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2009.08.31

民主党圧勝、政権交代へ…どこかおかしくないですか?

Photo え、ワタクシは昨日の選挙には行きませんでした。山中湖で音楽を聴いておりました。実を言うと、ワタクシは国政選挙に一度も行ったことがありません。それがワタクシの政治的信条であり、政治的良心であります。もちろん、行くべきだ、投票したいと思ったら行くつもりです。今までそういう選挙がなかっただけです。特に今回は最初から気持ちが萎えていました。
 昨日、今日はテレビをつければ、どこもかしこも「民主圧勝、政権交代へ」。ほとんど夏の終わりのお祭りのようでした。
 政権交代で思い出すのは、平成5年から平成8年にかけての非自民政権です。細川内閣、羽田内閣、村山内閣。あの時と今回とでは、あまりに状況が違いますね。あの時は絶対多数な政党はなく、ある意味でバランスのとれた政権交代でした。
 ですから、ドラスティックに何かが変るという雰囲気はありませんでしたね。55年体制が崩れて、戦後初めて自民党が野党になったという意味では大いに盛り上がりましたけれど、国民は政策の大きな変化を期待したり、あるいは予感したりはしませんでした。
 結果として短期間で非自民、非共産政権は自然解体し、再び自民党内閣に戻っていったという感じがします。自民党のみそぎ期間だったとも言えますね。私もそういう気持ちで見ていました。汚職など、積もり積もった垢を落とすための時間を、国民が与えた…いや、天が与えたという感じでしょうか。
 その証拠と言ってはなんですが、特に村山さんの時は、様々な天変地異や事件事故に見舞われましたね。阪神淡路大震災、オウムの一連の事件、ハイジャック…。私の趣味的に言いますと(笑)、テレサ・テンさんが亡くなり、新日本プロレスとUWFインターとの対抗戦がありました。
 さすがに異常ですよね。そうした人間の無力さや愚かさを露呈するようなことが多発する中で、我々は政治が「まつりごと」であることを無意識のうちに思い出していったのです。そして、日本的、懐柔的、談合的祭祀の伝統を継ぐ自民党へと、政権が自然に戻っていきました。
 それに比べると、今回はあまりに急速に過激に政権が交代する感じがします。私はそれに恐ろしさを感じます。民主党が単独で300議席以上を獲得したということ、それをやれ圧勝だ、政権交代だと騒ぐことに違和感を抱きます。そんな分かり切ったことよりも、そのあまりに極端な選挙結果を生んだ、日本国民の「集団気分」を憂慮すべきだと思うんですが、いかがでしょうか。
 もともと日本人はそういう「風」に流されやすい民族ではありますが、さすがに今回はひどいでしょう。目先のカネに目がくらんだ愚民が暴動を起したようにしか、私には思えません。誰がいったい、自己の責任に基づいて「決断」したのでしょう。選挙は怒りの表現ではないはずです。感情や、それ以前の「気分」で投票していいものでしょうか。
 もちろん、民主党に投票したみんながそうだと言っているわけではありません。ちゃんと冷静に考えた上の決断を下した方も多いでしょう。しかし、一連のマスコミの報道の仕方を見ていますと、どうもそうでない人も多いと感じます。マスコミの罪は大きいですよ。
 つまり、自民党がどうだとか、民主党がどうだとか、そんなフィクションの部分はどうでもいいんです。顔ぶれを見れば大差ないのは、実はみんな知っていることですから。
 そうじゃなくて、リアルな国民の愚かさの方が、ずっとずっと心配です。
 こんなことは安易に言いたくありませんが、そういう事実に気づかないと、また神様がとんでもないこと起こしますよ。今の私は、心から天変地異や人間の愚かさが生む事件・事故がないことを願っています。
 まあ、現実的に考えても、まずはインフルエンザです。教育界も大変なことになるでしょうし、日米関係も面倒なことになるでしょう。
 数年後、あるいは数ヶ月後、反省をするのではなく、逆ギレしている国民の姿が目に浮かぶようです。ああ、いやだなあ…。
 禊ぎをしたところで、もう今の自民党には祭祀の力はありません。力が分裂してしまっているからです。公明党については言わずもがな。
 とりあえず大連立じゃなかったのかなあ。もう遅いのですが…。

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2009.08.30

SWEET LOVE SHOWER 2009 in 山中湖

2 に続き、山中湖で行われたSLSに行ってきました。
 今年はスペースシャワーTVの開局20周年ということで、ぜいたくに3日間にわたって行われました。個人的には、フジファブリックとユニコーンの出演した28日にも行きたかったのですが、さすがに平日の昼間だとなあ…。我が校ではちょうど始業式ということもあり、残念ながらあきらめました。いやあ、フジもユニコーンも良かったみたいですねえ。
 2日目も若手実力派バンドが集結しており、参戦してみたい気もしましたが、ちょっと45のオッチャンにはきついかな、ということでお休み。そして、今日はいろんな意味でオッチャンでも楽しめるアーティスト満載ということで、教え子を連れて行ってまいりました。
 まず、自分のことから書かせてください。オレってこんなに有名人だったっけ?と思ったんで(笑)。自慢話です。
 今日はホントいろんな人に声掛けられました。あれだけの人ごみの中で、どうして私を見つけるんだろう。ポンチョかぶってたので、あんまり目立たなかったはずなんだけどなあ…。
 計15人ほどに見つかりました。それも、生徒や卒業生、同僚、知り合いならともかくも、なぜか出演者やその親族の方々も、向こうからわざわざいらしてくれて、「どうも、どうも」とか言われちゃうし。
 一番びっくりしたのは矢野顕子さんと偶然遭遇しちゃったことでしょうか。普通に「お疲れさまです」とか挨拶しちゃいましたが、きっと向こうは「あれ?誰だっけ?」っていう感じだったでしょう。業界人に見えるのかな?それともオレって本気で有名人なのかな?(笑)
 ま、そんなくだらない自慢話はいいとしまして、今日のステージの感想をつらつらと書きましょうか。
 今年は昨年の反省に基づき、まずは車を近所の卒業生宅に置かせてもらいました。ありがたや。あの終演後の公式駐車場脱出困難地獄には参りましたので。
 入場後はすぐにレミオロメンのステージです。昨年は大トリで感動的なフィナーレを演出した彼ら、今年は「グルッと回って」オープニングです。
 まあ、今年の藤巻くんは、かみまくりましたねえ。なんでもおととい富士山に登ったとか。ちゃんと登頂したそうです。偉い!…いや、それでいいのか?大切なステージの寸前にそんなムチャして…。そんな無茶を平気でやっちゃう(今までもいろいろありましたね、実は)やんちゃな姿こそ、彼らの魅力とはいえ、そろそろいい歳だから自重してほしいような気も(笑)。
 実際お疲れが残っていたんじゃないでしょうかね、マジMCでも噛みまくり。しまいには、その富士登頂の感動を歌うはずだった「もっと遠くへ」で致命的なかみかみを犯し、やり直しに。実は「もっと遠くへ」は昨年もやり直したんですよね。今どき、そんなプロのバンドなかなかいませんよ(笑)。「カミオロメン」と命名してあげますよ。ま、藤巻くんにはいろいろ義理もありますので許す!
 レミオのステージが終わると、私はおもむろにMt.FUJI STAGEの正面テントの裏へ。ここはステージが見えませんので特に空いているスペースです。そこにシートを敷いて、ぐうたら観賞です。中盤は実は寝てました。台風が近づいているせいか、それとも別の原因か、頭痛がひどくて。
 あとですねえ、最近の若いバンド、特に今日演奏した方々、決して音楽的に悪くないし、技術的にはとってもうまいんですが、正直個性がないというか、みんな同じに聞こえるというか…。私が単に歳を取ったとも言えますけど、それにしてもみんな新しさが足りない気がしてなりません。
 どんどん出てくるバンド、けっこうちゃんと聴いているつもりです。オッチャンなりに頑張って聴いているつもりですが、たしかにこのブログでそれらを紹介するときも、「このバンドは○○に似ている」とか「○○と○○を足して2で割ったような」とか、そういう表現が多くなっているような気がします。それぞれのコアなファンにしてみれば、とんでもない!ということでしょう。でも、絶対にパターン化していますよ。実際、長続きしそうなバンド、超大物になりそうなバンド、全然見当たりません。特に今日は草食系バンドが多かったからかなあ。昨日は比較的肉食系だったようですが…。
 実はそれを強く感じたのは、後半に活躍したベテランバンド&アーティストがあまりに個性的だったことが原因です。まず度肝を抜かれたのは、TOKYO NO.1 SOUL SET。アラフォーの3人が紡ぎだすコテコテのグルーヴに、思わず体が動いてしまいました。頭痛も治った!あれは単純にヒップホップとは言えないな。しっかり日本の歌謡曲してますよ。演歌かもしれない。しびれました。
 続いての東京スカパラダイスオーケストラは言わずもがな。彼らはこの夏二度目の山中湖ですね。夏の湖とスカは非常にマッチする!もう理屈抜きで乗らされる。完璧なステージングですね。演奏技術だけでなく全体の演出力もずば抜けている彼ら。これまた度肝を抜かれました。
 そしてそして、矢野顕子さま。私、実は生矢野顕子さまは初めてです。こんなに間近に彼女を拝見拝聴できるとは…。これまた、もう理屈抜きに打ちのめされました。世界に唯一無二の歌姫ですよね。これぞ世界レベル!なんですか、あのピアノは。彼女のピアノだけでもお金を払った価値があったというもの。
 そして、声、言葉。全てが完全体。たたずまい、おしゃべり、ピアノのミスすら作品になってしまう。あまりに恐ろしい存在でした。まさに富士山に降臨したかぐや姫という感じ。あのセクシーさは、私が震憾した(萌えた)ちょうど30年前のお姿と、なんら変わることありませんでした。そんな方と挨拶交わしちゃったし(笑)。
 さてさて、続きましてはエレファントカシマシです。昨年のエレカシも良かったなあ。今年も全くおんなじノリでしたよ。これもまた揺らがない個性。好き嫌いを超えて、もう伝統芸、無形文化財のレベルですね。歌は魂ですよ。ソウルですよ。言葉の意味とか、コードの組み合わせとか、そんな瑣末なことはどうでもいい。
 で、ちょっと可哀そうだったHYをはさんで、今年の大トリは桑田佳祐 & SUPER MUSIC TIGERS。これがまあ、とんでもないことになっちゃった。私、生で桑田さんの歌を聴くのは、25年ぶりくらいです。大学生の時、所沢球場にサザンオールスターズのライヴに行って以来です。
 もうなんというかですね、言葉になりませんね。いろいろな思いが去来しました。妙に切なくもなりました。時は流れる。夏は終わる。政権交代で日本も終わる(笑)。
 それにしてもとんでもないバンドでしたね。総勢16名ですか?サザンのメンバーから大御所、スカパラまで。あまりに贅沢なバンドでした。個人的には亀田誠治さまのベースがぐっと来ましたねえ。夢のようです。曲もまた贅を尽くしていましたね。桑田ソロ名義からサザンの名曲まで。とんでもない選曲でした。正直なめてた。帰りの渋滞を考えて途中で退散しようなんて思ってたのに…。完全に呑まれました。さすが超大御所。
 彼が日本の音楽界に果たした功績についてもしみじみ考えましたよ。歌謡曲は「言葉」がはじめにあると、なかにし礼さんも語ってますが、それを革命的に壊したのが彼の音楽でした。彼は洋楽のエッセンスをあまりにうまくパッチワークしました。それがとんでもない天才的なレベルでのことでしたから、日本では初めて音楽が日本語を超えることに成功したんです。
 それは日本の歌謡界にとっても、ロック界にとっても、幸福なことでもあり、不幸なことでもあったんです。結局、今日の若手バンドの問題点は、そこに集約されるとも言えます。つまり、最近は再び日本語ロックへの回帰が行われているわけです。私が演歌ロックと称するものたちですね。そのへんに関しましては、またいつか語ろうと思います。今日はとにかく桑田佳祐という破壊の神のすさまじさに感動しまくったということで。
1 いやあ、ベテランの力というのはすごいですね。つまり、生き残るモノのすごさです。ある意味市場経済的なコトを乗り越えてしまう何かを持っているんですね。時代を超えるモノこそ「神」ということでしょう。
 折しも、今日はプロレス界でも時代を超える大きなイベントがありました。また政界でも時代を画する大きな事件(!)がありました。いずれにせよ、時代を超える本モノが若い人たちの中からどんどん出てきてほしいですね。いろんなジャンルにおいて。ああ、やっぱり我々教育者の責任は重大ですねえ。
 
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2009.08.29

『サイクロン式ハンディークリーナー エスカルゴ』 (東芝)

41n5dtgkx5l_sl500_aa280_ 除機というのは難しい電化製品の一つです。難しいというのはいろいろな意味で、です。
 取扱いも結構難しいし、収納も難しい。それ以前に選択も難しい。
 ウチも世間様のご多分にもれず、掃除機ではなんとなく苦労してきました。家を建てたばかりで、あんまり物がなく、大ざっぱに掃除ができた頃は良かったのです。収納場所も困らなかったので、実際こういうのを使っていたこともありました。あれはたしかにきれいになった。でも、その後子どもも猫も増えたり、ま、それ以上に家具やらなにやらがやたらと増え、実に掃除がしにくくなってきたんですね。
 で、今はとりあえずメイン掃除機としては、本当に普通の古典的なヤツを使っています。近くの電器店で展示品を安く譲ってもらいました。ちょっと色は斬新なんですが、機能的には全く普通。1万円でおつりが来る物としては及第点をあげられましょうか。
 で、今回紹介するのはそれではなくてサブ機。さすがに家も建てて10年以上になりますと、いろんなところにいろんなゴミがたまってきます。特に高いところですね。ウチのリビングは半吹き抜けでかなり天井が高いので、今まで全然掃除してこなかったら、なんだか蜘蛛の巣みたいなものがそこここに絡みついて、プチ幽霊屋敷みたいになってしまいました。あと、一番高いところにある換気扇ですね。ものすごいホコリが表面に付着している。
 まあ、書き出すとキリがないほど、手の届かないところに積年の恨み…じゃなくてゴミがたまっていたわけです。これがフツーの掃除機だと絶対に届かないんですね。それで放置されてきたとも言えますが。
 そこで、そういうところに手の届くサブ機を買ったわけです。それがこのエスカルゴ。
 まず最初に言っておきますが、これはあくまでサブ機です。ちょっとかっこいいし便利そうだからと言って、一人暮らしの人なんかが間違ってメイン機として買わないように。パワーもウチのメイン機の10分の1ですし、実際のデザインはそんなにかっこよくありませんし、収納も実は不便です。
 でも、私のように使用目的をしぼれば、それなりにいい製品だとも言えます。まず、本来の目的には充分でした。すなわち、高所の積年のホコリを取り去るには完璧だったということです。ただ付属のパイプだけでは普通の掃除機より短いので、結局メイン機のパイプを借用して延長することにしました。見た目はものすごくカッコ悪い(色の違うパイプをつなぐし)けれども、まあ誰が見ているわけでもないので良しと。
 カーテンレールの上とか、照明器具付近とかもきれいになりましたね。それから、案外いいなと思えるのは、階段掃除です。あの、床をゴロゴロ引きずる普通のヤツですと、階段の掃除がほとんど不可能じゃないですか。これは肩掛け式ですので、苦もなくサッと掃除できます。ポータブル型にしては電源コードも6メートルと長いので、一般の家庭の階段なら全然問題なく上から下まで掃除できるでしょう。
 あと、自動車の中を掃除するのに便利ですね。よくあるコードレスのヤツだとパワー不足や時間不足に悩まされるじゃないですか。これはコード式ですから、そういう心配はありません。延長コードさえあれば、電源は困りません。家の中から引っ張ってくればいい。
Uni_2951 さて、一番上の写真やカタログを見るとですね、なんとなくデザインに優れ、ある意味掃除機らしくなく、また収納に便利なような気がしますが、右の写真を見てわかるとおり、案外厄介なシロモノです。
 まず長くて便利なコードが巻き取り式ではありません。ただ束ねてマジックテープで留めるというあまりに古典的な方式です。なんとなく本体に巻き付けられそうなイメージを持っちゃいますが、実はそれすらできません。束ねるのも面倒ですから、結局このようにグシャっと放置(笑)。ま、サブ機として時々使うのであれば、面倒くさがらず束ねればいいだけなんですけどね。基本無精なもので。
 あと、肩にかけた時に重量バランスが悪いというか、安定感がなくてあんまり気持ちよくない。もっと体にフィットするのかと思っていました。軽くていいのですが…。
 あと、本体が身近にあるために、排気もすぐ近くに感じることになります。そこに抵抗ある人もいるでしょうね。
 こんな感じでして、サブ機として割り切って使うには、よくある充電式の中途半端な物なんかよりは、ずっと優れていると言えるでしょう。お値段もまあまあだと思いますので、上に書いたような特殊な用途でぜひ使いたいという方にはおススメできます。

Amazon 東芝 サイクロン式ハンディクリーナー エスカルゴ VC-Z100L(S)シルバー

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2009.08.28

雪豹来たる…

20090829_71259 Mac OS Xのアップグレード版、Snow Leopard が届きました。Mac歴もずいぶんと長くなりましたが、アップグレードのたびにヒヤヒヤするのは私だけではないでしょう。
 今の私の生活にMacは欠かせません。仕事、趣味両方ともかなりMacに依存しています。中でも、国語の先生という仕事上、IMやワープロ機能やは非常に重要であります。そのIMとワープロは昨年開発が終了したegbridgeとegwordを使っています。
 そして、その記事にも書いてありますが、私は親指シフターでもあるので、アップグレード後、それらが今まで通り使えるかどうか、これはほとんど死活問題と言えます。
 今回は一見マイナーチェンジのように見えて、実は64bitに正式対応するという目に見えない大幅な進歩がありました。それが古いソフトにどう影響を与えるのか、私は専門的なことは分かりませんが、とにかくウチではいろいろとヒヤヒヤなのです。
 いちおう最悪のことを考えて、職場のMacBookではなく、自宅のMacBookにインストールしてみました。いろいろと面倒ですので普通に上書きインストールです。
 結論から申しますと、64bitソフト上でも、egシリーズ、Teslaによる親指シフト入力ともに、正常に動いております。ふぅ、安心しました。これでまた当分現状の日本語環境でMacを操れます。今も64ビット化したsafariの上で書いています。
 ああ、まじでドキドキした。ホント毎回ヒヤヒヤものですよ。
 ただ、今のところ一つだけ大切なソフトで不具合が出ています。それはプレゼンテーション・ソフトのkeynoteです。私は二世代前のヴァージョン4を使っていまして、今、それを立ち上げてみましたら、なんだか表示色が変。どういう理由での不具合が分かりませんけれど、とにかく使える状況ではありません。
 この秋はプレゼンの嵐になる予定なので、まあちょうどいいかな、最新版を買うことにしますわ。ただ、個人的にはkeynote単体で安く売ってほしいですね。iWorkというパッケージには、ワタクシ的には全然使わないPagesやNumbersが入っていて、その分割高になっています。
 ま、いいや。keynoteは縦書きが出来ない!だから国語の授業で使えない!とか、いつか書きましたが、egwordで縦書き原稿を作って、それをpdfで書きだしてkeynoteに埋め込めばいいことがわかったので、今後は積極的に教室でも使っていこうかと思っています。
 さて、その他の新機能ですが、それほど画期的なものはありませんね。ちょこっと使ってみていいかなと思ったのは、新しいQuickTimeでしょうか。今までproでないとできなかった編集や書き出しが簡単にできるようになっています。お手軽動画隆盛の現在、こういう機能は必須になってくるんでしょうね。
 秋には鳴り物入り(?)のWindows7が発売になるとか。顰蹙を買ったVistaから、一気に巻き返しができるのか、あるいはまた迷走してMicrosoft王国衰退に拍車をかけるか、ちょっと楽しみですね。
 apple社は50年後まで見据えていろいろ考えているようですね。こちらの政権交代も案外近いかもしれません。

Apple公式

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2009.08.27

『中山成彬はなぜ日教組と戦うのか』 伊藤玲子 (ベストセラーズ)

