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2009.10.31

『日本語教のすすめ』 鈴木孝夫 (新潮新書)

10610333 んでいて楽しい本。日本語教のバイブル。私の敬愛する鈴木孝夫大明神の最新刊です。もう4年も経つのか…。憧れの大明神をほとんど独占して、おいしいお料理やお酒をいただきながら、とてつもなく楽しいお話をお聞きする機会を得てから。ぜひまたお会いしたいものです。
 その時もそうでしたが、とにかくユーモアにあふれ、そして、何事も実に上手にかみくだいて分かりやすくお話してくれる。この本もそうです。中学生でも、いや小学生でも、すんなり理解できるし、なにしろ内容が面白い。日常(特に日本語)に隠れた意外な発見というのが、子どもに限らず私たちにとって最も学習意欲を喚起するものなんですよね。それに満ち溢れている。
 あとがぎに書かれているように、その内容は、大明神のお仕事のアンソロジイとなっております。
 漢字の音読み・訓読み問題における新知見、日本語は(ラジオ型でなく)テレビ型言語であるという見事な比喩、教科書にもよく採り上げられる「虹の色数」「太陽の色」「蝶と蛾と鯨」、大人には特に興味深い「催淫帯」の話、天狗の鼻は高いが象の鼻は長いワケ、形容詞が実は本体を形容していないという話、江戸時代日本酒はなかったという話…。
 そして圧巻は第四章「日本語に人称代名詞は存在しない」でしょう。我々があまりに常識的に自然に無意識的に使い分けている「呼称」におけるルールを見事に解明してくれています。こういう勉強は楽しいでしょうね。
 こうした楽しい発見の根底にあるのは、自虐史観ならぬ自虐言語観に対する対抗心です。日本語は論理的でない劣等言語であり、これからの国際社会では通用しない、させたくないという思い込みに対する抵抗です。
 それはもちろん、裏返して言えば、日本語に対する真の理解、愛情、矜恃があると言えますね。ある意味、保守の王道的な発言も多い大明神ですが、この前の『日本を貶めた10人の売国政治家』の論者たちとは違い、絶妙な国際感覚も持ち合わせていますし、なんと言っても器の大きなユーモア、すなわち人類愛なんでしょうかね、そういうものがあるので私は好きなんです。いや、実際お会いすると、文章以上にスケールの大きな方だと分かりますよ。本当の教養人ですね。
 そういう大明神が教組であるのが…大明神がご神体じゃなくて教組っていうのがすごいな…「日本語教」です。自身は「残念ながら信者はほとんどいません」とお書きになっていますが、いやいやここにいますよ!と申し上げたい。私も全くその教義を信じています。
 「日本語教」なんて言うとたしかに抵抗を感じる方もいらっしゃると思いますけど、これこそ大明神一流のユーモアなんですよねえ。
 「この世に折角生を享けながら、日本語という素晴らしい言語を知らずに空しく死んでゆく人を、一人でも少なくする努力をしよう」…これが教義です(笑)。そして、最後の最後に書かれているとおり、これは単なる文化侵略でも日本語帝国主義でもなく、感謝、お礼の表現なのです。日本がここまで繁栄したのは、諸外国のおかげであり、その言語や文化をとにかく輸入しまくった結果であって、そのことへの恩返しとして、今度は逆に日本の良さ、日本語の良さを輸出すべきだと言うわけです。まったくもって、面白い論理であり、納得の教義であります(笑)。
 難しいことを易しく、厳しいことを優しく語る…これは教組の条件であると私は思っています。そして、そこにユーモアが必須のものであるというのも、たとえば出口王仁三郎から私は学んでいます。鈴木孝夫大明神…スケール大きく明るい神である先生、ぜひ「日本語教」の普及にこれからもご尽力いただきたい。そして、私もそれに協力させていだきたいと思っています。

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2009.10.30

モーリス・ラヴェル 『左手のためのピアノ協奏曲』 (ピアノ…パウル・ヴィトゲンシュタイン)

マックス・ルドルフ指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団
Lan0047 年はこの時期ジョージ・ガーシュインについて勉強しました。とっても勉強になりました。今年は同時代のクラシック作曲家モーリス・ラヴェルです。
 ラヴェルについても、ほとんどしっかり聴いたことがなかった私ですが、今回もまた生徒のおかげでこうしてじっくり聴き、そして本を読みながら、新しい発見をさせてもらっています。ありがたいことです。
 そんな中、いろいろな名録音に出会っているのですが、今日は「左手のためのピアノ協奏曲」の歴史的録音を紹介しましょう。
 これは委嘱者ヴィトゲンシュタイン自身による演奏です。ヴィトゲンシュタインは、あの哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの兄です。弟ヴィトゲンシュタインについて、私はこちらで「名前からして難しい」と言っていますね(笑)。すごい家系ですねえ。
 兄ヴィトは第一次世界大戦で右手を失ってしまいました。そんな失意の彼が、それでもピアノを弾きたいと願い、多くの作曲家に左手のための曲を作るよう委嘱しています。もちろん、そんな彼にある種の同情を抱いてのことではありましょうが、ラヴェル、ブリテン、シュトラウス、ヒンデミットらがそれに応じて名作を作ったというのは、ヴィトゲンシュタインがいかに優れたピアニストであったか、あるいはヴィトゲンシュタイン家がいかに文化人らと交流があった名家であるかわかりますね。
 しかし、ヴィトゲンシュタインはけっこう頑固者だったようで、あのプロコフィエフが作ってくれたピアノ協奏曲は一度も演奏しなかったそうですね。気に入らなかったと。いや、このラヴェルの名曲でも、実は一悶着あったんですよ。
 なんだか難しすぎるとか、音楽性に乏しいとか言って、初演で勝手に編曲(簡略化)してしまった。これにはさすがにラヴェルも怒った。ま、のちにちゃんと練習したのか、ヴィトゲンシュタインの方が自らの非を認めたそうですが。
 さて、この曲ですが、ラヴェル独特の語法がかなり顕著に現れている曲ですね。左手のためということで、ソロ楽器であるピアノの音数はやはり少なめです。それを補うためのオーケストレーションが実に巧みですね。もちろん、厚すぎず濃すぎず、もともと薄いピアノを消してしまうことなく、しかし、全体としてはラヴェル的色彩をしっかり持っています。
 民俗意識の強いラヴェルという一面も多々感じられます。フランス人としての民族意識というより、やはり民俗意識ですね。冒頭のピアノのペンタトニックな音階、その後現れる微妙なブルーノート、まるでキース・ジャレットのような(!)和声感覚…。そこには明らかに民族音楽やジャズの影響が聴いてとれます。
 これを聴いていたら、カミさんがいきなり即興のミュージカルを歌い出しました(笑)。うちの黒猫たちが主役の劇です。たしかにそういう劇音楽のルーツという感じもしますね。アメリカの映画音楽やディズニーの音楽、そしてミュージカルに大きな影響を与えているわけです。
 つまり、ドビュッシーらのいわゆる印象派とは違い、ラヴェルの音楽は「分かりやすい」、「案外古典的」であるわけです。そういう意味では、クラシックとポピュラー音楽の架け橋であるとも言えましょう。
 ラヴェルが弟子入りを望んだガーシュインに対して、「二流のラヴェルになる必要はない。もうすでに一流のガーシュインなのだから」と言ったという話は有名ですね。たしかに二人は全く違う道を歩んでいるように見えますが、実は音楽史的に同じような大業を成し遂げているのでした。
 このアルバムには隻腕のヴィトゲンシュタインの演奏がいくつか入っています。私が実に興味深く聴いたのは、ブラームス編曲による左手のための「バッハのシャコンヌ」です。いろいろなピアノ編曲版がありますけれど、こうして左手によるシンプルな、つまり制約のおかげでオリジナルに近くならざるをえなかった編曲が、最も美しく感じられたのは面白かった。
 この前のMJQのデイヴィッド・マシューズのことを思い出しました。彼も小児マヒのため右手がほとんど使えません。しかし、そんな彼が奏でる極上の響きのことを思い出したのです。
 なんでも全部できればいいというものではない。全能が理想ではない。五体満足といっても、それは人間界の話であり、その中でよりできることを求めるよりも、どれだけ引き算できるかという方が、ずっと絶対的なものに近づけるような気がしますね。なんだか禅みたいです。
 どちらかというと足し算を得意としていたラヴェルが、こうして引き算に出会ったのは幸運なことではなかったでしょうか。のちの作曲家人生に大きな影響を与えたに違いないと感じました。

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2009.10.29

厭銭(えんせん)

↓猫に小判ならぬ猫に紙幣
Kanenohuro 日10年ぶりに「VALE TUDO JAPAN」が復活しますね。それに合わせて古い大会を見ていたら、エンセン井上選手がいい闘いぶりを見せていました。なんだか当時の総合って今より面白いですね。競技としての進化が必ずしも興行的な面白さにつながらないのだと再確認しました。
 さてさて、今日は格闘技の話ではありません。昨日の続きでして「カネ」、それも少ないお金に関するお話です。
 井上選手の「エンセン」ってどういう意味なんだろうと考えていたら、そっちに頭が切り替わってしまいました(笑)。
 そう、最近「厭銭」という言葉が一部ではやっているんですね。「えんせん」と入力しても変換されない新語です。たしか6月頃に、朝日新聞のコラムで紹介されたのだと思います。
 昨日の「貧困論」では、お金がほしくてもなかなか手に入らない話をしましたが、こちらはもともとお金に執着がないどころか、お金を嫌うという感覚のお話です。
 実は私もさんざんカネを悪神と説いて、「厭銭」的発言を繰り返してきました。しかし、最近若者の中ではやりつつある(?)「厭銭」は、少し違った感覚のよう…いや、一緒なのかなあ、根本的には。
 亀井肇さんの新語探検によると以下のように説明されています。

『朝日新聞』が夕刊のコラムで紹介したことばで、若者たちの間に何となく漂っている「お金は何となく汚い」「銭勘定にこだわりたくない」という気持ち。最近の若者たちは金銭に対してきわめて淡白で、残業を続けるなどあくせく働いて金銭を稼ぐ必要がどこにあるのかと思い始めているという。若者たちは上の世代を見て、「金儲けを目指すと、世の中に叩かれる」「企業は金がらみの不祥事ばかり起こす。出世しても、世間に頭を下げるのが仕事ではしょうがない」といった考え方をもつようになってきており、自動車や高級ブランドの服やバッグなども必要としなくなっている。当面、生活できるだけのお金さえあれば十分で、それ以上のお金を無理して稼ぐ必要はないと考えているのである。

 うむ、これはある意味「清貧」につながるのかもしれませんね。なんとなくスタート地点は違うような気もしますが、結果としては私の「嫌金」思想と近いものがあります。
 これはある意味では、悪神のしもべになる不快感の発露でありましょうし、「カネカネ教」に飽きてきた結果とも言えます。
 もともと、貨幣というのは、物々交換の媒体として発明されたと思われます。「貝」とか「石」とか「金属」とか。それはそれで、現在において物と等価(もちろん労働価値説を勘案するともっと事態は複雜ですけど)であって、全く神がかっていなかったのですね。そこまではまあ良かった。
 しかし、貨幣の自由度と不変性により、それが違った機能を持つようになってからというもの、ずいぶんと人間とカネの関係は狂ってきました。
 まさに「神」がかってきたのです。つまり、「現在」ではなく「未来」への期待…それは裏返して言えば不確実性でしかないのですが…を担う存在になってしまったのですね。金融や投資という新しい世界が生まれてしまったのです。
 ある意味宗教も投資もギャンブルです。どちらも未来に不幸を期待して臨むものではありませんね。あくまで幸福のために現在の価値を犠牲にします。投資以前の金融にしても、基本は一緒です。私たちはなにがしかの利息を期待して預貯金をします。その先に金融があるわけですからね。
 そういった意味で、マネー神は我々の期待を裏切ることが判明してきた。利息も微々たるものですし、神様自体が廃業してしまうことさえある。そして、投資に至ってはあまりにステージが高すぎる。幸福を得る可能性があるステージに立つだけのためにも、相当の自己資金を用意しなくてはなりません。金融市場が一部金持ちの為になってしまっていて、我々庶民はカヤの外になってしまっている。
 基本貧乏な若者がお金を厭う気持ちもわかります。カネカネ教はこうして、庶民に飽きられてきたわけです。
 純然たる宗教も、カネカネ教も、結局は貨幣市場に乗っかっているわけですから、どちらも企業であるとも言えます。特にカネカネ教は企業としての経営にも失敗しつつあります。調子に乗りすぎて消費者離れが進んでいる。
 つまり、カネカネ教は自らの手で自らの首をしめているわけです。貨幣の総量は無限大でないことは、子どもでもわかります。そんな中で、手品のように価値(幸福)を生み続けることなんかできっこない。ですからカネカネ教は、自らの幸福は他者の不幸の上に成り立っているという罪悪感、虚無感すら生みます。そういう化けの皮がはがれはじめた。一部上層部の非人道的な搾取を、我々大衆が不快感を抱き始めている。
 ということで、これは宗教改革ならぬ金融改革、あるいはそれ以前に経済改革を起こさねばなりませんね。旧教に対する新教のように、現状に対抗する新市場ってできないものでしょうか。
 新政権になっても、結局国力=経済力という感じで、もううんざりです。それに、もともとカネがないのにただただばらまくというのもどうかと思いますし。
 「厭銭」、もしかすると、この若者に蔓延しつつある思想(いや、気分か)というものは、案外健全で美しいものなのかもしれません。未来につながる希望だったりするのかも。
 ま、少なくとも私たちは、嫌わなくとも、冒頭の猫さまのようにカネに対して超然としていたいものです。それは本来の宗教に対する健全な態度でもあったりするのでした。
 ん?上の御猫様、よく見るとけっこう憮然としてますな(笑)。

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2009.10.28

『現代の貧困−ワーキングプア/ホームレス/生活保護』 岩田正美 (ちくま新書)

48006362 差論から貧困論へ。たしかに最近そういう傾向がありますね。
 日本の貧困率はたしかに高い。先日も15%を超えるという発表があったばかりです。これは先進国の中では米国に次いで第2位の高さとなるそうです。
 日本ってそんなに貧しい国だっけ?というのが、多くの人の感想ではないでしょうか。そういうふうに他人事のように感じてしまうのが、この「貧困」の問題点です。
 もちろん、私もそうしたその他大衆の一人でありまして、本当に他者の貧困を実感できているのかというと、やはりそうではありません。比較的安定した収入のある仕事をしているからですね。
 一方で、仕事柄そういう相談を受けることも多くあります。たとえば学費が払えないであるとか、進学させたいがお金がないとか、リストラされてしまっただとか。
 それでも、理解はできるが実感はできないというのが実情ではないでしょうか。ある意味同情はできますし、様々な制度の利用などをすすめることはできますが、私自身が何かを施すとか、そういうことはできません。
 この本にも書かれていたとおり、「貧困」には絶対的な基準と相対的な基準とがあります。上記の貧困率は相対的なものです。簡単に言えば全国民の平均収入の半分以下の収入しかない人の割合です。ですから、国が豊かであればあるほど貧困率が高まる可能性もありますし、その貧困の実態が世界的絶対的な見地から言うと、ちっとも貧困ではないという事態も考えられます。
 しかし、その社会にとっての「貧困」とはまさに相対的な性質だから厄介なのです。つまり、社会の成員としての「貧困心」というのは、常に相対的に醸成されるものなのです。
 私自身そういう体験があります。私はずっと今の職場にいて、安定的な給金をいただいているわけですが、バブルの頃はずいぶん周囲をうらやましく思ったものです。真剣に転職を考えました。相対的に収入が低かったからです。独身だっので絶対的には今よりお金持ちでしたが(笑)。今は全く逆の実感があります。
 単純にそういうものなのです。そして、こういうことは実は金銭的なことに限りません。様々な範疇、場面において、我々は相対的な幸福感や不幸感を抱いて生きているわけですね。さらにそれをシェアする術を知らない。だから、格差も生まれる。
 いや、本来的にシェアしたり、施したりできないこともありますよね。たとえば、容貌とか。私もぜひ誰かに施してもらいたいような容貌ですが、現実的にそれは無理というものです。つまり生来の不可避な運命的格差というのはいくらでもあるわけです。
 そこのところが、格差や貧困をなくすことを理想とした社会主義や共産主義の決定的な不可能性であったと、私は思っています。
 では、どうすればいいのか。現実的な日本社会での施策については、この本にも書かれていますし、民主党政権も多少は考えてくれています。しかし、それは前述の意味において、ぜったいに完全には解決しない問題です。
 ですから、経済(カネ)については、第3のシステムを模索しなきゃならないんですよ。そのヒントが、たとえばシューマッハの仏教経済学などにあると思っています。そして、その他の分野については、やはり、昨日の話ではありませんが、自己を滅却して他者と不二になっていくしかない、すなわちお釈迦様のお悟りに達するしかないわけですよね。
 これまたとんでもなく難しいことです。
 いずれにしても、この豊かな国で貧困があるということは、資本主義市場経済のシステム上、どこかに富裕もあるということです。その平均化というのは、いつも言うように、自民党的、あるいはヤクザ的必要悪をもって実現するしかないのが実情です。悪をもって悪を制す。
 最近、知り合いの若い女性からこんな話を聞きました。彼女なんだかいつのまにか貧乏になってしまって、財布に10円しかなくなってしまったそうで、やむにやまれず、お水な商売を始めたと。そうしたら二日目にいきなりお金持ちのお客さんから、いわゆる身うけ、持ちうけの話があって、いきなり大富豪のセレブになってしまったと(笑)。あるところには、やっぱりあるんだなと思いました。
 反面、最近ワイドショーをにぎわしている、ああいう事件やああいう事件を思うと、それもまた危ない橋のような気もするしなあ。なんだか、世の中難しいですねえ。

