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2009.10.29

厭銭(えんせん)

↓猫に小判ならぬ猫に紙幣
Kanenohuro 日10年ぶりに「VALE TUDO JAPAN」が復活しますね。それに合わせて古い大会を見ていたら、エンセン井上選手がいい闘いぶりを見せていました。なんだか当時の総合って今より面白いですね。競技としての進化が必ずしも興行的な面白さにつながらないのだと再確認しました。
 さてさて、今日は格闘技の話ではありません。昨日の続きでして「カネ」、それも少ないお金に関するお話です。
 井上選手の「エンセン」ってどういう意味なんだろうと考えていたら、そっちに頭が切り替わってしまいました(笑)。
 そう、最近「厭銭」という言葉が一部ではやっているんですね。「えんせん」と入力しても変換されない新語です。たしか6月頃に、朝日新聞のコラムで紹介されたのだと思います。
 昨日の「貧困論」では、お金がほしくてもなかなか手に入らない話をしましたが、こちらはもともとお金に執着がないどころか、お金を嫌うという感覚のお話です。
 実は私もさんざんカネを悪神と説いて、「厭銭」的発言を繰り返してきました。しかし、最近若者の中ではやりつつある(?)「厭銭」は、少し違った感覚のよう…いや、一緒なのかなあ、根本的には。
 亀井肇さんの新語探検によると以下のように説明されています。

『朝日新聞』が夕刊のコラムで紹介したことばで、若者たちの間に何となく漂っている「お金は何となく汚い」「銭勘定にこだわりたくない」という気持ち。最近の若者たちは金銭に対してきわめて淡白で、残業を続けるなどあくせく働いて金銭を稼ぐ必要がどこにあるのかと思い始めているという。若者たちは上の世代を見て、「金儲けを目指すと、世の中に叩かれる」「企業は金がらみの不祥事ばかり起こす。出世しても、世間に頭を下げるのが仕事ではしょうがない」といった考え方をもつようになってきており、自動車や高級ブランドの服やバッグなども必要としなくなっている。当面、生活できるだけのお金さえあれば十分で、それ以上のお金を無理して稼ぐ必要はないと考えているのである。

 うむ、これはある意味「清貧」につながるのかもしれませんね。なんとなくスタート地点は違うような気もしますが、結果としては私の「嫌金」思想と近いものがあります。
 これはある意味では、悪神のしもべになる不快感の発露でありましょうし、「カネカネ教」に飽きてきた結果とも言えます。
 もともと、貨幣というのは、物々交換の媒体として発明されたと思われます。「貝」とか「石」とか「金属」とか。それはそれで、現在において物と等価(もちろん労働価値説を勘案するともっと事態は複雜ですけど)であって、全く神がかっていなかったのですね。そこまではまあ良かった。
 しかし、貨幣の自由度と不変性により、それが違った機能を持つようになってからというもの、ずいぶんと人間とカネの関係は狂ってきました。
 まさに「神」がかってきたのです。つまり、「現在」ではなく「未来」への期待…それは裏返して言えば不確実性でしかないのですが…を担う存在になってしまったのですね。金融や投資という新しい世界が生まれてしまったのです。
 ある意味宗教も投資もギャンブルです。どちらも未来に不幸を期待して臨むものではありませんね。あくまで幸福のために現在の価値を犠牲にします。投資以前の金融にしても、基本は一緒です。私たちはなにがしかの利息を期待して預貯金をします。その先に金融があるわけですからね。
 そういった意味で、マネー神は我々の期待を裏切ることが判明してきた。利息も微々たるものですし、神様自体が廃業してしまうことさえある。そして、投資に至ってはあまりにステージが高すぎる。幸福を得る可能性があるステージに立つだけのためにも、相当の自己資金を用意しなくてはなりません。金融市場が一部金持ちの為になってしまっていて、我々庶民はカヤの外になってしまっている。
 基本貧乏な若者がお金を厭う気持ちもわかります。カネカネ教はこうして、庶民に飽きられてきたわけです。
 純然たる宗教も、カネカネ教も、結局は貨幣市場に乗っかっているわけですから、どちらも企業であるとも言えます。特にカネカネ教は企業としての経営にも失敗しつつあります。調子に乗りすぎて消費者離れが進んでいる。
 つまり、カネカネ教は自らの手で自らの首をしめているわけです。貨幣の総量は無限大でないことは、子どもでもわかります。そんな中で、手品のように価値(幸福)を生み続けることなんかできっこない。ですからカネカネ教は、自らの幸福は他者の不幸の上に成り立っているという罪悪感、虚無感すら生みます。そういう化けの皮がはがれはじめた。一部上層部の非人道的な搾取を、我々大衆が不快感を抱き始めている。
 ということで、これは宗教改革ならぬ金融改革、あるいはそれ以前に経済改革を起こさねばなりませんね。旧教に対する新教のように、現状に対抗する新市場ってできないものでしょうか。
 新政権になっても、結局国力=経済力という感じで、もううんざりです。それに、もともとカネがないのにただただばらまくというのもどうかと思いますし。
 「厭銭」、もしかすると、この若者に蔓延しつつある思想(いや、気分か)というものは、案外健全で美しいものなのかもしれません。未来につながる希望だったりするのかも。
 ま、少なくとも私たちは、嫌わなくとも、冒頭の猫さまのようにカネに対して超然としていたいものです。それは本来の宗教に対する健全な態度でもあったりするのでした。
 ん?上の御猫様、よく見るとけっこう憮然としてますな(笑)。