「教育のガン」…ぶっ潰すまで戦い続ける!(腰巻より)
58413116 あ、もうすぐ選挙です。民主党が勝つでしょう。そして、また日本はダメになるでしょう。特に教育現場は。
 いやいや、私は別に特別な自民党シンパではありませんし、共産党員でもありません。おそらく今回も投票に行かないでしょう。
 それにしても自民党の必死さは面白いですね。mixiをはじめ、そこら中に広告出してます。そして、それをclickしてホームページへ飛んでみると、面白いコンテンツ満載ですね。特に民主党に対するネガティブ・キャンペーンは実に楽しい。
 でも一読の価値はあると思いますよ。一連のチラシのpdfはたしかに民主党の恥部をさらしていて面白い。ま、誰にでも恥部はあると思いますが(笑)。特に教育関連では民主党=日教組に日本は任せられない 「日の丸」を切り刻んで党旗を作る民主党!!がよくまとまっていていると思います。
 そう、実はですね、山梨県の教育界というのは実に特殊な現状でして、今回民主党が政権を取ってしまいますと、ますますその特殊さが濃厚になるのではないかと危惧しているのです。
 この問題はある意味県内ではタブーなのか、誰もホントのことを書いたり言ったりしませんね。マスコミも尻込みしている。私は私学の人間でして、この問題の核心にある日教組(山教組)とは関係ありませんから、なんでも書けます…かと思いきや、そうでもなくて、まあ仕事柄たくさんの公立の先生方と交流がありますからね、あまり極端なことは書けません。
 いや、それは別に私自身の保身の問題とかではないんですよ。単純に本当のところが見えているからです。たとえば自民党が吠えたり、この本で指摘されていることが全て事実ではないということも知っているからです。
 なんのこっちゃ?という方も多いと思いますので、ごく簡単に説明しましょう。
 山梨県は日教組王国と表面上は言われています。なぜなら公立教員の山梨県教職員組合への加入率が95%を超えているからです。これは全国的にもかなり高い方です。ですから、この数字だけ見ればですね、山梨では徹底的に日教組的教育(先ほどの自民党のパンフ参照)が行われているかのような錯覚が起きて当然です。この本でも基本そういう紹介のされ方をしています。
 特にいわゆる山教組問題というのが、平成16年の参院選挙の時に起きてからは、他県の心ある親御さんは、絶対に山梨に移住なんてできない!と思ったことでしょう。
 そう、この本でも強烈にやり玉に上がっていますけど、あの時は、輿石東現民主党代表代行のために、公立学校の教職員ほぼ全員が数千万円に及ぶ裏カンパをしたり、本来の教育業務ほったらかしで票集めに奔走したんですよ。産経新聞がそれを初めて全国版で取り上げ、国会でもずいぶんと問題視されました。というか、他県の皆さんは「そんなことが現実にあるのか?」と驚かれたことでしょう。
 でも、そんなことはその時に限ったことではありません。全国的にも有名な「甲州選挙」では、そんなのは序の口でしたから。山梨特有の人間関係、地縁・血縁、ヤクザさながらの親分子分関係、無尽と言われる特殊なコミュニティー文化などは、今でも色濃く残っています。
 それはそれで悪いことばかりではないんですよ。歴史的に見て、山中の小国が生き残るためには、そういう人の絆が必要だったのでしょうし、あるいは落人が身を潜めて生き残るためには、そういう智恵が欠かせなかったのでしょう。
 しかし、そういった特殊な地盤を悪利用するヤツもいるわけです。まあ有名なのはかのドン金丸信でしょう。で、そういう旧式の自民党流のやり方を非難しているはずの民主党の代表格が、今こうしておんなじことをやっているんですから、もう笑っちゃうしかないですよね。投票にも行きたくなくなるというものです。
 おっと、肝心なことを書きそびれていた。で、山梨というのは日教組支配が強くて、自民党的に言うとトンデモな教育が行われているのかというと、実際はそういうワケではありません。私が知っている過激な組合先生は3、4人くらいです(笑)。つまり、組織率は非常に高いけれども、思想的な組合率はかな〜り低いのです。ですから、たとえば日の丸や君が代なんかも、別に普通に扱われています。
 ま、先ほど書いたような特殊な共同体システムの一部として、「山教組」という名前のもとに集結していますが、思想性は全くと言っていいほどない、ある意味腑抜けな団体なのです(失礼)。もっと言ってしまえば、なんも考えていないんです。つまりそんな思想的なことよりも、ちゃんと毎日子どもたちの為に純粋に仕事をしている先生がほとんどだということです。
 ただ、実際に、いやいやながらも票集めに奔走したり、出世のために組合活動に形だけでも貢献したりしなくてはならないのは事実ですから、そういうところはさすがにちょっと変った方がいいと思いますよ。ま、私は蚊帳の外ですから、他人事のように言っているのであって、もし公立の教員でしたら、自分のポリシーに反してでも組合マンセーのふりして、出世街道に乗ろうとするでしょうけど(笑)。
Elc0908171755028n1 さて、そんなこんなのドタバタ選挙を前にして、この本を読んでみたわけですが…。ま、非常に面白かった。ウソは書かれていませんから。たしかにこういう事実もあったと知ると、みんなビックリするでしょう。こりゃ日本の教育のガンは日教組に違いない!と思うでしょう。
 しかし、今述べたように、日教組と言っても、それぞれの県、地域、そして個人によっていろいろなわけです。それを十把一絡げにしてしまうと、そちらの方が原理主義的に見えてしまいます。熱い正義感も結構ですが、少し冷静にならないと解決するものもしなくなります。右翼の街宣車がいくら出動しても、日教組は懲りません。懲りないどころかますます意固地になりますよ。
 というわけで、やっぱり私の立場上、奥歯に物の挟まったような、気持ちの悪い記事になってしまいましたが、ご了承下さい。とにかく、私は今回の選挙は投票しません。できません。
 それにしても、上に掲げた「日の丸を利用した民主党旗」は見事なアイデアによるナイスギャグですね!ww

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2009.08.26

吉田の火祭り2009

2 ノハナサクヤヒメさんの嫉妬の炎(爆発・噴火)を鎮めるために、こうして我々人間がチョロチョロと火をともして、「そうですよねえ、ひどいですよねえ、ニニギさん。まあ、なんで男ってヤツは自分のことを棚に上げて、女を疑うんでしょうねえ…」とご同情申し上げるこの祭。
 今年に入ってから、個人的にずいぶんとコノハナサクヤヒメさんにお世話になっている…というか、ちょっと良くしてもらいすぎな感すらあるワタクシ。それこそご主人のニニギさんに申し訳ないくらい(笑)。
 そんな日頃のお礼も含めて、家族で火祭りに参加してまいりました。一昨年と同様、まずは我々夫婦の結婚式の場でもあった北口本宮冨士浅間神社拝殿で二礼二拍手一拝。教え子が巫女さんをやっているのを見つけ、特別にお神酒を何杯もおかわりさせてもらいました(笑)。
 そして、ある意味祭りのクライマックスである点火式を拝見。屋台がある方には人がたくさんいるのに、この大切な神事を観る人はまばら。地元の人より外国人の方が多いのでは。まあ、いいか。
 最後の大松明に炎が上がると、たしかにコノハナサクヤヒメさんの怒りの炎の方は収まったような気がしましたから不思議です。前にも書いたかもしれませんが、こうして「火をもって火を制す」という発想自体が日本的ですよね。西洋的な発想なら、鎮火なら「水」でしょう。つまり、日本では「制圧」よりも「懐柔」が重要視されたのですね。
3 さて、その後は子どもたちの要望に応えて、屋台の並ぶメインストリートへ。なんかテキ屋さんの風情も変わりましたね。ヤクザ文化の衰退とともに。ヤクザさんたちは神仏の前では「必要悪」から「必要善」に変身できたんですが、そういう場すらも失われてしまいました。なんだか単純な市場経済原理しか残っていないような気がしてちょっと寂しい光景でしたね。
 いや、もちろん一般の市場とは違うメチャクチャな「非常価格」は健在ですよ。でも、それがなんというかなあ、テキ屋さん(ヤクザさん)を通じての神仏への上納という感じではなく、単純に詐欺でしかないような気さえするのですよ。それも結構外国に流出しているような気がする。
 下の娘が買ったピカチュウのお面は原価の100倍とおぼしき800円!いちおう made in Japan と書いてありましたが(笑)。
 上の娘は絶対に当たるはずのない、くじ引きと、あのヒモを引っ張るヤツをやり、見事に散財していました。まあ、そういう非常体験も必要でしょう。こちらも単純な市場原理にとらわれてはいけない。
 一通り子どもたちにそういう体験をさせたのち、ものすごい火の粉と人波から逃れるように、我々は静かな横道に入りました。日常空間が戻ってきます。知りあいのお宅の庭先で、しばしおいしい焼肉とお酒をいただきました。地元の人たちはこの祭りの夜は、こうして喧騒から一歩退いて自宅でまったり飲み食いするんですよね。
 さあ、そろそろ屋台もたたまれる時間になりましたので、最後にもう一度非日常ロードへ繰り出しました。子どもたちももう1回だけ夢を見たいと言います。つまりゼッタイ当たらないくじ引きなどをやりたいと。こちらもお酒でいい気分になっておりますから、じゃあどうぞということで、最後のチャレンジをさせました。
 下の娘はヒモを引っ張って、謎の手品グッズを手に入れ、なんとなく満足。上の娘は「ラッキーボール」というパチンコの元祖みたいなゲームをやりたいと言いだしました。パチンコのように球を打って、その球を盤面に単純に並んだ穴に入れるだけのゲームです。それが一列(4個)並んだらビンゴということで、何かもらえるらしい。
 でも、盤面の釘の配置を見ると、まあビンゴするのは奇跡に近い。ま、このように思い通りにならない現実を学ぶのもいいかと思ってやらせてみました。
 実際やり始めてみますと、まあ全然入らない。お店のおっちゃんはとっても優しい人で、球がなくなるとオマケでいくつかの球をくれます。そうこうしているうちに縦に三つ並びました。リーチです。でもどう見ても最後の一つの穴には球は入りそうにありません。あの釘の位置では物理的に絶対不可能です。
4 そしてあと残り球もあと三つとなった時です。いきなりウチのカミさんが「摩訶般若波羅蜜多心経…」とか言い出したんですよ。ま、おふざけですね。そして娘は球を発射。球は全く的外れな方向へ…。
 すると、お店のおっちゃんがこう言いました。「お母さん、祈る対象が違うよ。今日は仏じゃなくて神様でしょ」。たしかに。そしておっちゃんはさりげなく「天津祝詞」を唱え始めました。やるな。本来のテキ屋の伝統をしっかり受け継いでいる。
 で、カミさん、「そっか!」と言って、またふざけてテキトーに「コノハナサクヤヒメのミコト…ムニャムニャ…」とエセ祝詞を唱えた…その瞬間発射された球は、本当にあり得ない動きをして、見事に狙った穴にポコッと収まったのです!!
 「当たり〜!」。さすがにおっちゃん(神農さん)もビックリしたようです。なんと霊験あらたかなエセ祝詞でしょう(笑)。もちろん娘は大喜び。珍しいポケモンカードをゲットして大満足です。
5 この体験は娘にとって非常に大きいものになるでしょう。神様を味方につけること。これは我が家のチャッカリ処世術の基本ですから(笑)。
 というわけで、帰りもしっかり浅間神社の拝殿にお参りしてきました。すっかり静まり返り、巫女さんの他には誰もいない、ある意味とっても贅沢な参拝となりました。家族みんなで「神」の存在を体感して、今年の我が家の火祭りは終わり、同時に短い夏も終わりを告げたのでした。

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2009.08.25

狂い咲き

↓これはなんでしょう?
1000492 岡市の実家の裏庭が大変なことに。これも地震と関係あったりして。
 この前、自由研究という記事の中で、大量のアリが肉にたかっている写真を載せました。モザイクかけたんですけど、それが逆効果だったようでして、気持ち悪い!という声をたくさんいただきました(笑)。
 特に昨日、今日あたりですね、いよいよ一般の学校では夏休み終了間際ということで、「自由研究」で検索する方が全国にたくさんいらっしゃるようでして、私のその記事にもアクセスが集中しています。なんで「自由研究」という一般名詞で検索して、1ページ目に私の記事が出てくるんだ!?ワケ分かりませんね(笑)。で、みんな、あの写真見てゲーッとなってるわけですかね。いや、ひとりくらい真似する人がいるかもですね。案外盲点ですし、三日で終わりますし。ま、ご自由にどうぞ。著作権とか特許とかありませんので(笑)。
 さて、それはいいとして、上のモザイク写真はなんでしょう。その答えは下にモザイクなしの写真として載せます。ま、言葉で言うなら「ユリの狂い咲き」です。一株に43の花がついた。
 これは美しいと気持ち悪いの境界線をいってますよねえ。とにかくたくさん咲きすぎです。これは異常事態です。
 なんでも少し前の静岡の新聞に、同様に二十いくつかの花が咲きました!と、ユリの投稿写真が掲載されたことがあったそうです。ウチはその倍だぞ!ということでしょうか。また、たまたま今日、NHKでも同じようなユリが紹介されたようです。それもまた40くらいの花が咲いたとか。
 こういうことは案外フツウにあることなのか、それとも珍しいことなのか、素人の私には正直分かりません。しかし、いちおうマスコミで紹介されることですから、まあ珍しいと言えば珍しいのでしょう。それがこうして今年静岡で多発しているとしたら、ちょっとイヤな予感をさせますよね。
 と思ったら、実はユリ科の植物ではよくある「帯化」というヤツらしい。ただ、どうもここの数年全国的に帯化の例が増えているようです。一株に100以上の花がつくこともあるらしい。なんでも栄養過多だとこういうことになるらしく、そうすると、やっぱり自然界の異常が原因とも言えますね。人間と同様、花の世界でもダイエットが必要なのか?
 写真を撮った父は、これは「シンテッポウユリ」ではないかと推測しています。台湾原産の「タカサゴユリ」と在来種の「テッポウユリ」との交配種だとのこと。「タカサゴユリ」はけっこう繁殖力が高く、西日本からどんどん東に進出してきているらしい。で、ウチの実家でも、勝手に裏庭に生えたらしいんですけど、こんな調子でどんどん侵入してきているわけです。まあたしかにキレイですから、雑草として引っこ抜かれることもなく、生き残っていくわけですね。うむ、やっぱり美しさは武器ですな(笑)。
 これが全部タネを作ったら、とんでもないことになりますね。たしかに異常繁殖しそうです。
 だいいちですね、その帯化した茎が異常ですよ。以下、写真をいくつか載せておきますが、よく見れば見るほどグロテスクですので、心臓が弱い方は注意して下さい(笑)。
 ま、とにかくですね、これが何かの吉兆であればいいのですが、何か天変地異の兆しだったりする可能性も否定できませんよね。自然からメッセージでしょうかね。政変近しとか(笑)。
↓ふつうはこんな感じ
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↓つぼみの頃
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↓いよいよ咲き始めました
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↓全体像はこんな感じ
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↓上から見ると
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↓キレイっちゃキレイ
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↓お化けみたい
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↓枯れ始め…不気味
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2009.08.24

マンハッタン・ジャズ・クインテット&富士学苑高校ジャズバンド部 スペシャルジョイントライヴ

↓写真はリハーサル風景
4 叶う!…いや、夢にも思わぬことが実現した!
 昨日のDDTと同様の結論ですね。純粋さは「夢のまた夢」、「夢にも思わないこと」を現実にしてしまう。
 純粋さ、ひたむきさ、イノセンスは、どの分野でも最強だということです。
 私は、そんなイノセンスたちのおかげで、こうして素晴らしい幸福な時間を送らせていただきました。純粋な生徒たちに心から感謝します。ありがとう!そして手放しに誉めたいと思います。彼ら彼女らはホントにすごい。
 結成25周年のツアーで来日中のMJQ(マンハッタン・ジャズ・クインテット)が、富士北麓の旧勝山村(現富士河口湖町)のさくやホールにて、我が校のジャズバンド部とジョイント・ライヴを行ないました。
 世界の頂点のバンドと、小国の田舎の小さな高校生バンドの共演…おそらくMJQの四半世紀に及ぶ活動歴の中でも、いやジャズの歴史の中でも、このように両者が全く対等な形での共演を果たすことはなかったでしょう。それだけでもまさに歴史的な日でした、今日は。
 そして、その内容がまた素晴らしすぎた。まさに音楽の奇跡、いやこれは本来の音楽のあり方であって、必然なのかもしれない。私たちがある意味忘れてしまっていた音楽の力を見せつけられたような気さえします。
6 私は役得で、リハーサルから現場にいさせていただきました。もう、その時点で私は感無量です。正直手は震えるし、涙は出るし…笑。なんで、私がこんな緊張、感動してるんだ?
 生徒はと言うと、すごい人たちだと、あんまり私なんかが吹き込むもんだから、とりあえず写メとかパシャパシャ撮りまくってました。でも、あんまり緊張してないみたい。
 そう、告知にも書きましたけど、彼ら彼女ら、とにかく怖い物知らずというか、知らぬが仏というか、やっぱり無垢(無知?)なんですよ〜、全然動揺してない。逆に私の高揚ぶりを心配するほど(笑)。
 しかし、MJQの圧倒的なアンサンブルには、さすがにビックリしている様子でした。そりゃあ、そうだよなあ。すぐそこで世界随一の音楽が鳴ってるんだから!私にとっては、ステージ上は、それこそ「夢」の世界。そう、「変な夢見たな、さすが夢だけあって、ありえない映像だった」っていう感じですよ。なんで、昨日一緒に受験勉強してたヤツらが(そして、同僚の先生方が)、デイヴィッド・マシューズとしゃべったりしてるんだ!?
 MJQの皆さん、昨日はなんと北海道の室蘭でのフェスに参加したそうで、今日東京入り、デイヴィッドに至っては、今日は東京で一つJAZZ講座をこなしてきたらしい。なんというプロ根性。タフじゃないとプロは務まらない。
 本番では、まず我がジャズバンド部MISOが得意の曲を披露。最近得意としている、やや複雑な編曲を施したスタンダードを中心に、いつも通りの実力を披露。OGたちの強力な協力も得て、高度でありながら、実に活き活きとした演奏をしてくれました。MJQの皆さん、どのように聴いたかな。と思いきや、舞台袖からずっとチャチャ入れてたらしい(笑)。
 前半最後でまず最初の共演。ううむ、音楽でしっかり会話してるじゃないですか。あいつら英語全然できませんが、もう言葉なんて関係ありませんね。お互い実にうれしそうだし幸せそうです。まあ生徒たち堂々としたもんです。見事です。私だったら絶対ビビってますよ。
 生徒に言っておいたんですよ。「英語ホントできないよ〜、どうしようどうしよう」とか言ってるんで、とにかくニコニコ笑ってろって。音楽は世界共通語だとよく言いますが、笑顔はそれ以上のものですね。
 ジャズという音楽のジャンルが素晴らしいとも言えますね。様々なボーダーを超えるのがジャズです。国境も、世代も、技術論も、全て超えてましたね。そういう本質的な音楽の力を、本当に久々に思い出しました。素晴らしい!
41hikugbqpl_sl500_aa240_ 後半は、MJQの単独ライヴ。最新アルバムから、彼ら流に料理したスタンダードを披露。田舎の手作りコンサートでしたから、いろいろ不都合な点もあったと思いますが、それでもそんなことはなんのその、素晴らしいインタープレイを聴かせてくれました。考えてみれば、こんな間近で彼らの生演奏を聴くだけでもレアな体験ですよねえ。
 デイヴィッド・マシューズは、ご存知の通り基本左手だけで聴かせるピアニストです。予想通り、そうしたハンディがハンディどころではなく、見事な個性になっているのがよく分かりました。同様のことは、例えば名ギタリストジャンゴ・ラインハルトにも言えますよね。これもまたジャズというジャンルならではのことでしょう。クラシックではあり得ませんね。実に個性的なリズムと和声。無駄な音がない禅味という意味では、御本家MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)のジョン・ルイスの境地にも近いものを感じましたね。
 他のメンバーで印象に残ったのは、ベースのチャーネット・モフェットですね。彼の演奏は昔、山中湖のマウントフジ・ジャズ・フェスティバルでも聴いていました。その時もものすごく印象に残っていたんですよ。人間離れしたテクニックかつタイトなリズム感は、ものすごい存在感がありました。今回ももう全部が鳥肌もの。おそらく高校生にとっても、彼が一番衝撃的だったのでは。ドラムのヴィクターとともに、ホンモノの黒人のビートを体感させてくれたに違いありません。
 サックスのアンディはクールな雰囲気を持った方でしたが、演奏はなかなか熱い。アドリブの構成力もセンスの良さを感じさせるものがありました。トランペットのルーさんは、いやあ、いい味出しまくってましたね。低音から高音まで実に幅広い表現を聴かせてくれました。高校生たちにとっては、純粋にトランペットの可能性を知るいいきっかけになったでしょう。
 それより、高校生、ルーのこと「カワイイ、カワイイ」って言ってばかり(笑)。おいおい、世界的なミュージシャンをつかまえて「カワイイ!」はないっしょ(笑)。たしかにカワイイけど。ああいう老境の(失礼)たたずまいや音楽的な表現というのも、ジャズの良さですね。これまたクラシックではありえない。総合格闘技とプロレスとの違いみたいなものですな。
 最後に再び高校生との共演。もう、こちらの気持ちも最高潮になっていまして、ひたすら興奮しました。これほど興奮したステージはなかったなあ。静岡から来た私の両親も、年甲斐もなくノリノリでした。泣いてましたね。それほどの感動でした。
Uni_2946 終演後は、いつものミーハー突撃力発揮です。TシャツとCDにしっかりサインしてもらいました。皆さんお疲れだったでしょうが、本当に親切に対応していただきました。ありがとうございました。
 ついでに生徒たちにもサインをねだりに行きました(笑)。まあ、ホントそういう気持ちだったんですよ。日常では私が先生ヤツらは生徒という関係ですけど、こういうことがあるとすぐに立場逆転しますね。スポーツ系の生徒が活躍した時もそうですし、頭がいい生徒が難関校に受かった時もそうです。私なんかより、ずっとずっと偉い。
 それにしてもデイヴィッド・マシューズは日本語上手ですね。なんでもニューヨークのベルリッツで日本語習ってるとか。「助詞も女子も扱いが難しい」とか、日本語でオヤジギャグ言えるんだから、こりゃあホンモノですわ。そういう点でも感心感心。日本人として実に嬉しいですね。そんなところもある意味プロフェッショナルなファン・サービスです。
3 生徒たちにとっては、とにかく楽しいライヴだったようです。そこがすごいですね。感激感動というより、ものすごく楽しかったと。最高の音楽体験じゃないですか。うらやましいですね。私もそういう無垢な心で生きたいなあ…もう無理ですけど(笑)。
 彼ら昨日は山野ビッグバンドジャズコンテストでゲスト演奏してるんですよね。そっちの方がずっと緊張したとのこと。それもわかります。そういう場でのそういう立場での演奏ですからね。楽しいとは言えないでしょう。あるいはこんなことも言ってましたね。MJQとやるとこより、私が聴きに来ていることの方が緊張すると(笑)。ハハハ、なんとイノセントな。
 いや、みんな、いつまでも、そうやってイノセントで行こうよ。イノセントな大人になろうよ。イノセントな音楽を永遠に美しい。昨日の大人げない大人じゃないけど、ピーターパンでいいのです!「夢」のある人生を送ってほしい。私も遅ればせながら、みんなに負けないよう、どんどん若返りたいと思います!

