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2009.12.21

『CSR入門−「企業の社会的責任」とは何か』 岡本享二 (日本経済新聞社)

20091222_93505 かなか、分かりやすい、いい入門書でした。
 今日は特にこの本の内容には直接触れず、私なりの「労働倫理」について語りたいと思います。あしからず。
 「CSR…Corporate Social Responsibility」…学校なんぞに勤めていると、こういう最先端の知識に疎くなります。しかし一方で、この最先端はまた実に根源的な問題でもあります。いかに生きるか。いかに利他的になるのか。いかにエゴを捨てるか。
 学校なんぞに勤めているおかげで、そういう根源的なことをじっくり考えて、そしてじっくり生徒に伝えられるとも言えますね。「CSR」なんていうカッコイイ名称は知らずとも問題ないのかもしれません。
 ある意味学校は市場の外にあるのですね。私学と言えども、完全に市場経済に乗っかっているとは言えない。いや、公立と違って、そこに少し足をかけているからこそ、世の中の最先端と人間の根源的なところをバランス良く見ることができるのかもしれません。
 もし私が一般企業に勤めていたら、こんな悠長なことを考えているヒマはないでしょう。企業たるもの、まずは株主に最大の経済的恩恵をもたらさねばなりません。そのためにはある意味手段を選んでいるわけにはいきません。というか、それ以前に、消費者のニーズに応えるという目的を唱えなければならないかもしれませんし、いやいや、それより以前に、まず我が会社の存続、あるいは今いる従業員たちの生活の保障を第一義に考えねばならないかもしれません。
 そうした、いろいろな大義名分の段階というか、レベルというものが、我々の「労働倫理」を複雜なものにしています。「労働倫理」なんていう言葉はありませんよ。私が勝手に考えたものです。しかし、今、私の頭の中ではこの「労働倫理」が大きなテーマになっているんです。教育や宗教も絡んで。あとで少し説明しましょう。
 我々の「労働倫理」の集合が「企業倫理」です。いや、現状では「企業倫理」が先にあって、そこから演繹されたのが各自の「労働倫理」でしょうかね。そのベクトルの方向からして、どうも間違っているような気がするんですが…。
 「企業倫理」と言うと、コンプライアンス(法令遵守)が思い浮かびますが、実際はもっともっと広く深いものです。コンプライアンスなんていうのはほんの表層ですし、ある意味誰でもできることです。その気があれば。
 現状の資本主義市場経済においては、我々の労働のほとんどが「利己に対する利他」になっています。えっ?どういうこと?…そうですね、分かりやすく言うと、「自分の利益や快楽のことばかり考えている消費者のために、我々は物やサービスを生み出して与えている」ということです。
 腹が減った人に食べ物を与える。それもよりおいしいものを望むから、よりおいしいものを与える。歩くのが面倒な人に自動車を与える。より快適でカッコイイ車を与える。単純に言えばそんな感じです。
 すなわち、我々の本来「利他的」であるはずの「労働」が、消費者(購買者)の「利己」を助長しているのです。そして、「利己」は結果として「利他」と両立せず、主に自らが所属するグループ以外にその悪影響を及ぼすことになります。一番簡単に言えば、人間以外に害を及ぼす。すなわち環境破壊(自然破壊・資源の濫費)を生みます。
 そんなこと誰でも(子どもでも)分かることだと思いますが、しかし、現実には賢いはずの大人たちも、みんなその道を突っ走ってしまっている。そんな矛盾こそが、この経済システムの大きな欠陥です。つまり、このシステムは、我々の倫理の感覚を鈍らせてしまうのですね。あるいは麻痺させるために作られたシステムとも言える。その点では、たしかによく出来ていますね。
 つまり、もう一度まとめますと、消費者の利己心のための、我々の過剰な労働が世界を破滅させる、すなわち自分たちの首を絞める結果を招いているにもかかわらず、我々は反省をしなくなっているということなんですよ。
 もちろん、そこに、労働者各自の「利益を得る」という「利己心」も重なってきますから、我々はなかなかこの無限ループからは抜け出られません。これでは実際のところ、「CSR」も「企業倫理」もクソもありませんね。単なるお題目、あるいは「エコ」という言葉と同様に、偽善的な「利己心隠蔽の手段」ともなりかねません。
 さあ、そんなところで私が考えたのが「労働倫理」という言葉です。
 今、もし我々各自が自らの「労働倫理」を唱えるとすると、「お客様のため」とか「会社のため」とか「社会のため」とか、そういう次元での物言いになることでしょう。そこに「やりがい」を見つけるというような。私はそんなレベルのことを言っているのではありません。
 たとえば、先ほどのように、おいしい物を望まれるだけ提供すれば、結果として消費者の健康を害する可能性が高い。メタボになったり。また、車を売れば売るほど、どう考えても環境を破壊します。あるいはゲームソフトを開発して売りまくれば、もしかすると青少年の心身の健康を害するかもしれない。
 そういう根源的なところを原点として、「労働倫理」を考えたいのです。
 そうすると、もちろん、資本主義やら市場経済やら金融経済なんていうのも成立しなくなります。そう、成立しなくなっていいのです。おそらくそれらは間違っているのですから。それら自体が「粗悪品」であり、いやそれ以上にたちの悪い「麻薬」であることを、我々は「労働倫理」に基づいて気づかねばならないと考えるのです。
 なんて、こんなこと、誰もが分かっているけど、しかし現実にやめられないんだからしかたない、みんながやっている内はそれに従うしかない、そう言うのも分かります。そして、今書いたような単純な構造にはまらない労働の種類(職業・仕事)もあるのも分かります。
 しかし、どこかで誰かが「そろそろいい大人がこんなことをやり続けるのはやめよう」と言うとか、「こんなことで人生を無駄に費やすのは馬鹿らしい」と言うとかしないと、それこそ自分も会社も社会も人間も地球も、どうにも立ち行かなくなってしまうような気がするのです。
 じゃあどうすればいいか。私は、経済のあり方も含めて、やはり根源的な倫理を語るには、「仏教」の考え方を理解しなければならないと考えています。それについても、いつかちゃんと語りましょう。
 こんなことを書いていると、「そんなことよりちゃんと今の仕事をしろ!」とか「ちゃんと給料運んでこい!」とか「生き残れないぞ!」とか、そんな言葉が聞こえてきそうですね(笑)。
 そう、今の仕事たる「教育」の目的を考えた時、また悩むんですよ。特に今のように進学クラスを持っていると。勉強していい大学入っていい会社入ってカネ稼げ!って、言いはしないけれども、しかし、結果としてそう促しているとも言えるので…辛いところです。
 新しい中学では、この辺をどう教えていこうか…ワタクシ流に染まっちゃうと、出家するしかなくなっちゃうし(笑)。ニートやひきこもりを養成するわけにも行かず。難しいですね。結局、企業と同じ所で悩むということか。悩んでいるだけいいのかも。少なくとも、そういうことに悩める青少年を育てていきましょうか。