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2009.10.27

『日本を貶めた10人の売国政治家』 小林よしのり編 (幻冬舎新書)

34498130 は憂いの季節。いろんな意味で病んでいる人がたくさんいますねえ。なんというか、覚悟ができていないのに自分と向き合わなければならない、そういうタイミングなのでしょう、秋は。
 基本自分にこだわりを持っていないワタクシには、そのような憂いはございません。ウチのカミさんもそうらしく、この季節、我が家は駆け込み寺のような、あるいは教会のような、無料生活相談所のような、そんな様相になります。
 この本で語られる「国家論」や「政治論」や「人間論」も、ワタクシからしますと、まったく同じ次元の憂いに思えますね。みな、「自分」に思いっきり縛られ、その結果とってもさみしがり屋なことになっている。
 この激熱(ゲキアツ)な本は、そういう意味でとても面白かった。みな、壮大な論を唱えているように見えて、実はとっても「パーソナル」な次元にいる。まあ、それは一種のフラクタル構造であって、別になんの不思議もないのですが、しかし、言葉という「フィクション」を通してその真理を見せられると、なんとも人間の所業の空しさというか、ちっぽけな所でちょこまかしてるなと、そんな風にさえ思えるのでした。
 こんなことを書くと、それこそ「売国の徒」だと指弾されそうですね。くわばらくわばら。
 しかし、相変わらずアマノジャクであるワタクシからしますと、「売国」というその言葉自体が、とってもパーソナルな感覚に則っているものに思われます。
 すなわち、日銭を稼ぐために自らを売っていいのか、「売春」は是か非か、というような次元に感じるのです。それも社会的な次元ではなく、自分自身の生理的感覚に依拠している。だから、激熱になるし、ヤクザ言葉になるし、仲間とは徒党を組むし、開き直るんですね。
 昔は逆の立場の人たちがそうでした。左翼活動家のノリです。今は右、いやいや「保守」だな、保守がこうしてブームになり、商売になる時代になったのですね。感慨深いものがあります。
 自分という一点に立ってモノゴトを見ますと、表と裏しかなくなる。見える部分と、見えない部分しかありません。ワタクシの「モノ・コト論」で申しますと、まさに「モノ(自己の外部)」と「コト(自己の内部」というデジタル的に世界を二分することになります。
 それが「憂い」の元凶なんですよね。自分、つまり「コト」にこだわりすぎ、そして、他者、つまり「モノ」を愛するのを忘れてしまう。
 しかし、世の中はそんなに単純ではありません。二分してすむような、そんな人間にやさしい構造にはなっていません。
 だから、右派と左派、保守と革新なんていう古びた区分も見事に通用しなくなっています。昔はそれが成り立ちましたけれど、世の中も言葉も人の心もエントロピー増大則(すなわちそれがお釈迦様の悟った無常であるわけですが)に逆らえず、再びカオスな様相に還っていきます。
 民主党を見れば、それがよく分かります。あそこはある意味健全な原初状態です。右も左も保守も革新も資本主義も社会主義もごっちゃです。それを憂えることもできれば、また、それを喜ばしいと思うことも、そして面白がることもできます。
 この本でやり玉に上がっている「売国政治家」の名前を見るだけでもよく分かりますよね。もう自分の生理に合わない人間だったら、それがどこに属そうと、何派であろうと、こうしてランキングしてしまう。その基準であるところの「自己」が既に崩壊してカオスになっている証拠です。
 それでも人は、こうして敵を作って、相対的に自己の立ち位置を確認して、また、仲間どうし慰めあって、初めて「憂い」を脱することできる、いやできたような気がするのです。
 まだまだ、日本人は、いや人類は「悟り」からほど遠いですね(苦笑)。
 と、こんなレビューも珍しいでしょうが、私も実はいろいろあるんですよ。立場やら何やらね。一般的な感想はAmazonのレビューをどうぞ。
 で、私は結局、人類みんなを敵に回して、こうして自己の優位性を保とうとしているんでしょうか(笑)。

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2009.10.26

鳩山首相所信表明

237759_c450 「い女性向けの少女マンガのシーンみたいな話ばっかりだ」「兄弟だから1、2割は共感するが、あとはただの美辞麗句だ。辞書の中から美しい言葉ばかりを全部引っ張ってきたような作品だ」「社会主義政権を美辞麗句で表現したのが今日の所信表明演説で、兄の本意だとは思えない。兄は社会主義者ではないから」。
 弟鳩はこのように兄鳩を揶揄しました。友愛もいいのですが、それ以前に兄弟愛はどうなってるんでしょう(笑)。
 先日、近隣の小学校に挨拶回りをしておりました時、面白いものを拝見しました。今は生徒数が激減し統廃合の第一候補になっているけれども、実はこの辺では最も古い小学校の校長室にですね、「闊達明朗」と大書された扁額がかかっておりました。正確に書くと「朗明達闊」ですな。それを書いた人物の名が為書きの下にありました。「文部大臣 鳩山一郎」。
 爺鳩です。石屋の鳩です。その爺鳩が提唱した「友愛社会」。もちろん、フリーメーソンの「自由・平等・博愛(友愛)」にその源があります。
 私は時代錯誤な陰謀論にはもう興味はあんまりありませんけれど、『偉大なる宇宙の建築者としての「神の存在」を信じなさい。崇高な神の支配を否定する人は入会できない』と言う石屋に心酔した鳩の、その孫鳩が、一国の首相として国家の方向性を「友愛」で語ったのは、ある意味大変なことだとは思います。
 もちろん、メーソンの言う「偉大な(崇高な)神」は「サムシング・グレート」的な存在であり、日本古来の八百万の神やらなんやらも含まれているでしょうから、考え方によっては、アメリカ的な「金神」…「こんじん」じゃないですよ、「カネ神」です…に対抗して、本来の「神世界」…「しんせかい」じゃないですよ、「かみせかい」です…を復権するきっかけにもなってくれればと思います。ま、そんなこと考えてあの所信表明を聴いた人もいないとは思いますが(笑)。
250pxichiro_hatoyama_with_two_grand どうしてもそういう世界観を表現するとなると、ああいう「冗長」で「情緒的」な文章になっちゃいますね。それはそれでしかたありません。今、私も新しい中学を立ち上げるにあたって、そんな文章ばかり書いています。まだ、始まってないので具体的でない「きれいごと」を並べるしかないのです。そうすると、「少女マンガ」や「美辞麗句」や「社会主義」になってしまう。
 まあ、簡単に言えば、生徒会(児童会)の立候補者演説になってしまうんですよ。日教組的なね(笑)。これはしかたないでしょう。
 ただですねえ、そういう「夢」や「物語」を語る時にはですね、それなりのプレゼンテーション力が必要なのです。それが今回欠如していたので、結果として「痛い」ことになってしまったのです。
 つまり、兄鳩さんはあまりに無表情で淡々と語ってしまったのです。それが彼のキャラというか、生まれつきのパーソナリティーなので仕方ないのは分かりますが、あまりにロボット的すぎた。そして、それに呼応する民主党若手議員たちの異様な(形式的という意味ではそれもロボット的な)「お囃子」が、なんだか北朝鮮みたいだった、あるいはナチスみたいだったということでしょうね。
 いずれにせよ、今回の所信表明は心に訴えかけるものが少なかったと言わざるを得ないでしょう。いつも言うように、政治はあくまでも「まつりごと」です。政治家とは、大衆と「サムシング・グレート」をつなぐミーディアムでなければなりません。兄鳩はちょっとそういう器ではないような気がします。どちらかというと、ややヤクザ風な弟鳩の方が素質がありそうです(笑)。「サムシング・グレート」は清濁併せ呑む存在ですからね。

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2009.10.25

三者三様の勝利…リョート・飯伏・桜庭

20091025002 日、私は東京で3日、8日のコンサートに向けての最終練習だったのですが、練習中ずっと気になることがありました。
 それは、格闘技とプロレスの結果です。今日は応援する3選手の試合がありました。
 UFCのリョート・マチダ選手と、DDTの飯伏幸太選手、そしてDREAMの桜庭和志選手です。それぞれ全然違うタイプの興行ですが、男の真剣勝負という意味ではどれも同じ。結果として、3選手とも勝利しました。というわけで、今日は気分がよろしいのであります。
 リョート選手はアントニオ猪木さんの息のかかった選手であります。新日本プロレスのリングでデビューし、その後も猪木さんの闘魂を注入され、UFC98でエヴァンズ選手を破ってついにライトヘビー級のチャンピオンになりました。今まで総合格闘技15勝無敗、今回が16戦目ということになります。
 今回はきつい試合でしたね。ショーグンのローキックにそうとうやられました。判定は3-0で勝ちでしたが、お客さん的な視点からすれば完全に負けてましたね。ブーイングが起きていました。しかし、MMAではこういう試合もよくあることでして、そこがチャンピオンとして勝負にこだわらなければならない部分と、プロとしてお客さんを相手にしなければならない部分の兼ね合いの難しさです。あるいは総合格闘技の問題点でもあります。まあ、いい勉強になったでしょう。ぜひまた日本で試合してほしいですね。IGFに呼んでもらえないかなあ…。
2009102500000019spnavifightview000 さて、ある意味対極的な世界での闘い。DDTの後楽園ホール大会のメインです。なんと!あの飯伏選手はヨシヒコとタイトル戦をやったんですよ!
 えっ?ヨシヒコって誰って?ヨシヒコとは、端的に言うと「人形」です。端的に言わなくても「人形」です。プロレスの世界観、あるいは価値観をどんどん変えて行くDDTですが、ここまで来ると、本当にすごいと思います。
 かつてWWEで活躍した鈴木健想選手は、ホウキとでも名勝負を繰り広げられると豪語していました。そこがプロレスのプロレスたるところでありまして、もちろんこういう世界に拒否反応を示す方々もいらっしゃるというのもよくわかりますが、神事としての、芸能としてのプロレスという一面も研究している私としては、この「茶番(本来の茶番狂言としての茶番)」もまた立派な意味のあるものなのです。
 だいたいですね、人形(ダッチワイフ)相手に、24分もの間死闘を繰り広げ、お客さんを沸かせ、そして勝利するということが、普通可能でしょうか?ありえません。それこそMMAの選手では不可能でしょう。
 まだ映像としては観ていませんが、なんとなく想像はできます。この前のキャンプ場プロレスで、お話させてもらいましたが、本当に純粋な好青年ですよ。なりきる心を持っている。そういう意味では「禅」の世界にも近い男です。プロレス界の宝と皆が言うのもわかります。初代タイガーマスク佐山聡さんも、非常に高く評価しているとおり、彼の運動能力と格闘センスは最高です。さらにそういう「茶番」のできる人柄ですね。つくづくすごい男です。
20091026059 そして、最後に桜庭和志選手!今日の試合は最高でした。40歳になった彼ですけど、まだまだ若いもんには負けない。逆に老獪な桜庭ワールドを全開させてくれました。いや、老獪じゃないな。単純に「強い」のだと思いました。けっこうストレートな強さです。
 今年2月に彼を囲んでの勉強会に参加させていただきました。なんとも恥ずかしがり屋で人見知りするタイプの彼ですが、実戦式の講習になった途端、発散するオーラが変わったのを思い出します。
 桜庭選手は、本当に負けん気が強いんですよ。単純に負けず嫌いなんです。今日の試合でもそれがよく出ていたし、そこが彼の魅力であり、お客さんを沸かす部分なんですよね。
 今日の相手ゼルグ“弁慶”ガレシックはなかなかの強豪。桜庭マニアのウチのカミさんは、本当にヒヤヒヤしながらテレビ観戦していたようです。内心負けるんじゃないかなあ…と。
 しかし、結果はいかにも桜庭らしい素晴らしい試合内容での勝利でした。まず試合開始早々の片足タックルのキレが良かった。まさに見えない早さでした。そこからは一度つかんだ足を絶対に離さないあの姿勢ですね。そうとう顔を殴られましたけど、そこでの打たれ強さが彼の真骨頂。
 いや、打たれ強さというか、彼は殴られれば殴られるほど「むかつく!」タイプなんです。最近の総合の選手は顔を殴られると横を向いてしまい逃げ腰になるヤツらばかりなんですけど、彼は違いますね。もちろんガードはしますが、足を攻める姿勢は絶対に崩さない。解説の高阪さんや須藤さんは一度離れた方がいいと盛んに言っていましたけど、あそこで離さないのが本当の勝負師ですよ。まさに「マタギ」のしつこさ。狙った獲物は絶対に逃がさない。やられながらも徐々に追いつめていく。
 そういう姿勢が見えますから、お客さんも燃えますし、レフェリーも止められない。まさに「闘魂」ですね。試合後、「うるせえ!」と思っていたと言っていましたね。その心ですよ。やられながら気持ちは前に向かっている。そして、最後はヒザ十字でタップを奪う。どうもその前に弁慶の足を折っていたようですね。足を折られてもパウンドを続けた弁慶もあっぱれです。
 最近、DREAMはプロレスラーに頼る興行が増えてきていますが、結局そういう単純な勝負を超えた「闘い」を見せられるのはプロレスラーなんですよね。いいことです。当然です。いやあ、本当に素晴らしい試合でした。
 ちょっと思ったんですけど、あの例のヌル山の一件ですね、あれって相当「むかついた」でしょうから、再戦とかしてたら、マジでやっちゃったかもしれませんね。そういう怖さを持った男です、桜庭和志は。おちゃらけているようで、実は…という本当の男らしさですね。
 というわけで、三者三様の男の闘いっぷり、勝ち様に大いに刺激を受けた一日でした。よっしゃ、オレも常に前向きに闘っていくぞ!

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2009.10.24

今日できることは今日やらない!

