天の歌…
あの日あの時あの場所の富士
「おにいちゃん、天国でもいっぱい歌うんだって。だから聴いててあげてね」…お通夜で志村くんの妹さんが、ウチの娘たちにかけてくれた言葉です。安らかな志村くんの寝顔を、事情がつかめないまま茫然と見ていた9歳の上の娘は、その言葉を聞いて堰を切ったように泣き出しました。
本当にウチの家族の日々の愛唱歌はフジファブリックだったのです。もちろん、今でもそうなのですが…。
ここから先の話はちょっと「痛い」話かもしれません。それでもどうしても書きたいので、読んでやってください。
今朝、私は実に不思議な経験をしました。私は、いつものとおり、富士山にある自宅から職場である富士吉田の学校に向かいました。いつもの時間、いつものコースです。ちょうどあの日志村くんが天に昇った聖苑の隣を通ってスバルラインに出ようかという時です。その歌は聞こえてきました。
カーステレオの調子が悪く、最近はほとんど無音の中での通勤が続いていました。だから良かったのかもしれません。静寂の中、突然聴いたことのない音楽が流れ始めたのです。
それはたしかに聴いたことのない音楽でしたが、しかし冒頭のイントロ部分だけで「フジファブリックだ!」と分かりました。
ミディアム・テンポで透明感のあるその曲は、イントロから美しく幻想的なAメロに入っていきました。私は息を呑みました。いったいどんな歌声が聞こえてくるのか…。
それはたしかに志村正彦くんの声でした。私は一生懸命聴こう聴こうとしました。歌詞を聞き取ろうと必死に心の耳を澄ませました。
途中、スバルラインには、路面に施された仕掛けによって童謡「ふじさん(ふじのやま)」がほとんど暴力的に流れるところがあるのですが、そんな音にはかき消されたくなく、私は対向車のないのをいいことに右側の車線を走りました。
しかし、どうしても言葉は聞きとれません。でも、メロディーははっきり聞こえます。イントロ、Aメロ、サビ、基本的に同じコード進行ですが、そこに施された旋律の変化とアレンジの変化、そして彼ららしい所々の意外な挿入句が見事でした。いかにもフジらしい楽曲。
私はその印象的なギターやキーボードのリフはその場で覚えてしまいました。これは学校に着いたら早速楽譜に書き留めておこうと思いました。
車は富士吉田の市内に入り、突然私に日常が還ってきます。その曲は鳴り続けていますが、しかし、だんだん街の喧騒といいましょうか、日常の霞のような何ががそれをじゃまして、次第に朦朧としていきます。そして、いつか、その音楽はフェードアウトして消えてしまったのでした。
私はとにかくイントロだけでも忘れないようにと、一生懸命それを口ずさみました。絶対音感がない私は、とりあえず学校のピアノで音をとって楽譜にしようと思いました。しかし、学校に着くと、いきなり仕事がいくつか入ってしまい、そんな時間もなくなってしまいました。
残念です。今、その音楽の印象は、まさに霞の向こう側といった感じで、たしかに残っていますが、はっきりと音にできないのです。それでも、あの、フジの新曲を聴くドキドキ感、ワクワク感は忘れません。いい曲でした。
たぶんこれは、人からすれば「気のせい」「思い込み」「(自意識過剰な)痛い話」になるのでしょうが、私はやっぱり妹さんの「天国でもいっぱい歌うんだって」という言葉を信じたい。そんな天の声をたまたま聴くことができたのだと思いたい。ちょっと恥ずかしいけれども、正直そんなふうに思います。
いちおうそれなりに音楽的な生活をずっとしてきましたから、それが初めて聴く曲なのか、そうでないのか、また、それがどういう個性を持っているのか、いい曲なのかどうか、そういうことはある程度分かるつもりです。だからこそ、あの曲は間違いなくフジファブリックの新曲だったと、私自身は確信を持っています(ホントごめんなさい、自己中心的で…誰も聴けませんものね)。