Amazon 25-アート・ブレイキー・トリビュート-

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2009.08.23

『両国ピーターパン〜大人になんてなれないよ〜』 (DDTプロレスリング)

20090823072_3 のプロレスにも「夢」があった!!
 本当は会場に行きたかったのですが、昼間お仕事が入っていたので、夜中にテレビのニアライブを観ました。いやあ、素晴らしい大会だったと思いますよ。
 最近のプロレスには「夢」がない…みんなが言うことです。ここ10年ほどの間に、我々が失ってしまった「夢」。総合格闘技の隆盛や暴露本に奪われてしまった「夢」。
 もちろん「プロレスラーこそ最強」という夢もありました。しかし、それ以上に、私が常に重視している「モノ」的世界の夢…この世のものとは思えない、とても説明できない、自分には絶対にできない、そして、あれは、あの試合はなんだったのだろうというような謎としての夢。「夢」、それは想像力をたくましくしてくれるものです。そして、その想像力こそが未来への生きる意欲につながっていくのです。人間は謎の解きたいと思う生き物ですし、次はどうなるのだろうと、未来を待望しないと今を生きられない存在なのです。
 そういう意味で、私は「プロレス的世界」を復興させたいと、常々考えています。単純な「勝ち負け」だけの世界、デジタル的な、答えが一つだけの世界には、もううんざりです。
 その点、このインディー団体が成し遂げた両国国技館大会が示したものは、実に意味のあるものでした。まだ「夢」は死んでいなかった!我々の夢想力は息絶えていなかった!
 タイトルがいいじゃないですか。「ピーターパン〜大人になってなれないよ〜」。そう、子どもの時の、あのプロレスに対する「夢」をそのまま持ち続け、そしてプロレスごっこから始まって、今実際にプロレスラーになってしまった「大人になれない大人たち」による、「夢」の実現。素晴らしいじゃないですか。
 そして、その「夢」のために9000人近い人が両国に集まった。素晴らしいことじゃないですか。まだ、プロレスは死んでいませんでした。
 もちろん、DDTのプロレスを本当のプロレスではないと言うこともできます。そう言うのは簡単です。なにしろ自称「文化系プロレス」ですから。しっかりした脚本と演出によって作られるプロレスです。ある意味アメリカンなプロレスですね。
 高木三四郎社長は言います。プロレスは「最強」ではなく「最高」を目指すべきであると。「強さ」だけが「最高」ではない。お客さんが興奮し、楽しみ、盛り上がるのであれば、プロとしてなんでもすると。
 私はその方法論についてとやかく言いたくないのです。プロレスにはたしかに「闘い」が必要です。しかし、その「闘い」とは、やはり最終的には自分との闘いであるべきだと思うんです。すなわち、自分の「夢」との闘い。プロレスラーになりたいという「夢」、あいつに勝ちたいという「夢」、あのレスラーと同じリングに立ちたいという「夢」、両国を満員にしたいという「夢」、そういう一見無理な、あるいは世間からは笑われてしまうような「夢」を実現することこそ、自分との「闘い」そのものだと思います。
 それを今回見事に実現した、高木三四郎社長をはじめとする、DDTのレスラーの皆さんは、本当に立派ですし、その姿には正直感動しました。まさに、子どもが寝食忘れて遊んでいるような、そんな純粋なひたむきさが皆さんにはありました。
 もう、一つ一つの試合の内容について、どうこう論評する気にもなれません。とにかく、素晴らしい「プロレス的空間・時間」をありがとう!と言いたい。ああ、現場にいたかったなあ。この歴史的瞬間を共有したかったなあ。悔やまれます。
 特に感動したのは、やはりメインでしょうか。私の大好きな飯伏幸太選手が、HARASHIMA選手からKO−D無差別級王座を奪取し、初めて同王者になりました。純粋すぎるほどのプロレス馬鹿である飯伏選手。幼少期からのプロレスごっこが高じ、ついにチャンピオンになりました。

 最後の新技がすごかった。新型のスープレックス・ホールド(フェニックス・スープレックス・ホールド?)。私も子どもの時、プロレスごっこをしながら、勝手に新必殺技を考え、勝手に名前までつけてやっていたのを思い出しました。なんだこりゃあ〜!?という気持ちに、久しぶりになりましたよ。まさに「夢」が実現してしまった技でした。
 決して危険なだけの技ではなかったと思います。筋肉マンの世界に出てきそうな、実に「夢」のある技であったと思います。これはまさに、少年飯伏幸太の「夢」と「想像力」と「創造力」が生んだ、「プロレス的新技」であったと思います。
 私も思わず子どもの頃に還ってしまったような気がしました。これぞ、忘れかけていたプロレス的感動です。本当に素晴らしかった。
 ピーターパンたちの「夢」は止まりません。来年も両国国技館大会を行なうということが発表されました。素晴らしいことです。
 そして、私たちはそれより先に、来月の6日に「第2回キャンプ場プロレス」で彼らに会うことができます。本当に楽しみです。そして、彼らに心から感謝の気持ちを伝えたいと思います。

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2009.08.22

『第41回 思い出のメロディー』 (NHK)

4 やあ、昨年の「思い出のメロディー」はすごかったなあ。今年は、昨年の反省に基づき、かなり現世的でありました。昨年のような戦慄はほとんどなく、本来の明るい歌番組に戻っていました。
 ホント去年はどうしちゃったんでしょうね。第40回という記念すべき年だからってあの荒技はねえ。
 今年のテーマは、「歌で笑い 歌で泣いた 時代を映した名曲たち」だそうです。今年の年末の紅白歌合戦が60回を迎えるとういことで、第1回紅白を復元するという試みも。
 小林幸子が渡辺はま子さんの「桑港(シスコ)のチャイナ街(タウン)」を、ジェロが近江俊郎さんの「湯の町エレジー」を、氷川きよしが藤山一郎さんの「長崎の鐘」をそれぞれ歌いました。これら3曲とも難しい曲ですねえ。当時の庶民はみんな口ずさんだとは思いますが、とても歌いこなせなかったでしょうね。カラオケ文化なんてありませんから、もちろんそれでいいのですが。プロのすごさを感じさせる曲たちでしたね。正直、ジェロと氷川きよしは全然歌いこなせてなかったっす(笑)。
 第1回に実際に出演したという菅原都々子さんご本人による「憧れの住む町」、これは違う意味で歌いこなせてなかったけれども、こちらはもう音程とかリズムとか、そういうのを超えた次元での歌だったので、心を打つものがありましたね。どちらかというと、去年の感じに近かった。
 その他の曲目はこちらをご覧下さい。なかなか魅力的ですよね。紅白にちなんだ曲では、当時の映像も挿入されたりしまして、人間の経年変化というものを実感するいい機会になりました。まあ、私もかなり劣化してますが。
 面白いものですね、人間って、自分の経年変化よりも、他人の経年変化の方に敏感なんですよね。
 今回は全体として「うまい!」と思わせる歌手が多かったと思いますが、一人だけどうもいかん!というのがいました(笑)。ご本人には申し訳ないのですが、ホント最悪でした。
 その人は…秋川雅史さんです。歌った曲がまずかったかなあ。美空ひばりさんの「津軽のふるさと」ですよ。歌わせたのは誰でしょうか。よりによって「津軽のふるさと」はきついでしょう。全然違う曲になってしまったどころか、ものすごい違和感しか残りませんでしたね。クラシックの唱法と、あの曲に必要な唱法とは、あまりにかけ離れています。いや、宴会芸ならいいんですよ。大ウケでしょう。
 後半は「横浜開港150年」にちなんで横浜ソングのメドレー。「赤い靴」を聴きながら、娘たちが「怖い、怖い」って言ってました。たしかに怖い歌ですよね。あれは実話に基づいたものだと言われていますが、異論もあるようです。司会の伊東四郎さんも「切なすぎる」と言ってらっしゃいました。だから、ご自身で勝手に日本に帰ってくるストーリーを作ったと。そうですねえ、わかります。
 さて、今回全体を通して感じたことを最後に。
 歌謡曲のいわゆる名曲たちの特徴は、最初の8小節にあるということです。もう、Aメロの最初の部分で心をつかんじゃうんですよね。サビもいいのですが、やはり歌い出しの魅力が一番ですね。この先も聞きたい、歌いたいと思わせる冒頭部なんです。昭和の名作曲家たちは、まずそこに力を注いだようですね。まあ、もう少し言ってしまうと、イントロもみんなすごいんですけどね。それは編曲家の力でしょうか。いや、イントロも作曲家が作っていた例が多いんですよね。
 何度も言いますが、とにかく昭和の歌謡曲はすごい。私も自分のバンドを通じて、この世界に誇るべき文化を現代に紹介、継承していきたいと思います。
 究極的には…東京放送管弦楽団に入りたいなあ…笑。

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2009.08.21

自由研究

↓モザイクかけときます
Uni_2920 ななんと、娘たちの小学校では、今日が2学期の始業式です。ありえませんよね。いくら涼しい地方だからと言って、夏休みが20日までだなんて…。
 普通なら、まだ10日あるとか、あと10日しかないとか、そういう時期ですよね。なんだか変な感じです。
 今年の夏は、娘たちにとっては散々な夏でした。こちらに書いたように楽しみにしていたキャンプは新型インフルエンザで中止に。その後、とんでもないことになるし。ま、それは娘たちには直接関係ありませんが。そして、たまたま娘たちだけ静岡市にいた時に、あの震度6の地震が起きました。その間接的な影響により恒例の秋田行きも中止に。
 結局イベントとして完結したのは、7月中に行った一泊の御殿場キャンプだけでした。それは、ウチの父親がほとんど独断で申し込んでしまったもので、当初は娘たちも?っていう感じだったんですけど、今になってみれば、あれに行っておいて良かった。あれがなかったら、ホントなんもない夏休みでしたね。
 さて、今日が始業式ということで、我が家でもご多分にもれず、昨夜は大変なことになっていました。そう、夏休みの宿題を片づけるという作業に追われたのです。
 まずは夏休みの風物誌の一つ「夏休みの友」。こいつは本当にいやなヤツですね。全然友だちじゃない。「夏休みの敵」とでも言いましょうか。「友」を騙って子どもたちを苦しめるんですよね。
 でも、どうなのかなあ、昔より内容が軽くなったような気がするんだけど。それから、こうして大人になって、そして教師なんかになってから見ると、なんとも思想的な臭いのする内容ですねえ。余計に気持ち悪い。
 で、このイヤな友については、ほぼ7月中に終わっていたのでいいとしまして、実は一番厄介な「自由研究」というヤツをやってなかったんですよ。ほら、これって、結局親の取り組みが問われるわけじゃないですか。親にとっても、永遠に「夏休みの宿題」の呪縛は続くのでした。
 さあ、どうしよう、と思い始めたのは数日前です。さすがに自由研究は1日にしてならず。そこで、私は一つのアイデアを上の娘に与えました。ほとんど自分の趣味です。自分の疑問の解決のためです。
 「虫は肉を食べるか」…訳分からんでしょ。いや、実はですね、私のウチのすぐ隣に広がる青木ケ原樹海でですね、虫くんたちが非常に大活躍しているというウワサを聞いていたんですよ。ま、ウワサというか事実なんですが。
 すなわち、あそこでは毎年何人もの方が自ら命を絶たれます。そして、そのご遺体が放置されるわけですね。しかし、本当に短い時間でですね、皆さん見事なシャレコウベになられるんですよ。おそらく家の中とかだったら、そういうことになりません。樹海ならではです。
 その奇跡的な自然回帰現象にですね、深く関わっているが昆虫なのであります。それはたとえばこちらの本にも書かれていたような。
 樹海に限らず、あるいは人間に限らず、実に多くの動物が今も自然の中で死んでいっています。それらが見事に消えていくのは、様々な生物のお仕事のおかげなんですね。
 特にアリですね。アリは甘いものが好きだなんていう伝説がありますけど、実は甘いものよりお肉の方が好きなんですよ。あんまりそういうイメージないでしょう。まあ、虫の死骸なんかよく運んでますけど、動物の肉となると、あんまり見かけない。
 というわけで、ウチの庭にひとかたまりの鶏肉を置いておきまして、それがどのようになるか観察するということにしたのであります。当然、猫や鳥にやられないように覆いをしておきました。
 さあどうなったでしょう。限られた時間で結果は出るのでしょうか。もし、なんの変化もなく、誰も寄りつかずただ腐っていくだけだったら…いろいろな意味で最悪の事態ですな。
 結果は…私の予想通り、見事に3日間で全てが完結しました!予想通りだぜ。
 詳しくは書きませんが、とにかくすぐにアリの群れがやってきて、どんどん処理していってくれました。1日1種類ずつ3種類のアリが登場し、アリ内の覇権争いを演じながら、見事に片付けてくれたんですよ。ハエは数匹飛んできましたが、文字通りの意味で取りつく島がなく、あきらめてどっか行っちゃいました。ま、最後はこれも予想通りかもしれませんが、私の大嫌いな巨大なカマドウマが3匹来て、一気に全部食べちゃいましたが…。
 というわけで、かなりマニアックな自由研究が完成しました。途中何枚も写真を撮ったんですけど、さすがにグロテスクというか鳥肌ものなので載せるのはやめました。
 しかしなあ、今回、そういう自然の節理を見せつけられてですね、いろいろ考えちゃいましたよ。死んで焼かれて炭素になるのと、こうして命の連環の中で処理されていくのと、どっちがいいのかなって。
 火葬というのは近代の文化です。昔は土葬や鳥葬でしたからね。そうして自然に還るというか、命をバトンを渡すというのもいいのかもしれませんね。
 私も死んだら、樹海に放り込んでもらおうかな。虫と鳥と野犬と鼠たちに食べてもらうか。いや、それ以前に、つまり死ぬ前に、年老いたら樹海に捨ててもらうかな。
 姨捨山のように、老人を捨てた穴(バンバ穴)が、樹海の中にはたくさん残っています。

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2009.08.20

第24回 都留音楽祭最終日

1 24回都留音楽祭が閉幕しました。今年は例年以上に盛り上がりましたね。来年の記念すべき第25回目に向けて、自ずと勢いがついているような気がしました。
 ここ数日ずっと書いてきたように、古楽自体の成熟、そして第1世代から第4世代(第5世代?)の共存、もちろん人数が多かったこともあるでしょう、講師陣のチームワーク、スタッフの皆さんの献身的な仕事ぶり、いろいろな要素が見事にかみあった素晴らしい古楽祭であったかと思います。
 そして、なんといっても、ルーファスの素晴らしさですね。彼のレッスンを受けた人、見学した人たちが皆感動していました。彼は教えるのがものすごくうまいそうです。教育者としても抜群の能力を発揮しているとのこと。
 最近、私も中学創設に関わりながらよく考えるんですよね。「教育現場」は実は「学習現場」でなければならないと。「学習」とは「まねびならう」ことです。つまり、先生を真似したいと思いをベースとして試行錯誤をし、そして結果として慣れていく。ゴールはもしかすると、先生とは違うかもしれないけれども、「学習」することによって、ある到達点にたどりつく。そういうのが「学習」の理想です。
 渡辺敏晴さんもおっしゃってました。ルーファスはとにかくやってみせてしまうと。それがとんでもないレベルであり、生徒たちはもう驚いてしまうわけですね。ただ「はい、やってみなさい」というのとは違うんです。我々の現場でも、「生徒主体」とかカッコイイことを言って、やらせてばかりで、やってみせない教師がとっても多い。はっきり言って手抜きです。
 「教育」と「学習」の関係や違いですね。それについては、昔こちらに少し書きましたっけ。
 この音楽祭は、とにかく先生方と生徒(講師と受講者)の距離が近い。古楽界自体がそういう雰囲気がありますが、特にこの音楽祭はそうですね。学びも遊びも皆一丸となっています。いいことですね。
 このような独特の雰囲気があるので、これだけリピーターの方が多いのでしょう。そして、24年間も続いてきたのでしょう。地味ではありますが、非常に貴重な音楽祭であると思います。
 これって、なんだかんだ言って(笑)、音楽監督の有村祐輔先生のお人柄によるものなんでしょうか。たとえば、トップに立つ人が、あまりに大きなカリスマ性を発揮してしまって、全体がヒエラルキー構造になってしまったりしたら、こういう雰囲気にはならないでしょうね。
 さて、今日は午前中にそれぞれが講習の結果を発表いたしました。
 小学生のリコーダークラスの発表。今年は吉沢実先生が途中からお仕事で不在だったので、地元の清水先生による指揮。毎度「赤いやねの家」には泣かされますね。
 ダンスクラスの発表も華やかで良かったですね。なにしろ、今年は受講者が多かったですし。衣装も皆きちんとそろえて、それはそれは本格的な宮廷舞踏会になっていました。
 昨日も書きましたが、バロック・ダンスは「沈む」瞬間が重要でして、後世のジャンプ中心になる、すなわち重力に逆らう近代バレエ的ダンスとは大きく違うように感じました。近代の西洋ダンスは、高い身体能力を必要としていますから、どんどんスポーツ化していったわけです。
 さて、我々西洋古楽グループのパーセルの発表も、なんだかんだ無事終わりました。ま、ヴィオラ・パートは途中楽譜が不明になるというアクシデントはありましたが、こういう時、動揺せず何事もなかったかのようにふるまうのも大切な練習です(笑)。特にヴィオラはですね、堂々と休んでしまうことができるパートなんですよ。
2 さあ、最後はお別れフリーコンサートです。前半のフォルテピアノによるベートーヴェンやアメリカの現代曲の演奏は実に興味深いものでした。特に「月光」はぐっと来ましたね。私、マイクを通して言いましたが、おおげさでなく、「ピアノ」という楽器の名前と、「月光」という曲の名前の、両方のネーミング意味を、今日初めて理解しました。
 後半のチェンバロを中心としたバロックの曲たちも良かったですね。なんとくな時代を遡っていくようで、こういうプログラミングの仕方もありじゃないかな、と思いました。普通のコンサートは大概逆ですから。いや、古文を教える時なんか、時代を遡っていく方が良かったりするんですよ。そういう発想も必要ですよね。
 そして、最後に、個人的にとっても嬉しかったことを一つ。お別れの時に、ルーファス・ミューラーさんがつかつかと私のところにやってきて、こんな言葉をかけてくださいました。
 「私は日本語が分からないけれど、この音楽祭の中であなたが一番面白い(funniest)日本人だと思った。なぜなら、あなたが話すとみんながドーッと笑うのを毎度見たからだ」
 うむ、こんな嬉しい褒め言葉はないですよ〜。ありがとうございました。頑張った甲斐があったというものです。本当に皆さん、お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。皆さん、来年、記念すべき第25回都留音楽祭でまた会いましょう!音楽は素晴らしい!