↓これとは完全に逆ベクトルですぞ
88023866 けわからんタイトルでしょう。普通は「今日できることは今日やる、明日に延ばさない」ですよね。しかし、私の最近の座右の銘は「今日できることは今日やらない」です(笑)。
 これはですね、つまり、「明日できることは明日やる」なんです。ただ、それが「明日」とは限らないので、そうは言いたくありません。「いつかできることはいつかやる」もなんとなく不確定な感じなので却下。だから「今日できることは今日やらない」です。
 もうちょっと詳しくお話ししましょう。
 正直、私の前半生はですね、「今日できることを今日やらなかった」から、いろいろと後悔が残ったり、また他人様に迷惑をかけたりしてきました。まあ、簡単に言えば「後延ばし」「先送り」、すなわち常に現在において「怠惰」だったわけです。
 もう、自分がそういう性格だなと解ったのは、そうですねえ、中学校3年の頃だったでしょうか。そう、勉強においてそうだったんです。だいたい一夜漬けをして、それで間に合わなくて不本意な点を取るようになってきた。
 中学程度でしたらなんとなくゴマカシも効いたんですが、高校に入ってからは本当にひどいことになりました。クラスでもケツから数えた方が早いなんてのは当たり前で、これは自慢にもなんにもなりませんが、数学のテストで15点をとり、追試を受けたら8点だった…なんてこともありました(笑)。
 それから、20年くらいは、そんな自分が嫌で嫌でしかたなかったんです。ああ、あの頃から自分はダメになり今に至るなと。中学まではけっこう優秀な生徒だったし、たぶん親なんかも「この子は天才では?」なんて思っていたに違いありません。そんな自分や他人の期待を裏切ってしまった…。
 しかし、最近全く逆の発想をするようになってきたんです。これでいいのだ!と。
 そういう「後延ばし」「先送り」人生を送ってきたおかげで、ずいぶんと余計なことを勉強させてきてもらいましたし、また、未来設計に自信が持てるようになったし、また結果としていい仕事ができるようになったし、ハッタリ力も身についた。そして、仕事はなるべく遅くやった方がいい!
 そんなふうに心から思えるようになり、積極的にそういう生き方をしようと思えるようになったのです。
 考えてみますと、たとえば中学高校で勉強が先送りになるというのは、ごく自然なことです。あんな為になるんだかならないんだか分からんものを強制されて、それを嬉々としてやるといのうは異常であります。いや、その「嫌なこと」に打ち勝って頑張れ!と、だいたいエライ先生や親は言うのですが、今センセイになってみると、そういう言葉というのは甚だウソくさいですね。せいぜい、大学行くと楽しいぞ、1年がまんして4年遊べ!とか言うのが良心的ではないか(笑)。
 つまり、私があの当時勉強をしなかったのは、勉強以外にやるべきことがあったからです。それは音楽であったり、文学であったり、恋愛であったり、その当時の先生や親からしてみれば、「そんなことやってないで勉強しなさい!」的なものだったに違いありませんし、実際私自身「何やってるんだろう…」とか「何やってたんだろう」と思うことも多くありました。
 でも、最近になりまして、あの全ての欲望やエネルギーが今に生きていることが分かったんですね。ムダがムダでなかった。少なくとも勉強よりはずっと役に立っているし、今の自分を形成する土台になっています。勉強は基本みんな一緒のことをしますからね。それに比べてあれらはオリジナルな自分という感じがしますよ。
 簡単に言ってしまうと、あの頃の「今日やるべきこと」はそういうものたちだったのです。たしかに勉強は「今日できる」ことだったかもしれない。しかし、「できる」と「やるべき」とは全然違います。
 あと、社会人になってですね、案外有用だったのは、「間に合わなかった」という経験です。たとえば大学入試なんか全然間に合わないで悲惨な結果になってしまったのですが、あの経験が今とても役に立っています。
 私は仕事に関しては自他共に認める「ギリギリ派」です。ギリギリですけど間に合います。最近ぼけてきたのか、ちょっとミスもありますけど、基本そこそこ仕上げてドンと間に合わせます。
 実はこの感覚というのが非常に重要だと思うんですね。逆算です。この仕事の量と質なら、今日はやらなくていいな、あさっての午後からで間に合う…そういう勘です。今の私はそれがほぼ完璧にできます。そんなこと自慢してもしょうがないのですが、さすがにこれだけいろいろギリギリ体験(たまに間に合わない)していると、未来感覚というか、ある種の予知能力というか、そういうのが身につきますね(笑)。ここには結構自信持っています。
 そうすると今日無駄なことをしなくてすむ。本当に今日やるべきこと…それは遊びだったりすることがほとんどですが…を見失わないですむ。
 それから、仕事というのは、なるべく遅く始めた方がいいというのはですね、もちろん間に合うことが前提なんですけど、あのギリギリの緊張感から生まれる奇跡、つまり火事場の馬鹿力的なものですね、それが案外楽しい。神が降臨するようなものです(笑)。早めに堅実に自分の力でやってたら、ぜったいにできなかったであろう「作品」がいつのまにか出来上がっています。ひどいですねえ…笑。
 でも、これってあると思うんですよ。まず時間がないと無駄が排除されます。バッサバッサと斬り捨てることができます。「斬り捨てる」じゃなくて「切り捨てる」だな。これは仕事というか人生にとって非常に重要ですね。時間があるとついつい「自分」が表に現れて、やりすぎになる傾向がありますから。
 あとですね、実はこれが一番言いたいことであり、今まで人類があんまり気付いてこなかった事実なんですが、何をするにも「なるべくたくさんの経験を積んだ方がいい」ということ。つまり、今日やるよりも、何ごとも明日やった方がいいに決まっているということです。今日の自分よりも明日の自分の方が偉いんです!これは絶対です。あまりに単純な真実すぎて、みんな忘れてしまっていることです。
 というわけで、なんだか自己弁護というか自己肯定のために熱弁してしまった感がありますけど、まあ、完全に間違っているとは言えないとも思いますよ。
 「今日できる」ことであっても、「明日(もしくはいつか)できる」ことであって、本当に「今日やるべき」ことでなければ、あえてやる必要もないし、やらない方がいい。これが結論です。
 あと、おまけですが、よく人に「明日病気になったらどうするの?」みたいな心配をしていただきますが、そういう緊張感があると人は病気になったり、事故にあったりしないものです。逆に思い残すことがないと、人は早く天に召されてしまうのであります。私は健康に長生きしたいので、今後も「後延ばし」「先送り」人生を送っていきます。
 それはたくさんの「しわよせ」も呼ぶけれども、きっとたくさんの「しあわせ」も呼び込んでくれる達人の生き方であると信じています(笑)。

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2009.10.23

悪魔のヴァイオリン…レイチェル・バートン・パイン

Guarneri_giuseppe_del_gesu ーロン・ロザンドの所有していたヴァイオリンの名器グァルネリ・デル・ジェスが9億円以上の高値でロシアの富豪に売却されたとのこと。
 こういうニュースが流れるので、ヴァイオリンというのはなんだか高い、ハイソな楽器だと思われちゃうんですよね。ちなみに私の所有するヴァイオリンの中で最も安いものは7000円ですから、えっと、何挺買えるんだ?ええと、計算しますとだいたい13万挺ですね(笑)。
 そんなにすごいのでしょうか。ちょっとYouTubeで聴いてみましょう。
 ロザンドの弾くシャコンヌ
 YouTubeで聴くというのもなんですけど、それでも良く鳴っているのは分かりますね。改造に改造を重ねられ、ほとんど胴体以外はオリジナルとは別物になっているわけですが、たしかに名器という感じがします。
 しかし、私の感覚から言いますと、この時代の名器と言われるヴァイオリンというのは、たいがい乾いた音がするものです。失礼な言い方をすれば、もうお婆さんという感じで、潤いがなくなっているような気がするんですが。ただ、声だけはデカイ。色気がないように思うのは私だけでしょうか。
 ロザンドの演奏もどうかと思いますよ。まずちゃんとチューニングした方がいい(笑)。彼のバッハ無伴奏の録音もかなりひどい音程ですが、このライヴでもけっこうやらかしてますね。あんまりそういう細かいところを気にしない大器なのでしょう。
 デル・ジェスとは、「イエスの」ということです。グァルネリ一族の中でも最も有名なバルトロメオ・ジュゼッペ・アントニオ・グァルネリの作ったヴァイオリンだけがこの称号を得ています。
 今回のデル・ジェスの一つ「コハンスキー」は1741年製ですから、大バッハの晩年、息子たちが活躍を始める頃生まれた楽器ですね。
 私たち古楽器奏者としては、モダン楽器に改造されたそれよりも、当時のオリジナルな形でその音を聴いてみたいですね。私が富豪だったら10億円で買い取って、そしてオリジナルな状態に戻しますね。
 さて、ここから思いつくままに話を飛ばして行きましょう。
 デル・ジェスを使っているヴァイオリニストはたくさんいますが、比較的潤いのある音を出していたのが、イツァーク・パールマンです。彼のバッハ無伴奏の録音は、基本デル・ジェスを使っていますが、一部はストラディヴァリです。なんでもこの録音中にメニューインからそのストラドを譲り受けたとか。どういう世界なんだ?
 パールマンのデル・ジェスによるシャコンヌも聴いてみましょう。

 彼らしく艶やかですね。これだったら許せる。なかなかいい演奏です。やっぱりヴァイオリンは色気がないとね(あくまで私の趣味ですけど)。
20091024_104904 パールマンは小児マヒのため下半身が不自由で、いつも椅子に座って演奏していました。同じく下半身が不自由で常に座って演奏するヴァイオリニストにレイチェル・バートン・パインがいますね。彼女も現在デル・ジェスを弾いています。
 彼女は若手ヴァイオリニストの中でもかなりユニークな存在です。いやあ、この人はホント上手ですよ。超絶テクニックの持ち主です。クラシック音楽界で言われる音楽性とか、そんなこと以前に、ヴァイオリンが持っている色気や、妖気、そして悪魔性を実にうまく引き出していると思います。
 普段はとっても明るい彼女ですけれど、実はヴァイオリンの悪魔性にかかわるとんでもない過去があるんですよね。彼女が自らの足を失ってしまった話です。
 今から15年ほど前、ヴァイオリンのレッスンのため列車で移動していた彼女は、その目的地に着いたので、いつものように列車を降りました。その時、その肩にかけていた名器アマティがとんでもない事故を引き起こしてしまったのです。
 なんと、アマティを入れたケースのストラップが閉じたドアに挟まってしまったのです。そして、彼女は列車に100メートル以上引きずられてしまいました。
Instrument_devil_low 結果として彼女は片足切断の大けがを負ってしまいました。なんということでしょう。やはりヴァイオリンの名器にはいろいろな意味で悪魔が潜んでいるようです。昔からそういうことは言われていました。
 こんなことを言っては不謹慎ですが、腕を切断されていたら、彼女はもうヴァイオリンは弾けませんでしたね。彼女は悪魔と取り引きしたのでしょうか。足を失った代償に妖艶な音色を手に入れたのです。
 そんな彼女が「悪魔のヴァイオリン INSTRUMENT OF THE DEVIL」というアルバムを出しているのは面白いですね。非常にすさまじい演奏です。NMLに加入している方はぜひ、聴いてみてください。こちらです。
 バロックからヘヴィメタまでこなす彼女です。このインタビューを聴いて観てみてください。

Violinist Rachel Barton Pine From Mozart to Metallica - More amazing video clips are a click away
 なかなか魅力的な女性ですね。7月にキム・スヨンの代役として来日しまして、好評を博したようですね。はっきり言ってキム・スヨンよりずっといいヴァイオリニストだと思うのですが…。
 長くなりますが、最後に彼女の面白い動画をどうぞ。彼女、バロック・ヴァイオリンも弾くんですよね。バッハの無伴奏はバロック楽器で録音しています。で、この動画ではなぜかバロック・ボウでイザイを弾いています(笑)。その理由は彼女の口から語られています。なかなかの自由人ですな。もともと曲も変ですけどね(バッハが混入してます)。
 

レイチェル・バートン公式

Amazon Instrument of the Devil

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2009.10.22

フジファブリックデビュー5周年ツアー GoGoGoGoGoooood!!!!! (@新宿厚生年金会館)

20091023_65303 しい、忙しいと言いながら、仕事の合間をぬってフジファブリックのメジャーデビュー5周年記念のライヴに行ってきました。いや、忙しいからこそこういう時間が大切なんです!
 今回は知り合いの方からチケットを譲り受けたのですが、なななんとその席は最前列なのでありました!なんという有難いお話でしょうか。
 まあ、とにかく心から感動いたしました。素晴らしかった。マニアックなセットリストに泣きました。志村くんも「今日はマニアックなセットリスト。心の中で盛り上がってください」みたいなこと言ってましたね。まさにじっくり聴かせていただきました。そして、目の前のメンバーたちをじっくり観察(笑)。かなり冷静に観賞させていただきました。
 そのマニアックな曲目をどうぞ。mixiからコピペさせていただきます。

桜の季節
桜並木、二つの傘
陽炎
NAGISAにて
Sugar!!

雨のマーチ
午前3時
追ってけ 追ってけ
サボテンレコード
Anthem
茜色の夕日
ムーンライト
Sunny Morning
DOKI DOKI(PUFFY)
Laid Back
Merry-Go-Round
TEENAGER

En
Sufer King
銀河

 むむむ、これはいいですねえ。このまま裏ベストアルバムにしてもいいのでは。私のツボにもはまりまくってました。曲順も全体の構成もよく、いろいろな楽しみ方ができたクオリティーの高いライヴでした。ものすごい満足感。
 演奏もいつものように厳しく拝聴いたしましたが(すんません、仕事柄?そうなる傾向が…)、ほぼ完璧。志村くんのはまあご愛嬌ということで。特に今回は金澤くんのすぐ近くでしたから、彼の演奏を手元までしっかり見させていただきました。彼はただ単に上手とか下手とか、そういうのを超えた味のあるキーボーディストですねえ。なかなかいませんよ。
 今回はとにかく5周年ということでして、メンバーもそれぞれの曲にそれぞれの思い入れをこめ、そして、思い出をいとおしむように演奏していましたね。それがお客さんにも伝わって、まるで厚生年金会館で行なわれている演歌のコンサートのような空気が漂っていました。私はそれが実に心地よかった。
 盛り上がって暴れても楽しいバンドですが、こうやってじっくりしんみり聴いてもいいバンドですね。やはり、それは彼らの音楽性と文学性によるものだと思います。私もそこにハマっているわけです。
 この前、『LOVE LOVE LOVE』のところで書いたように、私が特別に彼らにシンパシーを感じるのには、ビートルズなどに始まる一つの音楽的流れというのがありますし、そして、なんと言っても昭和ノスタルジーのエキス満載なここ富士吉田の空気の共有というのがあります。
 そうそう、昭和ノスタルジーと言えば、昨年、市民会館ライヴが行われ、フジファンにとって一つの聖地となった感のある富士五湖文化センターが、ついに老朽化などを理由に大改装工事を施されます。いろいろゴチャゴチャもめていてはっきりしない面もあるんですが、とにかく往時の面影を残さないほどにリニューアルされるようです。
 そうすると、本当に昨年の5月、フジファブリックにとっては、というか、志村君にとっては、昔ながらのあのホールで伝説のライヴをやれて良かったですねえ。1年遅かったら夢が叶わなかったわけですから。
 今もうあの市民会館エリアは工事のため立ち入り禁止になっています。
 それから、もう一つ、これはまさにタイムリーな個人ネタになってしまいますけれど、今とりかかっている来年開校の中学校ですね、この校舎が建ちつつあるところは、志村くんにとってもかなり思い入れのある場所だと思います。今度正月にでもこちらに帰ってきた時、あのプチゴージャスな建物が、池の向かいにドーンと建っているのを見たら、きっとある種のショックを受けるでしょうね。
 来春からはそこが私の居場所になりそうなわけですが、こうなったらですね、どうせですから、ちょっとした権限(?)を使ってですね、志村くんに特別なお願いをしてみようかと思っているんです。彼ならきっと理解してくれると思うんだけどなあ…実現したら最高だなあ…。ちょっと動いてみます。
 まあ、とにかくいろんな思いの巡る味わい深いライヴでしたね。つくづくいいバンドだなあと思いました。こうしていろいろな時代の曲を聴きますと、ヴァラエティー豊富な、幅の広い、そして奥の深いバンドだなあと改めて感じ入りますね。
 MCであと何年やる?みたいな話になりまして、山内くんは「2年」とか言ってましたね。5年+2年=7年。ビートルズが7年半くらいでしたね。そういう密度の仕事もあると思います。加藤くんは「20年」と言ってました。25年かあ。サザンは30年を超え、ローリング・ストーンズは45年を超えた?(よく分からんくらい長い)。そういう仕事の仕方もあります。ちなみにデビュー25年と言うと、同じく富士吉田が生んだ英雄プロレスラー武藤敬司さんだな。彼もここのお寺の檀家だし。
 いずれにせよ、私は彼らをずっと応援し続けたいと思います。ん?25年後って、オレ70歳じゃん!…笑。

ps 来年富士急(コニファーかな?)でやるんですってね!あそこもまた志村くんの原点ですよね!やった〜!みんなで行くぞ〜!

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2009.10.21

二つの道

↓今日はこの周辺をちょこまか動き回りました。
Fuji_iss002e6971 日前、いよいよ準備をしてきた中学校の開校認可が下りました。ニュースでも紹介されました。こちらです。
 ここまでも大変でしたが、これから募集、入試、開校準備、そして実際のスタートということで、もっと忙しくなっていくでしょう。さすがに学校一つ作るのは大変です(当たり前か)。
 しかし、忙しいということはいいことです。単純に充実しているということですし、また、自分の能力を伸ばすチャンスですし、人さまの力を借りるチャンスですから。
 また、多くの人たちと出会えるというのも楽しみの一つですね。今日も、地域の小中学校の校長先生や教育委員会にご挨拶にうかがいました。明日もあさってもです。
 まさに自分の裾野が広がっていく感じがします。
 そんなわけで、大変に忙しいので、今日は昔自分が書いた文章を紹介させていただきます。裾野の話です。
 実はこの文章を使って「模擬入試問題」を作りました。自分の文章で問題を作るわけです。それにはいくつか理由があります。
 まず、最近、入試問題に対する著作権が激しく主張されるようになって(まあ間違ってはいないと思いますが、異論も多いのも事実です)、他人様の名文を使うのが非常に難しくなっているというのがあります。
 それから、小学6年生用の文章を探すのが非常に難しいということ。大学入試ならそのへんにある大人用の文をそのまま使えますが、高校入試用となるともう難しくなります。ましてや中学入試用となると…。
 それなら自分で書いてしまえと。これなら著作権は自分にあって、そしてそれを放棄するのも簡単ですし、中学入試用に難易度を調整することも可能、さらに出したい問題(たとえば漢字や慣用句)を自由に挿入できるというメリットもあります。
 それに自分の文なら、答が確実に分かります。よくあるんですよ。引用された本文の筆者でも解けない問題。国語ってそういう教科なんです。
 考えてみると、なんで皆さんこういうことをしてこなかったのでしょうかね。他人様の文で問題作るのってとっても難しいんですけどね。
 もちろん、問題点があるのも分かりますよ。客観性がなくなりますよね。本来他人様の文を読解する力を問うべきなのに、自分の文の場合は読解なんかありえませんから(笑)。
 ま、それでも今回は「模擬問題」なので、これでいいでしょう。本番はどうするか考え中です。
 というわけで、昔、卒業していく生徒に向けて書いた文章を紹介します。これは原典版です。これに手を加えて問題を作りました。では、どうぞ…なんて、仕事も手抜きですが、ブログの手抜きですな(笑)。

   二つの道
 富士山というのは実に偉大で壮麗である。

 こんなことは当たり前で、これを否定して太宰治も苦しんだりした。では、なぜ偉大で壮麗なのかというと、これが案外難しい。人は、日本で一番高いとか、あの形が実に芸術的だとか言う。そう、太宰でさえも大親分のようにどっしりしていて偉いなんて、結局当たり前の結論に至って、富士山に降参している。

 私はもともと富士山にライバル意識なんて持っていない。富士山のおかげで今ここに住んで、こうして生きているのだから、最初から降参である。

 しかし、私も太宰のように思わず悩む時がある。神様がなんで偉いのかなんて考えても仕方ないが、つい私も、富士山はなんでこんなにすごいのかと、そのふところに抱かれながらぼんやり考えてしまう。