しかし、たとえばこういう形ででも、やっぱり志村くんは私たちと一緒にいてくれるんだと思いました。天国でちゃんと歌っていてくれてるんだ。天に才能を返して、天でその仕事を全うしてるんだ…。
天才という人たちの仕事の一端に触れたような気もしました。きっと彼らはこうして天の歌を心の耳でとらえて、それを私たちにちゃんと聴かせてくれるのでしょう。残念ながら私にはそのような才はありませんでしたが…。
志村くん、これからもどんどん天の歌を聴かせてください。心の耳を澄まして待っています。
ありがとう。
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コメント
前略 薀恥庵御亭主 様
人間は毎日「奇跡」の体験をして
暮らしています。
これが 長く続きますと・・・
自然に「当たり前」となり・・・
「奇跡」の感覚を失います。
けれども「全人類」奇跡の連続で
毎日毎日 存在しております。
それに気づく一番の近道が
「感謝」なのかもしれません。
合唱おじさん 合掌
投稿: 合唱おじさん | 2010.01.31 13:53
その曲は、庵主さんの約束を果たしたんだと思います。
多分…、新しい学校の校歌を天で作って下さってたと感じます。私の見方なので、なんとも言えないですが…。志村さんは、小さい頃に「雲には意識があって、人には見えない目があって、色んなことを考えている」ってネット本に書かれてありましたよね。
あれは、意識的に、天と人間の魂は繋がってるということを、理解していらっしゃったように感じます。志村さんは、今からも富士山から、沢山の方々を無償の愛で、見守って生きていらっしゃっると感じます。
私は、第3の目があるので、感じたままに書きました。自分で、理解して受け入れなきゃ、周りからは痛い女でしか見られないです(笑)
しかしながら、周りは周り。自分が感じたことを信じて生きればいいんだ。ってことを教えて下さったのも、やはり、年末からの流れのように感じます。
初めて私が、庵主さんにコメントした時間って、元旦の午前3時。です。
その導きにも感謝です。
今の私から見れば、シンクロシニティやハイヤーセルフとの導き、全ては事実で現実にしか見えません。だから、私は庵主さんの経験は、必然性があり、事実だと素直に感じました。
私は、周りからは、痛い女って思われても、これからは、自分の感じるままに、ありのままに生きていこうと感じてます☆
やはり、元旦からの導きがそうさせて下さってると確信しています☆
稲盛和夫さんは日本航空、無給なんですね。稲盛和夫さんに興味を示したのも、庵主さんのblogのおかげです☆感謝です☆船井総研さんや、出口さん、中村天風さんの著者に興味を示したのも、庵主さんのblogのおかげです☆
投稿: 里沙 | 2010.01.31 14:06
はじめまして、スピカと申します。
志村くんが亡くなってからのにわかですが、毎日お邪魔しております。
なんとも不思議なお話で、堪らなくなり書き込みしてしまいました。
志村くんはやっぱり富士山の方にいて今も曲作ってるんだなと嬉しくなりました。
ちょっとくらいお休みしても良いのに、作らずにはいられないのでしょうか。
私は霊感とか全く無いのですが、去年の末にフジが出演するはずだったRADIO CRAZYというイベントに参加しましてフジのステージで一瞬だけ志村くんの気配を感じたんですよね。
ステージが人の頭で見えなくて、見えた瞬間ふっと…「あれ志村くんいてるやん
今回のお話を読んで私も自分の感覚を信じようと思います。
自分の話ばかりですみません。
しかし一フジファンとしてはフジの新曲を聴かれたなんて、心の底から本当に羨ましく思います!
またもし聴かれました是非お教え下さいね。
これからもこっそりお邪魔させていただきますね。
では失礼致しました!
