『多読術』 松岡正剛 (ちくまプリマー親書)
世の中にはいろいろの道のプロというのがいて、常に私を驚嘆させるものです。読書の世界にもこういうモノすごいプロの方がいらっしゃるんですね。
なんというか、読書という武芸の達人の言を聞いているような感覚でした。なんとなくその世界がわかるような気がするのですが、絶対にマネできないなとも思う…。
実はこの本とその周辺でさっそく試してみたんです。松岡さんの推奨する読書術を。二度読む、疑問エンジン、空振り三振、系読、「無知」から「未知」へ、目次読書法、知のマップ、感読レセプター、コラボレーション、予想、マーキング、本をノートと思う、そして「編集」。
非常に楽しかった。なるほど、読書は受け身な作業だと思っていたのが、最初の誤りだったのか。たしかに双方向的な相互コミュニケーションだという前提で臨めば、私の苦手な「読書」もずいぶんと楽しくなるなと。
特になるほどと思ったのは、「筆者は実は自信がない」という部分です。なんか、本の筆者って、とっても偉くて自信満々な人だと思っていた。自分にはこう断言する自信はないなあ、とても本なんて書けないなあと思っていたので、かなり新鮮でした。
そう、こうしてブログというメディアでは、私も活字をやたらに吐き出し続けていますが、古典的メディアである紙に文字を固定して他者に開陳するのは、どうも自分にはできないと思っていたんです。いや、もちろん今でもその基本は変わりませんよ。しかし、実は多くの著者が、ある意味ハッタリで書いていると思うと、なんとなくそれだけで「読書」という行為をする自分の気持ちも変わっていきます。
つまり、今まで私は、本の前に立つ(座る)と、もうものすごく緊張してかしこまっていたわけですね。とんでもなくエライ人の前に立たされているみたいに。だから、なるべく自分の存在を消そうとすらしていた。とても自分がその本に偉そうなことを言える立場ではなく、ただ、はぁなるほど…とうなずくことしかしていなかったのかもしれません。
くそー、だまされてた(笑)。
ま、本にもいろいろありますからね。事実このブログでずいぶん筆者に失礼なことも書いてきましたし(笑)。ただ、一般に名著とか言われるものに対しては、読む前から構えてしまっていたのは事実です。
ですから、松岡さんがおっしゃるように、そういう名著であっても何であっても、とにかく著者、筆者、作者は、実は自信がなく、読者の顔色をうかがいつつプレゼンテーションしているのだと思えば、ずいぶんとこちらも楽になるのは事実ですよね。そして、こっちからいろいろツッコミを入れてもいいのだと。そのツッコミという編集行為こそが読書であるというわけです。
そういう意味で、私自身が妙に反応したのは、「黙読」についての松岡さんの言葉でした。そこでは彼はそれこそ自信なさげに、「まだ確証されたことではないのでなんとも言えませんが、ひょっとしたらありうることでしょう」とおっしゃっています。松岡さんならもっとはっきり確定的に言っちゃうのかなと思ったら、案外ヘニャヘニャだったので、ちょっと嬉しくもあったりして。
私もこの「黙読」がもたらした人類史的な事件について興味があるんです。私のそれこそワケわからん「モノ・コト論」で言いますとですね、黙読こそ近代化(コト化)を象徴する行為だと思っているんです。
黙読なんて、今では当たり前、音読するのは学校の授業くらいだと思ってるじゃないですか。でも、実際は、黙読というのはとっても不自然な行為なのかもしれない。そうですねえ、たとえば音楽を黙読するというのと同じだと考えてみてください。数百年後、我々人類は音楽を聴いたり、演奏したりするんじゃなくて、楽譜を黙読するようになったらどうでしょう。信じられないですよねえ。でも、音読が当たり前だった時代の人々からすると、我々の黙読は、それと同じくらい信じられない行為なのかもしれません。
松岡さんは、マクルーハンの説を引いて、黙読は「無意識」「下意識」を生んだとしています。私は「無意識」と「意識」を、一般と少し違った定義をしているので、そのまま受け入れることができませんが、基本似たような感覚を持っています。つまり、黙読が一般化するにつれ、脳内の「コト」世界が、身体的「モノ」世界を凌駕しはじめたということです。
