モーリス・ラヴェル 『左手のためのピアノ協奏曲』 (ピアノ…パウル・ヴィトゲンシュタイン)
マックス・ルドルフ指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団
昨年はこの時期ジョージ・ガーシュインについて勉強しました。とっても勉強になりました。今年は同時代のクラシック作曲家モーリス・ラヴェルです。
ラヴェルについても、ほとんどしっかり聴いたことがなかった私ですが、今回もまた生徒のおかげでこうしてじっくり聴き、そして本を読みながら、新しい発見をさせてもらっています。ありがたいことです。
そんな中、いろいろな名録音に出会っているのですが、今日は「左手のためのピアノ協奏曲」の歴史的録音を紹介しましょう。
これは委嘱者ヴィトゲンシュタイン自身による演奏です。ヴィトゲンシュタインは、あの哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの兄です。弟ヴィトゲンシュタインについて、私はこちらで「名前からして難しい」と言っていますね(笑)。すごい家系ですねえ。
兄ヴィトは第一次世界大戦で右手を失ってしまいました。そんな失意の彼が、それでもピアノを弾きたいと願い、多くの作曲家に左手のための曲を作るよう委嘱しています。もちろん、そんな彼にある種の同情を抱いてのことではありましょうが、ラヴェル、ブリテン、シュトラウス、ヒンデミットらがそれに応じて名作を作ったというのは、ヴィトゲンシュタインがいかに優れたピアニストであったか、あるいはヴィトゲンシュタイン家がいかに文化人らと交流があった名家であるかわかりますね。
しかし、ヴィトゲンシュタインはけっこう頑固者だったようで、あのプロコフィエフが作ってくれたピアノ協奏曲は一度も演奏しなかったそうですね。気に入らなかったと。いや、このラヴェルの名曲でも、実は一悶着あったんですよ。
なんだか難しすぎるとか、音楽性に乏しいとか言って、初演で勝手に編曲(簡略化)してしまった。これにはさすがにラヴェルも怒った。ま、のちにちゃんと練習したのか、ヴィトゲンシュタインの方が自らの非を認めたそうですが。
さて、この曲ですが、ラヴェル独特の語法がかなり顕著に現れている曲ですね。左手のためということで、ソロ楽器であるピアノの音数はやはり少なめです。それを補うためのオーケストレーションが実に巧みですね。もちろん、厚すぎず濃すぎず、もともと薄いピアノを消してしまうことなく、しかし、全体としてはラヴェル的色彩をしっかり持っています。
民俗意識の強いラヴェルという一面も多々感じられます。フランス人としての民族意識というより、やはり民俗意識ですね。冒頭のピアノのペンタトニックな音階、その後現れる微妙なブルーノート、まるでキース・ジャレットのような(!)和声感覚…。そこには明らかに民族音楽やジャズの影響が聴いてとれます。
これを聴いていたら、カミさんがいきなり即興のミュージカルを歌い出しました(笑)。うちの黒猫たちが主役の劇です。たしかにそういう劇音楽のルーツという感じもしますね。アメリカの映画音楽やディズニーの音楽、そしてミュージカルに大きな影響を与えているわけです。
つまり、ドビュッシーらのいわゆる印象派とは違い、ラヴェルの音楽は「分かりやすい」、「案外古典的」であるわけです。そういう意味では、クラシックとポピュラー音楽の架け橋であるとも言えましょう。
ラヴェルが弟子入りを望んだガーシュインに対して、「二流のラヴェルになる必要はない。もうすでに一流のガーシュインなのだから」と言ったという話は有名ですね。たしかに二人は全く違う道を歩んでいるように見えますが、実は音楽史的に同じような大業を成し遂げているのでした。
このアルバムには隻腕のヴィトゲンシュタインの演奏がいくつか入っています。私が実に興味深く聴いたのは、ブラームス編曲による左手のための「バッハのシャコンヌ」です。いろいろなピアノ編曲版がありますけれど、こうして左手によるシンプルな、つまり制約のおかげでオリジナルに近くならざるをえなかった編曲が、最も美しく感じられたのは面白かった。
この前のMJQのデイヴィッド・マシューズのことを思い出しました。彼も小児マヒのため右手がほとんど使えません。しかし、そんな彼が奏でる極上の響きのことを思い出したのです。
なんでも全部できればいいというものではない。全能が理想ではない。五体満足といっても、それは人間界の話であり、その中でよりできることを求めるよりも、どれだけ引き算できるかという方が、ずっと絶対的なものに近づけるような気がしますね。なんだか禅みたいです。
どちらかというと足し算を得意としていたラヴェルが、こうして引き算に出会ったのは幸運なことではなかったでしょうか。のちの作曲家人生に大きな影響を与えたに違いないと感じました。
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