投稿: スピカ | 2010.01.31 16:51
はじめまして。
志村君の訃報の後,庵主さんの所へ辿りつき
ブログを拝見させていただいておりました。
志村君とは同じ年,同じ月生まれで,
フジファブリックの音楽を教えてくれた親友もまた,
誕生日が1日違いでなので何か縁のようなものを感じました。
庵主さんのお話,不思議だけど信じられます。
きっと説明のできないことって起こるんだと思うから。
私は全く霊感も気配すら感じたこともなかったけれど
12月27日の夜中,物音で目が覚めたとき
なぜか「あ~今志村くんが来てたんだな・・・」って
思ってしまったんです。
気のせいかもしれないし思い込みかもしれないけど
そう感じたのです。
今までずっと悩んだり希望が持てない日々が続いていたのですが,
今はいつか富士山を見に行きたいという夢ができました。
人は大小関係なくどんなことでも目標や夢を持てば
毎日生きて行けるのかもなぁと思うようになってきました。
私もこれからもブログを拝見しに来ます☆
投稿: 7101920 | 2010.01.31 21:18
聴けたんですね、新曲。
1日1曲ペースで曲を作る志村くんですからきっと
皆に届けたくてウズウズしてるんじゃないでしょうか!?
一瞬で消えてしまうそのメロディーは束の間の
朝起きたら忘れちゃう夢のようだけど
きっと心の中にはしっかり鳴り響いているんでしょうね。
私も毎日屋上で1時間程、空を見上げ風を感じていますがまだ届かないです。
その時が来るのを楽しみに待つとします。
また明日から耳を澄まし
投稿: rollo | 2010.01.31 21:54
初めて書き込みさせていただきます。
日が経つほど、私の中での志村くんの…フジファブリックの存在の大きさを感じています。虚無感に襲われています。
私事ですが、先週祖母が亡くなり…葬儀をしたのですが、対面した時、身体は確かにここにあるけれども、人の想いはどこに行ってしまうのかな…と感じました。
でも生きてきた証はしっかり受けとめていこうと思いました。
志村くんが残してくれたもの、私達はこれから日々普通の生活をしながら受けとめていかなければいけませんね。
投稿: フー | 2010.01.31 22:53
ずいぶん前からブログを拝見しているのですが、コメントは初めてです。いつも心に残るお話をありがとうございます。あれから志村さんの関連の記事で涙なしに読めたものはありませんでした。どの記事も色々と考えることばかりです。このお話を読んでも、涙がとまりません。
私は、志村さんがあれから休んでいるとか、眠っているとかどうしても思うことができません。やっぱりギターを弾いて、歌を作り、歌っている、歌い続けているとしか思えないのです。音楽のことを考えていない志村さんなんて、想像もできないので・・。だから、この記事に書かれていた妹さんの言葉は、本当に胸を打ちました。
30日の朝、その歌が聞こえてきたのだったら、それは本当にすばらしい奇跡だと思います。その歌は富士吉田の町で、きっと流れていたんですよね。
志村さんが音楽に真摯に向き合い、音楽家としての苦悩も一人で引き受けて私たちにフジファブリックの歌を届けてくれたこと、そのことを何度も繰り返し考えています。あれほどの才能を持ってこの時代に生まれ、私たちに音楽を届けてくれたこと。それを聴けたことそれ自体も奇跡だったんだなと思います。
投稿: あかね | 2010.02.01 00:18
皆さん、コメントありがとうございます。
本当に一瞬一瞬を大切に、いろいろなモノを感じながら生きたいですね。
感謝の気持ちをこめて…。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.02.01 19:23
昨日ブログを拝見できなかったので
コメントが遅くなりましたm(__)m
アー、志村くんの、フジの新曲だ~と
思いました。
そして残念ながら「その曲」は書き留めることは
できないだろうなぁと思いました。
庵主さんの意識の中に入っていってしまったんですね。
志村くん、凄い曲ができたから
早く聴かせたかったんでしょうね~(^.^)
また志村くんのメロディが聴こえたら
ぜひ教えてください。
投稿: kirari | 2010.02.01 21:24
初めてコメントします。心が温かくなるお話をいつもありがとうございます。
昔、まだフジファブリックがデビューして間もない頃でしょうか。通勤ラッシュの渋滞の中、FMから流れてきた曲。