「コト」世界が広がることによって、我々はどんどん「自然状態」から遠い存在になっていったのです。それが現代の多くの解決不能な問題を生んでいることは確かです。
音楽の例も冗談ではないかもしれません。書くという行為も、今こうしてパソコンのキーボードを叩いているうちはまだいい。もっと「モノ」から離れ、身体性を失っていく可能性もあります。つまり、私たちの脳が、そのままメディアにつながるように、すなわち身体的面倒(?)を排除する方向に、我々の文明とか科学とかいうものは進んでいくようにできているんです。
そうしたことが実現した時、我々は「便利になった」と言うのでしょう。そして、またどんどん自己疎外に陥っていくんでしょうね。そんなことを考えてしまいました。
そんな私の妄想はこのくらいにしましょう。とにかく、この本を読んで、私の読書に対する苦手意識が少しは克服できたかもしれません。それから、もしかすると、本を書くという行為に対する「ハナから無理意識」というのも消えたかも。そういう意味で、松岡さんに大感謝です。
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コメント
ブログ上でははじめまして。
今さらですが初コメントさせていただきます。
同じ時期に日本の難点と、多読術を読めれていたようでびっくりしました。気が合うのでしょうか(笑)
感読レセプター、筆者がハッタリをかましてる、音読と意識あたりのところは僕も興味深かったです。そして何ですかね、最近はビジネス書を読む機会がどうしても増えていたので、目的とか効率とか吸収とかを考えるんじゃなくて、出会いのひとつとして捉えれば良いのかなぁというのが個人的には大きかったです。
ちなみに、富士山蘊恥庵庵主様のブログにたびたび出てくる「モノ・コト論」の骨子をきちんと読みたいのですが、書かれている量が多くて、ちょっと断念しています。「モノ・コト論」の入門記事を教えていただけないでしょうか?
投稿: chome | 2009.07.31 01:05
chomeさん、初コメありがとうございます。
それはたしかに気が合ってますね(笑)。
けっこうなことです。
さて、こちらは困ったことなんですけど、
「モノ・コト論」の骨子ですね…
すみません、全くまとまってなくて(笑)。
ホントいろんな人に言われます。
カミさんにも親父にも言われます。
でも、まとまっていません。
ブログに書いていることの数倍、ネタはたまっているんですが、
なかなかまとめるヒマがありません。
死ぬ前に一冊にまとめるつもりではありますが…。
たぶん、それが私の使命なので。
で、せっかくですから、ここをお借りして、ものすごく簡単にまとめておきます。
基本、世界には「モノ」と「コト」しかありません。
「コト」は私たちの脳内で処理されたことです。
思考や記憶、認知された情報は全て「コト」に含まれます。
また、私の考えでは、「コト」をベースに作られた物も「コト」に含めています。
製品や商品や作品は基本的には「コト」に属します。
逆に、「私」が認知していないものは「モノ」です。
この世に存在していても、出会っていないものは全部「モノ」です。
ですから、他人にとっての「コト」が自分にとって「モノ」であることも、逆のケースもあるわけですね。
また、「モノ」から「コト」が生まれることや、「コト」から「モノ」が生まれることもあります。
複雜なようですが、自己=コト、他者=モノとしてしまったり、内部=コト、外部=モノとしてしまったり、随意=コト、不随意=モノとしてしまったすると、案外単純ではないでしょうか。
とにかく、この世には「コト」と「モノ」しかないわけです。
で、我々人間は「モノ」を「コト」にするように生きています。
そのようにプログラミングされているんでしょう。
そういう意味で近代化とはまさにコト化でした。
で、私は「モノ」の復権を標榜して、いろいろ考えたり行動したりしている…らしい(笑)。
ま、そんな感じです。
あと15年くらいしたら、私も仕事をリタイアする予定ですので、それまで待っててくださいな。
本にしますから。たぶん。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.07.31 09:28