追伸 funny…って、もしかして、「アヤシイ」っいう意味?ww
 も一つ。今回個人的に嬉しかったのは、我が歌謡曲バンドの優秀なピアニスト(キーボーディスト)である地元のピアノの先生がですね、雷に打たれたようにフォルテピアノに目覚めてしまったこと!こちらでステキなピアノを弾いている方です。うむ、もともとウチのバンドは古楽人口率が高かったのですが、さらに増えたぞよ!素晴らしいことです。

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2009.08.19

第24回 都留音楽祭4日目

36370638_656123604 やあ、すごい、素晴らしい一日でした!
 毎回自分にとっては正念場となる音楽祭4日目であります。特に夜のパーティーでの宴会芸に関しては、毎年実は大変なプレッシャーであります。
 結局ワタクシ率いる「山口組」の芸は、今回はこの写真のような状況になりました。なんだこりゃ?ww
 その話は最後に書くとしまして、今日の一日を振り返ってみましょう。
 まず、午前中は相変わらず楽譜づくり。その合間になぜかパソコンに入っていた中川翔子(しょこたん)のDVDを少し観まして、あまりの素晴らしさに感激。特にお客様のコスプレぶりにはやられた(笑)。
 まあ、私にとってはバロックとしょこたんは全く同じ文化現象に見えます。ともに貴族文化です。もちろんこんなこと言っても誰も理解してくれないでしょうね(笑)。
 お昼はいつものとおり、司会業です。ま、普段人前でしゃべるのが仕事ですから、比較的こういうのは得意と言えば得意です。回数を重ねてますしね、慣れてきたというのもあるでしょう。
 今日はですね、実は自ら演奏する機会もあったんです。最近売り出し中のソプラノ冨山さんの伴奏でヴィオラをやらせていただきました。曲目はバッハの農民カンタータからアリア。フルートは中村先生、ヴァイオリンは渡辺先生と、なかなか贅沢な布陣。私にとってもなかなかない機会です。楽しく演奏させていただきました。ありがとうございました。
 司会をしながら演奏というのも、なかなか面白いですよ。自分で自分に「ありがとうございました〜」とか言うわけですからね(笑)。
 午後は渡辺慶子先生のヴァイオリン・クラスにお誘いいただき、ワークショップに参戦。まずはヴィオラでビーバーの渋い曲をやりました。ビーバーの時代は中音部が充実していて独特の響きがしますね。対位法的にも新しい試み満載で(というか、そればっかり?)なかなか面白い。後半はマリーニという作曲家の不思議な合奏曲のファースト・ヴァイオリンを弾かせていただきました。それも、渡辺先生のヴァイオリンをお借りして!いやあ、いい音するなあ。18世紀の楽器でしょうか。倍音が美しい。自分で自分の音に酔ってしまった(笑)。
 さて、ワークショップが終わり次第、すぐに全体アンサンブルの最終練習に。今年は(も?)最後の最後まで曲が決まらなかったりしまして、皆なんとなく苦戦している模様。まあ、こうした背水の陣力(?)というか、まあ結局「ハッタリ力」でしょうかね、そういうものって、特にこれからプロを目指す人にとっては重要なものになりますから、いいんじゃないでしょうかね。なかなか貴重な経験でしょう(笑)。それでも、明日の本番にはなんとか形になるから、皆さんすごいですよ。
 さあ、夜のコンサートはウイグルの音楽と、ソウルの合唱団によるバロック音楽。両方とも「東洋古楽」と言えるのかも。
 いやあ、ウイグルが良かったなあ。騎馬民族のリズム感。やはり特徴的というか、日本人にもなじみのあるのは8拍を3・3・2に分けるあのリズムですね。能の謡の「大ノリ」で現れるあれです。あの譜割りは実は東洋的なんですよね。萌えます。いや燃えます。踊りも良かったなあ。重力に逆らわないところは、やはり東洋的です。まあ、バロックダンスも実は沈む方が重要ですから、重力に従順だと思いますがね、私は。
 ソウルのみなさんも、本当に美しい声とアンサンブルでお見事でした。今、韓国では古楽がブームのようです。日本に遅れること20年くらいでしょうか。15年くらいかな。とにかく最近優秀な演奏家やグループがじゃんじゃん出てきています。日本人が演奏旅行や指導で渡韓することも多くなりました。彼らもパワーありますし、それこそ騎馬民族の血が流れていますから、三連譜のリズムや3拍子に強い国民ですからね。ジーグとかうまそうです。
 さあ、そんな充実のコンサートが終了し、いよいよクロージング・パーティーです。ある意味この音楽祭のメイン・イベント!
 いやはや、今年は例年を上回るクオリティーの高さ。すごすぎました。詳細はとても書けませんが、とにかく素晴らしかった。講師の先生方の大奮闘(大噴湯?)ぶりは、いつものこととは言え、さすがに驚きでした。
 これは素晴らしい教育にもなっていますよ。特に若手の受講者にとっては、いい勉強になるでしょう。プロを目指すなら、ここまでやれ!と(笑)。いや、マジで大切なことですよ。
 特に海外ソリスト講師のルーファス・ミューラーさんの、あのプロ根性というか、エンターテイナーぶりというか、マルチ・タレントぶりというか、あれには大笑いしながら、感動すらしてしまいました。超一流の方というのは、やはりああなんですね。素晴らしい。全てに全力投球。頭が下がります。特におとといの、あの素晴らしいリサイタルやレッスンの様子を拝見、拝聴してからのこれですからねえ。参りました。
 その他の写真などは、楽器・調律・ステージングの強力スタッフ梅岡さんのブログをご覧くださいませ。
 さて、ワタクシめの今回の宴会芸でありますが、まあそこそこウケたんじゃないでしょうかね。ホッとしました。
 いやあ、実は毎年すごい重圧なんですよ…なんて、毎年書いてますけどね、今年は珍しく数カ月前に「これをやろう!」というものが決まっていたので、実はいつもよりかなり楽だったんです。
 昨年いちおう好評だった(?)マトリョミンは使うとして、なんか効果的な曲はないかなあ…となんとなく思っていたところ、最近娘たちがハマっている刑事コロンボのテーマを聴いて、そうだ!これじゃん!と思ったのが、3ヶ月くらい前。それ以来練習に練習重ね…るわけはありません。だいたい、マトリョミン嬢自体が行方不明で、昨日ようやく発見されるという有り様。
 ま、イメージ・トレーニングだけはちゃっと毎週放送を観ながらやってきたので、なんとかなりましたよ。
 そして、なんと言っても、このようなくだらない企画に積極的に(?)協力してくれる皆さんに感謝しなくてはなりませんね。まあ、このソウソウたるメンバーを見て下さい。世界に出しても恥ずかしくないですよね。

 フォルテピアノ 小倉貴久子
 フラウト・トラヴェルソ 中村忠
 胡弓 渡辺敏晴
 チェロ 武澤秀平
 マトリョミン 山口隆之

 まあ、すごい編成ですね(笑)。どのような音になったかは…ナイショです。でもなかなかいい響きだったと思いますよ。本当に皆さん、ありがとうございました。こんな素晴らしい方々に協力していただけるワタクシは幸せ者です。特に世界を代表する、そしてとってもマジメなキャラな小倉さんに共演していただけるなんて…感無量であります。
 と、こんな感じで、恐ろしく充実した一日でありました。音楽三昧。楽器をやっていて良かったなあと思える至福の一日でしたね。感謝感謝です。
 
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2009.08.18

第24回 都留音楽祭3日目

8 楽祭、私の大きな仕事の一つが、お昼のフリーコンサートの司会です。
 ま、司会と言ってもただ演奏者と曲名を紹介するだけですが。
 このお昼のフリーコンサートは、皆さんがお食事している時間に行われますので、まさに「ターフェル・ムジーク」です。聴いている皆さんは貴族のような気分でしょうか…なんて、その貴族の皆さんが食べていらっしゃるのは、地元の方が朝から手間ひまかけて打った、手打ちそばです。いや、これがおいしいのなんのって。普段お昼ごはんを食べない私がおかわりしちゃうくらいですからね。
 ちなみに明日のお昼は手打ち「吉田のうどん」です。これもこの音楽祭の名物の一つでしょう。
 上の写真は、今日の演奏の一コマ。第1世代と第4世代の夢の(?)共演です。一見、おじいさんとお孫さんのアンサンブルという感じで、実にほほえましい光景でした…なんて、第1世代の方に申し訳ありませんね(笑)。
 しかし、こういう交流というのもまた、音楽の素晴らしさですね。音楽は世代を超えます。
 そうそう、今回はちょっと面白い傾向に気づきました。第1世代と第2世代(私も含めて)はですね、話が長い(笑)。というか、しゃべりたがる。語りたがる。これは、おととい書いたことにつながりますかね。初期世代の「思い入れ」「思い込み」「妄想」です。理屈っぽいとも言えるかもしれませんが、それが大事な場面もあるものです。
 古い世代の演奏が、概してテンポがゆっくり(よって規定の時間をオーバーしがち…笑)なのもそのためかもしれません。一つ一つの音にこだわりを持っているんでしょうか。面白いですね。
 さて、今日も梅岡さんたちから、チェンバロの復活についてのトリビアな歴史のお話をうかがいました。まあ、知らないことばっかりだなあ。そして実に興味深い。
319prnmhvll_sl500_aa170_ それに関連して、チェンバリストの渡辺敏晴さんから実に興味深い録音を紹介いただきました。
 なんと、ジャズのレコードで、ピアノの代わりにチェンバロ(ハープシコード)が使われているんです。私が生まれた1964年の録音。サックスの名手、ベン・ウェブスターの「See You At The Fair」です。ピアニストのロジャー・ケラウェイが「Lullaby Of Jazzland」という曲で、ハープシコードをジャンジャン弾いています。それが実にかっこいいし、実に新しく聴こえる。びっくりしました。
 渡辺さんも、偶然見つけたというか、ベン・ウェブスターが好きで聴いてきたら、突然チェンバロの音が出てきてびっくりしたとのこと。
 なんか、とっても自由ですね。この時代の方が自由だったかも。たしかに60年代には、ロックの世界でもけっこう使われてましたね、チェンバロ。
 古いものが新しくなる瞬間というのは、それこそいろんなジャンルであることです。それに関わるのは、やはり天才たちなんですよね。たぶん、ロジャー・ケラウェイも、ちょっとした思いつきでやってみたんだと思いますよ。初めて弾いたのかもしれない。それであれだけかっこいいアドリブをやっちゃうんだから、すごいですよ。
 こちらで少し試聴できますので、5番を聴いてみて下さい。

Amazon See You At The Fair

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2009.08.17

第24回 都留音楽祭2日目

5 日は私の誕生日でした。いつも音楽祭の最中に誕生日を迎えるので、誰も祝ってくれません(笑)。だいたい忙し過ぎて自分でも忘れてしまうんですよね。特に今日はですね、どうもカゼをひいてしまったらしく、体の節々が痛い、悪寒がする、というような最悪な体調でして、しかし、テンションを上げていかねばならない、そういう辛い誕生日でした。昨日の夜、富士山の我が家では、なんと気温12度!でしたからね。寒い寒い。それでカゼをひいたみたい。
 実行委員の仕事、私は楽譜作りやフリーコンサートの司会などが主となります。あとは、窓口にいて、様々な質問や要望におこたえすること。
6 特に全体アンサンブルのパート譜作りはいつも大変です。なにしろ昨日スコアをいただいたので(笑)。今年の曲はパーセルの「妖精の女王」です。パーセル節満開のこの曲、楽譜を作りながらでも、彼の天才ぶりが分かります。なんといいますかね、彼の楽譜は独特の雰囲気があるんですよね。それぞれの作曲家のスコアって、それぞれのデザインになってるんですよ。パッと見てだいたい誰の曲か分かりますよね。模様というか絵というか。
 で、パーセルのそれは、ものすごく不思議な模様なんですよね。えっ?これでいいの?という感じ。つまり、実際音を出してみるまでは、なんとなく心配なんですよ。デザインの印象からすると、とんでもなく変な曲のような気がしてしまう。
 しかし、音にしてみてビックリするのがパーセル。たしかに変な曲なんですけど、とっても美しい。彼は天才です。もっと長生きしていたら、音楽の歴史は大きく変わっていたでしょうね。
7 さて、今日の夜は海外ソリスト講師の演奏会。テノールのルーファス・ミューラーさんのリサイタル。世界を代表する歌手です。
 彼、3年ぶりの都留ですが、私のこと覚えていてくれました。3年前の宴会芸を覚えていてくれたのでしょう。ま、そんなことでぐらいしか印象に残らないでしょう(笑)。いや、私というよりカミさんかな?
 今日のプログラムはバロックからロマン派まで、実に幅広い魅力的な内容。歌の素晴らしさに感激したのはもちろん、ある意味たった150年の間に、西洋音楽の世界ではいろいろな発明があったのだなあ、と実感。特に美しいメロディーへの挑戦という意味では、なんとなく日本の歌謡曲に通じるなあと思ってしまいました。ちょうどリサイタルの前に、トラヴェルソの中村忠さんと三木たかしを聴いたりしてたので(笑)。
 そうか、日本の歌謡曲ってロマン派なんですね。今頃わかりました。
 ところで、全然音楽祭と関係ない話なんですけど、日本全国揺れに揺れてますね。地震です。日本だけではない。台湾やらインドネシアやら…。日食の皆既帯がずいぶんと活性化しています。気をつけましょう。

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2009.08.16

第24回 都留音楽祭1日目

4 年も始まりました都留音楽祭。今年で24回目を迎えるこの伝統ある古楽の祭典、何度も書いたように、私の人生を変えた特別な存在です。考えてみれば、第1回から皆勤なのは、音楽監督の有村さんと私と、あと数人というところではないでしょうか。私の人生の半分以上はこの音楽祭でできていると言っても過言ではありません。
 さあ、今日は恒例のオープニング・コンサートです。毎年、質・量ともにとんでもなく贅沢な内容のコンサートになりますが、今年もなかなか魅力的でしたね。プログラムをご覧下さい。

1 恋が甘いものなら・この地上に僕ほど・孤独よ(パーセル)
 波多野睦美(メゾソプラノ)・つのだたかし(リュート)
2 ロンド(パーセル)・パストラルよりルール/ホーンパイプ(ペジーブル)・パッサカリア(デマレ)
 浜中康子(ダンス)・北條耕男(ダンス)・伊藤誠(ヴァイオリン)・渡邊慶子(ヴァイオリン)・福澤宏(ヴィオラ・ダ・ガンバ)・岡田龍之介(チェンバロ)
3 トリオ・ソナタロ短調(ヘンデル)
 中村忠(フラウト・トラヴェルソ)・渡邊慶子(ヴァイオリン)・福澤宏(ヴィオラ・ダ・ガンバ)・岡田龍之介(チェンバロ)
4 トリオ・ソナタニ短調(バレンタイン)
 吉澤実(リコーダー)・大竹尚之(リコーダー)・福澤宏(ヴィオラ・ダ・ガンバ)・土居瑞穂(チェンバロ)
5 シャコンヌ(フォルクレ)
 福澤宏(ヴィオラ・ダ・ガンバ)・土居瑞穂(チェンバロ)
6 フォルテピアノとフルートとチェロのための三重奏曲ニ長調(ハイドン)
 中村忠(フラウト・トラヴェルソ)・西沢央子(チェロ)・小倉貴久子(フォルテピアノ)

 実行委員として案内所に座り続けて早24年(!)。第1回当時まだ学生だった私も、すっかりオジサンになってしまいました。この間古楽界もずいぶんと様変わりしましたね。
 ああそうそう、たまたま梅岡さんに教えていただいたんですが、今日ってランドフスカの命日なんですってね。ちょうど50年前の今日亡くなったとのこと。ヨーロッパで古楽というムーヴメントが起きてから、50年以上が経ったということでしょう。そして都留が24回目。日本に古楽が定着して四半世紀近くが経ったということです。
 今年の受講生は100名を超える大所帯です。そのうち半分は初めて見るお顔。とっても若い方が多い。学生さんでしょうかね。彼ら彼女らは第4世代でしょうか。彼ら彼女らに「ランドフスカ」とか言っても分からないんじゃないでしょうか。
 まあ、考えようによってはですね、こうして一般化、大衆化するということは、本来の音楽のあり方としては自然なことです。当時貴族のものであると同時に庶民のものであった音楽が、今こうして再び大衆のもとへ帰ってきたのです。
 どの分野でもそうですが、こうして50年近くたって一般化すると、その裾野も広がって、ある意味昔の夢が叶ったということになっておめでたいのですが、一方で問題も起きてきます。それは簡単に言うと「思い入れ」の弱さです。昔、まだまだマイナーな頃、その分野に一生懸命な人というのは、ある種の「思い入れ」や「思い込み」、あるいは「妄想」がたくましいものです。それが、歴史という大きな敵に向かっていく時の原動力になっていたわけです。
 それが、だんだん一般化し、ある程度の「常識」や「メソッド」も固定化してきてですね、なんとなくみんながその枠の中でやっていればいいという雰囲気になりがちなんです。そうすると、数は増えても、なんとなく全体としてのパワーがダウンするということが、ホントにいろいろな分野で見られますよね。古楽ももしかするとそうかもしれません。
 そう、私が20代の頃なんか、バロック・ヴァイオリン弾いてる日本人なんか、ほんの一握りしかいませんでした。それが、今では猫も杓子もという感じで、モダンの片手間にバロックを、なんて人もずいぶんいます。もちろん、それはそれでいいわけですが、なんというか、あまり個性的な方がいないというか、皆同じような感じに見えてしまうんですね。なんて、私もたしかにオジサンになりましたな、こんなこと言うなんて。
 ま、ここ最近続いた「ゲノム」の話題ではありませんけど、この分野でも、そうした遺伝子の継承というのが大切なのかもしれませんね。この音楽祭はそれこそ第1世代から第4世代まで、いろいろな人たちが一緒になって勉強していますから、そういうゲノムの継承には最もふさわしい場であるかもしれません。
 私もいつのまにか、こうして継承する側の人間になったってことでしょうか。四半世紀だもんなあ。感無量であります。

