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2009.09.09

『フェティシズムと快楽』 丸山圭三郎 (紀伊國屋書店)

20090910_61413_2 イトルにだまされて、そっちの本だと思って読んじゃった人いるんじゃないかなあ(笑)。開けてビックリ、超硬質な「言語哲学」の本です(泣)。
 ソシュール研究の第一人者としても著名だったフランス語学者の丸山圭三郎さん、高校の国語の教科書にも出てるくらいの人ですから、もちろん我々をだまそうとして(本を売ろうとして?)こんなタイトルにしたんじゃありませんよ。大まじめです。
 こういうネット上の誘導タイトルとは違いますよ(笑)。
 AVの仲間? 激安たった1000円ポッキリの驚き 「おとこのオモチャ」調査委員会
 ちなみにこの記事は最近のデジタル一眼の話でして、まあ看板に偽りはないわけです。それと同様、この「フェティシズムと快楽」にも全く偽りはありません。誰も文句言えませんね。それも大まじめで、たしかにこれ以外のタイトルはないというくらい、内容と一致していますから。
 さて、では、なぜ私がこの本をわざわざ古本まで探して買ったかと言いますと、これはまさに私の「モノ・コト論」の援軍になってくれそうだったからです。
 ある大学の過去問にこの本からの抜粋が出ていましてね、それでこういう一節があったんです。
「コトバによって〈モノ〉が〈コト〉化する」
 まるで私の口っぷりと一緒ですね。どちらがパクったのでしょうか。ま、どう考えても私でしょうね。いや、全然そういう意識はなかったのですが、もしかするとどこかで読んでいたのかもしれません。
 けっこう私の「哲学」(?)と似たような文脈でこの文が使われていましたから、さっそく探して買ってみたんです。つまり、自分の「哲学」と丸山さんの「哲学」が一緒だったら、私が今一生懸命やってることの意味がなくなってしまうからです。再発見になってしまって、新発見ではなくなってしまう。
 で、結論から言いますと、やっぱり微妙にというか、かなり違っていたので安心しました(笑)。いや、一緒なのかもしれないけれど、視点が違うのかなあ。まあ、そんなこと言ったら、廣松渉さんや和辻哲郎さんや、ソシュールさんや、いやもっと遡って龍樹さんや、いやいやもっと遡ってお釈迦さんも同じことを言ってることになってしまう。
 もちろん私はそんな偉人たちと居並ぶようなレベルではありません。でも、言語哲学ではなくて、「日本語哲学」的に「モノ・コト論」をやっているのは、もしかすると私だけかもしれませんね。
 なら、早くその「哲学」とやらをしっかりまとめて本でも出せ!と言われそうですが、まだまだ勉強不足なので、あと20年くらい待って下さい(笑)。
 さて、丸山さんはこの本で、「身(み)分け構造」と「言(こと)分け構造」という言葉を用いています。「身分け」の方は、たとえば人間以外の動物にも共通する、本能的な世界観です。人間はそれとは違う世界観を持ち込みました。それが言語による「言分け」です。ソシュール的と言いますか、構造主義的と言いますか、今となってはノスタルジーの対象にもなってしまいましたが、「言語という道具をもってこの世を分節する。それによって初めて事物が実体化する」というような発想ですね。
 そして、丸山さんは、本能的な「身分け構造」から逸脱した「言分け構造」という「過剰」こそが、人間の「文化」だと語ります。たしかにそんな気もしますね。
 さらに「身分け」と「言分け」から、どのように「フェティシズム」や「快楽」の話になっていくかは、ぜひこの本を読んでいただきたい。なかなか面白い「哲学」が展開します。
 ところで、丸山さん自身は、最終的にどういうことを求めているかと言いますと、「言分け」によって硬直化した世界に、「身分け」的(本能的)な流動性のある生命を取り戻そうと言っているように思えるんですね。その点、私の「コトよりモノ!」という言い方と似ているとも言えます。実は難しくてよく分からないんですけど(つまり、言分けされない、硬直化していない状態…笑)。
 後半のソシュール論は面白いですね。丸山さんはソシュールの専門家として有名ですけど、一般に言われているソシュール論とはずいぶん違う立場なんですよね。「ソシュールは構造主義の元祖ではなく、その逆」という記述などは象徴的です。また、最終章の「アナグラムと無意識」は、ソシュールの狂気をめぐるミステリーという感じで、なんとも刺激的でした。
 あと、巻末の「キーワードの解説」は素晴らしい。全ての哲学者さんに見習ってもらいたいですね。やたら難しい言葉で「どうだ?難しいだろ」的な文章を書く哲学者が多い中、丸山さんの性格の良さは際立っています(笑)。
 話が飛びますが、今年は「フェティッシュスタイル」がはやりだそうですね。パリコレでもチラ見せ風なものが多かったとか。
 一般的な「フェチ」はですね、ワタクシ的に申しますと、「コト化」の最たるものでして、まさに「萌え=をかし(招かし)=所有欲」の世界ですね。そこで我々がこだわる「物」とは、我々が認知して自分のものにしたい(コト化したい)と考えた本体(たとえば女性本人)が、実際には思い通りに所有できない「モノ(不随意・不如意・外部)」であることを知って、その代わりに付随する物体を「コト化」する思考です。ですから、これは二重のフィクションなんですよね。非常に複雜、人間的、文化的な現象です。ですから、別に異常な思考、行動ではないとも言えます。
 やっぱり人間(たとえば意中の女性本体)は、「ナマモノ」であり「イキモノ」であるということですね。いくら言葉や論理や技術や科学が、すなわち我々の脳ミソが頑張っても、これだけは変えられないし超えられません。そんなことにちょっと安心したりして。

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コメント

前略 薀恥庵御亭主 様
頭が空(から)の愚僧がいうのも・・・
毛論×戯論◎でありますが・・・。笑
うぅぅぅぅん。
竜樹様は「戯論寂滅」であられまが
愚僧は 「妄想爆発」であります。笑
「学歴」などには興味はありませんが
「職歴」にはとても興味があります。
何事も最初に「職分」に手をつけた
御方様には「尊敬の念」を感じます。
まぁぁぁぁ・・・
自分にとっての「初代様」が
大好きなだけです。笑
例えば・・・
アニメといえば「トムとジェリー」
黄門様は   「初代東野様」
仮面ライダーは「初代藤岡様」
ニュース23は 「初代筑紫様」
ニュースステーションは
       「初代久米様」
八時は「全員集合」だし・・・
土曜は「吉本新喜劇」。笑
それからぁぁ・・・
物心ついて飲んだ・・・
「初代ジュース」は・・・
「チクロ入り」でした。
・・・これはいけません。笑
うぅぅぅぅぅん。
「基盤」を確立された「初代様」は
本当に「偉大」ですね。
御亭主様も愚僧にとっては・・・
大切な「初代様」であります。
心より尊敬致しております。
合唱おじさん          拝

投稿: 合唱おじさん | 2009.09.11 07:54

申し訳御座いません「訂正」です。
竜樹様は「戯論寂滅」であられまが  ×
竜樹様は「戯論寂滅」であられますが ◎
老眼おじさん         

投稿: 合唱おじさん | 2009.09.11 08:13

合唱おじさん様、おはようございます。
たしかに初代は全てすごいですね。
ウチの学校でもいろいろな1期生は皆「伝説の〜」と呼ばれています。
それだけすごいエネルギーが必要なのでしょう。
だいたいそういう人たちは理屈ではなく、ただ夢中にやってるだけで、そういう意味ではまさに「戯論寂滅」の境地なんですよね。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.09.12 08:44

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