいし、それがIGFのイズムに反するなら、やっぱり派手なジュニアのタッグマッチなんかを入れて、シロウトさん、一見さんにも分かりやすい構成をすべきなような気がします。
 私はそういう意味で、宮戸優光GMに飯伏幸太選手を推薦してるんですけどね。ドラゲーやDDTが持っている爆発力というのも、現代のプロレス会場には必要だと思うのですが。
 さて各試合の短評を。

第1試合 定アキラvs澤宗紀
 アキラくんのプロ2戦目。今や百戦錬磨となった澤選手相手によく健闘したと思います。どちらかというと、澤選手のバチバチした世界に定選手が乗り込んでいったという感じでした。いろいろなタイプのプロレスラーとの闘いを体験して、どんどん勉強していってほしいですね。でも、とにかくデビュー戦よりもかなり進歩したアキラくんの成長ぶりを観ることができて、ちょっと安心。

第2試合 タカクノウvs佐藤光留
 地味だけれども、なかなか高度なテクニック合戦。気持ちの闘いも悪くなかった。こういう玄人好みの試合も悪くはないですね。ただ、やっぱりあまりプロレスや格闘技を知らない人には地味すぎるのかも。どうせなら、いつものように(?)佐藤選手メイド服で入場してほしかった。そうすれば、キャラ的にもコントラストが出来て良かったかも(笑)。ある意味佐藤選手は幅の広いいい選手ですが、タカ選手はあまりに一本気すぎるのかもしれません。プロレスは深く広い。

第3試合 ウルティモ・ドラゴンvsTJ
 ルチャ・マッチということでしたが、派手さに欠けましたね。もう少し手が合う相手とだったら、ウルティモの良さが出たかも。TJ選手も悪い選手ではないのですが…。私はやや退屈しました。

第4試合 エリック・ハマーvsダニエル・ピューダー
 これが私としては一番寒い試合でした。たぶん、両者ともテクニックもパワーもあるいい選手だと思うんですけどね。どうしてもこういうふうに中途半端な総合風になるとお客さんに分からない試合になってしまう。せっかくのヘビー級の魅力が半減です。やるなら完全に総合ルールでやるとか。昔の名レスラーは、もちろん総合的なテクニックを持ちつつ、お客さんを主役にまで仕立てる試合を作ることができました。こういう試合になると、スタミナ切れが目立ちます。ツワモノたちのスタミナ切れほど醜いものはないと思うのですが。

第5試合 ミノワマンvsネクロ・ブッチャー
 そして、これが今日のベスト・バウト!ネクロ最高!私の期待通りの試合内容でした。会場の盛り上がりが全てを象徴していますね。試合はいちおうミノワマンの勝ちでしたが、プロレスの勝負では完全にネクロの勝ち。会場の人気も圧倒的でした。まさに国際プロレスの怪奇レスラーという雰囲気もいいのですが、やっぱり相手も自分も活かしきるホンモノのプロレス観の素晴らしさですね。さすが映画「レスラー」の影の主役です。彼とは一度話したことがあるんですけど、本当にスマートでジェントルな方でしたよ。久々に美しい「流血」を見ました。かっこよすぎ。そして、ネクロに活かされ、生かされ、そして一つ殻を破ったミノワマンも素晴らしかったと思いますよ。今日が本当の意味での「リアル・プロレスラー」誕生の日でしょう。プロレスが何たるか分かったのでは。実際、試合後、謙虚にネクロに感謝していましたよ。今後のミノワマンに期待です。

猪木さんのパフォーマス
 久々にガウンで登場!感動しましたね…ウルウル。いつもの言葉も重く感じられました。50年、半世紀ですからね。「運は勇気のない者にはやってこない」「馬鹿になれ。とことん馬鹿になれ。恥をかけ。とことん恥をかけ。かいてかいて恥かけば、ホントの自分が見えてくる。ホントの自分も笑ってる」…心にしみましたね。
後半戦です。

第6試合 初代タイガーマスク・藤原喜明vs藤波辰巳・木戸修
 これはすごすぎ。スネークピット・キャラバンで我々も勉強させていただいた4人です。もちろん、それを抜きにしても夢再びですよね。新日本プロレス黄金時代です。蝶野さんが「ザ・道場」と言うのも納得です。古き良きプロレスの伝承。いや、冗談でなく、今のプロレス界はもう伝統芸能として保存していくしかないのかなという気もしているのです。ちょうど歌舞伎や能がそうであるように。NHK教育で放送すべきなのかもしれません。国立のリングや道場を作るべきかもしれません。歌舞伎も能もそうですが、ある時代の庶民の歴史を牽引したものは、いずれ時代の流れとともに一線からは姿を消さねばなりません。しかし、その歴史の重さを、それこそ「ゲノム」として伝承していく責任は後世の人々にあるのです。まあとにかくレジェンドたちに敬意を表するとともに、その方々がこうして興行を引っ張っている事実を憂慮すべきなのかもしれませんね。

第7試合 高山善廣vsザ・プレデター
 これは文句なくいい試合。こういうデカイ物の怪どうしが、とにかくガンガンぶつかり合う試合というのはプロレスの醍醐味です。相撲の持つ本来的な神事、「地鎮」のエネルギーを感じますね。私はこういう「文化」としてのプロレスに非常に興味があります。これはテレビでは伝わらないものかもしれません。この前、NHKで福祉大相撲をやってましたね。あれが本来の相撲の形です。スポーツじゃないんです。プロレスにも「花相撲」は必要です。しっかし、あの高山がこれほどぶん投げられる、しかし最後は怪物退治…もうそれだけで充分に「神事」ですよ。

第8試合 ジョシュ・バーネットvsボブ・サップ
 前の試合が良かっただけに…痛すぎました。ジョシュが可哀想ですね。サップはちょっと勘違いしてるんじゃないでしょうか。素材はいいのですから、自分を生かす勉強をした方がいいですよ。プロレスで生きていくなら、プロレスのファンが何を求めているか、まずそれを知らなきゃ。ジョシュがサップを生かそうとしていましたが、そのへんは実はジョシュもそんなに巧くないんですよね。というわけで、イマイチの試合。ちょっとガッカリ。先ほども書きましたが、スタミナですよ、両者とも。

第9試合 佐々木健介・中嶋勝彦vs小川直也・澤田敦士
 これは「プロレスの格」の違いをまざまざと見せつけた試合。プロレスは「経験」です。実戦経験です。たとえば本番のスタミナ配分、これは経験しないと分かりません。いくら毎日道場で実戦さながらの練習をしていても、本番は全く違うんですよ。これは音楽でさえそうですから。本番のエネルギーの配分は非常に難しい。健介と勝彦はまさに百戦錬磨。そのへんが見事でした。そして、健介オフィスの特長、お客さんを乗せるうまさ…これは抜群です。昔は「しょっぱいレスラー」の代表だと思っていましたが(失礼)、鬼嫁をもらってからというもの、素晴らしいですね。そして、勝彦は、まさに澤田との経験を差を見せました。あれだけの名レスラーたちと何十分も闘い続けてきていますからね。ある意味健介以上に観客の心をつかむことができます。素晴らしい!全ては、最後、解説の蝶野選手が小川に叫んだ言葉が全てを表しているでしょう。「おい、ちゃんとプロレス練習しとけ!」。さすが蝶野選手。GJです。IGFの弱いところはそこかなあ…。試合数が少ないということ。
 ま、とにかく、今回の興行の成功はこのメインのおかげでしょう。つまり、健介&勝彦のおかげです。ここ数年彼らを観てきて、彼らの素晴らしさをよく知っているつもりですので、私たち夫婦としては「してやったり」の気持ちです。

 さてさて、試合後ですが、こっちは何がなんだか分からないうちに終わっちゃった。カミさんは、放送席で解説をしていた流さんたちと一緒にどっか行っちゃいまして、私は一人で、お隣り東京ドームホテルで行われた「アントニオ猪木67歳誕生日パーティー」に参加いたしました。宮戸GMの取り計らいです。ありがたいですね。
 試合を終えた選手たちはもちろん、坂口征二さんや、石井館長、薬師寺さんや、はてはなぜか毒蝮三太夫さんや秋川雅史さんまで、なんかすごい人たちがたくさんいる…。というわけで、いろいろと書きたいところですが、ずいぶん長くなったので、この写真だけ貼っておきます。
20100223_194328 あれだけ(たぶん2リットルくらい)出血していたのに、余裕でビール瓶一気のみしてました(笑)。これぞプロレスラーですよ。こういう常人に不可能なことを余裕でやるようなモノノケこそ、この世に必要なのです。
 いやあ、そういう意味では、なんだかんだ言って、アントニオ猪木が人間国宝級のモノノケですな。いや、人間じゃないからモノノケ国宝ってことですか(笑)。時代はモノノケを招来している!!
 私は「バカ」と言われようと、一生プロレスとつきあっていきますよ。いいじゃないですか。プロレス馬鹿で(笑)。頑張ります!
 平日の興行&イベントということで、正直最初は躊躇していたんですけど、行って良かった。こういう非日常の「マレビト」を、我々は必要としているのでした。

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2010.02.21

『バカポジティブ』 関根勤  (ヴィレッジブックス新書)

86332045 くて重い本。さっと読めてしまうけれど、ずっと残る本。
 一昨日の「ものまね」記事に登場した清水ミチコさんとも仲良しの関根勤さん。彼は自分のものまねを「その人に対する屈折した愛情」と表現しています。それもある意味私からすれば、相手との一体化、すなわち「もの(霊・他者)まね(招く)」を表現した言葉だと思っています。
 思えば、彼を初めて見たのは「ぎんざNOW!」の素人コメディアン道場でした。私は小学4年生くらいだったかな。正直その時は、これほど息の長い芸人さんになるとは思いませんでした(失礼)。
 その知性と人柄が感じられる芸と、芸能界での存在感はいかにして醸し出されてきたのか、それがはっきり解るこの本の内容でありました。ある意味芸能人らしからぬ所こそ彼の芸人としての個性なのです。
 「バカポジティブ」…これに関しては、ある意味私も負けませんよ(笑)。「ポジティブ・シンキング」ではなくて、まあ根っからの「ポジティブ」ですからね。いやいや、やっぱり私も彼と同じように、暗く辛い青春時代の裏返しとしての「ポジティブ」かもしれないな。ポジティブとは、ネガティブの存在が前提となるのかもしれません。
 性悪説がたぶん正しいのと同様に「性ネガ説」を私は支持します。私たちはそうして生まれて、どこかでそれを乗り越えて(悟りを得て?)「善」や「ポジ」になっていくのでしょう。それをして、「偽善」とか「偽ポジ」とか呼ぶのもいいでしょう。たしかにそういう部分もあるからです。
 私はどこかで「真善とは神仏以外にあり得ないので、偽善が人間界では最上」というようなことを書きました。それと同様に「偽ポジ」は「真ネガ」よりエライと思うんですよね。
 この本を読んで、「謙虚」についても同じように思いました。誰しも「目立ちたい、偉ぶりたい、人より上に立ちたい、自慢したい」というのは生来持っていると思います。それを、ある「経験」を通じて、ある「智慧」を得て克服していく。それは実に難しいけれど、それを実現した人は立派です。「偽謙虚」が人間界では最上なのです。
 まさに関根勤さんは、「偽善」「偽ポジ」「偽謙虚」「偽いい旦那」「偽いいパパ」です。こんなこと書くと一瞬失礼な!と思われてしまいそうですし、御本人は一瞬むっとなさるかもしれませんが、先ほど書いたように、考え方を変えて冷静に見回してみますと、やはりそれらの属性は後天的に、ある種の苦しみの中から、ある種の努力を経て獲得したものであると思うのです。それは本当に立派なことです。
 芸能界という、そういうことの為し得にくい環境の中で、それを地道にやってきたからこそ、きっと今の彼の立場があるに違いありません。
 彼は無類の格闘技好きです。そういう面でも親近感を覚えるわけですが、たとえばプロレスにおいても、「ベビーフェイス」や「ヒール」と言った「演技」が必要なように、人生にもそういうことが重要だと思います。私たちは他人からの評価、査定によって、初めて自分の人格を形成できます。ある意味演じているうちに、それこそが実際の自分になっていくのです。「自分に正直」とか「生まれた時の姿のまま」というのは、実は努力不足であったりするので注意が必要です。自分に正直だと、だいたい人は不機嫌になります。それをゲーテは「怠惰」と呼びました。
 関根さんは、そんな意識を持っていないかもしれませんし、純粋にご自分を高めていらっしゃったに違いないのですが、きっと私のこの「屈折した愛情表現」を解って下さると思います(たぶん)。
 浅井企画にいた教え子の芸人が、ずいぶんと世話になったようです。いや、今でも可愛がってもらってるのかな。私にとっても、彼らは「手のかかる、世話の焼ける、でもほっとけない」カワイイ教え子なのです。きっと関根さんにとってもそうなのでしょう。そういう意味では、教育に関する「ツボ」が一緒なのかもしれませんね。いや、単にあいつら変すぎるので、自分の趣味として楽しんでいるだけとも言えるかも(笑)。ま、実はそういう「人間に対する興味」こそが、「教育」であり、「愛」であり、「善」や「ポジティブ」や「謙虚」の基本なのかもしれませんね…。
 とにかく、この本、私としてはとっても同感な部分が多く、いや、それ以上に「すごいな〜」という部分が多く、本当に感動しました。やっぱりある世界で一流になって、しかし目立ちすぎることなく、つまり憎まれることなくやっていくには、こういう生き方をするのが一番いいのだなと。
 一度お会いして直接教えを頂きたいものです。教え子くんに頼んでみようかな。
 あっ、ちなみに一番参考になったのは「シモ」の話でした(笑)。
 