うぐいすホール

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2009.08.15

ジャンボ鶴田のお墓参り&大菩薩の湯

 盆の中日にして終戦の日。
 私の静岡の実家では新暦盆。7月にお盆は終わっています。いつもなら秋田でお盆を過ごしますので、こちらに書いたような、不思議なお盆を体験します。
 もともとお盆は旧暦の7月15日を中心に行われていました。明治になって太陽暦が導入され、いろいろと混乱が生じまして、カレンダーどおり新暦の7月15日に行なおうか、旧暦の7月15日に行なおうか、それとも月遅れで新暦の8月15日に行なおうか、ずいぶんもめたみたいですね。
 で、静岡や東京は数字を重視して(?)新暦7月にやってしまいます。江戸時代までの習慣を大切にするほとんどの日本人は、最初旧暦7月にやろうとしたみたいですね。季節感や月齢なども重要な要素ですからね。しかし、それを新暦にしますと、毎年日付が変わってしまう。
 そう、今年は旧暦盆は新暦9月3日になっちゃうんですよね。月遅れどころではありません。ま、そんな不便もあったり、あとどうしても旧暦だと農繁期にあたることが多い。山梨なんか、ぶどうや桃などの収穫期にあたる可能性が高いので、不都合が多いんですよね。だからでしょうか、全国でもいち早く明治6年に「旧暦盆の廃止」を勧告しています。
 そんなこんなで、8月15日に行なう「月遅れ盆」が一般化したようです。それが終戦と重なったのは皮肉な偶然ですね。
1 さて、今年は珍しく山梨にいますので、さあ、どこにお墓参りしようかということになりました。山梨のお墓と言えばここだろう!ということで、久しぶりに牧丘の慶徳寺に行ってまいりました。
 そう、私たち家族にとっての「神」「仏」であるジャンボ鶴田さんのお墓にお参りしてきたのです。2年半前以来ですね。ご無沙汰してしまいました。
 2ヶ月前三沢光晴さんが亡くなりました。今年の夏は、あの世でジャイアント馬場さん、ジャンボ鶴田さん、三沢光晴さんという「王道」継承者の3人がご一緒されてるんですよね。いったいどんな会話をなさっているのでしょう。
 我ら家族は、そんなことも考えながらお墓にお花を供え、そしてお決まりの「オーッ!」をやりました。こうして、子どもたちにジャンボのスピリット「人生はチャレンジだ!」を継承していくのが、何よりの供養だと思います。
2_2 その後、お寺のすぐ近くにある「ジャンボ鶴田園」に行きました。ジャンボのお兄さんが経営されているぶどう農園です。残念ながら営業は25日からということで、ぶどう狩りなどはできませんでした。またあらためて行ってみようと思います。ちょっとお店を覗いたところ、ジャンボゆかりの品々がいろいろとありましたよ。そう言えば、以前は「三沢光晴と行くジャンボ鶴田園ぶどう狩りツアー」というのがあったんですよね。なんか切ないなあ…。
3 さて、お墓参りを終えた私たちは、塩山市…じゃなくて甲州市の大菩薩の湯へ。例年なら、今日あたり秋田の温泉に必ず行きます。ウチの子どもたちは母親の影響か、秋田の温泉大好きなんですよ。ですから、今年は山梨の温泉でその代わりを。
 山梨にもたくさん温泉がありますけれど、今回は大菩薩の湯を選んでみました。まあ、特に理由はないんですけどね。牧丘から近いところがいいということで。
 大菩薩方面に行くのは本当に久しぶりです。大学生の頃は、よく星を観に行きました。大菩薩峠で流星観測しようとして、大嵐に襲われたこともありました。あの時は寒くて死ぬかと思った。懐かしい思い出です。
 それから、これはちょっと(かなり)怖い思い出ですが、今や心霊スポットとしても有名になってしまった「おいらん淵」ですねえ〜。ここではちょっとシャレにならない体験をしてまったので、ここにはとても書けません…。天文部で一之瀬高原に向かっていた時、道を曲がりそこねて、知らないうちに「おいらん淵」に行ってしまったんです。夜中の0時ちょうどでした…やっぱりやめとこ。
 まあ、それはいいとして、「大菩薩の湯」です。まず、国道から温泉施設への入りにくさは、ありゃなんですか?!ホントわけわからんことになってます。大変立派な施設なのに、なんであんなに入りにくいのだろう。わざととしか思えません(笑)。危ないし。なんとかした方がいいですよ、あれは。と思ったら、新しい入り口が上の方に出来ていたんですね。それだったら、あの古い入り口は完全閉鎖した方がいいですよ。
 施設内は、地元のお年寄りや登山客らでけっこう賑わっていました。お湯は世界的にも珍しいという(田中収)強アルカリ泉。たしかにとってもマイルドでお肌すべすべになりました。湯温は低めで私好み。ゆっくりじっくりつかって、リフレッシュできました。子どもたちもすっかり満足の様子でした。またいつか行ってみたいと思わせるいい温泉ですね。

大菩薩の湯

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2009.08.14

『忘れないで、わたしたちの戦争~中居正広が聞く戦場の声』 (NHK)

Sp_h3_img 日は終戦の日。記念日と言ってよいのやら。
 毎年NHKで繰り返される戦争を語り継ぐための企画。やはりNHKが中心となっているラジオ体操や高校野球も、皆戦争の記憶を引きずっています。引きずるというよりも、半分は懐かしんでいる。戦争の記憶というのは、当事者たちにとって、単に忌まわしいものというわけではない。そこが非常に難しい部分なのです。
 このことは案外指摘されないことですね。人間にとって、記憶とは「不幸」であり、そして記憶は「郷愁」という愛すべきものに転換されます。つまり、「不幸」が「愛すべきもの」になるという、本質的な自己矛盾を、我々は抱えているのです。
 ですから、戦争に対する、感情的でない論理的な論議は、どこか白々しく無責任で心のこもらないものになっていきます。戦争経験者も未経験者も、右も左も、みんなワガママになっていくだけです。戦争をネタにプチ戦争しています。そういう恥ずかしい自分たちの姿には無反省なのに、妙に他に対しては攻撃的になる。それこそこの世から戦争がなくならないことの原因であると、私はいつも思うのです。
 私も若い頃は、それなりに「戦争」を語ろうとしてきました。いちおう教育者ですから、特にそういう無責任の大波が立っている現場にいますし。
 最近も、来年度開校予定の中学で使う歴史の教科書の選定をしたんです。若手の社会科教員が選んだ教科書があまりに自虐史観的なので、中庸なものに代えさせました。彼は若いので思想的に選んだのではありません。そして私がそれを退けたのも私の戦争観に基づく判断ではありません。逆に個人的な「感情」や「論理」を離れるために、最も中庸なものにしました。
 教育という現場での「戦争」の扱いは、非常に難しいというより、非常に面倒です。ただ、私は無責任に憂いの表情を見せる、いや場合によっては怒りの表情を見せる、某組合員のような態度だけは取りたくありません。
 そういう意味も含めまして、本日のこの番組の司会、中居正広くんの「ニコニコ」ぶりには、あんまり違和感を覚えませんでした。なんだ、ニヤニヤしやがって、不謹慎だ!という意見が多かったようですが、私はなんとなく彼にシンパシーすら感じたんですよ。
 私を知る人はわかると思いますが、私も「ニコニコ」人間なんです。人の不幸を聴く時も、ついつい笑顔になってしまうんですよね。で、気がついて、無理に神妙な顔をしたりする。以前はそうだったんです。でも、最近は、無責任で表面的な同情はやめて、「ニコニコ」しながら、そういう話を聞くことにしたんです。
 最近もそういうことがいくつかありました。でも、その方が自分も相手も楽だし自然だということが分かったんです。だから、中居くんの司会ぶりは、あれはあれで真実だと思いました。
 中居くんを責めるなら、ゲストの金子兜太さん、奈良岡朋子さん、五木寛之さんも同様に責められなければなりませんよ。金子さんは多少の兵隊経験はありますが、あとのお二人はある意味戦後世代ですからね。そして、お三人とも戦後人生を謳歌しましたから。インタビューに登場した、ずっと外出もできずに人生を終えた元将校さんのあの重い言葉を、彼らはどう聞いたのでしょう。
 今回は静岡の連隊の兵士たちの証言が多く取り上げられていました。静岡の護国神社も登場。実は私の実家は、あの護国神社のすぐ近くにあるんです。間に小山を挟んでいますが、直線距離だと700メートルくらいしか離れていません。しかし、私がそこに住んだ高校時代、護国神社がどういう神社なのか、誰も教えてくれませんでした。実は一度も行ったことがありません。
 ちょうど今日ですね、8月の14日に護国神社で花火大会があり、山越しにそれを眺めた記憶しかありません。今思えば、あれは鎮魂の花火だったのですね。そう、つまり、あの頃(30年前)は、誰も戦争について語ろうとしていなかったということです。
 つまり、戦後の何十年間かは、戦争経験者は何も語らず、未経験者が無責任に語り過ぎていたのです。それが日本の間違いでした。教育現場における妙な戦争観もそうして醸成されてしまいました。私もそういう教育を受けて、そして今教育者になっています。
 この番組が終わってすぐに、24時間テレビという偽善極悪番組とともに恒例となっている「火垂るの墓」が始まりました。この「アニメおそるべし」作品の違和感については、以前こちらに書いたとおりです。最も無責任な同情を煽る恒例行事ですね。上の娘は絶対に観たくないと言いましたが、まだ観たことのない下の娘はどうしても観ると言い張りました。結局みんなで観るハメに(笑)。ま、これも通過儀礼みたいなものだからいいか。
 日本の夏。戦争の記憶。こういう夏の風物誌が形成されたのは、昭和19年頃からでしょう。
 そして戦後、一つは鎮魂として、一つは思い出として、一つは教育として、この習慣は定着してきました。夏休みお盆休みの我々日本人の心に、ある意味見事に溶け込んで、現在と過去と未来をつなぐ貴重な機会として、あまりにしっくりそこにあります。
 おかげで、故郷に帰省した戦後世代が、戦前戦中世代と、たとえばお墓参りを通じてつながることができる。あまりに悲惨な、世界中で数千万に上る死者の魂の力で、我々はようやくつながることができるのです。
 私は時々思います。大正時代や明治時代の夏休みはどんな感じだったのかと。江戸の夏はもっと能天気だったのか。

NHK 戦争証言プロジェクト

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2009.08.13

朝霧高原にて流星観測…実は地震観測!?

↓この写真は拾い物です。富士山から昇るすばる。
312523 討の結果、秋田行きは中止に。何年ぶりでしょうか。お盆を富士山で過ごすのは。
 皆さんが苦労して移動している時に、こんな避暑地でグータラできるのですから、あらためて幸せであると感じますね。標高1200メートル。富士山1合目。いいところに住まわせていただいてます。
 子どもたちも、庭で遊んで、ちょっと喉がかわいたら家の中に帰ってきて水道をひねればいい。
 普通ならどこか涼しいところに行こう!ということで、家族で出かけるのでしょう。ウチはウチが一番涼しいので、出かけるというのは暑さ(夏らしさ)を味わうためになります。変な話ですよね。
 それでも、もっと涼しいところはないかと考え、結局今日は「寒さ」を感じて帰ってきました。暑さに参っている皆さん、スミマセン。
 昼間はそれぞれ家でダラダラしまして、夕方、富士山の西側を回って富士宮市へ。カミさんと子どもたちにはテキトーに夕飯を食べさせ、雑貨屋と本屋でちょっと買い物させて、ちょっとした満足を与えてあげまして、私は実は別の目的を遂行しておりました。
 今日もまた八丈島近くで地震がありましたね。一連の地震と、今後については、こちらの記事に少し書きました。今、いろいろと情報を集めているところですが、最後は自分の目というか、体で確認するのが私のやり方であります。
 そう、家族には「ペルセウス座流星群観測をしよう!」と言いつつ、私自身は駿河湾を一望できる場所での宏観現象の確認が目的だったんですよね。
 ま、流星群も楽しめましたよ。今日の未明が極大でしたから、かなり少なくなっていたとはいえ、1時間で20ほど確認しました。下の娘は生まれて初めて流れ星を見たということで大興奮。下の娘にも流星の正体やら星座などを教えました。カミさんは星空の下、「最高に幸せ…」とか言いながら、寝袋にくるまってグーグー寝てました(笑)。
 たしかに、朝霧高原は視界が開けており、ほぼ360度のパノラマ、東には東京の街明かり(光害)をシルエットに黒々と富士山が浮かび上がり、素晴らしい環境です。耳を澄ますと牛さんの鳴き声も聞こえてきます。満天の星の下で寝ころんでいると、自分の存在の小ささを感じますね。
 地震なんてのも、宇宙レベルで考えれば、ホントにちっぽけなちっぽけな恒星の回りを回る小さな小さな惑星の、点のようなほんの一部の地殻が微妙に震える程度のものなんですよね。ホントそんな気がしてきました。
 でも、私はいちおう、本来の目的である地震に関する情報集めもしましたよ。
 まず、朝霧高原付近から富士宮にかけては、非常に湿度が高く、濃い霧が発生していました。もともと富士山周辺は霧が出やすい場所ではありますが、ちょっといつもの霧と違う感じがしました。そうですねえ、いわゆる帯電微粒子(エアロゾル)の発生による霧という感じがありました。ちょっと独特な霧なんですよ。夜なのではっきりしませんでしたが。
 実際、流星観測をした場所は、その霧を抜けた標高の高い所だったんですが、そこから見下ろすその霧は、通常富士山の西側で発生する「朝霧」とはかなり違った様子でした。地表を這うように発生しているんです。普通は斜面を登るように、つまり上方から見ると雲のように見えるのです。しかし、昨夜の霧はまさに地を這う感じでした。そして、その霧は、朝霧高原のあたりから、ずっと富士宮、富士、そして駿河湾の方へ広がっているのが、目で確認できました。
 地震とエアロゾルの関係は、まだ科学的に証明されていませんが、阪神淡路の時をはじめとして、大地震の前に霧が出るということは、多く報告されています。
 同様のメカニズムで、いわゆる「地震雲」が発生することも知られていますね。これももちろん慎重に取り扱わねばならないシロモノなんですけど、いちおう私も注意して見ています。
 「あとだし」で申し訳ないのですが、実は8月4日に典型的な(私にとってですが)地震雲を見つけ、写真を撮っていました。ご覧下さい。撮った場所は、上が精進湖、下が鳴沢村内です。

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 今年は、東京などでも、夕焼けが金色になったり、夕方に二重の虹が出たり、朝焼けが異様な色になったり、いろいろと不思議な宏観異常が観測されています。空気中の水蒸気の状態が普通でないのはたしかなようですね。
 まあいずれにしても、駿河湾付近もかなりストレスがたまった状態であり、そしてそれが解放の方向に向かっているのは確かですので、しばらく、いや結局「大地震が起きるまで」は…ということになってしまうのですが…注意が必要です。
 あと、やっぱり相模湾から小田原の方もなあ…。そして、東南海…ま、こんなこと言い出すとキリがないですね。
 ただできる準備はして、あとはそれこそ「宇宙スケールではちっぽけなこと」と考えることでしょうかね。地球が生きている証拠ですし。

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2009.08.12

信じられません!

 日は早朝の激震(静岡県沖地震)に驚かされました。
 しかし、ある意味それよりびっくりしたことがありました。これはどうしても全世界にさらしたいので、書かせて下さい。世も末です。
 あとで正式に先方と対応しますが、まずはこういう信じられないことがあるということを、皆さんにお知らせしたいと思います。
 こちらの記事の冒頭に書いたように、子どもたちが楽しみにしていたキャンプが、新型インフルエンザのために急きょ中止になりました。あの時は、「元気があればハプニング!(byアントニオ猪木)」とか言って、子どもたちを励まして何とか乗り切りました。
 その後、差出人の書いてない謎の封書が来ました(その時点で?ですな)。開けてみましたら、その主催者からの中止の報告文でした。まあ、それはいいでしょう。ただ、その中で、「返金しますが、いろいろカネがかかったので1万円は差し引かせてもらいます」みたいなことが書いてあったんですよ。
 ちゃんと会計報告もないまま、1万円いただきますというのはさすがにどうかと思って、電話しようかと思ったのですが、なにしろ、「ゲノムの旅123」が控えていまして、結局放置してしまいました。
0339_2 そして、昨日、今度はちゃんと差出人の書かれたぶ厚い封筒が届きました。ずいぶんとぶ厚いので、それなりに会計報告やら返金の手続の書類なんかが入ってるのかなと思いました。
 で、さっそくその封筒を開けてみてびっくり!…というか、さすがに開いた口が塞がらなくなりました。こんなことが現代の世の中で起きるとは思っていなかったので。地震は可能性がありますけど、これに関してはその可能性すら想定していませんでした。
 な、な、なんと、そのぶ厚い封書には「現金」が入っていたのです!!
 郵便受けに入っていたのですから、もちろん普通郵便です。普通郵便に「7万6000円の現金」が入っていたのです。
 こ、これって、郵便法違反でしょ!?思いっきり、法に触れますよね。
 で、封筒の口を開けた結果開いた私の口も開けたまま(?)、私は同封されていた書類を読んで、もう体中の穴という穴が開いて塞がらなくなる感覚に襲われました(笑)。
 そこには、前回の通知ののちクレームがついた、よって全額返金することにした、実際にはこれだけカネがかかっている(ただし、その報告は杜撰すぎるほど杜撰)というようなことが書いてあり、そして、最後に「なお、申し訳ありませんが時間の都合上、一部の方は封書で送らせていただくことをお許しください…文責 ○○大学教授 K村K平(ドラキュラ)」とあるではないですか!!
 いや、ちゃんと全額返ってきたし、それ以前にキャンプの中止自体は仕方ない(中止の連絡が当日になったのは問題がありますが)。しかし、しかしですね、現金(それも大金ですよね…少額ならいいというわけでもありませんけど)を普通郵便で堂々と送りつける、そのあまりのお馬鹿さに、私は驚愕したんですよ。
 そして、そして、そのお馬鹿が、「国立大学の教授」であるということ、さらにその教授は教育人間科学部に所属し、教育の専門家として活動しているということ、それがどうしても許せません。ドラキュラじゃないでしょ!!!(ドラキュラというのは彼のニックネームです)。
 このキャンプ自体はもう数十回も行われていて実績もあり、評判もよいものです。ウチの上の娘も昨年初めて参加し、非常に素晴らしい体験をさせていただきました。そして、同行する大学生たちも「教育」学ぶ上で大変貴重な体験をしているものと思われます。
 そこは認めますし、ご苦労もお察し申し上げますが、しかし、だからこそ、だからこそ、こういうお馬鹿なことはしてほしくなかったのです。
 教育者が、教育の現場で、平気で法に触れることをする。それも、教育者を目指す学生にその作業をさせている。そして、ウチの子どもたちは、普通郵便に大金が入っているのを実際に目で見ているわけです。それは、どんな事情があろうと、百歩譲っても、いや一万歩譲っても、「教育」とは正反対の状況だと思います。
 言葉を選ばずストレートに言えば、これは犯罪です。郵便法第17条にはこうあります。

 現金又は郵便約款の定める貴金属、宝石その他の貴重品を郵便物として差し出すときは、書留の郵便物としなければならない。

 これに違反した場合、罰則はありません。しかし、法律違反であることはたしかです。そして、当然本来の補償はありません。もし、この封筒がどこかで盗まれたらどうするのでしょう。夏休みですから、長期間家を留守にするお宅もあるでしょう。あるいは、私がずるい心を起こして、「一人分(3万8000円)しか入っていませんでした」と言ったらどうでしょう。
 どうして、振り込みとか為替とか、そういう方法を思いつかないのでしょうか。それ以前に、中止になった際の対策は立ててあったのでしょうか。私もいちおう教育現場の人間ですから、そういう点には非常に気を遣います。もちろん、会計や文書の内容には最も留意します。こういう時代ですからね。
 私はクレーマーにもなりたくないし、モンスター・ペアレントにもなりたくありません。しかし、同じ教育者として、さすがにこれは許せません。許せないと同時に、いろいろな意味で非常に心配です。
 こうなってみて、キャンプ自体が中止になって良かったとすら思えます。もし、なにか事故や天災でもあったら、どうなっていたんでしょう。あまりに杜撰です。彼らは、今まで何十回も無事故だったことを誇りにしているようですが、だからといって、今後不慮の事態が起きないとは言えません。当たり前です。
 いろいろな意味で猛省を促したいと思います。こうして、先方に直接申し上げる前に、こういう媒体に書いてしまうことに、それこそ常識がないと言われる方もいらっしゃるかもしれませんが、こういうお馬鹿な大人が我々の上に立って税金で禄を食んでいるという意味では、こういう仕打ちを受けて当然だと、私は思います。ま、本名は明かしていませんし、一般的な問題だとしてとらえてください。

