天に帰った才能とは…志村正彦くんに学ぶ
朝起きると、富士北麓ではこの季節珍しい涙雨。
音もなく柔らかく大地に降り注ぎます。
しばらくすると、雨はやみ、陽が差してきました。
大地の潤いは絹のような無数の湯気となって、天に帰っていきます。
こうして、全てのものは循環しているのですね。
昨日、最後の対面と書きましたが、今日、本当に本当に最後にもう一度だけ、志村正彦くんに会うことができました。
あいかわらず美しいそのお顔のすぐ脇に、花を手向けました。
メンバーやご友人、そしてお父様のお言葉から、志村くんの人間性、才能、そして魅力を存分に感じ取ることができました。
それらは繰り返すこともはばかられるような、美しい言葉たちでした。
もちろん、その美しさの分だけ、悲しみも悔しさも寂しさも大きく強くなるのですが…。
先ほど、志村くんは本当に天に昇っていきました。
どうにもならない空虚感、欠落感…。
雲に覆われた富士山をぼんやり眺めていると、徐々に雲間から何本もの光条が差し始めました。
そして、突然、太陽が姿を現したのです。
どんより暗かった大地に明るく暖かい太陽の光が降り注ぎます。
気づくと、そこにはまた絹のような湯気が立ち昇っていました。
ああ、志村くんも富士山から天に昇っていったな、と思いました。
ありがとう、さようなら。
先日、天才とは「天に才能を返す」者であると書きました。
彼の才能とは、我々が気づかない、日常に埋没した「大切なモノ」を拾い上げて、私たちに見せて、聴かせてくれることでした。
そんな彼がこの地上からいなくなって、残された私たちはどういうふうに生きていけばいいのか、正直不安だったのですが、この富士山と雲と太陽と木々と鳥たちを見ていたら、何かふと安心したような気がしたのです。
彼が見つけて提示してくれなくとも、その「大切なモノ」は確かにこの世に存在するのです。
日常の営みの中に、私たちの言葉の中に、自分たちの経験の中に、それらはいつでもあるのです。
何も不安に思うことはないじゃないか。
私たちはいつも受け身だったのです。
待っているばかりだったのです。
志村くんを始めとする天才たちに甘えて、ただただ彼らの才能…それは彼らの、身を、命を削る大変な仕事の結果から逆算された「言葉(概念)」に過ぎないのですが…に頼って日々を送ってきたのです。
私たちにそんな才能はないと、決めつけていてはいけないなとも思いました。
別に特別なことをしろ、何万人もの人に感動を与えよ、と言っているのではありません。
まず、自分自身の不安や不満や不足を、日々の生き方の中で救い上げていくだけでいいんです。
私は、この歳になって、この若者の命からそんなことを学ばせていただきました。
それこそ、今まで見えていなかった大切なモノに気づかせてもらった。
だから、やっぱり、ありがとうと言いたいのです。
ただ、今まで感動をありがとう、ということではないのです。
さようならを言わなければならないのも一つの事実です。
しかし、私は彼にいつでも会えます。
彼が残してくれた大切なモノを、日々自分が実践していけば、すなわち彼は私と一緒にいてくれるのです。
昨夜も今日も、お父様、お母様に優しい言葉をかけていただきました。こんな時に、まるで逆の立場です。申し訳ないくらいです。この大変な時にも関わらず、私のこのブログを読んでくれていたそうです。本当にありがたいことです。皆さんのコメントもきっと、親族の皆さまに、そして正彦くんに伝わったことと思います。私自身も、ブログを続けていてよかった、と思いました。
先日書いた、志村くんに頼みたかったこと、最後の夢とは、新しい中学の校歌や愛唱歌を作ってもらうことでした。あそこで少年、青年時代を送り、そして人一倍少年時代、青年時代に愛情を持っていた志村くんなら、きっと素晴らしい歌を作ってくれると思ったからです。
今日、そのお話をお母様にしましたところ、なんとお母様自身はそれを知っていたとのこと。直接そのようなお話はしていなかったのですが、私の気持ちは伝わっていたのですね。ありがたいことだと思いました。ただ、私もお母様も、彼には伝えられず終わってしまいました。残念です。
いや、先ほど書いたように、いつまでも彼に頼っていてはいけない。彼の才能…すなわち日々の生き様…は天に帰ってしまったのですから。これからは私なりに生徒たちと頑張っていかねばなりません。まずは、来春出会う中学生たちと、志村くんの音楽を聴き、志村くんの言葉を読み、そして自分たちの生き方を日々考えていこうと思います。頑張ります。
PS 7月の富士急、ぜひトリビュートという形で実現してもらいたいですね。いや、それこそ、自分でもできることは何でもやっていかなければ。ファンの皆さんもぜひ。