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2010.02.20

オール床用ワックスシート (リンレイ)

Item_02 日は1日東京の予定だったのですが、事情があって中止。家にこもることになりました。
 少しまとまった時間ができたので、ここ数年ずっと気になっていたこと、やらなきゃと思っていたことをやりました。たまには家のこともしないと怒られちゃいますからね。
 それはフローリングのワックスがけです。
 ウチも建ててから10年以上になりました。早いものです。山の強い紫外線によって外壁の塗装がダメージを受けるほかは、特に大きな問題点や修繕箇所はありません。しかし、フローリングの床の傷みは、それなりに気になるようになってきました。なにしろ、ウチは猫&小学生がいますからね、床の汚れはけっこう激しい方だと思います。
 特に、新入りのミーちゃんが下半身不随のハンディーキャップ猫なので、なにかと粗相をすることがあり、その始末に追われているという感じなんです。そんなこともありますし、実際のところ新築以来ほとんどフローリングのメインテナンスをしていなかったので、ようやくという感じでしょうか。ワックス掛けというのをしました。
 いや、なんとなく面倒くさかったんですよね、ワックス掛けって。そんな面倒くさがりやにはピッタリなのが、このオールワックスシート。
 簡単に言えば「クイックルワイパー」にこのシートをつけて、コシコシすればいいということです。これなら私にもできそうです(笑)。
 まずは、積年の汚れを落とします。これにはあの「ウォッシュレボリューション」を用いました。しっかし、この業務用洗剤、結果として安上がりでしたよ。5年前に買って、まだ半分以上残ってますからね。だいたい20倍くらいに薄めて使っていますから、なかなか減りません。学校でも活躍しているし、人に貸したりもしてるんですけど、なかなか減ってくれません(笑)。非常に重宝していますよ。なんでもキレイにしてくれますから。私のまわりでは結構人気です。
 学校では何に重宝しているか、お分かりになりますか?意外なところで大活躍してますよ。それは…制服などについた血液の汚れや墨汁を取る時です。すぐ落ちますから。落ちるというか無色透明になるというか。私、ほとんど「シミ抜き屋」になってます。
 さて、そんなウォッシュレボリューションをですね、シュッシュと床にスプレーして、これまたクイックルワイパーで拭きます。スプレーしてすぐに汚れが浮き出しますから、それを拭き取る感じです。それにしてもめっちゃ汚い。シートが真っ黒だ。汚れでコーティングされている感じだな、こりゃ(笑)。
 いや、ウチは人間自身も常在菌でコーティングする健康法(?)をとっているんで、それほど気になりませんが。
 さて、いちおう汚れ落としが終わりましたら、さっそくワイパーのシートをこのワックスシートに替えまして、ワックス掛けです。
 あらら、こりゃホントに簡単だ。ちょっと最初のうち塗られるワックスが多過ぎるような気がしますが、それも少し工夫すればうまい具合に均等にできますね。1枚で6畳分の広さをカバーするんですが、その6畳の四角いスペースを端から塗っていくのはなくて、ワイパーの着地場所を適当にばらけさせて、全体に伸ばす感じにかけていけばいいようです。端から順にやっていくと、最初と最後のワックス量がかなり違うことになってしまいますから、ちょっと注意。
 このお手軽ワックスのいいところは、とにかく乾燥が早いということですね。5分もすればかなり乾いた感じになり、10分経てばもうそこを歩けます。変に足跡がついたりしなくていいですね。ちなみに乾く前に猫が歩いてしまい、カワイイ足跡がつきましたが、上からさっさともう1回ワイプしたら、(残念ながら)消えてしまいました。ちなみに猫の方は、気持ち悪かったのか足を振りながら歩いていました。その動作がけっこう笑えましたね。
 とういわけで、今日はリビングとキッチンと階段のワックス掛けを終えました。あとは、廊下やトイレ、脱衣所、2階の寝室ってとこですね。
 実は、とっても楽だったので今日中に全部やってしまおうと思ったんですが、ちょっとしたアクシデントがありまして断念しました。
 これは皆さんも注意してほしいのですが、手袋をしないで素手でシートをワイパーに取り付けていたら、まあ当然手にワックスが付着したんですね。最初は全然気にしないでやってたんですけど、最後の方になったら、手がパリパリになった感じでヒリヒリ痛んできたんですよ。特に関節のシワのところは赤く腫れてしまいました。
 注意書きには、「肌の弱い方は炊事用手袋を使用する」とあります。私の肌はけっこう強い方ですから、「必ず炊事用手袋を使用すること」とした方がいいのではないでしょうか。多量の温水で洗い流したつもりだったのですが、樹脂の粒子が皮膚の溝に入り込む感じでけっこう痛かった。
 ま、それは次回から気をつければいいということで、とにかく床がスベスベにピカピカになりましたので良かった。足の裏の感触が変わると、気持ちまで変るので面白いですね。猫の粗相の処理も楽になりましたし。やっぱりたまにはメインテナンスしないとね。いちおう1回の塗布で4ヶ月持つということですので、次回は夏前かな。1回400円弱ですからね、これからはちゃんと年に3回ワックス掛けします。
 ところで、「リンレイ」ってどういう意味なんでしょう。「東日本特殊塗装剤工業」→「東日本化学工業」→「リンレイ」という変遷があるとのこと。語源が分かりません。気になる…。

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2010.02.19

「ものまね」とは…

51wywrieu7l_sl500_aa240_ とつ、とっても重要なことに気づきましたので、書いておきます。
 皆さんにとってはどうでもいいことかもしれませんが、日本の歴史や日本語にとっては案外たいへんな発見かもしれません(なんちゃって)。
 以前、世阿弥の「物学(ものまね)」について書きました。こちらです。この時は「ものまね」の「もの」の部分について詳しく書きましたが、今回は「まね」の方について私見を披露したいと思います。
 ま、あの時も「学ぶ=真似ぶ」というアプローチで語ったわけですが、今日突然、そのまた向こう側が見えたような気がしたんです。それが、調べてみたら、意外に先賢の方々が指摘していないことだったわけです。
 そのきっかけは、清水ミチコさんでした。なんとなく家族で「どれみふぁワンダーランド」の再放送を観ていたんです。この番組最近はまってまして。音楽の楽しみが伝わってくるいい番組ですよね。明日の本放送も面白そうですよ。
 そう、それで今回、「ライブハウスOKEI」に登場した清水ミチコさんや、RAG FAIRの「お好み焼き 谷村」を観て聴いていまして、「ああ、『まね』って『招く』ことなんだな!」ということに気づいたのです。
 つまり、「ものまね」とは「招霊」であると。
 私のモノ・コト論では、いつも掻いているように「モノ」は「他者・外部・不随意」などを表す言葉としています。そこから、「鬼」を「もの」と訓むように、「霊」という意味も生じたと考えられます。
 別に「霊」という言葉を使わなくてもいいのです。とにかく、「他者を自分の中に招き入れる」という意味ととらえるわけですね。その結果、その人の「たたずまい」が表現されると。
 だから、清水さんの「モノマネ芸」を見ても分かる通り、とにかく外見が似ていればいいというわけでもなく、声が似ていればいいというわけでもないのですね。
 実はウチのカミさんも「ものまね」の天才です。一度聞いたり見たりしたものは、ほとんど完璧に再現できるという妙な技を持っています。そのカミさんに今聞いてみました。
 「モノマネする時ってさあ、似せようとしてるの?それともなりきってるの?」
 「それはもう、絶対『なりきってる』だよ。意識して似せようとすると全然ダメ」
 なるほど、やっぱりそうですか。つまり、自分が「うつ(空)」な「うつわ(器)」になって、そこに相手(の霊)を招き入れるわけですね。だから「ものまね」であると。
 ちょっと調べた限りでは、このような解釈をしたものはありませんでした。しかし、このように考えますと、世阿弥の「物学」も理解しやすくなるんです。14世紀にはすでにこのような語源意識は薄らいでいたかもしれませんが、現在のいわゆる「モノマネ」よりは、太古の記憶を残していたものと思われます。
 実はこのような憑依による表現活動というのは、「モノマネ」に限ったことではありません。楽器の演奏も舞踏も、あるいは絵画や文学の創作活動もそういうものなのです。
 実は、この「なりきる心」というのは、禅の最終目標でもあります。たとえば、作務というお勤めでは、床の雑巾掛けをする時には、雑巾になりきらなければなりません。それが禅的には「自己を滅却する」ということにもなるわけですが、ある意味では「ものまね」を目標としているとも言えます。
 そして、もちろん、「招く」ことによって「真似ぶ」すなわち「学ぶ」ことができるとも言えます。雑巾に学ぶのです。それが修行です。
 いずれにしても、「招く」ために、自分を「うつ」にして、自分が「器」になることこそが難しいのです。おそらく世阿弥はそれを「花伝書」で説いているのでしょう。
 というわけで、この説を証明するために、いろいろと古い文献の用例に当たってみたいと思います。
 でも、考えてみますと、こんなことに気づいた瞬間というのも、別に論理的に考えていたわけではなくて、突然そういうアイデアが降ってきたというか、訪れたという感じなんですよね。疲れがたまって私自身が「空」になっていたんでしょう。たまには、そういう瞬間があるのもいいものですね(笑)。

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2010.02.18

J.S.バッハ 『小ミサ(ルーテル・ミサ)曲集』 パーセル・カルテット

BACH: Lutheran Masses Purcell Quartet
51q24p3550l_sl500_aa240_ の中では、王仁三郎とはある意味対照的な巨人。バッハは「コト」を極めた人です。しかし、これまたワタクシ独自の世界観であって、皆さんには御理解いただけないかもしれませんけれど、やっぱり全ての究極に至るには「コトを極めてモノに至る」必要があると思うんですよね。
 禅の修行なんかもそうですし、イチローの棒球道もそう。まあ、あらゆる偉人は皆、言葉や形式や理論を極めて、そうして、結局その無力さというか、自分の「コト(随意=脳内処理)」の無力さを知り、「悟り」を得ると。
 普通は死ぬ前に諦めてしまうんです。諦めは「明きらめ」ですから、それでパッと世界が開けるものなんですが、この人(大バッハ)は死ぬまで挑戦し続けた、とんでもない人ですね。
 ま、王仁三郎も「コト」(例えば言葉)を極めたとも言えますが、残した物はほとんど「モノ」性に満ちていますから、やっぱりちょっと違うのかもしれない。
 バッハの残した物は、ほとんど人間の(脳の)限界点に達しています。もちろん、それを私たち凡人は受容できても模倣はできませんので、結局自己にとっては「不随意」な「モノ」であるわけです。
 ううむ、自分でも何を言っているのかわからなくなってしまった。これほどに「モノ」と「コト」とは単純(なにしろ、この世には「モノ」と「コト」しかないのですから)かつ複雜に重奏しているのです。
 そう、重奏と言えば、この小ミサ曲たち、それこそシンプルかつコンプリケイティッドの究極のような作品集たちです。
51czs89r0sl_sl500_aa240_ バッハの曲はほとんど聴きつくしていると思っていたんですよね。そしたら、これらBWV233、234、235、236はちゃんと聴いてなかったんです。
 なんか得した気分ですね。もう最後の1コまで食べきっていたと思っていたミルキーがポケットの奥から見つかったような(笑)。
 大ミサというかBWV232「ロ短調ミサ」は、私の最も好きなバッハ作品です。一度こちらで書きましたね(ちなみにこの初音ミクバージョンすごいっす…爆)。
 私の個人的音楽ライフのみならず、世界史的にも、その「大」の威光に隠れてしまっているという意味において、「小」たちは可哀そうな存在です。
 実際、こうして聴いてみますと、なんと素晴らしい作品群ではありませんか。これはほとんど「大」に匹敵しています。
 考えてみると、「大」もそうなんですが、最晩年、もう視力もかなり衰えてしまった頃に、プロテスタントやドイツ語から離れた作品群を、ほとんど実用からもかけ離れて作ったということは、ある意味、「仕事」という「コト」から解放された「モノノケ」バッハがそこにいるということにもなりますかね。 もちろん、あの、「コト(形式・理論・抽象)」の権化でありながら、とことん「モノ」狂おしい(気味の悪い)作品となってしまった「フーガの技法」においても同様のことが言えましょう(そう言えば、この演奏&映像すごいですね!ゲーベルいつの間に復活したんだ?)。
 ただ、面白いのは、「大」も「小」も、セルフ・パロディーであるということです。自分の過去の作品からの改作の寄せ集めなんですね。
 それは、ある意味では過去の総決算という意味もありましょうから、考えてみると優れた作品になるのは当たり前なんですよね。セルフ・セレクションのベスト盤みたいなものですから。
 いや、ホントに素晴らしい曲ばかりですよ。たしかにバッハらしさが際立っています。ある意味、これこそがバッハの入門曲なんじゃないですか?実際聴きやすいし。
 そしてですねえ、このパーセル・カルテットの演奏が素晴らしすぎる!ビートルズ・マニアの(!?)リフキンの研究成果により、器楽も声楽も各パート基本一人で演奏されています。たしかにビートルズは1パート一人だよな(笑)。
 冗談はさておき、この清澄にして妙なる響きを聴くと、極まった「コト」というのも素晴らしいと思いますよ。つまり、キリスト教的な「神」や「キリスト」や「聖書」もそうです。人間の作り出すフィクションもここまで来れば、宇宙に誇るべきレベルになるということです(もちろん褒め言葉ですよ)。
 近いうちにもしかするとこの小ミサを演奏することになるかもしれません。楽しみです。
 最小編成ではありませんが、いちおうYouTubeも貼っておきます。その魅力の一端に触れてみてください。