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2009.08.11

激震…静岡県沖地震

2009081200000001maipsociview000 る程度予想していたとは言え、さすがに驚きましたね。ここ富士山では震度5弱程度の揺れでした。
 私、ある意味地震マニアですので、揺れ方でだいたいどこが震源でマグニチュードがいくつか分かるんですよ。今朝も、揺れてる最中に思わず「静岡だ!」と叫びました。
 実は娘二人がですね、静岡市葵区の私の実家に行っていたのです。揺れている最中に、これは駿河湾だな、静岡市は震度6程度だな、と感じましたから、まあ生命の危険はないだろうけれども、かなりの恐怖を感じているのではと思ったのです。
 さっそくテレビをつけ、予想が当たったことを確認しながら、実家に電話してみました。
 すると、私の母が出まして、まずは「大丈夫」とのこと。娘たちはおばあちゃんと寝ていたようです。おばあちゃんはとっさに孫たちを守ろうと、彼女たちに覆いかぶさったそうです。
 娘たちはですね、私がここのところずっと「地震が来る!」と言っていましたので、ある意味心の準備ができていたのでしょうか、案外冷静で…というより、心配性で神経質なはずの上の娘なんか、一番揺れている最中、グーグー寝ていたそうです(笑)。おいおい。
 私も早速情報を集めまして、今回の地震と東海地震の関係について考察しました。その結果、これはまだまだ危険な状態が続くという結論に至りまして、急いで娘たちを迎えに行くことにしました。両親には申し訳ありませんが、静岡から逃げた方が無難だと思ったのです。とりあえず、あえて現地にいる必要はないだろうと。
 判定会は「直接関係ない」と発表しましたね。これはもちろん想定内のことです。私から言わせれば、これも広い意味で東海地震に含まれるわけで、関係がないなどと絶対に言えないものなのですが、判定会としては「東海地震の一部でした。予知できませんでした。すみません」とは言えませんから、当然あのような発表になります。非常に単純な理屈ですよ。
 9日に起きた深部地震、私は有明コロシアムの激震(?)の真っただ中だったので、気づきませんでした。あれと今回の地震との関係もないと断言していましたね。そんなことがあるわけないじゃないですか。京都で地震が起きたからと言って、東京で直下の地震は起きない…みたいなこと言ってましたが、とても専門家とは思えないとんでもない発言ですね。
 実際、あのような比較的大規模な深部地震のすぐあとに、今回のような比較的浅いプレート内の中規模地震が起きた例はほとんどないはずです。今までにない動きがあるわけですから、当然注意すべきです。
 判定会がこだわっている「プレスリップ(前兆すべり)」などというものは、実は全くあてになりません。たしかに現状では「プレスリップ」くらいしか測定の対象にならないのは分かりますが、それがないからと言って、想定される大地震が起きないとは絶対に言いきれません。大地震全体を見れば、前兆すべりのなかった例など、いくらでも挙げられます。というか、前兆すべりから予知できた地震なんてないに等しいのです。
 東名高速が通行止めのため、多少道は混みましたが、夜6時ごろに静岡市に入りました。全く地震の影響や被害は見られません。ほとんど日常と同じ風景です。さすが静岡と言うべきか。
 実家に着いて聞いてみると、一部倒れた物はあったそうですが、ほとんど被害はなかったとのこと。一つだけ置き時計のガラスが割れていました。倒れた衝撃で割れたんですね。引き出しが開いてしまったり、仏壇の仏さまが横を向いてしまったり(笑)、まあその程度だったそうです。近所では屋根瓦が何枚か飛んだようです。とにかく大きな被害がなくて良かった。
 結局、その後呑気にみんなで回転寿司など食べに行きまして、まあさすが静岡というか、基本楽天的というかなんというか…回転寿司を食べてる最中も結構余震が起きて揺れてましたけどね(笑)。心なしか、転倒している軍艦巻が多いように見えたのは、余震の影響か?w
 それにしてもですね、静岡県に入った途端、ものすごい頭痛に襲われたんですよね。これも宏観異常の一つです。私という測定器が正確に作動しているとすれば、地中のストレスがかなり溜まっている状態なのでしょう。
 繰り返しておきますが、とにかく今回で東海沖、駿河湾の地震は終わりではありません。今回の一連の地震が、想定される巨大地震の発生を早めた可能性は高いと思います。早めたというか、いよいよスイッチ・オンしたという方が正しいかもしれません。
 あるいは、隣接する相模湾や首都圏直下、あるいは東南海の方が危険性が高まっているかもしれません。いちおう、と言いますか、かなり注意しておく必要があると思います。秋口くらいまで、要注意期間だと思います。
 7月半ばの、こちら「皆既日食と地震」という記事をはじめに、何度か地震発生の危険性を書いてきました。まあ、当たったと言えば当たったわけですが、実はこれで終わりではないので、もちろん喜んでいる場合ではありませんね。みなさん、とにかく万全の準備をしておきましょう。
 今回震度6を体験したウチの娘たちにとって、ちょっと可哀想なのは、東名通行止めの間接的影響により、秋田行きが中止になりそうなことです。いつも使う中央道が大渋滞になるでしょうから。今からよく検討します。キャンプも秋田行きも中止となると、夏休みのイベント全滅ですからねえ…でも、安全には代えられません。いや、秋田に疎開した方が安全なのかも…そのへんも含めて検討します。

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2009.08.10

ゲノムの旅 その3 (IGF有明大会GENOME9)

1・2・3 ダーッ!!(打ち上げ@アントニオ猪木酒場にて)
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 日の記事の続き。実際は9日の出来事ですが、今日の記事に書かせていただきます。
 明治記念館をあとにした私が向かったのは、有明コロシアム。アントニオ猪木さん率いるIGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)プロレスリングの2周年興行「GENOME9 ~今がチャンスだ~」が行なわれています。まさにゲノムそのものですね。
 IGFと言えば、私にとっては、猪木さんというより、最近いろいろとご縁のあります元UWF戦士でスネークピット・ジャパン代表の宮戸優光さん。宮戸さんは、猪木さんから現場監督(リング・ゼネラル・マネージャー)を任されています。マッチメーキングから選手の指導、全体のコーディネイトまで、とにかく大変な重責を担っておられます。さぞ大変なことでしょう。
 そんな宮戸さんのことも心配で(笑)、さっそく会場に駆けつけましたが、到着した時にはすでに第4試合が終わろうとしていました。先に会場入りしていたカミさんと合流いたしまして、第1試合から第4試合までの様子を聞きました。
 以下、写真は試合後の打ち上げでのもの。
Uni_2895 特に私たち夫婦が共に応援している鈴木秀樹選手の試合内容ですね。カミさんに言わせると経験豊富な佐藤光留選手の巧みな攻守に苦戦したそうですが、華麗なドロップキックなども出て、それなりに魅せる試合が出来ていたとのこと。結果は引き分けでしたが、初勝利もそう遠くないでしょう。
 メインの乱闘の中で、鈴木選手、澤田選手に思いっきりキックしてましたね(笑)。試合後、彼にも話しましたが、今後はぜひ澤田選手とライバル関係を築いて、IGFを引っ張っていってほしいところです。彼は大物に化ける可能性を持ってますよ。
 さて、私が見た第5試合以降の感想です。
Uni_2878 タカ・クノウ vs ネクロ・ブッチャー。私はネクロの大ファンでして、いつも彼の怪奇スタイルの試合には興奮させられます。ああいう昭和の風情を持った物の怪ファイト、いいですねえ。タカ・クノウ選手は逆に硬派なスタイルです。そのミスマッチが案外に面白かった。やはり、ネクロが上手に試合を作っている感じがしました。ミスマッチですが噛みあっている。これぞなんでもあり、カオスにしてコスモス、プロレス的世界の魅力ですね。どうなるのだろうという期待と不安、そして想定外の展開。
 打ち上げでネクロ選手と少し話しましたが、とっても紳士で優しく、そして頭がいい人だなと思いました。宮戸さんと一緒に観た映画「レスラー」に彼出てましたから、その話もしましたが、「That is me!」と言っていました。なるほど、見事な覚悟ですね。レスラー人生を全うしている。ますますファンになってしまいました。
 初代タイガー vs 藤原喜明。うぅむ、これはなんとも言えない内容でしたねえ。基本、UWF時代の空気を出そうとしていたと思いますが、お二人とも往時の動きには程遠い…まあ当然ですが。それでも、タイガーの蹴りを受けきる組長、ヘッドバットにこだわり続ける組長に、やはり組長らしさを感じましたね。胃ガンから復帰されて、なお戦い続けるお姿は、実に神々しく見えたのでした。なんか、神というか仏の領域でしたね。打ち上げでお話する機会がなかったのが残念。
Uni_2893 澤田敦士 vs ザ・プレデター。アメリカ修行から凱旋した澤田の成長ぶりに期待。まあ、たしかにお客さんを意識した試合の組み立てなどに工夫が見られましたけれど、それより何よりプレデターの強さと巧さが目立った試合となっていました。いや、入場から試合の展開、見せ場の作り方、退場に至るまで、本当に彼はプロ意識が高い。さすが、多くの経験を積んでいるだけのことはあります。
 写真は、打ち上げでのツーショット。カミさん少しビビってますね。試合中とは正反対に、とても物静かで落ち着いた方でした。サインも実にていねいにしてくれましたし、こちらの話もうんうんとうなずきながらしっかり聞いてくれました。デカいし、かっこいいし、うん、いい選手ですね。ウチの娘たちは彼のことを「なまはげ」だと思って恐れています。下の娘なんか、「プレデター来るぞ!」って言うと言うこと聞いたりします(笑)。そんな「なまはげ」にママが抱かれちゃって、この写真見たらどう思うかな(笑)。
 澤田選手も、もう一歩ですねえ。もっともっと勉強が必要です。もっとたくさん試合させてあげたいですね、日本でも。ノアのシリーズとかに一つ参戦してみたらどうでしょうかね。いい素質持ってますので。必殺技もほしいですね。
Uni_2888 さてさて、問題のメインです。小川直也&ジョシュ・バーネット vs 高山善廣&ボブ・サップ。
 これは全く展開が予想できなかったんですけど、結果もまた予想以上に「痛い」試合になってしまいました。もちろんある程度は覚悟していたんですよ。IGFのメインはグダグダになる傾向がありますので(笑)。それにしてもなあ、いかんぜよ、これは。
 正直、プロレス的に試合を作れるのは高山選手だけですよね。彼は何しろ三冠チャンピオンです。5月のキャラバンでも、彼の選手としての大きさ深さに感動しました。そんな彼が、本当に心から呆れちゃっているのが、もう試合中から伝わってきました。いくら自分がなんとかしようとしても、あとの3人があれじゃあねえ…ま、ジョシュは少しは盛り上げようとしてたようですが。ホントお疲れさんです。
 小川対高山とジョシュ対サップというダブルメインでも良かったんじゃないかなあ。シングル二つの方が盛り上がったかもしれません。う〜ん、残念。
 最後はまた猪木さんが出てきて、メチャクチャな締め方してましたね。サップにボディスラムされそうになってました。全くワケがわかりません。いくらモノノケ世界とは言え、さすがにねえ。
 打ち上げでは、ジョシュとサップに話しかけてみました。ジョシュは例のアフリクションのことがありましたから、ちょっと元気がなかったかな。それでも私としては憧れの「蒼い瞳のケンシロウ」、「世界最強のオタク」と一緒に写真まで撮らせていただいて、とっても幸せでした。ぜひ、日本でヒョードルとやってほしいですね。
Uni_2886 サップはものすごく優しい方でした。なんか、優し過ぎるかなっていうくらい。サービス精神満点でしたし。まあ、業界で生き残るために必死なのでしょうけど、本当はこうしたサービスだけでなく、試合で魅せてほしいんですけどね。
 カミさん、ここでも固まってますね。やっぱり怖いみたいです(笑)。
 彼もいい素材ですから、もっと自分を強く見せる技術を身につけてもらいたいところです。謙虚に努力をしていってほしいですね。
 最後に試合後の貴重な出会いについて。
 試合が終わりましてリングサイドで、テレビ解説の流智美さんを労い、キャラバンの人たちと落ち合って記念写真などを撮り、会場出口では宮戸さんのお姿を見つけてご挨拶を。ホントお疲れのご様子でして、思わず「とにかくゆっくり休んで下さい」と申し上げました。いやあ、お疲れさまとしか言いようがありません。猪木さんを筆頭とする物の怪たちの管理はさぞ大変でしょう。
P1010033 で、会場出口で、カミさんが知り合いを見つけました。そう、三沢さんの献花式の時にたまたま知り合った、芸人さんの「よしえつねお」さんがいらしていたのです。ドラディションの吉江豊選手のお兄さんですね。私は初めてお会いしたのですが、すっかり盛り上がって、結局新宿までご一緒することになりました。
 よしえさんと一緒にいらした方、最初は芸人仲間の方かなと思ったのですが、話をしているうちにその正体(?)を知ってビックリしました。なんとK-1の小比類巻太信選手の先輩であり、かつトレーニング・パートナーである山田剛さんだったのです!
 4人でプロレスの魅力やら何やらを語って大いに盛り上がりました。なんとか、プロレス的世界を復興させよう!ということで意気投合いたしました。やっぱり格闘技の選手も、プロレスに憧れてその世界に入っているんですね。昔のプロレスにはそういう夢がありました。
 こんな感じで、8月9日は私にとってとんでもない日でありました。
 「モノ」たる神や自然や物の怪たちのゲノムをいかに継いでいくか。「モノ」世界の復権をどう図るか。どうもそれが私の天命のようですね。後半生のテーマが確定した一日でした。ふぅ、疲れたけど、楽しかったなあ…。我ながらすごい人生ですわ(笑)。

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2009.08.09

ゲノムの旅 その2 (メキキの会13周年祝賀会)

 あ、今日は大変な一日ですぞ。気合いを入れましょう。自分でもどうしてこういうことになるのか、全くわかりません…ということは、自分の力でない何か、まさに「サムシング・グレート」が働いているということでしょう。それを素直に受け入れようという覚悟だけはして、早朝家を出ました。
 高速バスで新宿に降り立ったのが8時半すぎ。そこから、新宿御苑に沿って千駄ケ谷まで歩きました。時間がありましたので、以前音楽仲間に案内してもらったスポットをゆっくり復習。うむ、やっぱり東京は面白いですね。いろんな磁場が働いていますね。
 しっかし、暑い。普段やたらと涼しい土地に住んでますからね。久々に汗だくになりました。
 千駄ケ谷の鳩森八幡神社の富士塚に登って、七合目の身禄像に参拝。鳩森神社と言えば、あの日月神示の岡本天明が神主を務めていた神社です。これから向かう明治記念館での行事の前に、どうしても寄っておかなければならない場所でした。コノハナサクヤ&ミロク。
 明治神宮外苑を抜けて明治記念館に到着したのは10時半。さあ、今日の二大イベントの一つ、メキキの会13周年祝賀会の始まりです。
 もとはと言えば、あの出口王仁三郎のひ孫であり、メキキの会会長であられる出口光さんからの1本の留守電から始まったんですよね。わざわざ光さんからなんだろうと思って折り返し電話してみたところ、8月の9日にこういうことをやるので、是非来てくれとのこと。えっ?私のような者でも参加してよろしいんでしょうか…。
 この日はですね、明日の記事で書きますが、アントニオ猪木さんのIGFの興行に参戦することになっており、もうそれだけでかなりお腹いっぱい&緊張気味だったのですが、それに加えてなんとも有難きお誘いが…もう、これはもう人生かけて参加させてもらうしかない。こんなチャンスを逃すわけにはいきません。訪れたご縁は全て受け入れます!
3 受け付けを済ませて、まずは天命天職の博覧会である「楽市・楽座」を楽しみました。それぞれの会員の方々が「仕事」という実践を通じて、いかに自らの天命を全うしようとしているか…まずはそのエネルギーに圧倒されます。いくつかのブースで興味深いお話をうかがいながら、とりあえず一周。
 まず特にじっくりお話したのは、これまた出口王仁三郎のひ孫でいらっしゃる出口鯉太郎さん。前回王仁魂復活プロジェクトの時には時間もなくちゃんとご挨拶が出来ませんでしたから、今回はゆっくりと。鯉太郎さんは陶芸家でいらっしゃる。つまり、ある意味王仁三郎のゲノムを受け継ぐ人物です。というか、実際にひ孫でいらっしゃるわけだから、純粋なゲノム受け取り人ですよね。
 なんと言いますかね、お人柄のおおらかさもまた王仁三郎的です。くじ引きをしてもらいたいがために、ご自分のお作品を格安で販売しておられました。私も景品(?)のぐい呑みを目当てに信楽のビールカップを購入。見事お目当て通りぐい呑みを当てちゃいました。ラッキー!
 鯉太郎さん曰く、薪を燃やす窯を囲んでの「オカマバー」で一杯やりましょうとのこと。これは是非是非実現したいですね。楽しそうだなあ…。
 続いて、やはり王仁魂で劇的な(?)出会いをしたミュージシャンの小久保隆さんと再会。ぜひ富士山という場で何かやりましょうとお約束しました。これも是非実現したいですね。この方の笑顔も恵比寿的でいいなあ。
 その後いろいろなところを回り、タイミングを見計らって、恐怖症克服のカウンセラーとして著名な新田義治さんのブースへ。新田さんとも王仁魂で知り合いました。いろいろと興味深いお話を聞きながら、また、こちらからも同姓同名の歴史上の人物「新田義治(脇屋義治)」と富士山、王仁三郎との関係などをお伝えしたりして、アヤシイ感じに盛り上がっていた…そんなところに、隣の椅子に不思議なオーラの男性がお座りになりました。女性の波動は大切だ!とかおっしゃっていたので、私も「私は高校の教師ですから、毎日女子高生の波動を浴びてますよ!」などとジョークを飛ばしていましたら、ななななんと、その方は「水からの伝言」で有名な江本勝さんではないですか!あらら、とってもお茶目な方。
 その後、新田さんの誘いで「心理カウンセリング協会」のセミナーに参加。新田さんの講演と言いますか、彼の巧みな案内によるワークショップで「四魂」のお勉強。なんかとっても楽しかった。これは教育現場でも有用ですね。光さんの御著書で「四魂」についてはある程度わかっていたつもりだったのですが、こうして実際に言葉を発しながら自らの魂を見つめるのも充実感のあるものです。特に、「親(しん)」の魂の持ち主である私が、正反対の「勇」を演じた時のあの感じは実に新鮮でした。
4 さあ、3時半からは本日のメインイベント、「メキキの会13周年祝賀会」です。620名の方々参加の非常に大きな宴だったわけですが、そんな中、なぜか、本当になぜ?なのですが、なななんと真ん中最前列のテーブルが私の指定席でした。そこはまさに主賓席。正面には出口光会長が紋付き袴でお座りになっています。そして、その横にはどこかでお見かけした男性が…このオーラはタダモノではない…ええと、どなただったっけ…と思いつつ胸の名札を見て仰天!
 なんと、この祝賀会のメイン講演をなさる、あの「サムシング・グレート」の分子生物学者、ノーベル賞候補とも言われ、また「笑い」の研究家でもあり、多くのベストセラーの著者、そしてあのダライ・ラマとも親友と言える仲である、筑波大学名誉教授村上和雄先生ではないですか!!
 なんで、私のような者がこのような方々と同じ卓に座っているのか…全く運命というのは恐ろしいものです。もうこれはワケがわからないまま受け入れるしかありません。さっそく村上先生と名刺交換…ワナワナ。
 いやあ、お隣に座られた財木孝太さんに救われましたねえ。彼は京都西陣の粋人です。彼とは王仁魂で知り合いました。彼がいらしてくださったおかげで緊張も解けまして、お食事しながらの自己紹介も案外うまく行きました。感謝感謝。
5 それにしても、村上和雄さんのご講演。本当に素晴らしかった。私の漠然と感じていたことを全て完璧に言葉にしてくれました。「有難いこと」「利他の精神」「生命の奇跡」「祈り」…連綿とつながり、遡れば一点に収斂するゲノムの糸。その糸に潜む「サムシング・グレート」の意図。
 そして抜群のユーモア。笑いが遺伝子に影響を及ぼす。まさに、村上さんのお言葉が私の遺伝子を活性化してくれました。スイッチ・オン。言霊…私はそれが、単に言葉の力ということではなく、「コト」は実現、「タマ」はエネルギーと解釈し、「実現のエネルギー」を意味すると考えています。そういう意味での「コトタマ」を強く感じたご講演でした。本当に有難い(めったにない)ご縁でした。
 さあ、そのご講演を拝聴して、テーブルごとそれぞれがそれぞれの今後の12年を語り、皆でシェアしました。しかし、本当に申し訳なかったのですが、肝心の出口光会長の「これからの12年」のご講演を聞かずして、私はその場を中座せざるを得ませんでした。本当に残念ですが、次のイベントからのお呼びがかかってしまったのです。まさに宴たけなわでの退場。
 私は電車に飛び乗り、有明へ向かったのです。そしてそこでも様々な出会いが。もう私は私であって私ではない!私はあまりに多くの他者によって成り立っている…その3に続く。

