丹下健三+メンデルスゾーン=聖なる俗 その2
さあ、メンデルスゾーンの「聖パウロ」です。もともとこのコンサートは、私にとっていろいろな「意味」を期待させるものでした。
まずなんと言っても、丹下健三作品の中で奏させる音楽の響きにも興味がありました。単なる建築、単なる宗教施設を超えて、果たしてあの聖堂は楽器となりうるのか。丹下健三の作った楽器はどんな響きがするのか。
そして、メンデルスゾーン。先日、ゆっくりメンデルスゾーン編曲のバッハのマタイ受難曲を聴きまして、非常に感動したんですね。ぜんぜん邪道でも外道(?)でもない。ある意味ばっちり本流だと思いましたよ。聖なるものへの俗からの挑戦、と言ってはメンデルスゾーンに失礼でしょうか。そのへんに関してはのちほどまた書きましょう。
そして、「パウロ」。今までさんざん「パウロが悪い」なんて、それこそ失礼なことを言い続けてきた、しかし、彼のことをほとんど知らない私が、このメンデルゾーンの作品を通して、どんなパウロ像に出会うことができるのか。それもかなり楽しみでありました。
だからでしょうか、今回は聖堂についても、メンデルスゾーンについても、パウロについても、ほとんど予習しないで、まっさらな気持ちで出会うように心掛けました。
結果としてそれが良かったのかもしれません。もう言葉で表現できないほどの感動を体験することができました。こういう体験は45年生きてきて、本当に初めてだったかもしれません。
「芸術は宗教の母である」…そう言ったのは、出口王仁三郎です。昨日その意味が初めて分かったかもしれません。「宗教は芸術の母」と言うのは簡単ですし、普通はそのように捉えられているのではないでしょうか。しかし、たしかに芸術が宗教の母でした。この言葉は王仁三郎流の逆説かなと思っていたら、そうではなく、実に本質をつらまえたものでした。
淡野太郎さん指揮によるメンデルスゾーン生誕200年を記念するコンサート。以下のような内容でした。紹介しておきます。
ムシカ・ポエティカ特別公演2009
[曲目] F.メンデルスゾーン オラトリオ <パウロ> 作品36 全曲
[会場] 東京カテドラル聖マリア大聖堂
[出演] バリトン(パウロ) 浦野智行
ソプラノ(語り手) 淡野弓子
ソプラノ(アリア他) 今村ゆかり/柴田圭子
テノール(語り手) 及川豊
テノール(ステファノ、バルナバ他) 真木喜規
アルト(語り手) 依田卓
アルト(アリオーソ) 影山照子
器楽:シンフォニア・ムシカ・ポエティカ (コンサートマスター 瀬戸瑶子)
合唱:メンデルスゾーン・コーア & ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京
指揮 淡野太郎
もう序曲の最初の1音から驚きの連続でした。まずは、あの超音響。残響7秒というあの空間に交錯する直接音、間接音。響きの中にも、しっかり芯の見えるオケの音、人間の声、そして、背後からレーザー光線のように突き刺さるパイプオルガンの音。そして、それらを全て受け止めて、まだ余裕を見せる丹下健三のコンクリート。
残響とはすなわち不協和音であるわけですが、なぜ、あれほどに崇高に無垢なのでしょう。これはたとえば自然界のコスモスなカオスと似ているかもしれません。矛盾しているようで矛盾していないのです。
そう、そんなところにも、実は「俗」と「聖」、あるいは「人」と「神」の共同作業があるような気がしたのです。
こういうことです。演奏会後の打ち上げで淡野弓子さんが教えてくれましたが、メンデルスゾーンはSDG(ただ神にのみ栄光あれ)の世界に、人間を持ち込んだのです。バッハらがきわめんとしたSDGは、たしかに神の世界の表現、神の世界への奉仕だったのかもしれません。しかし、そこにある意味「俗」たる人間の「心」、「魂」を大胆に導入したのです。
私は弓子さんに聞きました。それは危険なことじゃないのか。すると弓子さんは、「それを一個人じゃなくて、普遍的な人間のレベルで描いたからメンデルスゾーンはすごい」とおっしゃいました。なるほど。そのレベルでなしとげたのか。だから、あれほど私の心を揺さぶったのか。
今回は、私の坊主頭を見つけて隣に座ってくれたのが、建築家の大野幸さんでした。彼もまた一緒に打ち上げに参加したのですが、大野さんの建築に関する、特に丹下作品に関する専門家としての解説は、非常に興味深く、やはりどこかでそうした「俗」と「聖」の関係、「人」と「神」の関係を感じさせる内容でした。全てがつながる。これって快感ですよね。もうその頃には私の体調は完全に治っていました。
そして、パウロですね。私は彼がイエスを神格化し物語を捏造した人物だと、勝手に思っていましたから、もちろんそんな次元でのことでないということが、今回のあのメンデルスゾーンに包まれてよく分かったわけですけれど、これもまた同様ですよね。もう言わずもがな、です。
なるほど、「聖なる俗」というものがあるのだ。それを実現する人々が「芸術家」なのか。彼らは単なる技術者でもなく、科学者でもなく、信徒でもなく、ある意味「神」と同レベルでありうる存在なのです。
ですから、「宗教が芸術を生む」のではなく、「芸術が宗教を生む」と言えるのですね。私は、昨日、もう本当に、キリスト教とかそういうことではなく、単純に、いや純粋に「宗教心」を抱きました。何人もの芸術家の仕事のおかげです。45年目にして初めてわかった。
打ち上げで、またまた私の前に座ったオルガニスト武久源造さんは、「今日のメンデルスゾーンは美しすぎる!もっと悪魔性がなきゃ!」とおっしゃってました(笑)。それもまた彼らしい。さすがホンモノの芸術家です。
というわけで、すっかり元気になった私でしたが、当然富士吉田行きの終電に間に合わず、なんとか夜中に大月までたどりつき、カミさんに迎えに来てもらったのでした。
俗から聖へ。カタルシス。しかし、実はそこに「聖なる俗」がしっかりあって、それで初めて人間に語りかける「芸術」や「宗教」が生まれるのでした。すごい一日でした。皆さんありがとう!神よ人よ!
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