『最後の授業』 ランディ・パウシュ (著), ジェフリー・ザスロー (著), 矢羽野薫 (翻訳) (ランダムハウス講談社)
ぼくの命があるうちに
…レンガの壁がそこにあるのには、理由がある。僕たちの行く手を阻むためにあるのではない。その壁の向こうにある「何か」を自分がどれほど真剣に望んでいるか、証明するチャンスを与えているのだ。
レンガの壁がそこにあるのは、それを真剣に望んでいない人たちを止めるためだ。自分以外の人たちを押しとどめるためにある。
経験とは、求めていたものを手に入れられなかったときに、手に入るものだ…
これらの言葉には全く共感します。その他の全ての言葉についても、充分に心に響きました。
先年亡くなったパウシュ先生は享年47歳。ほとんど今の私と同じ年齢の時に、余命数ヶ月を宣告されました。ですから、今の私だったらいったいどういう「最後の授業」をするだろうかと、いろいろ考えながら読ませていただきました。いちおう私もセンセイですし。
しかし、残念ながらそれはほとんど意味のない思索に終わりました。
理由は簡単です。私は自分の余命について他者から何も言われていないからです。これはとても大きな問題です。最も大切な前提条件がないのですから。
誰しもが「余命」を持っているわけです。それは平等です。しかし、それはほとんどの場合意識されることがありません。いや、勝手に意識することはできます。「もし…」と考えればいいだけですから。
しかし、命というのは「もし」で片付けられるほど単純で軽いものではありません。やはり、医学的に、科学的に、そして信頼できる他者によって語られねば、真に実感できないのです。いや、それでもまだ信じたくないというのが普通でしょう。
私は、この本をすすめられて読んで、そして皆さんと同様いたく感激はしたのですが、しかし、どこかで空しさや心苦しさを感じてしまいました。
この感動も共感も、そして啓発された自分の心も、やはりどこか嘘くさい感じがする。「もし」に支えられた危うさがある。
こんな感想を書かれて不快にお思いになる方も多いことでしょう。しかし、そういう空しさや心苦しさにも、人生の本質があるように思われますので、あえて書かせていただきました。
誰もが寿命を意識し、余命をしっかり満たさんとして生きれば、それで自分や他人や社会が幸福になるのかというと、それもまた、そんなに単純なものではないような気がするのです。
違う言い方をすればこういうことでしょうか。誰もが宗教的な境地で生活すれば、あるいは賢者として、また善人として生活すれば、はたして本当に世界が平和になり、人々は幸福になり、地球環境なども守られるのか。
私たちがパウシュ先生の言葉から学ばなければならないのは、そうして一刹那刹那を大切に生きるということではなくて、その逆、こうして時間を無駄にすごし、無駄な諍いに労力を費やし、また、夢を実現できない自分、すなわちレンガの壁の手前で踵をかえすような情けない自分でいられることに感謝するべきだということなのではないでしょうか。
いかにも私らしいひねくれた感想を述べてしまいましたが、私は真剣にそういうふうに思ったのです。
皆さんはこの「最後の授業」を観て、どんな教訓を得るのでしょうか。彼の「最後の授業」を本当に活かす方法とは、いったいなんなのでしょうか。私ももう一度考えてみようと思います。
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コメント
少し前の「バロックVSプロレス」からの愛読者です。
今回の桜庭選手の本の内容、興味深く拝見致しました。実 は私も秋田に住んでおります。子供の頃、まわりの全てが
遊びのアイテムでした。それこそ、刀から自動小銃~波動 砲まで!?実はそれらは、そこに確かに存在してたのす。
現在、子供達がゲーム機の中に見えてる物と~過去、我々 が見えてた物はある意味同一です。そんな気がします。皮 膚感覚の違いはあるでしょうが・・・
[追記]これからも、素晴らしい洞察力で我々を楽しませて 下さい。
投稿: TO-R | 2009.12.19 23:22
TO-Rさん、おはようございます。
コメントありがとうございました。
お返事が遅くなって申し訳ございません。
秋田にお住まいですか!
いい所ですねえ。
私は将来秋田県知事狙ってますよ(笑)。
これからは秋田のような縄文的文化の時代です。
桜庭さんなんか、本当にそれを体現してくれています。
特に、自然との「遊び」からは、私も学ぶことが多くありますね。
これからもよろしくお願いします。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.12.21 08:34