メキキの会

Amazon スイッチ・オンの生き方―遺伝子が目覚めれば、人生が変わる  アホは神の望み

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2009.08.08

ゲノムの旅 その1 (冨士浅間神社梅若薪能)

Dsd_0219x あ、二日間にわたるゲノムの旅が始まりました。自分の人生にとって、この二日間はきっと大きな意味を持つことでしょう。
 まず今日はお昼に、私の職場というか、担当している進学クラスのみんなとバーベキュー。生徒、教員、そして保護者の皆さんとワイワイやりながらおいしい肉をいただきました。
 この恒例行事も、ある意味遺伝子の伝達作業ですね。情報のやりとりだけでなく、我らのスピリット、あるいは魂のひきつぎ作業です。今年度の新入生も、こうした行事を通じて本校の生徒らしくなっていきます。いい伝統ですね。
 さあ、おいしい肉をいただいたのちは、幽玄なる能の世界です。私も縁あって能の世界に親しませていただくことになりました。ですから、今までも何度か観賞してきたこの薪能ですが、今回はずいぶんと違った見方をさせていただくことになりました。
 まずは番組を。

 能「頼政」
 狂言「樋の酒」
 能「杜若」

1 まず幸運だったのは、橋懸かり(橋掛り)のすぐ脇、つまり脇正面の、それも正式な能舞台で言えば三ノ松のあたりで鑑賞できたことです。本来の鑑賞にはやや不利な位置ではありますが、多少技術的な面も勉強中の私としては、舞台を横から観ることによって、正面を向く演者の重心の動きや、手など細部の位置を確認できました。
 あと、実は橋懸かりのすぐ横が、一番役者を間近に見ることができるんですよね。実際、今回は、揚幕から出てくる演者を本当に至近距離で見ることができました。
2 特に今回は狂言の「樋の酒」はもちろん、能の「頼政」や「杜若」も橋懸かりを有効に活かしたものでしたから、非常にぜいたくな時間を過ごさせていただきました。今後もしばらくは脇正面で勉強しましょう。
 もう一つちょっと面白かったのは、そのような間近な位置だったせいか、あるいはおかげか、たとえば鏡の間での話し声やら笑い声やらが聞こえてくる(笑)。非常にリアルな状況でした。ある意味それが集中を欠く結果になったかもしれませんね。というか、ちょっと全体に空気が弛緩していたように感じたのは私だけではないでしょう。手を抜くとか、そういうことではないと思いますが、奉納能という感じからはほど遠い雰囲気でした。
 先日書きました、「富士山と能」との関係、それも梅若流と浅間神社との不思議な関係から申しますと、もう少し緊張感というか、敬虔な雰囲気があっても良かったかなあ、などと私は思ってしまいました。ま、梅若の皆さんもそんなことご存知ないでしょうし、彼らにとってはあまり重要なことではないのかもしれませんが。
 しかし私にとっては、まさにゲノムに関わることです。文化的ゲノム。イズムではなくてゲノム。「コト」としての歴史ではなく、「モノ」としての一筋の道です。能に限らず様々な文化的事象において、「コト」にこだわりすぎるがために、「モノ」への敬意を忘れてしまっているような気がするのです。文化的事象だけではないですね、もちろん人間をはじめとする全ての生命の存在についてもそうです。
 ちょっと大げさな話になってしまいましたが、たとえば神社という存在は、そうしたゲノムのネットワークのデバイスであると思うんです。せっかくそういうところで、600年以上にわたって伝えられてきた芸能を披露するわけですからね。なにか特別な意識というのが必要だと思いますよ。
 なんて、偉そうなこと言ってスミマセン。ただ、角当行雄さんにせよ、梅若玄祥さんにせよ、野村萬斎さんにせよ、せっかく素晴らしい技を見せて下さったのですから、それが単なる技ではなく、祈りにも似た、そうですねえ、それこそが幽玄というものなのかもしれませんが、何かワザやカタを超えた「モノ」を感じさせてくださると、更に感動したのかもしれないと、まあシロウトのワタクシは勝手に思ったというわけです。
 それでも、前述したように得したなあということもたくさんありましたよ。「樋の酒」では、たっぷり萬斎さんの舞を拝見できましたし(やっぱりうまい!)、一噌隆之さんの笛も相変わらず魅力的でしたからね。
 私の妄想のレベルがある意味高過ぎるんですね(笑)。観阿弥の最期の舞、浅間神社での能はいったいどれほど素晴らしかったのか、勝手に想像してますから。おそらくその時観阿弥は観阿弥自身の力だけでなく、とんもない「サムシング・グレート」な「モノ」の力、ゲノムの伝える無意識の力と一体化していたのだと思います。それは言語や技術といった「コト」を軽く飛び超えたとんでもないものだったのでしょう。

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2009.08.07

バカチョンの語源

 ず最初に断っておきましょう。その語源的な歴史がどうであれ、実際にこの語を差別的なニュアンスでとらえたり、この語を耳にして不快に思う人がいる限り、やはりこの言葉の使用に関しては細心の注意が必要であると思います。そのスタンスをベースに、ここから本質的な話をしていきましょう。
 まず、この話を書こうと思ったきっかけから。
4 最近、仕事の関係であるビデオ・カメラを買ったのですが、その説明書にですねえ、なななんと、「ばかチョン式操作」ってあったんですよ!左の写真見てくださいよ。こりゃすごい。ちなみにこのカメラ、中国製でして、説明書全体が全てVOWなんですけど、特にここは大ウケしちゃいましたよ。英語のページを見ると「easy operation」ってあるんですけど、それを翻訳したらこうなっちゃったんでしょうか。機械翻訳でこんな訳が出るとは思えないので、ある意味日本語に詳しい方がお訳しになったのでしょう。でも、ゼッタイ日本人じゃないな。もちろんハングル話者でもないでしょう(笑)。
 で、もうこれはですね、これを機会に私のちょっとした研究の成果を発表しようかなと思ったわけです。なかなか採り上げにくかったんですよ。でも、こうしてきっかけとなるネタを提供してもらったので、書いちゃいましょうかと。
 「ばか」という語は、皆さんもご存知のように元は仏教用語です。「馬鹿」とか「莫迦」とかいう字を当てられますが、もとはサンスクリット語です。愚か者を指す「moha(慕何)」、または智慧のないことを表す「mahallaka(摩訶羅)」から転じたものと考えられています。ですから、かなり古い語ですね。おそらく中世から使われていたのでしょう。
 ま、この「ばか」自体、差別語と言えば差別語ですが(特に西日本では?)、「バカチョン」について語るとき、こちらはあまり問題視されませんね。そのへんが、この「バカチョン問題」の性質を表しているとも言えますかな。
 と言いつつ、私も「ばか」については、このへんにしておきまして(笑)、さっそく「バカチョン問題」の核心である「ちょん」の方の語源について述べ始めたいと思います。
 まず、和語としての「ちょん」です。これも案外古い歴史を持っていると思われます。
 日本語の音素としての「ち」は、大きさが小さいというイメージや、時間が短いというイメージを持っています。もちろん「ちいさし」の「ち」や、「ちと(ちっと・ちょっと)」の「ち」、「ちご」や「ちびる」、「ちび」などもその系統と考えられます。
 「ちょん」もそういうニュアンスを持った擬態語として、案外古くから使われていたようです。ただ、当時の発音や表記も問題もありまして、なかなか文献には残りにくかったのかもしれません。ちなみに「そっと」という古い語もある意味「ちょっと」でした。「そ」は「チョ」と発音していましたからね。11世紀の文献にも見える「そと」は今の「ちょっと」の意味にもとれます。
 ですから、「そ」自体が「チョ」と発音されて、小さいもの、軽いもの、時間的に短いものを指していた可能性も充分あります。そして、それが促音便化して「ちょっ(と)」、あるいは撥音便化して「ちょん(と)」になったことも想定されますね。
 いずれにしても近世には、「ちょん」が小さい、短いものを指すようになっていたことはたしかです。たとえば、「ゝ」を「ちょん」と言いますね。それに似ているから「ちょんまげ」とかね。「ちょんぎる」もそういうニュアンスから来た言葉です。「ちょん」と「切る」です。「ちょんと」という副詞や、「ちょんの間」「ちょんの幕」というような慣用句もできました。
 それがさらに進化します。「ちょん」が軽い、つまらない、価値がないという意味でも使われるようになりました。あるいはそういう人、小物ということです。江戸時代にはそういう使われ方をしていたようです。まあ、差別用語ですね。
 明治になりますが、仮名垣魯文の西洋道中膝栗毛に「ばかだの、ちょんだの、野呂間だのと」という文があります。また、明治には「ばかでもちょんでも」という言い方も頻繁にされたようですね。ただ、「ばかちょん」と略したものは確認できません。
 で、この頃までは、「ちょん」はあくまで「愚か者」という意味で、「ばか」と同等の一般名詞であったわけですね。多少差別的ではありますが。
 事情が変わるのは、20世紀に入って、日本と朝鮮半島との関係に変化が生じた頃からです。「ちょん」という語が、「朝鮮」もしくは「朝鮮人」を指すようになって行ったのです。もちろん、そこには元来あった「ちょん」という語に対するイメージが関与しています。蔑視表現に偶然が重なってしまいました。それで、「チョン」が朝鮮や朝鮮人への差別呼称となっていったわけですね。
 ですから、「バカチョン」の「チョン」の語源として、どちらが正しいかなんていうのはナンセンスなんです。重層的、複合的なんで。
 そして、さらにさらに偶然が重なります。面白いですよ。
Pht_def_1977 いわゆる「バカチョン・カメラ」が生まれたのは、1977年です。小西六の発売した「ジャスピンコニカ」は、それはそれは画期的な製品でした。それまで、カメラと言えば一眼レフが主流で、それは男性の道具(おもちゃ)でした。しかし、現在のコンパクトカメラのはしりであるこの「ジャスピンコニカ」によって、女性や子どもでも男性と同様な写真を撮れるようになったのです。
 その簡便なイメージが、「バカでもチョンでも」というイメージと重なりました。しかし、それは偶然と言うより、一般的な必然です。
 偶然というのはこちらです。このようなイージー・オペレーションな(笑)カメラのことを、アメリカでは「vacation camera」と呼びました。この「vacation」をローマ字読みしてみましょう。どうですか?「バカチョン」になりますよね。あるいは、英語の「vacation」の発音でもいいんです。そう聞こうと思えば聞こえるでしょ。
 さすがにこれは偶然でしょう。きっと誰かが、「vacation camera」が「バカチョン・カメラ」と読める、あるいは聞こえると言い始めたのでしょうね。そして、「バカでもチョンでも使えるカメラ」ということで、ナイスネーミングに相成ったということでしょう。
 ちなみに1970年代、あるいは80年代初期には、「バカチョン」と言った時の「チョン」が、朝鮮や朝鮮人を指すという意識はかなり薄れていたものと思われます。
 しかし、それを聞いて不快に思う人もいたし、あるいは使ってみて違和感を抱いた人もいたわけでしょう。どこかで、また「ちょん」にまつわる黒歴史が復活してしまったわけです。
 というわけで、なんとも皮肉な偶然が重なって生まれ、そして死んでいく言葉であることが解りましたか?言葉狩りが逆差別につながるという難しさもあって、この語について語る人も減っていくことでしょう。それは、ある意味歴史に目をつぶることにもなりかねません。言葉と歴史は実は同じものです。私の言い方だと「コト」ということですね。しかし、その「コト」には偶然という「モノ」も付き物なのでした。
 それにしても、この説明書、どういうプロセスを経て、こんな歴史を掘り起こしちゃったんでしょうね(笑)。どんな偶然が重なったのか…おかげで、私は復習できましたが。

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2009.08.06

『甦れ!猛虎伝説 初代タイガーマスク激論スペシャル』 (闘魂 SUPER BATTLE S.P.特別編…BS朝日)

2 日は朝からとんでもないハプニングが。
 今日からですね、娘二人が四泊五日の日程で本栖湖にキャンプに行く予定だったんです。それで、集合場所に連れて行ったら、そこでいきなり「中止です」って言われちゃったんですよ。
 えっ?のりピー騒動の影響がここまで…と思ったら、全然違って、新型インフルエンザが原因でした。関係者に感染者が発生したらしい。で、この大がかりなイベント(子ども数十名&大学生数十名)が突然、それも当日の朝集合したら中止って…。
 中止の判断は正しいとしても、さすがに段取り悪すぎませんか?もう、ホント笑っちゃいましたよ。ずっと時間とお金をかけて気合いも入れて準備してきたウチとしては、さすがに拍子抜けしまくりました。もちろん、はしごをはずされた子どもたちが一番ショックだったでしょう。
 ま、ウチはですね、アントニオ猪木さんのお言葉、「一寸先はハプニング」「元気があればハプニング」をモットーとしているので、こんなことくらいでメゲたり、怒ったりしませんよ。
 なんて、昨日までは「人生はチャレンジだ!」とジャンボ鶴田さんのお言葉をモットーにし、さらになぜか「人生は3つ数えてちょうどいい!」と、和田京平さんの謎のお言葉までみんなで叫んで、テンションを上げてきたんですよね。
 ま、いずにれしても、思い通りならない、想定外のこと頻発のプロレス的人生を目指す我が家としては、これもまた楽しい「ハプニング」であったと。
 結局、夕方みんなでお好み焼き屋さんに行き、ほんの少しだけキャンプ気分を味わいました。いちおう、鉄板の上で自ら調理するわけですから(笑)。
 その後、原始仏教や密教を勉強されている方が来訪し、戦争のことや、教育のこと、輪廻転生のことなどについて語りました。その間、テレビでは、酒井法子さんの一件、押尾学の件、そして大原麗子さん死去のニュースが…。いろんなカルマが渦巻いてますなあ、芸能界も。
 さて、お客様が帰られたあと、この番組が始まりました。初代タイガーマスクの特集です。
 本当に自分が高校時代に戻ったような気がしましたね。あの興奮がリアルに甦ります。もうこれは伝説ではなくて、リアルな体験ですからね。
 番組には佐山サトルさん御本人も出演されていました。最近はややオーバーウェイトで、猪木さんからも「あの体は疑惑だ!」と、ある種のドーピング(スウィーツ)を指摘されていたりしますが、まあ、それでも最近は純プロレスの世界で本当に頑張っておられます。
 もちろん往時の動きを期待することはできませんが、しかし、独特のオーラは健在です。番組でも話されていたとおり、「プロレスラーとしてのプライド」を持っていらっしゃるんですね。それがオーラとして現れているんだと思います。それはある種の殺気であり、命を懸けた覚悟のようなものでしょう。
 逆に言えば、そういう「モノ」が最近のプロレスラーやプロレス自体に欠けているんですよね。常人が近寄りがたいあの空気がない。それこそが、プロレス凋落の原因であると思います。
 実は9日に、猪木さんの興行IGFを観戦に行くんですけど、私はIGFにそうしたプロレス的世界の復興を期待しているんです。殺気溢れる関節技の応酬から、凡人にはできないアクロバティックな動き、そして、モノノケとしか言いような「恐ろしい外人」。昭和のプロレスにはそういう「モノ」がいっぱいありました。特にそれらに「生」で接した時の、あの興奮はどんなスポーツや芸能にも代え難いものがありました。
 IGFのゼネラル・マネージャーでもあられる宮戸優光さんとも、そういう話をよくします。猪木さんがおっしゃる「最近の世の中には怒りがない」というのもそういうことでしょう。もちろん、佐山さんの伝えようとしている「闘い」もそうした本当の意味での総合的なモノであると思います。
 それにしても、やっぱり、すごすぎるなあ、初代タイガーマスク。天才としか言いようがありません。愛弟子でもある4代目も「誰にでも合わせられる」と言っていました。ランカシャー、ルチャ、ストロングスタイル…たしかにあらゆるスタイルで最高の戦いを見せてくれました。
 番組でほんの少しずつ紹介された名勝負集、本当に凄かった。今観ると、やっぱり対戦相手もみんな素晴らしいレスラーばかりですね。やっぱり最高度の戦いはアンサンブルになっていきますね。これって、まるで禅問答みたいな感じですけど、音楽でもそういうのがあるんで、なんとなく分かるんですよ。ただ仲良しのなあなあなアンサンブルと、互いの力を出し切り、互いの力を信用し切ったアンサンブルとは、全く違う空気を生み出します。
3_2 そういう意味で、佐山さんが自薦していた「ブラックマン戦」、私はちょっとリアルタイムで観た記憶がなかったのですが、たしかにブラックマン、いい選手ですねえ。結果として、非常にリ美しい試合になっている。ものすごく高度な技の応酬が観られましたね。それが不思議なハーモニーとリズムを生み出しているんですよ。今、こういう試合ないなあ…。
 番組の後半で激論(?)された「最強のライバルは誰か?」というテーマ。これも難しいでしょうね。四人のパネラーの方々はそれぞれ、GK金沢克彦さんが「ダイナマイト・キッド」、四代目タイガーが「ブラックタイガー」、ますだおかだの増田さんは「小林邦昭」、そして我らが流智美さんは「寺西勇」さんを挙げておられました。
 ううむ、たしかに難しいなあ。誰だろう。いや、やっぱり金沢さんが言うとおり、最強は流さんかな(笑)。相変わらずのプロレス百科事典ぶりを思う存分発揮されてました。もっともっと語りたかったのではないでしょうか。そういう熱い、熱すぎるほどのファン、マニアの方も減ってしまいましたね。
 もしかすると、9日に、初代タイガー佐山聡さんとお会いできるかもしれません。お会いできたら、ぜひ、地方のプロレス復興についてお話ししたいと思っています。「夢」は地方と子供たちから。

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2009.08.05

『世界一わかりやすい「老荘思想」』 長尾剛 (PHP文庫)

56967033 日も一日研修。教科「道徳」に関するありがたい研修の合間にこんな不道徳な本読んでていいのかな(笑)。だって、こんなこと書いてあるんですよ。
 「仁義」だの「道徳」だの「孝行」だの「慈愛」だの「忠義」だのは、人々が「道」を解っておらぬから国が乱れて、そこにつけ込むようにして出てきた理屈に、過ぎぬ(by老子)。
 この本では、こんな調子で、老子と荘子が、私たち現代日本人に講演をしてくれています。昨日書いたように、ちょっと日本語間違えてますけど(笑)。
 こんな本を読んでいる私は、つくづく非国民教師だと思います(笑)。それにしても、日本の教育っていうのは実に儒教的ですね。そういう感覚でこの研修に参加している先生はいるのでしょうか。まあ、いないでしょう。ま、それより、自民党的教育施策を聞く民主党的組合先生の心境やいかに。実に混沌としておりますな(笑)。つくづく私学の教員で良かったと思うのであります。
 いやいや実は、禅宗の教えをベースにする私学の教員として、けっこう根本的な矛盾に突き当たってるんですよ。
 この本にも書いてあるとおり、老荘思想は中国禅と習合して日本禅として定着しました。一般人からすると、老子の「無為自然」がそのまま「禅」の境地だとしても良いほどです。ですから、「智慧」ではなく「悪知恵」やら「知識」ばかり教え込む現代の教育に違和感を抱くのは当然ですよね。
 なんだか最近空しさを覚えるんですよ。入試に勝つための戦略ばっかり教えて、それでいい大学に入れて、私も生徒も欣喜雀躍してるんですから。それで金持ちになって勝ち組になれっていうことでしょうかね。いやですねえ。
 かといって、たとえば老荘思想なんかを教え込んだら、現代社会では負け組になって命さえ危うくなる。死なないために、下手すると犯罪者になるかもしれない。貧すれば鈍する。
 ですから、最近は少し割り切ってですね、やっぱり自分の命が一番大切だから、しかたない、環境に適応してある程度うまくやってかなきゃ、その先理想も実現できない、と考えるようにしてます(無理あるなあ)。動物も植物も、まずは死なないために環境に適応していきますからね。
 ところで、この不二草紙に今まであんまり(全然?)「老荘思想」が出てこなかったのを不思議に思っていた方がいらっしゃるかもしれませんね。
 だって、私の言う「コトよりモノ」という理念は、考えようによっては「人為より自然」ということになりますからね。まんま老荘思想じゃないかと。人間による概念化や生活の随意化、すなわち「コト化」を否定するのが老荘思想ですからね。コトの権化「言の葉」を否定するという意味でも一致していますよね。
 実はですね、全くその通りだと思う反面、ちょっと違うなとも思っていたんです。それはたぶん、老荘思想と孔孟思想とが、デジタル的に対比されすぎていたからでしょう。今回、こういうとっても分かりやすい本を読んで再確認しました。
 私は「コトよりモノ」と言いつつ、「コトを窮めてモノに至る」とも言っています。つまり、儒家のように、人間が作り出した、ある意味不自然である「仁義」や「礼」や「法」という「コト」を窮めた結果、「無為自然」という「モノ」に還るということもあると思うんですよね。最初から「仕事(シゴト)」しないのはどうかと。
 禅は非常に形式化した生活(仕事)を営みながら、そこからモノに還っていきますよね。カタ(コト)を重視し、それを繰り返し、窮めていく中で悟っていく。不自由の中の自由といいますかね、器の中の水といいますかね。そういう感覚が私の中にあるんです。
 ですから、まあ結局は、儒家と道家とを峻別して対峙させるんじゃなくて、禅的に融合していくのが正しいのだと思うわけです。
 そういう意味で、中国の「道(タオ)」が、日本で「道(みち)」になっていったというのは、実に面白いことです。
 教育の世界も「道(みち)」を説くものでありたいですね。「コト」を教えていくにしても、その究極の目的は「モノ」でありたい(もちろん、そのモノは「物質」としての物ではありませんよ)。

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2009.08.04

「すべからく」ってどういう意味?

