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2009.08.01

富士山と能

35581208_2136083648 日に続き、「女」の話になっていきます。
 今日は地元のショッピングセンターで、能の発表のお手伝いをしてきました。今年度我が校に発足した「能楽部」の初舞台であります。もちろん、生徒たちはまだまだ始めたばかりの初心者ですので、基本的な型の紹介と、簡単な謡の発表にとどまりましたが。それでも彼ら彼女らはよく頑張ったと思います。
 大型ショッピングセンターのレジ横という、ある種の喧騒の中でも舞と謡、違和感があるかなと思いきや、案外そうでもありませんでしたね。そう、観阿弥や世阿弥の頃は、まさに市の傍らでの野外興行なんて当たり前でしたから。ちょうどこんな感じで、道行く人が車座になって観賞したのでしょう。
 これはこれで古態の復活であったりして。プロの皆さんではなかなかできないことかもしれませんね。
 今回は、我が教え子でもあり(つまり本校の卒業生)、野村四郎師の内弟子である「先生」も発表を手伝ってくれました。やはり彼女の仕舞はカッコよかった。あの現代的空間に、ああやって異次元を現出させただけでも、それはそれは素晴らしい事件でありました。素晴らしい。
 発表が終わった後、まさにそうした「舞」「能」が結ぶ御縁ということで、ある方に声をかけていただきました。短い時間ではありましたが、なかなか刺激的な内容のお話をうかがうことができました。
 面白いなと思ったのは、秦河勝が富士北麓の出身ではないかというお話。秦河勝と言えばもちろん能(秦楽)の始祖とも称される人です。観阿弥・世阿弥も河勝の子孫を名乗っています。そして、秦氏と言えば徐福。ここ富士北麓とは切っても切れない人物ですね。北麓には今でも彼の子孫を名乗る家系がいくつかあります。羽田氏はその代表。
 ただ、私はこのお話をうかがいつつ、ちょっと不思議な気持ちにもなりました。というのは、日本書紀にあるあの記述のことを思い出したからです。秦河勝は晩年、駿河の富士川付近である豪族を討伐しています。その大生部多という人物は、蚕のような虫を「常世神」として信仰していました。私としては、養蚕と常世国のイメージからして、秦河勝は富士山周辺にあったある勢力を弾圧したのだろうと思っていたわけです。ですから、まあ、富士山文明からしますと敵というわけですね。
 つまり、今までの私の勝手な解釈としては、秦河勝は徐福の末裔でありながら、大和朝廷側に寝返り、さらに仏教派に肩入れして権勢を手に入れた裏切り者というイメージがあったのです。これは本当に単純な発想であり、別に確信でもなんでもないんですが。
 もちろん、当地に残る宮下文書(富士古文献)には違った秦河勝像が描かれていますが、そちらはまだ不勉強であります。いずれにしても、私は正史から入るのを基本にしていますから、先ほどのようなイメージが出発点になるわけですね。
 でも、これは一度しっかり調べてみなければと思いました。というのは、最近、自分も能に関わるようになってですね、どうも富士山と能の関係は案外と深いものがあるという直感が働いているんですよ。
 もちろん、謡曲「富士山」や「羽衣」の例を挙げるまでもなく、世阿弥は富士山とその周辺の物語に興味を持っているのがわかります。それから、観阿弥が亡くなる直前に最後の能を奉納したのが、駿河の浅間神社(具体的にどこの浅間神社かは不明)だったというのにも、何か因縁を感じます。
 あと、最近、出口王仁三郎の大本と富士山の関係について興味を持って調べているのですが、そこで知ったのが、大本の本拠地京都の亀岡と能の深い関係です。今でも大本では能が盛んですし、なにしろ、開祖のナオさんは神懸かりになると仕舞のような動きをしたと言いますから、根源に何かがあるのだろうなと思いましたら、なんと、梅若の始まりになった矢田猿楽の「矢田」って、王仁三郎の住んだ中矢田の矢田なんですね。全然結びついていませんでした。
 王仁三郎の霊的開発にコノハナサクヤヒメの分霊が関与したことは言うまでもありません。そして、霊界物語における富士山(天教山)の役割や、宮下文書(富士古文献)の神統譜の引用、聖地綾部本宮山月山不二に安置されている明見(宮下文書によると富士王朝の都のあった所)から運ばれた富士の霊石…富士山と亀岡や綾部とは不思議とつながっているのです。
 来週になりますか、今年も富士山北口本宮冨士浅間神社で梅若薪能が行われます。今まで何度も体験させていただいた薪能ですが、こういう因縁があろうとはつゆぞ知りませんでした。コノハナサクヤヒメが結ぶ不思議な縁。
 そう、今では浅間神社の祭神は言うまでもなくコノハナサクヤヒメですが、実は古くは赫夜姫(かぐや姫)であったことも分かっています。この赫夜姫、読み方によっては「トヨヒメ」ともなるため、丹波や大本ともゆかりの深い伊勢神宮外宮の豊受大神との関係も指摘されているとのこと。
 ああそうだ、観阿弥と世阿弥と言えば、南朝との関係もいろいろとウワサされていますよね。上嶋文書には観阿弥・世阿弥は楠木氏だとありますし。当時の芸能集団、特に全国を行脚していたグループには多分に忍者、隠密的な色合いがあります。もちろん、そこに寺社というネットワークが関わってきますし。
 いろいろと書き出せばキリがないのですが、とにかく今回縁あって私も能に関わるようになりました。四郎先生の内弟子になった彼女も、もとはと言えば私の口車に乗ってその世界に入ったようなものです。で、彼女、もちろん女性ですから、こうして富士山の麓で女性が能を舞うということにですね、私は特別な感慨を持つわけですよ。木花開耶姫の舞、赫夜姫の舞…。
 そんなわけで、今後の展開が実に楽しみであります。

追記 第11代垂仁天皇の妃に迦具夜比売がいます。こちらのかぐや姫はヤマトタケルのおばあさんにあたるわけですから、富士山と間接的につながりますね。調べる必要がありそうです。

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