お詫び ここ数日の記事に多数のコメントありがとうございます。今回はこのような状況でしたので、記事をもってお返事とさせていただきます。申し訳ございません。
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コメント
蘊恥庵庵主さま。
いつもブログ拝見させていただいてました。
今日の記事を読んで、まずは蘊恥庵庵主さまにお礼が言いたいと思い、初めてコメントさせていただきます。
志村クンのさいg
投稿: くみ | 2009.12.28 22:14
途中で送信してしまいました・・・。
志村さんの最期、きれいな青空で、不謹慎かもしれないけど、なんか嬉しかったです。
わたしも自分ができること、やろうと思います。
投稿: くみ | 2009.12.28 22:24
初めまして、山形に住む おのと申します。
まだ胸が締め付けられるように痛みます。
なぜ、なぜだろうと心の中で問い続けています。
私を含め、多くの人たちは、志村くんに直接お別れをすることは叶いませんが、ここで志村くんの最後の様子をきくことができ、やっと少し実感がわいてきました。一緒に見送らせていただけたように思います。
私のようなものでも、これほどの喪失感を味わっているのですから、ご家族、関係者の皆さんのお悲しみは、いかばかりかとお察しします。心よりお悔やみ申しあげます。
メンバーの皆さんはいかがでしょうか。
誰よりも志村くんの音楽を愛し、共に作り上げてきた、ダイちゃん、総くん、かとうさんは大丈夫でしょうか。
私も46年いろいろな音楽を聴いてきました。その中でもフジファブリックの音楽との出会いは一番の衝撃であり、幸せでした。
彼等の音楽を聴くたびに、フジファブリックに出会えて良かったと、何度も何度も、心から思いました。
志村くんの日記に、何度か「すごい曲ができた」「早くみんなに聴かせたい」、そんな言葉が出てきて、次は、どんなふうに変わっていくのだろうと、楽しみで仕方がありませんでした。
フジファブリックの
投稿: おのみか | 2009.12.28 23:07
(先程は途中になってしまい、申し訳ありません)
フジファブリックの音楽を聴き続けるために、死ねないなと思っていました。
今は、志村くんの新しい曲を聴けないことを悲しむより、彼が残してくれた素晴らしい曲たちに出会えたことに感謝したい。
志村くんが書いた歌詞は、どれも、こんな時胸に沁みるものばかりだと、あらためて感じます。
私にとっても志村くんはミュージシャンという存在を超えた、理想の人です。庵主さんがおっしゃることはよくわかります。
ここで庵主さんのお話を読むことができ、感謝しています。
初めてにもかかわらず、長々と乱文を書き込む不躾をお許しください。ここに書き込ませていただいて、覚悟ができました。
本当にありがとうございました。
来年の富士急でのイベントが、初めてのライブになるはずでした。彼の歌声を聴けないことは心残りでなりませんが、機会があれば、志村くんが生まれ育った土地に会いに行きたいと思います。
投稿: おのみか | 2009.12.28 23:25
山口先生
こちらへもコメントさせて下さい。
志村さんのことをたくさん書いて下さり、本当にありがとうございます。
上の方のように、一ファンの身としてはお別れに伺うことも叶わず、中々気持の整理ができないのですが、お別れの様子を知るだけでも、少しずつ気持の区切りがつきそうです。ずっと泣いて寝込んでいましたが、なんとか立ち直るよう頑張ります。
五年の間、志村さんからはたくさんのものを頂きました。
素晴らしい曲の数々・感動・生きがい・夢中になれる情熱・楽しみ・恋心…など書ききれないほどたくさんのキラキラ・・・
本当に幸せでした。感謝しています。
アルバム「クロニクル」からは、志村さんの孤独を感じていました・・・
前に志村日記だったか「たべものより、手紙をください。すべて保管しています」と書いて下さっていた志村さん。
長年ファンでありながら、事務所経由が気恥ずかしくて一度もファンレターを出せませんでした。年が明けたら、一度今までの感謝を伝えたいな…と思っていたので、それが心残りです。
もう、志村さんに会いに東京へも大阪へも行けませんが、彼が残してくれた音楽は彼そのもの…。それらを支えに、これからも生きていきます。
この場をお借りして…
志村さん…
ずっとずっと忘れないよ。
ずっとずっと大好きだよ。
これからも、ファンでいさせてね。
ありがとう。本当にありがとう。
またね!
