« キャンプ場プロレス 2009 (DDTプロレスリング) | トップページ | モノクロページプリンタ 『LP-S1100』 (エプソン) »

2009.09.07

『子殺し 猪木と新日本プロレスの10年戦争』 金沢克彦 (宝島社)

79666987 日、猪木さんが北朝鮮入りしたようですね。また、不思議な行動をしています。相変わらず何をし出すか、何を言い出すかわかりません。
 今日はアントニオ猪木と私の因縁(?)について少し書きましょう。
 またプロレスネタとなりますが、昨日とはだいぶ方向性が違います。これもあれもプロレスと呼ばれるわけでして、世間ではまったく混乱してしまうか、あるいは混同してしまうでしょうね。
 それだけプロレスは深く広い。いわば、「音楽」とか「スポーツ」とか「文学」とか、そういうレベルでの名前なのでしょうね。
 ですから「プロレス」にもいろいろ好き嫌いなどが生じます。当然です。でも私は、音楽でもボーダーレスであるように、プロレスにおいてもかなり広範囲をカバーしているつもりです。
 それでも、どうしても深く共感できない「男」がいるんですね。どこまで行っても謎な男。
 それが「アントニオ猪木」なのです。
 高校生くらいまでは本当に好きでした。私を決定的にプロレスの世界に引き込んだのは、アントニオ猪木と初代タイガーマスクでしたから。しかし、どの時点からでしょうか、違和感を抱き始めたのは…。そして、私はいつのまにやら全日派(反新日派)に。
 その後のUWFや総合格闘技ブームの頃は、もうほとんどアントニオ猪木には興味がありませんでした。唯一感動したのは、先日亡くなった旧ソ連のショータ・チョチョシビリ選手に猪木さんが負けた試合だったりします。あの時は真剣に「ざまあみろ!」と思ったものです。
 しかし、不思議なもので、時を経て、何かがぐるっと回って、今年からなぜか猪木さんに近づくことになりました。妙な縁です。先月の「GENOME9」では、初めて至近距離でそのお姿を拝見しました。やはり、不思議なオーラを発していました。とんでもなく引きつけられてしまいました。
 私自身理解できないような、アントニオ猪木に対する「違和感」と「憧憬」。考えてみると、ここまでの撞着は他にはなかなかありませんね。現代日本の中で、唯一本当に分からない存在であると言っても過言ではありません。まあ、昭和にはそういう人がたくさんいたんですが、彼はその最後の生き残りかもしれませんね。
 アントニオ猪木…いったい何者なのか?
 そんな疑問(疑惑?)に一つの大きなヒントを与えてくれそうだったのが、この本です。実はこの本、発売と同時に読んでかなり衝撃を受けたのですが、それこそ考えあぐねることや、消化できなかったことが多すぎて、おススメがだいぶ遅くなってしまいました。ちょうど三沢さんの死もありましたし。
 いや、本当にこの本、いわゆるプロレス本の中では、めちゃくちゃレベルが高いと思いましたよ。社会派本格ノンフィクションの読後感です。内容はもちろん、描写や文体も非常に優れている。文章に重みがあります。
 金沢さん自身の特別な立場での特別な体験が、時を経てしっかり消化され、重厚な文章に結実した感じがありますね。表面的な事件をたどるだけでなく、選手の内面にまでしっかり踏み込んでいる。
 それはもちろん、テレビと雑誌でしかその世界に触れることのできなかった私たちの感覚とは、大きくかけ離れた世界です。その時それを知らなくて良かったということも多い。あまりに生々しいことだからです。
 しかし、ここに描かれたアントニオ猪木の「子殺し」の事実は、時という醸成の魔術によって、こうして「物語」となりました。もちろん、優れた語り部を得たことも大きい。優れた語り部がいなければ、歴史は単なる記録にしかなりえません。
 「子殺し」…私は見事なネーミングだと思います。私の「違和感」の根源は、まさに「子殺し」に対するそれだったからです。私はその言葉を思いつかなかった。脳内で長いこと「コト化」されなかったから、本能的に不快だったのです。
 そしてまた、違和感とともに存した「憧憬」、この大矛盾も「子殺し」という言葉によって理解できたような気がします。
 「子殺し」…私は最初、この言葉を、いわゆる生物界での現象としてとらえていました。つまり、生物学における優性選択のための子殺しと、個体の異常としての子殺しですね。猪木という野性生物が、無意識的、本能的にそういうことをしているのか、あるいは猪木という個体が持つ精神疾患的な先天的異常なのか、ということです。
 しかし、私はこの本を3回読んで、全く違う視点に至り、そして納得しました。それは、宗教的な次元での「子殺し」です。
 そう、キリスト教における「子殺し」です。すなわち、父なる神が我が子イエスを殺したという「物語」です。もちろん、あれは単なる生物学的なレベルでの話ではありません。「子殺し」という究極の手段が持った意味は、あまりにも深く重い。そして、結果として「復活」という新たな物語を生み出し、世界の転換が図られました。
 うん、猪木が行なった数々の「子殺し」の儀式(プロレスを潰さんとするかのように見える行為)には、実はそういう次元での暗号が秘められていたのではないか、ということなんです。
 イエスは自らの使命を察知して「子殺し」を甘受し、そして民衆は自らが罪を犯すことによって自らの罪に気づき改心しました。
 はたして、アントニオ猪木という神の、その子たる多くのプロレスラーはその使命に気づくことができたのでしょうか。そして、我々ファンは自らの罪に気づいたのでしょうか。お互いに、十字架の意味を理解したのでしょうか。
 すなわち、プロレスの「復活」はあるか、ということです。
 ぜひそうあってほしいものです。
 そうしてみると、三沢さんの死にも、また違った理解の仕方があることがわかるかもしれません。

Amazon 子殺し

楽天ブックス 子殺し

不二草紙に戻る

|

« キャンプ場プロレス 2009 (DDTプロレスリング) | トップページ | モノクロページプリンタ 『LP-S1100』 (エプソン) »

スポーツ」カテゴリの記事

ニュース」カテゴリの記事

モノ・コト論」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

歴史・宗教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/55913/45789565

この記事へのトラックバック一覧です: 『子殺し 猪木と新日本プロレスの10年戦争』 金沢克彦 (宝島社):

« キャンプ場プロレス 2009 (DDTプロレスリング) | トップページ | モノクロページプリンタ 『LP-S1100』 (エプソン) »