1 修の休み時間に(研修中じゃないっすよ)読んでいる本があります。老荘思想の本。とっても分かりやすくて、いやなんか分かりやす過ぎて拍子抜けするほどです。マンガのやつより分かりやすいって…いったい。その本はいずれ読み終わったら紹介しましょう。
 で、その本を読んでいて、とっても気になることがあったので、ここに記しておきます。どう考えても著者の勘違いです。というか、けっこう世の中で間違って使われている言葉ですね、「すべからく」。
 たとえばこういう文が出てくるんです。老子自身がこう言ってるんです。
 「世の中、すべからくそうじゃ」
 「すべからく、所詮は、それを見る者が勝手に決めることじゃ」
 「物事すべからく『必ず一つだけの意味や性質になる』ということは、あり得ぬのよ」
 2ページの中にこうして3回も出てくる。これら、どう考えても「全て」の意味で使われていますよね。そうとしかとれません。
 おかしいですね。老子自身がこういうふうに間違って使っているっていのは(笑)。てか、著者(翻訳者?)もですね、老荘思想についての本を書いているわけですから、当然「すべからく」の意味は知っているべきです。
 そう、「すべからく」は多く文末に「べし」を伴って、「当然〜べきだ」という意味を表すのが本来です。
 皆さん高校時代の漢文の授業を思い出して下さい。「須」という字習いませんでしたか?再読文字っていうやつですよ。懐かしいでしょ。「未(いまだ〜ず)」や「将(まさに〜す)」とかがよく知られていますね。「未来」は「未だ来ず」、「将来」は「将に来んとす」です。
 で、「須」は「須く〜べ(し)」と読んで、「当然〜べきだ」と訳すんですよね。「必須」の「須」ですよ。
Image43ug01 実はですね、私も高校に入るまでは、「すべからく」は「全て」だと思っていました。私が「すべからく」という言葉を覚えたのは幼稚園の年長の時です(笑)。ウルトラセブンの再放送を観て覚えました。あの実相寺昭雄の名作「第四惑星の悪夢」の冒頭、ソガ隊員が「潮の満ち干が月と関係があるように、万物はすべからく天体の動きに影響をされながら生きているんだ…」って言ってたんで…。つまり、脚本の川崎高(実相寺昭雄)&上原正三、二人とも間違って覚えていたっていうことでしょうか。
 と、ここに挙げた例だけでなく、実はほとんどの人が間違ってるみたいですね。今、ウチのカミさんにも聞いてみましたら、自信満々で「全てにわたって!」と答えました。
 「すべからく」は「す」+「べし」のカリ活用連用形「すべかり」のク用法ですね。「いわく(いはく)」とか「おもえらく(おもへらく)」とかと一緒です。「すべし」ですから「当然〜べきだ」となるわけですね。
 その「すべ」の部分がたまたま「すべて」の「すべ」と一緒だったから生じた単純な間違いだと思います。まあ、これに限らずこういう勘違いや誤用が定着しちゃう例というのは他にもたくさんありますけどね。今日はちょっと時間がないのでいちいち挙げませんが。
 それにしても、老子自身が間違ってるっていうのは面白いですね。いや、「すべからく」は日本語だから仕方ないか(笑)。
 老子たるものすべからく「すべからく」の意味を知るべし。

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2009.08.03

ラヂオ体操第三

↓Wikiから拝借
300px 朝、メンデルスゾーン編曲のバッハのマタイ受難曲を聴いてたら、いきなりカミさんがラジオを手に階段を下りてきた。上の娘もいっしょだ。
 ラジオからは大音声で「ラジオ体操第一」が流れている。あのAMのノスタルジックな音質だ。あえなく轟沈するメンデルスゾーン&バッハ。
 團伊玖磨の名曲とNHKのアナウンサーのさわやかすぎる掛け声が耳をつんざく。それに合わせて嬉しそうに体操を始める女二人…。いったいなんなんだ!?
 というわけで、今日はメンデルスゾーン&バッハおよびシューマン&バッハについて書こうと思ってたんですけど、強制的にラジオ体操について書くハメになりました。わけわからん。
 えぇと、夏休みの風物誌にはいろいろありますが、このラジオ体操も避けて通れないイベントの一つですよね。
 これから少しずつ書いていこうかと思っていますけど、夏休みってものすごく戦争の臭いがするじゃないですか。それがいいか悪いか、好きか嫌いかは別としまして、日本人がなぜかこの暑い季節に、「鎮魂」という一つのテーマのもと、不思議な一体感を抱くというのは事実です。
 高校野球については、いつかも書きましたでしょうか。あれはまさに「戦争の記憶」そのものです。坊主頭、軍隊式行進、負けたら終わりの背水の陣、故郷への思い、故郷の思い、原爆の日、終戦の日、お盆、土、汗、涙…炎天下での過酷な戦い。だいたい日本で最も暑い日の最も暑い時間に、最も暑い場所で決勝が行われるんですからね。あれをですね、ドームで冷房きかせて、人工芝の上でやってたら、誰も見ませんよ。あれはスポーツではありません。鎮魂の神事(&仏事)です。
 ラジオ体操も非常に軍国主義的ですよね。そんなこと考えていない人がほとんどですけどね。やってる人もやらせてる人も。まあ、もともとは「大日本国民体操」ですからねえ。
 毎朝たくさんの親子が集まって、あの音質の音楽と掛け声に合わせて、みんなで体操している姿をですね、外国の方が見ると、かなり怖いものがあると思います。実際近所の外国人の方々はみんな目を丸くしています。北朝鮮と同じに見えるらしい。
 だいたいですね、日本の学校の体育というのは、ほとんどあの時代の遺物です。私もそんなこと考えずにやってましたけどね。体育の先生もそんなこと知らないし。あの「気をつけ」「休め」とか、行進とか集団行動とか、跳び箱とか鉄棒とか、あと運動会という一大イベントもそうですね、みんな軍隊式です。
 そうそう、あの体育座りっていうやつ、あれは捕虜を拘束する座らせ方ですよね。
 いや、私は日教組じゃありませんから、そんなのどうでもいいと思ってます。ってか、日教組さん、そのへんについてはどうなのよ?教科書のこととかより、自分たちがやっている学校行事や学校的統制法は軍国主義じゃないのかい?
 ま、いいや、それも。私には単なる興味の対象にしかすぎませんから。
 そうだ、今日はラヂオ体操第三の話だった。

 皆さん、ラジオ体操にはいろんな種類がある(あった)のをご存知ですか?上のYouTubeに上がっているラヂオ体操第三は、いわゆる「ラジオ体操第三(二代目)」のピアノ・ヴァージョンです。
 これは戦後すぐ橋本国彦によって作曲されたものです。ピアノは丹生健夫。GHQも、この国民的体操が軍国主義的だと感じていたんでしょうね、それまで主流だった「ラジオ体操第三(初代)」をやめさせ、この新しい第三を作らせました。初代に比べますと、ずいぶんとまろやかになっています。
 というか、本当によく出来た名曲ですね。素晴らしすぎ。橋本国彦はウィーンで学んだ名作曲家(&ヴァイオリニスト)で、矢代秋雄、芥川也寸志、團伊玖磨、黛敏郎らを育てた優れた教育者でもありました。戦中は軍国歌謡や行進曲をたくさん作りましたが、戦後は強い反戦思想を持っていたようです。
4181x8edp3l_sl500_aa240_ ラジオ体操は、結局昭和22年にいったん実質上禁止になります。やっぱり軍国主義的だという批判があったんですね。結局4年間放送されませんでした。
 昭和26年になって復活したわけで、今考えれば、戦後5年くらいで「戦後」は終わってしまったとも言えるんですよね。朝鮮特需によるすさまじい復興と成長、そしてアメリカナイズによって、精神的バブルが起きてたんですね。それも良かったのか悪かったのか…。
 ちなみに初代第三も橋本国彦の作曲です。興味のある方は右のCDをどうぞ。少し試聴できますよ。

Amazon ラジオ体操のすべて

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2009.08.02

セクスィー奉行(&武将)

6 しぶりに「サラリーマンNEO」ネタ。忙しいので、こういう何も考えなくていいのが心地よい。
 どうにもやらなくてはいけないことが多すぎまして、合宿を早めに切り上げさせていただき、自宅で仕事。こんなピンチに、さっそうとセクスィー部長が現れ、サッサと難題を片づけてくれればなあ…ってか、自分がセクスィー部長になればいいのか(笑)。
 いや、実際勇気をもらいましたよ。なんとかなる!ってね。それほど沢村一樹さん演ずるこのキャラには不思議な力があります。
 今年度のseason4になってから、やや趣向を変え、セクスィー名作シリーズという形を取っています。そして、時々時代劇になったりします。今回はセクスィー部長ならぬ「セクスィー奉行」。
 実は6月には、最近の武将ブーム(萌え)の時流に乗りまして、「セクスィー武将」というのがありました。これはこれでかなり面白かった。くのいち軍団を「恋」の力でバッサバッサと斬り捨てて…ではなく腰砕けにしていく色香恋次郎に、本来の「萌え」を感じたOLの皆さんも多かったのではないでしょうか(いないか…笑)。
5 あの時は、「部長」を「武将」に変換するとはなかなかやるなと思いました。日本語の音韻史的に申しますと、「ちょ」が「しょ」に変化していく傾向がありますから、学問的にも辻褄が合います(笑)。いや、時代が逆行してるじゃないか!全然辻褄合わない。ま、時の流れをも超えてしまうのがセクスィーのすごさなのでしょう。
 で、今回は、さらにすごい音韻変化が。「ちょ」→「しょ」→「ぎょ」。これは学問的にはあり得ない(笑)。いや、学問なんていうくだらんものをも超えてしまうのがセクスィーなのでしょう。
 そうそう、だいたいですね、沢村一樹さん、ある映画の舞台挨拶か何かで、自分のことを「エロザイル沢村」とか言ってたらしいですからね。「エグザイル」が変化して「エロザイル」になったそうです。「グ」→「ロ」です(笑)。
 さて、それで今回の「セクスィー奉行」ですが、なんと言っても見どころだったのは、美保純さんとの対決シーンでしょう。これぞ究極の「セクスィー」対決。美保純さんと言えば、元祖にっかつポルノアイドル。静岡市の誇る名女優さんです。
 だいたい、セクスィー部長シリーズでやられるやり手の女性たち、そうした大人の色気を持った方が選ばれているのですが(NHKさんの人選はなかなかのもの)、私、いつか美保純さんにも出てもらいたいなあと思ってたんですよ。それが今日実現しました!なんかうれしいぞ。
 で、結果はもちろんセクスィー奉行の勝ち。やられるやり手の女性のセクスィーさもまた、ある意味このシリーズの売りであります。毎度、どんなやられっぷりを演ずるか、それぞれのベテラン女優さんたち(たまに藤本美貴みたいな比較的若手もいますが…いや、彼女も変な風格あるか)が芸を競いあっているような気がしますね。公共放送なのにすごいことです。
 あと、今回ちょっと感激したのは、公共放送でありながら、民放さんの時代劇ドラマのテーマ曲満載だったことです。「遠山の金さん」、「大岡越前」、「暴れん坊将軍」…。前回「セクスィー武将」の時は、NHKの大河ドラマテーマ曲満載でした。それはそれでビックリしたんですけど、今回はさらにビックリ!NHKさん、GJです!
 ま、こんな感じでとってもいい息抜き&気合い入れになりました。ありがとう、セクスィー奉行。またやる気が復活しました。よし、もう一仕事頑張るぞ!!
 なんだかんだ、今日も「女」ネタでしたね。

サラリーマンNEO公式

特集 色香恋次郎に迫る

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2009.08.01

富士山と能

35581208_2136083648 日に続き、「女」の話になっていきます。
 今日は地元のショッピングセンターで、能の発表のお手伝いをしてきました。今年度我が校に発足した「能楽部」の初舞台であります。もちろん、生徒たちはまだまだ始めたばかりの初心者ですので、基本的な型の紹介と、簡単な謡の発表にとどまりましたが。それでも彼ら彼女らはよく頑張ったと思います。
 大型ショッピングセンターのレジ横という、ある種の喧騒の中でも舞と謡、違和感があるかなと思いきや、案外そうでもありませんでしたね。そう、観阿弥や世阿弥の頃は、まさに市の傍らでの野外興行なんて当たり前でしたから。ちょうどこんな感じで、道行く人が車座になって観賞したのでしょう。
 これはこれで古態の復活であったりして。プロの皆さんではなかなかできないことかもしれませんね。
 今回は、我が教え子でもあり(つまり本校の卒業生)、野村四郎師の内弟子である「先生」も発表を手伝ってくれました。やはり彼女の仕舞はカッコよかった。あの現代的空間に、ああやって異次元を現出させただけでも、それはそれは素晴らしい事件でありました。素晴らしい。
 発表が終わった後、まさにそうした「舞」「能」が結ぶ御縁ということで、ある方に声をかけていただきました。短い時間ではありましたが、なかなか刺激的な内容のお話をうかがうことができました。
 面白いなと思ったのは、秦河勝が富士北麓の出身ではないかというお話。秦河勝と言えばもちろん能(秦楽)の始祖とも称される人です。観阿弥・世阿弥も河勝の子孫を名乗っています。そして、秦氏と言えば徐福。ここ富士北麓とは切っても切れない人物ですね。北麓には今でも彼の子孫を名乗る家系がいくつかあります。羽田氏はその代表。
 ただ、私はこのお話をうかがいつつ、ちょっと不思議な気持ちにもなりました。というのは、日本書紀にあるあの記述のことを思い出したからです。秦河勝は晩年、駿河の富士川付近である豪族を討伐しています。その大生部多という人物は、蚕のような虫を「常世神」として信仰していました。私としては、養蚕と常世国のイメージからして、秦河勝は富士山周辺にあったある勢力を弾圧したのだろうと思っていたわけです。ですから、まあ、富士山文明からしますと敵というわけですね。
 つまり、今までの私の勝手な解釈としては、秦河勝は徐福の末裔でありながら、大和朝廷側に寝返り、さらに仏教派に肩入れして権勢を手に入れた裏切り者というイメージがあったのです。これは本当に単純な発想であり、別に確信でもなんでもないんですが。
 もちろん、当地に残る宮下文書(富士古文献)には違った秦河勝像が描かれていますが、そちらはまだ不勉強であります。いずれにしても、私は正史から入るのを基本にしていますから、先ほどのようなイメージが出発点になるわけですね。
 でも、これは一度しっかり調べてみなければと思いました。というのは、最近、自分も能に関わるようになってですね、どうも富士山と能の関係は案外と深いものがあるという直感が働いているんですよ。
 もちろん、謡曲「富士山」や「羽衣」の例を挙げるまでもなく、世阿弥は富士山とその周辺の物語に興味を持っているのがわかります。それから、観阿弥が亡くなる直前に最後の能を奉納したのが、駿河の浅間神社(具体的にどこの浅間神社かは不明)だったというのにも、何か因縁を感じます。
 あと、最近、出口王仁三郎の大本と富士山の関係について興味を持って調べているのですが、そこで知ったのが、大本の本拠地京都の亀岡と能の深い関係です。今でも大本では能が盛んですし、なにしろ、開祖のナオさんは神懸かりになると仕舞のような動きをしたと言いますから、根源に何かがあるのだろうなと思いましたら、なんと、梅若の始まりになった矢田猿楽の「矢田」って、王仁三郎の住んだ中矢田の矢田なんですね。全然結びついていませんでした。
 王仁三郎の霊的開発にコノハナサクヤヒメの分霊が関与したことは言うまでもありません。そして、霊界物語における富士山(天教山)の役割や、宮下文書(富士古文献)の神統譜の引用、聖地綾部本宮山月山不二に安置されている明見(宮下文書によると富士王朝の都のあった所)から運ばれた富士の霊石…富士山と亀岡や綾部とは不思議とつながっているのです。
 来週になりますか、今年も富士山北口本宮冨士浅間神社で梅若薪能が行われます。今まで何度も体験させていただいた薪能ですが、こういう因縁があろうとはつゆぞ知りませんでした。コノハナサクヤヒメが結ぶ不思議な縁。
 そう、今では浅間神社の祭神は言うまでもなくコノハナサクヤヒメですが、実は古くは赫夜姫(かぐや姫)であったことも分かっています。この赫夜姫、読み方によっては「トヨヒメ」ともなるため、丹波や大本ともゆかりの深い伊勢神宮外宮の豊受大神との関係も指摘されているとのこと。
 ああそうだ、観阿弥と世阿弥と言えば、南朝との関係もいろいろとウワサされていますよね。上嶋文書には観阿弥・世阿弥は楠木氏だとありますし。当時の芸能集団、特に全国を行脚していたグループには多分に忍者、隠密的な色合いがあります。もちろん、そこに寺社というネットワークが関わってきますし。
 いろいろと書き出せばキリがないのですが、とにかく今回縁あって私も能に関わるようになりました。四郎先生の内弟子になった彼女も、もとはと言えば私の口車に乗ってその世界に入ったようなものです。で、彼女、もちろん女性ですから、こうして富士山の麓で女性が能を舞うということにですね、私は特別な感慨を持つわけですよ。木花開耶姫の舞、赫夜姫の舞…。
 そんなわけで、今後の展開が実に楽しみであります。

追記 第11代垂仁天皇の妃に迦具夜比売がいます。こちらのかぐや姫はヤマトタケルのおばあさんにあたるわけですから、富士山と間接的につながりますね。調べる必要がありそうです。

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