投稿: まこ | 2009.12.29 12:16
やっぱり中学校の愛唱歌をとお考えだったんですね。
志村さんへの頼みごとという言葉を読んで、
もしかしてそうかなと思っていました。
叶わず残念ですが、
もし叶っていたらどんな歌が出来ていたのか、
想像するのは楽しくもありますね。
生徒も先生も踊っちゃうような一曲を期待しますが…。
コニファでのトリビュートライブ大賛成です!!
ぜひそのような場にして頂きたいです。
もしそうなったら何がなんでも絶対行きます!
そうそう『クロニクル』を
買いそびれていて今さら買いました…
不届きもの!?なファンですが、
志村さんからもらう最後の宝物を、
楽しみに待っているところです。早く届かないかな~。
投稿: ユキ | 2009.12.29 19:14
こんばんは。告別式、出られたのですね。
私は直接お別れ出来ないけれど、
こちらで、その時の様子を知る事ができることに感謝します。
mixiで12時から告別式だと知って、
私も仕事の休憩を12時からとって、
ひとりだけの告別式をしました。
「私たちはいつも受け身だった」の言葉で、
やっと、これから自分がどうしたらいいのかが
少し見えたような気がしました。
まだまだ、自分の中の「喪失感」を
どうしたらいいのか分からない状態ですが、
落ち着いたら、自分の言葉で、自分の気持ちを
発信していけたらいいなぁと思っています。
そして、志村くんの残してくれたものを
一人でも多くの方に伝えられたら、と思います。
ありがとうございました。
投稿: ikuko | 2009.12.29 21:29
いつぞやの、「茜色の夕日」の記事を思いだしこのブログにたどり着きました。まだ悲しい気持ちはなくならないけど、先生の言葉が暖かいので少し落ち着きました。
ありがとうございました。
投稿: みち | 2009.12.30 02:04
はじめてコメントさせていただきます。
志村さんのファンのえつこと申します。
フジファブリックの歌に惚れ、志村さんの人間性に惚れ、ライブも数十回と観に行きました。
訃報を知ってからというもの、32年の人生で初めてこれほどまでの涙が出ました。泣いても泣いても涙は枯れず、目から溢れています。
電車に乗っていても、テレビを見ていても、パソコンをいじっていても、スーパーで買い物をしていても、師走で慌しい街中にいても、それはツラ~っと頬を伝います。
事実を受け入れることができず、もともと遠い存在のお人でしたから実感も無く、気持ちの待って行き場が分からず、前にも後ろにも進めず、ただ泣くことしかできませんでした。
蘊恥庵庵主様のブログに辿り着き、蘊恥庵庵主様のお言葉を読ませていただき、前へ進まなくては!と学びました。
私たちはいつも受け身だったのです。
待っているばかりだったのです。
志村くんを始めとする天才たちに甘えて、ただただ彼らの才能…それは彼らの、身を、命を削る大変な仕事の結果から逆算された「言葉(概念)」に過ぎないのですが…に頼って日々を送ってきたのです。
そうですね、自分で見つけるのですね。
今まで志村さんに頼り過ぎていた気がします。
志村さん、ありがとう。
志村さんは私に音楽の素晴らしさ、人間の奥深くに眠っている感情を教えてくれた。
そんな志村さんが大好きだった。
かけがいの無い存在だった。
私のようなファンでさえこんなにも辛いのですから、ご家族、メンバー、ご友人、蘊恥庵庵主様の悲しみは想像を絶します。
残された者にできることは、彼を忘れないこと。
蘊恥庵庵主様もどうかお気を落とさず。
なんか私も蘊恥庵庵主様の生徒になった気持ちです。
大変学ばせていただきました。ありがとうございました。
P.S 校歌が志村正彦作詞作曲だなんて、斬新ですね!生徒が真っ直ぐ育つかちょっと心配なところはありますが(笑)私はそんな学校があれば通いたかったなぁ。
それでは長々と失礼致しました。
投稿: えつこ | 2009.12.30 12:46
皆さん、一連の記事に多くのコメントありがとうございます。
私も皆さんのお言葉により、心が安らかになってまいりました。