Amazon Bach: Lutheran Masses Vol.1
 Bach: Lutheran Masses, Vol. 2

NMLで聴くJ.S. バッハ:ルター派ミサ曲集 1 (パーセル・クァルテット)
 J.S. バッハ:ルター派ミサ曲集 2 (パーセル・クァルテット)

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2010.02.17

『出口王仁三郎 帝国の時代のカリスマ』 ナンシー・K・ストーカー(著)井上順孝(監訳) 岩坂彰(訳) (原書房)

Photo 日の「銀河鉄道の夜」にも、エスペラント語がたくさん出てきました。作中、いろいろなところに書かれている謎のアルファベット群は、エスペラント(人工国際語)です(関係記事はこちら)。
 宮澤賢治がエスペラントに興味を持ったのは、友人の佐々木喜善の影響であると思われます。喜善は柳田国男の「遠野物語」の成立にも大きな役割を果たした民俗学の研究者です。彼は大本の信者でエスペラントの講師も務めていました。言うまでもなく、大本の聖師出口王仁三郎は、その宗教的思想を実現するメディアとして、この人工国際語を称揚しました。
 そのあたりの事情もこの本には詳しく書かれています。
 まあ、とにかくこの本は勉強になりました。立派な学術論文にして、最も平易な王仁三郎入門本となっていると思います。これは画期的なことですね。
 そのような一見両立し難いことが実現したのには、ひとえに筆者が外国人であったということが大きく関わっていると言えます。今まで、本当に多くの人々が王仁三郎について書こうとし、そして実際書いてきたわけですが、それがなかなか作品として魅力を帯びるのが難しかった。それは、王仁三郎が言語化しにくい存在だからだと思います。
 王仁本の中で稀有に魅力的なのは、出口京太郎さんの「巨人 出口王仁三郎」と出口和明さんの「大地の母」です。これらはもうお分かりのとおり、「身内」による作品であり、だからこそ書ける王仁三郎の本質があると同時に、どうしても完全に客観的とは言い難い面も現れてしまいます(もちろん、それこそがこれらの本の「物語」としての面白さなのですが)。
 しかし、一方で学問的にアプローチしようとすると、先ほど書いたように、学問の手段である「言語」が言語でなくなってしまう、すなわち私の言い方ですと、「コト」が「モノ」になるという事態に陥るのです。ですから、日本の宗教史、いや近代史を語る上で、ある意味「天皇」と同等に重要であるはずの王仁三郎が、なかなか学問の対象にならなかったのです。「天皇」も同様でしょうか。物語にはなりえますが、歴史にはならない。つまり、学校では教えられないと。
 そんな中で、この画期的な「学問」を成し遂げたのは、やはり外国人でした。面白いですね。英語という異言語、ミーディアムを介した結果、こういう奇跡が起きるんですからね。その現象自体が王仁三郎的ですよ。
 やはり、王仁三郎はこうして最低限でも(!)世界レベル、地球スケールでとらえないとダメなのです。そういう俯瞰の位置から、しかしその全体を見るのではなく、それぞれの側面をそれぞれの視点で研究し、それをモザイクのように組み合わせて、ようやく全体像が見えるのです。それほどの大化け物ですから、いきなり全体をとらえようとすると呑み込まれて動けなくなります(偉い人たちが王仁三郎と対峙して身動きできなくなっている様子はこちらを参照)。
 筆者ストーカーさんは、実に面白い側面に注目しました。それは、宗教家としてはなく、また予言者としてでもなく、芸術界としてでもなく、一人間としてでもなく、「カリスマ的宗教起業家」としての側面です。
 それが奇跡的に功を奏しました。近代化の波の中におけるそうした「起業家」的側面は、見事、他の側面をも照射する結果となったのです。
 実は、今回この本を9月頃からじっくり何度も読んでいたのです。それは、まさに自分が今「起業」しなければならない立場だったからです。中学校の新設です。
 私の中では、「起業家」とは、単純に「世の中のニーズにこたえる自分を、多くの人に知らしめることができる人」だと思っています。つまり、時代のメディアをとことん利用して、世の中のニーズをとらえ、一方でそれに応えるアイデアを持つ自分の存在を、これまたメディアを使って発信する能力に長けている人ですね。
 これを、ワタクシ流に言うなら、「自分自身が最強メディア(ミーディアム=霊媒師)になる」ということなのです。王仁三郎はそういう意味で、本当に尊敬すべき、目標にすべきカリスマであります。
 本当に私の実務的にも勉強になりました。この本とこういうタイミングで出会えたのも、ありがたい奇跡であり、お導きであったと思います。
 最後に、この奇跡をもたらした「優秀なメディア(ミーディアム)」のお二人の隠れた偉業についても書いておきましょう。監訳の井上順孝さんと、訳者の岩坂彰さんです。日本語→英語→日本語という、実は最も難しい作業(その難しさはこちらを見ればわかりますね…笑)を、ここまで完璧に為しえたお二人に、我々日本人は感謝せねばなりません。本当に読みやすい。
 おそらく、現代が王仁三郎を欲しているのでしょう。王仁三郎的世界観に飢え乾いているのでしょう。だからこそ、この奇跡が成就したのだと思います。そして、おそらく、それは王仁三郎の計画(仕組み)通りだと思いますよ(笑)。
 やっぱり、21世紀は「コト」より「モノ」の時代だ!

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2010.02.16

『銀河鉄道の夜』 宮澤賢治原作・杉井ギサブロー監督作品

20100217_62121_2 こまでもいっしょだと約束したはずなのに、カムパネルラは突然消えてしまった…カムパネルラと志村くんが重なって、胸がしめつけられました。
 昨夜に続き、家族で鑑賞。最も多くの涙を流していたのはカミさんでした。
 カミさん、ずいぶん前から「志村くんってカムパネルラみたいだね」と言っていました。その時は、う〜んそうかなあ…そういう気もしないでもないけど…程度の感覚だったのです。しかし、今日このアニメ映画を観終わったら、たしかにその通りだと思うようになっていました。そして、私たちはみんなジョバンニ…。みんな孤独で誰かに頼らなければ生きて行けない。
 昨年のクリスマスイヴに急逝したフジファブリックの志村正彦くんは、きっとあの日から銀河鉄道に乗り、そしてどこかの駅で降りて天上の世界へ向かっているのでしょう。いや、UFOの軌道に乗って夜空の果てまで向かっているのかもしれません。

フジファブリック「銀河」

 彼を突然失った私たちは悲嘆に暮れました。カムパネルラを失ったジョバンニの哀しみと孤独が、そのままジョバンニのカムパネルラに対する「依存」の重さであったように、何万人もの哀しみと孤独の総計を、私たちは彼に背負わせていたのでした。
 ジョバンニがカムパネルラの命と引き換えに気づいたように、私たちもそのことに気づかねばなりませんね。
 この映画、昨日も書きましたように、原作、そしてますむらひろしのマンガを経て作られた作品ですから、文学として見た場合には当然欠落した部分があります。
 しかし、純粋にアニメ作品として考えた場合には、その奇跡的な全体性に驚かねばなりません。脚本はなんと別役実。この別役さんが本当にいい仕事をしていると思います。よくぞ、ここまで言葉をそぎ落とした。この作業ができるのは、言葉の神性と悪魔性の両方を知り尽くしている、それも視覚情報との関係を知り尽くしている人だけです。本当に必要にして十分なホンになっていますね。まるで散文詩に翻案されたようです。
 もちろん、そこに杉井監督の素晴らしい視覚的沈黙も加わります。言語的沈黙と映像的沈黙という、「アニメ(動き・命)」へのアンチテーゼが美しく心に焼きつきます。小津映画のようですね。
 前年に公開された「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」とで、アニメの両極点に到達しているんじゃないでしょうか(ちなみに「風の谷のナウシカ」も前年公開)。おそるべし、日本アニメ。
 沈黙とは言っても、全編にはずっと音楽が鳴り響いています。しかし、音楽的沈黙とは「無音」と同義ではありません。そこが音楽の面白いところであるのですが、このこれまた奇跡的な音楽を担当しているのは、なんと細野晴臣さんです。彼らしい、洋の東西南北を股にかけた不思議な音楽が、この物語世界をより豊かにしているのは動かし難い事実です。
 この映画に挿入されたタイタニック号の悲劇のシーン。ここでの音楽はまさに奇跡でしょう。そう、細野晴臣さんのおじいさんである細野正文さんは、当時日本人として唯一同船に乗っており、そして、無事生還した方です。彼を巡るその後の心ない誹謗は彼の人生を狂わせました。その誹謗の内容と正反対の言葉を「青年(家庭教師)」が語るそのシーンの音楽を、お孫さんが担当するとは…。まったく運命というのは不思議なものですね。
20100219_211859 ところで、この作品の一番の特徴は、主人公たちが猫であるということです。まるでアルビレオのような青い猫と赤い猫。
 私たち家族のような猫狂いにとっては、ますむら作品における「リアルな」猫表現(猫好きにしか分からないいろいろな萌えポイント)は喜びにほかならないわけですが、一般の方にはどうなんでしょうか。もともと賢治作品は擬人化された動物が多く登場しますし、それよって生まれる「純粋な魂」にこそ魅力があるので、これはこれでありではないかと、個人的には思うわけです。
 そういえば、志村正彦くんも亡くなる直前まで、クボくんのウチの子猫を可愛がっていたようですね。何を話すでもなく、何の用事があるでもなく、本当にただ猫を愛でるためだけにクボくんの部屋を訪れていたとか。彼の純粋な魂はいったい猫ちゃんとどういう交流をしていたのでしょう。
 冒頭では志村くんはカムパネルラだと書きましたが、映像的にはジョバンニの目は志村くんの目に似ているように思えますし、帽子を被って登場する例の青年がまんま彼に見えたりもします。
 ああ、こんなふうにこの作品を観ることになろうとは…。本当に「カンパネルラー(シムラー)!!」と叫びたい気持ちです。

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2010.02.15

『猫の事務所』 宮沢賢治

20100216_81121_2 沢賢治はくせものです。いまひとつ踏み込めない領域です。これからの挑戦事項の一つとも言えますね。恐いけれど楽しみでもあります。自分が成熟しないと、ぜったいに分からない世界です。
 ずいぶん前に『銀河鉄道の夜 第3次稿〜』という記事を書きました。実は今日、そこにも登場している、あの名作DVDを子どもたちと観たのです(とりあえず冒頭部分だけですが)。たしかにあれは、世界に誇る名作日本アニメ映画ですが、やっぱり何かが欠落している感じがするんです。綺麗すぎるというか。
 もちろん、子どもたちにはあれでも充分すぎるほど難解だと思いますよ。でも、それでもやっぱりその深奥に潜む「魂」の震え、わななきというようなモノはなかなか表現できていないと思います。
 そういう意味において、その他の作品、たとえばこの「猫の事務所」や「よだかの星」が小学校や中学校の「道徳」の教材として使われたりするのが、私は生理的に許せません。「いじめや差別はいけませんね」って、おいおい、そういう表層の問題ではないだろと。
 宮沢賢治を理解するために(実はそれが第一目的ではないのですが)やっているのは、戦前の「心霊ブーム」についての研究です。それは現在のスピリチュアルブームや新宗教ブームとは比にならないほどの熱烈さと社会的、そして芸術的影響がありました。ある意味、民主主義や科学や戦争などというもの(たいがい輸入品ですね)さえも、そういうスタンスでとらえられていた時代なのです。
 そういう時代の象徴的産物が宮沢賢治作品群であると、まあ私は単純にそう考えているわけです。ですから、戦後ぬくぬくと育ち、生命の危険もそれほど感じず、日本の伝統的文化さえ知らず、心霊世界をオカルトとして楽しんだり蔑んだり商売にしたりする現代っ子の我々は、そんなに簡単に賢治を理解できるはずがありません。
 特に日教組的な教育現場では、その理解は本当に難しいし、逆に誤った解釈が助長されてしまうでしょう。実に憂慮すべき事態だと思います。
 ただ、子どもたちに対して、そういう深奥の部分を予感させておくというのはありだと思います。その点、あのアニメ映画は貴重であるし、よくできているとも言えますね。来年度中学で見せたいと思っています。逆に言えば、原文を授業で扱うのは憚れるということであります。
 さてさて、そんなわけで、大人の皆さんにぜひ読んで考えていただきたいのが、この「猫の事務所」です。ウチも今、猫がたくさんいまして、最近は外猫まで家に入り込んできて、まあそれこそ、いろんな人間模様…ではなく猫模様が展開しております。人間界で言ういじめの構造もできあがっていますし、孤立している猫もいます。でも、そこで、たとえば人間様が「はい、解散!」と言ってしまうのはどうでしょうか(笑)。やっぱり、この作品をしっかり味わうには、宗教や心霊の勉強をしなくてはなりませんね。
 最後の「僕は半分獅子に同感です」は、実に面白い。私はその意味がよく分かりますが、皆さんいかがですか?
 私、大人の皆さんにだったら授業できそうです(笑)。

Amazon グスコーブドリの伝記―猫の事務所・どんぐりと山猫

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2010.02.14

ご利用できます…??

