「もったいない」とは…
もったいない…いまや、「MOTTAINAI」となって世界に飛び立っておりますね。ケニアの環境副大臣でノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイさんが世界に紹介してくれたおかげです。きっと「もったいない」自身は「なんとももったいないことでございます」と思っていることでしょう。ケニアと日本、どう考えてもケニアの方が環境に優しいと思うんですけどね。
今日はこの言葉について少しお話します。そして、最後に種田山頭火の素晴らしい文章を読んでいただきましょう。
さあ、この「もったいない」ですが、漢字で書くと「勿体無い」ですね。いつごろから使われ始めた言葉なのかといいますと、文献に残っているのは13世紀くらいのものが一番古いようですから、まあだいたいそのへんからなんでしょう。
しかし、不思議なのは、「勿体無し」はその頃から使われているのに、本体の「勿体」はもっと後にならないと文献に表れないんですよ。
そうです。これって例の「なし」ですよ。私ずっと前にこちらのエッセイに書きましたね。「切ない」とか「せわしない」とか「はしたない」とかの「〜ない」ですよ。否定的というか、マイナスな感情を表す接尾語です。「ある」「ない」の「ない」ではありません。
そうすると、「もったいない」の本体はやはり「もったい」だということになりますね。たぶん、ある種のマイナス感情を表現するのに、ほとんどいきなり「もったいなし」が使われるようになったんでしょうね。そして、次第に接尾語の「なし」が「無し」と捉えられるようになって、そして「もったい」が再独立したと。これはほかの語でも見られる現象です。
では、その「もったい」とはなんなんでしょう。これは諸説あるようですが、私の感覚ですと、「物体」の変化というのが一番しっくり来ます。「物」の偏が脱落して「勿」だけが残ったということです。「勿体」という漢語はないので、なんとなく「もったいなし」のマイナスイメージから「勿(なし)」の字に転じたのではないかと思うのです。
そうしますと、「もったいなし」とは、本来「物体だ!」という意味になりますね。これって何なんでしょうか。
私の「モノ・コト論」を御存知の方はお気づきでしょう。そうです。「物体」とはまさに「モノ」ですね。「モノ」とは自分(人間)から見て外部にある存在を表します。そこから、「不随意・不如意・不可知」といったようなイメージが喚起されていきます。そして、さらに「物の怪」や「神」「仏」「運命」などを表すようになっていくのです。
つまり、「もったいなし」とは、本来「自分の思い通りにならないことを嘆ずる」という意味があったのではないかと推測するのです。また、そこには人知を超えた「何か」が関与しているようにも感じます。
古語においての「もったいなし」の第一義は「あるべきさまをはずれていて不都合である。不届きである。もってのほかである」です。そして次に「おそれ多い。身に過ぎてかたじけない」。さらに進んで今最も普通に使われる「使えるものが捨てられたり、働けるものがその能力を発揮しないでいたりして、惜しい感じである」となります。
これらいずれも、考えようによっては、自分の意思から離れた感じがしませんか?
そうしますと、第一義はマイナスの「想定外」すなわち「残念だ」、第二義はプラスの「想定外」すなわち「ありがたい」という説明もできます。では、最後の「もったいない=MOTTAINAI」はどう説明すべきか…。
よく「MOTTAINAI」は英語に訳せないとか言うじゃないですか。ある意味それは当たり前ですよ。なぜなら、そこに純日本的な「神仏」が関与するからです。いわゆる物、物体全てに神が宿ると考える日本的な一種の宗教観がそこに色濃く表れているんです。
私たちが、「ああ、もったいない!」と叫び嘆ずる時、その対象は常に価値あるものです。我々人間の生活に有用なもの、あるいは、自らの価値観に照らして価値の高いものに対しての言葉です。たとえば食べ物とかですね。
しかし、それって、単なる西洋的なプラグマティズムではなくて、もっと宗教的な感情が働いていると思うんですよ。おそれ多いというような。
我々が「もったいない!」と言う時、単に経済的損失が生じたとか思うのではなく、何か自分よりもより高い次元にある「モノ」を失ったという感情を抱くのではないかということです。
逆に、そういう「モノ」を誰かから与えられたりすると、「ありがたや、ありがたや」という意味で「もったない、もったいない」と言いますね。
だから、マータイさんがいくら国連で「MOTTAINAI」を紹介しても、外国の方々には、本来的な意味ではなかなか理解されないのではないでしょうか。単なる「3R」運動の標語、あるいは単なる「ケチ」という意味にしかならないかもしれない。
というわけで、今日は最後に、「もったいない」の本来の意味を教えてくれる素晴らしい文章を読んでいただきましょう。とっても短いものですので、ぜひ。
偉大な乞食僧にして俳人、種田山頭火がさりげなく語ります。
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コメント
前略 薀恥庵御亭主 様
お早うございます。
「モス」の「ソース」は
とても・・・残すのは勿体無い
ですね。
「ポテト」ですくって・・・
「ソース」を救います。←馬鹿
愚僧も「ケチ」なくせに・・・
いろいろ勿体無いことをします。
同じ本を何度も買ったり
同じ文房具を何度も
買ったり・・・「ボケ」ですね。
今日一日を大切にし
今日の出会いを大切にし
今 生きていること を
感謝する・・・
愚僧も反省することばかりです。
合唱おじさん 拝
投稿: 合唱おじさん | 2009.10.06 09:39
合唱おじさん様、おはようございます。
たしかにモスのソースほど勿体ないものはないですね。
「モノ」としての存在感があります。
あれは神仏なのかもしれませんね(笑)。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.10.07 08:26
前略 薀恥庵御亭主 様
愚僧とても「がめつい」ので・・・
「御飯」を「たくさん」食べます。
「御飯」と「海苔」
「御飯」と「明太子」
「御飯」と「塩」
「御飯」と「梅干」
「御飯」と「鰹節」
「御飯」と「たくあん」
「御飯」と「御茶」
「御飯」と「昆布茶」
「御飯」と「ラーメン」
「御飯」と「豆腐」
「御飯」と「味噌汁」
えぇぇぇぇ・・・
「御飯」と「御飯」笑
「御飯さま」が「ほとけさま」で・・・
「おかず様」が「ぼさつさま」ですね。
愚僧 いつも 「ほとけさま」を
独り占めですね。勿体無いこと・・・
有り難いこと・・・ しあわせなこと。
合升おじさん 杯
投稿: 合唱おじさん | 2009.10.07 22:32
合升おじさん様、おはようございます。
本当ですね。
たくさんの仏さまに囲まれ、いや、一体となられ、うらやましい限りです。
私は一日一食ですので、ここぞとばかり仏さまを掻き込んでいます。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.10.09 07:55