これからも、どうぞこの場をメッセージボードのようにお使いください。
皆さんのお気持ちは、天の志村くんにも届くと信じています。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.12.30 12:47
志村さんが亡くなってしまったことは
悲しくて悲しくて…。
ふとした瞬間に悲しさがあふれて、涙がこぼれ
胸が締め付けられます。
志村さんの音楽が
フジファブリックの音楽が
だいすきでした。もちろん今も。
まだ信じられない自分がいます。
それでも
どうか、どうか安らかに。という気持ちでいっぱいです。
フジファブリックの音楽と共に生きていきます。
ありがとうの気持ちでいっぱいです。
死後の世界をこんなに願ったことはなかったです。
投稿: みずほ | 2009.12.30 17:55
29日に富士吉田へ行ってきました。
自分の誕生日に何をしようか‥志村くんに会いたい。と思いました。
『浮雲』のあの丘から見た富士山と吉田の町はとても穏やかで、
ここに志村くんがいると思ったらあったかい気持ちになれました。
あの景色を見て育った志村くんだからこそ書ける歌があったんだと。
7年間数え切れないライブを見てきたこと、彼の音楽を大好きになれたこと、彼の人柄、
どれもこれもわたしに見逃すことのできない大切なことを教えてくれました。
志村くんはわたしにありったけの感動を与えてくれました。
本当に感謝してもしきれないほどの。
ただ今は会えないことが寂しくてたまらなくなってしまいますが、
フジの音楽に会えたこと誇りに思っています。
皆さんの言葉にふれて気持ちを書くことで救われました。
感謝いたします。
よい年をお迎えくださいませ。
投稿: いちこ | 2009.12.31 23:52
度々コメント申し訳ありません。
私、最近感じたのですが、もしかすると志村さんは、初期の頃、中原中也さんの魂で詩を書いていらっしゃったのではないかと…。もちろん、肉体、中身は志村さんですが、ただ、やはり音楽を創る作業や詩を創る作業ということは、魂や命を削り、そして生み出す作業なので、並大抵の気力や能力、体力、魂がないと出来ないと思います。
私が、もしかすると…と感じたのは、ネットで志村さんがおっしゃっていた記事を見て感じたのですが、「クロニクル」に関して書いていらっしゃった記事ですが、志村さんが「以前のフジファブリックは一度死んで、生まれ変わって今回のアルバムを創った。なので、いつ死んでいい」みたいな事が書かれてありました。
私の見方なので何とも言えませんが、以前のフジファブリックの本質の魂は中原中也さんであったんじゃないかな…。と。「クロニクル」のDVDでも志村さんは、「クロニクル」で初めて、ノンフィクションを書いた。とおっしゃってます。
それ以前は妄想で書かれてた。と。
「クロニクル」を創る作業をしている時に、既に自分の命を削る作業だ。という事に気付いていたと思います。
後、以前のフジファブリックのblogを読ませて頂いて感じた事がありました。
民生さんは才能におぼれてる。と。
私もそう感じますよ。何故なら、民生さんの詩は間接的だからです。素直に私の心の中にも入っては来ません。しかし、ごまかしている事は分かります。
要は、民生さんは魂の本質に気付いていながら、見たり、感じたりするのが恐い。他人に悟られるのが恐いのです。
だから、あまり人の前で涙を流すことを躊躇うのでしょうね。
しかし、やはり志村さんと同じ天才。
表現の仕方が、志村さんの場合は、素直に向き合って命を削る作業をやり終えた。
民生さんは、作業をしながら、なんとなく伝える作業をされている。のだと思います。
投稿: 里沙 | 2010.01.15 12:43
度々コメント申し訳ありません。
私、最近感じたのですが、もしかすると志村さんは、初期の頃、中原中也さんの魂で詩を書いていらっしゃったのではないかと…。もちろん、肉体、中身は志村さんですが、ただ、やはり音楽を創る作業や詩を創る作業ということは、魂や命を削り、そして生み出す作業なので、並大抵の気力や能力、体力、魂がないと出来ないと思います。
