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2009.09.10

『横尾忠則 人生は大冒険』 プレミアム8 (NHK BS-hi)

Hijikata_4_3 あ、勉強になりました。こういう老師のお話が一番勉強になる。
 昭和の偉人の一人、いや、もちろん平成でもそのパワーは衰えるどころか更にアップしているように見える横尾忠則さん。このインタビュー番組でも、横尾言語が炸裂しておりました。飄々と静かに緩やかに、しかしエネルギッシュ。
 このポスターは私の一番好きな作品の一つ。そう、まさかこれがですね、ウチのカミさんのお母様の実家の前の田んぼの稲架(はさ)だとは夢にも思いませんでしたよ。そのへんの事情については、こちらに書いた通りです。
 ちょっと先に書いておきましょう。なんで、昭和のアーティストって、みんな文がうまいんでしょう。うまいというか、みんな「○○言語」を持っている。土方巽、田中一光、寺山修治、武満徹、美輪明宏といった、三島由紀夫周辺の人々は「言葉」で対等に結びついていた感じがしますね。最近で感心したのは、建築家の白井晟一さんです。あと、ある意味アーティストである、長嶋茂雄とかアントニオ猪木とか。平成の世にはあんまりいないなあ。今日ちょうどこの番組の前に観ていたイチローくらいかなあ、禅問答してるなあっていうのは。
 さて、この横尾さんのインタビュー、本当に「禅」の世界そのものでしたね。
 「他人まかせ」と「模写」の青春時代。これは意外と言えば意外でした。実はこの時点で横尾さん、自己を滅却してますね。他力というか空というか。自己への執着が強いはずの若い時期に、こうして他者の意思が自分の意思と言えるような生き方をしていたことに、軽い衝撃を受けました。芸術家ってもっと自我が強いものだと思っていたので。
 しかし、そうした他人まかせな人生というのは、案外エネルギーを使うものです。つまり、自分の思い通りにならない「モノ」をどんどん受け入れていかなければならないからです。誰しもが、自分の思い通りに「コト」が進むのを望んでいますから。それを「え〜?」と思わないで受け入れていくというのはものすごい精神力が必要だと思いますよ。流されるのは決して楽な生き方ではないのです。少年、青年横尾忠則は生まれながらにして、そういう力を持っていたのでしょう。
 「模写」ばかりしていたというのも面白いですね。自己表現なんて全く考えなかったと。しかし、そうした「真似ぶ」ことと「慣らう」ことによって、彼は基礎力を養っていきました。それがのちのあの個性につながっていくのですから、ある意味「コトを窮めてモノに至る」というやつですね。
06_08a_japan 結婚後の横尾さんは「停滞」を恐れ、常に流動していきます。硬直化した「コト」にとどまらず、常に変化しつづける無常なる「モノ」であり続けるわけです。そこには当然苦悩もつきまとうわけですが、そのたびにまた彼は進化していくのでした。
 禅寺での修行の様子が流れていました。限りなく落ちるいちょうの葉を掃く作務で気づいた「目的や結果にこだわらず今やっていることに集中する」というのは、まさに禅の真髄であり妙味であります。私などそういうことを理屈では分かっているのですが、どうしても実際の作務の時には「無駄」だと思ってしまう。やはり、「目的や結果」に徹底的にこだわったことがないからでしょう。何事も極めないとダメですね。私のような中途半端な人間はせいぜい野狐禅止まりというわけです。
 画家宣言してからの彼は、ある意味グラフィック・デザイナーとしての彼よりも魅力的です。あれほどの華々しい過去をかなぐり捨てて「自己表現」にこだわるようになったわけですから、そうですねえ、やっぱり我々凡人とは逆の変化のしかたをしているのかもしれませんね。我々は、子どもの頃自由な自己表現を楽しみますが、年をとるとどんどん社会に呑み込まれて狭く小さくなっていきますから。
 しかし、その「自己表現」の欲求も苦悩とともに、また「他者」に還っていく。その循環が面白い。プライベートを目指したはずが、再びパブリックに戻っていくのです。
Pcppp 最近始めたという「PCPPP」面白いですね。「パブリック・コスチューム・プレイ・パフォーマンス・ペインティング」でしたっけ?ああやって観客(?)を前に即興的に絵筆を振るい、さらに自分も「Y字路」に立つ登場人物に変身してしまう。自分も作品の一部になるとともに、なんと言っても、究極の自己滅却してますよね。これは自分との孤独な戦いというイメージの強かった「美術」の現場を大きく変える画期的な試みだと思います。いやあ、すごい。さすが。
 私もあんなふうに年月を重ねた男になりたいですね。もちろんそんな才能はないと思っていますが、しかし、あきらめていない自分もここにいたりして。とりあえず、これからは毎日、いや毎瞬間、どんどん子どもの頃の自由さに立ち返って行こうと思っています。大冒険とは言わないまでも、小冒険くらいはしたいな。はたして、それだけのエネルギーが自分にあるのか?
 
横尾忠則公式

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コメント

前略  薀恥庵御亭主  様
愚僧は「仕事柄」 他人様の
「文章」を拝読致します。
   ①面白(オモシロ)いか・・・
   ②読(ヨ)みやすいか・・・・
   ③読(ヨ)みたいか・・・・・
これは「オヨヨ理論」と
申します。笑
これが愚僧の「判断基準」です。
「映画」でも「漫画」でも
「歌」でも・「人間」でも・・・
「文章」でも結局 面白くて・・・
親しみやすくて・・・
また会いたい「モノ」に間違いは
御座いません。
薀恥庵御亭主様の「御文章」
は「最高」なのです。
有り難いことであります。
そういえばぁぁ・・・
三年程前・・・夫婦で
「美輪明宏様」の講演を
最善列×最前列◎で拝聴致しました。
とても面白くて 判りやすくて
また出会いたいと感じました。
生命保険の約款は・・・
「面白くなくて・・・
 読みにくくて・・・
 読みたくない・・・」文章です。
あまり詳しく読んで欲しくないのかも
しれませんね。大笑
合唱おじさん        拝

投稿: 合唱おじさん | 2009.09.12 23:10

合唱おじさん様、おはようございます。
オヨヨ理論、いいですねえ。
私の文章など、昭和の偉人たちに比べますと、まあ実に貧弱なものです。
まだまだ精進が足りませんね。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.09.13 10:46

前略 薀恥庵御亭主 様
十二分に「精進」は足りておられます。
日々 拝読させて頂いておりまして・・・
愚僧 自分自身の「盛腸×「成長」を・・
感じているのです。感謝感謝の心です。

兎に角 面白(おもしろ)いが「原則」ですね。
保険会社の「約款」などでも・・・

①あのねぇぇぇ・・・「ちょっと」や「そっと」
のことじゃぁぁぁ・・・保険金下りないからね。
そこんとこヨロシク。
②なんにもなかったらさぁぁぁ・・・
「運」よかったじゃん。感謝感謝。
③アンタにさぁぁぁ・・・何かあったら・・・
アタイたち「全力」で アンタの「家族」
のこと 守るから・・・「安心」してね。

愚僧 こんな感じの「約款」だったら・・・
毎年 必ず更新致したいと存じます。笑
合唱おじさん            拝   

投稿: 合唱おじさん | 2009.09.13 13:56

合唱おじさん様、こんばんは。
そんな約款だったら実に楽しいですね。
約款ってわざと人に嫌われようとしているとしか思えませんね。
悔しいから全部読んでやったこともありますが…笑。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.09.13 22:05

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