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2009.12.15

『近代歌謡の軌跡』 倉田喜弘 (山川出版社 日本史リブレット)

20091216_80304 近、珍しく音楽関係の本を読んでいます。テーマは「ベートーヴェンをぶっとばせ!」…かな?
 というのは半分冗談でして、明治の日本がどのように西洋音楽を受け容れ、そして、どのようなプロセスを踏んで、現在のような西洋音楽をも呑み込んだ独自の音楽文化を創り上げたのか、それを知りたいのであります。
 そうした日本の吸収力、受容力、創造力を確認したいというのも、もちろんありますよ。音楽を通じて、それ以外の全ての文化的側面を概観してしまうこともできますし。政治、経済、教育、宗教…いろいろ見えてきますよね。
 あと、その圧縮された「音楽史」自体が、ヨーロッパ音楽(クラシックと称されるもの)の成立史のひな型になっているとも言えます。つまり、「民族(民俗)音楽」から、どのように「記述される」「芸術音楽」になっていったかの縮図を見ることができるわけですね。
 また、視点を変えますと、たとえば現代のケルト音楽とか、あるいはアフリカの音楽とか、そういう(ヨーロッパから見て)辺縁の音楽の進化の様子もわかる。たとえばジャズなんか、その最たるものですね。完全に「クラシック」を呑み込んでしまった。利用するだけ利用して、ぶち壊して、再創造してしまった。日本の歌謡曲やJ–POPなんかもそうです。それも面白い。
 もっと面白い言い方をすれば、どうやって「ミ」を受け入れたかっていうことですね。つまり、今我々がきれいだと思っている「ドミソ」の和音、これはまさに西洋近代音楽(クラシック音楽)を象徴するものですが、実はこの「ドミソ」は多くの地球人にとって長いこと「不協和音」だったのです。非常に不快な音の響きであった。
 一つ面白い話。ウチのカミさんの話です。
 カミさんは秋田の山奥の出身です。私より十ほど若いのですが、しかし体験してきた文化は私のそれより50年ほど昔のものです。で、彼女は西洋音楽よりも、どちらかというと日本の伝統文化の中で育ってきたわけですね。民謡とか、労働歌とか、せいぜい演歌。それにどっぷりつかって少女期を過ごしたのです。そして、彼女は中学生の時にマイケル・ジャクソンに出会って、その音楽世界にはまりまくります。
 マイケル・ジャクソンの音楽性については、今までたくさん語ってきましたとおり、まさに白と黒の融合、アフリカとヨーロッパとアメリカの融合です。そこにいきなり行っちゃったんですよね。
 で、最も彼女が違和感を抱く音楽はというと、いわゆるクラシック音楽なわけです。なんの感動も受けないどころか、気持ち悪く聞こえるらしい。私の好きなバロック音楽なんか、ある意味もってのほかです。特に長調の響きがダメらしい。ビートルズなんかもダメだそうです。
 これって、彼女の音楽的センスが悪いとか、趣味がどうのという問題ではなさそうなんですね。実はそっちの方が正しいことらしい。世界標準。そう、さっき書いた「ドミソ」が不協和音というか不快和音だということです。
 ま、世界全体で言いますと、もっと事情は複雑でして一概には言えないのですが、しかし、面白い事実だと思いますよ。私は以前、そういうカミさんを半分バカにしていたのですが、最近はちょっと見る目を変えました。
 と、ちょっと話がそれちゃいましたけど、この本の最初の方に、ウチのカミさんみたいな人がたくさん出てきます。そりゃそうですよね。江戸の音楽があそこまで成熟していた時に、いきなりあれが入ってきたんですから。逆に西洋人がそのマチュアな音楽に驚嘆した(唖然とした?呆れ返った?)のも面白いですね。江戸絵画が西洋画壇に与えた影響とは対照的です。
 そう考えると、やっぱりこの前の小泉八雲なんか特別ですよね。すごい感性の持ち主だったよなあ。小泉八雲もちゃんと読まないと。
 自分の音楽観だけでなく、自分の自分観というか、日本人観というか、それを自問自答するのが、どうも最近の私の楽しみのようですね。「成長」よりも「成熟」の年齢になったということでしょうか。

Amazon 近代歌謡の軌跡

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コメント

(以下はしょって書いているので、意味がとりにくいところあり済みません)
その人がどういう音楽を本当に好むかということは、三つ子の魂百までもと同じく、三歳ぐらいまでにどういう音楽を聴いて育つたかで決まるのではないでしょうか。ひばりファンで知られる宗教学者の山折哲雄が、生まれたときからテレビCMを聞いて育った幼児に演歌を聞かしたら泣き出した、ということです。耳というのは以外と排他的な気がします。 統計をとつたわけではありませんが、60代以上はラジオの浪曲等の伝統的音楽で、40代以下は生まれたときからテレビCMを聞いて育った、のではないでしょうか(50代は中間)。演歌を好む世代とJ-POPを好む世代の分裂現象は、そう考えないと説明がつかないのではないでしょうか。(60代以上のクラッシックとかジャズファンはハイカラ嗜好というだけな気もします。)奥さんがビートルズ等に感動しないというのは当然至極と言う気がします。(それと、生まれたときからテレビCMを聞いて育った人達というのは、七五調の内在律が崩壊しているのではないでしようか。高橋源一郎が言うように、日本語という記号は同じでも、動かしているOSが異なっているのはそのためでしょう)

投稿: yama | 2009.12.17 14:56

yamaさん、おはようございます。
コメントありがとうございます。
まったくその通りだと思います。
私は西洋音階で育ちましたので、そういうOSができあがってしまっていたんですが、最近家内の影響からか、本来のOSが起動し始めているのを感じるんです。
今、折しも山折哲雄さんの「『歌』の精神史」を読んでいるところでした。
いろいろ考えさせられる名著ですね。
近いうちに記事にもしたいと思います。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.12.18 07:48

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