初期の頃のフジファブリックの歌詞や音楽は昭和や大正の匂いが感じられます。そして…、ジャケットも昭和、大正的です。
しかし、「ティーンエィジャー」になると、思春期の頃かな?と思わせられますし、「クロニクル」は29歳の「今」なのかな?って素直に感じられます。
私が、もしかすると…と感じたのは、ネットで志村さんがおっしゃっていた記事を見て感じたのですが、「クロニクル」に関して書いていらっしゃった記事ですが、志村さんが「以前のフジファブリックは一度死んで、生まれ変わって今回のアルバムを創った。なので、いつ死んでいい」みたいな事が書かれてありました。
私の見方なので何とも言えませんが、以前のフジファブリックの本質の魂は中原中也さんであったんじゃないかな…。と。「クロニクル」のDVDでも志村さんは、「クロニクル」で初めて、ノンフィクションを書いた。とおっしゃってます。
それ以前は妄想で書かれてた。と。
「クロニクル」を創る作業をしている時に、既に自分の命を削る作業だ。という事に気付いていたと思います。
後、以前のフジファブリックのblogを読ませて頂いて感じた事がありました。
民生さんは才能におぼれてる。と。
私もそう感じますよ。何故なら、民生さんの詩は間接的だからです。素直に私の心の中にも入っては来ません。しかし、ごまかしている事は分かります。
要は、民生さんは魂の本質に気付いていながら、見たり、感じたりするのが恐い。他人に悟られるのが恐いのです。
だから、あまり人の前で涙を流すことを躊躇うのでしょうね。
しかし、やはり志村さんと同じ天才。
表現の仕方が、志村さんの場合は、素直に向き合って命を削る作業をやり終えた。
民生さんは、作業をしながら、なんとなく伝える作業をされている。のだと思います。
投稿: 里沙 | 2010.01.15 12:46
志村さんの生き方を見ていると
このままじゃ だめだな と 思います
自分はどう生きたいんだろう
考えても 答えは出ません
自分は どう死にたいか
少し わかりやすい気がしました
昔から 何も考えないで 生きてきた私は ここ数年
仕事で 考える とゆう言葉を知り
言われた事だけ 出来ても いけない ことを 知り
日々奮闘中でした
季節は 巡って 残るものは なくて
年齢と 経験だけ が 増えて
なんの為に 生きているんだろうと
立ち止まってしまって
答えはまだ出ませんが
志村さんに 会いたい
声が聞きたい
目を閉じて 音楽を 聞いたりしても 物足りなくて
もっと 高音質な オーディオ購入検討中です。笑
昔よりも 空を見上げる 回数が 増えました。
でも 誰かと 比べて 焦ってもいけないですよね。
東京にいる意味は
ないのかもしれない
投稿: 柏 | 2010.03.01 13:13
柏さん、コメントありがとうございます。
きっと年齢と経験を積むだけでいいんですよ。
私はそれこそが自分の宝物だと思っています。
そして、空を見上げる回数が増えたこともまた、人間本来の姿を取り戻したことでしょう。
本当に志村くんには感謝です。
世話になりっぱなしです。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.03.01 17:50
ありがとうございます。
きっと年齢と経験を積むだけでいいんですよ
の言葉で 楽になりました。。。
これから まだまだ寒くなると思いますので
お体 ご自愛下さい。
投稿: 柏 | 2010.03.01 21:54
今日も途方にくれて、なんの欠片でもいい、と思って居たら、こちらに来ていました。ブログ、投稿を読ませていただきました。私は、志村さんの訃報を知り、長年、30年近く欠かさず書き続けてきた日記を書くのを止めました。嫌だったこと、言えないこと・・日記に書けば忘れることができます。
でも、志村さんをなくした事は忘れたくないと思いました。なぜそれほどまで、思うのか、皆さんと同じく良くわかりません。ただ、もう忘れたくない。忘れちゃいけない、これからは毎日、自分の力で、切り開いて生きていかなければいけない。ただただ、そう思うのです。こちらに書かせていただけて感謝しています。誰かに話せることはありがたいことです。
