『間違いだらけの教育論』 諏訪哲二 (光文社新書)
帰宅してテレビをつけましたら、「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中」で、教育論議をしておりました。まあ、いつものとおりの侃々諤々…いや喧々囂々…いや喧嘩上等という感じで、ああこりゃあ解決するものも解決しない、いやいや、もともと解決とか正解とかある世界じゃないのに…とため息が出ました。
この前、『なぜ教育論争は不毛なのか-学力論争を超えて』のところにも書きましたように、こういうまじめな(?)教育論議は不毛になりがちです。もうわかりきったことです。
そろそろ、我々(教育者のみならず国民みんな)は、そのことに気づかなければなりませんね。
実はこの本もまた「喧嘩上等」の世界になっていまして、読後なんとも歯がゆい気持ちしか残りませんでした。
「太田総理」には、たとえば、ゆとり教育論の総元締めである寺脇研さんと、体罰肯定論の現場教師金子毅さんが出演されていました。最初からジャンル違いの異種格闘技戦であり、もうルール制定段階で喧嘩上等になっちゃっています。
この本の著者である諏訪哲二さんは反日教組の急先鋒(だった)「プロ教師の会」のメンバー。俎上に上がるのは、どちらかというと人権派の教育論者。様相は同じです。
結論から言ってしまいましょう。いちおう四半世紀くらい教員をやっている私の結論。
教育現場には、「ゆとり」も「つめこみ」も「体罰」も「人権」も「教育技術」も「愛」も「経営術」も「ほめること」も「しかること」も「夢」も「現実」も、必要な時もあれば必要ない時もある。
ただ、これだけです。
他の産業や文化・スポーツ団体などにおいては、お客様のニーズによって、かなりその機能や組織が細分化されています。しかし、教育においては、特に義務教育においては、それが全てごっちゃになっていて、つまり教育する側も教育される側も相手や同志を選べないんですよね。これが論議の不毛化、砂漠化の基本的な原因となっています。
ですから、この本を読んだリアル教員の私は、諏訪さんの意見にももちろん賛成できますし、攻撃されている齋藤隆さんや陰山英男さんや義家弘介さんや、寺脇研さんの意見にもいちいち同意できるんです。
ウチの学校は、かなりの学習困難者から東大を目指すものまで、それこそピンからキリまで(あくまで偏差値的にですが)の生徒が混在する、ある意味健全な学校です。偏差値だけとってもそんな具合ですから、様々なパーソナリティーやスキルやタレントまで考慮すれば、それこそ十人十色なお客様方ということになります。
ですから、当然、私はそれぞれに対して、ほとんど無限に近いバリエーションをもって臨みます。もちろん、私個人の技量や根性にも限界がありますから、いろいろな場面で同僚の協力を必要としますし、ある場合には、私以外の先生に完全にお任せした方がよい場合もあります。
現場はそういうものなんです。ですから、どちらかというと、様々な相手や状況に対する適応力や技のバリエーション、そしてアドリブ力こそ、教師に望まれる能力ではないかとも思われます。それを私は「はったり力」と言ってるんです(ホントか?)。
そして、学校としてもまた、バリエーション豊富な先生方が必要なんですよね。画一化していない、個性的な先生、それぞれの得意分野があまり重ならず互いを補完しあえる教員集団。その方が、こちら側も楽ですし、生徒の側も幸福です。もともといろんなニーズを抱えたお客様たちですから、そんなふうにデパートメント・ストアというか、よろず屋のような場所の方がいいんです、学校は。
諏訪さんは、やはり大きな敵がいたせいか、教育の本質を「啓蒙」だと言い切ります。ある程度の強制力(暴力性)をもって、子どもを社会的な「人」に育てなければならないと。それもよ〜く分かります。そのとおりです。最初はたしかにそこから始めなければ、学びの意欲とか、自主性とか、あこがれとかは生じないでしょう。
しかし、現場の現実は、あまりに様々なレベルの「人」がいるわけでして、つまり、「近代的社会人」偏差値が25から75まで本当にいろいろな生徒が集まっているわけで、もう「強制」の必要ないのもいるし、まずは「強制」から入らないとどうにもならないレベルのもいるわけですよ。
それを、あたかも、子ども(児童・生徒)はどちらか一方しかいないような前提でそれぞれが話をするから、こういう喧嘩上等なことになってしまう。
非常に単純化すれば、こういうことなんです。原理主義vs原理主義。
さてさて、ついでと言ってはなんですが、今の私の仕事について書いておきます。
今、来年度開校予定の併設中学校の仕事をしています。コンセプトはいろいろありますが、基本的には、中学校でのある程度(適度)の「強制」の末、高校では「自主自立」を目指したいと思っています。誰かもおっしゃっているとおり、「自由は不自由から生まれる」と経験的に信じていますので。単純なことです。
今、パンフレットの最終校訂段階に入っています。1ページ目にぜひ書きたいメッセージがあります。今日はその草稿の推敲をしました。こんな感じです。私がどういう学校を創ろうとしているか、おわかりになりますでしょうか。
いかに知識があっても、いかに技術があっても、ただそれだけでは幸せな人生を送ることはできません。人に愛され、人に信頼され、そして人に助けてもらえる人間になるには、いったいどうすればいいのでしょうか?
