『富士山―聖と美の山』 上垣外憲一 (中公新書)
富士山はやはり女だ。それを再確認させられた本でした。
富士山に関する著書は、それこそ山のごとくあります。富士山本人の懐に抱かれて生活する者として、それらを比較的たくさん読んでいる方だと思いますが、本書で初めて知ったこともたくさんあったのには、正直驚きました。まだまだ未知の資料が目の前に積み上げられそうです。
この本は、「富士山に関する『文化的』なものの総覧である。『富士山の文化史』と言い換えてもよい」と冒頭にあるように、文学作品や美術作品に描かれた富士山はもちろんのこと、富士の名を冠した戦艦や爆撃機に至るまで、さまざまな「文化現象」としての富士山を抽出して見せてくれます。
その全体を貫くのは、おそらく著者の専門分野であろう「ナショナリズム」であります。ナショナリズムとは、まさに外国との関係における相対的な価値観でありますから、結果として、富士山の姿を描くことによって、日本の外交史の流れと、それによって変化させられた日本人の自意識というものを、そこに読み取ることができました。
そういう意味で、富士山在住の私にさえも、新たな富士山の姿を見せてくれた好著と言えましょう。
しかし、ある意味では、自分の実感としての富士山との乖離も感じないではいられませんでした。もちろんそれは著者である上垣外さんの責任ではありません。文化としての富士山を記録し現出させた、過去の「文化人」たちの責任です。
というのは、文化としての富士山は、どうしても「表富士」に偏りがちだということなんです。裏富士も裏富士、富士山の真北に位置する村に住み、富士山の東北(艮)に位置する市に勤める私にとっての富士山が、そうした「文化的」な富士山と、正確に重ならないのは、これは当然のことですね。
それが違和感を催すというよりも、もっと複雑な感情を起こさせるのです。嫉妬心のような、被差別意識のような、いや屈折したある種のナショナリズムというか、そう、ちょうどこの地に色濃く残る「富士王朝伝説」や「後南朝伝説」のような、いわば敗者の美意識やナルシシズムのようなものでしょうか、そんなものを感じてしまうのです。
それもまた「文化」と言ってよいものなのか、私にはわかりません。しかし、裏富士に住み、裏富士と毎日対峙し、裏富士に魅入られた者としては、やはりそこにこだわりたい気持ちがあります。
この本で紹介されている「文化」の中にも、裏富士ものはあります。万葉集の高橋虫麻呂の長歌から始まり、聖徳太子の甲斐の黒駒による登山伝説や、全編によく引用されている「義楚六帖」の徐福伝説も基本裏富士を舞台としたものですし、富士講の中心も裏富士でした。そして、間もなくちょうど生誕百周年を迎える太宰治の「富嶽百景」は、言うまでもなく裏富士が主役です。
そう、太宰の語る富士が、比較的裏富士の本質をとらえているかもしれませんね。あの歪んだ愛憎。劣等感と自己愛。単に「聖と美」、すなわち「文化」としての富士山ではなく、ある種「俗と醜」をも包含した「真実」としての実在。それこそが私の富士山です。
そう考えると、やはり太宰治という男はすごいということになりますね。彼はあの作品で、富士山の裏側と人間の裏側を描き切ってしまった。いや、裏側と言っても、単なる暗黒面ということではありません。裏側の「真実」の妖しい美しさというものもあるのです。
ここに住んでいますと、裏富士を一つのシンボルとして集結した落人たちや、海よりも山を、森を象徴とする縄文系の人々の息吹を感じます。それがある種のコンプレックスとして堆積し、沈潜し、伏流しているとも言えます。その負のエネルギー…いやその「負」というのは、あくまで「正」から見た相対的なものであって、エネルギーには本来、正も負もないはずですね…そのエネルギーの凝結点が、ちょうどあの戦争が始まる寸前に現れた、太宰治の「富嶽百景」であり、出口王仁三郎の「大本」であったと、私は最近考えているのです。考えているというより、感じていると言った方が正確でしょうか。
そこでどうしても避けられないのが、冒頭に書いた「富士山は女だ」という「事実」なのです。昨日たまたま「活」について書きましたけれど、まさに「活火山」たる「富士山」と「女」がそこにあるのです。
実はつい先日もウチの活火山たるカミさん(神様?)が噴火しました(笑)。噴火の原因は本人にもわからないくらいですから、男たるワタクシには全く理解できないのです…いや、たしかに導火線に火をつけたのは私の一言だったかもしれませんが。そこには、表向きの女性的な「聖と美」に表裏隣接する、理屈や社会性を超えたなにか恐ろしい「モノ」があるのです。その「モノ性」こそが、「富士山」と「女」を密接につなげる何かなのです。
富士の表側に生まれ育ち、まずは「文化」としての富士山に魅せられて、そこに引き寄せられ、そのうちその裏側に囚われて、そして呑み込まれていった私。そんな私から見ると、富士は女だ、女は富士だと思わずにいられないわけです(苦笑)。
そうしますと、やはり「文化」というのは、男の手による社会的なフィクションだということになるのかもしれませんね。そんなことを考えさせてくれた、この本でした。著者の意図とは全く違った感想でしょうね。上垣外さん、すみません。
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