かっこ悪いけど、皆さんと同じように、涙でぐしゃぐしゃになりながら書きこみました。
投稿: トリビア | 2010.03.05 16:42
トリビアさん、コメントありがとうございました。
皆さん同じ気持ちだと思います。
でも、みんな頑張ってと志村くんは言ってますよ。
彼も富士山上空で一生懸命曲作りに励んでます。
耳を澄ませていればきっと聞こえてきますよ。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.03.05 17:29
はじめまして。
他の記事は読ませてもらっていたんですが、どうも、志村さんに関しての記事は読むことが出来ませんでした。今日、はじめて読ませてもらいました。
彼がいなくなった日から、私はずっと一人で周りに志村くんを共有する人も無くずっとずっと一人で誰にも何も言えず過ごしていました。
先生が中学の先生ということで、私も中学2年でして、コメントを読んでいて思ったのですが苗字は山口さんでしょうか?もしそうならば偶然にも私も山口と言います。
日本は広くて本州に住んでなければ海外な九州在住で、山梨の志村さんのそばの方ということでコメントします。
学生なもので志村會にも行けず、7月のフジQにも行けそうにありません。15歳の夏、ということで志村さんに重ねてしまって心の底から行きたいんです。志村さんに、フジファブリックに会いたいのに。
中2だからかも知れませんが、12月のその日が来る前までは生活がなんだか生きてる意味を見いだせなくて何もしないうちに12時が過ぎたり、学校へ行くことも嫌になっていました。存在していることが許せなくて、意味が分からなくてこのままここから落ちたら何もかも終わるのかなとか考えて過ごす毎日でした。
でも、そのことを知った25日の夜、その瞬間は何が何だか分からなくて感覚が無いのですが、1時間も経つと急に、『絶対に死んじゃいけない。死なない。』と一人で決意しました。自分でもよく分からなかったのですが、志半ばで、夢の舞台を目の前に、これから可能性も成功も何もかも追いつける位置にいたくせに急に勝手にいなくなった志村さんが悔しくて、情けなくて、やるせなくて、そう思っていました。彼の分までとは全然いかないけど、私は情けないくらい小さな人間だけど、絶対に生きなくちゃいけないと決心しました。
7月に山梨に行けなくても、フジファブリックは解散しませんよね。また、会えます。そう思って4人を想うことにしようかと悩んでいます。どうして自分だけ、とか、どうすれば山梨に、とか考えると全然終わりなんかなくてどうしたって行けなくて涙が出ますが、私には、今もまだ志村さんが音楽をやっていること、富士吉田の街で遊んでいることと思って過ごすしかありません。
どうか幸せだったらいいです。12月の前も、今も、志村さんが幸せに過ごせていたらそれだけで十分なんです。たぶん。
うじうじと長々した文章をすいません。読んでいないかもですし、読みづらいとも思います。すいません。
ここでは 志村さん と書きましたが、普段は志村志村呼び捨てにしてます。志村ごめんなさい。
気持ち悪いほどの才能(褒めてます)でしたが、どこか普通のどこにでもいるような男の人だったので、今になって”さん”で呼ぶとどこか寂しいのでこれからも志村で呼ばせてください。
志村さんが育った、志村さんの曲が詰まった富士吉田にいつか行きたいです。
投稿: ふゆ | 2010.03.18 10:38
山口さん、こんにちは。山口です(笑)。
私も今、まさに人生の正念場ですが、本当に日々志村くんのおかげで頑張れています。
感謝して、一生懸命自分の生を生きるしかないですね。
彼の高邁な意思を、私たちができることを分担して実現しようじゃありませんか。
私たちの悲しみの分だけ、彼に依存していたんですから。
今度は私たちが一つずつ積み重ねていくしかありませんね。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.03.18 17:48