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 っと書こう書こうと思っているうちに、なんとなく後回しになってしまい、旬を過ぎてしまったネタがけっこうたくさんあります。
 場合によっては、そのネタ自体が消滅してしまうことさえあります。これもその一つとなってしまいました。
 今日は3月7日のコンサートに向けての練習がありまして、久々に東京へ行きました。その途中、中央高速道路の小仏トンネルの手前、慢性的な上り坂渋滞箇所がありまして、その解消のために1車線増やしたところがあるんですね。そこに堂々と立っていた看板というか標識というかが、いつのまにかなくなっていました。
 車線を増やしただけでなく、たぶん交通工学的に考えてでしょうが、全体に車線のレイアウト自体が今までと変っていました。
 調べてみますと、上のような「実験」を行なっているとのこと。実験ということは、また元に戻る可能性というのもあるわけでしょうか。そうしたらこのネタも復活するのかな?そのネタとはこれです↓。12月に撮影したものです。

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 そう、増設された車線に「(左車線)ご利用できます」って堂々と書いてあったんですよ。これは毎度気になってしかたなかった。皆さんも「?」と思うでしょう?なんか変な日本語ですよねえ。
 これは「ご利用になれます」と書くべきところです。
 最近けっこう見かけるんですよね。「ご利用できません」とか。これらのいったいどこが変なのでしょうか。
 「ご利用できます」…この原稿を作ってしまった人、実際にデザインした人、それを実際に作ることにGOサインを出した人、作った人、設置した人、いろんな人が介在していたはずですが、誰か気がつかなかったんでしょうか。そうだとしら、憂慮すべき事態です。
 ま、こういう「公的な間違い」は、身近な地元の恥をさらした「wellcomeその1&Would Cup」や「festibal」や「wellcomeその2」など、実は今までもいくつか紹介しました。まあこれらは英語ですから百歩譲ってご同情申し上げましょう。しかし、日本語くらいはしっかりしなきゃ。
 …と、今「ご同情申し上げます」と書きましたが、これは相手に対する(同情の目的語に対する)敬意を表していますから、いわゆる「謙譲語」となります。もう少しフランクな、たとえば「ご説明します」という表現も、これは「謙譲語」ですね。「あなたに説明する」ということですから。
 これを可能表現にすれば、「(私があなたに)ご説明できます」ということになります。しかし、ちょっとこれにも抵抗がありますね。なんとなく不自然な気がします。やはり、もう少しペコペコへりくだった感じを出したくなるのが日本人です。ですから、「ご説明申し上げることができます」とか、もっとハイレベルに「ご説明させていただくこともできますが…」などと、実際にはとんでもなく婉曲的な表現が使われたりしますね。
 さて、そうしますと、「ご利用できます」は文面通りに取れば、いちおう「謙譲語」ということになりますよね。つまり、「利用する」対象、「利用」の目的語に敬意を払っていることになってしまうわけです。そうすると、えっと、「左車線」に敬意を払っているのか?
 もし、文脈的にありえるとすれば、「私はあなた様の左車線を使わせていただくことができます」ということになりますでしょうか。そんなことこんな所でこんなに堂々と表明しなくていいですよ!ってか、あなた誰ですか?…笑。
 というわけで、これは本来、あえて言うなら「私の左車線をあなたがどうぞお使いください」という気持ちですから、やっぱり主語に対する敬意を表す「尊敬語」を使うべきところです。だから,「ご利用になれます」と表記すべきだったのです。あるいは単純に「利用できます」でも良かった。
 そう、たぶんプロセス的には「利用できます」という内容が頭に浮かび、それだとちょっとぞんざいで雑で失礼な感じがしたので、とりあえず「ご」を付ければいいや、という感じだったと思われます。「尊敬語」とか「謙譲語」とか敬意の対象とか、そんなこと考えていないでしょう。
 ちなみに「ご利用いただけます」はどうでしょう。これはまたちょっと複雜な事情がありまして、正誤の微妙な表現なのです。それについては、またいつか書きましょう。…なんて言っているうちに、そういう表現が消えてしまったり、あるいは容認されるようになったりして、ネタにならなくなるかもしれませんね(笑)。

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2010.02.13

サウンドデータを音符単位で編集、そして楽譜へ…

Sujpa200001sndwp_2 やはや、ついに時代はここまで来ましたか。
 たとえば、自分のライヴ録音で間違った音を簡単に修正したり、CDの音から楽譜(パート譜)を生成したり…。
 これって、演奏者にとっては二つの大きな夢でしたよね。
 今日、新設中学校の第1回オリエンテーションを行いました(いろいろと不手際があり申し訳ございませんでした)。そこで、私がいきなりピアノを弾き出したので、皆さんびっくりされたことでしょう。
 会場が急きょ変更になりまして、朝、その最終チェックをしていたら、舞台上にある(使われていない)グランドピアノが目に入ったのです。それで、全くの思いつきで「あっ、今日ピアノ弾いちゃおうかな」と思ってしまい、そしてそれを実行してしまう、私のこの厚かましさというか、突撃力というか、アドリブ力…いやいや、そう言えばカッコいいですけど、まあ単なるハッタリ力ですかね、まったく自分でも恐れ入ってしまいます(笑)。
 ま、御存知のとおり、私はピアノなんか弾けませんので、当然得意の(?)インプロヴィゼーションということになります。いちおう、テーマは「不協和音の美しさ、深さ」ということのようでしたが(笑)。はたして、私が言いたいことが伝わったかどうか。
 そう、それでですね、たとえば今日テキトー…ではなくて適切に適当に思いつきで奏でた音楽は、もう私には完全に再現不可能です。何をどう弾いたかも全く覚えていませんし。
 でも、これを録音にして残すことはできるわけですよね。それはもう100年以上前からできました。しかし、それを演奏という形で再現するには、やはり「楽譜」が必要なわけです。
 それが今までは至難の業だった。いわゆる「耳コピ」というのをしなければならなかったわけです。しかし、それこそ今日の演奏のように複雑極まる和音に満ちたものを、一つの音も逃さずに耳コピすることは、相当の訓練を積んだプロの耳にまかせなければ、ほとんど不可能でしょう。
 ピアノやギターならまだしも、オーケストラの音源や、凝ったアレンジの施されたバンドのサウンドデータでは、さらに困難を極めるのではないでしょうか。
 私も歌謡曲のバンドなどやっていますから、「ああ、このmp3の音がそのまま楽譜になってくれればなあ…」と思うことばかりでした。基本面倒くさがり屋ですし、絶対音感なんてのもありませんから、耳コピは苦手。MIDIファイルがあれば、それを購入して楽譜に起こすという形でごまかしていました。
 それが、かなりの精度で簡単に自宅でできるようになったのです。
 それから、楽譜起こしではなく、最初に書いた修正、編集ですね。プロの方でも、1stテイクが一番良かったのに1ヶ所だけ間違えちゃって残念…なんてことが往々にしてあると聞きます。そんな時、これもまた非常に簡単にその修正ができてしまう。
 たしかに今までも、プロの録音の世界では、ライヴ録音の観客の咳や野次を消すとか、演奏者のミスやボーカルのピッチを修正したりすることはできました。デジタル技術によって。しかし、それには大変な手間がかかっていたのです。
 それを家で簡単にできるようになった。やっぱり「すごい時代になりました」っていうことです。
 と、いろいろ書いてきましたが、まずは、このデモを見てもらいましょう。Melodyne Editorというソフトによるギターコードの解析と編集です。ちゃんと1弦ずつ認識している!

 このソフトでいろいろ実験している音源がこちらにあります。ギターのカッティングなんて、絶対耳じゃわからん!それをこれだけ完璧に解析するとは…。しかししかし、圧巻は(6)オーケストラはどうなる?でしょう。ベートーヴェン「運命」の同名調への転調(笑)。オーケストラの各パートの音を認識して、それを1パートずつ編集して(「ミ」を半音上げたりして)長調にしちゃってます。こりゃあすごい!!
Toscore 一方、複雑な音声データを楽譜化してくれるソフトの最新版がAudioScoreです。これもデモを使ってみましたが、その解析力には驚きますよ。演奏可能な楽譜に仕上げるにはそれなりにアナログな作業が必要ですが、充分実用に耐えそうです。日本版はまだ発売されていないようですが、ちょっと期待しちゃいますね。
 キース・ジャレットの「ケルン・コンサート」を耳コピして楽譜化したのは、日本人の職人さんたちでした。こちらの記事に書いた通りです。そういう職人芸がまたデジタル技術に侵食されるのはちょっと寂しい気もしますが、私たち凡人にとってはまさに夢のツールが手に入ることになりますね。
 また、演奏のミスをあとで修正するということ自体、音楽のあり方に反するという考え方もあると思います。しかし、もともと、生演奏と録音では、全く違う種類の世界であるわけですから、そのへんは割り切ってもいいかと思います…というか、演奏者の私としては、すっごい助かります(笑)。
 録音という技術の登場は、演奏者にとって「一回が無限になる」という恐怖の革命にほかならなかったのでした。その呪縛から解き放たれて、もしかすると音楽は再び生き返るのかもしれません。いや、その逆かも…。

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2010.02.12

氷地獄

20100213_65057 夜、だいぶ前に録画してあった「NHKハイビジョン特集 秘宝公開 驚異の仏画 五百羅漢図」を観ました。どういうわけか、下の娘がはまってしまい、結局2回観てしまいました。マニアックな小学1年生だ(笑)。
 でも、子どもがこういう仏画を見るのは基本ですよねえ、本当は。特に地獄図を見るのは大切なことです。
 この前の霊の発見にも書かれていましたが、「なぜ人を殺してはいけないのか」などという馬鹿げた質問の答えは、変な理屈ではなく、「バチが当たるから」「祟られるから」「地獄に堕ちるから」…これで充分です。これ以上でもないしこれ以下でもありません。
 狩野一信の「五百羅漢図」でも、いくつかの地獄界が描かれています。その中でも、ウチの家族が「実はこれが一番いやだな」と思ったのが、この氷地獄です。ま、単に寒いし、痛そうだから。
 特に昨日から今日にかけては、冷たい雪というかみぞれというか、霧雨ならぬ霧雪が降っておりまして、外は気温以上に、いや以下に寒く感じられていたものですから。
20100213_65012 と、そんな番組を何度も観たせいか、私は氷地獄に浸かっている夢を見てしまいましたよ。ちゃんと羅漢さんがレーザービームで氷を溶かしてくれましたが。そうしたら氷の池が温泉みたいになって、逆に気持ち良かったりして…都合のいい夢だな(笑)。
 しかし!現実は夢よりも厳しかった。
 朝ぬくぬくと起きて外を見てビックリ!まさにナンダコリャです。ば、ば、万物が氷に閉ざされている!
 全ての物に厚さ5ミリから1センチの氷のコーティングがなされているのです。こんなのはさすがに初めて見ました。
 カミさんは「むひょ〜」とかくだらないシャレを言ってましたが、これは霧氷とか樹氷とかとは明らかに違います。生成過程が全然違うと思います。
 まあ、とにかく出勤するのが大変でした。まず車のドアが開かない。開くわけない。氷でコーティングされているわけですから。フロントガラスもいつもの倍以上の厚さになっています。これがまあ、お湯をかけても全然溶けないんです。
20100213_65120 手ではがそうとすると、これが痛いのなんのって。なんかゴツゴツゴリゴリデコボコしていて、ただでさえ冷たくて痛いのに、それこそ「氷地獄」並みに皮膚を傷つけるのです。ああ恐ろしい。
 ちなみに道もガタガタのスケートリンク状態。また、氷をまとった木々の枝が垂れ下がったり折れたりして、いつもの道はふさがれて通れません。結局、通常より30分ほど遅れて学校に到着しました。
 雪がいくら降っても、線路が見えなくても、ぜったいに運休しない富士急行線が珍しく止まっていました。架線や線路に氷のコーティングがされていたのです。たしかにこりゃ無理だ。
 というわけで、今日はその氷地獄の写真を載せておきますので、まあ見てください(一見きれいですが、よく見ると気持ち悪いっすよ)。大量のミニつららもカワイイというよりは気持ち悪い。カミさんは「TAKAみちのく」の前髪みたいと言ってました(これまたマニアックな…)。

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2010.02.11

信玄餅(の食べ方?)