 今日もぼんやり、こんなことを考えた。

 富士山。ものすごく高くて立派な山がここにある。

 どこまでが富士山かさえよく分からない。すそ野がだだっ広い。そう、この山は高い上にすそ野がだだっ広い。いや、すそ野がだだっ広いから高いのだ。すそ野がだだっ広いからこそ高くなったのだ。きっとそうに違いない。

 また、こうとも言えるかもしれない。富士山は、すそ野がだだっ広いから高いのではなく、高いからこそすそ野がだだっ広いのだ。そんな気もする。

 北斎が描いた富士は大して偉く見えない。なんか背伸びをしているようで、ちょっと嘘っぽい感じがするのだ。

 神様を崇める、神様を尊敬するというのは、「あんな風になりたいなあ」と思うということである。とうてい追いつけないが、人生の最終目標としていつもそこにあるということである。

 ああ、本物の富士山のように生きたい…。

 結局太宰と同じ感慨にぼんやりふけるのであった。

 すそ野がだだっ広い、ということと、ものすごく高いということは、実は同じ意味であると、今知った。そして、富士山のように生きたければ二つの道があることも知った。

 一つはすそ野を広げることである。そこには結果として高い頂を築くことができるであろう。いま一つはまず頂を築こうとすることである。それを実現するにはだだっ広いすそ野が必要だと気づくであろう。

 つまり、若いうちに色々なものに目を向け、貪欲に基盤を作る方法と、若いうちに一つのことに集中し、それを貫く方法、この相反する二つの道があるわけだ。

 そのどちらが正しいかなど考える必要はない。そのどちらも正しいに決まっているからである。
 前者については、ルネサンスの天才や江戸の才人たちを例に引くまでもない。映画監督北野武を見れば分かる。

 同じく私の敬愛する映画監督小津安二郎は、後者の証人である。「おれは豆腐屋だから豆腐しか作れない」と言って、彼は同じような調子の映画を撮りつづけた。しかし、OZUが今世界で、KUROSAWAと並んで映画界の神様として崇められていることは周知のことである。

 勉強が全体にわたってそこそこできるというのも悪くない。きっと君は今すそ野を広げている最中なのだ。これからもっともっと色々なことに興味を抱き、色々なことに挑戦するといい。

 また、勉強が出来なくて学校では怒られっぱなしというのもいいではないか。学校の勉強なんてだだっ広い人生のほんの一部にすぎないのである。何か違うことで、人をびっくりさせたり、人のためになればいいじゃないか。

 いずれにせよ、長い人生のなかでゆっくり、高くてすそ野の広い山を築けばいい。富士山だって今の姿になるまで、十万年もかかっている。

 じゃあ、自分は…? どうも前者の道を選んだようだ。その途中でちょっとズルいことをした。富士山に住んでしまったのである。少しでも神に近づきたいと思ってのことらしいが、ずいぶんと子どもじみた発想をしたものである。

 どこにいようと、結局は自分の生き方次第なのだ。ズルいことをして、よけいにそれを思い知らされた。いや、毎日それを実感させてもらえるのだから、やっぱり間違いではなかったのか。

 今日も目の前に富士山がある。そして、富士山への道は遙か遠い。

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2009.10.20

『LOVE LOVE LOVE』 (ビートルズ・カヴァー集)

61x1puskvl_sl500_aa240_ さって木曜日、ライヴに行く予定のフジファブリックもこのアルバムに参加しています。
 彼らの演奏しているのは「I WANT YOU」です。当初の発表では「Strawberry Fields Forever」とあり、うわぁ!(彼ららしい!というのと、む?マジか?)と思ったのですが、予想通りというか、いや、その事情は分かりませんけど、曲が変更になりました。
 それでもかなり彼ららしさの出た演奏となっています…というのもおかしいか。やっぱりフジファブリックは中期(〜後期)ビートルズの強い影響下にあるなと再確認したというのが正しいところでしょう。
 本当によくハマってますよ。最新作『CHRONICLE』では、すっかり下吉田(西裏)らしさを失ったと評された(誰にだ?w)彼らですが、面白いものでこの「I WANT YOU」では、また昔の彼らのドロドロした感じがよみがえっていました。ってことは、西裏ってビートルズなのか?ま、あの時代は、ああいうふうに世界中がサイケだったのですな。
 いつも書いているように、The Beatles→ELO(ジェフ・リン)→奥田民生(ユニコーン)→志村正彦(フジファブリック)というDNAの流れがあるわけですから、今回のフジのしっくり感は当然とも言えましょう。
 今年はビートルズ・イヤーということで、先月私も「よみがえるビートルズ」についての記事を書かせていただいたりして、彼らのあとに生まれた幸せを痛感してきました。その後もいろいろ聴いたり、楽譜を読んだりしまして、結局卑近な表現になってしまいますけれども、「どうやって作ったんだ?これ」という、いわばアンビリーバブルな絶句に行き着いちゃったんですね。
 で、今回このアルバムを聴き、特にフジの「I WANT YOU」を聴いて、「これが頭に浮かぶって、どういう状況?」というビートルズの驚きの基本に帰ってしまった。やっぱりすごいとしか言いようがありませんね。きっと、編曲し演奏しながらフジの面々も驚いたことでしょう。
 そういう意味では以前のフジファブリックはそういうところがあったんです。ビートルズと比較するわけにはいかないにしても、近年にはない衝撃を受けたのは事実でした。最近はある意味お行儀よくなったというか、私の音楽体験で説明できる曲づくりに変ってきました。それがいいか悪いかは世間が決めることですから、とやかく言いません。しかし、このタイミングで、こうして原点を演奏することによって、お互いにルーツを思い出すというのは実にいいことですね。
 さて、その他の演奏です。いや、これがなかなかいいもの揃いでした。だいたいカバー、特に日本人によるカバーというのは「痛い」ことになることが多い。しかし、このアルバムはなかなかのクオリティーでした。なかなか、なんて失礼ですよね。そうそうたるメンバーがそれぞれの愛(ラヴ)と尊敬(リスペクト)をもって歌っているわけですから。以下リストです。

1. BACK IN THE U.S.S.R./布袋寅泰
2. YER BLUES/椎名林檎
3. MOTHER NATURE'S SON/GLAY
4. DON'T LET ME DOWN/ 忌野清志郎 & 仲井戸麗市
5. THE FOOL ON THE HILL/原田知世
6. A HARD DAY'S NIGHT/Fire Ball
7. I'M SO TIRED/湯川潮音+LEO今井+JAMES IHA
8. YOU'VE GOT TO HIDE AWAY/高橋幸宏
9. I WANT YOU/フジファブリック
10. AND I LOVE HER/坂本冬美
11. NORWEGIAN WOOD/高中正義・松任谷由実
12. TICKET TO RIDE/THE ALFEE
13. ALL MY LOVING/unistyle
14. HELP!/吉井和哉
15. ALL YOU NEED IS LOVE/Various(*高橋幸宏、高野寛、延原達治(THE PRIVATES)、桐島かれん、佐木伸誘、稲葉智・笠原敏幸(Papa)、和田加奈子、田中一郎、村田和人、日野皓正)

 どれもとても興味深くクオリティーの高い演奏です。特に、やっぱり忌野清志郎さんの歌声にはグッと来ちゃいましたね。案外いいのが原田知世さん。アレンジも原曲に忠実で、全体に誠実な感じで好印象。我らが歌謡曲バンドのアイドル(?)坂本冬美さんも上手に歌いこなしていますし、ある意味ビートルズの「演歌」性を抽出してくれていてgood。吉井和哉さんもいいですね。最近ライヴでよくビートルズを歌います。彼も原点回帰なんでしょう。
 というわけで、なかなか面白いアルバムでした。私もこの歳になって原点回帰、私を音楽の世界に引きずり込んだThe Beatlesをしっかり見つめなおし、自分なりのカバーでもやってみようかなあ。1曲だけでも。そう言えばバンドでビートルズやったことないな…。ううむ、でも、今私の頭で想像できるのは、やっぱり「完コピ」しかないな。1音も動かせない気がする…。才能も勇気もないのか。
 あるいはリフキンみたいにその逆を行くか…。いや、その才能の方がないな(笑)。

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2009.10.19

『一元 葛根湯 2000錠』 (一元製薬)

Img_0034 僚が「慢性疲労は首で治せる!」という本を貸してくださいました。私の首凝り症を知ってのことでしょう。
 これには昔から悩まされています。斜頚で生まれてきたというのもあるかもしれません。母親譲りの凝り性というのもあります。仕事上パソコンに向かっている時間もけっこうあります。そんなこんなで、肩凝りや首凝り、そしてそこから来る頭痛などに悩まされることが多い。
 以前書いたうつぶせ寝で、朝の肩凝りや腰痛からはほとんど解放されました。私には実にぴったりな寝方だったようです。考えてみると、幼い頃は常にうつぶせ寝をしてましたね、その頃は肩凝りも頭痛も腰痛もなかった。大人になってからですよ。仰向けに寝るようになってからです。
 で、おかげさまでかなりそうした苦痛は軽減されたのですが、それでも仕事が詰まっている時など、どうしても肩凝り・首凝り&頭痛で戦意喪失することがあります。
 そんな時頼りにしているのが「葛根湯」です。ホントにお世話になってます。これもまた私の体質にあっているのでしょう、とにかくよく効きます。あっという間に首筋がすっきりします。
 葛根湯というとカゼの薬だと思っている方も多いと思いますが、私にとってはとにかく上半身の血行をよくしてくれる万能薬なんです。気分も晴れてやる気も出ます。
 だいたいカバンに常備していて、やな予感がしたらすぐに飲むようにしています。もちろん、眠くなったりしないし、極端な副作用はありませんから、案外気軽に飲めるんですよね。きっと飲めば安心するという気分的な効果もあるのでしょう。とにかく、私にとっては最高のパートナーなのです。
 しかし、こうして頻繁に飲んでいると、ついつい切らしてしまうことも多いのです。皆さんもよく見かける顆粒状のものは、薬局などで10包とか20包単位で売られていますね。そういうのって、気づくとなくなっていることが多いんです。
 それで、とうとうこういうのを買うようになりました。2000錠です。2000錠で6000円ですから、一粒3円という計算になります。なにより安上がりですし、たくさんあるというだけで安心感があります。まさに気分的な薬にもなるのです。
 これを小分けにして、カバンなどに忍ばせています。薬局で売っている箱物よりもだいぶ安上がりですが、効果はこちらの方があるようにも感じます。ま、それもまた気分かもしれませんけど。でも、気分でもなんでも効けばそれでいいのです。
 そうそう、そう言えばまた新型インフルエンザが猛威を振るい始めましたね。インフルエンザでは、解熱剤の使用には脳症などを誘発する危険性が伴います。こういう時、案外有効なのが漢方薬なんですよね。
 インフルエンザといえば「麻黄湯」が一番ですが、実は葛根湯にも「麻黄」が含まれていますので、ちゃんと効果があります。これからワクチンやらタミフルやらが不足する事態も考えられますから、今のうちに麻黄湯や葛根湯をたくさん買い込んでおくというのもありじゃないでしょうか。
 そうそう、落語というか小噺の「葛根湯医者」ご存知ですか?風邪でも頭痛でも腹痛でも目が痛くても、なんでも葛根湯を出す医者で、しまいには付き添いの人の「退屈」にまで葛根湯を処方するという面白い話です。しかし、それは単純に「薮医者」を表すんじゃないような気もします。それほどの万能薬なのかもしれませんよ。退屈にも効くか、試してみてください。

一元 葛根湯 かっこんとう 2000錠 第2類医薬品

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2009.10.18

追悼 剛竜馬さん

↓一番左が剛さんです
Photo ロレスバカ逝く!ショックすぎます。
 昨日木戸修さんとキラー・カーンさんにお会いして、昭和プロレスの息吹を感じたばかりなのに…。お二人よりお若い剛さんがお亡くなりになるとは…。木戸さんとは第1次UWFで一緒だった時期もあるのではないでしょうか。剛さん、2年前にはキャラバンの講師もなさったんですよね。
 ついこの前です、久々に剛さんのお姿を拝見したのは。テレビで8月30日のユニオンプロレス後楽園ホール大会に出場されているのを観たんです。たしかに体は小さくなっていましたが、あの精悍な顔つきと豊かな表情は変わっていず、ああお元気そうで良かったと思ったばかりだったのです。実はあの時、「ああ、生きてたんだ。良かった…」と不謹慎なこと言ってしまいました。いや、それほど私にとっては久しぶりのお姿だったんです。
 国際プロレスから新日本、UWF、全日本と、本当にいろいろなリングで活躍された剛さん。プロレスの強さや巧さというよりも、その独特の存在感で私の脳裏に強く焼き付いているレスラーですね。そして、俳優としても刑事物で見事なはまり役をこなしていました。
08717iwe3 「プロレスバカ」という愛称のとおり、ある意味愚直なまでの不器用さと言いましょうか、たぶんあまりに真っすぐすぎたのでしょうね。いろいろとトラブルに見舞われたこともありました。
 以前引ったくり容疑で逮捕され、半年にわたって拘置所生活を余儀なくされたこともありました。ご本人はそれは冤罪であったと主張していました。そして、その経験で精神的にも肉体的にも鍛えられたと言い、そうした不幸な体験にさえ感謝したい気持ちだとおっしゃっていましたね。
 私は別冊宝島のプロレス本の中での、インタビューのこの一節が印象に残っています。
 「どんなどん底に落とされようとも、生きていく自信はある。どん底どころじゃない。崖から落っこちて、途中で枝に引っ掛かって、それが折れてまた落ちて、下には泥沼があってズブズブ沈んでいって、その下にはマグマが煮えたぎっているところに落ちたとしても、絶対にギブアップしないでこれまで生きてきた…」
 こういう強さを持った方だったのです。こういう強さがあの存在感を生んだのでしょう。人間の生のたくましさ、したたかさを伝えてきた剛さんの、ある意味あまりにあっけない死でした。
 あるニュースサイトにあった次の文が哀しみを誘います。
 「剛さんが死亡する前日の17日、親しいレスラーら友人の元に、本人から何度か着信があった。しかし、疎遠になっていたなどの理由で、電話に出なかった人がほとんどだったという。死を覚悟した剛さんは最後に、仲間たちの声を聞こうとしたと思われる」
 ご冥福をお祈りします。

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2009.10.17

『ちゃんこ居酒屋 カンちゃん』 (新宿歌舞伎町)

 日はお二人の神に初めてお会いできました。
 昨日の美輪明宏さん同様、昭和から今まで生き続けるそれこそ「生き神様」です。陰陽両神。寡黙な神と饒舌な神。
 元プロレスラーの木戸修さんとキラー・カーンさんです。感無量であります…涙。
1314109954_136 今日は元UWF戦士にして現IGF現場監督である宮戸優光さん主宰するスネークピット・ジャパンでキャラバン(プロレスの勉強会)がありました。その講師が元新日本プロレス所属の職人レスラー木戸修さんだったのです。私は仕事の関係でキャラバン自体には出られませんでしたので、カミさんを派遣。予想に違わず渋すぎる木戸さん。訥々とした語り、いや「語らない」ところにこそ彼のレスラーとしての重みや凄みがあるのでしょう。
 まさに「いぶし銀」「職人肌」というにふさわしい方であったとは、カミさん含め参加されたキャラバン仲間の皆さんの弁。ううむ、参加したかったなあ。
 私は二次会の方に合流させていただきまして、本当にちょこっとご挨拶だけさせていただきました。場所は渋谷。やはり元プロレスラー新倉史祐さんのお店「巨門星(こもんせい)」であります。とってもオシャレで素敵なお店でした。
 そう言えば、娘さんの木戸愛さんがゴルフで大活躍ですよね。やっぱり今は娘さんのことで頭がいっぱいだとか。しっかし、考えてるみると愛さんもすごいお父さんを持ったものです。
 さてさて、私はこの後、もう一つ仕事がありまして…仕事というか遊びというか…早めに木戸さんの元を離れなければなりませんでした。
 次に向かうは新宿歌舞伎町であります。大学生の教え子たちとの飲み会です。私が選んだお店は「ちゃんこ居酒屋カンちゃん」。そう、あの世界的なレスラー、キラー・カーンさんのお店です。実はワタクシ、今回が初めて。プロレスファンとしては一度は訪れたいスポットでありますが、遅ればせながら初参り。
Img_0027 お店に入りますと、もうそこにあの巨体が!なんという存在感。連れていった女子大生たちもビックリ。そのキラー・カーンさんのスケールにも驚きましたが、出てくる料理のスケールにもまたビックリ。ウワサには聞いていましたけど、このちゃんこ鍋、これで二人分だというんですから…。思わずみんな写真を撮ってました。その他、たまご焼きや唐揚げ、天ぷら、その他串ものなど、なんだかいろいろ出てきましたが、それぞれダイナミックな量で、しかしなんとも家庭的なおいしさでして、みんな大満足。
 今回はきれいどころの大学生女子5名&きれいどころ(ホスト風?)の男子1名を帯同していったせいか、カーンさんもずっと我らの所にいてくれまして、いやあトークがはずむはずむ。木戸さんとは実に対照的ですねえ。
 もちろんプロレスの話もいろいろお聞きしましたよ。こんなこと言っていいのかなという裏話まで含めて。大学生たちはあんまりプロレスのこと分からないようでしたけど、それでもなんだかこの人はスゴイ!と感じたようです。なにしろ「アンドレの足を折った男」「ニューヨークで最も有名なレスラーの一人」ですからねえ。
 しかし、往時のあのモンゴル人ギミックで奇声を上げていたカーンさんとは対照的なたたずまいだったのはたしか。穏やかで優しく、明るく楽しく。
 そうそう、もちろん歌謡曲の話もしましたよ。我ら歌謡曲バンドの夢はキラー・カーン(カン)さんのバックバンドを務めることです。三橋美智也とかやっちゃうよ〜!
Img_0028 ついつい私も気分がよくなり、久々に久保田の万寿を飲んでしまいました。うまかった…。お酒もなみなみとついでくださるし、歌舞伎町としては、いや普通に考えてもかなりお得なお店ではないでしょうか。
 今度はぜひ家族でうかがいたいと思います。それにしても、この写真、なんかすごい映像ですなあ。カーンさんは私のこと最初お坊さんだと思ったそうです(笑)。いやいやもうカーンさんの方が圧倒的に仏さましてましたよ。しかし、二人とも頭が光ってるな(笑)。
 と、まあ今日もまた濃い一日でありました。こうして「神」のオーラを全身に浴びることができるのは、本当に幸せなことですし、精神的にも肉体的にもとてもいい刺激を受けます。最近仕事が忙しくてどうしようもないわけですが、このような神に遭遇し、そして元気な若い教え子たちにもパワーをいただいて、よし!来週は人生の山場!気合いで乗り切るぞ!という気持ちになりました。皆さん、本当にありがとうございました。

