罔象女命
タイトルをさっと読めた人はすごいですよ。「もうぞうおんないのち」って、どんな女が好きなんだ…とお思いになった方も多いのでは(笑)。
今日、巡視で学校の近所を歩いていましたら、思わぬ所にこの女がたたずんでいたので、びっくりしてしまったのです。なんで、こんな所に…。
近くまで行って声をかけようと思いましたが、フェンスに遮られて叶いません。気にはなりましたが、しかたなく写真だけ撮って帰ってきました。
というわけで、答えは「みづはのめのみこと」です。正解者はかなりマニアックな方ですよ。
神様の名前です。日本書紀にこういう表記で登場します。古事記では弥都波能売と万葉仮名式です。
イザナミが火の神カグツチを生んだ時、大事なところをやけどしてしまんうですね。その時ちびったオシッコから生まれた神がこの「ミヅハノメ」です。すごい状況ですな。
結局それが原因でイザナミは死んでしまいます。で、怒ったダンナのイザナギはカグツチを殺してしまう。まあ、現代にこんな事件が起きたら、かっこうのワイドショーネタですね。いや、それどころじゃないか。
オシッコから生まれた神様ですから水神です。井戸や潅漑用水の神様です。全国の至るところに祀られてますよ。水はまさに命の源ですからね。雨乞いや雨止めの際にも、この神様は活躍しました。
それにしても、なんで、こんな所にたたずんでいるのでしょう。高速道路の下ですよ。高架の下って立ち入り禁止の空き地になってるじゃないですか。そのど真ん中にけっこう立派な碑がドンとあるんですよ。
高速道路を造る前、ここに社があったのでしょうか。あとで調べてみます。
ちなみにこの辺りは、大昔湖だったと言われています。小舟山(御舟山)という小山を囲むように、小舟湖(御舟湖)という三日月湖があったという記録があります。それが今から1200年くらい前、貞観6年(864年)の富士山の噴火の際、流れてきた溶岩流で埋没してしまったんですね。その溶岩流が剣丸尾です。
ですから、小舟湖があった頃は、その辺り、すなわち新倉(あらくら)と言われる地域は水が豊富だったわけですね。それで、その頃水神さんが祀られたのかもしれない。
いや、そうではなくて、湖埋没後かもしれませんね。というのは、地下流水というのは、溶岩流によってけっこうその流路を変えられてしまうものでして、実際、その後新倉地域というのは、水不足に苦しみました。そう、往時の記憶も重ねて、水乞いのために水神である罔象女神を祀ったのかもしれません。
ウチの学校の母体になっている月江寺の池はその小舟湖の名残とも言えます。その池も、最近すっかり湧水量が減ってしまいましてね、往時の面影が失われつつあります。
江戸時代には、水害に苦しむ河口湖と水不足に悩む新倉、両方の憂いを一挙に解決しようと、有名な「新倉掘り抜き」が掘られます。なんでもこれは日本最長の手掘りトンネルだそうで、何十年もかけて大変な工事をしたんですけど、いざ貫通してみたら設計ミスで水が流れなかったという、なんとも悲劇的(喜劇的?)な結末を持った大プロジェクトです。しっかし、罔象女さんもずいぶんと厳しい仕打ちをしましたね。
それにしても、この高速道路を屋根にした社(?)というのも、かなり珍しいんじゃないでしょうか。たしかに雨はしのげると思いますけど、水神さんとしては、これで納得できるんでしょうかね。けっこう立派な石造物ですので、誰がいつ建てたものか知りたいんですけど、なにしろ禁足地なもので、近づけないのが残念です。ま、いつか近いうちに侵入して観察してきますわ。
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 英語の語源が身につくラジオ(堀田隆一)(2023.05.17)
- 物件ファン(2023.05.16)
- ベイスターズ 劇的サヨナラ勝ち!(2023.04.27)
- 柳沢正文 vs 落合陽一 『睡眠の謎』(2023.04.26)
- 若者との対話 in 石和・甲府(2023.04.25)
「歴史・宗教」カテゴリの記事
- 『基礎科学としての情報〜エントロピーと生命、超次元複雑性と生成AIの未来と私達』 Dr.苫米地(2023.05.24)
- 木内鶴彦さんとナオキマンの対談(2023.05.22)
- 英語の語源が身につくラジオ(堀田隆一)(2023.05.17)
- Style2030 賢者が映す未来〜竹倉史人 (BS-TBS)(2023.05.14)
- 『オスカー・ピーターソン ジャズ界の革命児』 バリー・アヴリッチ監督作品(2023.05.07)
コメント
こんにちは!
月江寺の池のことで、数年前に聞いたことを思い出しました。
池の水量が減りだしたのは、近くを流れる宮川の川底が、コンクリートで固められてからのことだ、という話を聞きました。
本当にそうなのかは知りませんが、言われてみると、なんだかそうかもしれないと思いました。
昔は今よりも、川底が高い位置にあったような気がします。
投稿: kobayashi | 2009.07.10 21:14
kobayashiさん、おひさしぶりです。
へえ〜なるほど。
たしかに宮川って田舎の川らしからぬ風情ですよね。
地下の伏流ってホントにデリケートらしい。
上流ではミネラルウォーターの汲み上げも激しいし、
ま、月江寺の池が完全に涸れちゃう時が来るかも、ですね。
残念です。
鳴琴泉と呼ばれる程の名池だったのに…。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.07.11 07:07
あっ!!!
これアタシも気になってました。
この近くは、親戚があるからよく通るけど気になってたの。
アタシが子供の時からあるような気がします。
かなり気になるので、調べて欲しいです。
アタシも調べてみるーーーー。
あと、何でデモの時公園通りとか宮下公園を使うのかも。。。。
いろいろ見たけど未だに分からなくて気になってる。
投稿: カオル | 2010.01.19 01:20
カヲルよ、知ってたか。
さすがマニアックだな(笑)。
子どもの頃からあるのかあ…やっぱり。
デモの件も調べてみるよ。
では、あと1時間後に。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.01.19 17:57
昨日はどうもありがとうございました。
ビール狂いのアタシには、日本酒は悪魔の酒です。
帰り道の記憶がありません。
市役所から返事がキターーーーーー!!!
コピペします。
浅間町にある罔象女命の碑は、どうして中央道の下にあるのかという質問ですが、ここの窪んだ地形は、そのむかし、大正寺という寺院の大門前のツツミ(堤)と呼ばれ、以前は池水でした。その上に中央道が通ったわけです。ここからは湧き水が出ており、ここに水神として罔象女命の碑を祀ったのだそうです。この水は新町の人々が利用していました。これ以上のことは、わかりません。
というわけです。
私の質問が悪く、いつあの碑を作りなおしたのかは分かりませんでした。
親戚のお兄ちゃんが野球やったぐらいだからあんなにでかでかとなかったはずですよね。
しつこく聞いてみようかな?
って感じです。
投稿: カオル | 2010.01.20 11:53
しつこく市役所に問い合わせしてみました。
昭和何年頃にあの碑を建立したのかお分かりになりますでしょうか。って。
そしたら、↓
またコピペ
たいへん残念ですが、わかりません。
中央道のガード下は、フェンスで囲われていて、中に立ち入ることができません。
石碑に近づくことができて、年号が刻んであれば、年代がわかると思いますが。
だってー。
やさしい担当者さんでした。
投稿: カオル | 2010.01.20 22:10
カヲルよ、ごくろうさん。
この前は楽しかったな。
呑み過ぎて風邪ひいちゃったよ(笑)。
碑の方は、今度侵入して調査してきます。
というか、純粋にお参りしたいんだけどね。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.01.21 22:06