57156_listimage 梨のお土産と言えば信玄餅…と思われがちですが…まあその通りと言えばその通りです。
 しかし、山梨と言っても、我らが住む富士山周辺と、山一つ隔てた甲府盆地とではかなり事情が違います。だいたいが、こちら(郡内地方)はあちら(国中地方)ほど、武田信玄に思い入れはありません。いや、ほとんど全くないと言ってもいいかもしれません。
 これは歴史的に見れば当然です。このあたりは、甲斐の国の南の最前線、武田氏と北条氏が戦ったところであり、当時の地元民もどちらの味方だったのか、非常に微妙な部分があるのです。もともと戦国時代以前の落人が多い土地柄(すなわち生活環境の厳しい隠遁地)だったために、その政治的立場はとても複雑です。ある意味では、全く中立だったのにも関わらず、ここが戦地になったためにとんだとばっちりを受けたとも言えます。
 そんなこともあって、なんでも「信玄○○」のようにしてしまう国中の方々の感性に、違和感を抱く人が郡内には多いのでした(たぶん…私も落人なので)。
 だから、なんとなく「信玄餅」も我らを代表するお菓子という感じはしません。私なんか、母方が望月氏の傍流であり、父方が小笠原流(あるいは相模三浦氏)なので、血筋的には武田なんでしょうが、それでも違和感ありますからね。やっぱり土地の持つ霊脈みたいなものに影響を受けているのでしょうか。ま、今でもあちらはこちらを小馬鹿にしていますからね(笑)。
 さて、それはいいとして、その「信玄餅」ですが、山梨県民はそんなに食べません。なにせ、お土産、名物ですから。東京の人が東京タワーに上らない、あるいは我々が富士山に登らないのと一緒です。
 それでも、生徒がアウトレットで詰め放題をしてきて(ちなみに地元河口湖のアウトレットは閉店してしまいました)、それをおすそ分けしてくれたり、あるいは私自身がどこかにお土産として持っていって、そこで一緒に食べたり、そういう機会には食べることもあります。年に1回か2回かなあ。
 さて、そんな時、常に問題になるのが、その食べ方であります。と、そんなことを書こうかなと思っていた矢先に、ある方にこんな記事があるのを教えていただきました。
 フジファブリックの志村正彦くんが亡くなる直前に取材を受けた朝日新聞のインタビューです。結局お蔵入りになっていたこのインタビューの全文が、記者さんの手によって追悼記事として紹介されました。「オトコの別腹」という夕刊コラムに登場する予定だったのですね。そこで語られたのが、まさに信玄餅の食べ方でした。

 志村正彦追悼「THE SONG REMAINS THE SAME」(第1回)
 志村正彦追悼「THE SONG REMAINS THE SAME」(第2回)

 なんというか…大月駅というリアリズムもあって、35歳のエピソード(夢)には泣けますね。
 気を取り直して、よく読んでみますと、彼の信玄餅の食べ方は、ある意味王道とも言えそうです。あのように食べる方多いんじゃないでしょうか。そして、きなこをこぼさないで食べるという「儀式」も、まさに大人になる通過儀礼として皆さん経験されているのではないでしょうか。
 たしかに、あの極度にコンプレックス度の高いパッケージングにおいて、あの繊細な粉をこぼさずに食べるというのは至難の業です。将棋崩し並みに難しい。
 一方で、こぼすのが当然だから、あの風呂敷のようなビニール包みがあるとも言えます。しかし、なぜか人間にはいらぬ挑戦心というのがあるようでして、皆一度は、というか毎回最初は、「今回はこぼさず、まきちらさず食べきってやる」と思うのです。不思議ですね。
 志村くんは20歳でそれをクリアーしたと述べていますが、私は45歳にもなって、いまだに大人になりきれていません(笑)。いろいろな方法を試しましたが、どうしてもダメです。もう最近は面倒くさいとばかりにあきらめて、風呂敷にバキャッ!と全部あけて、風呂敷の広さ全体を利用するほどにヤケになってかきまぜて食べたりします。
 この風呂敷にあけて食べるというのも、一部県民の間では、これこそが王道であるとまことしやかに主張されている食べ方ですね。
61011137 で、最近、ちょっと面白かったこと。
 ある日、職員室の机の上に珍しく信玄餅が置いてあるのを見つけたので、ある純朴な生徒をつかまえて、「おい、信玄餅の正式な食べ方知ってるか?まさか山梨県民のくせに知らないんじゃないだろうな?」と問い詰めたところ、「え、えぇと、普通に上から蜜かけて食べるんじゃないですか?いや、あの風呂敷にあけて食べるとか…」と、まあ生徒として精一杯の回答をしてくれました。これで正解と言えば正解なのですが、そこは意地悪な私のこと、テキトーな思いつきでさらに彼を責め立てます。
 「なに?甘い甘い。まじで知らないのかよ〜。山梨県民とは思えないな。ばっかだなあ、餅ときなこと蜜を全部風呂敷にあけてな、それを包むように風呂敷の四隅を持って、頭の上で振り回すんだよ。それで最後に机かなんかにドンドンって2回叩きつけるのよ。そうするとちょうどいい具合に混ざってうまいんだ。当時の武将たちは、そうやって食べてたんだよ。豪快にな。ほれ、やってみ」
 純粋な彼は、「ホントですか?」とか言いながら、本当にそれをやってしまいました(笑)。
 きなこがこぼれるとかいう次元ではなく、そこら中がきなこと蜜だらけになったのは言うまでもありません。ごめん!
 私は、3個のお餅のうち一つを蜜をかけずにきなこだけで食し、その空いたところに蜜を流し込んで、あとの二つを平らげるというのがホントのところでありました。
 実は、信玄餅の食べ方には正道も邪道も王道も外道も極道もなく、人それぞれがその時々の工夫と精神力で、それぞれのやり方を創造すればいいのです。ぜひ、皆さんも挑戦してみてください。あるいは、独自の作法をお持ちの方は是非ご指南くださいませ。

桔梗屋

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2010.02.10

だってなんだかだってだってなんだもん

 ってなんだかだってだってなんだもん!
 これは名言ですね。こう言われると、我々(特に男性は)なんにも言えません。やるな岩崎富士男さん。
 この「だって〜もん」は、子どもや女性がよく使う「言い訳」「甘え」「許しを乞う」フレーズです。
 たいがいは、「だって知らなかったんだもん」とか「だって姉ちゃんがいじめるんだもん(byウチの下の娘)」みたいな使い方をしますよね。つまり、「知らなかった」「姉ちゃんがいじめる」のような理由、特に自分にとって不本意なこと、あるいは他者に責任があるようなことを挿入して、「言い訳」「甘え」「許しを乞う」意味を相手に伝えます。
 しかし、その肝心の部分をですね、「だって(なんだもん)」という、究極にナンセンスで、文法的にもイリーガルな言葉で埋めてしまっているのが、この名言なのです。
 実は、私の「モノ・コト論」で考えますと、これは実に深い意味がある表現になるんです。そう、語尾の「もん」というのは「もの」の音便形なんです。たしかに、昭和の上品な女性なんかは「〜ですもの」とか言ってましたよね。
 それで、私の説では「もの」は「外部・不随意」を表す言葉ですから、ここでも「自分にとって不本意」「思い通りにならない」「自分の外部(他者)の責任」というニュアンスが生きていることがわかりますでしょう。どうですか?
 「だって(=だとて)」と言って、相手の言動に対して不承知であることを表明して、その次に「なんだか」という、まさに「モノ」的な心情(「物憂い」とか「ものさびしい」とか「ものぐるほし」のような接頭辞の「もの」もそういう感情以前の何かを表します)を表す言葉を持ってきて、そしてまた、「だって」を重ねながら、それ自体、つまり「不承知」「不本意」「不随意」自体を自己正当化の理由にしてしまっている。もう本当に(女性の)究極兵器であることがわかりますよね。ハニーの強さはこんなところにあります。
 実はキューティーハニー以前にも、アニメの主題歌でこのようなフレーズが使われたことがあります。
 こちらも皆さん御存知の「アタックNo.1」です。


アタックNO.1 OP

 こちらでは、「だって」はありません。「なんだ」もありません。「だけど、涙がでちゃう。女の子だもン」です。シンプルですが、「もの」の性質をよく表していますね。「女の子」に生まれたのは自分の意志ではないし、「涙」を制することができないのも、個人の問題ではないのです。あくまで、理由は「女の子」であることです。
 その後もキューティーハニーと同時期に、麻丘めぐみさんの「女の子なんだもん」という曲がヒットしましたっけ。

 しかし、やっぱり「だってなんだかだってだってなんだもん」にはかないませんよね。もちろん、ハニーの歌詞全体に「女の子」が主題になっているわけですが、その、男性諸氏にとってはすでに「もののけ」であるところの「女の子」、それさえを軽く超えた究極の「もの」的実在(存在ではなく実在)が表現されていると思うんですよね。これは究極です。極点です。
 それにしても、最近の「女の子」はこういうフレーズを吐きませんねえ。男に媚びたりしません。最近の女子は、「男の子」に対して、「おい!てめえのせいだぞ!」みたいな口ききますから(苦笑)。
 昔昭和の「女の子」だった一部のオバサンが、こういう究極フレーズを使って結婚詐欺をしたり、カネをしぼり取った上に殺しちゃったりするくらいですかね。
 いったい「女の子」はどこに行ってしまったのでしょうか。
 いや、ホント学校の生徒なんか見てると、「男の子」の方が「だって〜だもん」的なんですよ〜。すぐ「涙が出ちゃう」し。バレンタインのチョコを手作りする計画立ててるのも男の子だし…世も末じゃ(笑)。
 「男」もどこに行っちゃったのかなぁ…。

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2010.02.09

『西洋音楽史 「クラシック」の黄昏』 岡田暁生 (中公新書)

