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2009.06.16

風姿花伝より「年来稽古条々」〜プロレスと年齢その1

20061210_256172 沢光晴選手の死を、ようやく客観的に受け止められるようになってきました。それに伴い体調も戻りつつあります。
 こういうことがありますと、自分の「心」と「体」を改めて意識しますね。逆に言えば、日常では、私たちは常に自分のことを忘れているということです。
 さて、次第に今回の悲劇を冷静にとらえることができるようになってきて、まず最初に思い出したのは、世阿弥の「風姿花伝」です。
 能とプロレスの類似性については、前々からいろいろと思うところがありました。そして、あの奇跡の日に、その両方の真髄に触れ、そして、その後全日本プロレスの渕正信選手と、そんな話をしたんですよね。渕さんも能のことをよくご存知で、深く納得してくださいました。
 多分に形式化された肉体表現ということで言えば、両者は非常に近しい関係にあります。お客さんと一緒にその空間と時間を作り上げていくところも似ていますね。
 離見の見。序破急。また、能において「申し合わせ」がただ一回しか行われず、あとはその場のアドリブで手合わせしていく、また、その日の客の反応によってアドリブで演じ方を変えていくという点も、ある意味プロレスとそっくりです。
 今日はちょうど能楽部の練習日で、簡単な謡の練習をしたのですが、体調不良の中で腹から大きな声を出していましたら、ふと、三沢さんのことに重なって、「風姿花伝」の「年来稽古条々」が思い出されました。十七、八歳の生徒たちと二十台の顧問の先生、そして四十四、五の私。四十六歳だった三沢さん。
 というわけで、今日は、風姿花伝「年来稽古条々」の「四十四・五」の部分の現代語訳(プロレス訳)をしてみましょう。十代、二十代と若いうちにはそれなりの「花」があり、三十代にそれが窮まる。そしてこの四十四・五につながっていきます。


 『このくらいの年齢からは、プロレスのやり方がほとんど変わるに違いない。
 たとえ世界的に認められ、プロレスを窮めていたとしても、良き後継者を持つべきである。プロレスの才能自体は衰えなくとも、やむを得ず次第に年老いていくもので、肉体的な花も、観客から見ての花も失っていくものである。
 まず特別に優れた外見の持ち主ならともかく、それなりの者であっても、素顔、素肌をさらすプロレスは、年をとってからは見られないものである。したがって、そちらの方面ではもう試合はできない。
 このくらいの年齢からは、むやみに高度な技を出すべきではない。全体にわたり、年齢に合った試合を、軽く力まず、若手の後継者に花を持たせて、相手に合わせて少なめに動くべきである。
 たとえ後継者がいない場合であっても、ますます細かい部分で体に負担がかかるような試合はすべきではない。どうしようとも、観客は花を感じない。
 もしこの頃まで消えない花があったなら、それこそが真の花であるのだろう。
 その場合は、五十近くまで消えない花を持っているレスラーであるならば、四十以前に名声を得ているに違いない。たとえ世界で認められているレスラーであっても、それなりのプロは特に自分のことを知っているだろうから、ますます後継者を育て、それだけに専念して、あらが見えるに違いない試合をするべきではないのである。このように自分のことを知る心こそ、その道の達人の心であるに違いない』


 ううむ、あまりに鋭いことを言っていますね、世阿弥(観阿弥)さん。もちろん、三沢さんもこのことをよく分かっていらしたでしょう。しかし、それが分かっていながら実現できなかったプロレス界の状況、ノアの状況を改めて考えなければなりませんね。
 三沢さんは近く引退を考えていたとのこと。もうどうしようもないことですが、やはり悔やまれてなりません。いろいろな状況と彼のまじめな性格、責任感の強さが重なり、今回の不幸が生まれてしまったようです。
 斜陽分野ではこのようなことが日常的に起きています。プロレスに限りません。たとえば本家「能」の世界なども、世阿弥は五十になったらもう引退しかないと言っているのにも関わらず、六十、七十の超ベテランの方々がいまだにメインイベントで演じています。ある意味こちらの方が危機的状況です。
 役者は舞台で死ねたらいい。レスラーはリングで死ねたら本望。一つの決意表明として、一つの寓意として、そういう表現もありだと思いますが、それが現実になるのは、やはり不幸であるとしか言えません。私も現実的に「教師として教壇の上で死ねたら幸せ」なんて、これっぽっちも思いませんよ。
 あらためて、ご冥福をお祈り申し上げます。そして、プロレス界よ、もう一度みんなでしっかり考えましょう。

風姿花伝より「年来稽古条々」〜プロレスと年齢その2

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コメント

馬場さん、猪木さん、ラッシャー木村さん、天龍さん、ブッチャーさん、長州さん、それぞれ老いてからのレスラーとしての生き様は様々ですが、やはり、馬場さんの生き様が最もうまくいっているのかもしれないな、と、読んでみて思いました。一方で、木村さんのように老いて輝くケースもあり(もちろん若い頃から実力はあったにせよ人気面では)、何が幸いするかわからないのもプロレスの世界ならでは。若い頃激しいプロレスをしていた人ほど、老いてからが難しい。

投稿: AH | 2009.06.17 14:35

AHさん、コメントありがとうございます。
これもまた同感です。
馬場さんの「花」に関して記事を書きましたので、そちらもご覧ください。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.06.18 08:52

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