実はその答えは単純なものです。
人間関係は「鏡」に似ています。笑顔で人に接すれば、必ず笑顔が返ってきます。気持ちよくあいさつすれば、必ず気持ちよいあいさつが返ってきますね。
それと同じように、人を愛し、人を信頼し、人を助けることができれば、その人は必ず幸せになれます。
そういう「智恵」を実践できる人を育てるのが、○○中学校の目標です。
まずは、充実感と自信に満ちあふれた笑顔とあいさつから。
さあ、自分を磨きましょう。
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コメント
前略 薀恥庵御亭主 様
自坊も「秋彼岸」を終え・・・
ぼっーと× ほっといたしております。笑
愚僧 教育には鞭× 無知ですが・・・
基本 「僧侶の養成」と同じですね。
愚僧のように「小学校の漢字」の
書き取りもあぶないヤツもいれば・・・
「阿頼耶識」「末那識」「お化け屋敷」
に精通している天才もいます。笑
御亭主様の申されるとおりです。
case by case
「ケース バイ ケース」ですね。
まぁぁぁぁ・・・しかし
愚僧も「東大・京大」の知人が
いっぱい おりますが・・・
だいたい「駄目」ですね。笑
何かを失っています。笑
要するに「機転」がきかないのです。
まぁぁぁ・・・「気転」ですね。
人の「こころ」に対応できないのです。
これは とても「怖い」ことです。
結局薬局放送局・・・
学生として大切なことは「生きる力」を
身につける日暮しですね。
それは「挨拶」であり「笑顔」であり
「失敗」であり「再起」であります。
愚僧は「馬鹿が一番」だと信じています。笑
頭が空(から)だと何でも九州×吸収できて
最高なのです。とっても大切なことです。
愚僧もあと30年 若ければ・・・
「御亭主様」の生徒になれたのに・・・
残念でなりません。笑
合唱おじさん 拝
投稿: 合唱おじさん | 2009.09.26 17:03
合唱おじさん様、おはようございます。
教育は結論がないから面白いし大変なんですね。
でも、それこそが人間の本来の姿ですし、人生の本質です。
なにごとも決めつけないでやっていければと思っています。
「こころ」に対応する…とっても大切な能力ですね。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.09.27 10:10
一々うなずいてしまいました。
沢山言いたいことがありすぎて何も書けません。
投稿: LUKE | 2009.09.27 18:00
前略 薀恥庵御亭主 様
いやぁぁぁ・・・本当に「こころ」
は大切ですね。
「受験戦争」を勝ち抜いた・・・
結果 何かを失うことも
あるようです。
愚僧は 「漫画」でも「映画」でも
「テレビドラマ」でも「小説」でも
兎に角「こころ」が豊かになれば
それが「教育」だと思います。
別に「教室」は必要ありません。
「漫画」や「映画」や「小説」が
教師の役目を果すこともあります。
そういえば・・・・えぇぇ・・・
小学生の時分 読書感想コンクール
の作品に愚僧は「馬鹿一」を選んで
いました。 ホント馬鹿好きですね。
それからぁぁ・・・えぇぇ・・・
「真理先生」も好きでした。
今時「馬鹿一」は売れませんね。笑
愚僧は「馬鹿一が一番偉いのだ」と
いまでも信じています。笑
合唱おじさん 拝
投稿: 合唱おじさん | 2009.09.27 21:55
LUKEさん、こんばんは。
ありがとうございます。
私も書きたいことがいろいろありすぎて、
書ききれません。
そんなところが教育の面白さなんでしょう。
合唱おじさん様、いつもありがとうございます。
「馬鹿一」、昔読みました!
今は手に入らないみたいですねえ。
仏さまみたいな人ですね、馬鹿一。
久しぶりに読み直してみたくなりました。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.09.28 21:32
前略 薀恥庵御亭主 様
「つまらないもの」を
収集するのが愚僧の「悪癖」です。笑
代表は「境内で拾った大き目の古釘」。
錆の付き具合といい・・・
先端の形といい・・・威風堂々。
素晴らしい。
使用目的は・・・「運動靴の裏の小石」を
取り出す時に活躍していました。笑
うぅぅぅぅん。
「不用品の処分」と「こころの整理」
は同一だと 愚僧は感じています。苦笑
威風堂々の「古釘」を処分したことを
今でも後悔しています。
もう二度とあんな立派な「釘」との
出会いは無いだろうと感じるからです。
これまた随分と「馬鹿」ですね。笑
しかし・・・その「質感」は・・・
今でも愚僧の「掌」(てのひら)に
息づいています。笑
うぅぅぅぅん。
これも愚僧の「執着」ですね。
まぁぁぁぁ・・・
いつかは自分自身も「不用品」と
なって消えていきます。
その時 誰か一人でも 愚僧の「質感」
をいと死んで× 愛しんでくれる
御方様がいたなら幸(さいわ)いです。爆笑
「学校の授業の内容」はすべて・・・
愚僧 忘れてしまいました。笑
けれど 御世話になった「御恩師様」の
ことだけは いまでも・・・
愚僧の「こころ」のなかで
毎日毎日・・・ 息づいております。
合唱おじさん 拝
投稿: 合唱おじさん | 2009.09.29 07:02