20100210_83016 日の記事でついつい批判してしまったヤマハ(的)音楽教育。あんなこと言いながら、私もむか〜し通っていましたし、今も娘を通わせています(笑)。本人がやりたいっていうから、まあ入り口としてはいいかなと。でも、変な話ですよね。
 それから、やっぱり学校での音楽教育ですね。あの偏りようたるや、とんでもないものがあります。そのへんについては、ちょうど1ヶ月くらい前、『反音楽史 さらばベートーヴェン』の記事で書きました。
 この本、「西洋音楽史」というメインタイトルだけ見れば、まさにそういう堅苦しく、そして大いに某国に偏った歴史が、作曲家の名前と作品名の羅列によって紹介されていると思われそうですね。
 ところが!全然違うんですよ。まるで一つの映画を観るような面白さがあるんです。「クラシック」の黄昏…たしかにこのサブタイトルに大きな意味がありますね。背表紙には「西洋音楽史」としか書いてありませんから、ちょっと損してますよ、きっと。ちなみに、ちゃんと「ドミソの気持ち悪さ」についても書いてあります。
 筆者は前書きで、「西洋芸術音楽」以前の、古楽という支流(偶然、バッハ=小川ですね)が集まり、「西洋芸術音楽」は大河になった、それが現在は世界音楽という大海に呑み込まれて、その輪郭が見えなくなりつつある、というようなことを書いています。それが「黄昏」ということでしょうね。
20100210_65934 とにかく面白く、また勉強になりました。見てくださいよ。私はだいたい面白い本については、こうやってページの角を折って、そして中には赤ペンでじゃんじゃん線を引くんですが、この本はこんなに「犬の耳」があります。ほとんど全ページですね、これじゃあ。
 日常的に「西洋芸術音楽」を批判し、一方でそれ以前の古楽や、それ以後のポピュラー音楽ばかり演奏してきた私。つまり、支流と大海ばかりに接してきた私は、最近になって、ようやく大河をあっぷあっぷしながら泳ぐようになってきました。そして、「西洋芸術音楽」の「意味」もなんとなく分かりかけてきた時でしたので、実にいいタイミングでこの本と出会いました。
 その「意味」とは…。
 これまた、「モノ・コト論」になってしまいます。ま、簡単に言えば、いわゆるクラシック音楽=西洋芸術音楽は、「コト」音楽だということです。私の言う「コト」は「自己の内部=脳で処理された情報」という意味で、そこから「不変」や「普遍」、「随意」というような性格も生じます。
 まさに、西洋芸術音楽は「脳内」で構成され、言語(コトの葉…ここでは楽譜という記号)で記述された音楽なわけですね。
 岡田さんは、「宗教なき時代の宗教」、「聖なるものの降臨を待ち望む」というような表現を使っていますが、近代になって我々は神を失いました。いや、神を失ったというより、我々大衆が「貨幣経済」や「工業技術」や「民主主義」によって、神の領域に入っていくことができるようになったのですね。つまり、我々は「コト化」したんです。
 本来「不変」で「普遍」な「コトわり」は、神(みコト)のみに許された性質でした。実際、我々を含む森羅万象は「モノ」であり、無常な存在でしたからね。そこで、考え出されたのが、「神」という超越的で非現実的なフィクションでした。ちなみに、それは日本人の心性に宿る「モノのけ」に対する畏怖とはちょっと違いますよ。今問題にしている「コト」は、分かりやすく言えば、キリスト教的な「神観」です。
 近代になって、その「みコト」が、先ほど書いたように我々大衆の手によって弱体化させられたんです。しかし、実際そうなってみると、我々は極度の不安に襲われ始めた。つまり、自分たちは完全なる神にはなれないわけですから、世界が全て無常になってしまい、「カネ」にも「情報」にも「工業製品」にもとりあえず頼ってみたけれど、どうも不安が解消できないと。
 そうした時に、現れた、というか、発明されたのが、神に変わる「芸術」だったわけです。不変であり普遍的である「疑似的な神」。
 その典型が、理論と形式で固められ、楽譜に記述され、再現性を高められた「西洋芸術音楽」いわゆる「クラシック音楽」だったのではないでしょうか。
 最近、私はようやくそうした「クラシック音楽」を演奏するようになってきたわけです。そして、その「意味」も分かるようになってきました。その「意味」とは、「人間の努力」です。「神」を創造しようとする、それも「具体的」な形で残そうとする、ある意味無茶なことに挑戦する「人間の努力」のすさまじさです。それはある意味空しいことではありますが、しかし、その空しいことに、自らが設けた「制約」の中で、ものすごいレベルで挑戦した偉大な作曲家たち、あるいは演奏家たちには、正直圧倒されます。
 ようやく、私はそういう、ちょっと変わった道筋を経て、「西洋芸術音楽」が分かるようになりました。そうした私の中での「進化」「革命」を助けたのが、この良書であったわけです。
 内容も面白いし、文章も大変うまい。しかし、ただ一つ、筆者の意見に納得しなかったところ(笑)。
「演奏する人間にとってバッハは、何よりまず純粋な運動感覚として理屈抜きで面白いのだろう」
 これはありませんよ。苦痛です(笑)。でも、その苦痛が快感というのはあるかも?

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2010.02.08

レニーニ(山梨とブラジルの音楽の不思議な関係?)

Lenine 梨を代表するミュージシャンは…、ええと、やっぱり森進一と田原俊彦でしょう。ま、それは冗談として、いや全然冗談ではありませんね。
 しかし、一般的には、宮沢和史さん(THE BOOM)、レミオロメン、フジファブリックの志村正彦くんでしょう。彼らがそれぞれ音楽史に残した、「島唄」「3月9日」「茜色の夕日」の3曲の名バラードだけでも、山梨県民としてはもうホントに誇りに思っていいですよね。
 そんな彼らと意外に関係が深いのが、地球の裏側ブラジルの音楽です。宮沢さんのブラジル音楽への入れ込みようは今さら説明する必要もないでしょう。
 レミオロメンの3人はサッカーが好きですから、自然にブラジルの音楽に触れる機会が多いことでしょう。やっぱりサンバかな。
 そして、ちょっと意外かもしれませんが…いや、インタビューでも語ってましたかね、フジファブリックの志村正彦くんの膨大なCDコレクションの中には、ブラジルの音楽がたくさんありました。
 山梨とブラジルが特別何かで結ばれているわけではありません。実は、日本の音楽とブラジルの音楽には根本的に似た部分があるのです。
 それはまず、西洋音楽(ヨーロッパの白人音楽)とアフリカの黒人音楽との距離感です。適度に遠距離だった。そして、そのため独立して発達していた民族音楽の伝統。それらの見事な混合が両国の現在の音楽に共通した独特な魅力を醸し出しているのです。
 そのへんについて語り出すと、とんでもなく長くなってしまうので、あえて、特異な視点(聴点?)から一つだけはっきり言っておきます。
 「日本もブラジルもドミソの持つ不快感に対抗した」
 えっ?と思われることでしょう。しかし、ここのところ繰り返し書いているとおり、「ドミソ」は世界のほとんどの人々にとって、根源的に「不協和音」です。いや、「協和」していますが、「不快」だと言った方が正確でしょうか。「不快和音」。
 だから、ヤマハ音楽教室の「ドミソ、シファソ」なんてのを幼い頃から聞かされていると、本当にダメダメなことになってしまいます。私もその呪縛から解き放たれるのに40年近くかかりました(笑)。
 日本では、その不快感を軽減するために、伝統的な「ヨナ(四七)抜き」に「フム(二六)抜き」を加えたメロディーで対抗しました。演歌の例を挙げるまでもなく、上記山梨の3バンドの音楽を聴けばわかりますね。
 ブラジルでは、和音自体に手を加えて「ドミソ」を駆逐しました。すなわち、「1・3・5」の和音に「2」やら「7」やら「9」やら「13」やら、その他もろもろの「非和声音」を加え、あえて柔らかく美しい「不協和音」を作っていきました。ボサ・ノヴァのギターをちょこっと習うだけで、その複雑な響きに驚くことでしょう。
 ある意味、そうした「西洋音楽(クラシック音楽)」への違和感に抵抗しつつ、それらを呑み込んでしまった音楽が両国にはあるのです。
 ええと、あんまり長くなってもしょうがないので、今日はMPB(ブラジリアン・ポップス)の奇才、マラカトゥーのリズムを世界に知らしめたレニーニの音楽をちょっとだけ聴いていただきましょう。
 宮沢和史さんが共演したことで、私は彼を知りました。適当に何曲か貼っておきますので、ぜひお聴きください。あっ?と思うところがたくさんあると思います。フジのあの曲っぽい、レミオのあの曲っぽい、ブームのあの曲っぽい…そんなところ満載ですよ。そして、これを機に地球の裏側の音楽にも興味を持っていただければと思います。なんて、私も全然勉強不足なんですが。

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2010.02.07

『霊の発見』 五木寛之・鎌田東二 (角川文庫)

04129440 といいますと、なんとなく、胡散臭い、あるいは嘘臭い、あるいはただ恐い、そんな感じを持つ方も多いと思います。とにかくあんまりそういうことを言っていると、現代においてはかなり怪しまれるようです。あるいは逆にメチャクチャ尊敬されるか。
 この前、「鬼=もの」について書きましたね。昨日も「権現さま」の話を書きました。私はそんな感じで、自分の「モノ・コト論」の中で「モノ」を扱っているために、それほど抵抗はありません。また、もともと科学で証明できるものとか、目に見える、耳に聞こえるものの方が「全体の一部」であるという、実は当たり前のことを認めている立場というか、実感としてそれらに対する「その他」を認めて生きてきた人間ですから、一般の人よりもかなりそういう世界に近いところで生きている方かもしれません。
 さて、この本ですが、なかなか内容が濃い。あの五木寛之さんと、「霊学」や「言霊学」の専門家にして、神道ソングライター、そして現在は京都大学こころの未来研究センター教授としても御活躍の鎌田東二さんの対談ですから、それは面白くなりますよね。
 ここで語られる「霊」は、いわゆる死者の魂的なものだけではなく、神仏や物の怪など、それこそ「その他大勢」にわたっています。それは当然ですよね。我々の知っている「コト」より、知らない「モノ」の方が圧倒的に多いことだけは確実ですから。
 五木さんはまあ作家さんですから、そういう世界をいくらでも表現できる立場だと思いますが、鎌田さんは学者さんですから、なかなか難しいとも思うんですよ。なにしろ、「霊」は、まさに「学問」や「科学」の補集合だからです。
 鎌田さんの御著書は何冊も読んできています。特に「言霊」に関する学術的な研究書には大変お世話になっているとも言えます。それらでもそうでしたが、とにかく、そういう世界に対するアプローチのしかたがしなやかでしたたかなんですよね。自然体の強さというか。
 普通、そういう世界を対象にすると構えちゃうと思うんですよ。胡散臭くならないようにするために。しかし、さすが御本人も神主さんであられ、また、石笛などを演奏される、それこそ「霊的」な生活を普通にしている鎌田さんですから、その辺のアプローチが本当に自然なんです。正直うらやましく思います。
 この本が出版された2006年は、いわゆるスピリッチュアル・ブームの頃です。それらが商売になった、ちょっと異常な状況でした。それらがカネになり、そして一方で批判されていたのは、やはりそこに胡散臭さか伴っていたからでしょう。その胡散臭さとは、そうした本質的な実感を実は持っていない、すなわち霊的な生活体験を本当はしていない人々が、無責任に語りすぎた結果だと思います。
 私は美輪明宏さんや江原啓之さんに関しては、それなりに認めていたわけですが、ただその取り巻きというか、メディアの側というか、カネもうけをしようとした側の胡散臭さは、やはり感じていました。
 結果として、あのブームは、私たちから「霊的」な世界を遠ざけてしまったと思っています。
 おそらくそうした風潮を受けての対談であり、出版であったのでしょう。無責任なメディアとは大違いで、実に深く重い、しかし肩ひじ張らない対話が展開されています。つまり「善意」に満ち溢れているのです。やはり「畏敬」こそ「愛」であり、「魂」であり「善意」なのだなあと再確認。現代にはそれらが欠けているのです。
 今までそういう世界に抵抗があった方も、また逆に必要以上に(?)興味を持っていた方も、ぜひこの本を読んでいただきたい。私たちが知っている世界はあまりに狭いということもわかります。そして、「その他」の世界を知ることによって、我々の人生が確実に豊かになるということもお解りになるでしょう。
 私がいちおう専門に勉強している出口王仁三郎も、もちろん世界史上最強の霊能者として何度も登場します。また、私の運命を変えた、富士北麓に伝わる古文書のことも一言出てきます。
 私の心の中の風景を知りたい方もぜひお読みください…って、そんな人いないか(笑)。

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2010.02.06

病院 vs 権現さま

B0da0e000000f78k 梨県立中央病院に、下の娘とカミさんを迎えに行ってきました。下の娘が鼠径ヘルニアの手術で2泊3日の入院をしていたのです。
 まあ、「脱腸」ってやつですね。女性の鼠径ヘルニア率は2〜3%だといいますが、上の娘も手術しましたし、私の姉もそうでしたから、けっこう我が家系の脱腸率は高い方だと思います。ちなみに男性の鼠径ヘルニア率はなんと25%以上だとのこと。4人に一人ですよ。知りませんでした。
 ちょっとした設計ミスという程度ですから、手術と言っても軽く切って貼るようなものです。私も別に心配もしていませんでしたし、娘本人もママとのお泊まりということで、なんだか非常に楽しみにしていました。
 手術はもちろん問題なく終わったのですが、麻酔で寝ていた娘は寝ぼけて、というか全然記憶がないらしく、術後「手術は?今から?」と言っていたそうです(笑)。
 鼠径ヘルニアは病気というより、先ほども書いたように設計ミスのようなものですから、自然治癒はしません。ごくまれにそれが原因で面倒な病気になることもあるようなので、幼いうちに修繕しておいた方がいいですね。場所が場所ですから、大人になるとなんとなく躊躇されますし。
 で、そんなことをカミさんのお母さんに報告したところ、驚くべき事実が判明いたしました(笑)。
 以下、電話の内容を復元します(秋田弁のまま)。カ=カミさん 母=カミさんの母

カ「○○(娘の名)、しゅじゅつするがら、にゅういんさねねぐなった」
母「あら、なしてよ?」
カ「だっちょうだど。ひゃぐにんにふたりしかならねなだど」
母「あら、おれもだ」
カ「え〜しらねがった、いづしゅじゅつしたなよ」
母「しゅじゅつなさねえ。べってじぎ、ばあちゃんどもんぜんのごんげんさまさおがんできた…」
カ「え〜、しゅじゅつさねぱ、ぜったいなおらねんだど」
母「あや、おれなばえおの。おしてやればひっこむがら…」

