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2009.11.21

Adobe AIR アプリで読む「青空文庫」

 日も「青空文庫」のテキストを借用いたしましたね。縦書き文庫にて記事内に埋め込みました。
 約8000の文学作品を無料で読むことができる青空文庫は、すでに日本の文化、日本の財産になりつつありますね。こうしたシンプルなテキスト共有のあり方というのが、結局インターネットの基本であり、また最も功たる部分だと思います。
 そして、こうした日本の古典的文章を、どうせなら画面上でも縦書きで読みたいと思うのは、これはもうどうしようもない日本人の人情であります。情緒的な部分でしょうね。先天的な生理なのか、後天的な生理なのかわかりませんが。
 私も最近、寝る前にiPhoneで青空文庫を読むようになりました。ページをめくる感じなんかも含めて、案外しっくり来るものです。紙の本が持っている古典的な風合いと、デジタル・メディア的な現代感が意外にマッチしているのです。もちろん、質感(紙の重量感)やあの触感(操作感)はありませんけれど、寝る前の数分間に、普通だったら絶対に出会わないような古典的名文(特に短い地味なもの)に触れることができるのは、その後の熟睡のためにもなかなかいいものです。
 パソコン上のビューワーもいろいろなものがありましたが、ここへ来て、非常に完成度の高いものが出てきましたので、今日はそれらを紹介します。
 Adobeの新しいランタイム「AIR(Adobe Integrated Runtime)」を使用したデスクトップ・アプリケーション(ガジェット・ウィジェット)二つ。「AIR草紙」と「Aozora Bookshelf」です。
 まずは「AIR草紙」ですが、スクリーンショットをご覧下さい。
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 このアプリのいいところは、なんと言ってもページの裏面が透けて見えることですね。これは盲点でした。私も10年前くらいから、どうすれば紙の本をディスプレイ上にリアルに再現できるか、いろいろと考えてきたのですが、なるほどここには気がつきませんでした。たしかに、紙の本って、微妙に裏の文字が透けていて、それが独特のムードを醸していますよね。なんというか、チラ見せ的な感じもありますし、なんとなく続きを予感させる感じというか、実は本に絶対必要な要素だったのかもしれません。
 我々が本を読んでいる時には、本当にいろいろな神経を使っているものです。その総体が「読書」という文化であるわけで、それをヴァーチャルに再現するというのは、実はとんでもなく難しいことなんですよね。いや、ほとんど無理でしょうし、それを実現してしまったら、ヴァーチャルでやる意味がなくなってしまうでしょう。
 続きまして、「Aozora Bookshelf」です。
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 こちらのすごいところは、ページめくりのリアルさでしょう。今までのページめくりとは違って、ご覧のようにとにかく本物に近づけてありますね。マウスでつまむ位置によって、そしてマウスでめくる方向、角度によって本物の本のような画像を見ることができます。それが案外軽快でもあり、いったいどういうプログラミングをしているのか、不思議なのと同時に感心してしまいます。
 また、その本の本体に移る以前に、ヴァーチャルな本棚(書棚)を再現してあり、これがなかなか便利で使い心地もいい。やっぱり、なんだかんだ、私たちはデジタル的な「検索」だけではなく、ああいうふうに風景の中での出会い、一種のセレンディピティーに心地よさを感じるのですね。
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20091122_113746
 両者の良さをミックスすると、現段階では最高のヴューワーになりそうですね。
 これから手に持って使う電子タブレットとういか、電子ブックのようなものが開発されそうですが、その時は、ページをめくるだけでなく、あのざっと繰りというか、パラパラめくりができるようになってほしいですね。あれこそが、紙の本の最も優れた点であると思いますから。

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