赤い糸
「赤い糸」というと、最近では、ケータイ小説やそこから派生したドラマ、映画、ゲームを思い起こす人も多いことでしょう。
あの話はずいぶんと入り組んでいて、ちょっとやりすぎ、さすがの運命もそこまで面倒なことはしないでしょうに。
一般には、「運命の赤い糸で結ばれている」というと、夫婦になるべき男女の仲を示す言葉として使用されますね。
ウチの夫婦なんかも、ある意味そんな感じの不思議な縁で結ばれたのですが、私はそうした男女の関係のみならず、様々な運命的な出会いに「赤い糸」を感じます。
ネットがそのような「赤い糸」の役割を果たすことも多々あります。ネットは網ですからね。糸がたくさん張り巡らされているのでしょう。そういう意味では、現代人は、多くの赤い糸を見つけたり、たぐりよせたりできるようになりました。それらはいったい体のどの部分に結びつけられているのでしょうか。
そう、日本では一般的に、互いの(左)手の小指に見えない赤い糸が結ばれていると言われますが、この話の原典である中国の故事(「続幽怪録」の中にある「定婚店」の話など)では、赤い縄を足首に結びつけるということになっています。なんとなく大陸的ですね。
その「赤縄の縁」については、江戸時代にあの上田秋成が自著の中で紹介したり、昭和の初期に怪談研究家として知られる田中貢太郎が怪譚小説の話の中で紹介したりしています。
つまり、この話、昭和の初めまでは怪異譚として伝来していた、つまり決してロマンチックなものではなく、どちらかというと怖い話として伝わっていたと思われるのです。
それを見事に「ロマンチック」に仕立て上げて現在に至らしめたのは、やはりあの男です。
ロマンチックの達人、太宰治。
太宰の小説の中で、この話は二回出てきます。そして、そこでは「赤い縄」が「赤い糸」になっているんですね。「糸」になることで、急に日本的になり、そしてロマンチックになってしまう。すごいですね。
まず、「思ひ出」の中に次のような印象的な一節があります。
秋のはじめの或る月のない夜に、私たちは港の棧橋へ出て、海峽を渡つてくるいい風にはたはたと吹かれながら赤い絲について話合つた。それはいつか學校の國語の教師が授業中に生徒へ語つて聞かせたことであつて、私たちの右足の小指に眼に見えぬ赤い絲がむすばれてゐて、それがするすると長く伸びて一方の端がきつと或る女の子のおなじ足指にむすびつけられてゐるのである、ふたりがどんなに離れてゐてもその絲は切れない、どんなに近づいても、たとひ往來で逢つても、その絲はこんぐらかることがない、さうして私たちはその女の子を嫁にもらふことにきまつてゐるのである。私はこの話をはじめて聞いたときには、かなり興奮して、うちへ歸つてからもすぐ弟に物語つてやつたほどであつた。私たちはその夜も、波の音や、かもめの聲に耳傾けつつ、その話をした。お前のワイフは今ごろどうしてるべなあ、と弟に聞いたら、弟は棧橋のらんかんを二三度兩手でゆりうごかしてから、庭あるいてる、ときまり惡げに言つた。大きい庭下駄をはいて、團扇をもつて、月見草を眺めてゐる少女は、いかにも弟と似つかはしく思はれた。私のを語る番であつたが、私は眞暗い海に眼をやつたまま、赤い帶しめての、とだけ言つて口を噤んだ。海峽を渡つて來る連絡船が、大きい宿屋みたいにたくさんの部屋部屋へ黄色いあかりをともして、ゆらゆらと水平線から浮んで出た。
これだけは弟にもかくしてゐた。私がそのとしの夏休みに故郷へ歸つたら、浴衣に赤い帶をしめたあたらしい小柄な小間使が、亂暴な動作で私の洋服を脱がせて呉れたのだ。みよと言つた。
続いて、「津軽」にも同じような話が出てきます。
秋のはじめの或る月のない夜に、私たちは港の桟橋へ出て、海峡を渡つてくるいい風にはたはたと吹かれながら赤い糸について話合つた。それはいつか学校の国語の教師が授業中に生徒へ語つて聞かせたことであつて、私たちの右足の小指に眼に見えぬ赤い糸がむすばれてゐて、それがするすると長く伸びて一方の端がきつと或る女の子のおなじ足指にむすびつけられてゐるのである。ふたりがどんなに離れてゐてもその糸は切れない、どんなに近づいても、たとひ往来で逢つても、その糸はこんぐらかることがない、さうして私たちはその女の子を嫁にもらふことにきまつてゐるのである。私はこの話をはじめて聞いたときには、かなり興奮して、うちへ帰つてからもすぐ弟に物語つてやつたほどであつた。私たちはその夜も、波の音や、かもめの声に耳傾けつつ、その話をした。お前のワイフは今ごろどうしてるべなあ、と弟に聞いたら、弟は桟橋のらんかんを二三度両手でゆりうごかしてから、庭あるいてる、ときまり悪げに言つた。大きい庭下駄をはいて、団扇をもつて、月見草を眺めてゐる少女は、いかにも弟と似つかはしく思はれた。私のを語る番であつたが、私は真暗い海に眼をやつたまま、赤い帯しめての、とだけ言つて口を噤んだ。海峡を渡つて来る連絡船が、大きい宿屋みたいにたくさんの部屋部屋へ黄色いあかりをともして、ゆらゆらと水平線から浮んで出た。
この弟は、それから二、三年後に死んだが、当時、私たちは、この桟橋に行く事を好んだ。
お読みの通り、完全に同じです。続く文は違いますが、この「赤い糸(絲)」に関する挿話に関しては完全に同じ文です。パクリですね(笑)。
おそらく「思ひ出」でも、そこそここの話は読者の印象に残ったのでしょう。太宰自身も「こりゃいいぞ」と思ったのでしょうね。自らの作り出した「赤い糸」のロマンチシズムに酔ってしまったようです。それで、もう一回使おうと思ったと。
比較的事実に近いと言われ、静かに感動的な「津軽」も、実はほとんどがフィクションあるいは事実のパロディーであるとのこと。さすが太宰ですね。この「赤い糸」を弟に語る話、どこまでが本当なのか。ま、小説にとっては、そんなことはどうでもいいのですが。
ちなみに、ここでは「左手の小指」ではなくて、「右足の小指」になっていますね。皆さんは、「左手の小指」と「右足の小指」、どちらがよりロマンチックに感じられますか?このへんの変遷についても調べてみると面白いかもしれませんね。縄から糸へ、足首から右足の小指、そして左手の小指へ、どんどん「繊細」になっているような気がします。これじゃあ、せっかくの「運命」も切れてしまいそうですね(笑)。いや、その危うさ、はかなさがいいのか。切れそうで切れなかったからこそ、運命的な出会いなのか…日本人ですなあ。
そうそう、この太宰、自分が作り出したこのロマンチックなお話に魅入られてしまったのか、昭和23年、愛人の山崎富栄さんをですね、「オレたちは赤い糸で結ばれていたんだよ。一緒に死のう」みたいなこと言って誘い、玉川上水で心中します。
その時、赤い糸で二人の足の小指を結びつけていた…かと思いきや、「赤い紐」で二人の腰のあたりを結んでいたようですね。心中にとっては、より実際的なロマンチシズムです。そして、二人の遺体は、太宰の誕生日に発見されたのでした。出来過ぎです(実際は死後1週間ほど経っていたので、全然ロマンチックな風景ではなかったようですが)。やるな、太宰。
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