Sany0033 お分かりになりますか?簡単に言えば、実は義母も鼠径ヘルニアであったと。そして、病院には行かず、村の権現様に拝みに行った。今でも出っ張ったら押して引っ込めているということです(笑)。
 いやあ、「権現様」ですか!?こっちは最新のホテルのような病院で至れり尽くせりの入院、最新医療の手術をしました(上の娘は静岡のこども病院でした)。それに対して、なんと古典的な対処法でしょう。素晴らしい!
 考えてみれば、昔の日本にはそんな手術はありませんでした。出たら手で引っ込めるしかなかったわけですよね。あとは、神仏にお願いするしかありません。みんなそうやっていたはずです。
 もう少し前なら、病気やケガは「物の怪」のしわざでしたから、それこそ祈るしかありません。貴族なら、医者を呼ぶかわりに坊さんや修験者を呼んで加持祈祷したわけです。庶民は村の社や祠に行って拝むしかありません。
 たしかに、今でも、あの神社は「目の神様」、あの地藏さんは「皮膚病の神様」などと、分業の痕跡が残っています。大きな寺や神社ですと、総合病院よろしくいろいろな「科」が集められていたりしますね。
 カミさんの実家があったあたりは、本当に時代を超えた田舎、絵にかいたような日本の原風景が広がるところです。いまだに「もののけ姫」の世界ですから。
 しかし、なんでも、科学や医療で片づける(すなわちお金で解決する)のではなく、そういう神仏に自分の運命を託す気持ちというのも大切なような気がします。我々現代人はすっかりそれを忘れてしまっていますね。子どもたちもそうです。「想像」や「妄想」、「祈り」、そして「畏怖」というモノから遠ざかっているのが、よくわかります。その結果、ウチの娘たちも「感謝」の気持ちが不足しているように感じます。
 「コト(自己・内部・情報・随意・不変)」と「モノ(他者・外部・現象・不随意・無常)」のバランスが崩れているんですよね。特に、デジタル化による「コト」化の行き過ぎは、たとえば病気やケガに対する人間の抵抗力、あるいは自然治癒力を奪っているように思えてなりません。今こそ、「権現さま」パワーを見直す時なのかもしれません。
 この笑い話は、実は深刻な問題をはらんでいるのでした。

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2010.02.05

『恋の蛍 山崎富栄と太宰治』 松本侑子 (光文社)

Bkoiob い糸という記事の中で少し紹介した山崎富栄さんの評伝小説。
 へたな小説やコミックや映画なんかより、ずっと心に迫る作品ですので、ぜひお読みいただきたい。
 昨日の記事にも実は彼女は間接的に(いや、直接的に?)登場しています。御存知のように、太宰治は彼女と玉川上水で入水自殺しました。赤い糸ならぬ紐で二人は結ばれていました。
 彼女は遺書の中で、太宰と同じ墓に入れてほしいと言っていますが、結局、それはさすがに無理でした。愛人がその人の墓に入れるわけがありません。
 当然のことながら、太宰と一緒の墓に入ったのは、津島美知子、すなわち正妻でした。
 12月23日、そこに私はお参りしたわけです。
 この評伝小説を読むと、もちろんヒロインたる富栄さんの実に波乱万丈な人生に驚嘆することもできます。なにしろ、良家のお嬢さんとして育ち、職業婦人として第一線で活躍し、縁談にも恵まれて幸せな結婚をした女性が、結果、不倫の末に天才作家を「殺した」犯人とまで言われるようになってしまうわけですから。
 運命のいたずらというにはあまりに過酷でした。その不埒ないたずらをしたのは、「戦争」と「物語」でした。「戦争」も一つの共同幻想でしょうから、一つにくくって「物語」と言ってもいいのかなあ。
 とにかく、富栄さんは「物語」に翻弄されてしまいました。まずは戦争が、新婚生活たった1週間過ごしただけのご主人を奪い、さらに、その生死すら分からない生殺しの状態で富栄さんを苦しめた。その間に「物語」の達人太宰治が現れ、「昭和2年…そういや、弘前の駅前で、きれいな女の子を見かけたな、汽車からおりてきたんだ。無論、君は憶えていないだろうが、江戸弁を小生意気にあやつって、いかにも東京趣味のしゃれた出で立ちの、小憎らしいほど可愛い女の子を見た覚えがあるよ」などと、いかにも彼らしい「ウソ物語」を吐いて、彼女の運命を決定的に破壊しました。
 その後の、富栄さんの太宰への愛情と献身は、彼女の残した日記が美しく濃厚に語ってくれます。結核による太宰の喀血を、彼女は直接自分の口で吸って除いてあげました。そんな恋愛できますか?太宰の「はったり」に比べたら、彼女の「真実」の方がずっといい!…はずなんだけれど。ううむ、そこが文学の難しいところです。
 さてさて、筆者の松本さんは、基本的に、富栄さんに対する世間の厳しい評価を覆す姿勢をとっています。私もこの美しい(!)女性を悪者にしたくないという心情を持っていましたから、その点では溜飲を下げましたね。
 ただ、読む前になんとなく予感していた「やっぱり太宰はずるい」という結論は、ややはずれたと言えます。美人の富栄さんにシンパシーを抱きつつ、イケメンの(いつも書いているとおり、文章がイケメンなんです)太宰を貶めるという、まあ、男性として正常であろう感覚は、微妙に空振りを喫しました。
 私の心には、富栄さんと太宰ではなく、意外な人物の姿が焼きついて残ったのです。
 それは、富栄さんのお父さん晴弘さんと、斜陽の人太田静子さんと、太宰の正妻石原美知子さんでした。
 最愛の娘をそのような形で「奪われた」晴弘さんの悲嘆と憔悴、しかし、そうしたスキャンダル死ののちも娘を信じ愛し続ける姿。これはもう涙なしでは読めません。最も「物語」に翻弄されたのは、実は晴弘さんだったのかもしれません。
 そして、太田静子さん。同じ愛人として、しかし、自らの日記と交換に太宰の子どもを得、また、実はその日記も「斜陽」という世紀の名作を生むという、二重の幸福を味わった女性の、なんというか、したたかさとでも言うのでしょうか、余裕とでも言うのでしょうか、そういう生命力を感じましたね。
 石原美知子さん、いや津島美知子さんに関しては、山梨出身ということもあり、また、今春開校する中学の場所にも縁のある方ですから、なんとなく「良妻賢母」の代表のように尊敬申し上げていたところがあったんですね。『回想の太宰治』の記事にも、そういうことを書きましたっけ。まあ、やっぱり彼女を崇めることは、太宰を貶めることにつながっているわけですが…笑。
 しかし、この本には、神格化されていない、女、妻、母としての津島美知子像が見え隠れしていました。たくさんの子ども(含む太宰)を抱えている中で、愛人問題が頻発し、しまいには武蔵野心中ですからね。そりゃあ、いくら美知子さんでも狂うでしょう。
 いや、それでも、それでもなお、美知子さんは立派だったと思いますよ。その結果として、当然のごとく、太宰の遺伝子を最も多くこの世に残し、そして、太宰と同じ墓に入ったわけですから。女としては、それこそが勝利の証でしょう。
 というわけで、本当にいろいろな人間模様を堪能することができる作品です。女性にも男性にも、ぜひ読んでいただきたい。そして、くやしいけど、やっぱり太宰治は天才だったと思おうじゃありませんか。

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2010.02.04

茜色の富士

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04_18_28_06 日は久しぶりに、4月開校の中学の真新しい校舎に入りました。もうほとんど完成です。
 本当に素晴らしい環境です。建物や設備の素晴らしさは、これはもう私でも驚くほどです。実にぜいたく。そして、それ以上に全ての教室から眺められる富士山と富士吉田の街の風景には、長年住んだ者でも感動させられますね。
 この写真は3階の多目的教室から撮ったものです。ちょうど夕日が差して、富士山が茜色に染まろうとしていました。
 本来ならば、この教室にフジファブリックの志村正彦くんを連れてきて、そして、このイメージで歌を作ってもらう予定でした。彼が亡くなってしまったのは、その話をしようと思っていた二日前のことでした。
 まさにこの角度から見る富士山は、志村くんにとって、本当に懐かしい心の風景です。右に月江寺の森、手前に彼もよく遊んだという月江寺の池。この池は「鳴琴泉」という音楽的で風雅な名前も持っています。少年時代の志村くんは、いったいこの泉が奏でるどんな音楽を聴いていたのでしょうか…。
 そんな土地への思い、そして、音楽との出会いのあった中学時代への思い、それを歌にしてほしかった…。
 今は本校の駐車場になっていますが、池の手前には古い旅館がありました。太宰治が何度か逗留した宿です。あの「富嶽百景」の名シーンの舞台です。今日も月夜富士がきれいでした。
 私がなにげなく、本当に偶然に太宰の墓参りをしたのが、志村くんが亡くなる前日の12月23日。その日の記事を読むと、私はなにかを予感していたことがわかります。「太宰、いろいろ訴えかけてきましたよ。鳥肌立ちまくり」…たしかに体験したことのない感覚が私を襲っていました。しかし、その時はこんなことになるとも夢にも思いませんでした。地霊で志村くんと結ばれた太宰が、何かを知らせたのかもしれません。
 このようなことになってしまったのは、本当に残念でなりませんが、その場所で教育に携わることになる者として、いったい若者たちに何を伝えていけばいいのか、私も改めて考えさせていただく機会をいただきました。
 志村くんが心から愛した富士吉田。富士吉田ももっと彼を愛さねばならない、と思いました。私もこの街を、そしてこの街の子どもたちを、もっと愛さなくてはなりません。
 ちょっと頑張り過ぎてしまった彼は、今、大好きな富士吉田の街に帰ってきて、心優しい家族と、いつもの機材に囲まれながら、ゆっくり自分のペースで曲作りをしています。とっても穏やかな心持ちで…。安心しました。

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2010.02.03

心の鬼…モノノケハカランダ

P204mane03 日は節分。いつだかのこの日にも書きました通り、我ら出口王仁三郎ファンにとっては「鬼は内、福は内」の日です。
 皆さん、鬼を無反省にいじめていませんか?そろそろ艮(鬼門)に幽閉された国祖「国常立尊」の復権を待望してもいいのではないでしょうか。私たちの考える善悪のほとんどは、自分で判断したものではありません。
 という、ちょっと難しい宗教学的、いや民俗学的、あるいは哲学的な話は置いておいて、今日は文学のお話をしましょう。
 また最後はフジファブリックの志村くんの話になってしまいますが、ご了承ください。それほど、私にとって大切な人だったということです。今まで彼や彼の音楽に興味がなかった方も、これを機にぜひその世界に触れてみてください。
 さて、今日いつもの「モノ・コト論」研究のため、枕草子の注釈書を繰っていましたら、本当にたまたま「心の鬼」が出てきました。「故殿の御ために」という段です。ここには、イケメン藤原斉信が清少納言にかまかけるシーンがあるんです。それを軽くいなす清少納言。つまりはモテ話に振り話、いつもの通りの自慢話ですね(笑)。
 斉信は「夫婦になりませんか」とかまかけるのですが、清少納言は「夫婦になるとあなたをほめることができなくなる」と言って断ります。うん、たしかに人前ではなかなか配偶者をほめられませんよね。「あいつはダメで…」という物言いになります。
 で、そんな微妙な夫婦間の心情について、「心の鬼出で来て…」と表現しているんです。つまり、結婚すると、本当は好きでほめたいのだけれど、「心の鬼」が現れてそれができなくなる、ということです。
 では、この「心の鬼」とは何を指しているのでしょう。
 実は、枕草子の時代、「鬼」は、あの角のはえた赤や青の鬼(虎のパンツの鬼)とは全然違うイメージでした。あれが定着して、「鬼」が悪者になっていくのは平安末期だと思われます。それまでは、中国の「鬼」、すなわち死者の魂というイメージが強かったものと思われます。
 和語ではそれを「もの」と言いました。「鬼」の文字を「もの」と読ませる例が、万葉集なんかにもわんさか出てきます。
 私の「モノ・コト論」の出発点と終着点はまさにそこです。非常に単純です。簡単に言えば、今我々が「物体」「物質」「商品」のような意味で使う「モノ」という言葉も、実は「異界」「自分にとって外界」「思いどおりにならない外部」というような意味だととらえるのです。「もののあはれ」の解釈もそれにもとづき、「不随意(世の無常など)に対する嘆息」とします。これは他の人が全く言っていない盲点です。
 ですから、ここでも「心の鬼」というのは、自分の心の中の「意思に反する」あるいは「制御できない」何か、ということですね。たしかに、恋人どうしが夫婦になった瞬間から生じる、あの妙な違和感というか、変容というものは、なんとも説明がし難いですよね。それを「心の鬼」と言っている。別に恐いものではないのです。不安にはなるかもしれませんが。
 一般的に、たとえば私が読んだ注釈書なんかは、「心の鬼」を「良心の呵責」とか「気がとがめること」などと解釈しています。たしかにそう読めないこともないのですが、ここではそこまで善悪が関わっていないと思います。
 これが、中世以降、先ほどの角のはえた鬼のイメージ、すなわち「悪」のイメージが定着してきますと、「心の鬼」は「邪念」とか「妄想」とか「性的な欲求」などを表すようになるんですね。「豆とりて我も心の鬼うたん」なんていう節分の俳句も生まれたりします。邪念を消そうとしているわけです。
 あるいは恐い者の象徴として、自分の心を抑制する存在としてとらえられることもあります。「心の鬼が身を責める」という慣用句も生まれます。これなんか、やっぱり地獄の閻魔様のようなイメージから、悪事や良心の呵責と結びついているんでしょうね。
 というわけで、いきなり現代に話が飛んできます。
 先ほど書いたように、「鬼」=「もの」とは、自分のコントロールできない「何か」を広く表す言葉でした。そして、その「鬼」=「もの」を幽閉し、あるいは自らの制御下に置こうとしたのが「近代」であると言えます。ですから、我々現代人は、基本的にそうした「鬼」=「もの」を忌み嫌ってきたわけです。見ないようにする、あるいは、皆でいじめる。豆まきはその象徴です。
1 さて、そんな中、「鬼」=「もの」を、決して拒否せず、またそれから逃げずに、しっかり向かい合った青年がいました。それが志村正彦くんだったというわけです。
 彼を評するのによく使われる言葉は「叙情」「変態」などですが、それらはある意味「心の鬼」と言えます。「敏感」で「繊細」な「叙情」は、「説明できない孤独や切なさ」であり、「変態」は「妄想」や「性的な欲求」かもしれません。それらは、古文の時代においては「もののけ(物の怪・鬼の気)」と呼ばれました。
 そう考えると、彼らの代表曲の一つ(音楽的にも世界に不二な存在です)「モノノケハカランダ」は、まさに古典的な日本語、あるいは古典的な日本人の感性や世界観をそのまま継承していると言えますね。
 YouTubeで聴いてみましょう。