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コメント

前略   薀恥庵御亭主 様

この世の中 様々な・・・

「御仕事」がありますね。

うぅぅぅぅん。

コンピューター関連では

「迷惑メール送付」の御仕事も

あります。笑

これには・・・

愚僧も難儀してます。苦笑

こんな「御仕事」・・・

やめちゃえばいいのに

と呟きながら削除。

しかし・・・きっと

様々な御事情があるので

しょうね。

しかし この「削除作業」

老眼の身には応えます。苦笑

まぁぁぁぁ・・・

愚僧の場合・・・

目の前の「パソコン」を

処分すれば・・・即解決。笑

若い頃「インド」に行ったとき

この国の人々は・・・

「仕事は二の次」だと感じました。

インド人の修行僧様が申されました。

「自分にとって哲学がいのち」

「自分を知ることが すべて」

「自分の内面を明らかにする」

いやぁぁぁぁぁ・・・

愚僧とは「月とすっぽん」ですね。笑

全く御恥ずかしい限りであります。笑

老眼おじさん       拝

投稿: 合唱おじさん | 2009.12.22 13:13

合唱おじさん様、こんにちは。
いやあ、迷惑メールは芸術の領域ですね。
あれはあれで立派です。
そう言えば、例のファンクラブとか遺産関係、
いつのまにか来なくなっちゃいました。
ちょっと寂しかったりして(笑)。
私もインドとか、ブータンとか行ってみたいです。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.12.22 16:22

前略  薀恥庵御亭主  様

毎回毎回の駄文 御許し下さいませ。
これも確かに迷惑メールです。笑

「迷惑メール」も「勧誘TEL」も
「センス」が必要なのかも。

保存したくなる「迷惑メール」
が やっぱり最高ですね。 笑

「センス」といえば・・・
声明(しょうみょう)の「ゆり」。

要するに「ビブラート」・・・
演歌の 「こぶし」。
「バイオリン」でも「チェロ」
でも・・・ 重要ですね。

愚僧も職業柄・・・「声明」を
嗜みます。笑

まぁぁぁ ド下手糞(どへたくそ)
な声明。それこそ皆「どん引き」。笑
「センス無し」。

「ビブラート」でも「こぶし」でも
「ゆり」でも・・・「センス」ですね。

それでもぉぉ・・・
一応 職業柄・・・ 扇子(中啓)は
あります。苦笑

合唱おじさん         拝

投稿: 合唱おじさん | 2009.12.23 23:18

合唱おじさん様、おはようございます。
何事にも「センス」は大切ですね。
ビブラートは私にとって永遠のテーマです。
今の歌手や演奏家のビブラートはほとんど貧乏揺すりみたいになってしまっていて、どうにもいけません。
心の揺れの表現であるべきですし、空間を響かせるテクニックであるべきなのに。
ちなみにプロの扇子にもセンスが必要なんでしょうね。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.12.25 08:14

前略 薀恥庵御亭主  様

声明の御師匠様は・・・
「あのねぇぇぇ・・・
 情(こころ)が燃えるとねぇぇぇ
 自然とこう ゆれるのよ・・・」

「うぅぅぅぅん。」
「あんた・・・冷めてんねぇぇぇ」

いやはや・・・ 愚僧 
熱しやすく・・・冷めやすい
ので何をやっても駄目です。笑

「ビブラート」 ・・・
そうですねぇぇぇ・・・

天満敦子様の無伴奏・・・
「望郷のバラード」は
もう「神」の領域だと感じます。

うぅぅぅぅん。 やっぱり・・・
大切なのは「内なる情熱」ですね。

ホッカイロおじさん     拝 


投稿: 合唱おじさん | 2009.12.25 10:17

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