ちゃんこ居酒屋カンちゃん

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2009.10.16

『SONGS 美輪明宏スペシャル』&『SONGSプレミアム 美輪明宏』 (NHK)

20091017_91301 ととい録画しておいた「スペシャル」を観たあと、すぐにBShiの「プレミアム」が始まりました。狙ったわけではありません。本当に偶然でした。
 「スペシャル」の録画の最後に「プレミアム」の告知があり、時計を見たらちょうどそれが始まる時間だったということです。おかげで、たっぷりどっぷり美輪明宏ワールドを体験してしまいました。
 まあ、さすがにお腹いっぱいになりましたね。美輪さんの歌、いや歌だけではありません、その存在のオーラを全て受け入れるには、いかにテレビを通じてとは言え、こちらにもそれなりの覚悟が必要ですからね。
 美輪さんの歌に関する感想は、昨年書いた通りです。魂を揺さぶられますね。音程とか、リズムとか、そんな些末な(!)ことはどうでもいいのです。まずは言葉なのです。私たちの生きた言葉には、本来音程もリズムもありません。いや、そうではないか。全ての音程もリズムも内包されているのか。
 その全ての可能性から、どういう基準でどうやってそれらを抽出するかというのが、いわゆる音楽のジャンルを分ける要因になります。
 いや、ことは音楽に限りません。今日も美輪さんのSONGSを聴いて、そして観て思いましたが、やはり歌と言葉と身振りというのは切っても切り離せない関係がありますね。つまり、分かりやすくこれまたジャンルというフィクションでお話すれば、歌と演劇との境界線というのも実はとってもあいまいなものなのです。
 いちおうウチのバンドでなんちゃって歌手をやっているカミさんにもよく言い聞かせました。ただ歌詞を覚えて、メロディーを覚えて上手に歌っても、人の心は動かせません。言葉を理解して、自分とその言葉とが対等の立場になって、簡単に言えば「なりきって」歌わなければ、それはどこか空々しい歌にてってしまうものです。
 もちろん、それは私がやっているバロックというジャンルでもそうです。私はキリスト者ではありませんし、ヨーロッパの言語にも疎いので、正直その点になるとかなり心もとないのです。なんとなく空々しい気分で演奏しているのです。まあ、私は器楽奏者ですので、多少のその罪は軽くなるとは思いますけどね(苦笑)。
 ところで、今日思ったんですけど、こうやってフランスのシャンソンを日本語で歌うという文化ですね、これって結構古くからありますよね。もちろん他の国の歌を日本語で歌うというのもありますが、フランスの文化は特に日本人好みです。
 これは逆のことも言えるのであって、日本の浮世絵をフランス流に解釈し再現した印象派の画家たちを挙げるまでもなく、いわゆるジャポニスムという潮流は、この日本流フランス文化受容術の裏返しと言えますね。
 この日仏の芸術分野での「噛みあい」はなんなんでしょうね。私の少ない経験から言うと、決して日本人とフランス人の心性って似通っていないように感じるんですけど。たしかに、多少情緒的で夢想家で、しかし「語りたい」気質でもある点は似ていると思います…って、それだけ共通してれば充分か(笑)。昨今のオタク文化交流を見れば分かります。そう、両者とも実は大人ぶってる子どもなんですよね。
 しかし、美輪さんなんかもそうですけれど、そういう例えば大人と子どもとかいう境界を超えるというか、これはマイケル・ジャクソンのところで散々語りましたけれど、境界自体がすでに社会的なフィクションであって、それを超えるどころか、全部内包してしまう。そう男女の区別なんかもそうですね。そういうしなやかさというのが必要ですね、これからの時代は。
 私たちはそういう自分たちが作ったフィクションに縛られすぎです。もっと自由に自信を持って生きていきたいですね。美輪さんは今年74歳だそうです。ある意味そうしたフィクション(語られた「コト」)だけでなく、リアルな「時」という「モノ」すらも呑み込んでしまっているように思えます。
 あと、美輪さんからにじみ出る「教養」ですね。「教養」って、やっぱり「コト」だけじゃないんですよ。つまり知識とか常識とかだけではない。妄想も夢も霊界も全部含んだ、つまり言語化不可能な「モノ」も必要なんです。最近の芸能人や宗教家、その他庶民にも足りないのは、実はそこんとこなんですよねえ…。
 「プレミアム」が終わって、そのあと「BS日本のうた」が始まりました。そこにもたくさんの「歌」がありましたが、何かモノ足りない。島津亜矢さんなんか、ホントにうまいんですけど、やっぱり何かが足りない。これから彼女が身につけるべきモノの世界は深淵だと思いました。その点、タイムファイブの「夜空ノムコウ」は良かったな。やっぱり人にも年輪が必要なのでしょうか。
 またいつか生美輪明宏さんにお会いしたいと思います。そして、あのオーラを全身に浴びたいですね。

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2009.10.15

ゴルトベルク変奏曲七変化

20091016_60430_2 日は学校にとっても自分の人生にとっても、一つのターニングポイントとなる特別な日でした。詳細については後日パブリッシュいたします。地元の新聞等には明日あたり何か出るかもしれませんが。
 そんな特別な日が終わろうとしています。ものすごく疲れております。眠いのに眠れません。
 いや、疲れた理由は、実はその仕事のおかげではないんですよ。その仕事の片づけをしていたところ、学校の母体になっているお寺の本堂の前で、外人さんに話しかけられちゃいましてね、それで30分ほど頭を英語モードに切り替えなくちゃならなくなったわけでして…。仕事のことで頭がいっぱいというか、緊張が解けて頭がパーになっているところに、突然の非日常だったため、なんだか思うように言葉がでてきません。
 その方は、オランダの方で、日本の禅宗について研究されている方でした。筑波大学で何年か勉強したとかで、最初は日本語でしゃべってくれたのですが、なぜか途中からお互いにとっての外国語であるはずの英語になっちゃった。
 まあ、得意のハッタリ英語(英単語羅列)でなんとかしのぎきりましたが、どっと疲れました。でも、ちょっと面白かったかも。たしかに英語というのは便利なツールですな。
 てか、今思うと、彼らは私のことをお坊さんだと思ったんでしょうね。スキンヘッドがお寺にいれば、そう思うのも無理はないか(笑)。
 さて、そんなわけで、とんでもなく疲れているのに眠れない。そんな時は、この曲に限ります。余計に眠れなくなります(笑)。
 ご存知の方も多いかと思いますが、これはバッハが不眠症の伯爵さまのために書き下ろしたというエピソードを持つ曲です。しかし、どうもその話はウソっぽいですね。とにかく眠れませんよ、こんなすごい曲聴かされたら。
 もちろん、美しい和音進行がアリア(主題)と30の変奏という形で1時間以上演奏されるわけですから、ある意味単調に陥り、眠気を誘うかもしれません。しかし、その実体はバロック音楽の集大成とも言うべき、複雑な対位法や演奏技術が詰まったすさまじいものです。
 BGMとして感性にまかせて聴いても心地よいし、楽譜を見ながら論理的に聴いてもすさまじい感動がある。そういう意味においては、音楽の一つの極点なのかもしれません。ビートルズもそういうところありますけどね、ちょっと意味が違うようにも思えます。とにかく、人類が生み出す芸術の到達点であることはたしかです。
 こういう世界をこうして享受できる我々現代人は幸せですよね。オランダ人が日本の禅宗に興味を持ち、日本人の私たちがこうしてヨーロッパの古い音楽に感動できる。考えてみれば不思議なことです。
 さて、この人類の遺産ですが、あまりの深さからか、最近では本当にいろいろな編曲が試みられるようになりました。つまり、いろんな楽器の奏者が自分たちの手で演奏してみたくなるわけですよ。これはよく分かります。私も弦楽合奏版を自分で編曲したり、あと、そうだ!あれあれ…得意の宴会芸で二面の琴で演奏したっけ。あれはウケたなあ。特にトリルなんかの装飾音が(笑)。ビヨヨ〜ンてね。
 で、今日紹介したいのは、上の写真のものです。古楽器の弦楽合奏(+通奏低音)版です。これはいいですよ。非常に自然に耳に入ってきます。もともとこういう曲だったのでは、と思わせるほど美しい。そして、音楽的な構造も、鍵盤で弾くよりわかりやすい。
 また、室内楽的なトリオや、デュオだけでなく、弦楽のための協奏曲(コンチェルト・グロッソ)のような大人数の合奏まで、いろいろな響きを聴くことができ、単調に陥りません。
 本家NMLの試聴でどうぞ。未加入の方も15分は聴けます。
レ・ヴィオロン・デュ・ロワ/ラバディ盤
 日本のNMLに加入している方はこちらでごゆっくりどうぞ。
 ついでですから、今日はいろいろな楽器によるゴルトベルクを紹介いたしましょう。本来のチェンバロ版については、そうですねえ、いろいろな名演奏があるんですけどね、私はあえてキース・ジャレットのものと曽根麻矢子さんのものを推しておきます。
 この曲が歴史的に復活したのは、今年没後50年を迎えたランドフスカの演奏でしょうね。いちおうチェンバロです。1933年の録音でしょうか。こちらは版権の関係で本家では聴けません。日本のMNLでちょっと聴いてみてください。
ランドフスカ盤
 そして、次もこの曲を現代人に知らしめた超人的名演、バッハもたぶん納得というか驚愕のグールドの演奏です。もちろんピアノ。1954年。これも本家では聴けません。日本のNMLです。
グールド盤
 このあたりも、いわゆるピリオド楽器派からしますと、編曲版とも言えないこともありませんね。
 さてここからは本格的な編曲版を紹介します。
 まずは、オルガン版です。何人かのオルガニストが演奏しているようですが、私はこれが好きですね。ものすごく神聖な気持ちになりますよ。
NML本家
NML日本
 続いて、これも美しいですねえ。木管合奏版です。オーボエで演奏されるメロディーは絶品です。
NML本家
NML日本
 次はちょっと変り種。でも、案外正統派かも。ピアノの前身となったツィンバロンによる演奏です。二人で演奏していますけど、考えてみると、これは超絶技巧ですねえ。
NML本家
NML日本
 最近は弦楽三重奏版がはやってますね。楽譜が出版されているからでしょうか。
NML本家
NML日本
 そして、最後は案外いいもの。アコーディオンによる演奏です。ゆったりとしたアリアからして、なんというか、呼吸のようなものを感じるいい演奏ですね。これもまた超絶なんだろうなあ。間に現代曲をはさんでいるのが面白い。結構好きかも。
NML本家
NML日本
 今日は変奏曲の七変化ということでしたが、結局「八変化」になっちゃいました。ま、今日はおめでたい日ということでご容赦ください。
 さあ、さすがに寝ようっと。おやすみなさい。

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2009.10.14

33億円の遺産相続…どうしよう(笑)

 生最高レベルの忙しさです。とてつもないことが進行しているのに案外楽しい私は、つくづくおめでたい人間だと思います。
 今日定期検診で胃カメラ飲んだんですよ。さすがに今年は胃潰瘍になってるだろうと思って期待していたら、「いたって健康ですね。ツルツルです」だって…ガーン!w
 カッコ悪いじゃないですかぁ。全然忙しそうに見えないじゃないですかぁ(笑)。
 ま、いいや。でも、さすがにじっくり記事を書いているヒマがないので、困った時の迷惑メールネタ頼みです。この前の「(私の)ファンクラブ」に関しても、その後何通が来ておりますが、今日は別の文学作品(?)を紹介しましょう。
 その世界では結構有名な作品らしいです。いわゆる「出会い系サクラメール」の名作でしょう。本当はもっと前の部分や、途中の部分もあるということですが、とりあえず私のところに来たものを紹介しましょう。こちらもやっぱり私の実名入りです。まあ、とにかく6通続けてお読みください。
 ツッコミどころ満載すぎですけど、こうして自分が物語の主人公になるというのも、なんとも不思議な快感があるものです(笑)。しっかし、面白いなあ。
 では、どうぞ。クリックして読んでください。

其の一
20091015_80916_3

其の二
20091015_81146

其の三
20091015_81241

其の四
20091015_81318

其の五
20091015_81335

其の六
20091015_81350

 もう最高っすね。皆さん、どうしましょう。今の仕事を全部捨てて、このアブク銭33億円の9割、29億7千万円で余生を楽しみましょうか(笑)。どうも先方は急いでいるようです。ぜひとも皆さんのアドバイスをよろしくお願いします(笑)。
 ps ワタクシ的には、この内容にして地味に「現金25万円プレゼント」っいうのに吹いた。

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2009.10.13

さかさま地図

20091014_102130 々の常識というのは、どうも胡散臭いものですね。しかし、その常識とやらにずいぶんと縛られて生きている私たちであります。
 今日、来年開校の中学の学校案内の最終校正などしていまして、ふと気づいたことがあります。それは地図です。
 私の学校は富士山の北側の麓にあります。左上のGoogleマップをご覧下さい。Aという印のあるところです。
 この地図はもちろん上が北になってますね。世界標準です。
 よく、南半球に行くと、地図は南が上だなんて言いますよね。実際はそんなことありません。修学旅行などで何回かオーストラリアに行きましたけど、やっぱり世界地図も国内地図も北が上でした。
Upsidedownmapjpg いや、土産物屋に行くと売ってるんですよ、さかさま地図。つまり、ネタなんです。北半球での都市伝説(?)ということになりますかね、南が上の地図なんてのは。
 でも、たしかにこうして見てみると、なんとなく見慣れた風景が新鮮に感じられますよね。違った発見もあったりする。ですから、教室ではけっこうこれを教材に使う先生も多い。小学校時代から散々洗脳されてきて、それでいきなりこういう発想、視点の転換を迫られるので、案外教育的効果は高いのです。
 ちなみに北が上の地図が一般的になってのは、中世ヨーロッパあたりからです。そこにはいろいろな背景があるんですが、それは今回は割愛します。ぜひ調べてみてください。
 歴史的に見ますと、世界中のいろいろな地方で、さかさま地図や、横向き地図というのが作られました。その土地の人たちの生活イメージに即した地図が作られていたんですね。当然です。
 今でも、たとえば駅の南口を出た正面にある観光地図なんか、絶対に南が上になっています。これも当然ですね。逆だったら混乱します。
 カーナビの表示もそうです。常に北を上に表示することもできるんですが、あんまりそうしている人いませんよね。私の知りあいにはいますが、彼には「お前も相当近代教育に洗脳されてるな(笑)」と言ってやってます。いや、実は単純に脳の空間認知にいろんなタイプがあるようなんですけどね。
27_23 南が上の地図ということに関しては、我が山梨県はけっこう面白い傾向があります。なにしろ、富士山がありますから。左の甲斐国の古地図は富士山が上に描かれている、つまり南が上の地図です。こういう絵地図は純粋な空間表現ではないので、微妙と言えば微妙ですけど、これを逆に富士山を下に描くと、人間の感性的にはかなり不自然になります。もちろん、それこそ山梨県民のイメージであって、世界標準では下に描いても全然問題ないのかもしれませんけど。どうなんでしょう。
 で、山梨県の中でも特にここ富士北麓地方は特別ですよ〜。南にドカンと富士山がそびえ立ってますからね。ですから、富士山の斜面に住んでいる当地の人間は、やっぱり富士山が上というイメージで空間認識しているわけですよ。実際、南を「上(かみ・うえ)」と言い、北を「下(しも・した)」と言います。そして、南に行くことを「のぼる」と言います。北に行くのは「くだる」。
Map それで、今日学校の場所を示す地図をデザインしていて、普通に南を上にして描いている自分に気づいたわけですよ。右の地図を見てください。ちゃんと北が下を差していますよね。でも、これが自然なんです。これを逆に描くと地元民には実に分かりにくい。この地図にはありませんが、上に富士山がドカンとあるわけです。これが下だとすごく不自然だし、なんとなく申し訳ないような気がする。富士山の上に人間の街があるなんて変です。
 こういう文化的背景には、標高の高低と平面上の上下という物理的空間イメージの合致もありますし、富士山を祭り上げる心理的なイメージというのもあるわけですね。実に面白い。
 この地図なんかは地元民しか対象にしていませんけど、もしこの地図を見て他の地方の方が本校を訪れるとなると、なんとなく妙な感覚に襲われると思いますよ。
 私、静岡の出身なので、最初この富士北麓に引っ越してきた時は、実は思いっきり混乱しました。静岡で富士山に向かうというのは、基本的に北に進んでいるイメージがあったものですから。それを逆転させるのは大変でした。まるで、北半球から南半球に移住したような感じでしたね。もう、すっかり慣れちゃいましたけど。
 富士北麓地方のほかに、南を上に描く習慣のある土地というのはあるんでしょうか。ぜひ知りたいですね。我が町もそうだという方はお知らせください。
 ちなみに、富士急行線、河口湖から大月に向けて、思いっきり500メートルくらい下るのに、「上り線」ですし、その逆、一生懸命上ってるのに「下り線」です。それもまた面白い矛盾ですよね。

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2009.10.12

プロレス三昧!!いよいよ復興の時は来たか!?

