三沢さんの誕生日…臓器移植法案に思う
47回目の誕生日となるはずだった今日、三沢さんの通夜が営まれました。悲しみは消えることはありません。
昨日は、三沢さんにNPO法人「日本移植支援協会」から感謝状が贈られることが報じられていました。偉大なる先輩、ジャンボ鶴田選手の死をきっかけに、三沢さんは臓器移植の普及啓発活動を支援しはじめたと言います。
そして今日、衆議院で臓器移植改正法A案が可決しました。なんとも言えない不思議なタイミングではあります。
ただでさえ、いろいろと考えさせられるこの頃でしたが、今日はまた脳死と臓器移植という、非常に難しい問題を目の前に提示され、さらに悩んでしまいました。
今日は自分の体調もいまいち優れず、思考もかなり淀んでいますので、本当に思いついたことを羅列するだけで終わりたいと思います。
私のこの断想たちは、おそらく永遠にどこにも落ち着かないでしょうね。頭がクリアーな時、我々はどうしても結論を得ようとします。それがいろいろな間違いや争いのもとになるのです。ですから、実は今日のようなタイミングでこういう重大な問題に直面するのは、案外いいものなのかもしれません。
脳死の判定や臓器移植について、よく言われるのが、「神の領域に踏み込む」とか「神を演ずる」とかいう言い方です。これは反対派にとって非常に便利な方便ですね。しかし、一面ではそうとしか言えない部分もあるわけです。なぜなら、「命は地球より重い」ものだからです。そして、我々が行なおうとしている生命の操作は、「自然に反する」行為だからです。
では、そのような言い方の根拠となるこういう文句の、そのまた根拠は何かというと、これが非常に頼りない。
私たちは、「命は地球より重い」と言う以前に、「本当に命は大切にすべきものなのか」という問題につきあたるべきです。こんな時に不謹慎ですよね。でも、まさにこういう時だからこそ、きちんと根本に還って考えてみなければいけない気がするのです。
我々が「命」と簡単に言ってしまうその命とは、ほとんどの場合が人間の命です。もちろん、動物や植物、いわゆる自然界の命も大切だと言いますが、それもまた考えようによっては、人間の生活、すなわち生命存続にとって大切なだけであって、たとえば害虫を殺し、雑草を根絶やしにするのに、私たちはそれほど罪の意識を感じません。
もともと命というのは非常に利己的なものです。それこそ自然界を見れば分かります。生物は、他者の生命を脅かすかどうかは問題とせず、ただただ自らが生き延びることだけを考えて活動するのが普通です。
もちろん、種を守るための同情や協力というのはあります。しかし、それも種という自己の延長に対する行為であって、やはり利己的であるのには変わりありません。
そうした利己的な命の延長であり、総体である国家…おそらくそれが自己の最大単位です。人類は世界、地球にまで自己を延長しているとは思えません…において、それぞれの利己心を調整するのが、政治の役割ですから、今回の法案の是非が政治的な問題であるというのに異論はありません。
「神の領域を侵している」とか、「脳死は人の死ではない」という倫理観や宗教観を振り回すのは自由ですし、私もその立場からなら何でも言えます。しかし、それはあまりに個人的な領域に属する根拠であって、同様に個人的な「難病の子どもがかわいそう」だとか、「自分の子どもがそういう状況になったら…」とかいう感情論と真っ向から対立したら、これは絶対に解決しません。それこそお互いの命を奪い合いにまで発展するかもしれませんね。
そこを調整、強制するのが、法治国家における政治の役割です。現実の政治は、遠くの理想に向かって動いてはいられません。目の前のストレス(すなわち生命の危機)を回避する算段をする方向に動いて当然です。それは我々国民という政治の主体がそれを求めているからです。
先ほど、自然という言葉が出ましたが、何をもって自然と言うかも難しい。我々人類が踏み込んでいる「神の領域」と言われるものも、あるいは身の周りに溢れかえる「人工物」も、全て自然界の動物たる私たちが自然界のものを使って作り上げているに過ぎません。あるいは、こういうつまらぬ思索も、また政治も宗教も、全て自然たる我々の脳が産み出している自然に過ぎないとも言えます。
そう考えるだけで、「自然に反する」という言葉がいかに無意味であるか分かりますね。
あるいはこういう問いに、皆さんはどうお答えになるでしょうか。「自然保護」と「生命科学」は相反する関係か否か。
ある考え方では、遺伝子操作などの「生命科学」は「自然に反する」行為でしょう。そういう意味では、「自然保護」とは言えません。しかし、ある人は、「保護」なんて言ってる段階ですでに自然ではない、と言い張るかもしれません。人間も自然の一部なのだから、こうして環境を破壊して自滅していくのも、これまた自然である、と言う人もいるでしょう。そういう屁理屈を経て、「生命科学」こそ「自然保護」だという結論に逢着してしまう頭のいい人もいるかもしれません。
つまり、こんなふうに、我々は答えのありえない問いを発し続け、そして、言葉をもって常に自分の立場を明確にしなければいられない存在なのです。本当は、悲しいなら悲しい、うれしいならうれしい、それだけでいいのかもしれません。しかし、そこを超えて、「理性的」に自分を着飾っていないと、どうにも落ち着かない動物なのです。それは、単に我々が利己的だからに過ぎません。本当に単純な理由です。
今日のボーッとした頭で見えてきた結論。非常に単純ですね。
我々は利己的だから、だからこそ命は大切であり、自然も正義も自由も人権も真・善・美も大切なのです。
案外、身近な所に落ち着きましたね。以上。今日は寝ます。
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コメント
そういえば、太宰治は、6月19日生まれの6月13日死去。三沢選手は6月18日生まれの6月13日死去。6月13日は、これからも語り継がれていくのでしょうか。
投稿: AH | 2009.06.21 00:06
AHさん、どうもです。
そうなんですよねえ…私にとって憧れの二人の男の命日になってしまいました。
ある意味、太宰は文学(恋と革命)に殉じ、三沢はプロレス(戦いと革命)に殉じたとも言えますね。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.06.21 06:25