ヒューマン ドキュメンタリー 『物理学者・戸塚洋二 がんを見つめる』 (NHK)
漢字能力検定協会との3時間にわたる電話バトルでへとへとになって帰宅後、NHKの番組を二つ鑑賞。
まずはクローズアップ現代「村上春樹 “物語”の力」。「システム」とは違うもう一つの世界を現出させる「物語」。「システム」に埋没し、自分を見失ってしまうことのないように、気づきのきっかけを作ってくれる「物語」。
村上春樹は、実はほとんど読んだことがありません。というか、小説自体ほとんど読みません。おそらく違う方法で「システム」に対抗しているし、そのおかげか不安があまりないんでしょうね、私は。小説という「物語」の手段は必要としていないと。カミさんにもそう言われました。
それこそ、私の「物語論」「モノ・コト論」的に申せば、「システム」とは「コト」そのものです。脳内で分節された世界観こそ「システム」であり、日本語の「コト」が本来表すものです。その分節の道具が「コトノハ(言葉)」であり、論理であり、科学であり、宗教です。
「モノ」はそうした脳内妄想の外にある未分節な、単なる存在です。それを我々に語ってくれる(固成してくれる)のが「モノガタリ」です。村上春樹の小説はそういう意味で「物語」であるということですね。
そうそう、漢検協会(教会)にとって、今日の私の話はそうとう「物語」してたと思いますよ。硬直化したシステムの根幹を揺るがす話ですからね。しまいには、東国原知事みたいに、「私は理事長にしなさい!」とまで言ってしまいました(笑)。
そんな私に「1Q84」は必要ないかもしれません。どんなもんでしょう。
さて、食事をしてさあ寝ようかと思った矢先に、「ヒューマンドキュメンタリー」が始まりました。予告を見て、これはちょっときつそうだから、観ないで寝ようと思っていたのですが、いざ番組が始まりますと、すっかりテレビに釘付けになってしまいました。
ニュートリノの研究で次のノーベル賞候補と言われていた、素粒子物理学者の戸塚洋二さんが、ガンに侵され余命数ヶ月を宣告されます。戸塚さんは、科学者らしく、その病状を克明に観察し、(表面上は)取り乱すことなく自らを記録し続けます。
最後にはガンが脳に転移し、気を失い、幻覚が起き、体も思うように動かなくなっていく。それをまた観察して、冷静にブログに記していきます。
その様子は、科学者を超えて、宗教者、哲学者のようにも見えます。
途中、佐々木閑さんとの対話も挿入されていました。佐々木さんは、まさに科学と宗教を結ぼうとしている方です。
私は佐々木さんとの対話が録音されたテープを聴いて、かなり切なくなりましたね。
「別の世界があるのか。死ぬ時それを確認できる。しかし、それを伝える方法がない。それでは科学にならない。無がこわい…」
戸塚さんの冷徹な行動を崇高なものだとするのは簡単でしょう。しかし、そうして美化してしまうだけでは、単なるお涙ちょうだい物語になってしまいます。
もちろんNHKさんも、そこには充分に注意を払っていたようにうかがえましたが、視聴者の皆さんはどのように受け取ったのでしょうか。
ここには複雑に「モノ・コト」が絡み合っているから難しいのです。
先ほど書いたように、科学も宗教も私からすると「コト」です。人間の脳内で構築された「システム」です。しかし、ガンや死は、究極的には「モノ」に属するものです。外からやってきて、我々の「システム」を根底から切り崩す存在です。それこそ科学者が恐怖する「無」を運んでくるんですから。
ですから、戸塚さんは、「モノ」に対して、最後まで「コト」で闘ったとも言えるわけです。それを空しい行為、いや切ない行為だと感じたのは私だけではないでしょう。
佐々木さんがご専門の「禅」は宗教と言えるか微妙ですけれども、「禅」は「コトノハ」を捨てて、「モノ」に成りきることによって、苦悩から解脱することを目指します。そういう意味では、一見戸塚さんの行為は、禅とは正反対のあり方のようにも感じます。
しかし、そこが難しいところで、実際佐々木さんと戸塚さんの「何か」が交流していたように、禅と科学は一致しなくとも互いに顔を突き合わせているんですね。それもにこやかに。
私が最近よく言う、「コトを窮めてモノに至る」というやつでしょうか。実は私もこれに関しては単なるイメージしか持ちえず、うまいこと言葉にできないもどかしさを感じているんですが、しかし、どうも禅の修行の方法や、科学の最終地点や、出口王仁三郎の霊界物語などを眺めていると、やっぱりコトを窮めなければモノに至らないような予感がするのです。
仏陀が苦行には意味がないと言ったからといって、最初から苦行をしないとしたら、その人はとても仏陀のレベルにまで到達できませんよね。同様に科学を窮めて、あるいは言葉を窮めて、初めて到達できるある地点が存在するような気がします。
たぶん、私たちは、自分の「死」という究極の「モノ(外部・不随意)」に直面した時、そうしたコトの営み、すなわち「仕事」を遂行できなくなり、中途半端にその人生を終えてしまうのではないでしょうか。凡夫はそうして解脱できず迷いの世界をさまよい続ける。いくら生前立派なコトを為したとしても、ゴールでこけてしまうのが、我々人間なのです。
そうすると、一見崇高で、しかしまた空しく切ない最後の生き方をした戸塚洋二さんは、死の瞬間、どのような世界を見たのか、知りたくなりますね。しかし、戸塚さんが言うとおり、それを確認する方法はありません。
Amazon がんと闘った科学者の記録
Amazon 1Q84
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