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2009.09.04

平成20年度「国語に関する世論調査」の結果について

Graph_10_03 ュースでご覧になりましたか?たとえば「破天荒」の意味を間違って認識している人が7割とか。
 まったく困ったものですねえ。いったい国語のセンセイは何をやっているんだ!?
 そうなんです。まったく困ったもので、実は私も今回の慣用句たち、ほとんど間違って使ってました(笑)。
 皆さんはどうでしたか?
 はっきり申しまして、このように意味が転化していくのは言葉の運命でありまして、実際そうして本来の意味から違った意味になって定着し、そしてそれが辞書に載るまでになって正しいとされている例は枚挙に暇がありません。しっかり調べれば分かりますが、現在国語辞典に載っている言葉のかなりの数が(おそらく1割は下らない)、その語が生まれた時代の原義から、かなり変化しているものと思われます。
 それは外国語である漢語に限りません。和語もかなり変化しています。古文の勉強で有名な例としては、「ありがたし(有難し)」が「めったにない」だったとかね。
 ですから、今回の例(「時を分かたず」「破天荒」「手をこまねく」「御の字」「敷居が高い」)は、ちょっと意地悪な出題という感じが否めないんですよね。つまりひっかけ問題をわざと出題したという感じ。ですから、全然憂慮すべき事態ではないような気がします。
 なんて、自己弁護に走っていますね(笑)。
 「破天荒」については、私は「天荒を破る」だということは知っていましたが、しかし、日常生活ではまさに「豪快で大胆な様子」として使っていました。本来は「前代未聞」「未曾有」ということですよね。言われてみればそうですが、さっきの「ありがたし」も「めったにないことだから感謝する」という文脈があるのと同じく、「豪快で大胆だからだれも成し得なかったことができた」という文脈があるわけですよ。もちろん、「繊細で慎重だから…」という文脈もあるし、故事的にはそっちかもしれませんが。
 そうそう、「敷居が高い」はですね、私は両方の意味で使っていましたね。「なんか敷居が高くなっちゃったなあ」なんていう言い方を、私は「自分の失敗によって訪れにくくなった」という意味と、「相手のレベルが高くなりすぎて訪れにくくなった」の両方の意味で使っているということです。
 誤用とされる方については、私、おとといも堂々と使ってました(笑)。この記事です。「プロの敷居が下がることには、いいこともたくさん付随してくると思います」という文です。これは「敷居が下る」という発展形ではありますが、「プロという本来高い敷居」というのが想定されている文ですから、まあ誤用と言えば誤用ですね。
 まあ意味が通じればいいじゃん!と開き直ることもできるでしょう。でも、やはり一応国語のセンセイですから、これはちょっと反省しましょうか。すみません…あっそうそう、この「すみません」も元々の意味からはずれて慣用的に謝罪のことばになってますね(笑)。
 とにかく言葉というのはとってもダイナミックに動く生命体です。辞書的な意味にとらわれないで、自由に新しいイメージを喚起し続けるのが、言葉の本質であり、だからこそ我々の心を動かし、我々の心をつなぐわけですよね。
 ちょっと卑近な例になりますが、一時はやった「KY」なんか、その後どんどん発展し、本来の(?)「空気読めない」「危険予知」「河野洋平」から「心読めない」とか「漢字読めない」とか「顔やばい」とか「コメント読め」とかに発展してますからね。それを誤用とは言えないでしょう。
 「破天荒」も外国字の外来語であり、ある意味「KY」と同様に、その個々の文字からのイメージ喚起で、「豪快で大胆」と変化しても、それはあんまり責められないような気がするんですが。
 だいいち、この故事を知っている人どのくらいいるでしょうか。もちろん中国人でも。そこに目くじら立てたり、「日本語の危機」だなんて言うのはどうかと思いますよ。せいぜいトリビアのレベルでの「へえ、なるほど、そうだっのか」なんじゃないでしょうか。
 ですから、今回の調査についても、教室ではそういう立ち位置で話そうと思っています。とにかく破天荒な教師としては、こういう新鮮なネタをですね、手をこまねいていないで時を分かたず料理して提供しなくちゃね。そして、こうしたネタを通じてですね、国語という教科の敷居が下れば御の字です(笑)。

文化庁の報告

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コメント

前略 薀恥庵御亭主 様
贈 座布団20枚 御進呈
合唱おじさん    拝

投稿: 合唱おじさん | 2009.09.05 10:10

数年前、子供の学力が低下してきたとするニュース報道があって、その根拠の一つに漢字の読み書き能力の低下を挙げていました。例えば、赤十字を“あかじゅうじ”と読むのがケシカランとか。これを“せきじゅうじ”と読むには、“赤”を“せき”と読むことを知っている以前に、赤十字とはなんぞやと言うことを知っていなければ、むしろ“あかじゅうじ”と読む方が素直だと思うのですがね。あえて非難するなら“あかじゅうじ”と回答した子供達を責めるより、赤十字を教えていなかった学校や親を責めるべきでしょうが。
昨日の高校生のクイズ番組を見て、何を憂うこともないじゃんと思いましたけどね。

投稿: LUKE | 2009.09.05 16:01


文章を読んで安心しました。

 
 言葉は文脈で、またその会話のときの空気も関係しますよね。

 まさしく生き物ですから、変化して当然なのでしょう。

 当然、私も破天荒の意味を間違ってました。(o^-^o)

投稿: 日田の宮田 | 2009.09.06 08:18

変わってはいけないというものでは無い物を、さも変わってはいけないとされることって多い典型例というわけですね。
変化に対処出来ないというわけですね。

破天荒について言うならば、破天荒な人間のイメージが「織田信長」とか「坂本竜馬」とかなどだから豪胆で大胆なという意味になってしまったわけだと思ったわけですが。

おかしが、可愛らしい子供の仕草から滑稽とかという意味になったように。

投稿: たこたよ | 2009.09.06 09:20

合唱おじさん様、おはようございます。
そんな20枚もいただけるなんて…笑
こういうマジメなものを茶化すのが、私の趣味でして…。
スミマセン。


LUKEさん、その通りです!
「赤十字」…文脈があったのかどうか知りませんが、
普通に考えて「あかじゅうじ」と読む方が自然です。
「みどりじゅうじ」とかね。
「黒十字」「白十字」も自然に読めば「くろ…」「しろ…」でしょう。
今回の件も、文科省の役人たちにテストしたら散々の点ですよ、きっと。


宮田さん、コメントありがとうございます!
そうですね。
「ことのは」があくまで「事の端」であって、
「コト」になりきらないのが、面白いところです。
私たちの意思の外で勝手に進化するわけですからね。


たこたよ君、どうもです。
そうですよ!
「をかし」は「萌え」ですよ!笑
言葉というものは実はとっても民主的なものなんです。
多数決で全てが決まりますので。
そのへんの本質を忘れて騒ぐ痛い大人が多いということでしょうか。
国語のセンセイにも多そうだな、そういう人(笑)。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.09.06 10:01

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