モノノケハカランダ

20100204_62102 すごい音楽ですね。イントロからして、私の常識ではありえない音楽です。天才。
 歌詞を読んでみましょう。「思いのほか」、「止まるなって言ってる」、「獣の俺」、「もうモノノケ」、「止まれなくなってる」…これこそまさに「心の鬼=モノ」世界です。
 昔ならこの感情を和歌で表現していたのです。あるいは、皆さん御存知の徒然草冒頭にある「ものぐるほし」という言葉もそうですね。あれなんかも、学校の先生や学者さんたちは、その真意をとらえていません。
 一方の「説明できない孤独や切なさ」についても、もう例を挙げるまでもなく、フジファブリックの曲に満載です。志村くん最後のアルバムとなってしまった「CHRONICLE」は、まさにその双方の「心の鬼=モノ」の競演、せめぎ合いであったと言えます。
 そういう我々がつい幽閉してしまう「モノ」に、正面から対峙したのが志村正彦くんだったわけですね。それを「天才」と言ってしまうのは、もしかすると安易なのかもしれません。彼のその「まじめすぎる」「不器用な」生き方は、すなわち「命を削る」生き方そのものだったわけですから…。

 PS 今日「鬼は内」と言ってマメを食べたら、皆さんが追い出した鬼がみんなウチに来てしまいました。カミさんがまさに鬼の形相になって、ものすごいことになりました(笑)。2時間ほどで正気に戻りましたが、全然覚えてないとのこと…おいおい(笑)。しかし、そういう手荒いカタルシスも必要なんです。あとには晴れ晴れしく澄んだ空気と心が残りました。ふぅ。

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2010.02.02

『THIS IS FOR YOU〜THE YELLOW MONKEY TRIBUTE ALBUM』

51beq52ggll_sl500_aa240_ 成20周年のアニバーサリーを終えたばかりのイエモン。アルバムの完全版が発売されなど、再評価の流れは止まりそうもありません。これを機に、彼らを知らない世代にも、ぜひ、ぜひ聴いていただきたいところです。
 何を隠そう、この私も彼らにはとんでもない影響を受けました。おおげさでなく、私の音楽観、日本語観を変えたと言っていいと思います。今、こうして、たとえばフジファブリックやレミオロメンやバンプなどのJ-ROCKを聴いているのも、彼らのおかげです。
 それまでの私は、洋楽ロック、バロック、ジャズばかりを聴き、そして演奏していました。そこに雷を落としたのがイエモンだったのです。
 その一発目の雷は、具体的に言いますと、あの超名盤「SICKS」です。それについてはこちらの記事に詳しく書いてあるとおりですね。
 それから全てのアルバムを狂ったように聴き尽くしました。ライヴにも行きました。そうこうしているうちに、どういうわけか、吉井和哉さんがご近所さんになり、妙なご縁にまで恵まれて、ますますイエモンの音楽、吉井和哉の歌が、私の心を開いてくれたのでした。ありがたいことです。
 今の若い世代のロック・ミュージシャンにとっても、彼らカリスマ的な存在です。ですから、私と彼ら若い人たちは同じ体験をしているわけですね。そういう部分で、私は自分よりもずいぶんと年下の人たちの音楽や言葉に共感しているのかもしれません。
 それにしても、不思議なことはあるものです。吉井さんがいた河口湖北岸をはさんで、御坂峠を越えたところにレミオロメンが生まれ育ち、こらち側、すなわち富士山側にフジファブリックの志村くんが生まれ育ち、そして、両者とも吉井さんと共演するまでになっていくとは…。
 ちょっと変な話ですが、土地が持つ不思議な霊力のようなものがあり、それが彼らを結んでいるような気さえするんですよね。そして、そこにたまたま私が住み、その磁場のようなものに引っかかって、それぞれ別々にご縁ができて、いつのまにか、それがまた一つになっている…本当に偶然に偶然が重なっているんです。
 吉井和哉さんと志村正彦くんに関しては、実は別の視点でもいろいろと不思議なことがあります。御本人たちは全く意識していなかったと思いますが。
 私はこちらの記事で「吉井和哉は太宰治だ」と書きました。これもまた、単に人間として、天才としてという意味だけでなく、御坂峠という土地が絡んだ共通性です。
 そして、志村くんについては、こちらにも書いたように、中原中也との不思議な共通点があります。あそこに書いた高円寺のみならず、よく考えてみると、フジファブリックが担当したラジオ番組「フジファブリックのGUCHI GUCHI言わせて」はFM山口制作でした。山口と言えば中原中也の故郷ですね。山口から高円寺に行ったのです。なんで、フジが山口だったのか…今になってみると、そこには深い意味があったような気もします。
 こんな感じですから、近年の吉井さんと志村くんの接近は、私には「太宰と中也」の遭遇のように見えていたのです。
 実際の太宰と中也は少なくとも3回は遭遇しています。この二人はなんとも微妙な関係にありました。太宰は中也よりも年下。太宰は中也を尊敬していたようですが、実際会ってみたら、実はとんでもない酒乱で、何度も喧嘩腰に絡まれて、ほとほと閉口してしまいます。最終的には苦手な人間として遠ざけていたふしさえありますね。しかし、ある意味では、同じような魂を持っていた、あるいは同等の才を持っていた二人とも言えます。
 もちろん、吉井さんと志村くんとは、いろいろな面で二人の関係は違ったものですけれども、しかし、もしかすると、「魂」や「才」の部分では何か共通点があるかもしれません。少なくとも私自身にはそれがあるように感じられます。表現の方法は違うけれども、やはり同じ何かがある…。
 そういう意味で、志村くんの実質的なこの世での最終完成音源となったのが、このアルバムに収録されている「FOUR SEASONS」だったというのは、なんとも運命的です。
 私にとっても、好きなイエモンソング、ベスト3に入るこの曲を、志村くんがカバーすると聞いた時には、本当に興奮しました。ある意味夢にも見ない夢の実現でしたから。
 しかし、志村くんが去ってしまった今となっては、かなり辛い歌となってしまいましたね。あまりに歌詞が辛い。叫びが辛い。今まで、自分でもカラオケなどで歌ってきた曲ですが、こんな違った意味を持つようになるとは…。
 きっと吉井さんも辛いでしょう。年末28日の武道館ライヴも苦しかったことでしょう。正月にはこちらにいらしてましたが、いったいどんな気持ちで富士吉田の街を、そして富士山を眺めたことでしょう。
 「勇気が足りない 力が足りない 時間が足りない お金が足りない 空気が足りない 命が足りない」…これを歌った時、志村くんは自らの運命を知るよしもなかったはずです。
 

Disc 1
WELCOME TO MY DOGHOUSE / Scoobie Do
LOVE LOVE SHOW / 奥田民生
SUCK OF LIFE / 毛皮のマリーズ
SPARK / 秦基博
JAM / TRICERATOPS
空の青と本当の気持ち / 星羅
SEA / 山田孝之
BURN / 椿屋四重奏
カナリヤ / tacica
4000粒の恋の唄 / あがた森魚
PUFF PUFF (instrumental) / MORGAN FISHER

Disc 2
FOUR SEASONS / フジファブリック
パール / 黒猫チェルシー
TVのシンガー / 9mm Parabellum Bullet
楽園 / KREVA
SHOCK HEARTS / metalmouse
球根 / THE BACK HORN
追憶のマーメイド / ムック
離れるな / 金子ノブアキ
SO YOUNG / シュリスペイロフ
メロメ (instrumental) / MORGAN FISHER
バラ色の日々 / Nothing's Carved In Stone
プライマル。 / フラワーカンパニーズ

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2010.02.01

『サイドマン ~ビートルズに愛された男』 (NHKハイビジョン特集 フロンティア)

20100202_90833 とこと…「かっこいい」。
 お正月に見逃したクラウス・フォアマンのドキュメンタリー。1ヶ月待って、ようやく再放送を観ることができました。知り合いのクラウスファンが泣きまくったというので期待していたわけですが、たしかにこれは感動ですねえ。
 もちろん、クラウスのベーシストとして、そしてグラフィック・デザイナーとしての業績を振り返るだけでも感激。いやあ、本当にすごい人だ。
 当然、彼にまつわる、ビートルズをはじめとして多くの名バンドの懐かしい映像や曲が流れます。うわぁ、この曲のベースもクラウスだったのか…。
 そして、往年のミュージシャンたちの現在の姿にも感動。ジョンやジョージのように亡くなってしまった方もいるわけですが、逆にいまだに元気な皆さんの笑顔や真剣な演奏姿を見るだけで、もううるうる…。ベテランのレコーディング風景(一発録りセッション)の楽しさ、緊張感…最高ですね。すごい境地です。ランディー・ニューマンの「ショート・ピープル」懐かしすぎ。
20100202_93258 それにしても、リンゴ・スターは元気だなあ。今年70歳ですよね。若い。そして相変わらずのドラミング。ますます味が出ちゃってますね。そして、ちょっと頑固じじい風なシーンもあったりして(笑)。ポール・マッカートニーも元気そうでなによりでした。
 クラウスを一言で言うと、やはり「天才」。なにしろ、20世紀を代表する天才たちが「天才」というのですから、本物でしょう。
 ベーシストととしても唯一無二の存在だった彼。たしかに彼のベースのフレーズは静かですが確乎としていて揺るぎない感じがします。番組中本人か誰かが語っていましたっけ。彼は楽譜は用意する(楽譜を見ておくことは重要だ)けれども、楽譜どおりは弾かない。そして彼の生み出すフレーズは、極端に上下するわけではないが個性的だと。なるほど、そのとおりですね。
 そんな天才音楽家であった彼は、しかし、音楽に飽きてしまいます。そして、ある意味本来の自分の道である「美術」「グラフィック・デザイン」の世界で、これまた大活躍します。
20100202_134755 だいいち、皆さんご存知のとおり、あの「リボルバー」のジャケットは彼の作品ですよね。天はニ物を与えたわけです。それも世界最高レベルで。ううむ、うらやましい。
 しかし、彼のすごいところはですね、どこまでも謙虚であったということです。いや、今でも充分に謙虚ですよ。だからかっこいいのです。誰か(私も含む)みたいに、大したことないのに「はったり」をかまして、目立とうとしたり、かっこつけたり、自慢したりする人間とは違います。
 そういう人間性の持ち主だったのですね。もし、彼がある意味普通に目立ちたがり屋であったら、もっと有名になっていたかもしれません。いや、The Beatlesのメンバーになっていたかもしれません。しかし、それを拒否したところから、現実の、あのThe Beatlesは生まれたとも言えます。そういう人なんですよね。
 そんな彼が70歳になって初めてリーダーとしてアルバムを制作しました。「A Sideman's Journey」…名だたるミュージシャンたちと同行二人…いつのまにか、壮大な自らの旅もデザインされていったのです。その終着点が、美しくリラックスした軽みのあるこのアルバムだったというわけでしょうか。
 すごいですね。またまた尊敬するベーシストが一人増えました。「サイドマン」…私もそういう人になりたいものです。

Amazon A Sideman's Journey

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