20091013002 しくてあんまり詳しく書けなくて残念です(結局長くなってますが…笑)。
 でも、興味のある人には、私の説明なんか必要ないでしょうし、興味のない人にはどうでもいいことでしょうから、軽めでいいのかな(結局重くなってますが…笑)。
 今日は午前中、頑張ってたまった仕事を終えまして、午後はまさにプロレス三昧でありました。
 いやあ、おそるべしNHK!さすがNHK!参りました。皆さん、お聴きになりましたか?

 NHKFM 今日は一日『プロレス・格闘技テーマ曲』三昧

 お昼の12時15分から、夜の10時45分まで、10時間以上にわたって91曲の「プロレス・格闘技」の入場曲その他をオンエアしてしまったというすさまじい番組。もう熱すぎて、懐かしすぎて、涙なしでは聴けませんでした。
 私も1曲1曲にそれぞれのシーンを甦らせ、そしてこぶしを握りしめて聴いていました。もう、すごすぎて何も言えません。ただ、とにかく、こうして手に汗握りながら聴いている熱い人たちがたくさんいるというだけで、もう感動ですよ。
 プロレスの復興、プロレス的世界の復興、そしてプロレスを認め、プロレスに感動できる人間の復興を目指して人生を歩んでいる(仕事をしている?)私としては、このような素晴らしすぎる企画を、公共放送がやってくれるというだけで、もう感無量なのであります。
 実はですね、まだ全部聴いてないんですよ。というのは、今日は上の写真のような、これまたすごい歴史的なプロレス興行があって、それを午後4時からPPVで観てたものですから、その間はさすがにラジオの方は聴いていなかったのです。
 ラジオというか…実はウチはFMの入りが悪いし録音できるラジオ(昭和的ラジカセ)がないので、パソコン上で例のkeyholeTVで聴いてたんですね。で、それをHDDに録音しておいたのです。それをまだ聴ききってないということです。
 なんか、鍵穴で聴くNHKFMは、音質が実にAM的でありまして、それはそれでなかなか味わいがあり、昭和の香りプンプンでしたよ。それもまたノスタルジーを誘うに充分な演出効果を発揮しておりました。
 今にして思えば、高音質で全部録音しときゃよかったなあ…。
 今回平成風だなと思ったのは、もちろんそうやってパソコンで録音したりする(つまりエアチェックではない)のもそうですけど、2ちゃんの実況スレを見ながら(読みながら)、どこの誰とも知らない人々と思いを共有するという、そういうラジオの聴き方ですね。スレも29まで伸び、すごいことになってました。
 みんな熱いし、そうですねえ、たぶん私くらいの年齢の人が多く聴いていたのではないかと思われますが、とにかくアゲアゲな雰囲気でして、たぶん日本列島の温度が2、3度上がったんじゃないかなあ、そんな気さえする雰囲気でした。
 それにしても、プロレスってなんでここまで人を熱くし、そして、人に語らせるんでしょうね。たぶん、それはその存在自体がすでに「物語」だからなのでしょう。そう考えると、今私が専門にしている「モノ・コト論」や「物語論」の根っこには、やっぱりプロレス的体験があるってことでしょうね。
 いやはや、みんな語る語る。聴いている人だけではありません。とにかく、この番組に出演した人たちがみんな恐ろしく生き生きと語っていました。それは、現役選手であったり、ゲストのタレントさんであったり、そして、そして、今回の番組の文句ナシ断トツのMVP!NHK福岡放送局の伊達正隆アナウンサーですよ!彼は素晴らしかった。その広範な知識だけでなく、なんと言ってもプロレスへの愛が素晴らしかった。そして、ボケもツッコミもお見事!今回の神番組の主役は間違いなく伊達アナでした。
 かかった曲たちも、オリジナル・ヴァージョンあり、特別ヴァージョンあり、生演奏あり、レア音源ありですさまじかった。挿入される選手のコメントも最高。NHKが本気出すとこうなるといういい例でしたね。
20091013021 いやいや、実はPPVで生観戦した新日本プロレスの「蝶野正洋25周年特別興行 ARISTRIST in 両国国技館」も、この神番組に負けず劣らずの神興行でしたよ。私もカミさんも泣いてしまいました(笑)。感無量ですよ、いろんな意味で。それぞれの試合にいろいろな「物語」があり、そこに存分に感情移入できました。プロレスの奥深さ、楽しさ、熱さ、恐さ…いろいろな表現があったと思います。そんな中、私はあえてMVPを大谷晋二郎に与えたいと思います。理屈抜きに、「感動をありがとう!」です。
 なんか、世の中がプロレス的世界を欲している、そして、それに選手たちも応えられるようになってきたような気がします。もしかすると、本当に復興の時が来たのかもしれない。機は熟してきたのか?
 こちら(「子殺し」)で書いたような「受難と復活」が、実はもっと大きなスケールで進んでいるかもしれない、そんなことを感じた今日10月12日でありました。
 ラジオ番組では、プロレスと総合格闘技がごっちゃに(いちおう対等に)扱われていました。それに抵抗を持ったリスナーもいたかもしれませんが、私は逆に良かったと思いました。なにしろ、完全にプロレスが総合を呑み込んでいたからです。歴史も思い入れも、質量ともに圧倒的にプロレスの勝ちでした。
 いやぁ、ホントに熱い一日でした。熱中できるものがあるというのは幸せなことですね。それをまた家族で共有できるというのもありがたいことです。
 ふぅ…よし!明日からオレも頑張るぞ!気合い入りました!

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2009.10.11

祝!秋の関東高校野球県大会優勝!(3年ぶり3回目)

Img_0023 に続き、連続県優勝!そして関東大会へ。
 本日、決勝戦が行われ、見事6対1で勝ちました!
 春の関東大会では、横浜高校に延長サヨナラ勝ち、さらに常総学院には驚異の追い上げの末、延長惜敗。ベスト4に入りました。
 しかし、期待された夏の甲子園予選では、まさかの1回戦負け…勝負の厳しさを味わいました。そんな厳しさ、怖さ、悔しさを体験したバッテリーがそのまま残っているのも良かったのでしょう、新チームも見事に県ナンバーワンになりました。
 新しいチームも、それほど大型の選手はおらず、比較的地味な印象なのですが、ピンチでも大崩れしないピッチャーを中心とした堅い守りは、常に安心して見ていられます。打撃もここぞという時の集中力があり、また下位打線からでも得点できるバランスの良さもありますね。
 強豪ひしめく関東大会で、再び富士学旋風を起こすことができるか!?非常に楽しみです。今回の関東大会は、もちろん春のセンバツにつながります。生徒たちの活躍に期待したいと思います。
 私学でありながら、県内、特に富士五湖地区出身者中心に固めている我が校の野球部。人間教育、人づくりを主眼としてきた指導方針も含めて、ようやく県内でも認められ、応援してくれる方々が増えてきました。ありがたいことです。ある意味苦難の道のりをずっと見てきた私としても、非常にうれしく思います。なんといっても、選手、すなわち生徒たちの日頃のひたむきな姿を見ている者としては、なんとか夢を叶えてあげたいという気持ちになりますね。健闘を祈りましょう。
 さて、今回の決勝戦、例年行われていたテレビ中継がなくなりました。各種報道でご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、実はこういうことがあったのです。県高野連の、この要請についてはまあ賛否両論あるでしょう。この記事のような言い方もできるでしょうし、少しでも選手たちのためになることはしていこうという姿勢は当然という見方もできます。
 しかし、今回の騒動(?)は、山梨県民が考えていた以上に全国的な話題になってしまった、それも某タレントをはじめとして批判的な意見を垂れ流しすぎた、それにまた国民がすぐに感化されてしまったというのが実態でしょう。
 来年以降は再び検討するということで、おそらくは中継復活ということになる…かな?
 さて、今回の決勝戦ですけど、応援席はちょっと寂しかった。しかし、それはしかたありません。今、本校では中間テストの真最中。さすがに生徒たちを連れて来るわけにはいきませんでした。さらに、ある意味本校の応援の目玉であるジャズバンド部も、横濱ジャズプロムナードの街角ライヴに出演するため、球場には駆けつけられませんでした。そんなわけで、決勝戦にもかかわらずやや静かな応援となってしまったのでした。
 ウチは準決勝に続き、家族全員で応援にでかけました。いちおう野球少年だった私が、こうしていまだに球場で野球に燃えられるというのは、まさにこの仕事のおかげ、生徒たちのおかげであります。なんか、ふつふつと「野球やりたい熱」が湧いてくるんだよなあ。草野球チームでも作ろうかなあ(笑)。
 とにかく選手諸君、優勝おめでとう!関東大会でも活躍を期待してるぞ!そして、その前に中間テストも頑張ってくれ。ま、君たちだったら大丈夫でしょう。
 そして、引退した3年生はこれから大学受験。本当によく頑張って勉強しています。頑張れ!
 これからも野球部諸君が文武両道で学校を引っ張って行ってくれると信じています。

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2009.10.10

まつりごと

2009101000000001jijpintview000_2 バマ大統領がノーベル平和賞を受賞しましたね。賛否両論あるでしょう。イグノーベル平和賞なら分かるけど。まぁ、本家はダイナマイト賞だからいいのか(笑)。
 さてさて、政治とは「まつりごと」、すなわち宗教的な一面を否定できないものです。オバマさんはいちおうキリスト教徒(プロテスタント)だそうですが、それはあくまでタテマエであって(ちなみに英語にはタテマエに当たる語はないとか)、事実上はムスリム=イスラム教徒です。
 というのは、彼のお父さんがムスリムだからです。イスラム教では父親がムスリムであったなら、その子どもは必ずムスリムであると考えられています。その掟から逃れるためには死ぬしかありません。いや、死んでも逃れられません。ですから、今生きているオバマ大統領は、イスラム教側から見れば完全なるムスリムになります。
 しかし、彼はアメリカでの政治活動のためなのか、プロテスタントを名乗っています。これは、イスラム教徒からすれば、大変な裏切り行為となりますね。
 オバマさんの本名ご存知ですか?
 「Barack Hussein Obama, Jr. 」 です。
 すなわち、お父さんと同じ名前なんですね。バラクというのは、よく語源が分からないのですが、どうも「ムバラク」の「バラク」と関係がありそうです。ご本人はケニアの言葉で「祝福された」という意味だと説明しているとか、いないとか。
 フセインに関しては言うまでもないでしょう。イスラム圏では、とってもメジャーな名前です。太郎とかそんな感じです(いや、案外太郎さんや花子さんはいませんよね)。
 ま、とにかく名前一つとっても、彼がイスラム系であることは疑いえません。
 もちろん、お母さんは白人で新教徒だったらしいので、ご本人としてはどちらとも言えないというか、どちらとも言えるというか、うまいこと政治に使えるとお考えになったのでしょう。実際ある意味でそういう出自が功を奏したと言えますね。今回の受賞も。
 しかし、互いの原理主義者からすれば、当然攻撃の対象となってしまいます。平和どころか、戦いのネタになりかねません。
 ちなみに、オバマはもちろん小浜もしくは小汀です(笑)。日本人の血も流れてるんですね!
2009101000000009maippolview000 一方、日本の首相、鳩山さんはこのたび日中韓首脳会談を行い、「東アジア共同体」構想を打ち出しました。予想通りというか、ちょっといやな予感がするのですが、まあこれも昔の「大東亜共栄圏」みたいなもので、かなりの無理がある話です。
 そこにはやはり、宗教的な問題があります。
 鳩山さんはどちらかというと日本古来の神道系の家系です。今でもある神道系新興宗教団体と近い関係にあります。その団体は王仁三郎の系統でもあるので、いわば万教同根を唱えているとも言えます。そんなある意味日本流能天気な感覚で、現在の国際関係をなんとかしようというのは、かなり無理があります。
 私も万教同根を信じ、王仁三郎のように、この世から「宗教」という言葉をなくすことを理想としていますが、いくらなんでもこの現代社会の国際政治においてそれを実現しようとするのは、あまりに現実離れしていると感じます。ものごとには手順がありますから。
 アジア…と言いますか、このたびの中国と韓国だけを見ましても、その宗教はかなり混沌とした状況です。だいいち日本自体がこんなんですからね。
 ですから、「共同体」を形成するとしたら、「カネ」という悪神を祀る「経済教」で一致団結するか、あるいは「反○○」のような妥協的野合しかないですよね。まあ、「反米」ということになるのかもしれませんけど。「米」の産地が「反米」ってのも皮肉なもんですな(笑)。
 結局、アメリカの大統領はキリスト教とイスラム教を抱えこみつつノーベル平和賞を獲り、日本の首相はキリスト教とイスラム教を排除した共同体を指向しているわけで、なんかこれからの世界の新しい図式が見えてくるような気がしますね。
 ま、結局世界はアブラハムと非アブラハムに再び分かれるのでしょうか。それもまた、一つの筋道のような気もしますけどね。「まつりごと」は実に難しいですね。

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2009.10.09

(私の)ファンクラブ結成!?

20091010_55503 事が佳境に入ってまいりました。たぶん自分の人生の中でも一つのピークなのではないかと実感しています。
 いやいや、まだまだこんなもんじゃないかも!?…と思わせることがありました(笑)。
 皆さんのところにも、きっとたくさんの迷惑メールというヤツが来ますよね。ウチにもだいたい1日50件くらい来ます。で、もちろん面倒なので、自分なりにいろいろ工夫してですね、いろんな条件でフィルターかけて、まあほとんど100%仕分けています。
 一番腹立つのが、私のメールアドレスを騙って送ってくるやつですね。自分で自分にメールを出すことも多いので、アドレスではフィルタリングできないし。ま、なんとかうまいこと撃退できましたけど。
 しかし、このように迷惑メール自体は100%仕分けられても、全然迷惑でない一般のメールも何らかの条件に引っかかってしまい、迷惑メールボックスに入ってしまうことが時々あるんですね。それが大切なメールだったりすると困りますし、先方にも失礼になりますから、結局、毎日迷惑メールボックスを鑑賞することになります。ま、だいたい朝と夜でしょうか。
 件名と差出人だけチェックしていけばいいわけで、もちろん本文なんか読みません。いや、ヒマな時には時々読みますよ。だって面白いんだもん。あの手、この手で誘惑してくる。でも、だいたいああいうエロ系の迷惑メールって、いかにも「男(オヤジ)が書きました」っていう文章じゃないですか。ある種の文学性というか個性がある。いわば、紀貫之の土佐日記の世界ですよ。あれもよく読むと結構スパムしてますよね(笑)。最初から「ワタシ女だけどぉ」って言っちゃってるとこからして痛いっす。
 と、そんな感じで、無料でどんどん送られてくる「文学」たち。それなりに楽しめるものでもあるのですが、いやあ、今日来たこれは名作でしたねえ。今までにない傑作でした。なんというか「センス」が感じられます。ちょっと上の画像をclickしてみてくださいよ。
 まず、実名が入っているのがオツですね。えっ?実名さらしていいのかって?私は全然OKです。てか、もうとっくにさらしてますから。ここは基本匿名ではないので。
 で、この私の実名がどこから流出したか。ウワサでは楽天関係ではないかと言われています。苗字と名前の間の全角スペースが、いかにも名簿からコピペしました的な風情を出していてよろしい。
 そして、なんと言ってもですね、この内容の素晴らしさ!!もう、笑っちゃって笑っちゃって…今朝学校でメール・チェックしてて見つけたんですけど、すぐにカミさんに転送しちゃいましたよ。そしたら、爆笑して死にそうになってたらしい。そりゃ、そうでしょ(笑)。
 おいおい、圏外から1位だって!?サイン会、握手会、カラオケ大会だって?ww柴岡、おまえがマネージャーかよ!wwファンクラブに興味ございませんか?って、興味あるに決まってるじゃねえか!!
 ううむ、素晴らしすぎる。このギャグ・センス。単なるスパム、単なる迷惑で済ませたくないですね。これで、クリックしちゃうオジサンいるんでしょうか。
 いやいや待てよ。これはかなり高度な作戦なのかもしれない。実際、普通のエロスパムには何の興味も持たなくなってしまった私なんかには、こういう新手な文学というのは案外効果的かもしれない。実際、カミさんなんか面白がりすぎて、何があってもいいから、次をクリックしてくれ!と私に懇願していました。そこまで計算しているだとしたら、なかなかやるな紀貫之…。
 ま、冗談はさておき、こういうのに釣られてクリックしてしまうと、有料の面倒なサイトにも同時に登録とかいうことになってしまいますので、皆さんもお気をつけ下さいませ。
 昔はこういうある種夢のある詐欺行為はですね、ヤクザさんたちの専売特許だったんですけどね、今や一般人が手軽にこういう領域に足を踏み入れてしまうようになってしまいました。昔だったらヤクザさんに怒られて命なかったっすよ。
 いつかも書きましたね。振り込め詐欺も一種の富の再分配ではありますが、しかし、もっと奪うべき富は違うところにあるような気がしてならないんですけどね。我々庶民にはそれほど富は余っていません。
 というわけで、今日はいい夢見せていただきました(笑)。ありがとう、柴岡。ありがとう、貫之。
 最後に現実に帰りまして、椎名林檎さんの「ありあまる富」をお聴き(お読み)ください。いい曲です。

