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2009.12.09

「てゆうか…だし」→「知らねえし…」

20091210_90425 年前までギャル語の代表的表現として多用されつつ揶揄されていた「てゆうか(ぁ)…だし(ぃ)」。最近でも時々聞きますが、やや古びた印象を持つのも事実。言葉はどんどん変遷していきます。
 さて、今「だし」と書きましたが、これは正しくは「し」であります。本来、主に並列の機能を持つ接続助詞ですね。たとえば、「先生には怒られるし、財布は落とすし、犬の糞踏むし、まあ最悪な日だったな、今日は」という感じです(リアルな例文ですみません)。
 しかし、ギャルたちはこれをまるで終助詞のように使うようになりました。つまり、その先に文が続かないわけですね。これは日本語史上、新しい用法と言えます。彼女らはいったいどういうニュアンスでこの語尾を使っていたのでしょう。
 もうお分かりと思いますが、本来の並列の用法には、なんとなく「不快」な感じがありますよね。さっきの例文は極端な例としても、一般的に「…だし、…だし…」と続くと、なんとなく災難や不愉快なことが重なった感じがします。
 並列しなくとも、たとえば国木田独歩の「日は暮れかかるし僕等は大急ぎに急いで終いには走って下りた」を見ても分かるとおり、「し」が受ける部分が、発話者の望ましくない状態を表しているのは明らかです。
 もう少し語史を遡ると、その素性が見えてきます。江戸時代の用法の代表格は「〜じゃあるめえし」ですよね。つまり「〜ではあるまいし」です。このように、「まい」という打ち消しの推量の助動詞につくことが一般的だったようですね。そして、その前、室町くらいには「〜なくし」とか「〜ずし」というように、打ち消し語のあとにくっついていました。
 つまり、結果として次の文につながっているので接続助詞のように見えますが、もともとは、打ち消しを強調する終助詞ではなかったのか、というのが私の考えです。
 そうした否定的なニュアンスが数百年経っても消えず残り、ギャル語の語尾に復活したというというわけです。ギャルおそるべし(笑)。
 「てゆうか…だし」という組み合わせで使われるのも面白いですね。副詞と文末の呼応のような、もしくは係り結びのような感じさえします。というのは、「だし」のあとに何も続かないのと同様に、「てゆうか(ぁ)」も何も受けていないケースがほとんどだからです。「てゆうか」はもちろん「と(て)言うか」ですが、かと言って、その言われている内容は意識されていず、接続詞にもなっていない、単なる「言い出し語」のようになっているんですね。ある意味、話題転換や視点転換を表しているとも言えますが。
 しかし、これもまた、本来は相手の言うことを否定する、あるいはそれまでの文脈を切る機能があったわけですから、やっぱり否定的なニュアンスを含んだ語句ですね。ギャルに限らず、今の若者は男も女も会話の中で「てゆうか」をよく使うんですが、私はそれがとっても気に障ります。なんとなくこちらの意見が否定されているような気がする。向こうは何も考えてないんですけどね。いよいよ私も古い人間になってきたのでしょうか。
 もちろん、今でも軽くジョークのように使うことはあります。知り合いの自称元ヤンキーの方は、よく冗談めいて笑いながら、「つぅか、カネねえし(笑)」みたいな言い方をします。
 さてさて、そんな「〜し」ですが、最近生徒たちや自分の娘に接していて気がついたことがあります。どうも否定的ニュアンスを持った終助詞「し」が、また違った使われ方をしているように思うんです。
 たとえば、カミさんが娘に、「ちゃんと勉強しなさい!」と言ったとします。すると、娘は小さな声で「やってるし…」とつぶやく。こんな感じです。
 学校の中でも、たとえば、先生が「おい、これやったの誰だ?」と怒ると、「知らねえし」とか「オレじゃねえし」とか言う生徒が多い。
 これは、日本語史的に見ると、ちょっと新しい用法ではないでしょうか。この「し」は絶対に接続助詞ではありません。終助詞です。後には文が続きようがない。不満の意、反抗の意を表明する終助詞です。
 実はこれが気になるんですよね。冷静に「今、やってるところだよ」とか「私はわかりません」とか「私じゃありません」とか言わないで、いきなり感情的になっている。いや、感情を結構抑えているとも言えるんですけどね。ギリギリな感じですが。
 古い人間は、そういう答えを聞くとカチンと来てしまうわけです。で、こちらも感情的になると、いよいよ面倒なことになるので、最近はなるべくそうした新しい表現に慣れるように努力しています(笑)。
 ところで、ところで、ここからはローカルな話になりますけど、実は当富士北麓地方には、また別な終助詞「し」がある(あった)んですよねえ。
 たとえば、「まあ呑めし」とか「もう寝ろし」とか「上がってけし」とか、そんな表現です。最初私はこのニュアンスがつかめなくて苦労しました。なんとなく最初は強い調子に聞こえたんですよね。強い命令。「行けし」とか「もうやめろし」とか。でも、どうも実際はもう少し柔らかい調子だったようです。やや親しみをこめて、命令調にベールをかけるような。
 そうですねえ、古文で言う念押しの終助詞「かし」に近いでしょうかね。「花咲けかし」みたいな。
 しかし、今ではこの「し」を使う若者は激減してしまいました。15年くらい前までは、学校中で聞かれたんですけどね。今ではギャル語の「し」、反抗の「し」の方がずっと多い。
 方言とは即ち古い言葉ですから、それがなくなるのは寂しいことです。昔はこんな言葉がしょっちゅう生徒の口から聞かれましたっけ。
 「笑っちょし」
 これは「笑うなよ〜」という意味です。「ちょ」は古文でよく習う禁止(懇願)表現「な〜そ」の「そ」が残ったものです。奈良時代は「そ」は「チョ」と発音されていましたからね。そのまんま残っていたわけです。そこに「かし」のニュアンスを持った「し」が付いている。
 言葉が消えるということは、そのニュアンスが消えるということ、また、そうした感情が消えるということです。そして、新しい言葉や語法が生まれるということは、新しいニュアンスが生まれ、新しい感情が生まれるということです。
 新しい用法の「し」は、はたして我々にとって良いものなか、悪いものなのか…。そんなの分かんねえし…笑。

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