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2009.07.05

国分寺チェンバーオーケストラ・コンサート2009

リハの休憩中に↓
0326 日は、彩の国さいたま芸術劇場・音楽ホールにて、国分寺チェンバーオーケストラの演奏会にエキストラとして出演してきました。
 KCOの皆様におかれましては、前回ベートーヴェン演奏中に弓を折るという、とんでもないご迷惑をおかけしたワタクシを再び使ってくださり、本当に感謝にたえません。
 昨年の、音楽史上に残る(?)悪夢については太宰のいたずらとして処理いたしましたが、のち、その太宰とはいちおう和解をしたはずですので、再びそのようなことはないと固く信じておりました。
 さて、今回は無事に終了することができたのか!?
 本日演奏したのは3曲。

 モーツァルト/交響曲第25番ト短調
 ハイドン/協奏交響曲変ロ長調
 シューベルト/交響曲第4番ハ短調『悲劇的』

 結果から申しますと、まあ個人的には多少「悲劇的」な部分もありましたけれど、全体としてはなかなかいい演奏ができたのではないでしょうか。
 団員の皆さんの、本番での集中力、そして楽しもうとする姿勢には、仲間に入れてもらいながら、正直感動いたしました。そういう一体感がお客様にも伝わったのではないでしょうか。
 そういう意味では、団員の皆様とともに、やはり指揮者の坂本徹さんの力による部分も大きかったと思いますよ。
 この前の小澤征爾さんのインタビューじゃありませんが、やっぱり最後は音程とかリズムとか機械的なアンサンブルとかではなく、「心」です。坂本さんも最後はとにかく「音楽的であれ!」ということをおっしゃってましたっけ。そう、あらためて思いましたね。お客様に伝わるのは、そうした演奏者の「心」の一体感なのであると。
 小澤さんの言葉で言うなら、指揮は「invite」であるということです。我々演奏者たちは、指揮者によってある一点に誘われ、収斂していくんです。そこに音楽のエネルギーが生まれるのでしょう。
 普段、指揮者のいない比較的少人数のアンサンブルをする機会が多い私としては、最近のこういう体験は、また格別の新しい音楽体験です。この歳になって、そちら側の世界の面白さもわかるようになりました。密かに私も近代化してるのかな、ようやく(笑)。
 また、今回の演奏会を通じて、作曲家自身が望むこと、すなわち彼らの曲を作るという行為の究極の目標というものも、そういう世界の実現なのではないかと思いました。
 我々は、数百年前の外国の人間が残した「楽譜」という情報にいざなわれ、演奏者が集い、指揮者のもとに一つの到達点に向けて、それぞれのベクトルが合成されていく。その結果も、またプロセスも、とってもエキサイティングなものですね。
 小澤さんが言ってましたっけね、団員の7割が納得すれば、まあまあそこそこの演奏になると。100%ということはないと。たしかにそうでしょう。もちろん、解釈やセンスの違いはたくさんあって当たり前です。気持ちのノリというのも日によってまちまちでしょう。それを互いが協調し、ある意味妥協したり、助け合ったりしてですね、一つの形に仕上げていく。それが最終的に出来上がる音楽のエネルギーにつながっていくんじゃないでしょうかね。
 つまり、最初からみんなが納得し、ある意味みんなが同じ意見だったり、あるいは指揮者の言いなりになっていたら、それはもしかすると、コンピューター音楽のように味気ないものになってしまうのかもしれません。
 大勢が集まって一つの音を出した時、それは多様な音色や音程の集合体ですよね。加えて、それぞれ別個のヴィブラートで音程をずらしたりすることによって、あえてうなりを生じさせたりします。また、ホールの残響によっていろいろな音が混じり合っているわけで、そういう意味では、常に不協和音が鳴っているという理屈になります。しかし、そうして、力のある「音」が生まれるのは絶対的な事実ですよね。心を動かす響きというものが生まれる。なんでもかんでも純正調で完璧な音程を重ねればいいというものではありません。
 人間というのは面白いものですね。そうした、ある種の不協和によって快感を得るわけです。それは、先ほど述べた解釈や気分の総合の際にも言えることなのでした。本当に不思議ですね。
 小澤征爾さんも、ようやく最近、アンサンブルが崩壊しそうになるところまで、感情表現できるようになったと言っていました。それが感動を呼ぶと。つまり、あまりに行儀が良すぎても人間味がないということですよ。私の仕事の上でもそうですね。完璧な優等生ほどつまらんものはない(笑)。
 もちろん程度問題ではありますが、こういうある種の雑音やある種の衝突、ある種の混沌を超えて、それを束ねるエネルギーが生じた時、我々は感動するということが多々あるような気がします。そういう意味では、我々アマチュアが有利な面もあるんですよね。
 私が常々言っている、「コト」という器から溢れ出る「モノ」のエネルギーという考えが、その現象にあてはまるとも言えますし、逆に暴れる「モノ」を束ねる「コト」の存在に我々が感動するとも言えるような気もします。
 いずれにしても、「コト(意識・随意・情報)」と「モノ(無意識・不随意・自然)」とのせめぎ合いが、芸術や文化の源泉であるのは間違いないようです。
 後半のシューベルトを演奏中、そんなことを思いついてしまったので、ついつい「悲劇的」になっちゃったんですよね。ごめんなさい。でも、なにか大切なことを学んだような気がします。シューベルトさんやハイドンさん、モーツァルトさんはじめ、皆さんのおかげです。ありがとうございました。慣れない異種格闘技戦で疲れましたが、とっても楽しかった。これもまた他者との出会いの歓びだったのでしょう。

国分寺チェンバーオーケストラ公式

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