Amazon ありあまる富

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2009.10.08

台風一過 初冠雪の富士

↓click!
Img_0016_2 風で被害に遭われた皆さまに心からお見舞い申し上げます。
 当地富士北麓では、未明に多少強い雨と風がありましたが、朝にはなぜか青空がのぞいておりました。娘たちも、そして私も学校が休みと決まっていましたので、なんとなく得したような、しかし後ろめたいような…笑。
 私は中間テストなど作る仕事がしっかり残っていましたので、午前中は出勤しました。子どもたちは、絶対に外出しないようにと、小学校から強く言われているようでして、台風一過の抜けるような青空をうらめしそうに見ていたようです。仕事とは言え、「いってきます」と言って出て行く私を、うらめしく思ったに違いありません。
 さて、私は午後2時頃まで仕事をしまして、さあ平日の午後にフリーになるのは珍しいことですから、普段あまり行けない「富士吉田市歴史民俗博物館」に行ってまいりました。休日ですとそれなりに人がいて落ち着いて観覧できませんので、こういう日がチャンスです。平日であることに加えて、台風で大荒れになるはずの日ですから。
 実は今、当民博では、私の奉職する学校の母体となっている寺院の歴史的美術品などを展示する「月江寺展」をやっています。それを今日は完全に独占状態(お客さん一人)で堪能してきました。いや、本当に素晴らしかった。そして、いろいろと謎が深まった。それについては、また後日報告する予定です。
 さて、民博をあとにした私は、帰宅せんとしたわけですが、途中車窓から見える富士があまりに荘厳だったので、ウチから少し西に走った「道の駅なるさわ」に向かいました。写真を撮るためです。
 私の予想通り、道の駅を裏側にある駐車場には、多くのカメラマンが望遠レンズの大砲で富士山を狙っていました。そう、昨日初冠雪が確認されたということもありますし、こういう台風一過の時というのは、いつもは見られない雲が発生しますし、だいいち空気が澄んでいて、山肌の鮮明な、ある意味露骨な富士山を撮ることができるんですね。特に夕刻には年に何回かしか見られないような、幻想的な赤富士になる可能性があります。それを狙ってやってくる皆さん。いったい仕事は何してるのかな。みんながみんなプロのカメラマンとはとても思えない。
 私もそんなカメラマンの方々の間に混じって…と思いましたが、考えてみれば私はデジカメすら持っていない。結局最近手に入れたiPhoneで撮るしかないわけで、とてもとても、そんな本格的な皆さんの中に入っていけません。
 そこで、ほんの少し離れたところに車を停め、まあテキトーにシャッターでも切ろうかと思いまして車を降りましたら、ちょうど目の前に大きな水溜まりがあって、そこに見事な逆さ富士が映っていたのです。これはラッキーとばかりに何回かシャッターを切りました。iPhoneのカメラ、なんだかシャッターのおりるタイミングがよく分かりません。おかげで、地面を撮ってしまったり、自分を撮ってしまったり(笑)。
 さあ、そんな感じで、まさにとてもプロの(?)カメラマンさんたちには見せられない状況の中で撮った、一番まともな写真が上の写真です。ちょっと変なものが写り込んでいたのでトリミングしました。
 画質は気にしないとして、どうですか。なんとも荘厳な富士のお姿ですね。首に激しく流れる雲を巻き、しかし、相変わらず何ものにも動じず堂々とましますお姿。これは台風一過ならではの強い富士山です。民博での展示の中心であった「信仰の山」という側面が、最もよく分かる瞬間かもしれません。
 写真をclickして拡大してみると分かるかと思いますが、頂上中央に見える白山岳に、かすかに白い雪が被っています。初冠雪と言われた、その雪です。初冠雪というのは麓で観測されたという意味ですから、本当の初雪とは違います。あくまで麓の人間(気象庁の測候所の係)が判断するものです。
 これから、この「白」が徐々に勢力を拡げ、そして、あの凛とした白富士になるわけですね。季節は確実に冬に向かっています。
 あと、やはり山肌ですね。非常にクリアに見えます(写真はやや不鮮明ですが)。そう、頂上が冬ならば、5合目付近は秋。今紅葉が見頃です。そして、麓にはまだ夏の緑も残っています。都合三つの季節をまとっているわけですね、今の富士は。それがお分かりになるでしょうか。
 紅葉が徐々に山を下りてきます。ウチのあたり(標高1200メートル付近)に来るのは3週間後くらいでしょうか。いよいよ寒い季節、そしていろいろな意味で勝負の季節がやってきます。

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2009.10.07

Don Menza & SWR Big Band  『Voyage』

20091008_85213 日もとっても忙しいので、音楽の紹介で失礼します。
 今年の冬にも紹介した「SWRビッグバンド」こと「南西ドイツ放送協会ビッグバンド」。あの時は秋吉敏子さんのアレンジによる実に濃厚で理知的な演奏を聴かせてくれましたが、こちらは対照的に軽妙にして哀愁漂う音楽を展開してくれています。
 それもそのはず、今回のソリスト兼アレンジャーは、あのドン・メンザなんです。様々なビッグバンドで名をとどろかせ、ビッグバンドと切っても切り離せないテナー・サックス奏者であるドン・メンザ。彼は本当にビッグバンドが好きなんでしょうねえ。コンボで吹くよりビッグバンドで吹きたいという奏者っていますよね。その気持ちよく分かります。
 ここ数年、我が校富士学苑高校のジャズバンド部「ムーン・インレット・サウンズ・オーケストラ」のおかげで、すっかりビッグバンドファンになってしまった私です。今、引退した3年生の音大進学へ向けて、いろんな指導をしているところですが、ビッグバンドの中で成長した彼ら彼女らを見ていますと、やっぱり音楽っていいなあ、アンサンブルっていいなあって思いますね。素晴らしい教育ですよ。
 私のやっているバロックの世界でも、少人数のアンサンブルの良さと、オーケストラの良さとがありますね。それは全然違うものです。やはり両方体験して分かるそれぞれの良さというのがありますし、学ぶ何かというのもまた違うのです。
 おそらくそれは実社会における人間関係と同じなんでしょうね。
 さて、ドン・メンザに話を戻しましょう。彼の渋すぎるとも言えるテナー・サックスに象徴されるように、彼のビッグバンド・アレンジは、決して派手さはありませんが、なんともいえない芳香が漂っています。特にオリジナルのバラード・ナンバーでの独特の響きは面白いですね。
 SWRも秋吉さんの時とは全然違う音色で演奏しています。リーダーでこれほど音が変るんですね。それがまた音楽の面白さであります。おそらく秋吉さんの時は、けっこう緊張気味、いわば勉強してますという感じがするんですよ。それがまたあの音楽に合っていました。こちらは本当にリラックスして楽しんでいる音です。柔らかい。先生によってガラッと変わる教室の雰囲気ってとこでしょうか(笑)。
 ドン・メンザはアメリカではセミ・リタイアなんだそうです。1936年の生まれですから、もう御年73ですか。もともと若手を育てるのが上手な彼ですから、今はこうして世界の若いミュージシャンと一緒にプレイしながら、自分の学んできた音楽を伝える仕事をしているんでしょうね。かっこいいおじいさんです。
 私、生まれ変わったら、次はジャズをやりたいんですよ。で、ビッグバンドのアレンジとかしてみたいなあ。楽しいだろうなあ。これが来世の夢です。ですから、今生のうちにいろんな音楽を聴いておこうと思っています。
 あっそうそう、いろんな音楽ということで言えば…ここで案外知られていない衝撃的な事実をここで発表します!!
 まず、あの有名な「ピンクパンサーのテーマ」のサックスはドン・メンザが吹いています。たぶん、本当の話です。これです。ヘンリー・マンシーニの名曲。誰でも一度は聴いたことあるでしょう。この冒頭のサックス。 
 もう一つ。私も大好きな日本大好きヘヴィメタ・ロッカーであるマーティー・フリードマンさんが所属していた、伝説のヘヴィメタバンド「メガデス」。あそこにフリードマンさんと同時期に加入したドラマーのニック・メンザは、ななななんと、ドン・メンザの実の息子さんです。
 かたやジャズの王道、かたやスラッシュメタル四天王ですからね。まったく素晴らしいことです。ある意味先生の子が不良になっちゃったみたいなものですが、どうだったんでしょう、自由に音楽をやらせた結果なのか、それとも…。
 まあ、親子ともども、それぞれの世界を(やや地味に)極めたわけでして、やっぱり音楽の才能は遺伝するという証拠なのかもしれませんね。

MNLで聴く(冒頭のギターだけでもカッコいいですよね!)

Amazon Voyage

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2009.10.06

Shenandoah (シェナンドー)

 っと、インディアンは「もったいない」が分かっただろうなあ…。この古いアメリカ民謡を聴くとそういう気がします。
 今日はこの名曲の「神演奏」を三つおススメします。とっても忙しく時間がないので、私もこれらを聴いて癒されたいと思います。
 名曲はどう料理されても名曲ですね。歌詞もどんどん変化して、この3曲でも、みんな違う歌詞になっていますが、そんなことどうでもいいのかもしれません。
 まず、最初にキース・ジャレットの超名演から。難病から復帰した時に録音された神アルバム「メロディ・アット・ナイト、ウィズ・ユー」からです。安易に「癒し」という言葉は使いたくない私ですが、この曲とこの演奏には、たしかに深い淵から私たちを救い出す力があると思います。

 続きましてブルース・スプリングスティーンの歌です。2006年に発売された、ピート・スィーガーをカバーしたちょっと異色なアルバム「We Shall Overcome: Seeger Sessions」に収録されているヴァージョンです。彼もまた原点回帰したんでしょうね。いい味出してます。

 最後にこれまた神歌です。なぜかDVD化されない伝説の映像として有名な「矢野顕子S席コンサート」から。今年の夏、初めて生矢野顕子様の歌を拝聴しましたが、この人の音楽性というのは、本当にあちらの領域に行ってますね。どんなジャンル、どんな曲を歌っても「矢野顕子」になる。まさにブルース・スプリングスティーンと同レベルのミュージシャンでありましょう。

 私もいつか演奏してみたいと思います。バンドでやってみるかな。それともヴァイオリン(フィドル)で弾こうかな。

Amazon The Melody at Night, With You We Shall Overcome: Seeger Sessions 矢野顕子S席コンサート

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2009.10.05

「もったいない」とは…

Pic1_1_2007020227093238 ったいない…いまや、「MOTTAINAI」となって世界に飛び立っておりますね。ケニアの環境副大臣でノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイさんが世界に紹介してくれたおかげです。きっと「もったいない」自身は「なんとももったいないことでございます」と思っていることでしょう。ケニアと日本、どう考えてもケニアの方が環境に優しいと思うんですけどね。
 今日はこの言葉について少しお話します。そして、最後に種田山頭火の素晴らしい文章を読んでいただきましょう。
 さあ、この「もったいない」ですが、漢字で書くと「勿体無い」ですね。いつごろから使われ始めた言葉なのかといいますと、文献に残っているのは13世紀くらいのものが一番古いようですから、まあだいたいそのへんからなんでしょう。
 しかし、不思議なのは、「勿体無し」はその頃から使われているのに、本体の「勿体」はもっと後にならないと文献に表れないんですよ。
 そうです。これって例の「なし」ですよ。私ずっと前にこちらのエッセイに書きましたね。「切ない」とか「せわしない」とか「はしたない」とかの「〜ない」ですよ。否定的というか、マイナスな感情を表す接尾語です。「ある」「ない」の「ない」ではありません。
 そうすると、「もったいない」の本体はやはり「もったい」だということになりますね。たぶん、ある種のマイナス感情を表現するのに、ほとんどいきなり「もったいなし」が使われるようになったんでしょうね。そして、次第に接尾語の「なし」が「無し」と捉えられるようになって、そして「もったい」が再独立したと。これはほかの語でも見られる現象です。
 では、その「もったい」とはなんなんでしょう。これは諸説あるようですが、私の感覚ですと、「物体」の変化というのが一番しっくり来ます。「物」の偏が脱落して「勿」だけが残ったということです。「勿体」という漢語はないので、なんとなく「もったいなし」のマイナスイメージから「勿(なし)」の字に転じたのではないかと思うのです。
 そうしますと、「もったいなし」とは、本来「物体だ!」という意味になりますね。これって何なんでしょうか。
 私の「モノ・コト論」を御存知の方はお気づきでしょう。そうです。「物体」とはまさに「モノ」ですね。「モノ」とは自分(人間)から見て外部にある存在を表します。そこから、「不随意・不如意・不可知」といったようなイメージが喚起されていきます。そして、さらに「物の怪」や「神」「仏」「運命」などを表すようになっていくのです。
 つまり、「もったいなし」とは、本来「自分の思い通りにならないことを嘆ずる」という意味があったのではないかと推測するのです。また、そこには人知を超えた「何か」が関与しているようにも感じます。
 古語においての「もったいなし」の第一義は「あるべきさまをはずれていて不都合である。不届きである。もってのほかである」です。そして次に「おそれ多い。身に過ぎてかたじけない」。さらに進んで今最も普通に使われる「使えるものが捨てられたり、働けるものがその能力を発揮しないでいたりして、惜しい感じである」となります。
 これらいずれも、考えようによっては、自分の意思から離れた感じがしませんか?
 そうしますと、第一義はマイナスの「想定外」すなわち「残念だ」、第二義はプラスの「想定外」すなわち「ありがたい」という説明もできます。では、最後の「もったいない=MOTTAINAI」はどう説明すべきか…。
 よく「MOTTAINAI」は英語に訳せないとか言うじゃないですか。ある意味それは当たり前ですよ。なぜなら、そこに純日本的な「神仏」が関与するからです。いわゆる物、物体全てに神が宿ると考える日本的な一種の宗教観がそこに色濃く表れているんです。
 私たちが、「ああ、もったいない!」と叫び嘆ずる時、その対象は常に価値あるものです。我々人間の生活に有用なもの、あるいは、自らの価値観に照らして価値の高いものに対しての言葉です。たとえば食べ物とかですね。
 しかし、それって、単なる西洋的なプラグマティズムではなくて、もっと宗教的な感情が働いていると思うんですよ。おそれ多いというような。
 我々が「もったいない!」と言う時、単に経済的損失が生じたとか思うのではなく、何か自分よりもより高い次元にある「モノ」を失ったという感情を抱くのではないかということです。
 逆に、そういう「モノ」を誰かから与えられたりすると、「ありがたや、ありがたや」という意味で「もったない、もったいない」と言いますね。
 だから、マータイさんがいくら国連で「MOTTAINAI」を紹介しても、外国の方々には、本来的な意味ではなかなか理解されないのではないでしょうか。単なる「3R」運動の標語、あるいは単なる「ケチ」という意味にしかならないかもしれない。
 というわけで、今日は最後に、「もったいない」の本来の意味を教えてくれる素晴らしい文章を読んでいただきましょう。とっても短いものですので、ぜひ。
 偉大な乞食僧にして俳人、種田山頭火がさりげなく語ります。

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2009.10.04

『SHIELD』(iPhone用ストラップ穴付きジャケット)