『いい曲だなぁ・・・好きだなぁ・・・』と思ったそれが、フジファブリックでした。
ボーカルの志村くんが富士吉田の人だと知って、なんだかすごく嬉しくなったのを覚えています。
山梨出身の人には思い入れが強くなります。身近に感じてしまいます。
私は〝国中〟在住なので、郡内の人達からは『ちょっと違う』って思われるかもしれませんが(笑)
志村くんの歌が好きでした。聴いていると風景が浮かんできて切なくなるような・・・
今も通勤時、毎日聴いています。
志村くんはあっちでも新しい歌を作っているんだなぁ・・と思ったら嬉しくなりました。妹さんの言う通りでしたね。
きっと庵主さんに一番に聴かせたかったんですね。ステキな奇跡☆私も信じます。
これからも志村くんの残してくれた歌達を聴いていこうと思います。
毎日キレイな富士山を見るたびに志村くんを想います、峠のこちら側から。
7月の富士急は、志村くんに会いに行きたいなと思っています。
投稿: yuki | 2010.02.02 09:02
志村くんの妹さんの
「おにいちゃん、天国でもいっぱい歌うんだって。
だから聴いててあげてね」の言葉にグッきました。
30日・・ちょうど、ROCKIN ON JAPANの志村くんの追悼特集の
発売日。シンクロしてますね。。
私、ずっと気がかりだったことがあったんです。
それが、ROCKIN ON JAPANの追悼特集を読んで、ますます気になってしまって。。
あれだけの才能を持っていて、しかも、深いやさしさを
持っていた方なのに、どうも「自己肯定感」が少なかったように
ずっと感じてたんです。
「音楽を作らないボクにはなにもない」っていうようなコメントが書かれていて・・・そんな、悲し過ぎます。
そして、「音楽」を作っていない志村くんが魅力のない人ではなかったし。
志村くんは、志村くんそのままで魅力的な方だったと思います。
前から、「365日、1日1曲」って、
“数”にこだわるところがすごく気になっていて・・
曲を作ることでしか、自分で自分を自己評価できなかったのじゃないかって
余計な心配ばかりしていまいます。
随分前の、「めざにゅー」でのインタビュ−でも、
「初めて曲を作ったときに、自分で自分を評価した」って言ってたんです。
ここ1年、2年は、すごく本人にとっては、苦しい期間だったのではないかと思いました。せつないです。
私は勝手にいっぱい元気をもらってたのに・・・と思うと余計に。
その度に、「志村くんの才能に甘えていたのかも」とおっしゃってた
先生の言葉を思い出す私です。
彼があんなに、悲しいほどに、“渇望”していたものは何なんだろう。。
私には、ずっと謎のままなのかもしれません。。
投稿: ikuko | 2010.02.02 09:31
はじめまして。寺尾と申します。
何度かmixiにも足跡を残させてもらっています。
今回の記事でとうとう涙腺が崩壊してしまいました。
うまく言えませんが、とても嬉しくなりました。
ありがとうございます。
投稿: 寺尾 | 2010.02.03 03:25
皆さんのお気持ちは、私なりにしっかり届けておきました。
もう泣いてばかりもいられません。
志村くんは前向きに進んでいますよ、きっと。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.02.05 14:06
初めまして。いつもブログを拝見させて頂いています。今回の『天の歌』のお話は、なんとなくですが、志村さんは向こうの世界でも初めて出会うものたちへ、歌っていらっしゃるのではないのかなあ。と思っていた私にとって、とても嬉しいお話でした。でも、私はこちらの世界にいるから、新曲はもう聞けないのかなあ。と思っていたのですが、こちらの世界にも届けて下さっているんですね。前向きな気持ちにさせて頂いて、ありがとうございます、とお伝えしたくて、思わずメールしました。これからもブログ楽しみにしています。
投稿: ぽん太 | 2010.02.06 19:10
ぽん太さん、ありがとうございます。
私の聞いたのは幻聴かもしれませんが、今でも時々その断片がよみがえります。
志村くんは1日1曲作っていたようですから、きっと私たちも新曲をちゃんと聴ける日が来ると思いますよ。
期待して待っていましょう。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.02.07 21:32