『シリーズ ONの時代 第1回 スーパーヒーロー50年目の告白』 (NHKスペシャル)
↓秋田の夕景。遠方に出羽富士鳥海山のシルエット。
秋田に着いてまずやったこと。おいっ子とのキャッチボール。
息子とキャッチボールするというのが、私の夢でした。しかし、今のところ(!)娘しかいないので、その夢は叶っていません。しかし、こうして4歳の甥とキャッチボールができまして、なんだかもう充分満足したような気がします。
おいっ子のお父さん、すなわち義弟は中学の先生で野球部の監督。昨年は自校のチームを県優勝にまで導いた根っからの野球人です。その息子ですから、4歳とはいえ、かなりの技術を持っています。いや、もしかすると天才かもしれない。結局、キャッチボールにとどまらず、野球ごっこにまで発展したんですが、あのミートのセンスは異常だ。正直びっくりしました。末恐ろしい。
さて、久々に野球ごっこに興じたのち、少し外出してから昼寝をしまして、さあ夜になりました。ごちそうをいただきながらたらふく秋田の日本酒を呑んでいると、NHKでこの番組が始まりました。なんともナイスなタイミングです。
まず、実に懐かしい風景が映し出されました。そう、私はあの巨人軍多摩川グランドに本当によく通っていたのです。もちろん、そのすぐ横の広大な空き地(ほとんど草野球場)で、少年野球の練習に励んだというのもありますが、やはり、そのついでにジャイアンツの練習を実際に見て、そして選手の皆さんにサインをもらったり、一緒に土手沿いのお店に連れていってもらってジュースをおごってもらったりした、そういう思い出がいっぱいつまっている風景なんです。
私が生まれた次の年から巨人はV9。私が小学生の時、すなわち昭和40年代後半から50年代はじめまでは、まさにONの時代でした。長嶋さんが引退したのは昭和49年、私が10歳の時です。ちなみに王さんの引退は昭和55年。
そんなON全盛期に、ONの練習風景を生で見ることができたのは本当にラッキーでした。また、田園調布の長嶋さんのお宅に比較的近かったので、ご本人に自宅でお会いしたこともありますし、学年が一つ下だった一茂くんともいろんなところで会う機会がありました。やんちゃなお坊ちゃんでしたね。
まあ、そんな環境ですから、私が当時の小学男児のご多分にもれず、「将来の夢はプロ野球の選手」と言っていたのは、それほど想像に難くないでしょう。今の私の草食系の姿からは誰も想像できないと思いますが(笑)。
そのような意味で、ONとあの多摩川グランドの風景を共有しているというのは、実に有難いことですし、非常に幸運なことだと思います。久々に「草野球」を体験した夜に、そのオープニングでしたから、さすがに心にグッと来るものがありましたね。あのグランドの左右の打席にONが並び立つ…当時は夢にだに想像しなかった光景です。あれから30年以上…。
脳梗塞で障害の残った長嶋さんが、こうしてテレビにその姿をさらすことに抵抗を感じる人がいるのも理解できます。しかし、私は長嶋さん自身が語った「今を見せる」という姿勢に純粋に共感しました。病気になっても、長嶋さんは常に前向きで、ある種の進化を止めません。私にはその姿でけでも崇高に感じられました。
「長嶋は天才、王は努力の人」という定説というか、作られたイメージを覆す証言。それはもちろんある程度想像されていたことです。現代唯一の天才であるイチローの努力は並大抵でありません。いくら天才でも、影の努力は当然あります。
もう極論してしまえば、とにかく「努力できるが天才」ということになってしまいますね。「努力の天才」、これはあります。生徒を見ていてもそうです。尊敬に値するほどの努力ができる生徒がいるものです。私なんか、そういう才能は全くなかったし、今でも「はったり、ちゃっかり、ぼったくり」とか言ってるくらいですから、全くの凡才、いや凡才以下です(笑)。
旅館の和室で素振りと言えば、王貞治の専売特許だ思っていたら、実はそんなことはなかった。長嶋茂雄もまた、隠れて素振りに明け暮れていた。まあ、考えてみれば、王さんの日本刀を振り回す姿は映像として何度も紹介されていたわけで、全然「隠れて」じゃなかったわけですね。マスコミの戦略というのもあったのでしょう。
長嶋さんの素振りの情報としては、例のフルチン打法が有名(?)ですけど、それもまた、マスコミによって作られたイメージなのかもしれませんね。あれは私も試しにやってみたことありますけど、下のバットに意識が行くと、上のバットのスイングが乱れてしまい、全然ダメでした(笑)。やっぱり天才じゃないな、オレ。
番組では、そんな「天才」長嶋さんは、「私はいい選手ではないです。ごく普通の選手です。天才ではありません」とおっしゃっていました。なるほどそれは正しい。天才は自分のことを「天才」だとは言いません。
たしかに、世の中に流通している意味での「天才」ではなかったかもしれません。しかし、やはり天からなんらかの才を享けた人であったことはたしかです。
また、王さんについても、ファンの声、期待にこたえるため、どんどん「努力家」になっていく様子が紹介されていきました。
そう、彼らの個性は、そうして周囲の人たちによって作られていったのです。そして、それこそが彼らのパーソナリティーであり、彼ら自身の本当の姿になっていったのです。
養老孟司さんもよくおっしゃってますが、人間の個性なんて他人が決めるもので、自分で探すものではありません。自分探しなんてちゃんちゃらおかしい。いかに「本来の自分はこうなのに」とか「本当の自分が出せない」とか言っても、結局は他人の目や声を意識して表現される自分こそが本当の自分なのです。
そういう意味では、いくらONが「あれは虚像ですよ」と言っても、歴史や伝説は何も変りません。私たちの夢もまた何ら影響を受けません。彼らはすでに一個人である以上に、「神」になっているからです。
天皇が人間宣言してもなお、神であったという歴史は変わらないのと同じです。いい悪いという問題は別として、私たち自身が彼らの個性を決定したわけで、次元は違えどそうしたことは日常的に起こっています。というか、それこそが社会における人生の本来のあり方であり、私たちが一人では生きて行けない理由であります。
昭和の力。それは複合的な人間力です。大衆の一種宗教的な想像力と創造力。そして、それに応え得る精神力と肉体力を持った神の器たち。それを再確認させられた番組でした。来週の第2回は、その力が平成にも継承されているのか、あるいは平成は単なる昭和の余力、惰性でしかないのか、それを確認できそうです。
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