三沢さんの思い出
↓昨年の夏 試合後の三沢選手
まだ気持ちの整理ができません。認めたくありません。
しかし、選手たちも頑張っていますから、私も三沢さんに教わった「折れない心」で頑張らねばなりません。
正直、三沢さんがここまで自分にとって大きな存在だったとは思っていませんでした。驚いているというのが本音です。
馬場さんや鶴田さんの時とは、また違った状況での不幸であったというのも、衝撃の大きな原因であるとも思います。まだ、深くは考えたくはありませんが、プロレスの存在意義自体を問われる事故であったのは確かです。
ここ十数年でのプロレス界の変貌はあまりに大きかった。それはいつも書いているように、古き良き日本、もう少し具体的に言えば「昭和」の終わりを意味していたとも言えます。夢や物語のない、無粋な弱肉朝食の世界。勝ちと負け、味方と敵しか存在しないデジタル的な世界。それは即ちマネー(カネ)の世界です。
日テレが恩義を忘れて、プロレス中継をやめたのも、やはり日本的仁義よりもアメリカ的経済が優先された結果です。もちろん日テレや番組を支えるスポンサーだけを責めるわけにはいきません。しかし、テレビ中継打ち切りが、今回の悲劇の遠因になったのも事実です。
これは冗談でなく、我々日本人全てが考え直さなければならない重大な問題です。もちろん私もその反省をしなくてはなりません。だからこそ辛いし、苦しいのです。
三沢光晴はプロレスに殉じ、日本の心に殉じ、日本という国そのものに殉じたのかもしれません。
さて、そんな三沢さんの生きた証を確認すべく、我が家にある様々な思い出の写真や品々を引っ張り出してきました。タイガーマスク時代から四天王時代にかけてのビデオ資産も相当あります。いずれ、これらも見直さなければならないのでしょうね。
でも、今はとてもできません。特に四天王時代の極限のプロレスは、きっと今見ると辛いだけでしょう。ああいうスタイルを作り出してしまったのは三沢さん自身だとも言えますから。
そこで、今日は、私が三沢さんを生観戦した際の写真や、グッズなどをここに紹介して、故人を偲びたいと思います。実はそれもそんなにたくさんありません。考えてみると、握手すらしたことがなかったかもしれません。会話したこともないのかなあ。せいぜい、サインをしていただいたお礼くらいでしょうか。
写真は秋田の旧皆瀬村での「みちのくメルヘン」で撮影したものがほとんどです。ほぼ毎年行ってますので、その際の写真や動画ですね。田舎のお祭りらしく、本当に身近に三沢さんを感じることができる大会でした。今年はあるのかなあ…。
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コメント
プロレス最強説、ジャンボ鶴田は決して本気を出さなかった説などが、今回のことで、ものすごく現実味を帯びてきていると思います。格闘技ブームといわれて久しいですが、やはり、プロレスは命がけの最強格闘技であると思います。
投稿: AH | 2009.06.17 00:18
子供の頃、緑パンツ、と思って見てました。
このブログ読んでて、おばあちゃんが真剣に応援していたこと思い出します。
学生時代、太陽パチンコの駐車場に来た大仁田厚を男子に混ざって見に行ったのも、緑パンツの選手をおばあちゃんと一緒に応援したから興味があったんだ、ってつくづく感じます。
アタシ小学生の頃に死ぬのが怖くて泣いたことあります。
ちょっと成長して、それを大人に話したら、1日を充実させてないんだって言われたんです。
そんなつもりないけど、と思いました。
アタシの最愛の犬が去年の10月に亡くなりました。突然過ぎて意味が分からなかったです。その日は彼が手術の日だし、あっちもこっちも。
彼は麻酔からさめたとき、全身麻酔だとぼんやりするじゃないですか、そしたら犬の事とか考えてしまったみたいで、アタシの顔と犬がグルグル頭の中で回って、アタシの呪い、とつながっちゃったとか。笑いました。黒魔術は使えませんよ。
で、話し戻ると、アタシが一緒にいることが出来た日にです。
たまたまその時だったんです。
アタシの思い過ごし、もしくは、親バカと言われるかもしれませんが、その犬を病院に連れて行かないといけない状況になるその日は、生きていた何年もの間はいつもアタシの休みの日でした。
タイミングよすぎます。
人の死や誕生に関わる日はいつもアタシはタイミング良すぎるほど、自分の休みにかぶります。
そういうのって、何らかのつながりがあるんですかね?
1日は24時間しかないのに、休みは寝てばかりいるアタシですが、思い返すと大切な時は逃してないアタシって充実してんじゃん、て思いました。
いっつも、コメント書いても本題とズレてますが、先生のブログ読んでるとすげー大切な事に改めて気がつく事が出来ます。
やっぱ先生ってすげー。
投稿: カオル | 2009.06.17 03:19
AHさん、どうもです。
私もそう思いました。
四天王プロレスの功罪ですね…。
超世代軍の頃が良かったのかも。
あれで十分強さの表現ができていましたよね。
やっぱり、鶴田最強!でしょう。
カヲルよ、緑のパンツ、死んじゃったよ〜泣
そう言えば太陽パチンコ行ったっけね。
ああいう地方興行もなくなっちゃったよ。
地方のヤクザがいなくなったらかね。
それにしても、
ほんと、生き死にって不思議だね。
ぜったい科学では証明できない何かがあるって。
それだけ尊いということだろうなあ。
いろいろ考えさせられる今日この頃です。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.06.17 09:43