Uni_3201 iPhoneにしました。2年ほど使っていたSamsungの709SCにいろんな不具合が出始め、また、なんだか春からmixiに非対応となり、なにかと不便だったので、思いきってiPhoneにしたというわけです。
 ただし、相変わらずここ富士山の中腹では、自宅が「圏外」です(笑)。昨年、iPhone日本発売日にホームアンテナを導入したのですが、ここ半年ほど、非常に電波の状況が悪くなりまして(なんでだ?)、もうほとんど24時間無休で休業(?)です。
 だから、私のiPhoneは自宅では携帯電話としては機能しません(笑)。でも、逆に言えば、それ以外の機能がたくさんあるから、まあ許せると言えば許せるんですよね。今まではほとんど単なる電話でしたから、ホントに意味がなかったんで。
 さて、iPhone、さすがにこれは売れるだろうという、魅力に溢れた製品ですね。もうそれについては、ここでおススメしてもしかたないので、今日は周辺商品のご紹介をしましょう。
 iPhoneの一つの弱点は、非常に精密な電子機器であり、かつ高級感のある素材&デザインでありながら、落下の危険性を常にはらんでいるということです。けっこう買ってすぐに落として、気持ちまで落としてしまう人が多いとか。なんとなく持ちにくいというか、それまで経験したことのない動作を両手でしなくてはならないので、こういうことが起きるんでしょうね。
 で、そんな時のためにケース(ジャケット)に入れたくなりますよね。今やiPhone&iPod周辺商品は、もうそれだけで一つの市場を作ってしまうほどの花盛りですけど、私が選んだ、今日紹介するケースは、無数にあるケースの中でもなかなかの優れものですよ。
 私は絶対落としたくない派でありながら絶対落としちゃう派なので、ABITAXのクリップ付きのストラップを使っています。また、世間ではあんまりカッコいいとされない、あのビヨーンと伸びるバネ状のものまで付けています。つまり、いっときたりとも、自分の体から離れないようにしてるんですね。かなり必死です(笑)。
 しかし、ご存知のように、iPhoneには直接ストラップを取り付けることができませんよね。裏技はいくつかあれど、けっこう面倒なんです。で、ケースにストラップが付けられれば一番いいと思ったのですが、案外そういうものもないんですね。
 で、ようやく見つけたのが(検索すればすぐ出てきますけど)今日紹介する『SHIELD』というジャケットです。これはかなり私の理想に近い製品ですね。ポリカーボネートの質感、カラーバリエーション、デザイン、装着感、そしてストラップ穴。ほぼ完璧でしょう。実際なんの問題もなく、非常に快適に使わせていただいています。
 ただでさえ重いiPhoneが、さらにいろんなものを装着されて、かなりかさばるようになってますけど、まあギリギリ胸ポケットに入れてもなんとか耐え得る状況ですので良しとしましょう。
 こんな重装備で何重ものセーフティーネットを張っていますが、きっといつか落とすんでしょうね。一度落とすとあきらめがつくんですけどね。わざと落としちゃおうかな(笑)。


ストラップ穴あり!米国大手GEのこだわり素材!【SHIELD】Apple iPhone 3G/3G S Airエアージャケット

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2009.10.03

丹下健三+メンデルスゾーン=聖なる俗 その2

20091004_84040 あ、メンデルスゾーンの「聖パウロ」です。もともとこのコンサートは、私にとっていろいろな「意味」を期待させるものでした。
 まずなんと言っても、丹下健三作品の中で奏させる音楽の響きにも興味がありました。単なる建築、単なる宗教施設を超えて、果たしてあの聖堂は楽器となりうるのか。丹下健三の作った楽器はどんな響きがするのか。
 そして、メンデルスゾーン。先日、ゆっくりメンデルスゾーン編曲のバッハのマタイ受難曲を聴きまして、非常に感動したんですね。ぜんぜん邪道でも外道(?)でもない。ある意味ばっちり本流だと思いましたよ。聖なるものへの俗からの挑戦、と言ってはメンデルスゾーンに失礼でしょうか。そのへんに関してはのちほどまた書きましょう。
 そして、「パウロ」。今までさんざん「パウロが悪い」なんて、それこそ失礼なことを言い続けてきた、しかし、彼のことをほとんど知らない私が、このメンデルゾーンの作品を通して、どんなパウロ像に出会うことができるのか。それもかなり楽しみでありました。
 だからでしょうか、今回は聖堂についても、メンデルスゾーンについても、パウロについても、ほとんど予習しないで、まっさらな気持ちで出会うように心掛けました。
 結果としてそれが良かったのかもしれません。もう言葉で表現できないほどの感動を体験することができました。こういう体験は45年生きてきて、本当に初めてだったかもしれません。
 「芸術は宗教の母である」…そう言ったのは、出口王仁三郎です。昨日その意味が初めて分かったかもしれません。「宗教は芸術の母」と言うのは簡単ですし、普通はそのように捉えられているのではないでしょうか。しかし、たしかに芸術が宗教の母でした。この言葉は王仁三郎流の逆説かなと思っていたら、そうではなく、実に本質をつらまえたものでした。
 淡野太郎さん指揮によるメンデルスゾーン生誕200年を記念するコンサート。以下のような内容でした。紹介しておきます。

 ムシカ・ポエティカ特別公演2009
[曲目] F.メンデルスゾーン オラトリオ <パウロ> 作品36 全曲
[会場] 東京カテドラル聖マリア大聖堂
[出演] バリトン(パウロ) 浦野智行
ソプラノ(語り手) 淡野弓子
ソプラノ(アリア他) 今村ゆかり/柴田圭子
テノール(語り手) 及川豊
テノール(ステファノ、バルナバ他) 真木喜規
アルト(語り手) 依田卓
アルト(アリオーソ) 影山照子

器楽:シンフォニア・ムシカ・ポエティカ (コンサートマスター 瀬戸瑶子)
合唱:メンデルスゾーン・コーア & ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京
指揮 淡野太郎

 もう序曲の最初の1音から驚きの連続でした。まずは、あの超音響。残響7秒というあの空間に交錯する直接音、間接音。響きの中にも、しっかり芯の見えるオケの音、人間の声、そして、背後からレーザー光線のように突き刺さるパイプオルガンの音。そして、それらを全て受け止めて、まだ余裕を見せる丹下健三のコンクリート。
 残響とはすなわち不協和音であるわけですが、なぜ、あれほどに崇高に無垢なのでしょう。これはたとえば自然界のコスモスなカオスと似ているかもしれません。矛盾しているようで矛盾していないのです。
 そう、そんなところにも、実は「俗」と「聖」、あるいは「人」と「神」の共同作業があるような気がしたのです。
 こういうことです。演奏会後の打ち上げで淡野弓子さんが教えてくれましたが、メンデルスゾーンはSDG(ただ神にのみ栄光あれ)の世界に、人間を持ち込んだのです。バッハらがきわめんとしたSDGは、たしかに神の世界の表現、神の世界への奉仕だったのかもしれません。しかし、そこにある意味「俗」たる人間の「心」、「魂」を大胆に導入したのです。
 私は弓子さんに聞きました。それは危険なことじゃないのか。すると弓子さんは、「それを一個人じゃなくて、普遍的な人間のレベルで描いたからメンデルスゾーンはすごい」とおっしゃいました。なるほど。そのレベルでなしとげたのか。だから、あれほど私の心を揺さぶったのか。
 今回は、私の坊主頭を見つけて隣に座ってくれたのが、建築家の大野幸さんでした。彼もまた一緒に打ち上げに参加したのですが、大野さんの建築に関する、特に丹下作品に関する専門家としての解説は、非常に興味深く、やはりどこかでそうした「俗」と「聖」の関係、「人」と「神」の関係を感じさせる内容でした。全てがつながる。これって快感ですよね。もうその頃には私の体調は完全に治っていました。
 そして、パウロですね。私は彼がイエスを神格化し物語を捏造した人物だと、勝手に思っていましたから、もちろんそんな次元でのことでないということが、今回のあのメンデルスゾーンに包まれてよく分かったわけですけれど、これもまた同様ですよね。もう言わずもがな、です。
 なるほど、「聖なる俗」というものがあるのだ。それを実現する人々が「芸術家」なのか。彼らは単なる技術者でもなく、科学者でもなく、信徒でもなく、ある意味「神」と同レベルでありうる存在なのです。
 ですから、「宗教が芸術を生む」のではなく、「芸術が宗教を生む」と言えるのですね。私は、昨日、もう本当に、キリスト教とかそういうことではなく、単純に、いや純粋に「宗教心」を抱きました。何人もの芸術家の仕事のおかげです。45年目にして初めてわかった。
 打ち上げで、またまた私の前に座ったオルガニスト武久源造さんは、「今日のメンデルスゾーンは美しすぎる!もっと悪魔性がなきゃ!」とおっしゃってました(笑)。それもまた彼らしい。さすがホンモノの芸術家です。
 というわけで、すっかり元気になった私でしたが、当然富士吉田行きの終電に間に合わず、なんとか夜中に大月までたどりつき、カミさんに迎えに来てもらったのでした。
 俗から聖へ。カタルシス。しかし、実はそこに「聖なる俗」がしっかりあって、それで初めて人間に語りかける「芸術」や「宗教」が生まれるのでした。すごい一日でした。皆さんありがとう!神よ人よ!

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2009.10.02

丹下健三+メンデルスゾーン=聖なる俗 その1

(ちょっと長くなるので2回に分けて書きますね)
Tocyo001 ごい一日でした。ものすごい振幅。俗から聖へ。ものすごいカタルシスを味わいました。しかし、そこに存する聖なる俗の力にも感動。
 今日はとにかく朝から異常に体調が悪く、めまいはするし、吐き気はするし、もうこれは絶対に霊的な何かです。病気ではありません。ここ数日ずっとそういう感じだったので、これは何かあるな(別に悪いことではありません)、と思っていたら、こういうオチだったとは…。
 いろいろ忙しいさ中に、東京への出張が入ってしまいました。それもひょんなきっかけからでした。そして、それがこのオチを生むことになったわけで、やっぱり何か運命的なものがあったのでしょう。
 実は今日10月2日の夜、メンデルスゾーンの演奏に誘われていたんです。東京カテドラルでの「パウロ」。これほど魅力的な機会はありません。しかし、仕事がてんやわんやしている上に平日ということで、涙をのんでお断りしました。
 ところが、どういうわけか、ちょうどその日の夕方に新宿に出張になったじゃないですか(ちなみに「新宿に出張」という言葉、東京のビジネスマンには新鮮だそうな…笑)。というわけで、今回は演奏者としてではなく、聴衆としてカテドラルに行けることになったのです。
 さあ、異常なめまいと悪寒に襲われながら、富士吉田駅のバスステーションから高速バスに乗りました。平日昼間の高速バスで東京に行くというのはなかなかない経験です。乗客はほんの数名。
 なにしろ気分が悪いので、とにかく小一時間寝ていこうと思いましたが、その計画は全く予想外の展開に見事に打ち破られました。
 私の後の後の席に若い男女4人組が座ったのですが、彼らの会話があまりに聞き捨てならない内容だったのです。寝ようにも眠れません。
 というのはですね、ちょっと書くのも憚られるのですが、実はその4人さん、AVのお仕事をしているらしく、というか、富士吉田で撮影(?)があったようで、そのリアルな話をいろいろするんですよ〜。昨日のあれはこうだったとか、あれはこうでああやった方がいいのではとか、ビール飲みながら話してるんですよ。眠れるわけないじゃないですか!
 いやあ、まいった。ますます体調は悪くなるし、なんとなく「俗」のエネルギーに気圧されちゃいまして、もうぐったり。いつもだったら、ちょっとラッキーとか思うのでしょうが(笑)、さすがにこういう体調の時はいけませんね。それこそ、昨日の話じゃないけど、まむしドリンクでも飲まないとダメです。
 で、そんな具合の悪さ、妙な居心地の悪さにやられながら、新宿駅西口に到着しました。そして、まずは、医学部を目指して予備校に通っている教え子と落ち合って書類を渡したり、いろいろ進路について話したりしました。彼女も私の元気のなさに気づいたのではないでしょうか。
 彼女と別れて、コンビニに寄り、リポビタンのちょっと高いヤツを飲みました。さすがにやばい。高層ビルが歪んで見える。
 まず、2016年オリンピック開催地決定を今日に控えて緊張気味の都庁ビルへ。私はこちらに書いたとおり、この比較的新しい丹下健三作品のこと、結構好きなんです。特に第二本庁舎に入った瞬間のあの力学…いや気学的な混沌感というか、渦巻く感じが好きです。
 私は建物というか、空間に体調を左右されやすい体質なので、ちょっとした期待も込めて都庁に入っていきました。めまいは止まりませんでしたが、しかし、その回転の質はたしかに変ったような気がしました。ま、それこそ「気」のせいなのでしょう。
 都庁には15分ほどでお別れをしまして、お隣のNSビルの30階へ。先ほどいた都庁を眺めながらエレベーターで一気に昇ります。下から観ても、なんとなく愛嬌があるというか、威圧感のないデザインだと思いますが、横から観る都庁は、やっぱりカワイイかも。
 30階の広大なスカイカンファレンスで研究会。前半は相変わらずの倦怠感でしたが、後半はお隣の都庁さんのおかげでしょうか、だいぶ調子がよくなってきました。
750pxst_marys_cathedral_tokyo 3時間近い勉強(実際ものすごく勉強になりました)を終え、急いで池袋経由で東京カテドラルへ。実は私初めてなんです。私と同い年のこの丹下作品に実際に会うのは。天候も悪かったので、到着した6時頃には、周囲はすっかり暗くなっていましたが、そのあまりに唐突な姿は、まさに東京の低い雲をつきさすようにそびえ立っていました。もうこの瞬間には、不思議なもので、体調の悪さも疲れもすっかり忘れてしまいました。
 丹下健三を芸術家と呼ぶこと、あるいはそれ以前に建築を芸術と呼ぶことに抵抗のある方もいらっしゃるかもしれませんね。しかし、私は、こうしてその人の体や心や魂の調整を施してしまうモノこそ「芸」であり、「術」であると思うんですね。
 都庁と東京カテドラル聖マリア大聖堂、とても同一人物の作品とは思えません。しかし、それは単に視覚的感覚であったり、そして、学術的な理論であったりするわけですね。今日の私は、そうした日常的な感覚が異常なほどに減退していたので、おかげで、本来の「芸術」的な部分を感じることができたのかもしれません。
 そういう意味では、この出張、そしてAV関係の皆さん(笑)、全てが「運命」だったような気がします。
 そして、この大聖堂の中で、もっとすごい経験が待っていたのでした。メンデルスゾーンのおかげで、私の魂は完全に浄化され、心身ともすこぶる元気になったのです。(その2につづく)

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2009.10.01

再春館…

200pxkitasato_shibasaburo んでもなく忙しく、そしてそのためか体調がふるわないので、今日は短く…したいな。とりあえず元気が出る話題を。
 皆さんは、「再春館」と聞いて、何を思い出しますか?
 最近では、「ドモホルンリンクル」の再春館製薬所でしょうかね。あの、いかにもなイメージCMの化粧品製造販売業者です。それについては、のちほど。
 私は、雷おやじ北里柴三郎でしょうかね。彼は熊本藩の医学校「再春館」の出です。慶応義塾大学医学部の創設者です。日本医師会の創設者とも言えますね。北里大学のルーツであるのはもちろん、医療機器メーカーテルモを作った一人とも言えます。
 「日本細菌学の父」柴三郎はインフルエンザの研究もしていましたからね、今の新型インフルエンザ騒ぎについて、あの世でどんなふうに思っているのでしょう。
 いずれにしても、こんな偉大な医学者を出した「再春館」はすごいと思いますよ。私は詳しくないので個々には知りませんけれども、柴三郎を育てるような優れた教授陣がいたということですね。
A000311 さて、その「再春館」の名をカタって、しこたま儲けているのが「再春館製薬所」です。ドモホルンリンクルです。私は全然関係ない生活をしているので、別に恨みも何もないのですが、やや過剰とも言える「善意」の押し売りに、ちょっと辟易しています。偽善的とまでは言いませんが、ヤクザに銃弾撃ち込まれるような何かがあるんでしょう。
 それこそ柴三郎たちはどんな表情で「再春館製薬所」の奮闘ぶり(?)を見ていることでしょう。美容と医学は、全くの無関係とは言いませんが、本来の「再春館」のモットーからすると、ちょっとどこかズレているような気がしないでもない…。
 で、実は今日のメインは上の二つの「再春館」じゃないんですよ。男としてはこっちでしょ!
 「絶倫シリーズの再春館薬品」
41m443pzx6l_sl500_aa280_ いや、この前のレスリング関係者の結婚式の二次会でですね、くじ引きで私が見事にゲットしたのが、この「再春館」の絶倫セットだったのです!もう何をか言わんや。
 こちらの商品一覧をご覧下さい。というか、それぞれの商品名を大声で呼称しましょう!もうすっかり元気になりますよ(笑)。
 いやあ、昨日の話じゃないけど、最近の草食系男子の生殖力の貧弱さは目に余るものがあります。これはまあ生物学的には仕方ないことなのかもしれませんが、やはり世の中の元気のなさにつながる大きな要因の一つであると思うのですよ。
 最近紹介し、懐古することの多い昭和の巨人たち、みんなものすごい精力でしたからねえ。英雄色を好む。最近では、そうですねえ、せいぜいホリエモンくらいでしょうか。妙な精力をお持ちなのは(笑)。そうだ!「ドモホリエモンリンクル」とか発売したらどうでしょう、再春館薬品から(笑)。
 というわけで(?)、私も人のこと言えないくらい最近元気がないのですが(笑)、なんとなくゲットした精力剤、あんまり試したくないような、いや試したいような…。
 「再春館」…再び春を…。女性はシワを落とすためにワケわからん化粧水に何十万円もかけ、男性もまたあの感覚を取り戻すためにワケわからんドリンクに数千円かける。
 なんとも、面白く、切ないですね。人間ってやつはねえ、ホントかわいい生き物ですわ。
 ところで、本家「再春館」はどういう意味でネーミングされたんだろう…。柴三郎さんに聞いてみようかな。

Amazon 精龍魂絶倫48手 150カプセル

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