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コメント

前略  薀恥庵御亭主 様
 
御金(おかね)の「御噺」となりました。

そうですねぇぇぇ・・・
「猫に小判」「愚僧に極楽」ですね。笑

愚僧には「地獄」が御似合です。

まぁぁぁぁ・・・しかし
たしかに「御金」は必要です。

愚僧  信心も足りませんが・・・
日々 「無駄遣い」が多くて・・・
「生きた御金」をいじめています。笑
先ずは・・・「足ることを知る」。

無駄遣いは「御金」に嫌われます。
すべての所作を「大切」にですね。
嫌われるより好かれたいですよね。

うぅぅぅぅぅん。世間様では・・・
「坊主なんて 偽者ばかり・・・
 信心と信者とかけて・・・
 儲(もうけ)と解く そのこころは
 坊主丸もうけ」
などと・・・批判されております。笑

「本物の坊主」

うぅぅぅぅん。
愚僧もある意味・・・「寺」から
出家を考えねばなりません。笑

まぁぁぁぁ・・・
人類の心が「慈悲」で満たされたならば
「坊主」も「寺」も「御経」も
消えて真の「幸福」が訪れますね。

「御寺」や「噺」といえば・・・「落語家」。

今月二十九日・・・

五代目三遊亭円楽御師匠様・・・
六代目立川文都 御師匠様
が御旅立ちになられました。

心より御冥福を祈念致します。   合掌

 

投稿: 合唱おじさん | 2009.10.31 21:49

合唱おじさん様、こんにちは。
円楽師匠、本当に残念でしたね…。
笑いのためにならお金はいくら使ってもいいような気がします。
本当はユーモアがあれば、宗教はいらないのかもしれません。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.11.01 10:37

前略  薀恥庵御亭主  様

「ユーモア」は何よりも大切です。

まぁぁぁ・・・
愚僧がいうのも「アレ」なんですけど・・・笑。

「宗教」というものは・・・
「銭悩」×「洗脳」◎が怖いですよ。

現代社会では・・・
兎に角なんでも「宗教」になりますね。笑

「へんてこ宗教」の共通項は・・・
「巧みな話術」と「不安を煽る」点です。

えぇぇぇ・・・愚僧が「創造」すれば・・・
「しあわせ狂×教」「汚源気×御元気教」
「蟻蛾蛇×有難教」「悪寒者×御感謝教」笑

・・・なんでもかんでも・・・
「宗教」になります。そして・・・
それが「銭」になっていきます。
まさに「守銭奴」の世界ですね。笑

愚僧が出合った「素晴らしい御方様方」に
共通していたのは・・・

①笑顔がかわいい
②噺がおもしろい
③愚僧よりずっと貧乏

愚僧・・・
ユーモアの扇子は蟻間千蛾
誤寺脱寺には地震が有魔酢

合唱おじさん        拝


投稿: 合唱おじさん | 2009.11.02 10:07

【訂正させて頂きます】
「しあわせ狂×教」×
「死合わせ狂×教」◎
つつ死んで訂正します。

投稿: 合唱おじさん | 2009.11.02 11:21

合唱おじさん様、こんにちは。
そうですねえ、お金の損得勘定には笑顔が伴いませんね。
もし、大いにもうけて破顔一笑したとしても、
その裏には必ず損をして哀しい顔をしている人がいるわけです。
それは純粋な「笑い」の世界ではありません。
皆が笑えるのが本当に平和な世、みろくの世であると思います。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.11.02 17:13

前略 薀恥庵御亭主 様

御返事頂き恐縮致しております。

「笑い」は難しいですね。

「笑い」は悩みの連続です。笑

【地震が有魔酢】よりも・・・

【地震が有魔巣】

【地震が有魔棲】

こんな漢字で・・・
どれが善いか いつも迷ってます。

本当に「馬鹿」ですね。笑

投稿: 合唱おじさん | 2009.11.03 09:37

合唱おじさん様、おはようございます。
笑いにはそういう陰の悩み(模索)があるからいいのですね。
つまり、自らがマイナスを全部しょいこんで、無償の愛を施す行為なのです。
本当に素晴らしいですね。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.11.05 09:29

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